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[19世紀後半(幕末)総合]南北・普仏・西南・日清戦争 07

1 :名無し三等兵:2013/03/13(水) 11:56:12.59 ID:???
19世紀後半総合スレです。

日本史で見ればペリー来航からの幕末動乱期から
幕府倒壊・戊辰戦争、明治維新・明治新政府、西南戦争、日清戦争。

世界史で見ればパックス・ブリタニカ、
インド大反乱・南北戦争・普仏戦争・ドイツ統一、イタリア統一

兵器史で見れば雷管発明、リボルバー発明、ミニエー弾、ガトリング銃、
アームストロング砲、ボルトアクション小銃完成、モニター艦、装甲艦(甲鉄艦)
四斤山砲(フランス製前装ライフル式の青銅製山砲)など

戦列歩兵・散兵戦などの歩兵戦術から、帆船や蒸気船などまで
19世紀後半の時代で軍事に関係することなら陸海軍問わず、
東洋・西洋の違いも問いません。

上記すべての分野に全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。

このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。

20世紀は別スレで。
19世紀後半以前については、近世スレまたは古代・中世スレへ

前スレ
[19世紀後半(幕末)総合]南北・普仏・西南・日清戦争 06
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1357488429/

2 :名無し三等兵:2013/03/13(水) 11:58:40.76 ID:???
過去スレ

[19世紀後半(幕末)総合]南北・普仏・西南・日清戦争 05
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1346186862/

幕末(19世紀後半)の軍事全般4
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1309702976/

幕末(19世紀後半)の軍事全般3
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1292112846/

幕末(19世紀後半)の軍事全般2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1273035839/

幕末前後(19世紀後半)の軍事全般
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1245159247/

実質初代
幕末の幕府軍の兵器・兵装・戦術を語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1235997408/

3 :名無し三等兵:2013/03/13(水) 13:05:47.99 ID:???
なんでこんなにすぐ立てる?
数日クーリング期間をおけばいいのに。

4 :名無し三等兵:2013/03/13(水) 13:07:52.37 ID:???
>>1
       || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
       ||アラシは触らずに    :
       ||放置しましょう       \(・ω・ `) いつ覚えるの?
       ||__________   ⊂ ⊂ |  今でしょう!
  ∧ ∧    ∧ ∧    ∧ ∧    | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
  (  ∧∩∧(   ∧∩∧(  ∧∩∧|       |
〜(_(  ∧∩∧__(  ∧∩∧_(   ∧∩∧ ̄ ̄ ̄
  〜(_(  ∧∧∩_(  ∧∧∩_( ∧ ∧∩  は〜い!!
    〜(_(   ,,)∩(_(   ,,)∩(_(   ,,)∩
      〜(___ノ  〜(___ノ   〜(___ノ

5 :名無し三等兵:2013/03/13(水) 15:08:00.01 ID:???
あの基地外がまた湧くんだろうなぁ…

6 :名無し三等兵:2013/03/13(水) 16:23:12.54 ID:???
スルーできない人がいるので、奴が居着く。
むしろ別の話題を振って、奴の話を流すようにするのがいいのかもしれないな。

もっとも、そうホイホイ話題を提供できる人もいないだろうけど。

7 :名無し三等兵:2013/03/13(水) 19:02:26.93 ID:???
「江戸幕府と国防」(松尾晋一著・講談社選書メチエ)
で長崎を中心とした幕府の警備計画が描かれていましたが
交代で常勤していた黒田家と鍋島家の他に有事は九州諸藩が参陣する事になっていたけど
幕府直轄兵力はほとんどなかったみたいですね(長崎市民が自衛のために帯刀許可を求めたほど)
西郷隆盛の薩摩割拠プランが発動していたらそもそも幕府は抑えられたんでしょうかね?

8 :名無し三等兵:2013/03/13(水) 19:07:13.12 ID:???
このスレは狙われている!

9 :名無し三等兵:2013/03/13(水) 19:13:22.54 ID:???
>>1 乙

10 :名無し三等兵:2013/03/13(水) 21:20:11.31 ID:???
盛岡藩の相馬大作は父が病気と聞いて帰郷し、1818年(文政元年)に郷里福岡の自宅に私塾兵聖閣を開設。
同塾では武家や町人の子弟の教育にあたった。同年10月、同塾は近郷の金田一に移転する。
兵聖閣は、すべて門弟たちの手によって建設され、講堂、武道場(演武場)、書院、勝手、物置、厩、馬場、水練場などを備えていた。門
弟は200人をこえ、数十人が兵聖閣に起居していたといわれている。その教育は質実剛健を重んじ、真冬でも火を用いずに兵書を講じたと伝わる。

当時、北方警備の必要が叫ばれ始めていたが、大作も門弟に
「わが国の百年の憂いをなすものは露国なり。有事のときは志願して北海の警備にあたり、身命を国家にささげなければならない」
と諭していたという。この思想は、師匠の平山行蔵の影響とされる。

11 :名無し三等兵:2013/03/13(水) 21:32:14.27 ID:???
急にコピペしてどうした

12 :名無し三等兵:2013/03/13(水) 21:47:46.83 ID:???
donorBよりマシ

13 :名無し三等兵:2013/03/13(水) 22:09:56.60 ID:???
>>10
盛岡藩は津軽藩と折り合いが悪く藩士が津軽藩主暗殺未遂事件まで起こしているんですよね
その津軽藩も北方警備において津軽藩士殉難事件(1807)で実に72名の藩士遭難事件を起こして
いますが・・

14 :名無し三等兵:2013/03/13(水) 23:30:53.52 ID:???
>>13
その暗殺未遂事件をやらかしたのが、>>10の相馬大作(変名。本名は下斗米秀之進)。
南部家と津軽家の争いは根が深いからなぁ……

15 :名無し三等兵:2013/03/13(水) 23:44:49.76 ID:???
>>14
戦国以来の遺恨みたいですね
この事件はみちのく忠臣蔵として藤田東湖や吉田松陰にも影響を及ぼしたとも
・・しかし事件の内実はかなりしょぼいですね(^^;

16 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 09:56:30.66 ID:???
むしろしょぼいのになんでこんなに影響あったかが現代の感覚では理解しにくい。
しかも江戸の庶民は勝手に暗殺が成功したと思い込んでいた。

しかしこの謎の事件のせいで水戸藩や長州藩は盛岡藩に一目置いていたというからますます当時の感覚は謎。
吉田松陰はわざわざ事件現場巡礼してるし、桂小五郎も相馬大作尊敬していた。
まあロシアを仮想敵に訓練にしていたのは確かに先見の明があったけど。

17 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 09:59:54.24 ID:???
相馬大作事件が講談化されたの明治以降だからそれ以前の風説は全部嘘っぱちだよ

18 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 10:56:52.29 ID:OJg1ip4w
秩父事件で政府は困民党が東京に来ることを恐れていた。

なぜか?
すでに1884年には明治維新の理想は崩れ、東京は不正、コレラ、赤痢、貧困
が蔓延する失敗都市だったからだ。
「明治維新は失敗だった」と政府閣僚でさえ思うほど酷かったからだ

19 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 11:10:17.91 ID:OJg1ip4w
やはり西南戦争の敗北ショックによって明治初期の自由民権運動は
弱腰になり、兵力も不足したのが敗因だろう。
秩父事件も勝てる戦いを蜂起側は逃がしてしまっている。

20 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 11:26:24.75 ID:OJg1ip4w
明治期の日本軍は日清、日露の戦いに勝っている。

しかし清国軍は弱すぎたのだし、ロシアのバルチック艦隊は壊血病で弱りきっていた
という説もあるのだ。

総じて言うなら運が良かっただけという可能性もある。
ビギナーズラックだ。
ならば秩父困民軍にも勝ち目はあったのだ

21 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 12:21:01.26 ID:???
>西南戦争の敗北ショックによって明治初期の自由民権運動は弱腰になり

時系列が逆だなあ

22 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 13:17:58.73 ID:???
相馬大作事件は別に講談で広まったわけじゃないからな。

23 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 13:48:19.82 ID:???
バルチック艦隊が壊血病で弱り切っていたら
満洲の野にいるロシア野戦軍も弱くなるんですね
つまり日本陸軍は脚気に悩まされたので
聯合艦隊も弱くなっていたと

24 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 18:34:49.07 ID:???
やっぱり新スレにも例の基地外が湧いちゃったか…

25 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 18:52:42.59 ID:???
スルー推奨で

26 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 20:08:30.33 ID:???
盛岡藩と津軽藩は戊辰戦争後は明暗がわかれていますね
盛岡は藩領20万石を政府直轄地として没収、白石13万石へ減転封
(実際は献金で盛岡復帰)
津軽藩は戦争の功績で一万石の加増
まあ両者とも藩主は「伯爵」になるのですが

27 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 21:27:58.38 ID:???
秋田の矢島藩はなんか一万石の兵力350人で小銃はゲーベル銃160丁でちょっと残念だが、
砲兵は榴弾砲3門、新式野砲(四斤砲?)3門、新式山砲3門、旧式山砲3門、攻城砲1門でかなり充実している。
http://www.city.yurihonjo.akita.jp/yashima/kinenkan/kinnou01.htm

散歩農兵80人もなんか名前がかっこいい。

28 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 21:41:56.76 ID:???
一万石クラスで「最強藩」はどこだろう?

29 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 23:08:20.55 ID:???
松前藩なんか小藩のわりにはものすごい激戦してるが
http://www.town.fukushima.hokkaido.jp/chiyohshi/mokuji/fukusima_4/4-3-6.html

30 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 23:29:04.35 ID:???
>>29
松前藩は榎本政権に協力したとして100名近くを戦後処刑していますね
もっと穏便に解決できなかったものですかね?

31 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 23:46:12.32 ID:???
このキチガイは、どこから珍説を引っ張り出してくるんだ?

それはそれとして、1万石クラスの藩として請西藩はかなり戦ったほうだと思う。
まぁ、藩というより、藩主の林忠崇が強烈すぎる。脱藩する藩主ってw

32 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 00:01:03.64 ID:???
何が彼を駆り立てたんだ
ぐぐったらMADがあって吹いた
箱根や小田原って敵中になんで突っ込んでるんだ、中入れにもほどがある

33 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 00:07:50.35 ID:???
意外と戊辰で戦った一万石の藩探すの難しいな。

津軽の黒石藩とかちょうど一万石だけど野辺地で盛岡藩に一方的にやられてるしな。

34 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 00:17:16.47 ID:???
貧乏藩には舶来兵器なんて買えません><

35 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 00:19:37.72 ID:???
戊辰戦争じゃないけど長州戦争で小倉新田(千束)藩は親の小倉藩が藩主死去で
跡継が4歳だから藩主・小笠原 貞正(おがさわら さだまさ)が長州軍来襲のなかで
小倉藩政を後見するだけでなく自らも銃隊を指揮して出撃しているんだよな
小倉藩を見捨てて逃亡した老中・唐津藩主小笠原 長行(おがさわら ながみち)と
同じ子爵になることになるけど・・

36 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 01:05:33.91 ID:???
幕末小藩では岩村田藩、大田原藩、黒羽藩あたりがよくがんばったようだな。
もう寝るけど。

37 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 09:25:06.56 ID:PE3z97fR
戊辰戦争は幕府側が弱すぎであり、戦意喪失して逃げるか、寝返るだけの敗残兵と化して
いたとしか思えない。

仮に幕府側が戦意喪失状態であったとすれば、はたしてそれを戦争と呼びうるのか?

また戊辰戦争を語るならば、その後の秩父事件などを語らねば片手落ちであろう。

38 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 09:28:04.04 ID:PE3z97fR
1884年の秩父事件に関しては、従来の定説は以下のようなものだろう。

「秩父困民軍は装備面でも、人数でも政府軍に劣り、勝ち目がまったくない
弱者の悲しいあがきだった」

しかし当時の状況を分析していくと、はたしてそうなのかという疑問が湧く。
「明治政府に都合のいいように創作された歴史観を疑ってみる」のもいいはずだ。

39 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 09:32:32.53 ID:PE3z97fR
秩父事件を生んだ明治初期の自由民権運動はヤクザが主体のヤクザ運動だった
という隠蔽されてきた歴史がある。
これは明治期の歴史に詳しい人しか一般的には知られてないことだ。

戦後の学生運動のように青白きインテリが中心ではなく、明治初期のヤクザが自由民権運動の中心だったのだ。

私はここに秩父事件が勝てる要因があったと考える。

40 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 09:36:09.53 ID:PE3z97fR
ヤクザ中心ということは、もし構成員が逃亡でもしたら「おうワレ!ようも逃げたな!
ワレみたいな根性なしはいてもうたる」とドスで滅多刺しにされるような内部規範があったということになる。

殺されなくても、指を詰めるはヤクザ世界のしきたりだろう。
つまり、そこには軍隊としての強固な軍律があったということになるのだ。

41 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 09:38:58.85 ID:PE3z97fR
次に秩父事件に勝てる要因があったと思う点は当時の自由民権運動の人気はすさまじく、
国民的運動だったという点である。

ごく一部の人がやってるだけではなく、ほぼ全ての国民が共感していた。
こうした民衆からの人気も戦いを有利なものにしたと思う。

42 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 09:44:24.39 ID:PE3z97fR
また秩父困民軍が勝てたと思う最大の要因は蜂起したのが埼玉だったという点だ。
これは例えるなら落下傘部隊が敵の本拠地のすぐ後ろに落下したようなものだ。

秩父困民軍は夜間に歩いていけば、すぐ東京の街に入れたのだ。
当時の人は日ごろからよく歩いていたので、何でもない距離だろう。

なにしろ、当時は街灯もろくに無いのだし、夜間に埼玉から東京まで歩いても
見つかる可能性はゼロに近い。
真っ暗闇だからね。

43 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 09:50:24.22 ID:PE3z97fR
「しかし、火縄銃の秩父困民軍が闇夜にまぎれて東京に入りこんでも、スナイドル銃を持つ政府軍に
勝てないだろよ」という疑問を持たれる方もいると思う。

そこで前述の「当時はほぼ全ての国民が自由民権運動の支持者であり、なおかつヤクザ中心」という利点が生きるのだ。

政府軍の背後から、東京のヤクザや民衆が襲いかかる。
東京のヤクザも「わしらもやったりまっせ」とばかりにドスを片手に政府軍の背後から襲い掛かる。
政府軍は弾切れになり、膨大な数のヤクザや民衆に包囲されて嬲り殺しにされただろう。

44 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 09:55:03.31 ID:PE3z97fR
後装式のスナイドル銃は装填と照準に約6秒かかる。
「でもたった6秒でしょ」と思う人は戦場がまるで理解できてない。

6秒あれば人間は走って40メートルから50メートルを移動する。
つまり政府軍がスナイドル銃に装填している間にヤクザが肉薄してきて、
「オウおどれら道連れにしたる」と叫んでヤクザが全身に巻きつけたダイナマイトに点火できるということだ。

45 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 10:00:33.88 ID:PE3z97fR
なるほど現代戦では物量がものを言う。
太平洋戦争末期の米軍による物量攻勢などはその典型だ。

しかし19世紀後半においてはイギリスやアメリカでも今日から見れば生産力が雀の涙なのだ。
生産ラインが実に貧弱であり、中世よりはマシという程度だった。
今日の自動ライン化された生産設備など19世紀後半には存在すらしておらず、まだ大量生産は夢のまた夢だった。

だから19世紀後半の戦いは欧米でもまだ孫子の兵法や真田幸村などの戦法が状況しだいでは通用した時代なのだ。
この歴史的事実を理解して欲しい

46 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 10:07:20.52 ID:PE3z97fR
君たちは第二次大戦でイギリスが製造したホームガードパイクという槍を知っているか?

ホームガードパイクなる槍は第一次大戦の塹壕戦に従事した英国の年配のおじさん達が
「第一次大戦で一番役に立ち、信頼できる武器は槍だった」と証言するので、その証言に基づいて製造された武器だ。

この証言は嘘では無く、1914年の第一次大戦ではドイツもフランスも米英も生産力が低いので弾薬製造や補給が
間に合わず、弾が無いから刀剣や槍が戦場で活躍したからだ。
当時はそんなものなのだ。
つまり19世紀後半の戦いにおいては竹槍や弓矢も馬鹿にできないのだ。

47 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 10:11:38.27 ID:PE3z97fR
槍と聞くと戦後の日本人は「太平洋戦争末期の竹やり訓練」を想像してしまい、
「そんなんじゃ勝てねー」と条件反射的に思うだろう。

しかしよくよく考えて欲しい。
白兵戦において槍は強い。
そして19世紀後半の戦争は欧米でも99%白兵戦に突入しているのだ。

アレキサンダー大王は長い槍でオリエントを制したのだし、戦国時代の加藤清正も槍の名手だったという。
槍の名人がたしかな槍を手にした場合は白兵戦において最強部類の兵器になるのだ。

48 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 10:16:34.22 ID:PE3z97fR
君たちは「マニュアル通りの戦法」を書くことは上手い。

しかし言いたい。
「戦争は受験勉強とは違う」のだと。

三国志の諸葛遼孔明が知恵を絞って奇想天外な作戦で赤壁の戦いに勝ち、
第一次大戦のソンムで当時においては奇想天外な兵器である戦車を使う。

こうした「奇想天外で敵の予想外の作戦」をやったものが古今東西のあらゆる戦場に
おいて名将軍の地位を手にしたのだ。
君たちのマニュアル通りの発想ではサルにも勝てない。

49 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 10:21:12.10 ID:???
牟田口が土鍋で焼肉をしている会場はここですか?

50 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 13:52:22.81 ID:???
一万石大名で一番有名な柳生家の幕末は
将軍の剣術指南役という役職(後には旗本の村田柳生家が指南役)から参勤交代のない在府大名で江戸にあった佐幕派と
京都警備や摂津の海上警備、大坂警備を務めて京都の政局に詳しい国元の勤王派の抗争が激しく
慶応4年2月に江戸から帰還した佐幕派が国元勤王派を「粛清」しようとしたものの
口実にしようとした藩主暗殺計画の偽造文書を逆手にとられて9名が「処刑」されることになります
斬った後の血を拭う為に鍔に巻いていた紫縮緬から、勤王派を斬る合図が「紫縮緬」だったことから
「紫縮緬事件」によって藩論はようやく統一、柳生家は新政府に帰順します
廃藩時柳生家の士族は100戸あまりだったそうですから小藩には大きな抗争・犠牲ですね

51 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 15:27:13.76 ID:???
やがて日本は日清戦争に突入
さらに日露戦争への道を歩いて行く
そのような歳月の中で幾度か、銑次の姿を見たという人があった
たとえば、栃木県足尾銅山鉱毒事件の弾圧の最中で
たとえば、北海道幌内炭鉱暴動弾圧の最中で
激しく抵抗する銑次を見たという人がいた
そして、噂の銑次はいつも戦い抗う銑次であった

52 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 16:00:27.19 ID:???
>>51
そのナレーション、鎮台兵と鉄次が戦っているスローモーションシーンで流れるんだけど、鎮台兵の髪がパーマを当てた様な長髪で帽子から派手にはみ出していた萎えた記憶が・・・
感動のエンディングが、お笑いに><

53 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 19:11:50.92 ID:???
岩村田藩は譜代内藤氏1万5千石
慶応2年(1866年)蘭式兵制を採用、農兵隊を編成
慶応4年2月末まで藩主・内藤 正誠(ないとう まさのぶ)は慶喜の謹慎する上野寛永寺を警護
3月一小隊を甲府に派遣し甲陽鎮撫隊を迎撃、4月下野壬生に出兵、宇都宮城攻防戦で大鳥軍に敗退
閏4月北陸道軍に加わり北越戦線を戦う
動員兵力130名 戦死2名負傷2名
戦後慰労金2000両を賜る

54 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 20:01:49.70 ID:???
大田原藩は外様大田原氏1万1000石
文久2年(1862年)に藩主・大田原富清が死去のために二歳の一清が家督を継ぐ
慶応4年4月東山道軍に恭順、5月会津・大鳥軍が来襲、藩主は脱出し落城寸前に
三の丸の火薬庫が爆破・炎上、驚いた会津軍は撤退
8月白河軍に参加、会津へ進撃・転戦する
動員兵力527名 戦死14名負傷9名
戦後慰労金5000両を賜る

55 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 20:12:03.49 ID:???
飯田藩も一万五千石のわりにはかなりがんばってるな。

戦後慰労金の金額は一万石クラスの大名の評価としては一つの基準になるな。

56 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 20:33:15.92 ID:???
黒羽藩は外様大名大関氏1万8000石
第15代藩主大関 増裕(おおぜき ますひろ)は開明派として知られ
文久2年(1862年)に講武所奉行に任じられ以後陸軍奉行、海軍奉行、若年寄と
文久の軍制改革の中心人物となる
文久3年5月に初めて国入りし洋式砲術の導入・農兵隊の編成など藩政改革を進める
慶応3年(1867年)12月9日狩猟中銃の暴発事故(謀殺説あり)により31歳で死去
養子が決まるまでその死は秘匿され、増勤(ますとし)が急養子として跡を継ぐ
慶応4年2月新政府に恭順、4月の大鳥軍の攻勢に同調する動きを見せた藩士3名が斬られる
閏4月大田原への援兵として出兵、5月白河口に出兵、7月二本松攻撃、8月駒坂峠より会津に進軍
9月佐良土(旧栃木県湯津上村)で水戸帰還を図る水戸諸生党と戦う
動員兵力417名 戦死24名負傷22名
戦後永世賞典禄として1万5000石を与えられる
増裕はまた作新学院の名前の由来となる藩校作新館を創設、命名は勝海舟とも言われる
(現作新学院は1885年船田兵吾らが私塾「下野英学校」として創設)

57 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 21:25:13.71 ID:???
信濃飯田藩は外様大名堀氏1万5千石
第11代藩主堀 親義(ほり ちかよし)は器量を父から疑われ廃嫡されかけるも
家督を継承、元治元年(1864年)講武所奉行に就任するも同年11月に領内の
天狗党通過を国元家臣が城に立て篭り黙認したため、12月に解任・2000石の減封
慶応2年(1866年)5月大坂警備のために上坂、10月に京都見廻役を命じられる
慶応4年(1868年)1月家老らを慶喜に通じているとして新政府に突き出すも家臣団の猛反発を受け
3月には隠居に追い込まれる、藩は2月に東山道軍に恭順
養子・堀 親広(ほり ちかひろ)が12代藩主を継承
4月衝鋒隊追撃、閏四月以降北越戦線・会津進撃を戦う
5月には脱藩大名林忠崇ら遊撃隊の甲府来襲の報を受けて藩主自らが出撃
動員兵力301名 戦死2名負傷4名
なお親義は極度のケチ大名としても伝わる
(家臣に贈ることの多い古着を一枚として下げ与えず土蔵には古着が溢れかえっていた
父が庶子へ与えた鎧と太刀を父の死後無理やり巻き上げ愛妾は自殺する)

58 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 22:29:56.16 ID:???
だいたい一万石で300人から500人くらいの兵力か。

大関増裕も堀親義も元講武所奉行というのが興味深いな。

59 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 22:49:37.02 ID:5Uf4uyfV
明治維新から第一次世界大戦までの間に、日本が蘭印をgetできる機会ってあったのかな?ちょっぴり20世紀にはみ出してるけど

60 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 23:07:28.08 ID:???
あと番外編で
喜連川(きつれがわ)藩は外様喜連川(足利)氏5000石
水戸藩主・徳川斉昭の十一男・喜連川 縄氏(きつれがわ つなうじ)が文久2年(1862年)家督を継ぐ
慶応4年(1868年)5月28日新政府に対し病気の縄氏に代わり重臣を上洛させることを願いでる
7月藩士二階堂主殿輔らの縄氏の同盟内通を新政府に訴え、同藩士らを処分する
8月8日鍋島家に付いて白河口に進撃、松平容保親子を千住まで護送する
動員兵力 20名あまり 死傷者なし
現米193石を賜り足利氏へ復姓
なお最後の藩主足利 聡氏(あしかが さとうじ)は債務返済の行き詰まりのために明治9年実家実家宮原氏に隠居・離籍
足利氏の家督は縄氏の長男・足利 於菟丸(あしかが おとまる)が継ぐ

61 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 23:33:39.93 ID:???
>>59
無理だろ。
蘭印は17世紀からオランダ領だ。もっとも、完全掌握したのは20世紀になってからだけど。
重要な植民地なんだから、本国に危機的な状況が起こらない限り他国に割譲するなんてことはないだろうし、仮に他国に割譲するにしても、日本よりイギリスやフランスあたりに割譲するんじゃないかな。

62 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 02:43:02.31 ID:???
>>59
大英帝国がオランダの守護者やってた時代だから可能性は全くないべ

63 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 09:52:14.49 ID:???
ていうか大英帝国が日本の守護者やってた時代だからな

64 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 20:29:55.84 ID:???
館山藩は譜代大名稲葉氏1万石
第4代藩主稲葉 正巳(いなば まさみ) 1815〜1879
文久元年(1861年)講武所奉行、翌年若年寄に就任 元治元年(1864年)外国御用取扱勝手掛・海陸備向取扱
神戸海軍操練所設立に尽力、一度は家督を養子正善に譲り隠居するも慶応元年(1865年)若年寄に
再任され幕府陸軍奉行、老中格、幕府海軍総裁を務める、慶応4年2月1日幕府の役職を全て辞する
4月11日榎本艦隊が来航(海軍総裁時に榎本は副総裁、勝海舟が説得に訪れ品川に引き返す)
4月25日藩主・稲葉 正善(まさよし)上洛し恭順(先代の経歴から詰問を受ける)
閏4月8日遊撃隊来襲、正巳が応接し山田市郎右衛門率いる藩士15名を脱藩・協力させる
房総鎮撫軍に恭順、9月木更津の鎮定に出動するも中途で帰還
動員兵力55名 死傷者なし

稲葉正巳は「洋人殿様」「唐人稲葉」と呼ばれ牛肉など洋食も早くから食べる西洋通の一方
館山藩主として44年間の在任中一人も切腹者を出さず、刑場には雑草が生い茂っていたという

脱藩15名は5月26日の小田原藩との湯本・山崎の戦いで飯野藩士と共に第五軍で後方警備
脱藩藩士の一人木下晦蔵は函館まで同行、高龍寺分院病院掛で負傷兵を預かるも
押し寄せた松前藩兵は丸腰で止める晦蔵らを斬殺、寺に放火し傷病兵十数人も死亡

65 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 21:36:32.73 ID:lcZbPrDe
俺が秩父事件について書くと「不快感を水面下で表明」する手合いが多いわけか。

つまりは「明治維新は100%正しく、明治政府に反逆した秩父困民軍は悪だ!」
という風な明治期の警察のごとき価値観の人間もいるわけだね。

しかしおいちょっと待てと言いたい

66 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 21:39:27.14 ID:lcZbPrDe
明治政府はその無能と傲慢によって「太平洋戦争に突っ走っていく破滅型政府」だ。
戦争がうまく行ってる間は破局が先延ばしになっていただけの「問題先送り政府」だ。

太平洋戦争の嘘つき大本営なんてのも、明治政府が生みの親だ。

これでも明治政府が100%正しいなんて言えるのかね

67 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 21:43:39.05 ID:???
今日もキチガイが湧いた

68 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 21:46:52.59 ID:lcZbPrDe
「しかし明治政府には文明開化を達成した功績もあるだろよ」という意見もあるだろう。

井伊直弼が1858年にアメリカと結んだ日米修好通商条約の時点で日本は鎖国を止めている。

つまり明治維新が無くても幕藩体制のままで「欧米化」はできたのだ。
できたというより、実際に幕末にやっていた。
鎖国に固執する江戸幕府と欧米化を要求する維新派の対立なんてのはドラマのフィクションだ。

ではなぜ幕藩体制のままでも欧米化ができるのに明治維新は起きたのか?
それは「金と権力をわしづかみにしたかったから」だろ。

69 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 21:50:44.35 ID:lcZbPrDe
西南戦争の薩摩軍は海軍を持ってないから、仮に九州を防衛できたとしても、
安全に海を渡れないという致命的弱点があった。

それに対して秩父困民軍は埼玉県だから、船が無くても歩けばすぐそこは東京だった。
秩父困民軍には地の利があったのだ。

70 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 21:53:51.22 ID:lcZbPrDe
「しかし秩父困民軍は埼玉県の田舎や山で戦うしか能が無かったのが史実だろ」
という問いかけもあるだろう。

それは確かにそうなのだ。
だが秩父困民軍が山地で戦うとしても勝つ方法はあったかと思われる

71 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 21:58:58.75 ID:lcZbPrDe
秩父困民軍には致命的な問題もあったことは事実である。

それは秩父困民軍は「畳で敵のライフル弾を防げる」と考えており、
畳を盾にして銃撃戦をするも敵弾が畳を貫通して負けているという点だ。

やはり教育水準が低い時代だけに、致命的問題もあるにはあった。
これは認める。
だがしかし、、、、

72 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 22:02:34.69 ID:???
あえてマジレスするとすれば非暴力非服従で行くべきだっただろ
もっと状況の厳しい大英帝国支配下のインドでさえ出来たんだから
もちろん逮捕されるが、明治政府も国事犯にはしたくないから、普通の犯罪者扱いですぐ釈放
これを延々と繰り返して政府を疲弊させれば民権運動との連動も多少は可能性も出てくる
福島事件は下手に壮士を出したり、警官ともみ合ったりするから暴力犯にされてしまった

73 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 22:05:07.55 ID:lcZbPrDe
もし秩父困民軍が畳ではなく、鉄板を盾にして山地で銃撃戦をしていたならば
また戦闘は違ったものになっただろう。

いくら当時の埼玉でも「村の鍛冶職人」はいたんだし、そうした村の鍛冶職人の助言などを
もとに村内で火縄銃も自作していたようだから、防弾鉄板も作れたはずだ。

さらに大口径の火縄銃も自作して、防弾鉄板で敵弾を防ぎながら、大口径火縄銃で
アウトレンジ射撃をしたら、また戦闘は違った展開になったはずだ

74 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 22:09:14.11 ID:RjLPireB
多度津藩は外様京極氏1万石
第6代藩主京極 高典(たかまさ)1836〜1906
元治元年(1864年)11月孝明天皇に拝謁し天盃を賜わり12月26日まで京都御所日之御門警衛の警備
慶応4年正月鳥羽伏見の戦いに新政府軍側で出兵、四条隆謌(七卿落ちの一人)を護衛し山崎関門の津藩へ内応の説得に当る(6日の津藩の寝返りは新政府軍勝利に大きく貢献)
1月19日本藩丸亀藩、土佐藩とともに高松藩を攻める。大目付服部喜之助を総督に先進隊の兵士50人が出兵
高松藩は重臣2名の首級を差し出し恭順
1月21日に兵を帰し以後伏見取締を命ぜられ、伏見街道および鳥羽口の警備
動員兵力二小隊と十七名 死傷者なし
明治4年正月他藩に先駆けて解藩の建白書を明治政府に提出 2月5日廃藩
4月8日東京に向け汽船温泉号で出航するも18日に遠州灘沖で難破し家財や藩の記録はすべて失われる

75 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 22:11:00.73 ID:lcZbPrDe
>>72
こちらもマジレスすれば当時の状況で非暴力、非服従で行くのは
「死ぬ覚悟」が必要だぞ。
自殺に近いことになる。

なぜなら当時の警察は自由民権家を暗殺したり、逮捕して拷問にかけて殺していたんだから。
「徹底的に殺して弾圧しろ」が政府の方針であり、戦後の学生運動みたいに「転向」しても、
おかまいなしに逮捕されて拷問で殺されるよ。
現代のような人権がある時代では無いし、「わたしは非暴力です」と言っても、
警察が「ああそうかね?では死んでもらおう」と拳銃を撃ってくる時代だよ。

76 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 22:14:18.31 ID:lcZbPrDe
あるいは秩父困民軍は埼玉の山地に「太平洋戦争の硫黄島のような地下要塞」
を築いて粘るという方法もあっただろう。

硫黄島のような地下要塞ならば、砲撃だけで破壊するのは困難だから。

77 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 22:21:07.57 ID:lcZbPrDe
戦前の小林多喜二は「暴力ではなく、小説で感性に訴えて文化的に
世の中を変えようとした文学者」である。

しかし小林多喜二は非暴力ではあったが、当時の警察に逮捕され、
激しい拷問で顔をぐちゃぐちゃに砕かれ、全身打撲と内臓破裂して死亡し、
警察はその遺体を道端に投げ捨てていたという

78 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 22:24:30.05 ID:???
何言ってるのやら
民権家の誰が拷問されて殺されたというのか
加波山事件等の武力蜂起を伴った激化事件では確かに死刑判決もあったが、
武力蜂起のない事件ではまず死刑は無理

明治政府は国内外に近代国家であることを示すために必ず裁判にかける
裁判では民権派の代言人(弁護士)がつき、強引な逮捕がされた場合、その点は必ず突かれる
例えば大阪事件で逮捕された大井憲太郎も福島事件の河野広中も保安条例で東京を追放された
民権家たちも1889年に大赦が下され、釈放、追放解除となりその多くが翌年の帝国議会に
民党として参加してるんだぞ

79 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 22:27:59.65 ID:lcZbPrDe
「暴力革命なんていけない、ダメぜったい」

こうした思想が日本の民衆に蔓延したのは戦後の高度経済成長によって
庶民でもマイカーを持てる時代になってからの話だ。(1970年代以降だろう)

いわゆる「保守化した民衆」だが、戦前はそうした保守化した民衆は生まれようが無い。

だって戦前は大企業のサラリーマンでも月収が20円ぐらいだし、19世紀後半になると、それよりも安い。
すなわち「餓死か戦争か」という二者択一しか戦後までの社会には無く、
その二者択一から戦前の日本は太平洋戦争に直行した。

80 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 22:31:43.16 ID:lcZbPrDe
>>78
それは「現在の北朝鮮が人権を守り、まともな裁判を行う国家である」
と言っているようにしか聞こえないな。

マジレスしてくれた相手に対して、こう言うのも失礼かも知れないが、
貴君は戦後のパラダイムで19世紀後半を色眼鏡で見てはいないか?

81 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 22:36:06.53 ID:lcZbPrDe
時代や国家などによって神聖不可侵のように神格化されたパラダイムというのはある。

ソ連におけるスターリン神話や戦前における天皇の神格化などがそれだ。

そして、そうしたものは戦後にもある。
「平和はすばらしい!暴力はだめ」
「豊かさや自由は無条件にすばらしい!」

こうした神聖不可侵的なパラダイムだけで軍事を語るやつが、この板には
多いように思われるな。

82 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 22:44:41.96 ID:lcZbPrDe
「ネットによってイデオロギーの時代は終わった」なんて言われた時期もあったが、
ネットをやってて思うのは「イデオロギーの色眼鏡だけですべてを割り切る奴ばっかりじゃねーか」
ということだ。

そうすると、やっぱりあれなのかね?
1960年代の学生運動華やかしり頃の学生がたむろする喫茶店がそのまま電子化
されたのがネット社会であり、「電子化されただけで中身は一緒」というやつなのかね。

洗濯が手洗いの時代から、電気洗濯機の時代になっても洗濯していることには
変わりないようなものなのかな

83 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 23:13:31.76 ID:???
多古藩は譜代松平氏(後に久松)一万二千石
九十九里浜の真忠組の反乱に出兵
真忠組(しんちゅうぐみ)
関東取締出役の配下だった楠音次郎と塾生ら87名が貧民救済と鎖港攘夷を掲げ
文久3年12月4日上総国小関新田の大村屋旅館を接収して「真忠組義士旅館」とする
九十九里地方の素封家から「献金」を集め貧民に分配
倒幕・武士階級の廃絶を訴え、全隊員に「姓」を名乗らせ武士も町民も農民も漁民も一切平等とした
元治元年(1864年)1月17日福島藩、一宮藩、多古藩、佐倉藩ら藩兵1500余名の攻勢を受け一日で壊滅
指導者ら12名は斬首される
慶応4年2月新政府へ恭順 姓を松平から久松に改める
10月2日水戸藩内戦の警戒兵を出す
動員兵力70名 死傷者なし

84 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 23:37:23.02 ID:???
>>65
勘違いしっぱなしなのも可哀相だから敢えてマジレスするが、
不快だと思われてるのは秩父事件の解釈じゃなくて、知ったかばかりなお前の存在自体だよ

85 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 00:27:13.16 ID:???
このキチガイが何を主張したいのかは全くわからないが、何かを主張したいというのはよくわかった。
でも邪魔なんだよね。俺様理論を押しつけるから。

86 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 00:34:52.48 ID:V/jqww3E
遅くなったけど>>61,62
ありがとう

87 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 00:37:10.69 ID:???
>>74
うどん藩って恭順のために重臣切腹させてたのな
知らなかったわ

88 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 00:41:07.93 ID:???
どの辺をネタ元にしてるのか
そもそも文献にあたってるのか知らないけど
小林多喜二の遺体写真やデスマスク
遺体を引き取った友人たちの証言があるって事知らないんだろうなぁ

89 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 00:52:07.98 ID:???
そもそも、明治期の民権運動と昭和期のアナーキストや共産主義者取締に始まる
特高の活動を一緒くたにしてる時点で、かなりアレな人なのは分かる

90 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 01:00:52.47 ID:???
どうも学生運動(の担い手)がお嫌いな印象、なんかコンプレックスでもあるんだろうか?

91 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 01:05:08.27 ID:???
このキチガイの理論展開の特徴は一つの事例を取り上げてそれがさも同時代における普遍的な解であったかのように述べる点にある
1知って10を理解した気になってるのかしらんが、そういう思考法がスレ住人から散々指摘されている「基礎的な知識の不足」の元凶なんだよなぁ。
自分ではお利口さんのつもりだから始末におえない

92 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 01:15:12.96 ID:???
学生運動とか、自分が生まれる前に終わってて
まだ歴史の授業で語られる程でもない時代の話を振られてもちょっと……

93 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 01:21:25.85 ID:???
小林の最後についてもデタラメだしね……

94 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 01:21:49.94 ID:???
まあそれがヘーゲル式弁証法の応用であるマルクス主義弁証法的唯物論の最大の特徴であり致命的かつ決定的な欠陥だから。

95 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 03:03:01.17 ID:???
黙ってNGに放り込むのが一番

96 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 12:10:46.19 ID:???
せめて時系列位は何とかしてほしいよなぁ

97 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 13:05:48.97 ID:???
竜岡(田野口・奥殿)藩 譜代松平(後に大給)氏 1万6000石
藩主・松平 乗謨(まつだいら のりかた)1839〜1910
嘉永6年(1853年)ペリー来航後、農民兵を徴募して仏式軍制の歩人隊・非常先手組を編成
文久3年(1863年)1月に大番頭に任じられ、8月に若年寄、9月11日藩庁を奥殿から田野口に移転、
元治元年(1864年)星形要塞である龍岡城を建設開始 6月に開港問題などで松平慶永と対立して若年寄を罷免
慶応元年5月には陸軍奉行として幕政への復帰 若年寄次席、12月には若年寄となり、慶応2年(1866年)6月には老中12月には陸軍総裁
慶応4年(1868年)1月、戊辰戦争を契機に陸軍総裁職を辞任し、2月には老中職も辞任
大給と改姓した上で国元に帰国し、3月には上洛して新政府に帰順する意思を示すも経歴により謹慎
4月衝鋒隊の飯山進出に出兵
閏4月越後新井へ出兵、5月に小千谷に進駐、榎木峠で長岡軍と交戦。6月筒場、福島、宮本、亀貝などを転戦
5月に謹慎を解かれる。5月28日に藩名を竜岡藩と改名
動員兵力84名 戦死4名負傷10名
戦後賞典金2000両を賜る
総工費は当時の金額で4万円強ともいわれる龍岡城築城もあり藩財政は破綻
廃藩を申し出て、廃藩置県前の明治4年6月2日に廃藩
明治10年(1877年)西南戦争時、熊本洋学校に日本赤十字社の前身である博愛社を設立 以後その育成に貢献する

98 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 13:43:23.34 ID:aa/TgJmo
田原藩 譜代三宅氏1万2000石
最後の藩主・三宅康保(やすよし)1831〜1895
先代康直の天保3年(1832年)渡辺崋山が家老に登用され藩政改革を進め、天保の大飢饉を乗り越える
蛮社の獄により華山は謹慎・天保12年(1841年に切腹する
農政家の大蔵永常、砲術家の村上範致など華山の人脈による有能な人士による藩政・軍制改革は続けられ
嘉永3年(1850年)頃より洋式兵制による農兵隊を編成、
安政3年(1856年)には伊豆国戸田より船大工を招致してスクナー型帆船「順応丸」を建造した
順応丸は国内交易に活躍したが、慶応元年(1865)老朽化により解体
嘉永3年(1850年)康保が家督継承 二度にわたり大阪城在番を務める
慶応4年2月、康保は江戸にあって徹底抗戦を主張するも家老・村上範致・渡辺小崋(華山の次男)らの説得により帰藩・恭順
慶応4年2月東海道人馬兵食賄方を担当 出兵・死傷者はなし

99 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 14:03:00.48 ID:???
フランス式軍制の小藩なんかあったのか。戦闘経験も多しし竜岡藩は小藩としてはかなりレベル高いな。

100 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 14:19:46.03 ID:???
>>98
江戸で学んだ西洋砲術の系統が生きた藩だね。

101 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 14:20:23.10 ID:???
したらば系あたりに土鍋ちゃんねるって作って欲しいなあw

そこで珍説を積み上げまくった後で
それをどっさりまとめて、アフィだらけのサイトでも立てやがれw

102 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 15:31:30.19 ID:S7KoMKzp
>>91
明治期や昭和初期に警視庁の指令で警察がやっていたことは、一部の事例ではなく、
指令にもとづく全国的な行為である。

>>92
自分の生まれる前を想像すらできないならば、幕末や明治は語れない。

頭があるなら生まれる前を調べて、想像してください。
考古学者みたいにさ

103 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 15:38:26.96 ID:S7KoMKzp
>>94
秩父事件はマルクスではない。

小作人もいたが、ヤクザや富農が中心であり、貧富の階級ではなく、
村や国民という単位で団結していた。
村&ナショナリズムだ

104 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 15:43:47.74 ID:S7KoMKzp
戦後の学生運動は死亡者も出ているが、学生による狂信的テロを怖れた
当局が融和策も取り、それで内需拡大したというメリットもあった。

融和策とは賃上げと公共事業ばら撒き、福祉などだ。
体制に引き寄せるための飴をしゃぶらせた。

よって学生運動は一揆程度の成果は勝ち取っていると言えよう

105 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 15:47:53.56 ID:???
あ、はい

106 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 16:15:19.60 ID:???
はいはい、すごいすごい。

星形要塞作った結果、藩財政は破綻か……
小藩の悲しさ、というべきだろうか。

107 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 16:47:40.02 ID:???
速水螺旋人の画集か何かで
「架空の小藩が凄い砲台を作ってたけど結局役に立たなかったよ。」
という話があったなあ。
あの人が連載しているマスケット銃とかの話が単行本になったらぜひ買いたいものだ。

108 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 16:49:43.34 ID:???
そりゃ身に余る軍備しても持たんわなぁ
というかなんのために要塞作ったんだ

109 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 18:54:13.64 ID:???
竜岡は例の星型要塞(小)でしか知らなかったが、結構頑張ってたんだなw

110 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 18:59:44.64 ID:???
>>107
速水螺旋人の「馬車馬大作戦」に出てましたね
靴ずれ戦線 -魔女ワーシェンカの戦争-で速水先生のガジェットネタが纏めてありますよ
>>106>>108
次の時代に対応するため・・というか殿様が「作ってみたかった」というのが大きい気もしますw
もうひとつの五稜郭・龍岡城は国の史跡指定されてますね
龍岡城
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Tatsuoka_Castle_1975.jpg

111 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 19:14:39.01 ID:???
>>102
今日も精がでますね
小林多喜二の件で大嘘ついてるって突っ込みが入ってるけど
なんで無視決め込んでんの?

112 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 19:47:59.03 ID:???
>>111
触ってやるな。そっとしておけ。

113 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 20:01:55.76 ID:???
苗木藩(現在の岐阜県中津川市苗木) 外様遠山氏1万石
最後の藩主第12代・遠山友禄(1819〜1894)
文久元年(1861年)、元治元年(1865年)に2度若年寄となり
文久2年(1862年) 生麦事件の際、英国代理公使ニールに幕府担当者として陳謝に向かう
慶応元年(1865年)大坂警備(木津川御固め、大阪市中見回り)、第二次長州征伐に参加
藩財政は極度に悪化しつつあり従来の倹約令に加え五種類の藩札発行による改革などを図る
慶応3年(1867年)6月若年寄を辞めるも江戸詰めは続ける
慶応4年(1868年)1月上京してきた家臣の説得を受け帰国、2月21日 美江寺本陣にて東山道鎮撫岩倉総督に恭順
東海道軍人馬兵食賄方
5月遊撃隊進出の報に甲府に出兵
動員兵力50名 死傷者なし

114 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 20:03:58.03 ID:???
明治維新後、現金14万3千両藩札1万5900両あった苗木藩の借金は、苗木城破却に伴う建材や武具などの売却、藩士卒全員を帰農、家禄奉還させ家禄支給を削減し、
さらには帰農法に基づいて旧士族に政府から支給される扶持米を大参事以下40名が3年間返上させること、
藩知事遠山友禄の家禄の全額を窮民救済と藩の経費とすることにより、明治4年8月には5万2600両、藩札5千両にまでに縮小した
旧苗木藩士の生活は年々逼迫し自殺者まで出る事態となった。
さらに明治4年(1871年)の廃藩置県により苗木藩(県)は岐阜県に吸収され、当初約束されていた家禄奉還の補償は不可能となった。
また明治政府からではなく苗木藩庁の指示により家禄奉還して全員が士族から平民へ移っていたために
旧藩士卒は旧士族として認められない(秩禄公債も受けられない)という事態に陥った
財政混乱に加え大参事青山直道とその父親景通の徹底した廃仏毀釈政策に旧藩士の恨みは集中し、
明治9年旧藩士4名は青山直道暗殺計画を決行、青山直道は当日不在だったため屋敷に放火される。明治24年には襲撃未遂事件も起こった
旧藩主友禄は晩年は旧藩士の救済などに尽力した


青山景通 青山直道は長男
平田派国学を信奉し、他の青山一門と同様、儒教教育の否定や、藩内の寺院(藩公の菩提寺を含む)、位牌の破却を特に率先して行ったため、強い反発を買い
元筆頭家老の千葉権右衛門、東侑之進、千葉武男、千葉鐐五郎、神山健之進、中原央、八尾伊織らが蜂起を画策するに至ったが、
これを察知した青山景道は1870年(明治3年)1月12日に一連の共謀者を逮捕し流罪、投獄した

青山 胤通 景通の三男
医学博士 脚気は感染症であるという説を生涯主張した
北里柴三郎と野口英世の排斥者、批判者として知られる

115 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 20:23:57.98 ID:aa/TgJmo
長瀞(ながとろ)藩(現在の山形県東根市長瀞)譜代米津氏1万1000石
最後の藩主・米津 政敏(よねきつ まさとし)1851〜1895
前藩主政明は農民30余名を兵として取り立てて農兵隊を組織するなど軍備の充実に努め、自ら長瀞に移り住む
慶応元年(1865年)12月政敏が父の隠居により家督を相続
翌年、東根山内で兵蔵騒動(村山世直し騒動)と呼ばれる事件が起こり、藩は混乱
戊辰戦争では奥羽越列藩同盟には不参加なるも庄内藩側に与し、慶応4年(1868年)閏4月に天童織田藩・吉田大八が襲来
陣屋・雁城は占拠・炎上する
留守を預かる名主寒河江左内は武器庫である土蔵を中身は「農民救済米」として大八の開門要求をあきらめさせた
奥羽鎮撫軍より庄内追討の人馬兵食賄方を命じられる。9月領分上総長南へ出兵
動員兵力14名 死傷者なし
新政府に5000両を嘆願したものの却下
政敏は維新後陸軍戸山学校を卒業し中尉まで昇進して近衛師団文庫主管を務めたほか梨本宮家の家令も勤めた

116 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 21:01:36.68 ID:???
吹上藩(現在の栃木県栃木市吹上町) 譜代有馬氏1万石
最後の藩主・有馬 氏弘(ありま うじひろ)1850〜不明
文久2年(1862年)吹上藩初代藩主・有馬氏郁が死去、同族の氏弘が家督を継ぐ
元治元年(1864年)の天狗党の乱に際して、天狗党が下野大平山に侵攻したとき足利藩と折衝を務める
慶応4年3月恭順
慶応4年4月、在江戸の藩士で一隊を編成し下野壬生に進駐。同時に吹上からも出兵し、壬生で合流
下野安塚で大鳥軍と戦う(この時に戦死者4名) 宇都宮城奪還作戦に参加、大鳥軍を追い日光へ 瀬川村で戦う
閏4月江戸へ帰還 5月江戸城諸門を警衛 9月野鉢石へ出兵、藤原口の警衛
動員兵力65名 戦死4名負傷8名

明治2年(1869年)3月江戸藩邸の家老が若年の氏弘を欺き軍費や手当金で私腹を肥やしているとして正義派9名の藩士が江戸藩邸を襲撃家老ら3人を殺傷する(斬奸事件)
斬りこんだ9人の内の8人は家名存続の為に切腹だったが、吹上村組頭鈴木政右衛門は平民のため斬首刑
6月23日版籍奉還により知藩事に任じられ賞典金2000両を賜る
明治9年(1876年)12月14日、養母の鎮(瑶光院、氏郁の正室)に家督を譲って隠居し、有馬家と離縁
明治10年(1877年)知藩事在職中家臣に重傷を負わせ死に至らしめたとして拘留(斬奸事件の影響が及んでいた模様)
翌年、事件から5年以上経ち審議不可能として処罰は免れた
以後消息不明

117 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 21:34:08.25 ID:???
小藩の動向貼ってる人
キチガイから話題を変えようと頑張ってるのはわかるけど・・・

コテを付けてくれると嬉しいな

118 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 21:51:23.80 ID:???
もしwikiの丸張りとかだったら別に…

119 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 21:52:46.75 ID:???
>>117
すいません、コテはあんまり好きじゃないんですよ。お邪魔にならない程度に
マッタリ投稿しますから、他にご要望があればお願いします
(_ _ )
 ヽノ)
  ll

120 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 21:59:45.66 ID:???
>>119
乙です
できれば山名・平野・大沢といった明治になって立藩した家もお願いします

121 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 22:04:01.77 ID:???
>>120
調べることは調べたんですがあんまりネタがないんですよ
旗本から加増されて「大名」になった志筑藩(しづくはん)とか
天皇陵の整備が評されて「大名」になった高徳藩とかはあるんですが

122 :名無し三等兵:2013/03/18(月) 09:44:23.35 ID:???
いやなかなか小藩の戦いにも感じ入るものがある。

農兵30人とか動員兵力14名とかサバゲのチームなみだけどちゃんと従軍してるし。
5000両を嘆願したものの却下されてるのがちょっと哀しいけど。

123 :名無し三等兵:2013/03/18(月) 20:18:32.93 ID:???
>>74
訂正です
四条隆謌→四条隆平(隆謌の実弟・養子)
四条隆平1841〜1911 
北陸道鎮撫副総督後に
先鋒副総督兼鎮守使・参典兼任・新潟裁判所総督兼北陸道鎮撫副総督・越後国柏崎県知事・越後府知事

明治4年11月奈良県令に任じられるが
極端な廃仏毀釈政策で奈良寺社の「破壊の限りを尽くす」
興福寺の五重塔を250円で売り出した逸話は有名だが
他にも肉食推進・迷信打破と称して
春日大社の鹿を乱獲・鹿鍋にし残り38頭にまで追い込む
後に牛の放牧をするも餌不足で大半は餓死
高野山に芸者同伴で乗り込み秘仏を開張させる

御真影の創始者でもある

124 :名無し三等兵:2013/03/18(月) 20:45:11.79 ID:???
>>122
大田原藩ぐらい頑張って5000両だからなあ
賞典ではなく援助要請だったとしても、無理でしょw

125 :名無し三等兵:2013/03/18(月) 21:20:31.98 ID:???
しかし天童藩なんか官軍とか賊軍とか近代化とかいう言葉がむなしくなるほど、
悲惨な目にあってるな。
唯一の勝利の栄光が長瀞藩に完勝したことだろうか。

126 :名無し三等兵:2013/03/18(月) 21:26:21.65 ID:???
>>123>芸者同伴で乗り込み秘仏を開張

何か色々間違ったイマジネーションを頭に浮かべてしまいましたごめんなさいごめんなさい

127 :名無し三等兵:2013/03/18(月) 21:41:10.11 ID:???
>>126
尼さんに酌をさせたり、国宝級の大鐘に穴を穿って噴水にしたという逸話も
残されてます・・

128 :名無し三等兵:2013/03/18(月) 21:57:47.40 ID:???
>>127
間違ったイマジネーションもあながち違った訳でも無いかw
しかし、お寺の多い奈良でよくこんな無茶な事をやったもんだw

129 :名無し三等兵:2013/03/18(月) 22:15:52.79 ID:???
てか元公家のくせにこの所業…
家柄だけのキチガイに要職任せるととんでもないことやらかす最悪の見本
革命期の混乱とはいえなあ…

130 :名無し三等兵:2013/03/18(月) 22:22:01.84 ID:???
開明的で革命的な人だったんじゃね?
当人の思想より当時の評判の方が気になる人だな

131 :名無し三等兵:2013/03/18(月) 22:35:24.72 ID:???
>>130
当時の奈良は新県庁が設立されたとき
内部が椅子・机、官吏は散髪・脱刀・洋服で大変驚いた
人力車は一台も奈良になかった
当時の奈良「日記新聞」
とありますから古都のままだったのはあるでしょうね
しかし官舎から県庁への出勤するとき大鹿に馬車をひかせていたとも伝えられています・・

132 :名無し三等兵:2013/03/18(月) 22:39:57.43 ID:???
日光東照宮の輪王寺は政府中央への嘆願運動とかでどうにかなったと言うに……
興福寺ェ

133 :名無し三等兵:2013/03/18(月) 22:54:02.55 ID:???
大多喜藩(現千葉県夷隅郡大多喜町) 譜代松平(後に大河内)氏2万石
最後の藩主・松平 正質(まさただ)1844〜1901
文久2年(1862年)11月18日先代藩主・正和の婿養子として家督を継承
慶応2年(1866年)8月8日若年寄に就任 慶応3年(1867年)12月15日老中格
慶応4年1月鳥羽・伏見の戦いでは旧幕軍総督・鳥羽口の指揮を務める
このとき
敵兵の首実検をやりながら冷酒をあおり、肴に首級の頬肉を炙って食べていた 史談速記録
6日敗退後慶喜に付き従い江戸に帰還、役儀放免ののち逼塞
閏4月5日東征軍が佐倉に進駐、領地没収、正質は忍藩に預けられ幽閉
5月2日大多喜城は遠江吉田藩預かりになる、8月に赦免され藩領は回復
動員兵力・死傷者は不明
維新後は大河内姓に復し明治19年子爵に列せられ貴族院議員などを務めた
長男・大河内 正敏(まさとし)は理研グループ(現リコーなど)を興す

134 :名無し三等兵:2013/03/19(火) 09:27:56.81 ID:???
だんだん強い小藩の話から鬼畜でDQNな小藩の列伝になってるな。

135 :名無し三等兵:2013/03/19(火) 10:56:26.71 ID:???
代表的なDQNと言えば、黒田清隆じゃないか?
酒乱だったし。
酔っぱらって、日本刀で妾を斬殺したのは有名な話

136 :名無し三等兵:2013/03/19(火) 11:35:04.45 ID:hiW4aLd1
君たちの話はスケールが小さい。

19世紀後半に英国や露国からの援助で大日本帝国がアメリカを征服するのはどうだ?

19世紀後半なら日本はアメリカを征服できる

137 :名無し三等兵:2013/03/19(火) 11:37:03.63 ID:???
15世紀でもなきゃ無理そうだ。

138 :名無し三等兵:2013/03/19(火) 11:40:48.63 ID:hiW4aLd1
日清戦争や日露戦争をやるより、当時のアメリカを征服したほうが
利益は大きい。

レーダーも戦車も無い時代だし、当時なら日本のサムライ精神は
米国に勝つ

139 :名無し三等兵:2013/03/19(火) 11:45:17.79 ID:hiW4aLd1
清国も金だけは持っていたんだし、清国と同盟をむすんで日本が
当時のアメリカを攻めるという手もある。

140 :名無し三等兵:2013/03/19(火) 13:09:31.51 ID:???
なんだお前か。

141 :名無し三等兵:2013/03/19(火) 13:26:56.47 ID:???
こいつの話は全く退屈の極みだな。

142 :名無し三等兵:2013/03/19(火) 17:58:42.58 ID:???
アメリカ遠征とか太平洋渡るだけでもきついだろ間違いなく補給が続かない

143 :名無し三等兵:2013/03/19(火) 20:34:41.20 ID:???
土鍋の話はつまらないんだよなぁw

144 :名無し三等兵:2013/03/19(火) 20:49:14.82 ID:???
福江藩(現長崎県五島列島)外様五島氏1万5000石(富江藩3000石)
最後の藩主・五島 盛徳(ごとう もりのり)1840〜1875
先代盛成(もりあきら)は財政危機の中でも異国船による海防・攘夷意識の高まりで農兵制の採用や石田城築城を進めた
石田城は嘉永2年(1849年)より着工し延べ5万人の労働者、2万両の工費を使って文久3年(1863年)竣工した
慶応4年(1868年)上京・恭順、進んで版籍奉還を上願し、京都御所を守備
その後朝廷での審議により、富江領3000石を福江藩に合藩するということが決定するも
富江藩では領主・領民を上げての大反対運動が起き15歳以上の男子全員は竹やりをもって集結
福江藩側も武装藩士約30名を送り込み、富江側の来襲に備え町民も武装・警戒し両者一瞬即発という事態になる(富江騒動)
当時長崎府に出仕していた井上聞多(馨)の仲介もあり富江側は解散、明治2年(1869年)7月併合
明治3年(1870年)東京遷都に一個小隊を送り警護
明治4年(1872年)石田城は廃城・本丸は解体された

福江藩には「三年奉公制」と呼ばれる制度が7代藩主盛道により宝暦11年(1761年)より幕末まで続いていた
領民の長女を除く娘が16歳に達すると福江の武家へ3年間無給で奉公に出され
3年の奉公の後、里に帰り結婚するのであるが、離婚すると再度3年間奉公に出された
しかもその奉公のうちで不調法があった場合には一生結婚出来ない場合もあった
免除には米5石または銀300匁の供出が必要であり、事実上殆どの領民は奉公に出された
貧民救済を目的としていたが実質的な人身売買とみなされ、出入り商人らから蔑視・忌避され
藩困窮化の一因にもなった

145 :名無し三等兵:2013/03/19(火) 21:25:57.32 ID:???
この藩もDQNやな。いいところがまるでない。

146 :名無し三等兵:2013/03/19(火) 21:40:43.83 ID:???
亀田藩(現秋田県由利本荘市)外様岩城氏2万石
第12代藩主・岩城 隆邦(いわき たかくに)1844〜1911
慶応2年(1866年)4月16日以来江戸で日比谷口御門番を勤める
慶応4年(1868年)4月1日明治新政府の命令に従い上洛、恭順し奥羽鎮撫府の庄内征討応援の命を受ける
閏4月16日京都を発ち5月25日亀田に帰国
本国では閏4月4日仙台藩・米沢藩が奥羽27藩に同盟会議を招集、亀田藩も藩士を派遣する
一方で庄内征討応援のために閏4月1日から新庄に2小隊総勢337名(軍夫も含むと思われる)を派遣
閏4月20日同盟において庄内攻め解兵が決議、同盟軍は沢副総督の身柄を押さえるべく新庄へ出兵
4月29日沢副総督は新政府寄りと見られた秋田藩まで転身(逃走)を図る、亀田藩兵は秋田領湯沢まで副総督を護衛・帰国する
5月3日奥羽越列藩同盟結成、これに加盟
7月4日秋田藩が仙台藩士使者を殺害・同盟を離脱、総督府は庄内へ進軍を開始する
7日亀田藩は同盟を離脱、南下してきた新政府軍につく
10日新政府軍として出兵、小砂川口を塩越、小砂川、三崎嶺と転戦 庄内軍の前に敗退を重ねる
8月8日庄内軍に降伏、隆邦は庄内城下に移され、庄内藩指揮下で家老諸橋金平のもと同盟軍として新政府軍と戦う
9月庄内藩の降伏にともない亀田藩も28日新政府軍に降伏する
動員兵力・不明 戦死14名負傷16名 
戦後2000石の減封処分を受け、隆邦は謹慎・隠居する

147 :名無し三等兵:2013/03/19(火) 23:55:26.32 ID:???
城に金をかけるくらいなら、兵制改革やな〜

148 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 19:05:37.28 ID:???
園部藩(現京都府南丹市園部町)外様園部家2万6000石
最後の藩主・小出 英尚(こいで ふさなお)
安政3年(1856年)3月父の死去につき8歳で家督を継ぐ
文久3年(1863年)大阪警衛役を命じられ市中を巡察
元治元年(1864年)7月禁門の変時は伏見警備役
慶応3年12月に入京し、英照皇太后守護・市中見廻り役を務めた
慶応4年正月、山陰道鎮撫使西園寺公望に随行
鳥羽伏見の戦いの直前、太政官より明治天皇の臨時行在所(避難所)として園部が内示され
(以前より幕府にも京政情不穏につき改築を要望したが却下されていた)
園部陣屋は「大改築」を始める
慶応4年(1868年)1月28日頃から普請が始まり櫓門(やぐらもん)3ヵ所、巽櫓(たつみやぐら)や小麦山の三層櫓(天守閣相当)などの櫓が5ヵ所、外堀も造成し
明治2年(1869年)8月28日上棟式が挙行され、なんということでしょう!小出家の「園部陣屋」は「園部城」へと生まれ変わったのです
新政府軍の勝利により天皇行幸も幻となり(薩長敗北時の玉=明治天皇奪取・国内割拠プラン)
明治5年(1872年)巽櫓以外の櫓や城門は入札によって払下げたのちに、破却もしくは城外に移築された

149 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 21:05:38.10 ID:???
滑り込みで城持大名になれってよかったな

150 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:48:20.62 ID:???
徳川体制下なら陣屋大名が城主格に格上げになっても
築城工事できないはずだが
そこは行幸を名目に、どさくさ紛れでうまくやったのか

151 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 02:25:58.38 ID:???
>>150
行幸というか緊急避難用の要塞なわけだし
幕府の金突っ込んで不相応な城を緊急造成したんでないの?

152 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 13:06:16.87 ID:oOVvEr0n
>>142
当時はレーダーが無いから、日本の大艦隊が発見されずに米本土に上陸するのも可能だ。

ガンダムのミノフスキー粒子が散布されているに等しい。
そして米本土に上陸したらバッファロー、野いちご、とうもろこしを頂き、インディアンや黒人と連帯しながら
ニューヨークまで制圧していく

153 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 13:09:51.49 ID:oOVvEr0n
英国と協力して米国を攻略するなら、アメリカ東部は英国に差し上げ、
アメリカ西部は大日本帝国の領土にすればいいだろう。

英国も「君たち日本人が米国を西部から攻めるなら、金や武器は出す!
アメリカ独立戦争では煮え湯を飲まされたからね」と言うだろ

154 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 13:12:41.36 ID:???
>>152-153
地図も事前情報もない、言葉すら通じようがない場所で進軍できるなんてリアリティのない妄想垂れ流す前に
小林多喜二でウソついた事に対する弁明はよ

155 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 13:26:31.98 ID:oOVvEr0n
>>154
19世紀後半なら米国の地図はあるだろよ。

16世紀じゃないんだよ。

156 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 13:29:34.28 ID:???
>>154
キチ害にかまうなよ

157 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 13:31:37.84 ID:oOVvEr0n
太平洋戦争でも米軍はシャーマン戦車やヘルキャット戦闘機を量産する
までは弱かったからね。

19世紀後半ならアメリカの荒野に日本の武士の剣が炸裂するぜ

158 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 13:33:43.41 ID:???
>>155
19世紀後半の話のつもりか、そりゃすまんかったな
旅行地図ぐらいはあるだろうな
アメリカ市民舐め過ぎてんのは変わんないけどな


で、小林多喜二は?

159 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 13:35:25.09 ID:oOVvEr0n
「19世紀後半に米国と海戦になっても勝てねーよ」という意見もあるだろう。

レーダーが無いから目視で交戦していた時代だし、米国艦隊が水平線のかなたに
見えたらカリブの海賊のように船で入り江などに逃げ込むのもありだ

160 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 13:40:23.56 ID:???
>>159
今誰も海戦の話はしてませんよ
小林多喜二の件についての弁明を求めてるだけです

161 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 13:40:39.58 ID:oOVvEr0n
>>158
19世紀後半の米国市民はシングルアクション拳銃の弾が尽きたら、
「オーノー!ヘルプミー!プリーズ!」と降伏してくるはずだ。

なかにはボウイナイフを投げてくる米国市民もいるだろうが、
日本の武士はさっとかわすからね。

162 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 13:42:41.33 ID:oOVvEr0n
>>160
多喜二が警官に拷問されてリンチ死亡したと書いたら悪いのか

163 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 13:42:56.16 ID:???
「フロンティアの消滅」の時代背景とか意義とか
高校出てんのだろうか

164 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 13:46:01.36 ID:oOVvEr0n
「アメリカ大陸は広いですが、やっぱり日本軍は徒歩で移動するんですか?」
という問いもあるだろう。

向こうで馬や機関車を徴収したらいい。
牛も多いから牛車も作ればいい

165 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 13:46:45.91 ID:???
>>162
>激しい拷問で顔をぐちゃぐちゃに砕かれ、全身打撲と内臓破裂して死亡し、
>警察はその遺体を道端に投げ捨てていたという

これ「自説に都合よく捻じ曲げた嘘」だからタチが悪いよね
君もそう思うでしょ

166 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 13:51:51.00 ID:oOVvEr0n
>>163
なあおい。
仮に俺が理工系の大学を出ていたとしても、理工系の大学で西部開拓史は教えないぜ。

また当時の米政府がフロンティアの消滅を叫んだのは時期がちょっと早い。
西部にはまだ油田という眠れる宝があったのだから。

167 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 13:56:46.68 ID:oOVvEr0n
>>165
君は当時の警察がよくわかっていない。

当時の警察は近代化は経ているが、取調べに関しては江戸時代と同じ
拷問リンチ主義であり、中世の拷問道具がそのまま使用されていた。

168 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 13:59:21.14 ID:???
武士ねぇ…
戦力を提供し、日本軍設立に関わった藩内ですら不平士族を抑え込み武士団を認めなかったことで国内各地に武装勢力が乱立する事態を避けた経緯があるし。
国軍たる日本軍で武士経験者がどの程度居たか

169 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 14:02:13.97 ID:???
>>167
>激しい拷問で顔をぐちゃぐちゃに砕かれ、全身打撲と内臓破裂して死亡し、
>警察はその遺体を道端に投げ捨てていたという

これ「自説に都合よく捻じ曲げた嘘」だからタチが悪いよね
って話してるんだけど?

誤魔化そうとしてるつもり?
それともこれが真実だと言い張ろうとしてんの?

170 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 14:03:36.86 ID:oOVvEr0n
>>168
ただな。
平安時代末期の平清盛の時代とかだと、乞食がなぎなたで武装したら、
その瞬間にその人は武士だという安易なものだったはず

171 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 14:07:35.05 ID:oOVvEr0n
武士にもすごい人はいたんだ。

足利尊氏はロバみたいな小さい馬に乗って、東京と九州の間を何度も往復して合戦を行い、
室町幕府を築く。
佐川急便の運転手ぐらい移動しまくってる。

その行動力と強運には驚くよ

172 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 14:09:46.28 ID:oOVvEr0n
>>169
真実に近いよ。
当時の警察は江戸時代の火付け盗賊改めと同様なんだ

173 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 14:22:31.29 ID:???
>>172
>激しい拷問で顔をぐちゃぐちゃに砕かれ、全身打撲と内臓破裂して死亡し、
>警察はその遺体を道端に投げ捨てていたという

これ「自説に都合よく捻じ曲げた嘘」だからタチが悪いよね
嘘だと認めるわけにいかないから「真実に近い」って表現で誤魔化そうとして更にタチが悪いよね
君もそう思うでしょ

174 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 14:33:39.31 ID:???
今日は相手をしてくれる人がいて絶好調だな。

土鍋参謀!
君の話は抽象イメージの羅列(専門用語では妄想)だから話の続けようがない。
おまけに別の方向に議論が横滑り(専門用語では話をすりかえる)してゆくし
「武士によるアメリカ征服計画」に関して、具体的な年月日、参加兵力、国際情勢などを書いて提出してみたまえ。
相手にしている人も落ち着いて、上記計画案をみんなで検討(専門用語では嘲笑)しようじゃないか!

175 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 14:53:06.69 ID:oOVvEr0n
>>174
その場合は明治維新を前倒しして、徳川吉宗の手によって欧米化が行われ、
紀伊国屋文左衛門が蒸気機関による産業革命をスタートさせていたという架空の仮説を持ち出したい。

南北戦争が終わったばかりの荒廃したアメリカで奇襲作戦を開始する。
事前にカナダやメキシコなどに物資、兵員を秘密裏に上陸させ、作戦開始まで山奥や洞窟などに隠れておく。
日本の同盟国は英国でも仏国でも普国でも組める国ならどこでも組む。
足らない兵士は清国、東南アジア、南米から動員する。
戦争の大義名分は「インディアンの幼児たちを救え!」でいいと思う。
作戦開始からニューヨークまで制圧し、米国大統領が降伏文書に署名するまでの期間は10年としたい。

176 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 15:17:01.79 ID:???
一行目からダメだ!
そんなifが許されるなら原子爆弾なりワープ技術なりを持たせておくことを推奨することになる。
カナダやメキシコ、英国他がどういう利害の一致、交換条件なら同盟を結び、兵士の動員ができるかも考察不足だ。
動員兵力、兵站計画、相手の抵抗についても欠けている。

土鍋参謀、やり直し!

177 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 19:48:18.05 ID:???
これじゃ大学受験の2次試験の社会科で弁慶×義経をウジウジグチョグチョと書き続けて
落第する腐女子と同じレベルだよw

178 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 20:01:49.27 ID:???
君ら退屈だからって土鍋いじるなよ・・・

179 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 21:31:07.62 ID:???
つうかまじで糖質だろう。
くわばらくわばら。

180 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 22:47:41.35 ID:???
無知なのは百歩譲って許せるとしても
嘘をつく、自分の過ちを認めないから問題害

181 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 07:07:54.53 ID:???
高徳藩(現栃木県日光市高徳)譜代戸田氏1万石
藩主・戸田 忠至(とだ ただゆき)1809〜1883
宇都宮藩主戸田氏の一族に生まれ、天保13(1842)年家老間瀬家を継ぐ
文久2(1862)年、宇都宮藩士大橋訥庵らが坂下門外での安藤信正襲撃事件関係者として逮捕される
藩へ追求がおよぶのを避けるために天皇陵修補の建白書を幕府に提出
藩主名代として山陵御締向御普請御用に命ぜらる。この間姓を戸田に改め上洛して朝廷に建言、容れられて山陵奉行となる
修補工事は文久3年の5月にはじまり12月までに神武天皇陵はじめ100あまりの山陵を整備、費用は15000両に及んだ(幕府が出資)
(このとき「神武天皇陵」とした陵墓には当時も異論があり、現在も論争が続いている)
元治元年(1864年)の天狗党の乱で天狗党の援助要請は拒絶したが追討しなかったために幕府から疑われ、
陸奥棚倉への減移封を命じられようとされるも忠至が朝廷に運動し移封は中止となった
元治元年(1864年)1月大名格を許され、慶応2年(1866年)3月本家から1万石付与され、諸侯に列し高徳藩を立藩
7月若年寄、12月新政府に招かれ参与、山陵修補奉行、京都裁判所副総督、宮内大丞、御医師支配、権弁事、参与会計事務局判事などを歴任
慶応4年(1867年)4月 藤原口に出兵
明治2年(1869年)に家督を子の忠綱に譲る。忠綱は明治3年(1870年)に所領を上知され下総国曽我野に移り以後は曽我野藩となった
動員兵力25名 死傷者なし

182 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 07:10:57.91 ID:???
三日月藩(現兵庫県佐用郡佐用町三日月)外様森氏1万5000石
最後の藩主・森 俊滋(もり とししげ)1832〜1879
慶応元年(1865)陣屋町を臨む三方里山の中腹に演武場を造成し、新式砲二門と旧式砲一門を購入
仏式練兵に励み藩兵300人余を水魚隊・魚形隊・正義隊の三隊に分ける。また農兵を組織し捷兵隊と命名
慶応4年正月上洛・恭順 2月二条城警衛
慶応4年2月23日から4月7日まで行われた明治天皇の大阪親征では
森俊滋が自ら隊長となり、伝令4名、歩兵44名、輜重方、医者、輸卒等総計51名を引き連れて殿を務めた
7月越後口軍に属して柏崎に出兵、長岡・岩石等の戦場で戦い戦死者1名を出す一方捕虜8名を得た
その後、庄内藩との戦闘にも参加し、11月に帰藩
動員兵力51名(越後口には68名) 戦死1名
賞典金2000両

183 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 07:21:56.90 ID:???
三日月藩はかなり練度の高そうな精強な小藩だな。藩主本人が隊長というのも珍しい。

水魚隊・魚形隊の意味がわからんけど。魚が好きだったんんかなあ?

184 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 09:58:56.55 ID:VsJY/Xnt
>>176
「ありえるif」を書いている。

織田信長の時代には日本にオランダ人、スペイン人、ポルトガル人、イギリス人は来ており、
戦国時代の日本人はシンガポールまで交易で出かけている。
ありうる証拠がちゃんとあるのだ。

185 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 10:03:11.69 ID:???
いんや、途方も無い妄想乙なifだよ。だいたい動機がない。

186 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 10:09:48.70 ID:VsJY/Xnt
>>176
メキシコは1846年の米墨戦争でカリフォルニアを奪われたので
米国を許せないと考えていた。

またカナダはイギリス連邦の一員として1812年に米国と戦争してるよ。
イギリスは多額の投資をして米国開拓をしたのに、ワシントンなどが米国を独立させたことで
「この野郎!金返せ!」とイギリスは怒っていたのだ。
米国の歴史は詐欺と領土剥奪の歴史なので米国を憎んでる国は多いのよ。

187 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 10:10:35.49 ID:???
凄いな、信長と吉宗の人物と時代背景をテキトーにひとくくりとか

188 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 10:17:53.37 ID:VsJY/Xnt
>>176
兵站を語ろう。

1、ハワイのカメハメハ大王と同盟を結ぶ(バナナや魚を現地でもらえる)
2、カナダ、メキシコとも同盟締結(トナカイの肉やタコスをもらう)
3、インディアンとも同盟を結ぶ(食える木の実などをもらう)
4、米国内の野生の牛や鹿を食う(ミシシッピ川のワニも食う)
5、日本からも栄養を考えた干物や干飯を送る

189 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 10:21:48.46 ID:VsJY/Xnt
>>177
大学受験は暗算力と暗記力しか問われない。
しかしそうした受験が得意なやつほど、言われたことしかできない単純ロボットだ。
これは官僚の無能さを見れば明らかだ。

反対に俺は高度な思索能力で勝負するホモサピエンス的知性だ

190 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 10:26:23.66 ID:???
くだらない妄想しか出来ない基地外ですって自分で言っちゃってるよ…

191 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 10:29:52.56 ID:VsJY/Xnt
日本の歴史はifを考えるとかなり面白い。

「もし日本原人がマンモスの家畜化に成功していたら?」
「もし縄文人が大型カヌーでカリフォルニアまで航海していたら?」
「もし空海の時代に日本人の80%が悟りに成功していたら?」
「平清盛が西域経由で中国からアラブ馬を輸入して増やしていたら?」

192 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 10:34:09.74 ID:???
>>186
動機だけでは戦争は出来ないよ?

193 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 10:36:06.80 ID:VsJY/Xnt
空海なんかは、小説のようにもしもを考えると面白いんだな。

伝説によると空海は悟りによって知能の計算スピードが現代の
スーパーコンピューター以上だったという。
つまり空海が10万人いたら、日本は平安時代の時点で宇宙ロケットを作れる

194 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 10:37:59.32 ID:???
>>184
産業革命にも社会経済上の前提条件がある
高校出てないようだから知らないだろうけど

195 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 10:39:18.91 ID:VsJY/Xnt
歴史にもしもはありえる。
これを直近の歴史で証明しよう。

もし鳩山由紀夫や社会党が無ければ、日本はデフレにならず、
今日までインフレだっただろう。
鳩山由紀夫が子供時代に犬に食われて死ねばデフレはなかったのだ

196 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 10:43:07.86 ID:VsJY/Xnt
>>194
おいおい。
蒸気や石炭なら古代にもある。

古代ギリシャが蒸気ガレー船を発明する可能性はあったのだ

197 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 10:44:13.20 ID:???
こいつは無学なアホじゃなくて、ただ人間のクズだからなぁ。

198 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 10:50:14.63 ID:???
>>196
産業革命が18世紀イギリスで起こった理由を述べよ(20点)
こんな問題解いたことはないのすらよくわかった
蒸気や石炭があれば起こせるものではありません

199 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 10:57:30.16 ID:VsJY/Xnt
>>198
わたしは従来の定説を廃す。

ピューリタント革命など関係なく、ただ湯気を見てワットみたいなおっさんが
蒸気機関を作れば、中世でも産業革命は起きる

200 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 11:01:49.83 ID:VsJY/Xnt
マルクスは階級闘争で歴史が生まれると考えた。

しかし蒸気機関の発明は階級闘争など関係ない。
任天堂のファミコンだって階級闘争とは無縁に生まれた。

ようは発明家さえいればいいのだ。

201 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 11:04:49.85 ID:???
あったかくなったからキチガイフルスロットルだな…
どっかの病院でいいかげん引き取ってくれよ

202 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 11:05:43.47 ID:VsJY/Xnt
また階級闘争が無いからこそ生まれる無菌室のキノコみたいなものもある。

一億総中流だった80年代に生まれた、秋葉原のおたくやバブル世代がそれだ。

ようはガラパゴス島のゾウガメみたいなもんだよ

203 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 11:07:17.23 ID:VsJY/Xnt
>>201
ほお。
勝てないと見るや、「このきちがい野郎」と叫んで退散かね?

悪いが今日は俺の勝ちだ

204 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 11:10:31.14 ID:???
>>200
産業革命=蒸気機関でもないし、ファミコンだって技術の蓄積があって初めて開発されたもの
マルクス読んだことないのに、さも読んだふりしなくていいよ

話をそらし始めたから思い出したけど
>>173には答えてあげないの?

205 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 11:12:34.02 ID:???
「今日は」って事は
今までは負けなんだな、内心ではw

206 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 11:23:44.06 ID:???
バカが一人居るだけでスレが台無しになるんだよな

207 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 11:32:11.50 ID:???
もう明らかに釣りだろ。
スルーすれば良いのに・・・

208 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 12:04:05.08 ID:???
>>183
藩主本人が隊長っつーと、紀州新宮の水野忠幹を思い出すな

209 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 12:34:47.00 ID:???
同人誌作ってそれに書いてくれ。携帯架空戦記でもいいよ。
ここは真面目なスレなんだよ。

210 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 12:39:09.26 ID:???
>>208
請西藩も藩主本人が隊長だな

211 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 17:00:27.49 ID:???
>19世紀後半に英国や露国からの援助で大日本帝国がアメリカを征服するのはどうだ?
>19世紀後半なら日本はアメリカを征服できる(>>136)
               ↓
>その場合は明治維新を前倒しして、徳川吉宗の手によって欧米化が行われ、
>紀伊国屋文左衛門が蒸気機関による産業革命をスタートさせていたという架空の仮説を持ち出したい。(>>175)

自分で言った設定すら守んないで後付けチート設定追加
わーすごいですね(棒)

212 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 19:13:25.39 ID:???
紀伊新宮藩(現和歌山県新宮市) 紀州藩付家老水野氏 3万5000石
藩主・水野 忠幹(みずの ただもと)1838〜1902(明治35年4月20日)
万延元年(1860年)6月父の忠央が井伊直弼に近かったため暗殺後強制隠居処分となり、その跡を継ぐ
開明的であった父の意を継いで、産業の育成や学問の奨励を継続。仏式軍隊の調練も進める
第二次長州征討では元来保守的な紀州本藩が和流の陣立で出陣するのを危ぶみ、独自の判断で
「旗を立て火縄筒を持つて来て居るが、到底役に立たぬから、内密ミニー(ミニエー銃)を600丁持つて来た」南紀徳川紀
歩兵2、3中隊と砲(ホーウィッスル)2門を引率してきた
芸州口で井伊・榊原家が潰走するなか自ら指揮し戦い長州からも「鬼水野」呼ばれた
慶応4年(1868年)戊辰戦争では紀州藩の動向が疑われるなか自ら上洛・弁護し本家を守った
正月、新宮藩として立藩 熊野三山警衛を担当
版籍奉還後、東京深川で熊野材専門の材木問屋を開業したが失敗し「殿様商法」の典型と言われた
長男・忠宜(ただのぶ)陸軍中尉は)明治35年1月八甲田山で遭難死した

213 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 19:18:03.76 ID:???
紀伊田辺藩(現和歌山県田辺市)紀州藩付家老安藤氏 2万8000石
藩主・安藤 直裕(あんどう なおひろ)1821〜1885
文政9年(1826年)家督を継続、以後付家老として藩主・徳川慶福(のちの将軍家茂)や徳川茂承などの補佐を務める
安政2年(1855年)田辺に在住する徳川家康先鋒隊横須賀党の流れを組み紀伊本家藩主直属(直臣)である与力衆を
家臣に組み込もうとするも与力衆は陪臣(藩主の家臣の家臣)になること拒み浪人、復帰運動を続けた 田辺与力騒動
文久元年(1861年)イギリス艦アクティオン号が日本各地を測量し田辺領にも上陸
藩内に大砲28門、砲台築造などが行なわれた
慶応2年(1866年)6月第二次長州征討では総督茂承の名代として石州口に1060名を率いて出陣するも
旧式装備のうえ 紀州勢は発砲致し候えども玉届かず 
裏崩れを起こし敗走した 紀州勢は口々「奇兵隊襲ひ来る」と皆叫び敗走いたし候 長州征討軍書
浜田城放棄を主張し勝手に退却(後に浜田藩兵により自燃) 罷免された
慶応4年(1868年)正月朝廷より御三家付家老が諸侯に列せられ田辺藩を立藩
戊辰戦争には出兵なし
軍艦行進曲の作詞者・南方熊楠の師である鳥山 啓(とりやま ひらく)は同藩藩士で
第二次長州戦争に砲兵隊として参戦、斥候任務にも就いた
アクティオン号来航の時は自作の測量器具を英乗組員に披露し驚かせたという

214 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 19:28:16.73 ID:???
鬼水野キター

215 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 19:40:35.93 ID:???
>>183
三日月藩の廃藩置県時の構成は
士族百五十六戸 卒族百五十五戸
とありますから身分別に構成したとして
上級藩士=「水魚」の交わり
下級藩士=急進的で「正義〜」を名乗る下級身分党派は当時多かった
じゃないですかね?
魚形は・・何かの故事か陣形かな?

216 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 19:53:08.61 ID:???
>>184
オランダ人、スペイン人、ポルトガル人、イギリス人いずれも16-18世紀には産業革命が完了していない。
彼らと交流があったからなんだというのか、荒唐無稽なifである。
だいたい計画立案者が手前勝手な条件を増やすなど言語道断である。

>>186
非白人国家側、侵略側の日本に与して闘う理由が「許せないから」
子供の喧嘩を論じているのではない。全く国際政治、外交というものを分かっていない。
>>188
君の海外買い物計画を提出しろと言っているのではない。
補給計画とは兵力、輸送力を勘案した上で立てるものである。

動員計画、抵抗戦力の予想がない。
言われたことぐらいきちんとやりたまえ。

土鍋君
最初に煽った関係上付き合ってはやるが(専門用語ではバカの相手面倒)
次回は計画を立てた後、母君に内容をチェックしてもらってから提出すること!

217 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 19:55:43.00 ID:QH7Z2DIh
空気を読まずに失礼します

イタリア統一戦争の頃はミニエー銃が普及していて小銃火力が増大していたと思うのですが
間違いなのでしょうか
ソルフェリーノの戦いのWikiを見ても施条砲の威力の増大を書いていても小銃火力の増大の記載はないですし
小銃火力の増大は南北戦争まで顕著な事実ではなかったのでしょうか。

218 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 20:34:49.73 ID:???
>>217
仏軍がチート装備・シャスポー銃を導入していてガリバルディもメンターナの戦いで大敗を喫していますね
シャスポー銃は仏軍のみならずイタリアでもライセンス生産されたそうです

219 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 20:46:44.45 ID:???
英仏軍はクリミア戦争ですでにミニエー銃使っているし、
オーストリア軍もすでにミニエー銃であるロレンツ小銃を制式採用している。
http://en.wikipedia.org/wiki/Lorenz_rifle

小銃ではオーストリア軍も仏軍に決定的には劣っていなかった。

220 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 20:57:27.13 ID:???
アメリカ南北戦争前に
ミニエー弾の有効性が正確に認識されていたかどうかって聞きたいんじゃないの?

訓練で試射すればわかるような事なので、
末端では有効性を認識していたと思うけど、
上層部は戦術を転換する必要性を感じるほどは認識できていなかったのではないかと、
具体的な史料がないので完全に想像で済まんが

221 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 21:40:22.16 ID:???
フランス軍は統一戦争前からアルジェリアでアフリカ猟兵や外人部隊がミニエー(タバティエール)銃使って散兵戦術を駆使していた。

正式に教範にもしていて、幕府陸軍が使った教範はシャスポー銃用じゃなくてタバティエール銃用の仏軍の教範だ。

南北戦争の米軍は兵役3か月のド素人州兵の集団だから練度は論外。

222 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 21:48:22.59 ID:QH7Z2DIh
>>217です。
書き込みをもう少し整理すべきでした。
ナポレオン戦争の歩兵戦術は南北戦争初期まで使われており、小銃火力の増大に対応しておらず
そのために南北両軍に大損害を与えたというのを読んで疑問を覚えました。
クリミア戦争で既にミニエー銃は投入されていたはずで、イタリア統一戦争なら既にミニエー銃の威力から
小銃火力が増大しており、ナポレオン戦争の歩兵戦術は時代遅れと認識されていそうに思ったのですが。
それとも欧州では認識されていたのに、アメリカでは認識しておらず、南北戦争の惨禍を招いてしまったのでしょうか。

223 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 21:57:18.27 ID:???
>>222
当時のウェストポイントではナポレオン戦争をベースにした教本が使われていて
米墨戦争ではそれでなんとかなってしまったので改変が遅れたそうです
現場レベルでは不用意な攻勢は大損害に繋がるのは当然認識されていましたが
「政治的理由」で攻勢が強要され惨禍につながったそうです

224 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 21:59:15.59 ID:???
というか第一次世界大戦でも似たようなこと繰り返してると思うんだが

225 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 22:10:51.46 ID:???
そもそも米墨戦争は1848年だから欧州でもミニエー銃ないわけで。要するにアメリカの教育はただ遅れていた。

ソンムの超無謀な銃剣突撃は集中砲撃でドイツの機関銃潰れているという前提、想定、思い込みだった。
あと狭い鉄条網破壊口突破するには密集しなきゃいけないのもある。
この問題は戦車で踏み潰すことで解決できた。

226 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 22:15:19.78 ID:???
火力の発達は主に防御側に優位にはたらくものなんでしょうね。

227 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 22:19:11.76 ID:???
防御側は築城できるし、固定点から火力発揮できるからね

228 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 22:49:12.46 ID:???
>>183
漢籍の兵法書あたりからとったんじゃね?

229 :名無し三等兵:2013/03/23(土) 09:28:24.01 ID:???
志筑藩(しづく)(現茨城県かすみがうら市) 交代寄合旗本・本堂氏8000石
藩主・本堂 親久(ほんどう ちかひさ)1830〜1895
慶応4年(1868年)新政府軍東征の報を知ると直ちに使者を送り参陣を独自に請願
関東諸藩の探索・斥候に活躍
5月上野戦争時に江戸市中各地を警衛・11月まで江戸城幸橋門・虎ノ門を警衛
練馬に集結した脱走幕軍鎮撫に出兵 9月美賀保丸漂着につき鎮撫に出兵
武蔵国千住から常陸国平潟まで賄方をつとめる
奥州出兵を請願、斥候・大総督府守備を勤める 10月水戸藩内戦監視に出兵
慶応4年(1868年)7月14日には新田分2110石が加増され諸侯に列して志筑藩を立藩
賞典金2000両を賜る
動員兵力110名 負傷3名
明治4年(1871年)廃藩置県によって志筑県知事に就任。11月免官。この間に旧藩士を樺太開拓事業に当たらせている
新撰組隊士・のちに御陵衛士の伊東甲子太郎、鈴木三樹三郎兄弟は当藩(当時は旗本)の出身

230 :名無し三等兵:2013/03/23(土) 09:29:58.71 ID:???
天領揖斐(いび) (現岐阜県揖斐郡揖斐川町)旗本・美濃国奉行岡田氏5300石
岡田氏は尾張岡田の出身で戦国時代に織田家に仕えて星崎城主となる
岡田重孝は本能寺の変後、信雄の家老を務めたが小牧の役直前に豊臣秀吉に内通した疑いをかけられ殺害された
重孝の弟善同は家康の旗本となり、岡田氏は寛永8年(1631)より揖斐を支配した。
最後の領主 岡田善長(おかだ よしなが)1838〜1907
天狗党の乱鎮定に出兵
戊辰戦争に際しては新政府につき半小隊・砲一門を率いて東山道軍香川支隊に属し結城城攻防戦に参加した
明治元年(1868)分家の禄と新墾田を合わせて1万石となることを理由に諸侯への昇格を願い出たが却下された
維新後慶應義塾などで学び、供奉御練兵御用掛に任ぜられ陸軍少佐となる。その後、明治天皇の侍従となった

231 :名無し三等兵:2013/03/23(土) 09:31:31.12 ID:???
でも旅順の28cm砲やベルタ砲、列車砲、突撃砲、急降下爆撃機のような移動火力の発達は攻撃側に有利に働く。

機関銃も艦載機関銃、要塞機関銃から重機関銃、軽機関銃、短機関銃とむしろ移動に便利なように発達してついにルノー軽戦車になった。

ソルフェリーノでも戊辰戦争でもライフル砲は攻撃側に有利に働いた。

232 :名無し三等兵:2013/03/23(土) 09:58:10.17 ID:???
>>222
南北戦争開戦当初はライフル自体が少なかったのに、戦闘による混乱は大きかったみたいだよ。
死傷者も後と比べれば少ないのに。
火力の進歩や戦術云々以前に、まとまった兵力を運用する能力に欠けていたのかも。

開戦当初の小火器数(ショルダーアームのみ)

北軍
スムースボア:400,000
ライフル(先込め):100,000
ライフル(元込め単発):3,000

南軍
スムースボア:140,000
ライフル(先込め):35,000

233 :名無し三等兵:2013/03/23(土) 11:32:44.19 ID:???
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234 :名無し三等兵:2013/03/23(土) 13:27:04.68 ID:???
要するに南北戦争開戦時の米軍の主力歩兵兵器はゲベール銃だったんだな。

235 :名無し三等兵:2013/03/23(土) 16:07:34.32 ID:???
>>232
第一次ブルランの戦いみたく
兵隊が民兵ばかりな状態で
両軍の総指揮官が真っ先に負傷すると混乱は免れないだろうしね
指揮官先頭を悪い意味で実践しちゃって将官の戦死が相次いだのも南北戦争の特徴
というか、兵下士官に素人しかいないから指揮官先頭をやらざるを得なかったのかな?

236 :名無し三等兵:2013/03/23(土) 18:12:22.46 ID:???
>>234
Springfield Model 1842ですからマスケット銃ですね
後にかなりライフルに改造されたそうですが

237 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 08:28:07.14 ID:???
>>234
戦争を通しての延べ数は、

北軍
スムースボア:510,000
ライフル(先込め):2,850,000
ライフル(元込め単発):303,000
ライフル(連発):100,000

南軍
スムースボア:183,000
ライフル(先込め):435,000
ライフル(元込め単発):4,000

ライフルの割合がが増えると共に小銃での交戦距離も遠くに、

1861-2:104ヤード
1863:127ヤード
1864-5:141ヤード
(複数の戦闘からの平均値)

それでも、イメージよりも近い気が・・・

238 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 08:50:26.21 ID:???
つまりさ、南北戦争の米軍は戊辰戦争の会津藩みたいに小銃だけ急に新しくなっても訓練や観念が追いついていかなかったんだよ。

そもそも長期戦予想してなかったから長期教育訓練計画もぜんぜん不備。
フランスの猟歩兵や外人部隊、イギリスのライフル連隊は植民地戦争用の精鋭中の精鋭。

239 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 10:04:38.94 ID:EuaY5Htv
>>216
英国のアヘン戦争開戦の理由は「英国人の人権を粗末にして許せない」という理由だ。

舐められたら殴るのが当時の騎士道世界だ。
動員は日本国内だけではなく、米国現地でインディアンや黒人からも募集をする。
抵抗戦力についてだが米国白人はウィンチェスターライフルを持って騎兵突撃をしてくると予想するので、
こちらもウィンチェスターライフルと小型ガトリング砲のコピーを持参する

240 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 10:16:57.91 ID:EuaY5Htv
>>216
日本が当時の米国を攻めるならメキシコとカナダの二方面から攻める。

カナダ方面軍はシカゴ、デトロイトを攻略して米国の生産力を低下させ、
ニューヨークには同盟国である英国海軍と協力しながら兵糧攻めをかける。

メキシコ方面軍は米国の東西を結ぶ陸上交通路を遮断し、米国内の黒人蜂起と歩調を合わせながら
米国南部に浸透する。(ミシシッピ川を渡るのは苦労するだろう)
最後にはリンカーン大統領が「人民の名において降伏します」と逃亡先の西アフリカあたりで言うだろう。

241 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 10:24:37.56 ID:EuaY5Htv
日本が19世紀に米国を制圧したら、その後はどうなるか。

第一次大戦でドイツ帝国が勝ち、ロシア革命が起きるが、
ドイツ帝国がモスクワを攻めてレーニンとスターリンは逃亡し、
レーニンは持病で死に、スターリンは凍った川の氷が割れて川に落ちて凍死だ。

242 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 10:28:48.51 ID:EuaY5Htv
石器時代にひとしかったと言われる李氏朝鮮は併合も援助もせず、
そのまま石器時代にしておけばいいだろう。

243 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 11:10:22.23 ID:???
今日のデトロイトは自動車産業を中心とする大都市だが
南北戦争直後〜1880年位(キチガイの作戦期間)までのデトロイトの主要産業と人口規模について述べよ(10点)

244 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 11:27:55.86 ID:EuaY5Htv
>>243
自動車を作るまえは馬車を量産していたそうだ。

馬車は当時の米国の主要交通手段だ

245 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 11:39:01.74 ID:???
日本語版wikipedia丸写し乙w
英語版見てこいよ

246 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 11:46:05.25 ID:EuaY5Htv
19世紀当時のアメリカを細かく描写したのがトムソーヤの冒険である。

あとはジョンウェインの西部劇も参考になる。
また19世紀の米国は発明王エジソンが当時におけるIT革命をやった時代でもある。

そこに高杉晋作などの幕末オールスターズサムライジャパンが軍を率いて乗り込むという空想は
なぜゆえか語られてこなかった。

247 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 11:50:30.68 ID:???
フィクション作品を基にして歴史を語る男の人って・・・

248 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 11:54:37.24 ID:???
別の話でごまかそうというんですね、わかりますw

249 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 12:18:02.82 ID:???
まともな流れになりかけてたのに……
土鍋がよく知りもしないことで法螺を吹いて、決して自分の誤りを認めない
いわゆる人間のクズだってわかってるだろ、相手にするなよ……

250 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 13:37:37.44 ID:???
>>238
さすがに精鋭と一般兵を比べるのは可哀想な気が・・・
特にフランス徒歩猟兵は身体能力の優れた者の中から更に選抜された最精鋭だし。

戦争中、歩兵戦術の近代化で手本にされたのもフランス徒歩猟兵だったと。
優勢な防御火力の下を前進するのに、複数の部隊が交代で支援射撃と前進を繰り返すズアーヴ・ラッシュ(インディアン・ラッシュとも)とか。

突撃部隊が小銃射撃をせず、敵銃砲の射程内をダブル・クイック(165-180歩/分、ジョギングのペースが近いらしい)で一気に白兵戦間合いまで前進する方法。
ソルフェリーノ会戦でフランス徒歩猟兵が実行したらしく、南北戦争では北軍のアプトンやハンコックが実行し成功してる。

251 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 14:22:11.73 ID:???
結城藩(現茨城県結城市)譜代水野氏1万8000石
藩主・水野 勝知(みずの かつとも)1838〜1919
文久2年(1862年)家督継承
慶応3年12月9日王政復古の大号令、諸藩主に上京が命じられる 同月18日旧幕府より半蔵門警備を命じられる
慶応4年1月3日勝知は病気を理由に上京の猶予願いを新政府に提出
10日 国家老・小場兵馬が江戸邸に行き勝知に恭順を説得
11日佐幕派の江戸詰家老・水野甚四郎が結城に帰され自宅蟄居
3月1日旧幕府から上野山内警衛並に彰義隊付属指揮役を勤めるよう命じられる
江戸詰め藩士らで水心隊を結成、彰義隊の首領格に収まる
3日新政府から勝知に「上京に及ばず」と待機命令が出される。国元の恭順派は「役儀赦免願い」を旧幕府に提出し勝知を結城に連れて帰ろうとする
勝知は実家の二本松藩の家老邸に入る
7日水野甚四郎が結城から脱出していたと判明 10日勝知、甚四郎ら佐幕派が江戸藩邸を占拠
11日江戸でのクーデターが結城に知らされ、国元は勝知を廃し第8代藩主・勝進の子・勝寛を新藩主として擁立 小場兵馬も帰国
激怒した勝知は水心隊40余名に加え、織田主膳率いる彰義隊士60余名らを引き連れて結城に出撃する(結城近隣に田中左内ら会津藩士30余名が滞在しており協力することになる)
15日小山に着陣した勝知一派に交渉に出向いた小場兵馬は人質とされる
(この間に会津藩士らは古河藩から12斤カノン砲を借り出すなど武装を進めている)
22日会津藩士らが勝知一派に合流 

252 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 14:23:35.63 ID:???
24日未明砲撃開始、搦手門より場内に突入、勝知派ら60名あまりを解放する一方で方々に放火し(国元派が退却の際放火したとも言う)
国元派は兵馬の息子(15歳)を含む戦死者7名、負傷者13名を出す事態となる
25〜26日には場内は勝知派が掌握、勝知も焼け残った藩士の邸宅を本陣とした
脱出した国元派は結城城が佐幕派の手に落ちたことを東山道軍に報告、
4月4日東山道先鋒隊参謀祖式金八郎の率いる信州須坂藩兵二小隊と旗本岡田善長の大砲隊が小金井宿に陣をしき館林藩兵二小隊も合流
5日朝、祖式参謀は大手搦手に砲・銃撃を加えた
4日には彰義隊、5日には勝知も退去しており、残っていた60余名は降伏
7日水野甚四郎が自首、同夜参謀らの面前で切腹
11日江戸にあった勝寛が祖式参謀から結城城を受け渡される
14日家老としての責務が果せなかったとして小場兵馬は祖先の墓前で自刃 享年51歳
勝知は上野山内に潜むも 5月上野戦争に水心隊は加わらず降伏 勝知は二本松へ脱出
明治元年閏4月5日新政府は勝知の官位を剥奪、5月20日に捕らえられて伊勢津藩預かりとなる。後に鶴牧藩・二本松藩預かり
明治元年(1868年)12月7日政府から隠居を命じられる。所領も1,000石減封された
9月日光藤原口に出兵
動員兵力不明
国元派 戦死者1名負傷者13名自刃1名 勝知派 戦死2名負傷者2名 自刃1名刑死2名

253 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 14:34:32.08 ID:???
>>252
訂正 国元派戦死者7名

254 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 17:49:22.86 ID:???
>>239
動員と補給計画について相変わらず具体性がない。
戦力を聞いているのだ、装備を聞いているのではない。
ウィンチェスターがどうしたというのだ、RPGの攻略を書けと言っているのではない。
>>240
メキシコとカナダが兵力の通過を許可する条件はなんだ。
外交について言われた事ぐらいきちんと書きたまえ。
>>241
後段の小説は全く不要である。

君は子供の喧嘩の理由以上のものが理解できないのか。
個人レベルを越える事象について、具体的な計画を立てられないのか。


一日考えてこれではお話にならない。
土鍋君、君の母君はこの駄文を読んでOkを出したのか?それとももう諦められているのか?
やり直しだ。
今度はお医者さんにチェックしてもらってから提出すること。

255 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 18:44:52.33 ID:???
追加情報
>>56
黒羽藩主大関氏の氏神を祀った那須神社でエンフィールド銃が最近発見され
藩主事故死事件と関連か?
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130131/tcg13013102090000-n1.htm
>>60
喜連川藩は二階堂騒動の折に対応した因幡藩大隊長で元喜連川藩士の高塩又四郎を
池田侯に掛け合って帰藩させて軍(20名)を率いさせた(仏式調練)
32万5千石の大隊長→5000石の大隊(実質小隊)長
日本一小さな大大名 山下昌也 グラフ社

256 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 19:05:40.38 ID:???
>>250
なんでそんな先進的戦術を編み出していたのに、第一次大戦では無謀な突撃を繰り返してたんだろ?

257 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 19:26:18.25 ID:???
塹壕と機関銃の前でやっても……

>>251
小藩にもドラマありやなー

258 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 21:09:18.39 ID:???
国境会戦のときは圧倒的な連射速度を誇る75mm野砲の威力を過信していた。

75mm野砲の砲列は実際、銃剣突撃しようとするドイツ歩兵の隊列を一瞬で吹き飛ばした。
今だーっ、チャーンスっ、つって一斉に銃剣突撃するフランス歩兵。

やべーっ、て援護のために後方に配置されてた1個大隊6丁の重機関銃が集中側面銃撃。
それを想定してなくて次々即死するフランス歩兵。
今だーっ、って銃剣突撃するドイツ歩兵。
しかしまた75mm野砲とホッチキス機関銃に側面連射され次々即死。

そしてマルヌと延翼競争を経て塹壕戦に移行する。

259 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 21:17:26.33 ID:???
あと無謀な突撃ばっかりに見えるようでも実際は無謀な突撃と成功した突撃を反復していた。

国境会戦→野砲過信して無謀な突撃
マルヌ会戦→タクシー機動で突撃成功
シャンパーニュアルトワ→重砲過信して無謀な突撃
ヴェルダン後半戦→二ヴェールの這う砲撃と列車砲で奪回突撃成功
二ヴェール攻勢→這う砲撃過信して無謀な突撃
最終攻勢→ペタンの縦深配置、突撃砲・軽戦車・軽機関銃、フォッシュの列車移動飽和攻撃で突撃成功

260 :名無し三等兵:2013/03/25(月) 09:36:24.53 ID:???
一瞬妙に物語性のある書き込みであっちの人?と思ったが
メール欄sageだし、

文章をよく読んだら

>一斉に銃剣突撃するフランス歩兵。
>後方に配置されてた1個大隊6丁の重機関銃が集中側面銃撃。
>やべーっ、て援護のために後方に配置されてた1個大隊6丁の重機関銃が集中側面銃撃。
>それを想定してなくて次々即死するフランス歩兵。
>今だーっ、って銃剣突撃するドイツ歩兵。
>しかしまた75mm野砲とホッチキス機関銃に側面連射され次々即死。

ここで違うと確信したwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

261 :名無し三等兵:2013/03/25(月) 11:52:56.93 ID:???
オチキス→ホッチキスでかな?

262 :名無し三等兵:2013/03/25(月) 12:16:05.97 ID:???
イエー、ホッチキスヘビーマシンガンはベリーグー、
チャウチャットはプレスでチープだけどライトでポータブルね。

263 :名無し三等兵:2013/03/25(月) 14:30:37.22 ID:???
ホチキス社の2大製品?w

でも類似の紙止め道具は16世紀からあったわけで
あの給弾機構をそのまま流用した訳ではないという

264 :名無し三等兵:2013/03/25(月) 15:03:05.90 ID:???
調べてみたらホチキス機銃ってでかいね

265 :名無し三等兵:2013/03/25(月) 15:03:09.49 ID:???
>>263
そもそも同じ会社の製品ってのが大嘘
たまたま社名の綴りが同じだけで、全く無関係の会社

266 :名無し三等兵:2013/03/25(月) 15:10:37.88 ID:???
>>265
三菱鉛筆と三菱グループみたいなもんか

267 :名無し三等兵:2013/03/25(月) 15:14:37.10 ID:???
日本陸軍の重機もホチキス式機銃を日本軍向けに改良制式化したものだろ?
日本のサイトだと命中率がサイコーと謳ってあるけど、クソ重くて発射速度がクソ遅いんだから
命中率高くて当然。

268 :名無し三等兵:2013/03/25(月) 17:55:25.08 ID:???
>>265
え、機関銃の給弾機構を文房具に転用したって解説文をよくみるが、嘘だったのか……

269 :名無し三等兵:2013/03/25(月) 18:46:31.30 ID:???
MG42とかは三脚つけてベルト給弾にしただけの銃身交換可能なプレス製軽機関銃だからな。
軽くて発射速度クソ速いんだから命中精度悪くて当然。

270 :名無し三等兵:2013/03/25(月) 19:38:12.80 ID:???
相良藩(静岡県牧之原市相良)譜代田沼氏1万石
最後の藩主・田沼意尊(たぬま おきたか)1819〜1869
田沼意次の曾孫、天保11年(1840年)家督継続、文久元年(1861年)若年寄就任
元治元年(1864年)天狗党の乱に際し幕府軍総督としてこれが初実戦である幕府歩兵隊ら5000名あまりを率いて戦い
乱後天狗党350余名を処刑
慶応4年正月、旧幕府より駿府警衛を命じられる 2月新政府に恭順
戊辰戦争における出兵・死傷者はなし

家老井上家は浪人の身から意次に召抱えられ代々田沼家を支える
天狗党の乱出兵に当たって軍資金を賄うために
当時の家老井上寛司は領民から多額の借金をして五年以内に返済するという誓約をするも
翌年の一次返済もまったく払うことができず、二年目も返すことができなかった
井上はこの責任を取り相良陣屋本丸で切腹した

271 :名無し三等兵:2013/03/25(月) 19:40:05.52 ID:???
伊予吉田藩(現愛媛県宇和島市吉田町)外様伊達家3万石
第8代藩主・伊達 宗孝(だて むねみち) 1821〜1899
宇和島伊達家の血を引く3000石の旗本・山口直勝の三男として江戸で生まれる
実兄・伊達 宗城(だて むねなり)が文政12年(1829年)伊予宇和島藩藩主宗紀の養子となる
天保10年(1839年)宇和島藩の支藩吉田藩第7代藩主・伊達宗翰の養子となり天保14年(1843年)家督を継ぐ
国元が財政難に苦しむ中でも、著名な料理人を料理方に招き美食を楽しみ、小唄・端唄を嗜む派手な生活を行ない大阪の豪商から新たに6000両の借金を築いた
鳥羽伏見戦後、諸藩大名が上京・恭順するなかでも江戸を動こうとしないことから(新政府の議定・参議となった兄への反抗心からとも言われている)
佐幕派とみられ新政府から罪を問われかけたが兄・宗城の仲裁で家督を甥で婿養子の宗敬に譲ることを条件にして許された
明治4年(1871年)の廃藩置県後は東京に移り、後に明治天皇の侍従となった
出兵・死傷者なし
三河吉田藩は同名であることを嫌って明治2年豊橋藩と改名した

272 :名無し三等兵:2013/03/25(月) 20:00:08.47 ID:???
こういうのを見ると小藩にもいろいと歴史があるなとつくづく思う。
それにしても270の井上寛司は気の毒だ。
借金は元本のみ無利息250年分割で払うと言ってしかも途中で踏み倒した某藩
(しかも、我が藩は借金をきちんと返済しようと思っていたが明治維新のために
止む無く返済できなくなったと臆面もなく貸主に言い放つ)を思うと何とも言えない思いがする。

そして借金で思い出すのが忠臣蔵。大石内蔵助は主君切腹を口実に赤穂藩の借金は全部踏み倒して自分の
懐に入れてそれを吉良邸討ち入りに宛てたとか。もし、本当なら貸主は吉良邸討ち入りを素直に喜べたろうか。

273 :名無し三等兵:2013/03/25(月) 20:36:49.32 ID:???
>>272
井上寛司の切腹は美談?として当時もなかなかの評判になったそうです
維新期も色々手助けした商人は少なくないのですが(長州の白石正一郎は有名ですね)
報われた人は少ないですね
戊辰戦争で岡山藩兵ら1500名に包囲されて危うく攻防戦になりかけた姫路城を私財15万両を
供出して救った北風荘右衛門貞忠なんかも晩年は破産したそうです

274 :名無し三等兵:2013/03/25(月) 21:35:11.69 ID:???
北風家だっけ?
天皇に反逆したが許され、以来1000年にも渡って公家と皇族を助け続けて、勤皇派も援助してた名門商家も断絶したよ。


……自分で書いててなんだが、ラノベ・テイストだだ漏れな厨設定なのに、全くの事実だってのが面白い。

275 :名無し三等兵:2013/03/25(月) 22:51:03.64 ID:???
そういや昔白石のその後について興味持って調べてみたら、赤間神宮の宮司になっただとかどうとか
そんな情報が出てきたな

276 :名無し三等兵:2013/03/25(月) 23:01:23.01 ID:???
話題の北風家とりあえずwikipedia見てきたけど
家伝の前半盛りすぎで面白いなぁ

277 :名無し三等兵:2013/03/25(月) 23:07:31.35 ID:???
>>274
1000年云々は少々怪しいところもありますがw
江戸時代を通じて有数の豪商だったのは確かでしょうね
庄内藩を支えた本間家も地方財閥にとどまりその後倒産・子会社化されて
現在中国資本傘下の企業もあるそうです

278 :名無し三等兵:2013/03/25(月) 23:30:22.58 ID:???
勤皇の志士のパトロンだったはずなのに、
たかが姫路藩(失礼)救うために15万両も払う必要があった方が気になる
もし本当なら、いくら金欠でも義理欠きすぎだろ新政府

279 :名無し三等兵:2013/03/26(火) 00:12:36.68 ID:???
>>268
「映像の世紀」の第一次大戦編でもホチキスの機関銃と文房具は
密接に関連してるというような解説が流れてたの覚えてるんだがなぁ

280 :名無し三等兵:2013/03/26(火) 09:40:08.51 ID:???
まあNHKだって間違えること多いからな。
和泉元弥に入れ込んでた時期もあったし。

281 :名無し三等兵:2013/03/26(火) 10:20:06.67 ID:lzOPRJj2
>>254
動員は産めよ増やせよが基本だ。
貧困幼児医療の無料化と貧困幼児には栄養食を支給し、幼児死亡率を下げて兵士を確保する。
補給は米国、カナダ、メキシコでの現地調達が基本だ。

当時の米国は南北戦争で分裂消耗しているので戦力はろくに無い。
リンカーン大統領も暗殺されるしな。
日本の武士兵法でも勝てる。
またカナダ、メキシコには勝利後に米国領土の一部を割譲することを約束する。

282 :名無し三等兵:2013/03/26(火) 10:22:40.34 ID:lzOPRJj2
第一次大戦で突撃が成功したのは人数の多さや根性もあるが、
夜襲、濃霧、煙幕、陽動などをたくみに利用したからだ。

ようは目くらましや奇計だ。

283 :名無し三等兵:2013/03/26(火) 10:28:43.62 ID:lzOPRJj2
第一次大戦の突撃は敵陣の前で全滅した例よりも、敵陣突入後に全滅した
例が多い。

狭い塹壕内で2メートルの距離で手榴弾を投げ合い、ナイフで刺し合ったからだ。
闘鶏どうしを狭い籠に閉じ込めて喧嘩させてる状態だ。

284 :名無し三等兵:2013/03/26(火) 15:14:43.59 ID:???
>>281
作戦期間が10年なのに、幼児死亡率を下げて兵士を確保が間に合うと思っているのか。
予算はどこから調達するつもりだ。
戦闘経験のある将兵を大量に抱える南北戦争直後のアメリカ陸軍を、
分裂消耗しているというなら、君の分析力はお話にならない。
現地調達と口先でいえば現地調達できるのではない、動員と補給計画についても相変わらず具体性がない。

付言しておくと、リンカーンは暗殺されるのか、それとも生きて降伏条約に調印しなくてはならないのか
君の言ってることは一貫性がなさすぎて、意味が通らない。
はじめの計画からやり直したまえ!

285 :名無し三等兵:2013/03/26(火) 19:47:45.07 ID:???
下手渡(三池)藩 外様立花氏1万1000石
文化3年(1806年)、三池(現福岡県大牟田市)を領していた若年寄・立花種周(たねちか)は松平定信との政争により強制隠居・蟄居され
三池立花家は陸奥国伊達郡下手渡(現福島県伊達市月舘町)へと国替えとなった
後を継いだ立花 種善( たねよし)は藩政を確立し、三代目下手渡藩主・立花 種恭(たねゆき)は旧領筑後三池郡内にも5071石を与えられた
将軍徳川家茂の側近として文久2年(1862年)6月に大番頭となり長州征伐では幕府軍として参加
慶応3年(1867年)には老中格兼会計総裁となるが翌年3月に罷免、慶応4年2月種恭は帰国(下手渡)したが閏4月に上京・恭順した
留守中、奥羽越列藩同盟が結成されると家老の屋山外記(ややまげき)が藩主名代として加盟するも積極的な動きは見せず仙台藩の疑念を招いた
(種恭は三池に渡り一族でもある柳川立花氏の力を仰ぎ新政府側として参戦していた)
8月16日仙台藩兵約200名が下手渡城下に来襲、屋山外記を先頭に抗するも衆寡敵せず陣屋・陣屋下町は焼き払われた
翌17日救援の柳川藩兵が到着し下手渡藩兵とともに仙台藩兵を撃退、残敵掃討任務についた
陣屋喪失により9月本庁を三池に移した
動員兵力16名 負傷3名(下手渡留守部隊か?)
立花 種恭1836〜1905 後に学習院初代総長
屋山外記1831〜1881も生き延び藩主の墓の横に眠っている

286 :名無し三等兵:2013/03/26(火) 20:08:16.61 ID:???
>>285
おぉ、なかなか波瀾万丈な
縁戚とはいえわざわざ下手渡まで出向くとは柳川藩も律儀なもんで

287 :名無し三等兵:2013/03/26(火) 20:35:18.43 ID:???
安中藩(現群馬県安中市)譜代板倉氏3万石
5代藩主板倉 勝明(かつあきら)1809〜1857
は海防強化を早くから唱え西洋流砲術の導入を図り、藩士鍛錬のために安政2年(1855年)日本最初のマラソンとも言われる
安政遠足を行わせた(藩士96人に安中城門から碓氷峠の熊野権現神社まで走らせた)
あとを継いだ弟・養子の板倉 勝殷(かつまさ)1820〜1873は一転、藩士の蘭学研修を禁止した
要衝・碓氷関を押さえる安中藩は新政府・会津双方から協力を求められるが
2月慶喜に従って恭順・東山道軍に従い碓氷関の警備・兵站を担った
信濃追分に出兵し諸藩とともに赤報隊を捕縛・解散させた
閏4月19日上野巡察使に属して沼田に出兵、24日三国峠の戦いに参加
28日沼田に帰還、同地に駐屯・警備 5月9日戸倉口の警備 6月7日解散
動員兵力 568名 死傷者なし
新島襄は同藩出身である

288 :名無し三等兵:2013/03/26(火) 20:37:23.61 ID:???
衆寡敵せずといってもドン五里の仙台藩兵200人に圧倒されるのは強いとはいえんなあ。
まあ翌日に速攻で撃退されてる仙台藩兵は例によってなさけないが。

289 :名無し三等兵:2013/03/26(火) 20:49:25.82 ID:???
>>286
当時の柳川藩を仕切っていた家老・立花壱岐はかなりの人物で色々逸話もありますが
機会があれば紹介します
>>288
ただでさえ下手渡(福島県)と三池(福岡県)に領地が別れていた上に
藩主不在では仕方がないかもしれませんね

290 :名無し三等兵:2013/03/27(水) 00:24:14.12 ID:???
>>289
九州と東北か。
今の感覚だと、アジアとアフリカに領土があるみたいな感じだったんですかね?

291 :名無し三等兵:2013/03/27(水) 07:40:05.38 ID:???
イスラエルとエジプト位の距離感ですかね

292 :名無し三等兵:2013/03/27(水) 13:49:11.90 ID:???
鎌倉時代の御家人とか本領と所領が離れてるのは普通だったからな

293 :名無し三等兵:2013/03/27(水) 13:55:25.88 ID:???
ん?所領って本領とは違うのか?

294 :名無し三等兵:2013/03/27(水) 14:06:05.36 ID:???
本領は開発以来代々相伝している私領だってさ。手柄の恩賞として貰ったものでなく。
初めて知った。

295 :名無し三等兵:2013/03/27(水) 14:08:10.16 ID:???
>>291
それを言うならリビアとエジプトだろう。
リビアのカダフィは若いころサダトに合邦しましょうと申し出たことがある。

296 :名無し三等兵:2013/03/27(水) 14:10:45.89 ID:???
>>294
知らんかった
三代ぐらい立つと本領になるんだろうかw

297 :名無し三等兵:2013/03/27(水) 17:54:21.16 ID:???
12名動員とか16名動員とかって小藩の部隊、戦後に戦友としての団結意識がすごく強くなりそうだけど、
なんかそういうエピソードはなかったのかね(戊辰の戦友同士で一緒に商売を始めたとか)。

298 :名無し三等兵:2013/03/27(水) 18:35:10.19 ID:???
>>290
幕末期は蒸気船・洋式帆船が結構使われるようになっていますからそれなりに距離感は
縮んだかもしれませんがそれでも運営していくのは大変だったでしょうね
(江戸藩邸も維持しなければならないのですから)
>>213
で田辺与力騒動で浪人してまで復帰運動を続けた与力衆は士禄をもとに合資会社苗秀社を立ち上げ
現在も松坂市の長屋を維持しているそうです
http://www.47news.jp/localnews/mie/2009/12/post_20091223112239.html
御城番屋敷
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%9F%8E%E7%95%AA%E5%B1%8B%E6%95%B7

299 :名無し三等兵:2013/03/27(水) 18:55:48.83 ID:???
奇兵隊出身の山城屋和助や藤田伝三郎の例もありますがこちらは政商の面が強いですね

300 :名無し三等兵:2013/03/27(水) 19:00:23.29 ID:???
盛岡藩なんか藩士1732人で作った農業株式会社が同じ形で今でも残ってるからな。
http://ameblo.jp/t-ka/entry-10033563288.html

301 :名無し三等兵:2013/03/27(水) 20:13:39.48 ID:???
一宮藩(現千葉県長生郡一宮町)譜代加納家1万3000石
最後の藩主・加納 久宜(かのう ひさよし)1848〜1919
安政2年(1855年)の安政江戸大地震で、本所の下屋敷が倒壊して下敷きとなり
自身は助けだされるが両親を亡くし、実兄の立花種恭(後の下手渡・三池藩主)に引き取られ仏兵学を初め英才教育を受ける
慶応2年(1866年)一宮藩主・加納久恒が急死したのを受けて急遽養子となり藩主となる。
国入り早々、近従を集め仏式調練を行う
鳥羽伏見の戦いには海路京に向うが大時化により下田に足止めされ間に合わなかった
2月上京中東海道軍に恭順し米二千俵を奉納、一方国元では旧幕府脱走軍が押しかけ米二百俵を提供した
慶応4年閏4月10日房総鎮撫軍の大多喜進駐の先導を務める
動員兵力123名 死傷者なし
戦後は鹿児島県知事・日本体育会体操学校(現日本体育大学)校長・東京競馬倶楽部会長・一宮町長など多くの業績を残した

曾孫は麻生太郎

302 :名無し三等兵:2013/03/27(水) 20:19:53.34 ID:???
稲田家(現兵庫県淡路島洲本市) 徳島藩家老・洲本城代稲田家(1万4000石)
幕末に徳島・蜂須賀家が佐幕的な態度をとっていたのに対して稲田家は勤王活動が盛んであった
藩主の急死などで徳島藩が混乱している合間に稲田家は独自に朝廷に接近、東征軍に従って江戸まで進撃し、
5月の上野戦争では神田川水道橋を警備、越後口軍に属して会津若松まで進軍した
動員兵力161名
明治2年版籍奉還で稲田家の家臣達は蜂須賀家の家臣の家臣(陪臣)という扱いで士族ではなく卒族に編入された
この処置に怒った稲田家家臣たちは維新時の功績を盾に独立立藩・士族編入を目指し本藩蜂須賀家との関係は悪化する
明治3年5月12日に徳島の稲田家屋敷や分領が襲撃され
翌13日の早朝、洲本在住の徳島藩士800人、銃士100人と銃卒4個大隊、砲4門からなる部隊が、
洲本下屋敷町の家老稲田邦植の別邸や益習館、宇山の稲田武山邸や市中の稲田家臣の屋敷を襲い
稲田側は無抵抗を貫くも自決2人即死15人重傷6人軽傷14人 家屋多数が焼失する大惨事となった
この事件を受けて徳島藩知事蜂須賀茂韶は謹慎、徳島側首謀者ら10名が切腹、八丈島への終身流刑27人など厳しい処分が明治政府より下され
一方の稲田家側は10月15日稲田邦植以下、家臣全員に北海道の静内郡と色丹島への移住開拓が申し渡された
(翌年より移住、この模様は映画「北の零年」で描かれている)
洲本を含む津名郡は明治4年5月に兵庫県に編入、淡路島は徳島藩領でありながらこの事件で兵庫県となった

303 :名無し三等兵:2013/03/28(木) 09:47:02.07 ID:/iNfvoQF
>>284
予算はこうだ。
1、江戸時代の小判をあつめる
2、絹、衣服、漫画、玩具、海産物などを輸出して稼ぐ
3、外国から援助を募り、アメリカ攻略株式会社を作る

304 :名無し三等兵:2013/03/28(木) 09:59:28.47 ID:/iNfvoQF
剣が廃れたのは手榴弾の影響も大きい。

手榴弾を連続で投げられたら近づけない

305 :名無し三等兵:2013/03/28(木) 10:03:11.60 ID:???
架空戦記スレでやれ!

306 :名無し三等兵:2013/03/28(木) 12:23:49.49 ID:???
ゲーム脳で適当な妄想を垂れ流してたら、真面目に突っ込まれて
自分の妄想だってことを認めることができないから歯切れが悪くなっていく、の図だな
架空戦記の方でも困るだろう
なにしろその時代の知識がまるでない

307 :名無し三等兵:2013/03/28(木) 13:05:42.57 ID:???
土鍋はゲーム脳というレベルじゃなくて、人格障害という立派な御病気持ちかと

308 :名無し三等兵:2013/03/28(木) 13:46:24.20 ID:???
架空戦記ならなんでもありだと思ったが違うのか?

309 :名無し三等兵:2013/03/28(木) 13:53:38.06 ID:???
つまらない架空戦記は読むに耐えん

310 :名無し三等兵:2013/03/28(木) 14:43:12.29 ID:???
むしろ面白い架空戦記が存在しうるのかと

311 :名無し三等兵:2013/03/28(木) 16:20:22.19 ID:???
>>308
異世界モノの架空戦記なら作者のアイデアとノリだけでも佳作は書ける
史実ベースの架空戦記ならその時代に関する知識がないと話にならない

312 :名無し三等兵:2013/03/28(木) 21:13:14.41 ID:???
まあ後だしじゃんけんみたいなもんで、後からだったらいくらでも言えるわな。
こういう事をいつまでも妄想してる人って、自分の人生でも本来の自分はもっと違う風に生きていたはずとか思ってんだろうね。

313 :名無し三等兵:2013/03/28(木) 21:14:49.20 ID:???
土佐新田藩 外様山内氏1万3000石
5代藩主 山内 豊福(やまうち とよよし)1836〜1868
安政3年(1856年)養父の隠居により家督を継ぐ、宗藩土佐山内家を補佐し国事周旋を勤める一方、藩の軍制を洋式化した
戊辰戦争では旧幕府に対して自重を求めるも抗戦派を抑えきれず、鳥羽伏見にて敗戦後江戸に下り徳川家存続活動を図るも、
土佐支藩という立場から慶喜に疑われ、辱められる 慶応4年1月14日妻典姫とともに自害した
(夫婦の最期の模様は宮尾登美子『菊籬(きくまがき)』の「自害」で描かれている)
3月26日東山道軍に参陣を願い、土佐本藩とともに日光に出兵
動員兵力57名 死傷者なし
5000両の恩賞

314 :名無し三等兵:2013/03/28(木) 21:19:29.15 ID:???
須坂藩(現長野県須坂市) 外様堀氏(1万石)
第13代藩主堀 直虎(ほり なおとら)1836〜1868
若き頃より蘭学や洋式の兵学・砲術に親しみ、師匠であった南郷茂光の著した英国歩兵練兵書に序文を書き、
直虎自身でも英国騎兵練兵書の翻訳に取り組んだ
黒船到来の後、直虎は当時藩主であった兄直武に「警備策」を進言、国防強化と洋式改編を訴え
須坂藩の軍制をオランダ式にして号令をかけ、大砲を鎌田山に据えて試射など行う
直虎は衣服も西洋風に改め、陣羽織の裏には非常食用のパンをしのばせていた
また写真機を買って写したり、自らを英語でStraight Tiger(直虎)と称したりしたので、人々は直虎を「唐人堀」と呼んだ
文久元年(1861)兄の隠居とともに家督を継ぐと門閥層を粛清、軍制を蘭式から英式に改編し2個小隊を編成するなど改革を強化した
文久3年(1863)大番頭に就任、慶応3年(1867)12月5日、若年寄兼外国総奉行に就任
慶応4年(1864)江戸城に逃げ帰ってきた慶喜以下城内が抗戦か恭順か騒然とする中で1月14日親友の山内豊福が夫人とともに自害
直虎も慶喜に切腹(覚悟の抗戦なり恭順)を諌言し1月17日自害した(登城の際白装束を準備していたという)
5月弟直明が相続
藩は2月に恭順、4月、2個小隊が結城城攻略、下総武井で大鳥軍と戦う
閏4月沼田へ進駐・警備 4月衝鋒隊の飯山進出に出兵・追撃 5月小仙谷で長岡軍と戦う 
7月与板から蔵王口を経て会津へと進撃
動員兵力231名 戦死8名負傷12名
賞典禄として5000石を賜る

315 :名無し三等兵:2013/03/28(木) 21:23:53.30 ID:???
>>313
なんか気の毒だね豊福さん

316 :名無し三等兵:2013/03/28(木) 21:26:19.86 ID:???
>>313-313
譜代や親藩でもあっさり幕府を見捨てて薩長につくのが普通なのに
なんで外様藩主がここまで忠誠を尽くしたんだろ?

317 :名無し三等兵:2013/03/28(木) 21:33:16.25 ID:???
かえって近しいと一橋ウゼエとかなるからなぁ
長州征伐にでた藩は実力しってるから速攻帰順したとかないかね

318 :名無し三等兵:2013/03/28(木) 21:35:58.20 ID:???
>>314
Straight Tigerかっけえw

319 :名無し三等兵:2013/03/28(木) 22:03:11.61 ID:???
>>316
養子で縁戚関係があったり、定府(江戸)大名や幕閣だったりして
幕府に忠義を持っていた外様大名もいたようですね

320 :名無し三等兵:2013/03/28(木) 23:14:09.80 ID:???
>>303
思いついたことを羅列すればいいのではない。
小判を強制的に収奪でもするのか、それが果たして主要輸出品なのか、幕末の経済についてあまりにも無知であり論評に値しない。
当時の信用で外債の募集がいかに困難か、
大体外債の募集などしたら、世界中にアメリカ侵攻の意図を暴露するようなものだ。

その場凌ぎの駄案を並べるせいで、一貫性が無くなってると指摘しただろう!
今までの指摘を踏まえた上で、もう一度はじめから「武士によるアメリカ征服計画」を提出し直したまえ!

321 :名無し三等兵:2013/03/28(木) 23:30:48.48 ID:???
外様だからって全部が全部徳川に敵対的な大名だったわけじゃない
幕府あっての全国諸藩というのが幕藩体制であり、外様といえども例外ではなかった
薩摩の島津斉彬も老中安倍正弘と緊密に連絡を取り合う仲でもあったし、
藩主や門閥家老層ほど自藩の存続・繁栄を願うなら外様でも幕藩体制の維持に協力的になる傾向がある
藩主含めた御前会議で政策決定を行なって攘夷方針をとった長州藩は例外的

322 :名無し三等兵:2013/03/28(木) 23:57:05.04 ID:???
藩主(や上層部)はガチガチの佐幕派だけど、それ以外は徳川の恩顧なんて……
って普通だったんじゃないの
鳥羽伏見の戦いでの淀藩なんて藩主無視して幕府裏切ってるし

323 :名無し三等兵:2013/03/29(金) 04:26:49.73 ID:vZNsrWwW
ストレートタイガーは実戦も経験してるし死傷者もそれなりに多いし賞典禄5000石もらってるし2個小隊としては最強レベルだな。

門閥粛清も速攻だし、
敵も衝鋒隊、大鳥圭介、長岡藩で最強クラス。2個小隊で城まで落としてるのがすごい。
ある意味新撰組より精強。

324 :名無し三等兵:2013/03/29(金) 11:37:21.59 ID:???
民主党を生み出した『団塊の世代』の面々(現在66〜63歳)
消滅へ向かう化石サヨク思想

加藤千洋(65)・・朝日新聞元編集委員(中国の犬)
安田好弘(65)・・死刑廃止論の弁護士(光市母子殺害事件のDQN弁論)
上野千鶴子(64)・・ジェンダーフリー学者(フェミナチ)
班目春樹(64)・・原子力安全委員会委員長(デタラメ君)
若宮啓文(64)・・朝日新聞主筆(安倍信三を叩くのが社是・「竹島を韓国に譲れ」で有名)
白川方明(63)・・日銀総裁   無能(帰化人説有)
山田伸二(63)・・NHK解説主幹(民主党の熱烈なシンパ)
後藤謙次(63)・・共同通信元編集局長(反日主義者)
テリー伊藤(63)・・全共闘崩れ(民主党シンパ(帰化人説有))


BPO //www.bpo.gr.jp/?page_id=1284
>理事会

>飽戸 弘  理事長(非常勤) 東京大学名誉教授
>岡本 伸行 専務理事(常勤)←NHK
>三好 晴海 理事・事務局長(常勤)
>藤久 ミネ 理事(非常勤) 評論家←元テレ朝
>石田 研一 理事(非常勤) 日本放送協会理事←NHK
>唐木田信也 理事(非常勤) 日本放送協会考査室室長←NHK
>武内 健二 理事(非常勤) 日本民間放送連盟放送基準審議会議長・ 九州朝日放送社長
>木村 信哉 理事(非常勤) 日本民間放送連盟専務理事←TBS
>藤川 英彦 監事(非常勤) 日本放送協会編成局計画管理部経理部長
>山内 弘  監事(非常勤) 日本民間放送連盟事務局次長

こんなんで正しい機能する訳も無く。

325 :名無し三等兵:2013/03/29(金) 13:15:05.24 ID:???
ストレートタイガーって名前、南北戦争中の義勇兵部隊ぽいね。
ルイジアナタイガースみたいな。

326 :名無し三等兵:2013/03/29(金) 13:24:21.27 ID:???
実際は何のことなの?誤爆かと思ったよ。

327 :名無し三等兵:2013/03/29(金) 15:01:51.17 ID:OYgZd0kQ
>>306
おいおい。
幕末期には江戸で打ち壊しや火消し強盗が横行しているのだよ。

明治維新を前倒しでやれるという発想は現実的考えだ

328 :名無し三等兵:2013/03/29(金) 15:09:23.53 ID:OYgZd0kQ
>>320
いいかね。
徳川家斉がナポレオンと同盟を結び、南北戦争まで米国との開戦準備をしておくのだ。
準備期間が60年もある。

60年コツコツやるんだよ

329 :名無し三等兵:2013/03/29(金) 15:11:02.98 ID:OYgZd0kQ
幕藩体制では官僚をいつでもさらし首にできる。

これも強みで、無能官僚は島流しか死罪にすれば効率があがる。

330 :名無し三等兵:2013/03/29(金) 16:08:31.80 ID:???
>>326
幕末の横文字名前と言うと、幕府海軍の現場では艦名を元の名前で呼んでいた事位しか知らなかったよ。
回天→イーグル、みたいに。

331 :名無し三等兵:2013/03/29(金) 17:25:17.69 ID:???
>>328
60年間も開戦準備が漏れないとでも思っているのか。
アメリカは国外から狙われている状況で、内戦を始めるのか。

手前勝手な条件を追加するなと言っただろう。
泥縄的に糊塗するから一貫性がないのだ。
何度も言っているが、はじめからやり直し!

332 :名無し三等兵:2013/03/29(金) 17:54:20.80 ID:???
火消し強盗ってなんぞwww
狂人の戯言ながら時々クリティカルヒットがでるな

333 :名無し三等兵:2013/03/29(金) 17:58:30.63 ID:???
このスレは書き込みの落差が凄いよなぁ

334 :名無し三等兵:2013/03/29(金) 18:47:56.16 ID:???
ここまでの「啓蒙太郎」の主張をまとめてみた。

19世紀後半に英国や露国からの援助で大日本帝国がアメリカを征服する、という妄想を発表(>>136)
清国と同盟をむすんで日本が当時のアメリカを攻めるという手もある。(>>139)

補給が続かないという指摘に、
>当時はレーダーが無いから、日本の大艦隊が発見されずに米本土に上陸するのも可能だ。
と的外れの反論(>>152)

英国と協力して米国を攻略するなら、アメリカ東部は英国に差し上げ、アメリカ西部は大日本帝国の領土にすればいいだろう。 (>>153)

>19世紀後半の米国市民はシングルアクション拳銃の弾が尽きたら、
>「オーノー!ヘルプミー!プリーズ!」と降伏してくるはずだ。 (>>161)
と戦前の一般民衆程度の見通しを示す。

>>174にて、「武士によるアメリカ征服計画」に関する詳細計画の提出を求められる。

>>175から火葬戦記スタート。即座にダメ出しを食らう。

>>184にて、安土桃山時代の事例を出し、>>175で自分が出した享保時代から産業革命スタートという設定を崩壊させる。どちらの時代でも、出てくる国は産業革命前。

兵站について述べると言いつつ、所要量を明記せず(>>188)。>>216にて、上の事例と併せて突っ込まれる。

上記と石炭があれば古代ギリシャでも産業革命は起きたと妄想爆発(>>196)。即座に指摘を受けるが、妄想を膨らませて勝利宣言。

335 :名無し三等兵:2013/03/29(金) 18:49:34.30 ID:???
>>334の続き。

>>216の指摘に対しアヘン戦争を持ち出すが、開戦理由を捏造(>>239)。
カナダとメキシコを自陣営に引き入れるという設定を付け加えるが、どういう条件を提示するかは一切明かされない(>>240)。
その後火葬戦記を続けて自分の妄想でエクスタシー(>>241,242)。
相変わらず、動員兵力、所用物資量、作戦に要する年月などは具体例を出せず、>>254でまとめて指摘される。

>>281に至っても、具体的な数字は一切なし。
それどころか、
>>最後にはリンカーン大統領が「人民の名において降伏します」と逃亡先の西アフリカあたりで言うだろう。(>>240)
>>当時の米国は南北戦争で分裂消耗しているので戦力はろくに無い。 >>リンカーン大統領も暗殺されるしな。 (>>281)
上記の矛盾を指摘されるが、スルー。というより、以前の発言を覚えていない可能性も。

軍事行動を起こすに当たって必要な財源として、
「江戸時代の小判」や「絹、衣服、漫画、玩具、海産物などを輸出して稼ぐ」など、
現在日本の感覚で語っているとしか思えないことを宣う。
「外国から援助を募り、アメリカ攻略株式会社を作る」という噴飯物の提案をする。

>>320でダメ出しをされるが、アーアーキコエナイを決め込む。

幕末期に横行した打ち壊しを持ち出し、明治維新が前倒し可能という珍説を披露。
彼の中では、打ち壊しで幕府が崩壊したことになっているらしい。
そのさいに、「火消し強盗」というスマッシュヒットを飛ばす。


作業していて頭が痛くなってきたので、粗が目立つとは思うけど、もう限界。

336 :名無し三等兵:2013/03/29(金) 18:50:34.88 ID:???
なぜ最初から無駄と分かっていることをするのか

337 :名無し三等兵:2013/03/29(金) 19:14:33.43 ID:???
>>334-335
黙ってNGにすりゃいいのに何で弄るかな・・・

338 :名無し三等兵:2013/03/29(金) 19:20:42.54 ID:???
何で一々触れるんだよ。
放っておいて勝手に勝利宣言させておけ。
触れるとバカがうつる。

339 :名無し三等兵:2013/03/29(金) 19:26:33.06 ID:???
土鍋の爆撃頻度は下がってるからまったくの無駄ではないと思うけどね
勝利宣言させて調子に乗らせるのも面倒だが、そろそろ潮時かもね

340 :名無し三等兵:2013/03/29(金) 19:54:12.68 ID:???
テンプレ入りさせてやればいい
湧いたらテンプレ見ろで大丈夫

案↓

啓蒙太郎

スレ民を「啓蒙」すると称する、スレに居着いた電波
歴史知識や社会経験がないため、具体性のある計画は立てられず
突っ込みどころしかないレスを連投するのが特徴
アンカーをつけますが、相手にしないようにしましょう

341 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 05:36:05.98 ID:???
もう幕末小藩スレとしてしか機能してないし、好きにさせたらいい

342 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 06:18:39.27 ID:???
>>341
そんなこと言わず、是非幕末以外のネタを振ってくれ。

343 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 09:43:03.40 ID:???
普仏戦争でフランスが敗北したのは兵器や戦術、参謀の差というよりも、
予備役後備役兵まで野戦に投入した動員兵力・動員計画の差が大きいんだよな。

もはやシャスポーとかドライゼとかいうガンの性能の問題ではなくて。

344 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 10:53:56.46 ID:HhEr5IyM
>>331
漏れても南北戦争前のアメリカは対応ができない。

なぜなら米国内部の南軍がマスケット銃を手にワシントンに進撃するからだ。
あと当時のアメリカは西部ではインディアンと戦ってる最中だ。
米国は内戦状態なのだ

345 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 11:00:17.65 ID:HhEr5IyM
>>343
ナポレオン三世の持病が敗北の最大の原因だ。
ナポレオン三世は持病で馬に乗るのも困難な状態で憔悴しきっており、健康ならばセダンで粘るか、
包囲網を突破しただろう。

346 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 11:06:05.53 ID:HhEr5IyM
>>334
テレビドラマにしたら人気になると思うぞ。

あと史実の東インド会社は攻略費用を国際的に募った株式会社で、
アメリカ攻略株式会社も同様のアイディアだ。

347 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 11:13:39.26 ID:HhEr5IyM
司馬遼太郎は「火縄銃の幕府軍VSスナイドル銃の薩長軍」
という架空の図式を作り上げたが、実際は両軍が最新銃を装備していたのだし、
司馬が言うほど単純ではなかったのだな

348 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 11:19:00.49 ID:???
普仏戦争だとプロイセンが鮮やかな勝利を見せた戦術戦略が注目されるけど、
もっと長期的な政略面から見ると皇帝が降伏したにも関わらず、
なおプロイセンに反抗して、敗戦後の政府にも世論の形で影響を持った
フランス国民という要素も大きなポイントだったり

ただ明治時代の人の分析だとそのフランス国民の抵抗でプロイセン軍を最終的に
撤退に追い込んだとしてるものがあったが、戦後駐留せず撤退したのは既定方針だったみたいね

349 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 12:42:40.88 ID:???
アルザスとロレーヌを犠牲にした上での和平と言う考え方も有るみたいだね。
セダン以降の軍の再建も凄いと思うけど。
まぁ、その軍の最初の攻撃対象がフランス人ってのも泣ける。

350 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 12:43:43.15 ID:???
プロイセンにしてみればドイツ統一のための普仏戦争なのだから
フランスを占領する意味が無い。
目的と手段をはき違えるのは敗北の基。

351 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 12:56:59.46 ID:y1bbzI+e
>>348
パリコミューンがパリを守ったとも言える。
ただパリコミューンは共産主義を叫んだのでジャコバン派の再来と危惧され自国民と自国軍から支持されなかった。

352 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 13:15:34.20 ID:???
まあビスマルクは当然目的意識を堅持していたが、
それを司令官・指揮官に周知徹底させるのはビルマルクと言えども至難の業。

ヴィルヘルム二世だってパリ占領という誘惑には勝てなかったからな。
敵国野戦軍の撃滅=国家の勝利ってなかなか一般人には理解しにくい。

353 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 13:28:46.13 ID:???
>>352
普仏戦争に関していえばナポレオン3世の捕縛というこれ以上ないほどに
わかりやすい戦果があったから大衆に勝ちだと認識させるのは楽じゃないか?

354 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 13:47:14.48 ID:???
Straight Tigerの追記
門閥層の粛清
当時の須坂藩は、上役を勤めていた野口源兵衛とその子で江戸家老の亘理、中老の河野連、郡奉行兼会計役の廣澤善兵衛らが藩政を握り
御用金の召し上げや賄賂が横行、その資金で裏で高利貸しまで行う者もいるほど藩政は乱れていた
直虎は小林要右衛門という家臣に、藩の実情を調査させ、1ヶ月後に行った粛清では切腹4人、永暇21人、藩籍除外11人という大ナタを振るった

勝海舟の記録では「乱心による自害」と残されているが直前に書置きを遺して登城しており
直虎の母は帰ってきた息子の遺骸に「よく死んでくれた」と一言述べ下がった

一方で3月7日名古屋で東征軍に面した家老・丸山兵衛次郎は藩主の死が抗戦を主張しての死と取られないように苦労したそうです
慶喜を諌めての諌死という武士の論理を通し、信濃全国御取締役を命じられます

355 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 14:21:51.26 ID:???
須坂藩直心影流剣術師範小林要右衛門季定を隊長とする50〜60名ぐらいの部隊を供出
4月4日東山道先鋒隊参謀・長州藩士祖式金八郎の指揮下で旗本岡田善長の大砲隊と小金井宿に陣をしき館林藩兵二小隊も合流
4月5日払暁より結城城へ攻撃を開始
祖式は戦力を二分し、、須坂藩1小隊・館林藩1小隊を大手口に向かわせ、須坂藩1小隊・館林藩1小隊・岡田砲兵隊を搦手口に向かわせ
水心隊・彰義隊・会津藩兵は余り抵抗せず逃走、結城城を奪還
周囲の鎮撫に当たっていた祖式軍は15日、旧幕軍が活動中との報告に出動
武井宿に展開するも大鳥軍中・後軍1000名近くが襲来、大敗を喫し須坂藩兵は8名の戦死者を出す
敗戦の責をとり祖式は後方任務に降格、資金調達の際に武器庫を差し押さえられたと佐野藩より訴えがあり
祖式は長州帰還・藩籍除外処分を受けた(旗本岡田が戦後大名昇格を却下されたのもここらへんも影響か?)

一方で4月22日には清須勝祥以下計100名の清須隊が出兵。飯山、北越・会津を転戦、11月に帰還した
清須勝祥は後に須坂市旧上高井郡役所の初代群長となる

戦死した8名の藩士の墓は小山市光福時に今も遺る
土屋要助 須坂藩士 慶応四(1868)年4月16日下野茂呂村で戦死 享年25歳
雨宮六五郎 須坂藩士 石川鉄太郎家来 慶応四(1868)年4月16日下野小山で戦死 享年38歳
武田幸三郎 須坂藩銃兵 士分 慶応四(1868)年4月16日下野茂呂村で戦死 享年18歳
竹村源九郎 須坂藩士 慶応四(1868)年4月16日下野茂呂村で戦死 享年56歳
藤沢八作 須坂藩士 小林要右衛門家来 慶応四(1868)年4月16日下野茂呂村で戦死 享年18歳
壕内半平 須坂藩銃兵 土屋金生家来 慶応四(1868)年4月16日下野茂呂村で戦死 享年27歳
中沢要作 須坂藩銃兵 慶応四(1868)年4月17日下野小山で戦死 享年25歳
山崎与作 須坂藩卒 慶応四(1868)年4月18日下総高島村で戦死 享年25歳

356 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 19:30:17.24 ID:???
村上藩(現新潟県村上市) 譜代内藤氏5万石
第8代藩主内藤 信民(ないとう のぶたみ)1850〜1868
は老中も務めた養父信親(のぶちか)の隠居により元治元年(1864年)家督を継ぎ、第二次長州征討にも出兵した
鳥羽伏見戦後3月、信親、信民は帰国し藩論統一を図ろうとするも、新政府軍により国境が封鎖されており恭順派であった信親は帰国できなかった
5月村上藩は奥羽列藩同盟に加盟、北越戦線に出兵した。新政府と同盟の板挟みに悩む信民は7月11日(または16日)村上城内で自害した(厠で首を吊ったとも言う)
藩主の自死で藩内が混乱する中、8月11日村上に新政府軍が接近、主力部隊は与板方面に出兵中だったため留守を預かっていた江坂与兵衛は新政府軍に恭順
家老鳥居三十郎は抗戦派約200名を率いて村上を脱出、村上城はこの混乱下で炎上した
三十郎ら抗戦派は庄内藩兵と合流し羽越国境の鼠ヶ関で新政府軍と戦う一方、恭順派は新政府軍先導として出兵し国境で同藩兵同士が戦う事態となった
戦後三十郎は処刑が決まるも、処刑前の6月20日に恭順派であった江坂与兵衛が暗殺される混乱で6月25日に延期された
兵衛暗殺の主犯格とみなされた島田鉄弥は明治3年(1870年)1月19日に自刃
総出兵人数不明。 戦死者10名夫卒戦死1名 (うち1名は新政府側)
信親は養子・信美(のぶとみ)を立て明治2年(1869年)2月3日に藩主の座に就かせた

357 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 19:35:11.95 ID:???
やはり大鳥軍は強敵だったんだな〜。

358 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 20:33:38.06 ID:???
普仏戦争の話題に戻すけど

パリコミューンと彰義隊とを野口武彦氏だったと思うけど誰かが雑誌のコラムで比較していたのを読んだ覚えがある。
パリコミューンの失敗が第2帝政の完全な終わりと第3共和制の始まりをパリ市民に告げたと。
彰義隊の敗北も江戸市民に対し徳川幕府の完全な終わりと明治時代の到来を告げる役割を果たした。
江戸城攻防戦が無かったために江戸市民の中にはまだまだ徳川にも力があるという意識というか空気があったが
彰義隊のあっけない敗北は江戸市民に意識の変革をもたらした。
もし彰義隊の敗北が無く江戸市中の治安維持に彰義隊が徹していて会津城攻防戦時等に彰義隊が蜂起していたら
江戸市民も彰義隊に合流し戊辰戦争の帰趨も大きく変わっていたかもと書かれていた。
私もあながち否定できないと思う。

359 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 21:03:43.62 ID:???
どっちかっていうと困民党の方がパリコミューンっぽいような。

360 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 21:13:30.28 ID:???
野口武彦の「幕末気分」の上野モンマルトン1868ですね
でもパリコミューンは国民衛兵という母体があったのに対して
寄せ集めに過ぎない彰義隊に江戸「市民」が合流してもあんまり役にたたないかも
大村益次郎の掃討宣言で半数は消えてますし
(辰門辰五郎一家は柵を建てるなど参加してたそうですが)

361 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 21:35:49.68 ID:???
どっちかっていうと大塩平八郎の乱か

362 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 22:18:49.33 ID:???
侍身分の彰義隊よりも、町人身分出身者も少なくない幕府陸軍脱走兵の方が
江戸の町民に働きかける力はまだ強そう

パリコミューンとの類似性を無理やりにでも探すとすると、慶喜が江戸に逃げ帰ってきてから
開いた公議所への意見発信は町人農民も許可されていたというから、この公議所がある程度、力をつけるまで
時間的猶予が出来ていたら、その後コミューンを思わせる抵抗を見せたかもしれない

363 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 22:24:41.54 ID:???
黒船来航のときの政治への無関心っぷりは凄かったからなぁ
あれがどこまで進歩してるか

364 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 23:21:20.62 ID:???
じゃあ次は幕末民兵隊特集やろうか。  

365 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 23:25:22.67 ID:???
>>364
小藩シリーズももうすぐ終わるので次は民兵シリーズを準備しておきます

366 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 23:26:24.60 ID:???
>>362
歩兵隊の連中は脇差刺して武士だとか威張ったり暴れまくったるから無理だろ
多摩方面で農兵に押し返されたろ

367 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 23:35:18.78 ID:???
横レスだが、そう無理無理言われると萎えるわー

368 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 23:40:00.32 ID:???
それなら創作スレに行った方がいいぞ

369 :名無し三等兵:2013/03/31(日) 00:01:10.45 ID:???
必然性だけで歴史が決まるのなら、歴史を学ぶ必要はないってニーチェ先生も言ってた

370 :名無し三等兵:2013/03/31(日) 00:08:44.51 ID:???
362だけど、公議所に町民クラスが参加した上で力を持つ可能性は0ではないけども、
かなり低かったとしか言いようがないと思ってるよ
確かにあの時、幕閣の多くが文字通り混乱の極みにあったけども
肝心の将軍もやる気なしなので権力の背景なしの公議所は力持てなかっただろう
それに何より、新政府がしっかり慶喜追討の方針を早期に固めて東征軍をしっかり送り出してきたのだし

371 :名無し三等兵:2013/03/31(日) 00:11:45.39 ID:???
考えるんなら奇兵隊とかの連中じゃないかな
あいつら確か自発的だろ?そこの動機から考えれば蜂起の可能性も見えてくるのでは

372 :名無し三等兵:2013/03/31(日) 00:12:17.52 ID:???
自発的って志願兵って意味ね

373 :名無し三等兵:2013/03/31(日) 08:34:01.84 ID:???
奇兵隊と幕府歩兵隊って共に志願兵は志願兵なんだよな

ぶっちゃけていうとそりゃ確かに郷土を護らないとなどの思いから志願した人もいなくはない
でも、どっちかというと食べるため生きていくために志願した人が奇兵隊も幕府歩兵隊も多かった。
長州藩で奇兵隊員が集まったのは江戸や大坂といった当時の大都市から離れていて
出稼ぎ先が遠くて安定した仕事口が少なかったところだったというのが要因だからな。
だから、明治維新後に奇兵隊等の諸隊が解散になると早速元隊員は食うに困って
萩の乱とかを起こすことになる。

374 :名無し三等兵:2013/03/31(日) 08:41:14.18 ID:???
パリコミューンと比較するなら、むしろ幻の江戸攻防戦を考えるべきかも

パークス公使の一言が無かったら、東征軍は江戸総攻撃を行っていたろう。
東征軍は江戸の街を盾に市街戦を幕府軍が展開することをおそれ、全面放火するつもりだったし
勝海舟ら幕府軍も江戸市中を火の海にして抗戦するつもりだった。
もし、そうなったら江戸市民も東征軍と戦うしかなくなっていたろうし
大久保一翁や勝海舟といった幕府首脳陣、更に天璋院や和宮といった江戸城の住民も炎の中に消えて江戸は一大墓標になっていたかも。

375 :名無し三等兵:2013/03/31(日) 09:52:37.87 ID:???
昔、綱淵謙錠のエッセイで読んだ「天盃頂戴」の話を思い出す。

彰義隊のあとも、しばらく江戸の庶民には新政府軍への反感が残っていて、
いざこざが絶えなかったが、明治天皇の江戸入りだかにかこつけて各町内に
タダ酒を振舞ったら、「天盃頂戴」てんでお祭り騒ぎになったあげく、
とたんに江戸の庶民は新政府贔屓になったとか。

376 :名無し三等兵:2013/03/31(日) 09:56:30.10 ID:???
>>362
歩兵は威張るは乱暴するは金払い悪いはで町民とは犬猿の仲だったそうだが。

彰義隊の方が礼儀正しくて金離れが良かったから町民に好かれていたとか。

377 :名無し三等兵:2013/03/31(日) 10:33:58.78 ID:???
まぁ元々刺青者とかだからな

378 :名無し三等兵:2013/03/31(日) 11:07:20.60 ID:???
相楽総三とか三田の薩摩藩邸を根拠地にして伊牟田尚平や益満休之助と放火や、掠奪・暴行などの蛮行を繰り返してたからな。

今で言えば住吉会とか関東連合の奴がいきなり東京都の幹部に成るようなもんだよ。

379 :名無し三等兵:2013/03/31(日) 13:35:55.07 ID:???
>>373
奇兵隊の反乱(1869)と萩の乱(1876)は別もので、奇兵隊の乱は庶民出が多くて
萩の乱は士族中心ですね
>>378
薩摩工作隊や博徒も色々興味深い面々なので民兵隊列伝で紹介したいと思います

380 :名無し三等兵:2013/03/31(日) 14:34:28.00 ID:WypyQBqI
パリコミューンは1787年のフランス革命の夢よ再びという18世紀的革命ロマンで
行われたのだから19世紀後半においてすらカビの生えた古臭さがあり、求心力が無かった。

その証拠にパリコミューンは恐怖政治で支配を維持しようとするフランス革命と同じパターンになり、
内部の権力闘争による処刑を恐れた逃亡者が相次いで弱体化していく。
1972年の連合赤軍と同じだ。

381 :名無し三等兵:2013/03/31(日) 14:42:50.74 ID:WypyQBqI
パリコミューンは左翼の必然として内部の険悪な権力闘争で弱体化が宿命だったのだから、プロイセンは躊躇せず
パリを制圧してベルサイユまで進撃して、フランスを丸ごとぶんどるべきだった。

そうすればドイツが第一次大戦の西部戦線で苦労することは無かった。

382 :名無し三等兵:2013/03/31(日) 14:49:46.19 ID:WypyQBqI
パリコミューンの小型版として1960年代の日本の学生運動をあげられよう。

学生運動家達はこれまた左翼の宿命で陰謀やリンチで仲間を追い落とし、権力と資金と女を
独占しようと血眼になっていた。
それはしょせんヒトラーの小型版であった。
警察はこの内部分裂を見逃さず、若い高卒の機動隊を突入させ、放水、催涙ガス、警棒で
東大を壊滅させて制圧する。

383 :名無し三等兵:2013/03/31(日) 14:57:19.36 ID:???
与板藩(現新潟県長岡市与板町 ) 譜代井伊氏2万石
最後の藩主・井伊 直安(いい なおやす)1851〜1935
井伊直弼の四男として生まれ文久2年(1862年)養父死去により家督を継ぐ
第二次長州征討では本家井伊家に従って広島に出陣
戊辰戦争では2月まで江戸藩邸にあったがその後国入りし4月に高田で新政府軍に恭順、7000両を提供
4月5日京都御所警備に上洛、北陸道軍に従い5月14日出雲崎口に出兵
5月19日長岡城強襲作戦に船舶を提供
奥羽列藩同盟軍来襲の報に新政府軍に救援を求めるとともに金ヶ崎で会津軍先鋒と交戦
会津佐川隊・桑名軍・衝鋒隊らの前に新政府軍は撤退、この際に与板陣屋は炎上(自燃)
衝鋒隊(?)に藩金7000両を強奪される
6月まで与板攻防戦が続く
動員兵力166名 戦死5名負傷20名
戦後は教育を中心に復興を進め
廃藩後は兄・井伊直憲(元彦根藩主)と欧米を歴訪、貴族院議員を務めた
井伊直弼の息子は新たな時代を生きた

384 :名無し三等兵:2013/03/31(日) 19:17:40.76 ID:???
吉井藩(現群馬県高崎市吉井町)
最後の藩主・松平(鷹司)信謹(まつだいら のぶのり)1853〜1890
鳥羽伏見敗戦後、1月15日関東取締出役渋谷鷲郎は関東一帯の村々に農兵徴収を命じた
これに反発して上野・下野・武蔵の3国で大規模な世直し一揆が発生、吉井藩は一揆勢を殺傷するが激化を招き
2月22日吉井宿は打ち壊され吉井陣屋も包囲される、ここに一揆勢の要求(村役人の追放・徳政等)を全面的に受け入れ「降伏」した
高崎・安中両藩とともに旧幕臣小栗上野介追討に従軍
3月東山道軍に属し梁田戦争の後方警備 閏4月24日三国峠で会津軍と戦う
動員兵力243名 戦死2名
3月11日諸藩に対して共同で一揆の取締を命じるとともに新政府軍もこれを支援すると
3月末から4月にかけて一揆は沈静化に向かった

385 :名無し三等兵:2013/03/31(日) 19:21:55.15 ID:???
>>384
吉井藩 親藩松平氏1万石

386 :名無し三等兵:2013/03/31(日) 20:28:41.84 ID:???
一揆に降伏する藩か。これはもう情けないの弱小の極みだな。

松平といっても中の人は鷹司だしな。

387 :名無し三等兵:2013/03/31(日) 22:22:08.48 ID:???
萩野山中藩(現神奈川県厚木市中荻野)譜代大久保氏1万3000石
最後の藩主・大久保 教義(おおくぼ のりよし)1825〜1885
慶応3年(1867年)12月15日薩摩藩関東攪乱工作隊・相州勢30余名が
教義が甲府城の勤番のために留守であった山中陣屋を襲撃・焼き討ちする
(これらを契機に薩摩藩邸焼き討ちが起きる)
戊辰戦争後は新政府に恭順、3月東海道軍の人馬兵食賄方
5月21日箱根関所で遊撃隊・林軍と戦う
9月21日伊豆大場村に出張し警備、翌日撤兵
動員兵力25名 戦死3名負傷1名
東京移住後の教義は駿河台で印刷工場を経営した

388 :名無し三等兵:2013/04/01(月) 17:54:04.45 ID:???
>>384
松平姓から吉井姓に改めたその日にちょうど一揆おこり結局降伏とか
いろいろ運の悪い藩だね

389 :名無し三等兵:2013/04/01(月) 18:36:16.94 ID:???
福知山藩(現京都府福知山市) 譜代朽木氏3万2000石
最後の藩主・朽木為綱(くつき もりつな)1845〜1883
朽木氏は朽木元綱の折りに、信長を浅井長政の裏切りから救い、関ヶ原では大谷吉継に攻めかかり東軍勝利に繋がるも
その動向を咎められ家康に「そなたらのような小勢は草のようになびくしかない(から仕方ない)」と辱められる
末子の稙綱が3代将軍徳川家光の下で大名となり福知山藩を建てる
以後譜代大名としてあった福知山藩は慶応3年から大阪安治川の警備を担当していた
鳥羽伏見戦のさなか、たまたま上陸してきた薩摩藩士を捕らえ大阪奉行所に送った
山陰道鎮撫使・西園寺公望に恭順したが、この件を咎められ担当者は切腹・為綱は謹慎処分となり
福知山藩は新政府への忠誠を示すため白井武勇率いる一個小隊60名を出兵させた
7月越後口軍に属し柏崎へ、そこから新発田上陸作戦5番隊に属し25日海路新発田へ上陸した
新発田占領部隊から村上・庄内方面軍に編入され村上城二番乗りを果たす
萩島、佐々木を転戦し庄内・鶴岡城まで進軍、進駐し凱旋した
動員兵力60名 戦死2名負傷1名

390 :名無し三等兵:2013/04/01(月) 18:56:59.05 ID:???
三根山藩(現新潟市西蒲区峰岡) 譜代牧野氏1万1000石
藩主・牧野 忠泰(まきの ただひろ)1845〜1882
文久2年(1863)寄合旗本だった忠泰は新田分5000石を新たに打ち出し三根山藩として立藩した
慶応4年(1868年)戊辰戦争では本家長岡藩に合わせて奥羽越列藩同盟に参加したが出兵の動きは鈍く
新政府に恭順しようとするも庄内藩兵が三根山藩領内に侵攻、大砲を向けて威嚇した
野積・寺泊・出雲崎に同盟軍として半小隊を出兵させた
新潟に新政府軍が上陸し、新潟・長岡が陥落すると同盟軍は退却を開始、三根山藩兵は藩内へ帰還
忠泰と藩兵は新潟に出向き新政府軍に恭順した
忠泰は謹慎処分を受け、83名の藩兵を派遣して庄内藩と戦った
降伏後の働きにより500石減封に留まった
動員兵力83名 戦死1名負傷1名

明治3年(1870年)5月忠泰は本家長岡藩の窮状に心を痛め、米百俵を送った
長岡藩の大参事小林虎三郎は、贈られた米を藩士に分け与えず売却の上で学校設立の費用とした

同年、藩名が丹後の峰山藩と紛らわしいため嶺岡藩(みねおか)と改めさせられた

391 :名無し三等兵:2013/04/01(月) 23:17:47.84 ID:???
なんか読めば読むほど、薩摩藩ってのは、ロクなことしてねぇってのが判るな。
手段を選ばす、(下っ端のチンピラなら)犠牲も厭わず、勝つために平気で汚いマネをする。
恭順した者は最前線送り、勝った後も敵味方を粛正と、醜いったらありゃしない。
西郷隆盛の最後も、何だか自業自得に思えてきたぞ!?

392 :名無し三等兵:2013/04/02(火) 00:08:26.03 ID:???
楢山佐渡の気持ちがわかるな。

393 :名無し三等兵:2013/04/02(火) 08:23:16.30 ID:???
>>391
それくらい非情に徹しないと、革命なんて出来ないんだろ

394 :名無し三等兵:2013/04/02(火) 14:18:01.39 ID:/mWUsJpN
>>391
秦の始皇帝も徳川家康も生存中においては当時の体制を大きく変えた革命家だが、
冷酷非情で鬼のようなところはあった。

革命家にはいつの時代でもスターリンやポルポトの要素は必要になる

395 :名無し三等兵:2013/04/02(火) 14:33:02.74 ID:/mWUsJpN
秩父事件は田舎のヤクザや富農が中心であるため、パリコミューンや1960年代の学生運動
のような左翼インテリ中心のインテリ反乱とは質的に異なる。
参加したヤクザの最終学歴は寺子屋もしくは、寺子屋にすら行ってなかったはずだ。

秩父事件当時の埼玉は中世と大差ないド田舎だが、ド田舎の山林、畑、舗装されてない農道、寺子屋、神社の境内、草鞋で歩く行商人などから
生まれた土着のヤクザ革命運動であり、中世以来のヤクザ組織や百姓一揆の血をもろに引いていた。

作戦のまずさで秩父事件は敗北するが、特筆すべきは山林地域に強いド田舎民の特性を活かし、山岳地帯で蛇、いのしし、昆虫、山菜、岩魚、
などを採取しながら山岳ゲリラとして粘った明治期のグリーンベレーだったという点だ。

396 :名無し三等兵:2013/04/02(火) 14:38:31.37 ID:/mWUsJpN
明治維新というと「民主化を求めた志士たち」というイメージが大河ドラマなどで
作られているが、実際には明治維新の志士で権力側になった人間の多くは
「近代化には民主主義は邪魔だ」と考えて民主化を弾圧したのだし、明治期のブルジョワも
「労働者に民主化は不必要である」と考えたのだから、明治維新は封建制の枠内での近代化で
あったという見方も成り立つ。
それほど単純な図式では割り切れない歴史の真実を見るべきだろう。

397 :名無し三等兵:2013/04/02(火) 14:44:18.83 ID:/mWUsJpN
カールマルクスは「19世紀の世界はとんでも無いが、共産主義革命で
素晴らしい愛のユートピアができる」と夢想した。

しかし実際には共産主義革命では北朝鮮やキューバしかできなかった。

するとカールマルクスの夢想が間違いならば「19世紀のほうが共産主義革命よりマシだった」
という新しい歴史認識も成り立つ

398 :名無し三等兵:2013/04/02(火) 15:06:42.55 ID:???
>>395
誰も山岳ゲリラとして粘ってないぞ。妄想もいい加減にしろ。
秩父の養蚕農民の一部は横浜に絹布を売りに行く関係でかなり開けていたんだよ。
一味の中には書棚にフランスからの翻訳本を色々もっていたりした。法学とか。

399 :名無し三等兵:2013/04/02(火) 15:39:54.36 ID:/mWUsJpN
>>398
秩父事件の菊池寛平らは山中を歩いて長野や富山のあたりまで行って粘ってるだろよ。
それは長野のランボーと言っていいはずだ。

また君の意見では秩父事件はおフランス的インテリが中心だったということになるが、
様々な状況証拠から、それはありえないだろう。

400 :名無し三等兵:2013/04/02(火) 15:45:19.70 ID:/mWUsJpN
どうも「フランス革命は素晴らしい」と言いたい御仁がいるようである。

しかしフランス革命は狂気、堕落、利益対立、虐殺、放火、伝染病、外国の侵略などで
破綻したのが史実である。
ロシア革命もフランス革命の延長だが、これも失敗して1991年にソ連は消滅した。

401 :名無し三等兵:2013/04/02(火) 15:52:26.39 ID:/mWUsJpN
1968年に東京の大学を中心に結成された全共闘運動は明らかに
フランス革命やロシア革命のイデオロギーを連呼していた。

つまり1968年の東京の大学生は18世紀後半のパリや19世紀末のペテログラード
あたりの発想しかできない「頭が100年遅れた北京原人」だったのだ。

その理由は団塊の世代の知的教養の低さだけではなく、終戦直後の混乱や冷戦などが原因だろう。

402 :名無し三等兵:2013/04/02(火) 15:56:14.77 ID:???
軍板じゃ無くて、世界史板か日本近代史板で御高説を垂れてみたら?

403 :名無し三等兵:2013/04/02(火) 16:10:39.49 ID:/mWUsJpN
ナポレオン三世は普仏戦争に負けたので情けないイメージが付きまとってきたが、
内政や植民地経営に関しては卓越した先見性や感性を持っていたと再評価されている。

とくに内政に関しては金像を建てて称えてもいいぐらいの功績をナポレオン三世は持つ。
平和な時代なら最良の皇帝になれたという人物なんだろうな。

404 :名無し三等兵:2013/04/02(火) 16:13:50.47 ID:/mWUsJpN
>>402
普仏戦争は当時の世界史を紐解かないと語れない面がある。

それはちょうど戦後の冷戦をファントム戦闘機の性能だけでは語れないようなものだ。

405 :名無し三等兵:2013/04/02(火) 16:26:12.16 ID:???
菊池寛平の一行は長野に入って三日ぐらいで東馬瀬の戦いで四散してるよ。
富山?彼が逃亡の過程で富山に行ったかどうかは知らんが、それはゲリラ戦じゃない。
知ったかぶりはやめろ。

406 :名無し三等兵:2013/04/02(火) 18:41:24.92 ID:???
浅尾藩(現岡山県総社市) 外様蒔田氏1万石
藩主・蒔田 広孝(まいた ひろたか)1849〜1918
文久3年(1863年)寄合旗本だった広孝は江戸市中警護の功による禄高直しによって1万石の諸侯に列し定府大名となった
元治元年(1864年)京都見廻役に就任、200人の兵を率いて京都の警備を担い禁門の変にも出動した
慶応2年(1866年)4月12日第二奇兵隊を脱走した立石孫一郎らによって浅尾陣屋は焼き討ちされた
(立石孫一郎らは脱走・暴走とみなされ長州藩政府により捕縛・処刑された)
慶応4年(1868年)1月18日岡山藩とともに備中松山城を開城させた
慶応4年2月13日藩主が上洛し恭順した
動員兵力67名 死傷者なし

407 :名無し三等兵:2013/04/02(火) 18:48:33.96 ID:???
人吉藩(現熊本県人吉市)外様相良氏2万2000石
立藩時より藩内抗争が絶えなかった
文久2年(1862年)の大火により藩の武器庫を焼失、
復興には薩摩藩家老小松帯刀らの高配で5000両の借金が得られたことで一応の目処がたち
藩は松本了一郎を起用し軍制改革に乗り出した。松本の一派は佐幕であり洋学派と呼ばれた。
一方、藩の伝統である山鹿流を守ろうとする家老らは勤王派であった
洋学派が優勢となりオランダ式軍制への改革が進むなかで
これに反発した勤王派は了一郎ら洋学派やその家族十数名を上意討ちとして襲撃、藩政を取り戻した(丑歳騒動・1865年)
その後、山鹿流、オランダ式ともに廃止され薩摩藩より英式軍制が導入された
慶応4年5月駿府鎮撫使に属して江戸へ出兵 7月江戸市中、今市、日光口を警備 8月関山から若松へと進軍
動員兵力58名 戦死2名負傷4名

慶応元年(1865年)9月26日丑歳騒動で勤王派は就寝中の日野家を襲い
物頭二百石取りの当主佐一だけでなく長男貫蔵とその妻かの、さらにその三歳の娘やえの四名を斬殺した
生き残った佐一の妻は縁者から養子を取り、日野家をつないだ
この子供が後の日野式拳銃の開発者で、日本の航空界黎明期のパイロット(日本人初説もあり)の1人でもある日野熊蔵である

408 :名無し三等兵:2013/04/02(火) 21:24:05.79 ID:???
>>407
ウィキでみたけどこの藩は小藩なのに内部抗争がすごいね
藩主を鉄砲で暗殺するとか

409 :名無し三等兵:2013/04/02(火) 21:57:11.61 ID:???
>>408
毒殺を疑われる例は他藩でも少なくないんですけどね

小藩ネタはこれでおおかた出し尽くしました(小藩でもない藩もありましたが)
どこが「最強の小藩」の座に輝きますかね?w

410 :名無し三等兵:2013/04/02(火) 22:31:06.95 ID:???
>>407この人って日野自動車とは関係ないのかな?

411 :名無し三等兵:2013/04/02(火) 22:58:33.23 ID:???
>>410
日野自動車は前身の東京瓦斯電気工業からヂーゼル自動車工業(現・いすゞ自動車)が立ち上げられて
日野市にあった工場が戦時体制下でまた分離独立したのが発祥ですから日野熊蔵氏とは直接の関係はありませんね
熊蔵氏は研究・特許取得と資金難に明け暮れる一生を送ったそうです

412 :名無し三等兵:2013/04/02(火) 23:31:07.64 ID:???
>>409
乙でした

>>314の須坂藩に一票
逆に、最弱は喜連川藩になるのかなあ

413 :名無し三等兵:2013/04/03(水) 06:37:10.10 ID:???
>>409
お疲れさまです、本当に300諸公に歴史ありですね。

414 :名無し三等兵:2013/04/03(水) 07:47:38.27 ID:???
やはりパン好きのStraight Tiger藩主のHARAKIRIのインパクトにかなうものはないな。

415 :名無し三等兵:2013/04/03(水) 11:26:51.47 ID:0MKxFh8f
>>405
火縄銃は古い、スナイドル銃は新しいといった話だけでは退屈しないか?

俺がスパイシーでホットなネタを提供しないと退屈が蔓延するぞ

416 :名無し三等兵:2013/04/03(水) 11:48:15.02 ID:???
作りごとや想像過多な話は要らないんだ。

417 :名無し三等兵:2013/04/03(水) 13:18:37.69 ID:???
お前の話が軍事板で一番退屈だ。

418 :名無し三等兵:2013/04/03(水) 15:20:42.01 ID:???
小藩の話乙
幕末は対馬藩も中々波乱万丈だったな

>>391
まぁそう言いたくなるのは分かるが
>恭順した者は最前線送り
これについては、薩摩藩自身が常に最前線で働き続けてる訳で

419 :名無し三等兵:2013/04/03(水) 18:47:56.93 ID:???
薩摩藩にとっての小藩小隊は捨てガマリに使う置き捨ての足止め隊。

自分たちは後ろで釣り野伏せの準備。
しかし庄内藩には準備中に夜襲された。

420 :名無し三等兵:2013/04/03(水) 19:36:10.67 ID:???
糾合隊(きゅうごうたい)
慶応3年(1867年)11月29日薩摩藩関東攪乱工作部隊として派遣された竹内啓らが出流山(現栃木県出流町)満願寺に立てこもり、決起を呼び掛け
下野から永野村30人粕尾村20人を中心に若者が集まり、上州からは国定忠治の息子ら7人も参じ、合計160人の勤王の志士たちが糾合隊を結成
関東取締出役渋谷鷲郎は農兵を招集するとともに足利藩・佐野藩・真岡藩からの援軍と合わせ1200名の討伐部隊を率いて攻撃
12月13日には壊滅し78名の戦死・刑死者を出した、うち斬首55名
竹内啓(ひらく)も古河に逃れたところで捕えられ12月24日松戸で引き回しの上、処刑 享年四十
薩摩藩浪士を率いる相楽総三は報復に江戸の渋谷鷲郎の家族を皆殺しにした
渋谷鷲郎が官軍来襲に農兵を動員して対抗しようとしたのもこれらの経緯によると思われる(>>384

421 :名無し三等兵:2013/04/03(水) 20:17:02.07 ID:???
重要人物一人が暗殺されて、反論が一変。
倒幕に佐幕に揺れ動いた藩の多いことよ。

倒幕に早く舵を切りすぎてやられちまった久保田藩とか空気読めなくて駄目すぎ。
そして庄内藩は異様。

422 :名無し三等兵:2013/04/03(水) 20:22:52.47 ID:???
厚木荻野隊
慶応3年12月13日鯉淵四郎(水戸浪士・変名長州藩士海野次郎とも)以下七人の襲撃隊が薩摩藩邸を出発
12月15日厚木の渡しを越え厚木村(現神奈川県厚木市)到着、石井道三、山川市郎など合流、総勢三十数名となる
山中陣屋を襲撃・炎上(>>387
途中で軍資金・武具を調達(略奪)しつつ(梅沢董一=土方歳三の従弟も御用金を召し上げる)
12月17日内藤新宿(現東京都)到着、さらに三田の薩摩藩邸へ帰還(中途参加した博徒らは藩邸へは入れなかった)
12月25日薩摩藩邸焼き討ちに鯉淵四郎は薩摩艦・祥鳳丸に逃げ込み回天の追撃を振り切り神戸に到達
以後赤報隊に参加したものの消息は不明(処刑はされなかった模様)
石井道三、山川市郎らは自由民権運動にその名を見られる

423 :名無し三等兵:2013/04/03(水) 20:57:03.04 ID:???
上田隊
慶応3年12月14日上田務ら浪士4名が甲府城攻略を目指し甲州街道を西へ向かっていたが、この動きは旧幕府側の密偵により察知されていた
15日八王子宿壺伊勢屋に宿泊していた浪士一党に、江川代官所手代・増山建次郎は日野宿に道場を開く佐藤彦五郎らの助力を求め
切り込みをかけ浪士3人を討ち取り、2人を斬首した(増山勢も2人が死亡)
一人逃げ延びた上田務は慶応4年(1868)3月頃京都滞在中の江川家の手代に増山健次郎らの首級と八王子宿に残してきた資金・武具の返還を要求
江川家は増山を改名させ逃し賠償金を払い至談した
明治2年(1869)7月薩摩浪士隊指導者の一人であった伊牟田尚平が強盗容疑で逮捕・斬首され、上田も京都粟田口でさらし首の刑に処せられた

424 :名無し三等兵:2013/04/04(木) 19:19:26.75 ID:???
>>391
恭順した藩を最前線に送るのは戦国以来の習いだよ

425 :名無し三等兵:2013/04/05(金) 18:57:54.90 ID:???
ステガマリの薩摩は戦国以来、鬼畜な用兵で有名だからな。

426 :名無し三等兵:2013/04/05(金) 20:18:25.96 ID:???
新田官軍
新田郡下田島村を所領とする岩松家は120石ながら新田義貞の新田家の末裔を名乗り交代寄合旗本であった
ネズミよけの猫絵を発行しており「猫絵の殿様」とも呼ばれていた
文久3年(1863年)岩松 俊純(としずみ)1829〜1894は
桃井可堂(もものい かどう)が新田義貞の末裔を名乗る俊純を旗頭に尊王攘夷の兵を挙げようとするも幕府に密告・売り渡した
新政府東山道軍が近づくと56名を集め新田官軍を組織、世直し一揆の鎮圧にあたるとともに
元幕臣小栗忠順に叛意ありと東山道軍に密告し、小栗は斬首された
4月8日この功によって俊純改め満次郎は総督府から銃35丁と菊の章旗を授けられ正式に官軍として認められた
江戸に上るが博徒あがりの隊員らの素性の悪さなどもあって謹慎扱いとなり、一度は下田島村に帰還する
会津攻めの別働隊として上州戸倉口へ赴き、会津軍と戦う
8月江戸に帰還、市中の警備 10月明治天皇の東京行幸に沿道の警固役を務めた
その後、俊純は新田家嫡流を他家と争い続け明治16年華族に列せられた

427 :名無し三等兵:2013/04/05(金) 22:41:25.89 ID:???
やくざ率いていた奴が華族か…

428 :名無し三等兵:2013/04/05(金) 22:49:44.98 ID:???
>>425
そう意味では無く恭順した実を確かめるために
最前線送るのは島津以外でもふつう
北ノ庄の前田とか
それに武士としては前線送りは名誉だし

429 :名無し三等兵:2013/04/06(土) 06:23:37.32 ID:???
山国隊(やまぐにたい)
丹波国桑田郡山国郷(現京都市右京区京北)は太閤検地まで禁裏直轄の荘園であったが幕末期には
禁裏領・天台宗領・旗本領の三つに分けられ、宮座運営の困難さから名主たちは禁裏領のもとでの一括統治を求めていた
西園寺公望の勤王の募兵に応じて山国の名主たちは自弁で農兵隊を結成した
慶応4年1月11日山国神社に集結し出陣した 
1月18日 鳥取藩士伊王野治郎左衛門の仲介で岩倉具視により「山国隊」と名付けられ、因幡藩屋敷で合宿しつつ仏式調練に励んだ
2月13日 1個小隊(隊士28人客士2人)が東山道軍・鳥取藩「十三番隊」として京都を出陣した
3月3日 鳥取藩内参謀の河田左久馬が山国隊隊長を兼務することになった
3月6日 甲州勝沼の戦いに後軍先鋒として甲陽鎮撫隊と交戦、近藤勇を追い散らした
3月9日 今までのゲベール銃に換えて戦利品のミニエー銃20丁を付与される
3月19日 江戸に入り改めて仏式調練と軍楽教育を受ける 熊毛の陣笠を配布されその形状から「河童隊」とも呼ばれたという
4月17日 大鳥軍攻勢による宇都宮救援要請に河田左久馬の下で出陣
4月22日 野州安塚村で大鳥軍と交戦、戦死2名 負傷5名 行方不明1名の犠牲を払い大鳥軍を破る
閏4月25日 江戸に凱旋 錦旗の警衛を任せられる
5月15日 上野戦争に出陣 上野山王台に薩摩、熊本藩兵とともに決死隊として脇の崖をよじ登り一番乗りを果たす 戦死1名 負傷4名
6月28日 10名が奥州に向け出陣
7月3日 河田佐久馬改め河田景与の下に平潟上陸作戦第四陣として上陸
8月7日 奥羽鎮撫総督四条隆謌の下、相馬中村城に入城
9月12日 6名を江戸に帰す
10月21日 亘理城・仙台城に進駐後、4名で東京に帰還
11月5日 有栖川宮の下で錦旗を警衛しつつ東京出立
11月25日 京都凱旋

430 :名無し三等兵:2013/04/06(土) 06:24:55.79 ID:???
明治2年(1869)
2月18日 山国村へ帰郷凱旋
2月25日 山国神社で死者7名の招魂祭を行う

35名が出征 戦死4名 病死2名 重軽傷者多数(帰還後1名が高熱が元で死亡)

自弁の義勇兵であったため借金が7800両にものぼり(うち鳥取藩には996両)
借金返済の為に山林を売却、宮座も消滅した

その心意気は受け継がれ
現在も京都時代祭では山国隊が鼓笛隊を務めている
http://www.youtube.com/watch?v=ZdUCgHsnB9s


隊長だった藤野齋(ふじの いつき)は京都滞在中に娘義太夫・竹本弥奈吉との間に一子を設けており(非嫡出子)
この子がのちの日本映画の父である牧野 省三(まきの しょうぞう)である

431 :名無し三等兵:2013/04/06(土) 23:45:26.56 ID:???
マキノ!
意外な人の名前が出てきた

432 :名無し三等兵:2013/04/07(日) 12:31:13.68 ID:???
ゲベール銃で武装した山国村の農民に追い散らされるとは新撰組もたいしたことないな。
しかも上野山王台では崖よじ登って一番乗りだしな。

新田義貞の子孫が120石の猫絵好き旗本になってて、先祖の功績で華族になるのも哀しいんだかすごいんだか。

433 :名無し三等兵:2013/04/07(日) 14:14:47.57 ID:???
家康「家系図献上したら高家にしてやったんだが」

434 :名無し三等兵:2013/04/07(日) 16:57:29.20 ID:???
尾張藩・集義隊(しゅうぎたい)
津島の元力士で博徒の「北熊の実左衛門」は水戸天狗党偵察の任を藩よりうけ、その功によって苗字帯刀を許され「近藤実左衛門」と名乗り
名古屋随一の親分となる。
戊辰戦争に際して尾張藩では佐幕派とされた重臣多数が粛清される事態となっており(青松葉事件)、藩は民兵の募集で軍事力の補完を試みた
1月18日近藤義九郎は藩庁に出頭が命じられ、「勇敢決死ノ隊ヲ要ス」の命を受けた
2月10日 268名の名簿を提出、2月下旬50名を率いて名古屋に参集した
一方で清水次郎長一家と抗争を続けており、当時名古屋に滞在していた三河の博徒・「雲風の亀吉」も招集され「平井亀吉」の下86名が参集した
3月上旬名古屋大須大光院で「集義隊」結成
一番隊長平井亀吉 106名 二番隊長近藤義九郎 96名
5月17日北越出兵の命を受け名古屋出立
6月11日越後国古志郡吹谷村に到達、六十里越峠で戦う
9月1日二番隊分遣隊が加賀・高田藩兵とともに捕虜50名・武器多数を鹵獲する功績をあげる
一旦栃尾に引き返し新発田に進軍・滞陣
11月24日出羽に出陣するも平定の報を受け凱旋決まる
12月24日 名古屋凱旋 25日藩主親子に拝謁、慰労の言葉を受ける
隊規違反で処刑1名が確認されるが概ね規律は守られていた
帰還時隊員289名のうち戦功有之者207名

435 :名無し三等兵:2013/04/07(日) 16:59:26.22 ID:???
戦後も藩常備軍に編入され、京都・江戸藩邸警護、浦上キリシタンの名古屋護送任務などにつく
明治4年7月解隊 士籍を与えられていたものの平民扱いとなったため他隊とともに士族昇格運動を展開
明治11年戦功のあった隊員には士族籍が与えられた

近藤義九郎は興行撃剣開催を試みるも県に止められる 明治8年6月死去 享年42歳
平井亀吉は金魚の養殖をはじめつつ博徒も続け、清水次郎長一家と手打ちをした  明治26年3月死去 享年66歳
平井一家は現在も愛知県豊橋にあり6代目山口組2次団体である

436 :名無し三等兵:2013/04/07(日) 17:34:02.54 ID:???
雲風亀吉も相撲取り上がりだったな

次郎長に斬られた保下田の久六も

博徒と相撲取りは何かと縁があったな

437 :名無し三等兵:2013/04/07(日) 18:04:01.45 ID:???
>>435
訂正です、別人(赤松軍太夫)と混同してました

近藤実左衛門
明治17年の博徒大量検挙により名古屋刑務所に収監、22年出所 65歳
北熊一家は分離・独立した瀬戸一家と抗争を続けており
明治25年愛知郡上郷村秋葉山で双方数十人を繰り出して戦う
瀬戸側一名が即死 斬り捨てたのは実左衛門であったが
息子で自由党員・実業家の義九郎が奔走して時の衆議院議長でもあった星 亨(ほし とおる)らを弁護人に引き出し
実左衛門は無罪、子分が服役した
明治36年6月5日 朝まで木剣で素振りを行っていた実左衛門は突如死去した 享年79歳

438 :名無し三等兵:2013/04/07(日) 18:12:49.05 ID:???
>>436
「雲風」こと平井亀吉は番付では嘉永3年(1850)11月から6年2月までの6場所に登場し、
最高位は序二段相当の四段目19枚だそうです

地方興行は博徒が仕切らないとできませんでしたからね

439 :名無し三等兵:2013/04/07(日) 18:59:05.99 ID:???
>>438
興行物は元来ヤクザの本業のうちですからね。あとは人足。乱暴なくくりをすれば、一定の頭数の人間を動員する商売。

そういう意味では、軍隊と親和性があるのかも。

440 :名無し三等兵:2013/04/07(日) 19:14:19.76 ID:???
>>439
小泉進次郎の曽祖父で横須賀市長、逓信大臣、衆議院副議長などを歴任した
小泉又次郎ももともと横須賀の「人足請負業」で刺青者だったそうですからね

441 :名無し三等兵:2013/04/07(日) 19:24:19.46 ID:???
>>440
小泉元総理が派遣業界を拡大したのは血のなせる業だなw

442 :名無し三等兵:2013/04/07(日) 20:55:32.05 ID:???
というかこないだも力士が八百長賭博で大量解雇されたしな。

443 :名無し三等兵:2013/04/07(日) 20:59:59.15 ID:???
>>438
雲風亀吉の番付が残っているのは驚きです。やはり今の協会あたりに引き継がれているのでしょうか。

444 :名無し三等兵:2013/04/07(日) 21:02:07.76 ID:???
>>442
相撲に関してはいまだにズブズブな関係が続いてそうだ。はたして、財団法人として生き残れるのか。

445 :名無し三等兵:2013/04/07(日) 22:17:00.74 ID:???
>>443
最古の番付は元禄15年(1702年)の大坂堀江勧進相撲のもので
江戸相撲では宝暦7年(1757)の印刷された番付が現存しています
また歴史資料として国会図書館や古美術商にあるものも少なくないそうです
ttp://www.sumo-nishikie.jp/korinkai/
相撲協会では昭和2年(1927)の大日本相撲協会新番付制定以来のデータがあるようです

446 :名無し三等兵:2013/04/07(日) 22:49:16.60 ID:???
>>445
ありがとうございます。ちなみに、雲風亀吉の番付は江戸相撲のそれになりますか?

447 :名無し三等兵:2013/04/07(日) 22:55:11.61 ID:???
>>446
江戸に上がり元二段目(幕下)・小森野の清見潟又市(三代目)の門を叩いたそうですから
江戸相撲の方だったみたいですね

448 :名無し三等兵:2013/04/07(日) 23:05:02.57 ID:???
>>447
たびたびありがとうございました。ぺこり。

449 :名無し三等兵:2013/04/07(日) 23:40:31.09 ID:???
近藤実左衛門の弁護人を引き受けた星亨は左官の家に生まれ、父は失踪
母の再婚により星姓を名乗り、苦学の末渡英してイギリスの法廷弁護士資格を習得
司法省付属代言人(弁護士)第1号となった人ですが
東京市議会議長であった明治34年(1901)、伊庭想太郎により市庁参事会室内で刺殺されます
伊庭 想太郎(いば そうたろう)は遊撃隊を率いた隻腕剣士・伊庭八郎の弟です

450 :名無し三等兵:2013/04/08(月) 14:09:24.43 ID:???
伊庭八郎の戦歴見ると剣道の小手ってやっぱり実戦でも使えるんだって思うわ。

451 :名無し三等兵:2013/04/08(月) 14:16:17.17 ID:???
長州には大室寅之祐のいた力士隊という隊もあった。

452 :名無し三等兵:2013/04/08(月) 17:46:41.74 ID:???
某歴史マンガでどこまで本当か分からんが伊藤博文の幼馴染がうんたらとw

どこまで本当か分からんwww

453 :名無し三等兵:2013/04/08(月) 18:56:38.93 ID:???
>>451
なぜ力士隊で隊を率いてた伊藤博文が出てこないのか

454 :名無し三等兵:2013/04/08(月) 21:17:03.43 ID:???
長州力士隊
文久3年(1863)6月高杉晋作による奇兵隊結成を嚆矢として長州諸隊が結成されるなか、萩出身の年寄山分(5代目)勝五郎こと菊ヶ浜勝蔵は
江戸にあった長州藩お抱え、出入りの力士たちを率いて帰国、
7月7日藩主・毛利慶親より狭間筒(固定使用する重量級の火縄銃・150cm10k以上はある)を与えられ、草相撲の力士らも加え40〜50名で力士隊を結成
元治元年(1864)7月来島又兵衛率いる遊撃隊に属して上洛、途中力士隊は金剛棒を持ち鐘太鼓を打ち鳴らして行軍し都人を沸かしたという
7月19日遊撃隊は蛤御門へ突撃するも薩摩藩により又兵衛は狙撃され、力士隊が後送するも自害、力士隊も4名の戦死者を出す
帰国後恭順派と抗戦派が争う中、伊藤俊輔に率いられた力士隊は12月15日下関会所を襲撃、軍資金を調達する
ところが22日に萩政府から派遣された児玉久次郎(家老・児玉若狭の関係者か?)の説得により隊長の勝五郎以下29名が萩へ帰還
慶応元年(1865)1月6日よりはじまった正義党・俗論党の戦争では児玉若狭の下で大木津口で俗論党として戦い2名の戦死者を出す
下関に残っていた力士隊は1月15日、高杉らと共に大田に到着
正義党の勝利後、勝五郎は頭を丸めて隠れたのち、長州新政府に出頭謝罪、処刑論も出たものの隊名を「勇力隊」に変え、勝五郎も隊に留まった
慶応2年(1866)6月第二次長州征討では御楯隊の下で芸州口を担当、死者2名戦病死1名を出す
慶応3年の軍制改革で御楯隊は鴻城隊と合併し山田市之允(顕義)の下、整武隊となる
以後整武隊は鳥羽伏見から函館まで戦うことになるが勇力隊は埋没し戦歴は不明
隊は明治2年(1869)まで存続するも11月新たな兵制改革により諸隊は解隊された

菊ヶ浜勝蔵 http://www.city.hagi.lg.jp/furusato/network/pdf/200211.pdf

455 :名無し三等兵:2013/04/08(月) 23:58:14.34 ID:???
>>425
薩摩の扇動で出流山で挙兵した糾合隊は幕府軍への囮になる「玉砕組」を編成していて
11名が文字通り玉砕しています
>>432
甲陽鎮撫隊が持っていたミニエー銃は一説では勝海舟が餞別に持たせたそうですが
使いこなせていなかったみたいですね

456 :名無し三等兵:2013/04/09(火) 00:17:08.45 ID:???
新撰組が洋式調練やるようになったのは武田観柳斎の暗殺のちょっと前からのはずだから、
まともに調練やっていればもうちょっとマシな戦力になったはずなんだけどなぁ。

457 :名無し三等兵:2013/04/09(火) 01:17:23.57 ID:???
>>456
日常の警察業務が忙しすぎて緊急性の低い軍事調練にはなかなか時間割けなかったろ
近年は、新撰組も近代軍隊を志向していた〜みたいな論調ときどき見かけるけど、まあそのへんは中途半端で幹部が画策していただけっぽいよね

458 :名無し三等兵:2013/04/09(火) 01:46:06.69 ID:???
箱館戦争まで行くと普通の旧幕軍っぽくなるけど、面子がかなり入れ替わっていたのかなぁ。

あと、新撰組といっても、函館まで残った幹部は土方だけだし、その土方は新撰組のみならず
旧幕軍全体の陸軍奉行並だし。

459 :名無し三等兵:2013/04/09(火) 09:36:45.75 ID:???
玉砕組ってまさに薩摩のお家芸であるステガマリ部隊だな。あ〜やだやだ。

460 :名無し三等兵:2013/04/09(火) 12:08:35.95 ID:???
>>458
甲陽鎮撫隊がこけたあとで大規模な募兵をして、結局カンバンは新撰組だけど中身は別物になったんじゃなかったっけ

その再編成の過程で内輪揉めして古参隊士は四分五裂だったような

461 :名無し三等兵:2013/04/09(火) 12:12:49.88 ID:???
島田魁も思い出してあげて

俺も「北海道共和国」の指揮官ユニットで知った口だけど

462 :名無し三等兵:2013/04/09(火) 13:30:51.63 ID:???
>>461
自分は永倉新八を扱った小説で知ったよ。
池波正太郎の時代小説は細かい事を言わなければ面白いよなぁ

463 :名無し三等兵:2013/04/09(火) 19:09:04.15 ID:???
>狭間筒(固定使用する重量級の火縄銃・150cm10k以上はある)

なんか極初期のマスケット銃みたいだな
銃身の下にY型のつっかえ棒みたいなん当てて使う奴

464 :名無し三等兵:2013/04/09(火) 19:15:56.75 ID:???
斎藤一ら会津とともに戦うと主張する一派と土方歳三に従う一派に分裂して
斎藤一の会津新選組は白河攻防戦や母成峠の戦いに参戦、土方に従った隊士は数名で
大鳥軍では参謀という立場ですね、宇都宮城攻防戦で足を負傷した土方は3ヶ月あまりは会津で療養
会津の降伏に伴って抗戦派と恭順派に別れて仙台に向かった土方一派は榎本艦隊に合流
率いた部隊も主力は額兵隊などで新選組は戦力としては護衛部隊程度だったようですね

465 :名無し三等兵:2013/04/09(火) 19:46:46.78 ID:???
>>463
近所の市立博物館に九百目玉銃なるものが展示されてたよ

昔は年に一回実演で撃ってたけど、地震のあとはやってないな

466 :名無し三等兵:2013/04/09(火) 20:30:20.43 ID:???
帰順正気隊(きじゅんせいきたい)
甲斐国暮地村の豪農出身で玄武館で北辰一刀流を学んだ早川太郎は浪士組に参加し、一番隊山田官司組に所属
江戸に帰還の後、庄内藩預かり新徴組に参加した。伊東甲子太郎とも親交を持っていた。
慶応4(1868)年2月庄内藩に従って奥州に向かう新徴組と別れ、志士を集い尾張藩に投じ「帰順正気隊」を結成した
隊員は新選組から脱走した小沢宗司や後に宮内省剣道師範となる真貝虎雄ら36名
信州中野に進出した衝鋒隊追撃や北越戦争に参戦した
戦功者33名
解隊後は他の尾張草莽隊とともに士族編入運動を続けた

早川太郎は戦後暮地義信と改名、郷里の殖産興業に尽くした

真貝虎雄改め真貝忠篤(まがいただあつ)は尾張藩校・明倫堂の剣術師範となり撃剣興行にも加わる
警視庁、宮内省皇宮警察、学習院、慶應義塾の剣道師範を務め
明治41年(1908年)大日本武徳会から剣道家の最高位範士号を授与された
小手斬りが得意であったので「小手斬り真貝」、戊辰戦争中に梅毒に罹り鼻が欠けていたので「鼻欠け真貝」とも呼ばれた
大正9年(1920年)皇宮警察出勤の途中で倒れ、死去した 享年78歳

467 :名無し三等兵:2013/04/10(水) 19:46:15.77 ID:???
尾張草莽隊って実にわかりやすいネーミングだな。

士族編入運動とか武士コンプレックス丸出しでかっこ悪いけど。

468 :名無し三等兵:2013/04/10(水) 19:56:17.19 ID:???
>>467
すいません他の尾張藩草莽諸隊という意味で
具体的には「正気隊」「帰順正気隊」「集義隊」「磅薄隊」の4隊のことです
士族だと俸禄金がでるので名だけじゃなくて懐にも響いてくる問題でした

469 :名無し三等兵:2013/04/10(水) 20:01:37.30 ID:???
磅薄隊(ほうはくたい)
尾張国丹羽郡楽田村の豪農の生まれである松山省庵ら20名が連署して藩庁に草莽隊の結成・従軍を嘆願
隊員は公募し150名ばかりが集まった
「磅薄隊は武技に長じ胆力のある者だったら、誰でも隊士に加入させた。
博徒でも浮浪人でもよかった。従って中には乱暴者もいたりして隊の統率が仲々むつかしかった」小笠原長正「八代六郎伝」
慶応4年1月28日大須観音天寧寺を屯所とし磅薄隊(ほうはくたい)とした
隊名は文天祥の正気の歌「是氣所磅薄」(気が満ち溢れる)に拠る
駐屯中も尾張藩士と度々衝突し刃傷沙汰を引き起こしている(尾張藩剣術指南役第十七世柳生忠次郎を下駄で殴り倒し脇差を取り上げている)
東征大総督有栖川宮の護衛として京都に入り、衝鋒隊進出に信州に出撃、続いて北越戦線で戦い戦死者3名を出した
「一家」としてそれなりに統率の取れていた集義隊と違って規律は乱れがちで、多くの幹部・隊士が規律違反で処分を受けた
剣槍教範役武田屯、駿府滞在中酒食に溺れ隊務を疎かにした廉で斬首・さらし首
応接参謀浅見長之進、熱田の遊女屋に入り浸り帰隊しなかった廉で梟首
戦功者隊員174名中120名
尾張帰還後も藩常備軍となり明治2年(1869)末に発生した大規模な一揆「稲葉騒動」に出撃、実弾射撃で鎮圧した
明治4年解隊 他の草莽諸隊と共に士族昇格運動を続けた


後の海軍大将・八代六郎が加わっていたとの資料もあるが兄で参謀・一番隊隊長だった松山義根や隊長松山省庵(父・庄七か?)の事蹟と混同したものと思われる
松山義根(まつやま よしね)1841〜1894
松山庄七の長男、磅薄隊参謀 有栖川宮の護衛にあたり江戸城西の丸に入城
1872年楽田村に義校を設立・教鞭を執る(現愛知県立犬山高等学校)
1891年衆院議員当選

八代六郎(やしろ ろくろう)1860〜1930
松山庄七の三男。明治元年(1868年)水戸藩浪士・八代逸平の養子となる
日露戦争には「浅間」艦長として戦う
第19代海軍大臣として海軍改革を行う

470 :名無し三等兵:2013/04/10(水) 20:08:05.43 ID:???
正気隊・草薙隊
尾張藩の重臣・田宮如雲の呼びかけで東春日井郡の大庄屋・林金兵衛は草莽隊62名を組織した。京都警護にあたったのち田宮如雲の下で甲信地方の警護にあたった
美濃太田に駐屯中、同じく草莽部隊である正気隊と再編されたものと思われる。(もしくは草薙隊隊員は軍夫扱いだった可能性もある)
総勢241名となった隊は千賀信立指揮の尾張軍約1500名の一隊として北越戦線に出陣
長岡城攻防戦、会津若松城包囲戦を戦った 正気隊戦死者6名 軍夫戦死者10名
正気隊 戦功者79名 無之者43名 計122名
草薙隊 無之者 194名
帰還後藩常備軍に編入、明治2年12月3万人近くが決起した一揆、稲葉騒動鎮圧に出動
明治4年解隊 元正気隊隊士は士族編入運動を続けた

林金兵衛(はやし きんべえ)1825〜1881は春日井郡の地租改正反対運動を指導し福沢諭吉とも親交を結んだ
(慶應義塾維持資金のために三十円を寄付している)
明治13年(1880)2月5日に初代東春日井郡長に就任したが、翌年3月1日に死去した

471 :名無し三等兵:2013/04/10(水) 20:10:21.44 ID:???
尾張柳生も幕末にはこの体たらくか…

472 :名無し三等兵:2013/04/11(木) 09:05:12.42 ID:???
ホーウィッスル砲・ホイッスル砲の呼び方はこの頃から藩によって違っていたのかな

473 :名無し三等兵:2013/04/11(木) 13:58:54.18 ID:???
下駄・・・・

474 :名無し三等兵:2013/04/11(木) 18:49:24.05 ID:???
>>471>>473
一応、当時忠次郎は隠居の身で第十九世柳生厳周と長男の第二十世柳生厳長は宮内省済寧館へ出仕しています

・・でも藩校・明倫堂の剣術師範には柳生家からは登用者は出てませんし
>>466真貝忠篤は田宮流
大正10年(1910)には宮内省は新陰流の伝習の取りやめたそうですから
なにかあったのかもしれませんね

475 :名無し三等兵:2013/04/11(木) 19:33:07.73 ID:???
薩摩藩と大政奉還以前に国交を持った某国のキャラの話

          ,≠´、_, r‐t、 ` =- _
            /{ r )メ礁 { (_) }ュ    \
        /  >ニミ、~// ´{ {   く`iiii\
        /   } } , 亠ー--ヒ ニ_ー´乂,フヘ\
         /iiiii_屮 〆 アTナtュ_`ヽ,t_//_/\
        /└、'/ イ ハノ,へ_ソ刄 } ト、t<_,イシ,<彡>>
       /,=='/ イヒト‐!⌒' : : : : : :`千トiハ乂ヘ_ン/
        \イ//ヒ匁. . . .i`!. l . ..___i_.. : :ヒヒ_リ Xfー乃_
        Vト_ソ: : ::_:_」 ヽ`ヾ、ヾ_;__:;ヽ: ::ヒィ メ\ーノ あー忙しいな、ミ二エー銃や大砲の製造で 
       /l入i: : ::i :;;_l_    ,.rfニホヽ::lY, 元ソy<  でもなんで今年に入って沢山注文が増えのかな?    
       <ハtテ: :i' ハフ心     ゞヒソ''  ト ノ: :Yヽ:`i   あっそうだ、私の村に来た坂本さんって人の話だと     
         `ヒ小l 乂 弋ソ     " ,,,  ,イ:|: :; :i: : .ヽ\  長州藩って所に武器を…
        |: : :トt入 ,,   '      /: :从: ;: : l:: ゝ、:::_:ヽ あ、あんまり大きな声で言うのは…
        |lハ::V: : :>,    ャ_ .'   ィ: ヽ:〃:イ:: : ト、\: . `:`、
           |l `ヾ 彡:ゝミ. , _,  ´ |:: :彡/: :|: : .:}: ヽ::ヽ..`゙ー:ヽ
         `i 'y ´   `l;;t::ヒ|     'ト、::_: : /: : .:|:: : :ヾ: :i^ヽ.. :,\
      /|lliiiiy´     i;:;l_レ' ニユ   __`ラ: .: : l: : : ヽ: . |  i. : i\ヽ
    /  ヽk       `f   ー 、 ‐´ ノ:イ:: /`ヽiiヽ: l.ヾ  〉: .| ),'
         \_  ,ィ /        ` ̄´ !::イ ,  |llllハ: |ヽ::\イ:|

476 :名無し三等兵:2013/04/11(木) 19:40:29.00 ID:???
勇敢隊(ゆうかんたい)
乙丑の獄で多くの勤王派を粛清していた福岡藩は新政府に睨まれており戊辰戦争にあたって多くの将兵を各地に派遣していた
九州鎮撫総督・澤宣嘉は秋田戦線の膠着に対して九州諸藩に更なる動員を下した
兵員不足を補うため藩当局は
1 従軍した場合、苗字帯刀を許し(100日間に)15両を下賜する
2 2両までの前借りを許可する
3 凱旋の暁には、永代二人((三人)扶持を保証する
の条件で農町民を募兵
博多の侠客・大野仁平や大宰府天満宮の神官・三木隆助らの下数百名が応じ
(三木隆助・変名三木五六郎は隊を離れ各地で斡旋・従軍に駆け回ることになる)
藩砲術師範であった津田武右衛門に銃砲調練を受ける
150名まで絞られた勇敢隊は
8月8日銃手大頭・飯田孫左衛門を隊長とする337名の秋田派遣部隊に編入
8月17日福岡藩の蒸気船環濤丸(かんえいまる)に乗り込み出航
19日長崎着、澤為量副総督の下に参陣し同夜半出航
9月2日秋田船川港に入港、山道方面に出兵し
5日には雄物川(おものがわ)に展開し庄内藩兵と対峙した
8日庄内藩四番大隊と酒井玄蕃率いる二番大隊の約1000名が渡河作戦を敢行
新政府軍は刈和野まで退いた
10日椿台で戦闘、勇敢隊は2名が負傷(のち1名が死亡)
15〜16日刈和野攻防戦で淀川付近で4名が戦死(2名は勇敢隊)
18日庄内藩兵が退却を始める
23日庄内藩は降伏の使者を送り27日には停戦命令となるも命令が届かず
観音森の戦いで2名が戦死(1名は勇敢隊)
10月26日天童集結11月22日東京帰還
12月1日東京から九条道孝・沢為量を護衛して出発、16日京都着感状を受ける
兵庫で明治2年の正月を祝い1月20日福岡へ帰還した

477 :名無し三等兵:2013/04/11(木) 19:41:22.85 ID:???
帰還時に奏でられた行進曲は福岡の人々を沸かせたという
http://www.youtube.com/watch?v=TBUQvCsfMWU


三木隆助は鹿児島へ趣き新たな藩の兵制を調査・研究し、藩兵を2大隊30小隊に再編成した
勇敢隊も隊名は残したが後解隊された

三木隆助(1839〜1923)は後に小野隆助と改名し衆院議員を三期務めた、
日清戦争後、清国北洋艦隊旗艦「定遠」の部材を使って自邸に「定遠館」を建て、現在も太宰府天満宮の境内にある
(弾痕の残る装甲板が門扉に使われている)

大野仁平(1847〜1918)は秋田戦線で勇戦し「勇敢仁平」の異名をとった。激しい戦闘に躊躇する士族部隊を叱咤激励したり
飛んできた銃弾を歯で受け止めた逸話が残る
戦後は炭鉱経営・玄洋社にも関わり、多くの勇名を残した
母里太兵衛の末である母里家は仁平に千円の借金を申し込み家宝の『日本号』を差し出したところ
これは流石に受け取れないと互いに譲り合った末に、安川敬一郎の仲介で黒田家に贈ることとなった
後に黒田家より福岡市に寄贈され、現在は福岡市博物館の所蔵品として展示されている

478 :名無し三等兵:2013/04/12(金) 08:42:25.89 ID:???
まったく博多のヤクザが歯で銃弾受けとめてる奴がいるというのに柳生新陰流が下駄で殴り殺されるとは。

せめて手刀でがっしうちとかしてもらいたかった。

479 :名無し三等兵:2013/04/12(金) 09:41:56.72 ID:???
>>478
死んでないからw
それに福岡は維新前から修羅の国だったんだからあそこ基準でモノイウたらアカンw
玄洋社関係者とか修羅of修羅ですよw

480 :名無し三等兵:2013/04/12(金) 12:10:57.82 ID:???
そもそも武芸は「血筋」で相続するべきものではないと思うな

481 :名無し三等兵:2013/04/12(金) 12:50:14.51 ID:???
つーかどういう経緯で下駄で殴られて脇差奪われる事態に至ったのかわからんしな
喧嘩でもしてるところを止めに入ったら大勢に袋叩きにされたとかなら、ちょっと同情の余地が・・・
でも「あの」新陰流だしなあ・・・

482 :名無し三等兵:2013/04/12(金) 18:09:21.31 ID:???
癸亥丸(きがいまる)は、
幕末に長州藩が保有した西洋式軍艦。
下関戦争でアメリカ海軍と交戦して大破したが、
復旧されて長州征討に際しても幕府軍を迎え撃った。



本艦の前身は、1843年にイギリスで建造された商船
「ランリック」(Lanrick)である。
攘夷論を唱えて軍備増強を進める長州藩が、
1863年3月18日(文久3年1月29日)
に御用商人の佐藤貞次郎を介して購入
購入年の干支にちなんで「癸亥丸」と改名した。取得価格は2万ドルであった。
2本マストに横帆と縦帆を張った二檣ブリッグに分類される283トンの木造帆船。
蒸気船とする文献もある。もともとは商船であるが、
長州藩では10門の大砲(18斤砲2門・9斤砲8門)
を装備させて軍艦として扱った

483 :名無し三等兵:2013/04/12(金) 18:59:24.15 ID:???
>>478>>481
磅薄隊の者が伏見町辺で、尾張藩剣術指南役の隠居柳生忠次郎と喧嘩の上組み打ちとなった。
はじめは柳生先生が見事に磅薄隊員を投げたが、のちには柳生先生が脳天を下駄でしたたか叩かれたうえ
脇差まで取り上げられるという見苦しい惨敗ぶりであった 
小寺玉晁 名古屋市蓬佐文庫「戊辰雑記集」
尾州藩の戯作者・小寺玉晁の雑記録で、明治以降尾張徳川家が維新史資料編纂のために筆写・収集した資料のひとつ

喧嘩になって投げ飛ばしたのはいいものの下駄で反撃されたみたいですね・・(^^;

484 :名無し三等兵:2013/04/12(金) 19:38:33.66 ID:???
伊豆韮山代官江川 英龍(えがわ ひでたつ)1801〜1855は反射炉、種痘、西洋砲術など様々な技術の導入を図ったが
軍事用としてのパンにも注目しており、長崎のオランダ屋敷料理方の経験があり高島秋帆の従者をしていた作太郎の協力で
伊豆韮山の邸宅に窯を築き、天保13年(1842)4月12日兵糧パンを試作した
その後ジョン万次郎からアメリカ式の製法を、帰還のため帆船を建造していたロシア軍艦ディアナ号の乗務員から黒パンの製法も学んだという
長崎の医師柴田放庵は郷里水戸藩の役人萩信之助から兵糧になる西洋の保存食として「パン・ビスコイト製造」を習得し報告するよう依頼を受け
オランダ人から製法を学んだ。安政2年(1855年)にその製法書を送ったと方庵の日記に記されている2月28日は「ビスケットの日」である
安政6年(1859) 各藩でもパン製造が広まった
薩摩では島津斉彬が軍用パン(蒸餅)の製造を命じた
御軍用のため蒸餅数千個の製造を命ぜられ、軍用として御試蓄相成り二ヵ年も貯え置き虫付き相成らざるよう製造すべしとの御沙汰にて
種々製を異にし御貯え相成りたり 斉彬公言録
江戸の風月堂でも兵糧パンを焼かせた
長州では慶応2年(1866)軍用食として洋製麺麭備急餅の試作が行われた
小麦10袋 卵15斤 薪 職人代 銀4貫(65両) 170枚分 陶工大賀幾助により下関か防府で試験された模様
水戸藩ではドーナツ状の穴あきとして携帯に工夫されており兵糧丸と呼ばれた
文久3年(1863)の横浜外国人居留地の横浜新聞には外国人パン屋による軍用・航海用としてのパン・ビスケットの広告が出されていた
元治元年(1865)横須賀製鉄所でも仏顧問団向けにパンが焼かれていた(函館にも堅パン工房が作られたとあり脱走仏顧問団の指導か?)

パン業界は江川英龍をパン祖として4月12日は「パンの日」である
江川パン
ttp://yokosuka-reve.com/syashinn3.htm
備急餅、蒸餅、兵糧丸
ttp://kanpan.jp/us_4.html

485 :名無し三等兵:2013/04/12(金) 20:25:47.99 ID:???
戸田の造船資料館は田舎の公民館みたいな小さい施設だったけど濃密だったな

ディアナ号の模型とか

486 :名無し三等兵:2013/04/12(金) 20:56:04.41 ID:???
>>479玄洋社関係者とか修羅of修羅

其後明治十六七年頃であつた。柴四朗(東海散士・義和団の乱篭城司令官だった柴五郎の兄)が九州に来た事がある。
玄洋社は彼の為めに一夜の盛宴を水茶屋の常磐館に開いて居ると、隣の一室に勇悍仁平の一連が車座で飲で居る。
皿を叩く火鉢を叩く妨碍の音が噪々しくて堪まらない。其頃平岡は早く仁平等と消息を通じて居つたから、
静かにさせろと言ふてやつたをキツカケに、仁平等の一隊は「お酌をしまツしやう」と言ひ乍ら、此方の座敷に躍込んで来た。
無論喧嘩仕掛であるから、亡状無礼を極める。若手の血は煮えかへる。今しも来島恒喜が有合ふ燭台を持つが早いか、ウンと一声仁平を擲つた。
ト同時に常磐館の大酒宴場は鮮血淋漓たる一大修羅場と化し去つた。
今でも常磐館のおつね婆さんが涙ながらに来島と勇悍仁平との喧嘩の一節を語るのは此時の事ぢや 頭山満 談

来島恒喜はその後、大隈重信の条約改正案に反対し、玄洋社を退社。大隈を暗殺するべく、明治22年(1889)10月18日、外務省からの帰路にあった大隈に、
彼の乗る馬車へ洋傘に仕込んだ爆弾を投げつけ、右足切断の重傷を負わせた。来島は爆弾が炸裂すると同時に、その場で短刀で喉を突いて自害した

大隈は「爆裂弾を放りつけた者を憎い奴とは少しも思っていない。いやしくも外務大臣である我が輩に爆裂弾を食わせて世論を覆そうとした勇気は、
蛮勇であろうと何であろうと感心する。若い者はこせこせせず、天下を丸のみにするほどの元気がなければだめだ」と語った

かつて玄洋社と対立し、のち玄洋社の一派となった博多の侠客大野仁平が、酒席で何やら気勢を上げているのを咎めた進藤喜平太が、
ニコニコ笑いながら「やかましい、小便を引っかけるぞ」と言うと、大野仁平は「面白い」と言って刺青裸でその場に大の字になった。
周囲が色を失う中、進藤は平然と裾を捲って大野仁平の顔をめがけて放尿したという

頭山満 談  
「仁平は学問がないが理屈の早わかり、ハラワタきれい、すること道義にかない、人の世話をする、人がなびく、博多福岡の大問題はあれの手にかからねば片付かん」

487 :名無し三等兵:2013/04/12(金) 21:03:39.14 ID:???
玄洋社の資金源は炭鉱の収益だから筑豊最強かもな
神戸港の荷役業者束ねてその上がりで勢力を伸ばした山口組を彷彿とさせられる

488 :名無し三等兵:2013/04/13(土) 03:46:43.40 ID:???
>>479
福岡が修羅の国なのはその頃からの筋金入りかよw

489 :名無し三等兵:2013/04/13(土) 05:18:13.14 ID:???
>>488
893がKの言うこと聞かないのって北九州だけの伝統的現象だし
486とかもう無茶苦茶だが、時代が下って戦後になっても炭鉱利権と製鉄利権と港湾利権の三本立でなんか規格外の生物系が培養維持されちゃってるんだよねw

490 :名無し三等兵:2013/04/13(土) 08:18:12.74 ID:???
>>489
九州だけはシマは一代限りが暗黙のルールだからな
利権云々以前にあの戦闘性の強さには民族性の違いを感じる

だから九州の兵は強いのか

491 :名無し三等兵:2013/04/13(土) 08:54:55.60 ID:???
さすが熊襲と言ったところか……

>>484
目玉の人は日本で最初に炸裂弾自作した人でもあるんだっけ

492 :名無し三等兵:2013/04/13(土) 12:05:27.64 ID:???
戦闘民族は薩摩だけかと思ってら、他の地方もパネイナー

493 :名無し三等兵:2013/04/13(土) 12:46:26.69 ID:???
薩摩は上位下達の指揮系統は確立されたコスモの戦闘国家だが
福岡は私欲で修羅が相争うカオスの魔境

邪馬台国が北九州にあったとしたら、そりゃ魏志倭人伝にあるように際限もなく戦乱が続いたろうな〜となんか納得させられるw

494 :名無し三等兵:2013/04/13(土) 16:31:08.79 ID:???
肥後はモッコスの戦闘国家でな

495 :名無し三等兵:2013/04/13(土) 17:09:16.32 ID:???
九州は古代から戦乱が続いているイメージがあるが、それはおいといて
幕末の長州藩と九州諸藩(メインは小倉藩だが)との長州戦争でも
長州藩は小倉城まで攻め込んだが後始末に困ったというのは本当なのだろうか
小倉藩士の一部が徹底抗戦を主張して小倉藩全土が焦土と化し長州藩のものとなるまで
降伏しないと言い出して適当なところで講和しようとしていた長州藩は小倉藩全土が長州領と
なる講和条件を結んでは他の戦線でも同様のことが起こると困ったそうだけど。

496 :名無し三等兵:2013/04/13(土) 18:43:08.83 ID:???
薩英戦争(さつえいせんそう、
英語: Anglo-Satsuma War,Bombardment of Kagoshima,、
文久3年7月2日(1863年8月15日) - 7月4日(8月17日))は、
生麦事件の解決を迫るイギリス
(グレートブリテン及びアイルランド連合王国)
と薩摩藩の間で戦われた鹿児島湾における戦闘である。

鹿児島では「まえんはまいっさ」(前の浜戦)
と呼ばれる(城下町付近の海浜が前の浜と呼ばれていた)。
薩英戦争後の交渉が、英国が薩摩藩に接近する契機となった。

497 :名無し三等兵:2013/04/13(土) 19:39:17.86 ID:???
むしろ適当に講和すりゃいいとか考えが甘すぎるだろ。

498 :名無し三等兵:2013/04/13(土) 20:11:23.47 ID:???
>>497
70年ほど前のどこかの国も同じことをやっていた気が

499 :名無し三等兵:2013/04/13(土) 20:34:21.39 ID:???
>>495
小倉城を自焼したのち香春(かわら)に藩庁を移して一度は小倉城を奪還するぐらい抗戦
最後は藩士一同藩領から立ち退くとまで通知して、慶応三年正月講和
戊辰戦争では極度の財政難に苦しみながらも1000名あまりの出兵して秋田、越後、会津で戦う
のちに小沢武雄中将、奥保鞏元帥、小川又次大将など名将を輩出してますね

500 :名無し三等兵:2013/04/13(土) 22:42:51.70 ID:???
そう言えば、最近の小林よしのりは、頭山満を持ち上げてるな。
そうしたヤクザやテロリストこそ、戦前の日本を誤らせた一因だろうに。

501 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 16:47:46.82 ID:???
>>500
コヴぁの大元が結局そこに行き着く、そういう事だろ。
いわゆる「大陸派」って奴だよな。

502 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 17:07:07.39 ID:???
現在の右派の論客と仲が悪くなったから
過去の人物ダシにして自分の主張してるだけじゃないの

503 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 17:32:22.87 ID:???
しかし頭山満の師匠って福岡のオスカルみたいな奴だったんだよな。

504 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 18:51:18.43 ID:???
>>503
伝説の女傑、人参畑先生の高場乱(おさむ)ですね。
西南戦争時の福岡士族の悲喜劇は今度紹介します
>>502
スレから外れる話題ですが西部邁の影響を受けてますよ

505 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 19:02:25.10 ID:???
せっかくNHK大河ドラマで、八重の桜が放映中なことですし、その変は期待して待ってましょう。

しかし昔の『そんだけ氏』のように、ミリ板には、たまにクオリティの高い書き手が現れるもんだ。
戦車関連のスレッドにも、戦車砲と装甲について、随分と専門的な知識を披露してくれた人がいたなぁ……

506 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 20:41:05.31 ID:???
今の西部が右派の論客とかw

507 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 21:16:57.82 ID:???
北辰隊(ほくしんたい)
越後地方は小藩・所領が乱立しており、奥羽越列藩同盟成立にも各藩は新政府・同盟の勢力に動向定まらなかった
慶応4年6月6日米沢藩主上杉斉憲は自ら1000人余の兵を率い越後下関に到達、新発田藩主の溝口直正に出頭命令を出した(実質的人質)
新発田藩は江戸に400人余、同盟として形だけでも見附に500人、沼垂に200人派遣しており(米沢藩に督戦されていた)、手許に抗う兵力は残されていなかった
新発田藩家老・溝口半兵衛は庄屋達に工作させ、竹槍を持った領民数千人が直正の一行を囲んだ。直正は清水谷の別邸に入り9日まで滞在し、
領民に阻まれたとして上杉の下へ出頭せずに帰城した
「我が領民四方より馳せ集まりその数、数百千人。我が進軍を阻塞し、歎願して曰く、進軍するなかれ、官軍と戦うなかれ」『新発田藩戊辰始末』
領民の中に蒲原郡下興野新田(現豊栄市)の代々の庄屋の家系で陽明学徒、勤王家の遠藤七郎の姿があった。
自警団を組織し各村の警護を行っていた(衝鋒隊や脱走幕軍、水戸諸生党、会津軍などが出没し藩から金穀を巻き上げていた)
遠藤七郎らは7月25日に新政府軍が松ケ崎浜・大夫浜に上陸すると、義勇兵(富農ら)百数十名を率いて参陣を申し出て
長州藩干城隊参謀・奥平謙輔の指揮下となった
新潟港より多数の武器が流入していたためか民兵にも関わらず装備は極めて良好だったという
北越での新政府軍の嚮導を各地で務め、8月14日新発田赤谷口の戦いでは夜明け前の豪雨の中、会津軍遊撃隊らと壮絶な遭遇戦を展開し
戦死者4名、負傷3名を出し七郎自身も負傷した。会津側も遊撃隊長三宅小左衛門、力士隊長赤埴平八らが討死した
 平八は朝来衆敵を斬りその刀刃欠けて鋸歯のごとしと云う 遊撃隊日記、続国史略後篇
参謀兼民政方の奥平謙輔の指揮下で11月12日佐渡に渡って相川、夷、湊に別れ警備にあたり、さらに七郎ら幹部は佐渡北端弾崎の開拓も行った
功績が認められ11月には新政府に正式に取り立てられ、遠藤七郎が隊長として北辰隊の名称を授けられた
明治2年8月帰郷して葛塚(現豊栄市)に駐屯 明治3年2月上京し東京府第三遊軍に編成され東京警備に当たった(この時北辰隊179名)
5月待遇や仏式調練などに不満が高まり第三遊軍諸隊は幹部連名で帰郷を願い出て、9月には解隊、帰還した

508 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 21:17:19.46 ID:???
西部は元々は全学連幹部崩れだから、右って事はないんじゃないかなw

509 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 21:17:51.23 ID:???
今度紹介しますって・・・
全然マッタリ投稿してないじゃない
キチガイも去ったし、そろそろ別でやってくれ

510 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 21:18:21.89 ID:???
遠藤七郎(えんどうしちろう)1839〜1892
は終身5人扶持と一代苗字帯刀を許されていたが、士籍を返上し故郷の葛塚を離れ新潟へ転居した
後に奥平謙輔との交際により萩の乱への関与を疑われ拘束された
その後酒と詩を友として日本各地を放浪する
睡虎(すいこ)、甘雨、不如帰耕堂(ほととぎすこうどう)を名乗り多くの画と詩を残した
明治25年東京麻布で死去
当時の新聞記事に「維新の志士寓居で死亡」と報じられた

511 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 21:19:52.29 ID:???
コテつけてくれれば平和なんだけどねぇ

512 :名無し三等兵:2013/04/15(月) 00:17:11.86 ID:???
まったり行こう

513 :名無し三等兵:2013/04/15(月) 08:00:30.08 ID:???
あまりスレ細分化しても過疎るだけだからいいんじゃないですか。

514 :名無し三等兵:2013/04/15(月) 09:25:45.01 ID:???
別でやってくれいうなら別のネタ振ってくれよう。
別に幕末西南はすれちではないし。

515 :名無し三等兵:2013/04/15(月) 09:40:22.05 ID:???
wikiの雫石町にはわざわざ地元で徴集された農兵400人が長崎振遠隊と戦った事書いていて、
マタギの与吉が振遠隊の斥候隊長を狙撃して射殺したことまで書いてる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AB%E7%9F%B3%E7%94%BA

516 :名無し三等兵:2013/04/15(月) 15:36:34.22 ID:???
>>510
いいな…

517 :名無し三等兵:2013/04/15(月) 16:01:44.69 ID:???
明治大正のアジア主義者には、維新の志士と同じ香りがする

518 :名無し三等兵:2013/04/15(月) 16:04:24.48 ID:???
ロマンチックに語られがちだけど実態は血生臭い連中ということですか…

519 :名無し三等兵:2013/04/15(月) 16:35:48.52 ID:???
>>518
それ以外に
「口だけデカいが実務能力ゼロ」
って香りもぷんぷんするなw

520 :名無し三等兵:2013/04/15(月) 18:08:51.59 ID:???
大久保利通さんが刀の鯉口をキリました

まあ大久保が志士かっつうとあれだが、西郷も桂も実務能力(と陰謀能力)満点だろw
高杉は正直判断に困るがw

521 :名無し三等兵:2013/04/15(月) 19:02:51.91 ID:???
精忠組を主導してた大久保卿が志士に非ずとな

522 :名無し三等兵:2013/04/15(月) 20:47:35.06 ID:???
福岡党
筑前藩では乙丑の獄(>>476)を雪ぐために多くの兵を出したにも関わらず、明治4年(1871)の太政官札偽札偽造事件により黒田長知知藩事が免職されて閉門処分に
なるなど藩閥政府に対する不満が充満していた。
明治10年西郷隆盛蜂起の報を聞いた元福岡藩士の武部小四郎、越智彦四郎らはこれに呼応するため福岡士族850名を組織し、福岡県庁(旧福岡城)を襲撃する
計画を立てるが、官憲の厳しい監視のため(私塾が閉鎖され、三人以上の集会が禁じられていた)連絡の齟齬が目立ち
3月27日に決起したとき越智彦四郎軍で集合できたのは100〜150名、福岡監獄を襲撃して秋月の乱で收監されていた同志を救出したが、
福岡城襲撃は待ち構えていた鎮台兵によって撃退された
武部小四郎は住吉神社にあって越智軍の戦果を待つこととなっていたが、当日住吉神社に参陣できた同志は僅か二十余名に過ぎず、また越智軍からの合図たるべき火の手が、
福岡城とは相違する方面から上がったことから(民家に火を放って集結地点である大休山に引き揚げていた)、挙兵計画の失敗を悟り再挙を期して身を隠した
越智彦四郎率いる約150の兵は薩軍に合流するため南へ向かい、途中で轟警察署(鳥栖)を襲うがここでも失敗、熊本への進軍を断念し秋月の党と合流するため秋月に向う途中
旧御原郡乙隈村(乙隈)彼岸土居で昼食の為休息中、弾薬等を積んだ車数十輌が通過するのを見つけ、これを奪おうとした
警戒・捜索に当たっていた久留米の一個中隊と巡査隊六十名は、たまたま小倉から冷水峠を越え木葉(熊本県)へ向っていた広島鎮台一個中隊と連携してこれを挟み打ちとした。
福岡側は三十余名が戦死、潰走中に討ち取られた者、捕縛された者十名余、自首七名で、残りは秋月へ遁走し、ここに決起福岡士族隊は壊滅した
福岡の変と呼ばれる一連の戦いで討死自刃者五十二名、刑死者は越智彦四郎武部小四郎ら五人、四百二十人余が懲役刑をうけ獄死者四十一名など百三名の犠牲を出した

523 :名無し三等兵:2013/04/15(月) 21:29:14.76 ID:???
>>522
乙だけど変な改行してるから読みにくい
人のことは言えんが句読点打たないのが読みにくさ悪化させとる
なんかに書いたものコピペしてのミスか?

524 :名無し三等兵:2013/04/15(月) 21:32:10.04 ID:???
まあしょせんは掲示板だからしようがない。

525 :名無し三等兵:2013/04/15(月) 21:41:17.52 ID:???
武部小四郎の後輩の少年塾生たちも次々拘束されていた、これを聞き及んだ小四郎は福岡県庁に出頭、少年たちは蜂起に無関係だと弁護し
奈良原到ら少年塾生16名とは兵営内に在る別棟の獄舎に繋がれた
武部先生が、死を決して自分達を救いに御座ったものである事を皆、無言の裡に察知したのであった。
その翌日から、同じ獄舎に繋がれている少年達は、朝眼が醒めると直ぐに、その方向に向って礼拝した。「先生。お早よう御座います」と口の中で云っていたが
そのうちに武部先生が一切の罪を負って斬られさっしやる・・俺達はお蔭で助かる・・という事実がハッキリとわかると、流石に眠る者が一人もなくなった。
毎日毎晩、今か今かとその時機を待っているうちに或る朝の事、
霜の真白い、月の白い営庭の向うの獄舎へ提灯が近付いてゴトゴト人声がし始めたので、素破こそと皆決起して正座し、その方向に向って両手を支えた。
4・5人の人影が固まって向うの獄舎から出て来て広場の真中あたりまで来たと思うと、その中でも武部先生らしい一人がピッタリと立佇よって四方を見まわした。
少年達のいる獄舎の位置を心探しにしている様子であったが(見つけられず)、忽ち雄獅子の吼えるような颯爽たる声で、天も響けと絶叫した
「行くぞオオー−一一オオオ−−」
 健児社の健児16名。思わず獄舎の床に平伏して顔を上げ得なかった

「あれが先生の声の聞き納めじやったが、今でも骨の髄まで沁み透っていて、忘れようにも忘れられん。あの声は今日まで自分(わし)の臓俯(はらわた)の腐り止めになっておる。
貧乏というものは辛労(きつ)いもので、妻子が飢え死によるのを見ると気に入らん奴の世話にでもなりとうなるものじゃ。
藩閥の犬畜生にでも頭を下げに行かねば遣り切れんようになるものじゃが、そげな時に、あの月と霜に冴え渡った爽快な声を思い出すと、
腸がグルグルグルとデングリ返って来る。何もかも要らん『行くぞオ』という気もちになる。貧乏が愉快になって来る。先生・・・先生と思うてなあ・・・」

奈良原到少年の腸(はらわた)は、武部先生の叫びを聞いて以来、死ぬが死ぬまで腐らなかったのである。  夢野久作『近世快人伝』

526 :名無し三等兵:2013/04/15(月) 22:26:50.50 ID:???
>>520
西郷に実務能力?と思ったが
若いときは藩官僚として活躍していたわけだから当然だったな
なんか晩年のイメージが強すぎw

527 :名無し三等兵:2013/04/15(月) 22:45:33.03 ID:???
何しろお庭番だからな
晩年も金○さえ大きくならなければ……

528 :名無し三等兵:2013/04/16(火) 09:17:18.65 ID:???
まあ西郷や大久保が仕事できたのは八戸藩主の南部信順様と福岡藩主の黒田長博様の力なんですよ。

こいつらは南部と黒田には頭が上がらないネ。

529 :名無し三等兵:2013/04/16(火) 20:54:50.86 ID:???
赤松 小三郎(あかまつ こさぶろう)1831〜1867 幕末期の兵学者・数学者・蘭(英)学者・思想家
天保2年(1831)上田藩士の次男に生まれた小三郎は嘉永元年(1848) 江戸に遊学し高島秋帆の弟子であった幕臣・下曽根信敦に入門し
安政2年(1855) 長崎の幕府海軍伝習所で勝海舟らとともに語学、航海、測量術等を学んだ。
安政4年(1857)「新銃射放論」(蘭原書1855年刊行)を翻訳・刊行、日本で最初にミニエー銃を紹介した。

新銃射放論 http://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/toku/toku_bakuhyo04a.htm

横浜の英国士官の下で英語の研鑽に務め、慶応元年(1865)下曽根信敦のもとで「英国歩兵練法」(英1862年式歩兵操典)を刊行、散兵戦術を紹介した。
(この中で記された、軍楽隊の記述に登場する楽譜が、日本最初の五線譜印刷と言われている)
慶応2年(1866)京都に私塾「宇宙堂」を開き、英国式兵学を諸藩士(新選組隊士にも)に伝授した。
慶応3年(1867) 薩摩藩(京都藩邸)に招かれ英国歩兵練法を薩摩蔵版で改訂、薩摩藩は家中軍役をすべて施条銃へと切り替えた。
練兵も行い中村半次郎・村田新八・篠原国幹・野津鎮雄・野津道貫・黒木為驕E東郷平八郎・樺山資紀ら800人余りを鍛えた。
この間、山本覚馬の依頼で会津藩洋学校の顧問も務めている。
慶応3年5月17日松平春嶽に対して「御改正之一二端奉申上候口上書」という建白書を提出、上下二局の民主的議会制度の開設を求めた(「船中八策」の元ネタと言われる)。
慶応3年8月まで幕府・薩摩の衝突を回避しようと西郷隆盛と幕府の永井尚志の仲介を務めた。
慶応3年9月3日白昼故郷上田藩の招聘に応じて帰国しようとしていたところ、京都東洞院通りで「志士」2名によって襲撃・暗殺された。
金戒光明寺での葬儀には門下生であった多くの薩摩藩士が参列し、島津久光からは弔慰金300両がだされた。

530 :名無し三等兵:2013/04/16(火) 20:55:38.31 ID:???
明治39年(1906)5月東郷平八郎は日露戦争戦没者慰霊祭出席の帰途、上田に立ち寄り赤松の墓参を行った。
大正13年(1924)赤松 小三郎に従五位が追贈される、東郷平八郎は赤松顕彰碑の碑文を揮毫した。
大正14年(1925)上田出身で文部省維新史料編纂課にいた松尾茂は事件の真相を探ろうと元薩摩藩士・有馬藤太を訪ね
「大久保、西郷等が『赤松信州へ生還せしむるべからず』として桐野に密命を下したる」と聞き出した。

昭和47年(1972)中村半次郎(桐野利秋)の『京在日記』の散逸部分が発見され、実行犯が中村半次郎と田代五郎左衛門と確定した。

531 :名無し三等兵:2013/04/16(火) 22:44:29.34 ID:???
>>530
どうせヤラせたのは薩摩、と思ったら本当に薩摩だったw
あそこのえげつなさはパネエ

532 :名無し三等兵:2013/04/17(水) 09:22:48.99 ID:???
大久保や桐野、西郷の死に様は全く因果応報ということだな。

533 :名無し三等兵:2013/04/17(水) 23:32:30.78 ID:???
高野山義軍
イカルス号水夫暗殺事件によりイギリスに疑われたこともあり土佐藩の幕末の軍事的・政治的活動は遅れを生じていた。
中岡慎太郎亡きあと陸援隊を率いていた田中顕助(光顕)は慶応3年12月8日、公卿・鷲尾隆聚を奉じて大江卓、岩村高俊ら陸援隊残党数十名を
引き連れて京都より紀州高野山へ出立した。高野山に着くと、まず僧徒を説得し、
一方で紀州藩に対しては、高野山出兵は勅命によるもので、王政復古の令に従わない軽挙の輩を鎮撫するのが目的であると通達した。
16日には紀州藩から「高野出兵の理由はよくわかった」という返書が届いた。
勅書や鷲尾の檄が四方に発せられ、十津川郷士や志士が高野山に集り、20日頃には総勢300〜400名になり、22日には諸隊の編成をして陣容を整えた。
鳥羽伏見の戦いで敗れた幕兵が、紀州藩を頼って接近中の報を受け、紀見峠へ出撃、応其寺(橋本市)の門前で威嚇射撃をした(この時の銃痕は現在も同寺の山門に残されている)。
慶応4年1月帰京したときは1300名をこえていた。同軍は解散し、十津川郷士は御親兵となり、陸援隊士らは新政府軍に加わった。
義軍に参加していた朱雀操、三枝蓊は2月30日、イギリス公使パークスが明治天皇に謁見するため宿所を出たところを斬り込み英兵9人を負傷させるも
護衛の薩摩藩士中井弘と土佐藩参政後藤象二郎に切り倒され、晒し首とされた。)

田中顕助改め田中光顕は元老院議官や初代内閣書記官長、警視総監、学習院院長などの要職を歴任し伯爵となった。坂本龍馬と中岡慎太郎の顕彰に努めたが
高野山義軍は「紀州牽制という第一目的は完全に達することができた」「紀州をして指一本すらも動かすことを得せしめなかったのは、全く高野山義軍の功績」
と自賛している。

大江卓は後藤象二郎の次女を娶り、神奈川県参事として神奈川や横浜の発展に尽くした。明治10年(1877)土佐挙兵計画で収監され
入獄中に妻・小苗と引き離され、子供は福沢諭吉が引き取って育てた。

岩村高俊こと岩村精一郎は河井継之助との小千谷会談や佐賀の乱時の佐賀権令など歴史の要所に関わった。

534 :名無し三等兵:2013/04/19(金) 07:57:44.19 ID:???
後藤象二郎もなかなかやるんだな。おーい龍馬だとバカ扱いだけど。

535 :名無し三等兵:2013/04/19(金) 09:21:32.82 ID:???
後藤象二郎は維新後がアレなんで評価下がっちゃっているけど、
維新前は土佐藩の重鎮として活躍しているしねい。だからこそ
福澤諭吉は絶賛したわけだし。

536 :名無し三等兵:2013/04/19(金) 11:15:35.20 ID:???
岩村高俊は土佐藩士でなかったら唯の犯罪者で終わっていた男

537 :名無し三等兵:2013/04/19(金) 21:17:41.86 ID:???
振武軍(しんぶぐん)
慶応4年(1968)彰義隊を結成し頭取に就任した渋沢成一郎は、4月に慶喜が水戸に謹慎場所を移すと、今後の路線を巡って副頭取の天野八郎との対立から
命を狙われるまでになっていた。
4月28日渋沢成一郎とその同志らは武州西多摩郡に逃れた。江戸を脱出する際に渋沢は幕府(勝海舟か?)から多額の軍資金・小銃300挺・馬匹20匹を与えられており
多摩で募兵活動を行うも、ここを縄張りと考える土方歳三と衝突している。
「金で兵隊を引き抜くような汚い真似は即刻中止せよ」と云い、刀を引き寄せて恫喝し、その気迫は凄まじく、旅籠の障子が細かく震えたほどであった
江戸から呼び集めた同志や近隣の浪人・農民で300人あまりとなった一行は「振武軍」を名乗り、上野彰義隊との連携を試みていた。
5月15日夕刻頃、江戸に残してきた同志より
今暁六ツ、官軍三面ヨリ上野ヲ攻撃シ、既ニ巳ノ刻ニ至レド勝敗未ダ分タズシテ、戦イハ今ナオタケナハナリ との急報がはいった。
上野へ馳せ参じて彰義隊に加勢せんと出陣するも、一日で彰義隊が壊滅したとの報告が入り、一行は所沢を経て19日飯能(現埼玉県飯能市)へと入った。
上野から脱出してきた200余名と合流した振武軍は能仁寺を本陣として、農兵30名を出させ、望楼を築き、村人たちが祭りで花火を打ちあげるために作った
「花火筒」(木製の筒を竹たがですきまなく巻いたもの)を大砲に見せかけて配置するなど、応戦の準備をした。
大村益次郎は14日には川越藩主松平周防守に敗残兵討伐への出兵を命じていたが、
振武軍討伐へ福岡藩士尾江四郎左衛門を軍監に任じて、久留米藩・福岡藩・熊本藩・大村藩・佐土原藩が出陣した。総勢3000人ばかりとなった討伐軍は飯能を包囲し
5月22日午後振武軍の渋沢平九郎(渋沢栄一の養子)率いる斥侯隊と討伐軍の斥侯隊が衝突して銃撃戦がはじまった。
23日午後には能仁寺も砲撃・炎上し、渋沢成一郎ら100余名は逃走、捕縛50余名、死傷者多数となり振武軍は壊滅した。

渋沢平九郎(1847〜1868)は黒山村(埼玉県越生町)まで逃れ、ここで追手3人まで切り伏せたが、傷つき、傍らの大岩に座して切腹して果てた。

渋沢成一郎(1838〜1912)は逃走後も東北各地を転戦、箱館では小彰義隊頭取に就任し、北海道共和国降伏にともない投降した。戦後は実業家として成功した。

538 :名無し三等兵:2013/04/20(土) 20:01:26.14 ID:zDopyPoM
北海道共和国って夢があるなあ

539 :名無し三等兵:2013/04/21(日) 08:39:59.24 ID:???
幕末の小銃一覧に製造年が載っていたので、なんとなくWindowsに置き換えてみた

スナイドル:windows7
ミニエー:XP
ゲベール:98SE

540 :名無し三等兵:2013/04/21(日) 08:46:07.58 ID:???
弾丸の製作が難しいwindows7より陶器弾でも撃てるXPの方が実戦では使いやすいということか。

541 :名無し三等兵:2013/04/21(日) 08:59:59.05 ID:???
ヤーゲルはwinMEかー!!!

542 :名無し三等兵:2013/04/21(日) 10:18:20.84 ID:???
西南戦争あたりまでは遠距離銃撃戦では弾さえあればミニエーでも十分というのは田原坂でも証明されてるな。
近距離銃撃戦ではすぐに白兵戦に持ち込めるしな。

543 :名無し三等兵:2013/04/21(日) 20:49:51.95 ID:???
臼杵勤王隊(うすききんのうたい)
明治10年西南戦争で政府は熊本方面での戦闘を想定しており、大分方面の戦力は極めて弱体であった。
5月10日野村忍介率いる薩軍奇兵隊2500人あまりが豊後侵攻を開始した。竹田士族による報国隊約600名も加えた薩軍は大分各地で戦闘に入った。
5月19日奇兵隊が豊後(大分県)重岡まで進出したのを受けて、臼杵の旧士族たちは臼杵防衛の為に旧家老の稲葉頼を推戴して臼杵勤王隊を結成した。
隊員は785名、銃器は200余りしかなく残りの隊員は刀槍を装備した。(廃藩時の臼杵藩は士族860戸、卒族760戸)
大友宗麟が島津軍を撃退した臼杵城は廃藩置県で櫓を二つ残してほとんど取り壊されており、埋め立てにより陸続となっていた。
(「国崩し」は明治4年政府に供出され、現在は靖国神社遊就館入口に置かれている)
5月30日平田武雄三等少警部率いる豊後口警視隊徴募二番小隊120名が本営と定められた臼杵大橋寺に入った。
(半隊長として新選組「斎藤一」と言われる藤田五郎警部も加わっていた)
6月1日薩軍約1000名が臼杵城下に侵攻、臼杵隊・警視隊は市街戦を展開するも平田警部は撤退し、臼杵城は一日で薩軍の手に落ちた。
6月7日野津道貫大佐率いる政府軍4個大隊が軍艦「孟春」「日進」「浅間」の艦砲射撃下で反撃開始。
6月10日薩軍は撤退し、政府軍は臼杵城を奪還した。
一連の攻防で臼杵勤王隊は戦死者43名を出した。

戦後臼杵旧士族たちは第百十九国立銀行を立ち上げ、先鋒二番隊に所属していた三村君平は三菱財閥の金庫番とまで呼ばれた。

544 :名無し三等兵:2013/04/23(火) 10:39:32.20 ID:yt2lfj6R
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

545 :名無し三等兵:2013/04/27(土) 19:01:51.60 ID:9qvIPhpK
薩摩にも奇兵隊があったんだな。

546 :咲田☆真帆 ◆SAITAMAHo. :2013/04/27(土) 21:47:37.80 ID:??? ?2BP(1700)
JR埼京線・板橋駅前
http://a-draw.com/src/a-draw.com_5860.jpg
近藤の命日のあと、花がいつもより多い
http://a-draw.com/src/a-draw.com_5861.jpg

547 :名無し三等兵:2013/04/27(土) 22:01:57.63 ID:???
大分も戦場になったんだな。

548 :名無し三等兵:2013/04/27(土) 22:52:53.96 ID:???
新撰組に斬られた相撲取りも追悼しよう(良心)

549 :名無し三等兵:2013/04/28(日) 12:02:31.65 ID:???
意外とこの時代って太平天国とか李鴻章のワイ軍とか常勝軍とか黒旗軍も面白い。

550 :名無し三等兵:2013/04/28(日) 12:39:34.73 ID:???
熊本城包囲から撤退して、城東会戦でも敗れたあと、部隊再編で名称も改めたそうです。
奇兵隊以外にも、干城隊や正義隊なんかも編成してますね。
なんか末期のナチスドイツ軍も名称だけは強そうになってたような・・

551 :名無し三等兵:2013/04/28(日) 12:45:17.73 ID:???
>>550
張付け師団や特攻隊にも通じるところはあるな
あとは「振武集団」とか

552 :名無し三等兵:2013/04/28(日) 12:49:18.15 ID:???
>>549
曾国藩は名将として名高かったというな。
山梨勝之進さんが講義の題材にしていたような。
でも、事績を知ろうにも日本語の本が…

553 :名無し三等兵:2013/04/28(日) 17:32:57.57 ID:???
李鴻章記念館?にはワイ軍の編成表の看板があるようだ。
http://densho3362.in.coocan.jp/070617.htm

554 :咲田☆真帆 ◆SAITAMAHo. :2013/04/28(日) 20:41:43.43 ID:??? ?2BP(1700)
八重の桜 長崎からの贈り物
ttp://folderman.in/s/foi-43394.jpg
ttp://folderman.in/s/foi-43395.jpg

555 :名無し三等兵:2013/04/29(月) 01:35:10.53 ID:???
スペンサー銃を薩摩は10000丁も入手できたのか?佐賀や幕府伝習隊でも1000丁単位だろう
その割にはあまり戦勝時に使った記録を見かけない気もするけど、結局、連発では使えなかったと言うことかね

だとすると最新式はツンナール(ドライゼ)か、シャスポーと言うことになるのかね。

556 :名無し三等兵:2013/04/29(月) 03:02:09.62 ID:???
連発で使っても
あの大げさなレバーは銃を持つ手を持ち替えるくらいじゃないと動かせない
その手間を考えたら1発ずつ打つのとあまり変わらないw

縦方向のチューブ型弾倉は、重心の変化が大きく射手を悩ませた

557 :名無し三等兵:2013/04/29(月) 07:48:42.11 ID:???
レバー式連発銃なら、やっぱりヘンリー銃の方がいいな。

558 :名無し三等兵:2013/04/29(月) 11:51:59.66 ID:???
スペンサーはそもそも射程が短かったような

559 :名無し三等兵:2013/04/29(月) 18:19:13.38 ID:hThjr99f
>>558
スペンサーは南北戦争終結でほとんどが護身用カービンに
されてもた…

560 :名無し三等兵:2013/04/29(月) 21:30:34.01 ID:???
センターファイア実用化以前の連発銃だからまあしょうがないわな。

561 :名無し三等兵:2013/04/29(月) 22:01:42.66 ID:???
スペンサー銃のリムファイア式金属薬莢は国内生産できずに100パーセント輸入に頼っていたので、
秋田の佐賀藩兵は弾薬を節約するように言われていたらしい。
http://blog.goo.ne.jp/sieg1945/e/c926de0aa5514ccbd3aed167edc06519

陶器弾と紙包みでも撃てるエンフィールドはこういう点では便利だな。

562 :名無し三等兵:2013/04/30(火) 02:22:26.01 ID:???
当時の工業技術だと、どうしても精度が甘くなるので、スペンサー・カービンも、ツッコミや排莢不良が多発したそうだ。
なので、熟練した兵士ほど、落ち着いて一発ずつ装填するようにしていたとのこと。

またスペンサー・カービンに限らず、輸入品の薬莢は、長い船旅で、湿気てる事も多々あった。
村田銃など、国産化が急がれた理由でもある。

563 :名無し三等兵:2013/04/30(火) 08:32:31.76 ID:???
理想的には遠距離銃撃戦では射撃速度遅いけど射程が長くて弾薬自作できるエンフィールド使って、
近距離の緊急火力にはスペンサー使うのがいいだろうな。

564 :名無し三等兵:2013/04/30(火) 08:41:58.90 ID:???
近距離は多数ぶちまけ、遠距離は精密射撃

今なら近距離はミニガンかサブマシンガン、遠距離はアサルトライフル

565 :名無し三等兵:2013/04/30(火) 12:02:01.79 ID:jLQD8DmC
>>563
薩摩藩はスナイドルだけどね

566 :名無し三等兵:2013/04/30(火) 12:10:45.17 ID:???
ゲティスバーグ会戦の初日、北軍第一軍団の到着までの時間稼ぎをしたビュフォード騎兵師団は、半数以上の騎兵大隊がスペンサーカービンを装備。
その火力で南軍の頭を押さえる事が出来たと。
ビュフォードは乗馬術に劣る北軍騎兵に乗馬歩兵としての活路を見出だそうとしていたのが良い方向に出たと言われていますね。

同じゲティスバーグでも3日目、カスターのミシガン州義勇騎兵旅団が南軍騎兵旅団の抜刀突撃を受けた際、全員がスペンサーカービンかバーンサイドカービンと言った連発または後装銃を装備していたにも関わらず同じ抜刀突撃で応え、これを撃退していますが・・・
まぁ、時と場合によると。

567 :名無し三等兵:2013/04/30(火) 12:34:34.18 ID:jLQD8DmC
>>566
薩摩藩はオール歩兵ドクトリンだけどね戦国時代から

568 :名無し三等兵:2013/04/30(火) 13:12:24.81 ID:???
騎兵は突撃スピード速いからいくら連発でも小銃騎銃だけじゃ苦しいな。
秋山騎兵団みたいにホ式機関砲使うとか、赤軍みたいにタチャンカ使うとか。

569 :名無し三等兵:2013/04/30(火) 16:56:29.17 ID:jLQD8DmC
>>568
騎兵が銃使うってほぼ積んでるだろ戦況…

騎兵は突撃あるのみ

日露戦争が例外

570 :名無し三等兵:2013/04/30(火) 20:54:34.32 ID:???
カラコール戦術とかが流行った時代もあった気が

571 :名無し三等兵:2013/05/01(水) 08:34:47.95 ID:???
ミシガン州義勇騎兵旅団が南軍騎兵旅団の抜刀突撃を受けたときは距離的にとか方向的に余裕がなかったんだろうな。
視界が良くて遠距離から銃撃できれば阻止できるが、森林や丘陵の陰から奇襲されたら銃撃する余裕がない。

572 :名無し三等兵:2013/05/01(水) 12:27:47.96 ID:???
>>569
少しは騎兵の歴史について調べたらどうだ?
竜騎兵や、フランスの猟騎兵は、本質は乗馬歩兵で、戦闘前後の移動時のみ馬の高速を生かし、
戦闘時は下馬して小銃で撃ち合うのが基本
フランスで騎兵戦術を学んだ秋山好古は、この猟騎兵戦術を日本騎兵に取り入れたので、
日露戦争での秋山支隊の戦い方は、むしろ教科書通りのオーソドックスなものだ

573 :名無し三等兵:2013/05/01(水) 13:48:13.54 ID:???
土鍋復活か?>>572相手にするな

574 :名無し三等兵:2013/05/01(水) 15:06:11.15 ID:???
>>573
土鍋って何?

575 :名無し三等兵:2013/05/01(水) 16:05:09.24 ID:???
土鍋なら上げるだろ

576 :名無し三等兵:2013/05/01(水) 17:47:47.29 ID:???
>>574
ログ嫁

>>575
土鍋なら電波を連レスするしね。

577 :名無し三等兵:2013/05/01(水) 18:24:51.79 ID:???
>>574
元々はチャンバラスレで「鉄は貴重品だった=だから土鍋が使われていた」と「自説」を
主張し続けていた電波で現在は八重の桜軍事分析スレで電波な番組批評を連投してるみたい
このスレに登場した電波も当初主張が似てたので「土鍋」と呼ばれているけど別人みたい

578 :名無し三等兵:2013/05/01(水) 23:30:29.00 ID:???
凌霜隊(りょうそうたい )
郡上藩(現岐阜県郡上市)青山氏は徳川譜代大名であったが藩主幸宜は新政府に帰順するために上京した。
一方で江戸藩邸では江戸家老朝比奈藤兵衛以下佐幕派が優勢であり、江戸詰め藩士と本藩からの脱藩者らを
旧幕臣河野綱翁や会津藩士服部武太郎の支援で、旧幕府陸軍伝習隊の下で調練を受けさせていた。
慶応4年(1868)4月10日嫡男朝比奈茂吉(当時17歳)を隊長とする47名で凌霜隊を結成した。
隊名の由来は「葉菊はよく霜を凌ぐ」で、困難に打ち勝つことである。(郡上青山家の家紋は葉菊)
主武器はスペンサー銃、予備にスナイドル銃を装備した。
本藩を慮り全員無届け脱藩扱いとして江戸屋敷を出立、大鳥圭介軍に合流を果たし、4月16日小山の戦い、23日宇都宮城攻略戦に参加した。
5月19日から三ヶ月間塩原温泉(現栃木県那須塩原市)で守備任務(休養)に就く。
8月22日新政府軍が侵攻の動きを見せたとして、会津藩は塩原駐留軍に一帯を焼き払って撤退するように命じた。
凌霜隊の面々は世話になった塩原を焼くのが忍びなく、宿屋を掃除・解体して誤魔化した。

『和泉屋、丸屋、凌霜隊ニテ手伝ヒ家ヲ崩スコト三日ニテ、根太取リハヅシケルユエ大悦ビ也』「心苦雑記」

塩原の妙雲寺も天井の菊の紋章に筆で×印を着けただけで済ました。(現在もこのあとが残っている)
日光口より進撃してきた新政府軍に対して凌霜隊は殿を引受け、スペンサー銃を駆使して横川、大内、大内峠、関山を転戦した。
9月6日会津若松城に入城、白虎士中一番隊・二番隊の残存部隊で再編された白虎隊と共に開城の日まで西出丸を守り抜いた。
戊辰戦争を通じての戦死者8名・行方不明者2名

579 :名無し三等兵:2013/05/01(水) 23:31:55.15 ID:???
会津降伏後は郡上藩に護送され、脱藩・抗戦者として入牢・死罪を言い渡されたが、妙雲寺の住職が京都の本山妙心寺へ凌霜隊の誠意を報告しており
郡上にある末寺の慈恩寺から助命嘆願運動が郡上内の寺々に宗派を越えて広がっていった。
明治3年2月釈放されるも脱藩扱いだった隊員への視線は厳しく、多くの隊員が故郷を離れた。
朝比奈藤兵衛は自害、茂吉は藤兵衛の実家である彦根井伊家の椋原家の養子となり、後に滋賀県犬上郡青波村の村長を務めた。
明治27年死去、享年四十三歳 今際の言葉は「凌霜隊、白虎隊・・・」だったと言われる。

580 :名無し三等兵:2013/05/02(木) 19:46:14.19 ID:???
本願寺隊
東西に分裂した本願寺のうち、西本願寺は戦国期の石山包囲網救援の歴史から親毛利(長州)の気風が強かった(東本願寺は親徳川)。
そのため幕末期も勤王の姿勢をとり、監視も兼ねて新選組の駐屯地にもされている。
西本願寺20世宗主広如は朝廷に献金を重ねる一方で、寺侍・松井中務の下で寺侍や武術に長けた僧侶ら約380名から成る「本願寺隊」を組織した。
師範役は後に紀州藩の軍制改革を担う北畠道龍で、寺内に設けられた武道演習場で刀槍の訓練に励んでいた。
鳥羽伏見の戦いが始まると手薄になった御所の警護を命じられ、広如門主、徳如新門、明如新々門自らが本願寺隊を率いて紫宸殿の守りに就いた。
明治天皇はの大阪行幸護衛も務めた本願寺隊は順次拡大していき、自派の寺より1名ずつ若者を出させ、砲兵隊と歩兵隊に組織し訓練を施した。
帰命隊・帰命無量隊などと呼ばれ、延べ37800余人が動員された。
この実績もあって真宗は廃仏毀釈運動に屈せず更に拡大していくことになる。

581 :名無し三等兵:2013/05/02(木) 20:03:38.99 ID:???
凌霜隊といえば、幕末を彩る怪作ボードゲーム「北海道共和国」にも登場していた覚えが
本当に何もかも懐かしいです。

582 :名無し三等兵:2013/05/03(金) 12:44:52.39 ID:???
>>572
そういえばズールー戦争を描写した映画(タイトル忘れた)でも
イギリス軍の騎兵隊は交戦する際、馬を下りて遮蔽物に隠れながら射撃してたのを思い出した
騎兵で敵歩兵の大群を蹂躙なんて出来るのは戦国無双の世界だけやったんや・・・

583 :名無し三等兵:2013/05/03(金) 13:28:08.13 ID:???
いや騎兵隊は別に密集した歩兵の大群を蹂躙する必要はない。

バラバラになって戦場後方を往復している輜重輸卒を襲撃蹂躙すれば密集した歩兵の大群はすぐに飢える。
七年戦争のオルミュッツでのラウドンのやり方だ。
北アフリカのイギリス戦車でいえば巡航戦車だ。迂回して補給路を絶つのがイギリス騎兵。

584 : [―{}@{}@{}-] 名無し三等兵:2013/05/03(金) 16:26:20.39 ID:???
ポーランドのユサールがロシア歩兵やトルコの歩兵を蹂躙してなかったっけ?
ロシア歩兵との戦闘は正面からだったような。

585 :名無し三等兵:2013/05/03(金) 16:27:14.34 ID:???
射撃か白兵か、決戦兵科か支援兵科か・・・結局は戦況如何じゃないかな?
何れに重きを置いていたかって差は有るだろうけど、18ー19世紀の騎兵って結構融通が利く兵科な気がする。

アウステルリッツでのフランス竜騎兵は、抜刀突撃に参加した連隊も有れば、村内の掃討の為に徒歩で突入した連隊も。
もともと竜騎兵は、そう言う兵科だけど、ナポレオンの胸甲騎兵でさえ徒歩戦用の靴とゲートルかが支給されていたし。

アイラウやドレスデンの様に騎兵が抜刀突撃で歩兵の大群を蹂躙した戦いも有れば、ワーテルローの様に失敗した戦いも。

586 :名無し三等兵:2013/05/03(金) 16:42:21.43 ID:???
>>584
時代が古くね
それ戦列以前だろ

587 :名無し三等兵:2013/05/03(金) 20:21:15.04 ID:???
イギリス騎兵の決定的な正面乗馬突撃・中央突破成功例といえばマールバラ公が指揮したブレンハイムの戦いだな。

しかしこのときのフランス軍は左右両翼に偏っていたから、正面・中央がむしろ手薄だった。
ワーテルローも乗馬突撃もネイのつもりでは、砲撃に耐えられなくて退却中の歩兵へ突撃したつもりだった。

588 :名無し三等兵:2013/05/05(日) 19:55:51.74 ID:???
イギリス騎兵の最期の栄光となったのが
確かこの頃のクリミア戦争におけるバラクラヴァの戦いだったっけ
重騎兵旅団500人余りが5倍以上のロシア騎兵に突撃し潰走させたよな

589 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2013/05/05(日) 20:23:01.33 ID:??? ?2BP(1700)
今週の八重
ttp://folderman.exp.jp/s/fn-659.jpg

590 :名無し三等兵:2013/05/05(日) 20:31:49.32 ID:???
>>588
>確かこの頃のクリミア戦争におけるバラクラヴァの戦いだったっけ
>重騎兵旅団500人余りが5倍以上のロシア騎兵に突撃し潰走させたよ

バラクラヴァの戦いというと、重騎兵旅団の突撃とは別のカーディガン伯爵率いる軽騎兵旅団の無謀な突撃の方が有名だね

591 :名無し三等兵:2013/05/05(日) 23:14:51.27 ID:???
ロシアの騎兵ってコサックやらでポーランドや中央アジア、中国で小競り合いしてて歴戦で強いってわけでないのね

592 :名無し三等兵:2013/05/06(月) 09:33:07.89 ID:???
いやフリードリッヒ大王相手にも戦ってるし、ナポレオン相手にも戦ってる。
ベルリンもパリも占領してる。

593 :名無し三等兵:2013/05/06(月) 15:48:28.07 ID:???
兵科としての騎兵は、それこそ紀元前から、世界中で使われているわけで
(南北アメリカとオセアニアや各地の離島を除く)
国や時代により、内容にかなりの差があるんだよな
むしろ、同時代の同じ国ですら

594 :名無し三等兵:2013/05/09(木) 19:10:33.57 ID:???
小ケレルマン「才能がある将校でないと(騎兵を使い熟すのは)難しい」
ネイ「そうだよ」(便乗)

>>570
それって動きがとろい重騎兵には非常に有効だが、
対歩兵になると弾幕投射量でも射撃速度でも無いよりマシレベルの射撃精度でも敵わないから
即座に廃れたって聞いた気がする

>>580
近代型僧兵・・・?

595 :名無し三等兵:2013/05/10(金) 06:33:18.54 ID:???
>>594
難しいのではなく用途が少なくなって無駄に損耗する機会が激減している環境で常備していたからなー。

何度壊滅しても再建が容易な兵科が消耗戦化総力戦化している世情にマッチしていったということだろう。

596 :名無し三等兵:2013/05/10(金) 06:43:16.81 ID:???
まあ革命前の君主戦争時代は歩兵連隊でも編成するのが大変だったわけだけど。

アメリカ民兵だってシュトイベンやラファイエットが行く前はまともに銃列組めなかったし。
左右を射撃に熟練した古参兵で固めて中央に新兵集めるのは上手いやり方だった。

597 :名無し三等兵:2013/05/10(金) 06:59:24.87 ID:???
>>594
>小ケレルマン「才能がある将校でないと(騎兵を使い熟すのは)難しい」
>ネイ「そうだよ」(便乗)

ネイさんあんた騎兵使うの失敗してたやろw

598 :名無し三等兵:2013/05/10(金) 08:31:13.15 ID:???
ネイ「だってワーテルローのときの英軍は実際、ボクたちの野砲に砲撃されて、
丘の向こうに退却したんだよ。こりゃあ突撃のチャンスだと思ったんよ。」

599 :名無し三等兵:2013/05/10(金) 08:36:38.79 ID:???
三方が原で徳川家康が馬上でウンコもらしながら必死に逃げたことを考えると、
時機を得た騎兵の追撃というのはやはり恐ろしい。

600 :名無し三等兵:2013/05/10(金) 09:32:18.92 ID:???
追ってくる奴の方が確実に足が速いってのは相当な重圧だもんな

601 :名無し三等兵:2013/05/10(金) 10:47:04.89 ID:???
関係ないがツール・ド・フランスのような耐久レースでは自転車を降りずに小用を足すのは結構あることらしい。
普通は先頭グループのトップが道の脇に寄ると、その仲間や競っていたチームの連中も
その機会に道端で下車して一斉に用をたす。テレビは決してそのシーンは放映しない。

しかし後尾の方の選手は自分一人で停止して用足しすることはできない。グループから2分でも遅れると
再び追いつくのは至難の業だから。そんな時はダウンヒルで走りながらパンツの前を下げて垂れるらしい。
時には大も。

602 :名無し三等兵:2013/05/10(金) 11:02:45.50 ID:???
>>594
小ケレルマンw
せめてケレルマンJr.と。
何だかんだで親父より活躍している気もするし。

>>597
ネイは旧王政時代のユサール連隊に入隊し、革命初期には下士官に昇進しているんですよね。
前衛や後衛任務が得意だったのは、その影響?

ネイのワーテルローでの騎兵突撃で不思議なのは、相手が方陣を組んでいると判った後も騎馬砲兵を随伴しなかった事。
騎兵師団所属の騎馬砲兵バッテリーまで、ナポレオンのグランドバッテリーに摘出されていたのかな?

603 :名無し三等兵:2013/05/10(金) 13:18:11.05 ID:???
もう敵味方グッチャグチャに入り組んでたから騎砲の砲撃で方陣崩すには遅かったんじゃないか?

604 :名無し三等兵:2013/05/10(金) 20:09:13.22 ID:???
騎兵が突撃を仕掛けた後で砲撃を翔けると味方うちのリスクが無視できないと思う。

605 :名無し三等兵:2013/05/10(金) 20:40:09.38 ID:???
>>599
家康「あれは焼き味噌じゃ」

606 :名無し三等兵:2013/05/11(土) 22:31:13.91 ID:3GIALwGa
>>603
味方ごと吹っ飛ばせばおk

607 :名無し三等兵:2013/05/12(日) 10:02:03.66 ID:???
つーか司令官が斬り込んじゃってるからなあ。

608 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2013/05/12(日) 20:30:28.52 ID:??? ?2BP(1700)
今週の大河
ttp://folderman.exp.jp/s/fn-1235.jpg

609 :名無し三等兵:2013/05/13(月) 11:43:32.80 ID:???
>>607
この時代は仕方が無いかもね。
司令官、指揮官先頭は。
ボロジノでもフランス軍の将官(元帥含む)の死傷者数は40名近かった筈だし。

特に、ワーテルロー戦役でのネイは軍団を持っていなかったから、正に戦闘要員。
カトル・ブラみたいに、方面の全軍を任されていた時は自重しているし・・・
自重し過ぎた?

610 :名無し三等兵:2013/05/13(月) 13:51:20.76 ID:???
やっぱりナポレオンが昼寝してたのがよくなかったな。

611 :名無し三等兵:2013/05/13(月) 15:40:45.45 ID:???
>>609
>自重し過ぎた?
半島戦争のトラウマの所為でな。
自重しなければ普通に勝ってる。

612 :名無し三等兵:2013/05/17(金) 20:14:26.84 ID:???
ネイの代わりにダヴーが指揮していればな。
ダヴーは陸軍大臣としてパリにいたんだっけ?
本当に惜しいことをした

613 :名無し三等兵:2013/05/18(土) 03:46:26.08 ID:???
うむ、ダヴーだったらな。

614 :名無し三等兵:2013/05/18(土) 19:15:26.72 ID:???
あげ

615 :名無し三等兵:2013/05/18(土) 19:16:38.50 ID:???
兵器の先進性が互角だったとしても普仏戦争の結果は変わらなかった?

616 :名無し三等兵:2013/05/18(土) 19:30:51.13 ID:???
>>615
武器(少なくとも小銃は)そのものはフランスのほうが優れていてああなった訳だし、多少の優劣じや変わんないんじゃい?

617 :名無し三等兵:2013/05/18(土) 19:57:12.92 ID:???
むしろナポレオン三世が先に失脚して、レオン・ガンベッタが首相だったら、
モルトケでも簡単に勝てなかったかもな。

ガンベッタはプロイセン軍に包囲されても気球で脱出するし。

618 :名無し三等兵:2013/05/18(土) 21:11:17.15 ID:???
http://en.wikipedia.org/wiki/C64_%28field_gun%29
プロイセン軍が使っていた野砲?
ドイツ語版だともっと書かれてるんだけどドイツ語わからん・・・・

619 :名無し三等兵:2013/05/18(土) 21:34:30.36 ID:???
普仏戦争は戦略的状況からフランス側に勝算は薄かったからな。
ナポレオン3世自身は開戦に消極的だった。
デンマークとの緊張が高まった際にデンマークに味方していれば
普墺戦争時にオーストリアに味方していれば
気が付けばフランスは世界の孤児になっていたからな。
ナポレオン3世の外交失策が招いたものとはいえ
破滅的な普仏戦争に突き進まざるを得なかったのを見るとき
昭和16年の日本を見るような気がすることがある。

620 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2013/05/19(日) 20:31:13.82 ID:??? ?2BP(1700)
今週の八重
ttp://folderman.exp.jp/s/fn-1779.jpg
ttp://folderman.exp.jp/s/fn-1780.jpg
ttp://folderman.exp.jp/s/fn-1781.jpg
ttp://folderman.exp.jp/s/fn-1782.jpg

621 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2013/05/19(日) 20:35:31.65 ID:??? ?2BP(1700)
鳥羽伏見 準備中
ttp://folderman.exp.jp/s/fn-1789.jpg
ttp://folderman.exp.jp/s/fn-1790.jpg

622 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2013/05/19(日) 20:45:40.66 ID:??? ?2BP(1700)
次週予告
ttp://folderman.exp.jp/s/fn-1802.jpg
ttp://folderman.exp.jp/s/fn-1803.jpg

623 :名無し三等兵:2013/05/19(日) 20:46:38.34 ID:???
幕府はなっちょらんと言いながら正面から槍入れするのはどうよって回だった

624 :名無し三等兵:2013/05/19(日) 20:52:26.68 ID:???
>>623
会津側も行軍すれば薩長は逃げていくだろと考えていたのか、
それともガチでやりあう気だったのか、いまいちわからんのが
鳥羽伏見だからなぁ。

625 :名無し三等兵:2013/05/19(日) 20:56:30.31 ID:???
銃の性能: 薩長 > 幕府
銃の数 : 薩長 > 幕府

射撃戦ではジリープアー ? 槍入れ
の流れは分かる。

幕府側は数の暴力で押し込めればワンチャン
でも、会津だけで突っ込んではいかんでしょ?

626 :名無し三等兵:2013/05/19(日) 21:03:46.37 ID:???
立射胸壁の構築をしなせえ。

627 :名無し三等兵:2013/05/19(日) 21:12:01.56 ID:???
3倍法則は面でぶつかった時限定だ

横から周り込めよorz

628 :名無し三等兵:2013/05/19(日) 21:34:05.74 ID:???
開戦前は街道筋で向かい合っていたし、開戦後はやられっぱなしで、
側面にまわるどころじゃなかったんじゃない?

弾痕を見ても、幕軍は一方的にやられていたようだとのことだし。
http://bakumatu.727.net/shiseki/shiseki-kyoto-fusimi.htm

629 :名無し三等兵:2013/05/19(日) 22:04:17.79 ID:???
鳥羽伏見の戦いについていうと
大山柏(大山巌元帥の息子)が鳥羽伏見の戦いに参戦した当事者に聴取する等して
まとめたものでも銃の性能、量とも幕府側が優勢だったとされているはず。

結局、鳥羽伏見の戦いの問題点は、京都を目指す幕府側に明確な全軍の司令官がおらず
幕府軍が京都を目指せば戦わずして薩長側は退くという楽観的な見通しから行動してしまったこと。
そのために薩長側が覚悟を固めて射撃を開始したとき、慌てふためいて混乱し敗北してしまった。
徳川慶喜が腹をくくって幕府軍の総指揮をとっていたら薩長側は敗北したろう。

630 :名無し三等兵:2013/05/19(日) 22:43:15.75 ID:???
>徳川慶喜が腹をくくって幕府軍の総指揮をとっていたら

徳川慶喜には指揮能力がないと思う

>薩長側は敗北したろう

西郷はそれも織り込み済み。帝を擁して京都を捨てる計画もあった。

631 :名無し三等兵:2013/05/19(日) 23:12:42.47 ID:???
>>630
薩長が京都で敗れ、帝を擁して西国に逃れたとしても勢いと正統性を失って
安徳天皇のようにいずれ立ち枯れるだけだとおもうがな

そうなった場合、徳川が内戦の収拾と日本の近代化を主導するわけだが
明治政府ほどうまくいかないだろうなあ…

632 :名無し三等兵:2013/05/19(日) 23:23:01.07 ID:???
>>631
いや。覚悟ということだよ。

633 :名無し三等兵:2013/05/20(月) 00:07:02.52 ID:???
将軍様が無能のヘタレでも従わなきゃいけないのが幕府という組織の限界だからね、仕方ないね

634 :名無し三等兵:2013/05/20(月) 00:37:22.83 ID:???
今週の戦闘シーンは葡萄弾ぶっ放してたか

635 :名無し三等兵:2013/05/20(月) 08:04:54.41 ID:???
開戦前に官兵衛(だったかな)が鳥羽伏見街道だけでなく多方面から京都に攻め上るべきだといってたけど、
実際そうした方が幕府に有利だったのかな。
だとしたら幕府側は勝つための必要な施策をとらず、曖昧な態度が敗北を招いたように思える。

636 :名無し三等兵:2013/05/20(月) 09:31:05.61 ID:???
つまりだな、幕府はすでに上意下達の野戦軍集団から
責任回避、責任転嫁最優先の保身第一世襲官僚集団になってたわけで。

637 :名無し三等兵:2013/05/20(月) 09:35:47.20 ID:???
>>635
大軍で包囲すれば敵は戦わずに瓦解する という予断がある時点で。
予断や油断は大軍の敗北する理由のほとんど。

638 :名無し三等兵:2013/05/20(月) 16:47:39.71 ID:jjGfBU5X!
慶喜が直々に出陣しても、その下の参謀クラスが無能なんだからどうしようもないでしょ
士気は上がるだろうが、伏見の戦いとか特に士気が低かったから負けたって訳でもないし

639 :名無し三等兵:2013/05/20(月) 22:53:12.94 ID:???
幕府側の及び腰の理由が玉を握られてることにあるなら、孝明天皇崩御の段階で既に結果は決まっていたのだろうか。

640 :名無し三等兵:2013/05/20(月) 23:13:57.46 ID:???
孝明天皇が崩御しても若年の新天皇と公家では何もできまいと
侮ったのが運の尽き

641 :名無し三等兵:2013/05/21(火) 01:39:12.92 ID:???
>>640
まさか岩倉具視みたいなバケモノが現れるとはねい…

642 :名無し三等兵:2013/05/21(火) 13:04:56.18 ID:???
狭い小路で向かい合って、射程の長い銃と射程の短い銃を撃ち合ったら
長い方が勝つ

狭い小路で向かい合って、A軍が3倍の人員で射程の短い銃と、B軍が人員は少ないが射程の長い銃なら
B軍の装填時間がよほど長過ぎでもなければB軍が勝つ
あと弾切れだとアウト

A軍が3倍の人員で装填時間が3倍の銃と、B軍が人員は少ないが装填時間も短い銃ならイーブン???
というか、前線あたり死亡率が同じだからA軍が生き残るね
但し無煙火薬の場合w

じゃあ広いところで、A軍が3倍の人員で、鶴翼の陣形に近い形で塹壕のような障壁を上手く作って攻めて行って
B軍が射程の長い銃で、扇形の頂点に留まったまま迎え撃ったら?
A軍に勝機が出るって訳かなあ?

江戸時代の和算は厳密性において色々問題がありつつもテクニカルな問題を解くだけなら十分発展していたし
蘭学者と算術師と兵法研究家が組み合わさってそういう議論も日本各地で行っていたんじゃと思うわけだが
幕府側には、それだけの議論をする時間、あるいはそれに明るい人材を持ってくる余裕が
第二次長州征伐以降に無かったって事なんだろうなあ

643 :名無し三等兵:2013/05/21(火) 18:52:06.71 ID:???
見事な擬似科学だな。

644 :名無し三等兵:2013/05/22(水) 14:45:02.23 ID:???
>>642
交戦距離が射程の短い銃の射程内なら?
てか、南北戦争でさえ射撃戦の平均距離はスムースボア・マスケットの射程内だったし。

645 :名無し三等兵:2013/05/22(水) 20:40:24.30 ID:???
>>642
あんまかんけーねえな
頑張って褒められて報酬を貰える方が勝つ

646 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 01:00:22.92 ID:???
>>642
塹壕を作りながら攻撃というのは何年も戦争が続けられる前提なのか?

それに小道で打ち合うなら暴露しない道以外へ散開して戦うだろう。

似非科学とは言い得て妙。

647 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 01:42:44.87 ID:AdZXszvs!
まぁケースバイケースとしか言い様がなくね?

鳥羽伏見だと、伏見の戦いでは薩長どっちかの兵が畳立てて簡易胸壁(しかも縦深だっけ?)にしたり
旧幕府歩兵隊の工兵が酒樽陣地作ったりしてたね
当時は塹壕っつってもクッソ浅かったらしいけど

648 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 06:42:01.41 ID:???
幕府陸軍は顧問団直伝だからちょっと他と性格が違っちゃっているよね。

649 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 08:09:02.31 ID:???
塹壕は大変過ぎる
土のう俵で陣地でも作るか?

でも昔の人がいくら力強かったといっても土のう俵を担いで移動するのは容易ではない
抱えて運んでいる間にも撃たれるし

650 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 08:14:57.85 ID:???
射程の長い銃であるという事は往々にして破壊力のある銃であることをも意味する
マスケット時代の17mm弾丸を直径そのままで長いシイの実型にして重さを増し
なおかつ音速を突破するようになった初期のミニエ弾は
破壊力が人間を狙うには強力過ぎた

後に14mmになってからですら、至近距離でウシの大腿骨が簡単に砕けるほどだ
ショボい防御壁じゃぶち抜かれるぞ

651 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 09:03:10.95 ID:???
積んだ畳はどう?幕末から秩父事件に至るまで市街戦で使われた方法だけど。

652 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 09:45:19.23 ID:???
まあこっちの動きが相手からみえないってだけでもソフトな遮蔽物ではある。

653 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 11:53:16.69 ID:???
初日に旧幕府軍側が敗れたところで新政府側が錦の御旗立てたもんだから
これで一気に状況が悪くなってしまった

前日の戦訓を得て付け焼刃の散開戦術を取ってももう手遅れだ

654 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 16:47:47.93 ID:???
薩摩を中心とする公議政体派勢力に慶喜が軍事的打倒を意図するほど敵意がないのは
王政復古クーデター阻止の機会を意図的に見逃した時点で確定的
もしここで慶喜が動いてれば勢力逆転しての鳥羽伏見の戦いの再現になったかも
ただあの時点で慶喜にとっては雄藩連合以上に幕閣の方が厄介な敵に見えてた節がある

時期は違うが、将軍後見職時代、重要な議題はほぼ幕閣内での議論で決められ、
政事総裁職の松平慶永や慶喜は結論の出た議題にお墨付きを与えるだけで不満タラタラだったし、
禁門の変前後は慶喜はむしろ幕府と対立して軍事衝突すらあるかもと他勢力からは見られてたくらい

655 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 16:54:56.32 ID:???
重ねた畳がどれくらい防壁かわりになるかしらんが
戦闘開始まで歩兵を安心させる効果はありそうだな

656 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 17:05:07.23 ID:???
>>655
繊維質なものではあるので、
古いものはともかく、新しく少しは水気がある畳を普通に積み重ねた場合、
それなりの防弾効果があるんでは?

日露戦争でもロシア兵は遺体を積み重ねて
防壁にしたってのがあったなそういえば。

657 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 17:20:12.19 ID:???
江戸時代に凶悪犯罪人が鉄砲含む大勢の捕手に家を囲まれた時、
畳を積んで弾を防ぎ、そのあいだに家に火を放って首を吊って死んだって話読んだことある。

658 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 17:36:00.16 ID:???
火縄銃の丸弾だと畳なら食い込んで止まりそうだ

659 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 17:58:32.18 ID:0rZ45vTf
人生一度は畳返しで生き残る事がある

660 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 18:06:44.35 ID:???
旧式の火縄銃相手なら防弾効果があるので、そのつもりで畳で囲った陣地を作ったら、
洋式ライフル銃相手だと普通に貫通して何の効果もなかったとか、本で読んだことがあるが、
何の本に載っていたか思い出せない

661 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 18:19:49.46 ID:???
>>660射程より威力増大によって防御策が無効になるのが重要だったか?

八重の桜でもそれっぽい描写があった
あんな近距離で撃ち合ったら射程とかが問題じゃなくなる
となると防御の問題だ

椎の実型弾丸に回転を掛けて飛ばすだけの腔内圧力を与えられるだけの火薬量か

662 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 18:21:58.46 ID:???
>>660
二本松少年隊の戦闘の回想記で近所の畳で陣地作ったけどあっという間に
無力化したと出てた。
八重の桜でも二本松少年隊が出てたからひょっとしたら描写されるかもしれませんね。

663 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 19:47:10.86 ID:???
ただぶっちゃけ畳で作った防壁がちゃんと機能したところで
戦況を変えようがなかっただろうけどな
迂回するなり大砲持ってくれば終わる
鳥羽伏見でも幕軍は正面での撃ち合いでは負けてなくとも、薩長軍がこうした次の一手を
取ってきたときに有効に対応できずに敗退してるイメージが強い

664 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 20:20:47.37 ID:???
火縄銃の弾丸なら畳でも防げたのかな?
畳なら弾丸を防げると思っていただけでは?

665 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 20:35:37.59 ID:???
畳って、どちら向きで耐えるようにするんだ?

>積んだ畳

っていうからには、平らに置いた畳を15枚くらい重ねておくのか?

つまりライフルの弾は、(現在の戦車砲で90cmコンクリート貫通能力有りというのに真似て)
畳で3尺を貫通する能力があった、って事になるのか?

それとも、1枚を立てかけるだけか?
これだとそこらの子供のおもちゃの魚取りヤスにゴムカタパルトつけた奴でも防ぎ切るか怪しいぞw

666 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 20:43:11.78 ID:???
当然平らに置いた畳を30枚ほど積んでいると思ったのですが
違うんですか?
180センチの畳をあっさりライフル銃なら貫通してくるという話だと思ったのですが

667 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 20:47:07.46 ID:???
ちょっと待った畳の長辺の6尺を貫通か!!!!!

まあ藁だけだから仕方ないのか

スイカだと5つくらい貫通してたっけなあ

668 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 20:54:13.03 ID:???
小山のようだw

669 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 20:54:54.42 ID:???
>>666
違うよ、畳を1枚または数枚立てかけただけ
これでも、火縄銃の弾なら、少し距離が開けば防げたらしい

670 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 21:02:30.18 ID:???
隣の会津兵は畳立てかけた
隣の幕府軍はよくシャスポー撃つ軍だ

671 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 21:03:46.20 ID:???
銃弾は結構威力を失い易い面もあるから、それで十分だったのかもな。
分厚い防寒着を着てる兵士相手だと、M1カービンみたいな近代銃の弾丸でも、衣服で止まって殺傷力が無かった、
なんて事もあったらしいし。

672 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 21:34:53.11 ID:???
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E9%8A%83

wikiのシャスポーの記述なのはどうでも良いがこれは何だ?

>1866年にイギリスで採用されたスナイドル銃は、簡単な加工で前装銃を後装式に改造できたため、既に多数輸入されていた
エンフィールド銃を元に日本国内でも改造する事が可能

>(事実、当時の鉄砲鍛冶は旧々式化していた種子島式火縄銃までスナイドル式の後装銃に改造している...)

火縄銃の後装式ってどんなのになるんだ?www
と検索したら
http://www.日本の武器兵器.jp/archives/3034

火縄も何もかも捨ててしまっていたwww
でも滑腔銃のままだな

673 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 21:52:48.71 ID:Xfos1/oI
確か昔警官が持っていた22口径も
重ね着して最後に厚手のコートはおると
皮膚で止まったらしい

674 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 21:54:21.86 ID:???
拳銃と小銃を一緒にするなよ・・・

675 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 21:55:59.41 ID:???
まぁ黒色火薬と現在の火薬の威力を比較してもなんだが。

676 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 22:18:26.43 ID:???
「パリ燃ゆ」に、樽のバリケードには石を詰めないと全く防御効果がない、とあったな。
ま、相手はシャスポーだから相当威力があるのも確かだが。

677 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 22:23:12.56 ID:???
>>673
日本の警官が22口径なんぞ持ってたことあったか?

678 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 22:25:29.95 ID:???
>>677
本当かどうかは分からないが、
マスターピースがアメリカから供与されたと聞いたことがある。

679 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 22:28:10.96 ID:???
恐ろしいことに城の土壁ですら、厚さ一尺以上にして、間に土砂を詰めないと、大鉄砲が貫通したらしい。
これでは城の意味が無さそうだが、日本の城は切岸で地形効果さえ出してれば、それで一定の価値があった。
時には柵だけで壁がなく、必要に応じて置き盾を並べて済ます城もあったのだから……

680 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 22:29:05.73 ID:???
警察って日本の話なのか
どこか外国の話だと思って読んでたわw

681 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 23:16:05.81 ID:???
>>678
米軍払い下げのガバやらM1917なら聞いたことはあるが

682 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 23:57:27.33 ID:???
畳防壁でこれだけレスがついたのが意外
だって畳が防壁として機能しようがしまいが、ぶっちゃけ戦争の帰趨には関係なくね・・・

683 :名無し三等兵:2013/05/24(金) 00:08:43.22 ID:???
戦略の話はひと通り終わってるので
どうでもいい余技がきになるんだよ


畳そのものじゃ火縄銃くらいしか防げないが、
畳ならべて間に土砂つめればだいぶ違ってくるという感じかねえ

684 :名無し三等兵:2013/05/24(金) 00:43:30.93 ID:???
何というか佐幕側の詰み具合って戊辰戦争以前に長州戦争でもう顕著に現れてるような気がするんだな
小倉口、石州口での敗戦は武器が旧式だったとか諸藩の連携が取れてないとか言い訳できるけど、
芸州口は近代陸軍や紀州藩の近代歩兵隊も投入されても一進一退程度しか出来ないんじゃね・・・

685 :名無し三等兵:2013/05/24(金) 00:54:02.81 ID:???
>>683
いやそんだけ有効なら戦国時代から使うだろ

当時なかったか?

686 :名無し三等兵:2013/05/24(金) 05:58:48.04 ID:???
そこいらの長屋にあるような物じゃなかったろ

687 :名無し三等兵:2013/05/24(金) 09:27:49.75 ID:???
しかし長州も長岡・桑名・庄内には圧倒されたからな。
会津仙台には完勝したけど。

688 :名無し三等兵:2013/05/24(金) 13:25:10.87 ID:???
>>685
戦国時代は厚い布を水にひたしたものを船に並べて
防ぐといったことはやってたらしい。
距離があればある程度は畳でも効果があるのかもしれんな。

689 :名無し三等兵:2013/05/24(金) 13:28:05.47 ID:???
どっちかというと火刑防止の気がするなそれ

690 :名無し三等兵:2013/05/24(金) 16:08:25.52 ID:???
いや朝鮮征伐の時、朝鮮軍船の打ち出した石火矢を
数枚の幕で防いだというのを読んだことがあるけど
そういうタイプじゃないの?

691 :名無し三等兵:2013/05/24(金) 18:57:56.59 ID:???
>>685武田信玄は火縄銃に対して、青竹を束ねたもので防ぐという実験をしてたとか何とか

692 :名無し三等兵:2013/05/24(金) 19:14:17.83 ID:???
竹束は有効だろ。戦国時代での使用例は枚挙にいとまがないぐらいだし。
ライフリングされていない火縄銃は、破壊力はあっても貫通力はなかったという話だし。

693 :名無し三等兵:2013/05/24(金) 19:15:24.12 ID:???
戦国時代どころか江戸時代だって、一般的な長屋の床敷きは、ただのゴザだよ。
畳なんて貴重品を使えるのは、一定以上の武士や商人、裕福な地主くらいだ。

694 :名無し三等兵:2013/05/24(金) 19:16:38.18 ID:???
>>692
なるほど運動エネルギーのロスが低くても、
弾頭自体はただの球だしな。

695 :名無し三等兵:2013/05/24(金) 20:03:14.85 ID:???
竹束の効果もよくわからない由
ttp://kagiya.rakurakuhp.net/i_470889.htm

ある実験によれば、16間(28.8m)の距離から竹束を6匁(口径15.5mm)の火縄銃で撃つと、
1発目は6本の竹全部を貫通し、2発目は4本目で止まっていた。10匁( 口径18.4mm)では全竹束を貫通したので、
30m以内の距離では竹束で銃弾を防ぐのは難しく、竹束を二重にすれば効果があるのではないかという結論だったという。
千葉の佐倉市ある国立歴史民俗博物館による「歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで」の展示では、
甲冑、竹束、鉄板、木板など戦国当時の防護具を実際に12mから撃ち抜いていたが、
10匁玉・3匁玉・1.9匁玉のほぼ全て貫通していた。幕末に作られた雪ノ下胴においてはゴルフボール大の穴が背中まで貫通していた。

気分的なものなのかなんなのか
数十mまで近づくための物なのか

696 :名無し三等兵:2013/05/24(金) 20:32:17.55 ID:???
戦国時代の黒色火薬は多分しょぼかったからだろうな。
弾に当たったけどケガしただけで済んだとかわりとあるし。
その当時は竹束でも大方防げたんだろう。
色々技術が進歩した島原の乱の時にはもう竹束はスパスパ抜かれるようになってたので
土俵集めて仕寄せ作ってた。

697 :名無し三等兵:2013/05/24(金) 20:38:35.97 ID:???
上のサイトにもあったような気がするが名和弓雄が作った竹束もほとんど土嚢
島原のころにはいろいろ忘れ去られたようなので実は昔から土嚢みたいな竹束だったのかもしれない

698 :名無し三等兵:2013/05/24(金) 21:21:10.76 ID:???
戦国時代の竹束は気分的なところが大きいと思ってるよ
>>695は28.8mで貫通してるが距離開けばかわってくるしな
目の前に盾があると思えば、多少射撃くらったところで足軽の陣が崩れにくくなるんじゃね

699 :名無し三等兵:2013/05/24(金) 21:32:32.68 ID:???
タケとアメリカとは時々妙な縁があるのかな?

アメリカのお古のライフル銃から発射されるミニエ弾のをいかにタケの盾で防ぐか?
このスレの結論では 無理!w

しかし戊辰戦争の10年後には、日本製のマダケを炭化させたものを使って
エジソンが白熱電球を完成させたのであった

700 :名無し三等兵:2013/05/25(土) 11:30:24.52 ID:???
竹束で敵陣から100メートルの距離まで接近できるなら、あとは突撃で決めればいい
短距離になるから防御兵器としての効果はあるじゃない

701 :名無し三等兵:2013/05/25(土) 11:34:23.87 ID:???
竹束で敵陣から100メートルの距離に接近し、敵の鉄砲隊が火縄銃を撃ったら
敵が次弾を装填している最中に味方から火縄銃と弓矢を放ち、敵が混乱しているところに
槍を持って走って突撃していく。
距離が100メートルなら17秒以内に走り抜けれる

702 :名無し三等兵:2013/05/25(土) 12:08:45.74 ID:???
>>700
横から撃たれます

703 :名無し三等兵:2013/05/25(土) 13:14:18.12 ID:???
こういう単純な考えの奴が多いから釣り野伏せが有効なんだろうな。

横矢とか横槍というのもあるわけで。

704 :名無し三等兵:2013/05/25(土) 13:41:46.73 ID:???
釣り野伏は江戸時代になって作られた言葉らしいな

という火縄銃の有効射程なんて100m以内だろ
肉眼で100mってすげえ遠いが

705 :名無し三等兵:2013/05/25(土) 15:09:18.56 ID:???
>>704
いまのライフルでも100mっていうとそれなりの距離ではあるな。

706 :名無し三等兵:2013/05/25(土) 17:19:19.65 ID:???
M16でも実戦では500mないだろ
そこそこのボディアーマー着用者には300もあるかどうか?

707 :名無し三等兵:2013/05/25(土) 17:49:26.10 ID:BwKXKv4m
足軽の軽い具足つけてでも、100mを全力疾走できるわけでもないし、
100mはかなりの距離じゃねえの

708 :名無し三等兵:2013/05/25(土) 18:26:14.25 ID:???
実際にグラウンドで100mの距離を見ると結構遠いな。
スコープ等なしで狙撃なんて熟練した射手でないと無理だと思うな。

709 :名無し三等兵:2013/05/25(土) 18:51:18.34 ID:???
昔のミニエー銃の遠距離射撃は、広い場所で密集してる歩兵や騎兵に対する一斉射撃だからな。

仙台藩兵みたいに甲冑着て旗もって目立つ所に密集してる連中には遠くからでもけっこう当たる。
庄内藩兵みたいに散開して地形を利用して接近してくる奴らにはなかなか当たらない。

710 :名無し三等兵:2013/05/25(土) 19:19:57.94 ID:???
>>707
足軽の軽い武装といっても、
足軽胴4〜5kg
大小2〜3kg
陣笠2kg程度?
その他具足1〜2kg
+食料その他で何だかんだ結構な重さになりそうだな。

711 :名無し三等兵:2013/05/25(土) 20:58:37.26 ID:???
>>710重心を落として膝曲げ着地、足裏は最初はつま先だがすぐに踵までの足裏全体着地になる
ヘコヘコ走りで、足の回転数だけを速くしたような走り方なら可能だね

その走り方だと100m13秒を切るのは難しいか?
それともナンバ走りを習得すると可能なのか?w

712 :名無し三等兵:2013/05/25(土) 22:09:39.61 ID:???
火縄銃の標準射撃距離は15間(27メートル)。

713 :名無し三等兵:2013/05/25(土) 22:38:15.25 ID:???
マスケット銃にしたって相手の瞳の色が分かるまで絶対に撃つなだからな
ライフル銃以前の銃器の射程の短さが分かるな。
(一斉射撃だとまた話が違うみたいだけど)

714 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 00:14:03.92 ID:3rhJtIeX
>>710
>>711
100m走ったあとに白兵戦してその後も戦い続けられなきゃいかんので
ヘコヘコ走りでもそもそも「疾走」できないからなあ

100mの距離で一回射撃食らった直後に走りだして突っ込むならともかく、
射撃せんと構えてるところに突っ込ませるのは難しそう
そこで竹束あると足軽の心理状態もかわるだろうけど、重いからあれ。

715 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 00:32:43.57 ID:???
足軽でさえ装具その他で15kg超える重量かかえているわけだから、
当世具足だけで15kgくらいある徒歩武者とかは大変だな。

716 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 07:20:06.44 ID:???
>>713
射程が短いんじゃなくて、その距離じゃないとまず当てられないって事だべ
特に滑空銃はどこに飛んでくか分からない位だったからこそ戦列歩兵戦術が編み出されたのだし

>>715
装備の重さだけなら現代でも一緒じゃね?
空挺なんぞは30kgの装備を抱えて戦場に投入されるんだし

717 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 09:17:59.96 ID:???
米軍特殊部隊は水も込みで50kgを持って歩かされるんだっけ
もちろん水はどんどん飲むからある程度は減っていくけどさ

インパールではウシが全部逃げてしまい、兵士は40kgを持って山を登る事になってしまった

718 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 15:16:32.36 ID:???
>>716
もちろんそうだし、
世界の軍隊もだいたいそんな感じの重さなんだけど、
重さ数十キロをかかえて近接戦闘をばりばりこなすのは大変だなと思ってね。

なんだかんだ古代から現代にいたるまで、
兵士の持つ重量や機動力(車載しない場合だが)にはあまり差がないのが面白い。

719 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 15:55:10.86 ID:???
南北戦争でナポレオン方式が使われなくなるのはどの戦い辺りか分かる人居るかな
指揮官の将軍次第ってとこもあるのだろうけれど
ゲティスバーグでは戦列方式だったんだよね?

720 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 16:05:14.36 ID:???
ナポレオン時代の戦列とは性質が違うかもしれないが、
第一次大戦序盤のときは敵陣への攻撃前進は各部隊整然と隊列組んで移動してたため、
機関銃の格好の的になったというのは聞いたことある

721 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 16:10:47.46 ID:???
散兵戦術が実践で使われたのってWW2からだっけ?
それまでは横隊前進しか戦術がなかったんか

722 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 16:16:32.02 ID:???
>>720
ザ・トレンチって映画のラストシーンで、英軍が横一列になって敵陣に向かって歩調を合わせて前進していく場面があった。
ソンムの戦いだったかなあ。
>>721
一次大戦中盤からじゃなかったかな。

723 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 16:26:44.68 ID:???
>>721
散兵戦術自体は18世紀にはフリードリヒ2世時代のプロイセンが試してたりする
戦列歩兵の側面援護や後方撹乱が主目的だったからあくまでも横隊突撃の補佐として併用されていたレベルにすぎないけども
あとまぁ、強制徴募や人攫いで兵を掻き集めた関係で士気の高い精鋭部隊しか散兵戦術を取れなかったという台所事情も関係してるかと

大々的に散兵戦術を使い始めたのはフランス革命後の大陸軍じゃないか?

724 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 16:27:26.81 ID:???
>>722
んじゃ南北戦争では最後まで戦列組んで前進してたのか
連発式ライフルが普及した後半でもそれやってるならそりゃ犠牲者もうなぎ上りになるわな・・・

まぁ北軍は将官も兵の練度も低かったから仕方ないのかもしれんけども

725 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 16:30:44.95 ID:???
>>723
ありがとう
兵の練度と質が向上しないと散兵は出来ないよなぁ・・・
19世紀後半は銃の進化が戦術を飛び越え過ぎたから仕方ないのかもな

まぁ独立戦争辺りでも狙撃兵部隊なんかは散兵に区分されるのだろうけど
主力が民兵に毛が生えた程度じゃ散兵は無理だわな

726 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 16:34:42.03 ID:???
後装銃普及するまでは伏せうちができんし、散兵だろうがなんだろうが前進する時は立って歩くしかないし(車載はもっと後だし
鮮烈みたいな密集はさすがに組まないとおもうけどなぁ、榴散弾で一発で終わってしまう
普仏だったか墺だったかそれでやられたし

勝てない(というか抜けない)→兵力増やす→密度が高くなる→犠牲ばっか増える
とか第一次でフランスがやってたな

727 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 16:39:17.09 ID:???
南北戦争も最後まで2列横隊が基本でしたよ。
ナポレオン戦争に比べると散兵の比率は増えた様ですが。
ナポレオン戦争では1個大隊に付き散兵は1個中隊だったのが、南北戦争では1個大隊に付き2個中隊に等。
旅団や師団単位だと複数連隊(大隊)を丸々散兵として展開させ、その背後に旅団や師団の主力が横隊で続く事も。

決戦兵種としての騎兵が廃れたのが一番の違い?
南北戦争を最後のナポレオン戦争と呼ぶ著者もいる位ですから・・・

728 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 16:43:16.89 ID:???
ちなみにおおざっぱにいうと戦列歩兵を組まない歩兵を全部散兵と考えてよろしいか?

729 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 16:49:07.03 ID:???
大雑把すぎるよ。
それだと、偵察や通信、輜重まで散兵になってしまう。

730 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 16:50:44.23 ID:???
それも歩兵に入るのか
輜重兵とか別カテゴリだと思ってたわ

731 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 16:58:47.56 ID:???
幕末維新の軍隊は三兵?

732 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 17:04:37.48 ID:???
>>731
三兵編成を取ろうとしたが、騎兵は実質的に伝令用途でしか使われてないので歩と砲だけの二兵編成

英仏から伝習を受けた諸隊や高島流砲術を採用した藩は戦列歩兵。ただし、第二次長州征伐などの戦訓や現場の思いつきで散兵戦術を
とった隊は結構多い

733 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 17:24:42.92 ID:???
幕末期は散兵戦が出来る程度の能力はあったけれども
銃とセットで戦列ドクトリンが入ってきた為に戦列式にして被害が増大したとも見れるのではないだろうか

734 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 17:28:42.06 ID:???
軍事顧問団に教わった横隊戦術よりも、下級藩士や郷士がアドリブで始めた散兵戦術のほうが
幕末の戦場にはマッチしていたというのがなんとも皮肉

735 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 17:42:47.75 ID:???
>>734
その辺が幕府歩兵が活躍できなかった要因でもありそうだよね。

736 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 18:12:24.82 ID:???
幕府も伝習隊は散兵戦術をマスターしてたんじゃなかったかな?
シャスポー銃に関しては使用したか論争があるけど。

737 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 19:15:37.55 ID:???
伝習隊は北関東で官軍と交戦した際、元込め銃で田畑に伏せ
猛烈な射撃を行なって官軍を圧倒してさらにラッパの合図で横合いから
別の一隊に突撃させ敗走させたって記録があった
相手は官軍といっても館林とか結城藩で洋式装備以前の戦国同然の軍だったけども・・・

738 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 19:21:20.82 ID:???
ミニエvs長筒ペッパーボックス

というのがあったらなあ

739 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 19:25:20.14 ID:???
>>737
でも、本命の薩長土肥にはかなわなかった。

740 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 19:26:52.41 ID:???
幕府洋式軍は装備でも戦術でも一流のものを備えてはいたんだろうが、
指導層に戦意がないことが敗北要因だと思われ
そもそも慶喜に戦意があるなら、王政復古クーデターを断固阻止したはずだし、
討薩表を掲げての進軍もそれまでの王政復古政権との交渉の延長程度にしか捉えてなかったんだろう

741 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 19:42:06.36 ID:???
>>739
肝心の薩長軍と直接対決する頃には元込め銃の弾薬が不足して、
ミニエー銃装備に戻ってしまったらしい
脱走軍の性質上、交換部品の確保も満足に出来なかっただろうしなぁ

742 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 20:04:25.32 ID:???
>>741
しかし芸州口で互角、鳥羽伏見で勝ててないから言い訳にもならぬて。

743 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 20:18:25.25 ID:???
その頃は元込めの銃も無かったのかな?

シャスポーはゴムパッキンが必要なのが痛いねえ

744 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 20:22:43.50 ID:???
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E9%8A%83

1861年にコーチシナを獲得し、熱帯地域に海外植民地を得たフランスは、プランテーションでゴムを強制栽培させ、
軍需品として安定供給できる数少ない国のひとつだった

ってあるけどさあ、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%A0%E3%83%8E%E3%82%AD
パラゴムノキは重要な産業資源として、ブラジル国外への持ち出しは禁止されていた。しかし、原産地と同様の熱帯雨林地帯に
植民地を抱えるイギリスは、何度もひそかに植物学者をアマゾン川流域に派遣して種子を採集させ、自らの持つ植民地において栽培を行うことを試みた。

まず1873年にブラジル国外でのゴム栽培が計画され、試行錯誤の結果、12本の苗木がキュー王立植物園で生育し始めた。
しかし、これらは栽培用にインドへ送られたものの、すべて枯れてしまった。

次の計画は1875年に行われ、7万個の種子がキューに送られた。このうち4%が発芽し、1876年には2000株の苗木が
ウォード箱に入れられてセイロン島へ、22株がシンガポールの植物園へ送られた。

時代が合わないねえ???
フランス領インドシナではインドゴムノキとかクワ科の樹木を使ったって事か?

745 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 20:28:08.58 ID:???
>>743
維新後の藩兵解体の時でも後装銃は一、二割だったから

746 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 20:41:08.67 ID:???
一方エジソンはセイタカアワダチソウからゴムを作ろうとしたが採算割れした

747 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2013/05/26(日) 20:46:57.40 ID:??? ?2BP(1700)
偽錦旗
ttp://folderman.gif.jp/up/s/fmb-62356.jpg
ttp://folderman.gif.jp/up/s/fmb-62357.jpg

748 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 21:04:40.43 ID:???
>>744
『スパイス、爆薬、医薬品』のイソプレンの章を読むと、ゴムの原料になるイソプレンポリマーはガタパーチャ(グッタペルカ)と、
バラダの二種類があって、ガタパーチャはマレー半島原作のグッタペルカ属の木をはじめ、アカテツ科植物の樹液から作られるらしい。
その後主流になった天然ゴムはバラダの方だそうなので、ガタパーチャはフランス領内で入手可能だったのかもしれん。

749 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 21:08:13.91 ID:???
今日の青い軍服着てた人
ピッケルハウベかぶれば完璧だった

750 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 21:19:30.21 ID:???
散兵の元になったのって、フレンチ・インディアン戦争のインディアンじゃなかった?

751 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 21:39:22.08 ID:???
>>748
イソプレンポリマーとはいっても、

ガッタパーチャ=グッタペルカ

って、トランス型ポリマーつまり弾性の無いチューインガムみたいな奴だよな
まあライカの外側もこれな訳だが

サポジラはその樹液からガッタパーチャも採取するが、果実を食べる事が出来る
果肉は黒砂糖のような強い甘味があり酸味が無く、水分豊富でほんの少しシャリシャリ果肉(ビワ程度)で干し柿のような甘さ
東南アジアでもよく食用にされてきたし、樹液も採取できたかなあと

アカテツ科ではクダモノタマゴという樹木もある
これは果肉にまるで水分が無くて茹で卵の卵黄のように黄色く粉質でそこそこ甘味がある
この粉っぽい果肉は繊維豊富で、これを食いながらビールを飲みまくると蠕動をサボるため
腸が破裂する危険がある、というかそれになりかかっちまったwwwww

メキシコでは甘味だけ強く酸味の無い果物をサポテと総称する。サポジラに由来するらしい
サポジラは果肉がこげ茶色なのでブラックサポテ、クダモノタマゴはイエローサポテという
他にホワイトサポテという種類もあるがこれはミカン科でサンショウなどに近縁で、普通の柑橘類なら
白いワタの部分が分厚くてねっとりとした食感で甘いというが自分は食ったことが無い

ガッタパーチャは杜仲茶に使われるトチュウにも含まれる

752 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 21:45:45.61 ID:???
バラタゴムの木は19世紀末にはフランス領ギアナに大量で植栽されたが
これに体長7cm前肢長さ15cmのテナガカミキリが大発生し、どんどん枯れてしまったという
但し昆虫採集家は枯れかけた樹を次々に切り倒して庭に置き、そこから羽化してくるカミキリを
1本の樹から100匹も採集して標本にして売りつけた、との事

753 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 21:48:31.39 ID:???
帝国主義は各地の産物を収奪的に集めて消費させる構造になっていた
昆虫標本ブームもその延長だったという

今でもそうだと言えるが環境負荷低下とか現地住民の生活とかをわざとらしく宣伝してイメージ悪化は防いでいるw

途上国で車が大量に使われるようになったので、21世紀になってから再びゴム景気が来た!と騒がれたが
今では最高値時の40%になってしまったという

754 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 21:55:20.33 ID:???
キョウチクトウ科のジュルトンの樹液からもゴムが作られたが
キョウチクトウって猛毒じゃねえか!

パラゴムの樹液は青臭いが頑張れば飲めるとの事

755 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 21:59:23.90 ID:???
ガッタパーチャって歯医者で仮の詰め物に使うあれか?
しばらくするとポロポロ取れてくるやつ。

756 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 22:02:00.06 ID:???
>>752なお南米の巨大カミキリムシは日本のカブトムシと同じように
前翅を広げて、後ろ翅で羽ばたく
前進すると前翅に当たり通過する空気は揚力を発生する

この様子を標本でいいから観察させてくれ、と、
20世紀初期にアンリ・ファルマンなど初期の飛行機開発者はカミキリムシ標本を何種類も購入したとの事
もちろん羽を広げた標本を買ったという
そして出来た飛行機の多くは、ライトフライヤーのように翼の後ろにプロペラを持つ形になっていた

ゴムが軍事物資になり、その生産の副産物がちょいグロな風変わりな昆虫趣味になり
それが航空機開発に使われ、またもや軍事に欠かせないものになった

昆虫記のファーブルとパスツールはヨーロッパのカイコの病気対策として、日本のカイコを導入しようと話し合い
それでフランスは徳川と早期から手を結んだともいう
もっとも実を結ぶのは明治の富岡製糸場からだ

757 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 22:02:58.80 ID:???
>>755そうあのぐにゃぐにゃした物質だ

758 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 22:03:28.28 ID:???
なんというしょうもないスレ向きの話題

759 :名無し三等兵:2013/05/28(火) 20:03:57.55 ID:???
>>754日本でも白い乳液状の樹液を出す樹木は何種類もある
カブトムシやクワガタが好むのは維管束の師管に含まれるスクロースたっぷりの師管液であり
皮層に点在する樹脂道の乳液ではない
そして、どんな樹木であっても傷をつければ師管液は多少とも出てくる

日本で白い樹液の樹木にクワガタがいた、というのはイメージしにくいが、クワの木にカブトムシなどが
集まる事が無い訳ではない
海外では、特に東南アジアではこのような例はもっと多い

巨大カミキリムシで生木に産卵するものは、卵を樹脂が包んで窒息させないよう、樹脂道を傷付けないように木に傷をつけて産卵する

どうでも良いが、カミキリムシの幼虫は坑道にぴったりと収まっている様子を鉄砲の弾丸になぞらえてテッポウムシというw
しかし坑道にらせんを掘る種類は、カミキリムシに限ればいなかった筈(キクイムシなど別の仲間にはいたが別に回転をかけるわけではない)

>>756>ヨーロッパのカイコの病気対策として

日本の生糸製糸産業なんて現在ではブランド力も弱い状態だが、研究は地道に続いている
もはや昆虫なら何でもありということで、スズメバチの幼虫が蛹になる時に作る繭の糸を
化学的に大量生産する方法も研究され、射出整形して人造繊維として手術糸などに使えるようになった

と思ったら、最近じゃクモの糸の人工合成法が海外で開発されてそっちの方が強度が強いとされてやがるorz

生糸でクワの木の害虫であるクワカミキリはかつては日本で最も個体数の多いカミキリとされていたが
今では各地で絶滅危惧種になってしまった

ところで軍服って絹は明らかにアカンと思うが綿と麻と亜麻ではどれが良いのか?

760 :名無し三等兵:2013/05/28(火) 20:29:44.29 ID:???
将来はアラミド繊維に替わり
合成クモ糸を使った防弾チョッキが出来るのかなあ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC

20世紀最初期に出来た、最初の近代型耐弾ボディーアーマーは絹製だ

761 :名無し三等兵:2013/05/29(水) 08:11:24.89 ID:???
いや将来は電磁的な物かも

762 :名無し三等兵:2013/05/30(木) 05:01:19.66 ID:???
>>743
多少先行していたドライゼ銃は閉塞が甘くて射程が短かったが活躍した。

763 :名無し三等兵:2013/05/30(木) 09:19:35.32 ID:???
グライゼ銃

764 :名無し三等兵:2013/05/30(木) 09:20:08.31 ID:???
パンツァーファシスト

765 :名無し三等兵:2013/05/31(金) 20:57:00.39 ID:???
この頃って、本当に銃の進化が早すぎるというか時代というのを感じさせるよね。
機関銃の始祖といわれるガトリング銃は、戊辰戦争で長岡藩が実戦に投入したらしいけど
戊辰戦争や南北戦争以外でもガトリング銃は実戦投入されていたのだろうか

766 :名無し三等兵:2013/06/01(土) 05:29:44.32 ID:???
>>765
銃よりも大砲の比重が勝ってゆく時代だな。

767 :名無し三等兵:2013/06/01(土) 09:40:15.73 ID:???
機関銃自体もすぐ開発されてなかったっけ?
米にすげー天才が出てきたって聞いた事がある

768 :名無し三等兵:2013/06/01(土) 10:35:13.18 ID:???
マキシム・ヴィッカースコーヒー

769 :名無し三等兵:2013/06/01(土) 20:27:15.58 ID:???
ここに出てくる機関銃とガトリング銃は同じものでは?

770 :名無し三等兵:2013/06/01(土) 20:33:02.60 ID:???
西南戦争で使われたのはガトリングじゃなくてミトライユーズだったっけ?

771 :名無し三等兵:2013/06/01(土) 21:21:59.09 ID:???
>>765
大砲は小銃の長射程化に技術が追い付かず、明治期を通じて実質的な威力は下がる一方じゃないのか?

772 :名無し三等兵:2013/06/01(土) 21:24:57.39 ID:???
それを打破したのが尾栓改良と駐退機の開発であった

773 :名無し三等兵:2013/06/02(日) 00:23:01.15 ID:???
>>772
まずは無煙火薬じゃないかな

774 :名無し三等兵:2013/06/02(日) 00:52:12.15 ID:???
無煙火薬とライフル(後装)の恩恵で砲兵がバタバタ撃ち抜かれたんじゃなかったっけ

775 :名無し三等兵:2013/06/02(日) 01:19:27.39 ID:???
>>771

大砲は小銃に一歩遅れて施条化や後装化がはかられたわけだけど重要性は上がる一方。
死傷率も大砲によるものがトップになってゆく時代だった。
普仏戦争でも銃ではシャスポー銃にドライゼ銃は劣っていたが、大砲では後装のクルップ砲がフランスを圧倒した。

776 :名無し三等兵:2013/06/02(日) 02:20:41.46 ID:???
ttp://www.warbirds.jp/sudo/artillery/artillery_1.htm#A1
普仏戦争のフランス軍を除けば10%前後
フランス軍ですら25%が砲によるものでほとんどは小銃となってる
榴散弾の弾子と銃弾じゃ見た感じ同じような被害だから混同もあるだろうけどね

瞬間的殺傷範囲の強烈さはあるけど、殺人数は銃にかなり劣ってたのも現実かと

777 :名無し三等兵:2013/06/02(日) 07:20:13.51 ID:???
>>776
戦勢を考えないといけないと思うの。
潰走状態を作った側は砲兵の効果が大きい。

778 :名無し三等兵:2013/06/02(日) 08:05:40.50 ID:???
自軍塹壕を防衛するのは機関銃
敵塹壕を攻略するのは大砲という役割分担だろう

779 :名無し三等兵:2013/06/02(日) 09:45:26.82 ID:???
普仏戦争では、ドイツ軍の機動戦によって、フランス軍は「敵を突破して退却するしかない」
という状況を強いられたことが、砲弾による死傷者を増やした原因であろう。
>>776にあるように、開豁地にいる敵に榴散弾を浴びせるのが一番効果的な砲兵火力の
発揮だろうからだ。
プロイセン軍の砲兵は、敵を待ち構えたうえで、遮蔽のないところを迫ってくるフランス軍
歩兵をなぎ倒すことができた。

いったん潰走した敵に対しては当時の砲兵は無力だったと思う。

780 :名無し三等兵:2013/06/02(日) 09:52:05.14 ID:???
日露戦争で、日本軍よりロシア軍の方に砲弾による死傷者が多い原因はよくわからない。

可能性1:白兵戦に強みを持つロシア軍はたびたび日本軍に対して白兵逆襲をかけ、
日本軍はそれに対して砲兵で防御支援をしたために、ロシア兵は砲弾によって多く死傷した。

可能性2:野戦築城の進歩により、野戦陣地の攻略においても砲兵による支援が不可欠な
ものとなった。日露戦争の野戦では日本軍によるロシア軍陣地の攻撃という場面が
多く見られたため、ロシア兵は日本の砲弾を受ける機会が大きく、死傷者も増えた。
防御側は強力な小銃火力で攻撃側に対抗しえたので、砲兵が目立つ場面が少なく、
結果として日本兵は銃弾に倒れる率が高かった。

781 :名無し三等兵:2013/06/02(日) 15:45:17.47 ID:???
ロシアは守る側
日本は攻める側

そしてロシアは203高地にある意味孤立していた
日本は広範囲から攻めてくるから迎え撃つロシアは
機関銃で個別に狙う方がよい

日本は上から撃ち下ろされっぱなしで多大な死者を出したから
一気に形勢逆転するために、味方が切り込んだところで巻き添え覚悟で大砲を打ち込む戦術に
せざるを得なかった

782 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2013/06/02(日) 20:08:22.74 ID:??? ?2BP(1700)
フランス語
ttp://folderman.exp.jp/s/fn-3155.jpg
ttp://folderman.exp.jp/s/fn-3156.jpg
ttp://folderman.exp.jp/s/fn-3157.jpg

783 :名無し三等兵:2013/06/02(日) 21:01:46.02 ID:???
いったん壊走した敵に対しては騎砲兵で追撃砲撃だろ。そのための騎兵・騎砲兵だ。

784 :名無し三等兵:2013/06/02(日) 21:45:12.79 ID:???
歴史群像の鴨緑江会戦の記事みたら、120mm級の野戦榴弾砲を野戦で初めて活用したのは日本軍みたいなこと書いてたな。
まあ日本軍は要塞砲さえ使ったわけだけど。

785 :名無し三等兵:2013/06/02(日) 22:30:00.93 ID:???
>>781
地図見て言ってる? 要塞の構造理解してる?

786 :名無し三等兵:2013/06/02(日) 22:39:08.25 ID:???
>>783
ウィキペには「騎砲兵は歩兵の方陣を混乱させて騎兵突撃を支援したり、退却の後衛に用いられたり、
即時反撃兵力として用いられた」
と書いてあるが、追撃に用いられたとは書いてないなあ。

787 :名無し三等兵:2013/06/02(日) 22:43:51.48 ID:???
そりゃまあ逃げる奴らに普通追い付かんだろ大砲なんて
たまに凍った河にぶち込んで溺死者大量という本当かウソかよくわからん話があるが

ヨーロッパも追撃戦にはあまり熱心ではない印象が

788 :名無し三等兵:2013/06/02(日) 22:55:19.80 ID:???
逃げる側にも騎兵がいるからねえ。ナポレオンほどの戦術巧者でないと、なかなか
「粉砕→徹底追撃」とはいきますまい。

789 :名無し三等兵:2013/06/02(日) 23:31:33.64 ID:???
調子に乗って深追いしすぎて伏撃に逢うのもテンプレだしな
追撃は適度なタイミングで切り上げるのが肝心

790 :名無し三等兵:2013/06/02(日) 23:38:51.27 ID:???
中国の兵法だとそれが基本だな
というか十字軍で狙ったのかどうか知らんがよくそれでイスラムにやられてたな

791 :名無し三等兵:2013/06/02(日) 23:51:04.61 ID:???
アル・ファッル・ワル・カッルだっけ?
イスラム的釣り野伏せみたいなの。

792 :名無し三等兵:2013/06/03(月) 07:53:36.98 ID:???
本当の騎兵の追撃っていうのは時間をかけて慎重に執拗にやるんだ。モスクワ遠征のときのコサックみたいにな。
永沼挺進隊だって退却中にコサックの騎砲に砲撃されて全滅するところだった。

退却する敵兵ったって何時間も全力疾走できるわけじゃない。四散した奴は個別に狩ればいいし、
中途半端に集合してる奴は騎砲で砲撃する。できるだけ迂回先行して退路を遮断する。

793 :名無し三等兵:2013/06/03(月) 12:31:34.25 ID:???
>>792
>できるだけ迂回先行して退路を遮断する
そのバリエーションだけど、ナポレオンのモスクワ撤退では、荒廃し物資の枯渇した往路とは別のルートを通り撤退しようとしたフランス軍をロシア軍が妨害し、往路と同じルートに追いやった。
フランス軍は野営や補給に困難をきたし損害が増大したと。

純粋な追撃戦だと、イエナ・アウエルシュタット会戦後のミュラ予備騎兵軍を主力にしフランス軍による3週間600キロに渡る追撃とか。
ナポレオンがベルリンに入場した後も野戦軍が健在な限り追い続けたから・・・
まぁ600キロ逃げたブルリュッハーも凄いけどw

794 :名無し三等兵:2013/06/06(木) 18:02:53.56 ID:???
>>781
>味方が切り込んだところで巻き添え覚悟で大砲を打ち込む戦術
突撃支援射撃の事を言っているのか?

旅順要塞攻撃における火砲の行動は
要塞の破壊と湾内停泊中の艦隊への攻撃じゃなかったか?

795 :名無し三等兵:2013/06/06(木) 19:15:34.60 ID:???
>味方が切り込んだところで巻き添え覚悟で大砲を打ち込む戦術
コンスタンティノープル攻防戦でのトルコ軍戦術だな

796 :名無し三等兵:2013/06/06(木) 19:33:37.05 ID:???
>味方が切り込んだところで巻き添え覚悟で大砲を打ち込む戦術

政治将校:あそこに活を入れてやれ!

797 :名無し三等兵:2013/06/07(金) 01:22:05.88 ID:???
WW1の西部戦線が一番の典型例? スレの時代からは外れちゃうけど。

798 :名無し三等兵:2013/06/07(金) 01:30:50.83 ID:???
時間で区切ったり味方撃ちしないように工夫してるじゃん
速度が合わんもんでうまくいかないけど

799 :名無し三等兵:2013/06/07(金) 09:26:28.39 ID:???
旅順要塞攻撃にルノー甲型戦車があれば陛下の赤子を陛下の大砲で爆殺しなくてもすんだのにな。

800 :名無し三等兵:2013/06/07(金) 10:07:48.93 ID:???
四号でもいいよね。

801 :名無し三等兵:2013/06/07(金) 11:34:55.06 ID:???
>>795
ミャンマー正規軍も対カレン族戦でそれやってるらしいなw

802 :名無し三等兵:2013/06/07(金) 12:13:15.73 ID:???
無茶苦茶だろ…
現代戦とは思えないな

803 :名無し三等兵:2013/06/07(金) 13:18:55.39 ID:???
WW2のビルマ戦線で英軍は丘の斜面一面にたこつぼというか
出入口が敵側にしかない壕を掘らせてグルカ兵だかインド兵だかを入れ、
日本軍が肉薄してきたら味方に構わず砲撃するのをやってたって読んだぜ。

804 :名無し三等兵:2013/06/07(金) 13:34:21.01 ID:???
真上に落とせーーーーーーーーーッ!

805 :名無し三等兵:2013/06/07(金) 14:10:28.73 ID:???
ブロークン・アローーーー!

806 :名無し三等兵:2013/06/07(金) 15:00:47.96 ID:???
米軍は、フランスのサン・ローで自軍とドイツ軍一緒に爆撃
してなかった?

807 :名無し三等兵:2013/06/07(金) 15:11:43.79 ID:???
それ単なる誤爆じゃねえの?

808 :名無し三等兵:2013/06/07(金) 20:06:18.63 ID:???
時代が完全にずれているぞ

話を追撃戦に戻すけど、追撃する方のも結構大変。
向こうは必死で逃げているのだから、追いかけるのも全力で追いかけないといけないし
追撃側が地理に暗いと、道に迷うだけならまだまし、下手をすると態勢を立て直した敵軍の逆襲を受け
悲惨な目に遭うということもありうる。それに傭兵主力だと、下手をすると逃げる味方までいるし。
時代をずらすけど米国独立戦争時に英軍は全力で追撃が出来なかった。
英国軍の多くが独諸国から駆り出された傭兵で、命と金欲しさから逃亡をしょっちゅう企てていた。
こういう状況で米国民兵に勝って追撃中に部隊がバラバラになって気が付いたら英国兵の多くが
消えていたということが結構あったらしい

809 :名無し三等兵:2013/06/07(金) 21:37:26.88 ID:???
士気(やる気)が低いとそうなるわな
西洋だとそれこそナポレオンが出て国民ができないとしんどかったろうな

810 :名無し三等兵:2013/06/07(金) 23:14:18.69 ID:???
待ち伏せってんじゃなくても、退却側の騎兵の逆襲も重要な戦術だ。
シュヴァルツェンベルクなんか、負けた後の逆襲ばっかりで戦功を
あげているようなイメージがある。
ドレスデンの後の切り返しも早かったしな。

811 :名無し三等兵:2013/06/08(土) 11:10:32.04 ID:???
>>781
白襷隊じゃないんだから、順番がおかしいよ。

準備砲撃→歩兵前進が通常形。射程を考えてもわかるでしょ?

812 :名無し三等兵:2013/06/08(土) 12:56:25.92 ID:???
そういえば、南北戦争で砲撃による死傷者はわずか8%にすぎず、砲撃はほとんど効力を上げていないと批判されているらしい。
(コマンドマガジン29号で引用されている北軍の医療記録による。最も同じ記事の中で、榴散弾による被害と小銃弾による被害が
区別できるのか、とか多数の批判がなされているのも事実ですが)
そして、戊辰戦争末期の二股口攻防戦において榎本軍が3万5000発も射撃を浴びせたにもかかわらず、
新政府軍は死者2名、負傷者23名しか損害を出さなかったという事実もあるわけで。
史実の評価は難しいとつくづく思います。
そして、戊辰戦争末期の五稜郭攻防戦において、小銃弾

813 :名無し三等兵:2013/06/08(土) 14:32:33.63 ID:???
砲撃はほとんど効力を上げていない
砲兵の役目はまず「相手に頭を上げさせない」ことだろ。

814 :名無し三等兵:2013/06/08(土) 14:34:14.85 ID:???
だから突撃で頭上げさせたところを味方ごと砲撃という荒技の話してるんだろ

815 :名無し三等兵:2013/06/08(土) 14:36:46.37 ID:???
>南北戦争で砲撃による死傷者はわずか8%にすぎず、
>砲撃はほとんど効力を上げていないと批判されているらしい。

因果が逆なんだよね。大砲による損害を避けるために築城して
効果を減じさせているのだけど。

816 :名無し三等兵:2013/06/08(土) 17:38:58.32 ID:???
ナポレオン戦争の時みたいに砲兵が敵戦列の眼前まで前進して散弾をぶっ放すなんてことができなくなったんじゃないかな。
ライフルの時代だし。

817 :名無し三等兵:2013/06/08(土) 19:49:55.70 ID:???
大砲や小銃の威力が増大したために散兵戦術を取らざるを得なくなったからな
また、大砲の進化に戦術が追いついていなかったのも、この時代の特質だと思う。
大砲が進化した結果、射程距離は増大して、大量の大砲を集めての公算射撃が有効になったにも関わらず
相変わらず砲兵は分散されたままだった(1門ごとに照準して射撃していたということ)。
野戦築城の進歩もあり、砲兵の評価がこの当時下落したのはやむを得ないことだったかも。

818 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 12:03:54.82 ID:???
なんか死傷率の数字だけ比べて銃優位みたいな論理が出ているけど、全然違くね?
戦局を決めているのが砲の重要性なわけでさー。銃の性能で勝敗が決まっているなら普仏戦争でフランスが勝っていたろうしさ。

819 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 17:54:03.14 ID:yNanVtSc
奇兵隊の軍装を復元
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130607-00000115-mai-soci.view-000
↑これを見てただの洋服でとても兵士の戦闘服には見えないと思った。

↓和装でもこういうふうな祭り装束の方が軍装に向いていて機能的だと思う。
ttp://omatsurimuseum.net/images/31000865_o1.jpg

820 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 18:00:37.59 ID:???
>>819
ヤンキーが粋がってる様にしか見えないw

821 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 18:01:46.59 ID:???
というかその祭り装束自体がだいぶ後世のデザイン何でないの

822 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 19:21:34.82 ID:???
>>818
銃にしても榎本側が3万5000発も射撃して死傷者25名の損害しか与えられない。
つまり命中率は1000分の1以下。
やっぱり白兵戦しかないな(アレ?)

823 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 19:28:09.60 ID:???
>>813 >>814
砲くらったら伏せるなんてこの時代にあったっけ?

824 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 19:34:44.97 ID:???
銃砲撃中は頭をあげるななんて戦国時代からそうだろ

825 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 19:40:40.49 ID:???
>>822
結局、西南戦争でも日露戦争でも接近しての白兵戦が
行われてるしなぁ……。

826 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 19:43:57.02 ID:???
というか弾の消費量に対する命中率は時代が下るにつれて低下してたはずだが

827 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 19:49:13.92 ID:???
そりゃ撃たれる方だって弾に当たりたくないから
工夫するわな

828 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 19:51:24.97 ID:???
確かに密集して前進したりはなくなったなw

どっちかというと銃の性能向上により早撃ち、つまり遠距離なのにぶっぱなす奴が増えたということで語られることが多いが
あと速射性能の向上

829 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 20:14:13.23 ID:???
アラブのフリーダムファイターの皆さんは空中にぶっぱなしてる奴が多いな

830 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2013/06/09(日) 20:24:38.16 ID:??? ?2BP(1700)
今週の八重
ttp://tv2ch.com/jlab-10s/s/10s1243240.jpg
ttp://tv2ch.com/jlab-10s/s/10s1243241.jpg

831 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2013/06/09(日) 20:35:56.91 ID:??? ?2BP(1700)
白河城 ヲワタ\(^0^)/
ttp://folderman.gif.jp/up/s/fmb-63618.jpg
ttp://folderman.gif.jp/up/s/fmb-63619.jpg
ttp://folderman.gif.jp/up/s/fmb-63620.jpg

832 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 20:46:16.09 ID:???
伏せちゃったら装填困難になるやんけ?
それにその間に白兵挑まれたら、応戦も逃げも出来ずに殺されるだけなんじゃないかの

833 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 20:50:49.82 ID:???
走っていって撃ち返せば良い

834 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 20:51:00.70 ID:???
元込めなら装填可能
先込めだときついなあw

835 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 20:52:01.78 ID:???
周りに塹壕があればそこに篭って
突っ込んでくる敵を銃剣で突き上げる事も出来るのか?

836 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 20:58:34.08 ID:???
>>831
薩摩軍が20ドムス砲でアウトレンジしたんだよね。

837 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 21:01:41.42 ID:???
>>835
塹壕自体南北戦争が発じゃなかったっけ
胸しょう(字忘れた)ならもう少し遡れたような


伏せるようになったのは第一次世界大戦の後半やっと出てきたとかどっかで聞いたような

838 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 21:02:20.10 ID:???
アウトレンジしたんじゃなく
曲射弾道で山陰から撃ったから直射だと狙えなかったんじゃない

839 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 21:04:03.32 ID:???
・・・・・・・・。
http://livedoor.3.blogimg.jp/vipsister23/imgs/8/c/8c4f2c86.gif

放送事故 タレントが公開収録中に死亡するハプニング
http://www.youtube.com/watch?v=ius7GiK6EAo

細長い排水溝に潜りこんでしまったヌコ
自分で抜け出すことも出来ずもはや絶体絶命の危機
「史上稀に見る決死の救出作戦」が開始された
http://www.youtube.com/watch?v=FLGfCrcH9Gk

太平洋戦争で敗戦しようが北方四島どころか樺太も日本の領土である
しかし太平洋戦争の日本敗戦の混乱に乗じてロシアが侵攻し奪い取ってしまった
(アジア諸国の欧米による植民地支配の解放に置いては日本は戦勝国と言っても良い)
もちろん歴史事実的にも竹島、尖閣も日本固有の領土である

日露戦争 前編 
http://www.youtube.com/watch?v=0aNiy8lV9jc

日露戦争 後編 
http://www.youtube.com/watch?v=OMnO_9NC5pc

大東亜戦争 世界から見た日本への史実名言集
http://www.youtube.com/watch?v=Gz8s23-SQG4

大東亜戦争(大東亜共栄圏)世界に誇る日本精神 【不屈の武士道精神】
http://www.youtube.com/watch?v=7QQzmAQ7wEc&feature=related

840 :名無し三等兵:2013/06/10(月) 09:27:27.75 ID:???
散兵、軽歩兵はフレンチインディアン戦争のころから伏せてたらしいよ。
というか狩猟ではマズルローダーでも伏せるの当たり前。仰向けになれば装填はできる。

ただし騎兵に見つかると速攻で踏み潰される。

841 :名無し三等兵:2013/06/10(月) 18:54:19.78 ID:???
こないだの八重の桜で上杉米沢藩が洋式銃の導入が遅れていて云々という描写が出てきたけど
前スレで装備購入はギリギリ間に合ったという話でてたよね?

842 :名無し三等兵:2013/06/10(月) 19:59:52.83 ID:???
購入してもすぐには使えないよ。
やっぱり使用法を学習して訓練しないと。
幕府が歩兵隊を作るのにどれほど苦労したと。

843 :名無し三等兵:2013/06/10(月) 20:34:29.26 ID:???
薩長軍が新潟上陸したとき、ちょうど東北同盟軍の武器が港に山積みされてるところだった、
というのが中公新書の『奥羽越列藩同盟』に記されてたように思う
それなら全部没収されない訳がないわな

844 :名無し三等兵:2013/06/10(月) 20:44:23.47 ID:???
>>843
例のスネル兄弟のブツで新政府に賠償しろとねじ込んだんだよね・・

845 :名無し三等兵:2013/06/10(月) 23:08:57.72 ID:???
>>841
銃があっても弾と火薬が無ければ役に立たないしそっちも間に合ったかどうか・・・
それに幾ら弓より簡単だとは言っても数ヶ月は訓練せんと銃兵として使えないんじゃないか?

南北戦争では銃の使い方を知ってる白人ですら
軍隊として運用するには半年の訓練が必要とされたそうな
それでも素人兵の集団として高度な作戦行動は出来なかったそうだけれども

846 :名無し三等兵:2013/06/11(火) 04:56:09.94 ID:???
>>845
そもそも三兵戦術を伝習できなる人材が一握りしかいない。

薩摩なんか、赤松小三郎に英式兵制を教えて貰った後に、機密が漏洩するからと言って帰国する赤松を暗殺してしまうような悪どいことをしている。

847 :名無し三等兵:2013/06/11(火) 05:38:59.06 ID:???
コマンドーでロケラン撃ったOLが 「説明書を読んだから」 って答えたくだり
実はかなり重要なことで、米軍兵器は説明書を見れば操作できるように標準化してるそうな

武器・弾薬・消耗品・指揮官・戦術・戦略どれが欠けてても戦えん

848 :名無し三等兵:2013/06/11(火) 09:48:11.65 ID:???
米沢藩は越後出兵直前の慶応4年の5月15日にミニエー銃2000丁とスペンセル銃250丁を手にしたが、
http://www7a.biglobe.ne.jp/~soutokufu/boshinwar/hokuetu/main2.htm

上級武士はミニエー銃、下級武士中間はゲベール銃、一部の足軽がスペンセル銃で、
しかも小隊を身分別にせず、小隊の中にミニエー銃持った上級武士数人、ゲベール銃持った足軽中間いっぱいと言う編成だった。
ミニエー銃もった上級武士一人をゲベール銃持った足軽数人が援護する方式で効率悪い。

849 :名無し三等兵:2013/06/11(火) 10:02:10.34 ID:???
>>848射程が長い銃のお偉いさんが何故か射程の短い下っ端の後ろで構えてる非効率構造w

敵前逃亡を後ろから撃つ構造にしかなってないね

850 :名無し三等兵:2013/06/11(火) 13:16:05.21 ID:???
盛岡藩は長柄組や弓組の足軽にミニエー銃を与えて、組をそのまま小隊にして、
上級武士(騎馬武者)には槍を持たせて選抜槍隊を編成したので、前哨戦で撃ち勝ち、
接近戦・白兵戦でも強かったが、
米沢藩は前にいる足軽組はお貸しゲベール持ってて、後ろにいる騎馬武者がミニエー持っているので、
なんかおかしくなる。

851 :名無し三等兵:2013/06/11(火) 13:27:45.91 ID:???
白虎隊の生き残りの話では、
ガキどもが出陣前に、ヤーゲル銃じゃヤダ!マンソー銃くれなきゃお前を殺しておれたち切腹する!
と武器庫係りを恐喝して、マンソー銃せしめたけど全然使いこなせないらしい。

852 :名無し三等兵:2013/06/11(火) 13:28:29.83 ID:???
偉い人にはサブマシンガンがお薦め
それが無いならリボルバー

でも長尺リボルバーは危険だ
リー・アーメイもこれは嫌いと言っていたwww

853 :名無し三等兵:2013/06/11(火) 18:36:06.41 ID:???
>>851
武器係を恫喝したのは白虎隊でも上士で編成された士中隊の面々だからな〜
中士の寄合組隊や下士の足軽組隊は容赦なく最前線に投入されてるのに・・

854 :名無し三等兵:2013/06/11(火) 19:52:33.25 ID:???
白虎隊の悲劇で有名なのは士中2番隊の面々じゃなかったっけ?
一応、最前線に向かいはしているが、隊長の日向内記とはぐれたために
あの悲劇に至ったみたいだが。

855 :名無し三等兵:2013/06/11(火) 20:02:35.13 ID:???
米沢藩の稲富流砲術には伏せ撃ちがあるんだな。
http://shungansho.fc2web.com/inatomi.htm

米沢藩も一人一人の射撃の技術は高かったのかもしれないが。

856 :名無し三等兵:2013/06/11(火) 20:15:46.35 ID:???
士中一番隊は容保の警護部隊で篭城戦で49名中戦死者3名
武器係恫喝して戸ノ口原で壊滅して城陥落と誤認して切腹したのが二番隊
越後口戦線に投入された白虎寄合組隊は
白虎一番寄合組隊(中士)98名(異説あり)戦死者14名
白虎二番寄合組隊(中士)62名(異説あり)戦死者7名
白虎足軽隊はバラバラに投入されて71名(異説あり)戦死5名自刃1名

857 :名無し三等兵:2013/06/11(火) 20:22:56.05 ID:???
米沢藩家老・色部長門(久長)の最期は、

7/29の退却戦においては一度は白山付近で新政府軍の囲いを破り、関屋まで到達した所で高鍋藩と遭遇した。
上着を脱いで自ら最新式の七連発銃を持って奮戦。弾が尽きるまで撃つと白刃を振りかざして敵陣に突入していった。
しかし無情にも新政府軍の銃撃が色部長門の胸を貫く。最後の力で敵に首を捕らせぬよう叫び、従臣浦戸儀左衛門に介錯させて果てた。

と言う感じだが、自分一人が七連発ライフル銃で、周りの従者足軽が射程短いゲベール銃だと、
必然的にこうなるよな。一人だけ遠くから小銃連射してりゃ間違いなく目立つし。

858 :名無し三等兵:2013/06/11(火) 20:34:14.36 ID:???
>弾が尽きるまで撃つと白刃を振りかざして敵陣に突入していった。

薬莢つきの弾丸が無くなったのか

859 :名無し三等兵:2013/06/11(火) 20:51:51.31 ID:???
弾丸が尽きたら、隊をまとめて整然と退却すべきだと思うのだが……

860 :名無し三等兵:2013/06/11(火) 21:07:10.07 ID:???
謙信も部下置いて自分で突っ込んで行く変な奴だったからなあ。その伝統か。

861 :名無し三等兵:2013/06/11(火) 21:30:43.17 ID:???
弾丸が尽きたら、刀をつかえ、
刀が折れたら、敵の首を絞め、噛みついて戦え、と
東条首相は言われました。それが日本軍の伝統だと。

862 :名無し三等兵:2013/06/11(火) 21:31:38.09 ID:???
牟田口wwwwwwwwwwww

863 :名無し三等兵:2013/06/11(火) 22:09:09.91 ID:???
>>857
ノリが近代軍隊の指揮官と言うより戦国武将だなw

864 :名無し三等兵:2013/06/11(火) 22:20:52.48 ID:???
秋月氏高鍋藩2万7000石は戊辰戦争で延べ出兵人数343名中戦死者11名負傷者12名だから
結構苦戦してるな。

865 :名無し三等兵:2013/06/11(火) 22:24:51.89 ID:???
・・というか米沢藩中興の祖・上杉鷹山って高鍋藩6代藩主・秋月種美の次男だった・・

866 :名無し三等兵:2013/06/12(水) 09:05:27.36 ID:???
江戸時代の大名は基本江戸育ちで、各大名も婚姻相手にはそれなりの格を求めるから、
必然的に江戸駐在の他の大名家との婚姻も進むようになった
まぁ大名同士の婚姻自体戦国時代からあったことだし

867 :名無し三等兵:2013/06/12(水) 20:03:17.21 ID:???
どうしても家格というのがあるからな。
当時の結婚は上流、下流を問わず、家格を重んじたし。

868 :名無し三等兵:2013/06/12(水) 20:07:51.98 ID:???
秀吉が禁止して家康が破って一悶着あったけど
家康は禁止してなかったっけ?

869 :名無し三等兵:2013/06/12(水) 20:21:12.64 ID:???
勝手に結婚してはダメというだけ
大名同士の婚姻を結ぶ際には幕府の許可が必要。

870 :名無し三等兵:2013/06/12(水) 20:35:12.85 ID:???
無許可の婚姻だわな
大名家どうしの通婚はそのまま同盟政策だから
家臣だって主君の許可なしに家内でだって通婚は出来ない

871 :名無し三等兵:2013/06/12(水) 21:26:31.72 ID:???
家康の息子(7男?)と伊達政宗の娘が結婚して幕閣から強く警戒されてな

872 :名無し三等兵:2013/06/13(木) 14:37:47.80 ID:???
幕末ちょい前、徳川御三卿の一つ清水家の家臣で村尾嘉陵という人が
江戸近郊の見聞を記した本の中で
江戸城下くらいの意味で「都下」ということばを何回か使っている。
当時の人には江戸こそ都という意識がもうあったのだろうか。

873 :名無し三等兵:2013/06/13(木) 16:48:45.51 ID:???
>>872
お公家さんとしか思えない将軍に聞かせたい話だね

慶喜のことだけど

874 :名無し三等兵:2013/06/13(木) 20:52:14.25 ID:???
>>872
そりゃ東都なんて呼び名もあるくらいですし

875 :名無し三等兵:2013/06/15(土) 07:04:34.41 ID:???
そりゃ幕府側の構成員の人なら

876 :名無し三等兵:2013/06/15(土) 13:32:44.09 ID:???
幕末なら江府という表現を見たな
>>875
でも伊能忠敬の大日本沿海輿地全図の本初子午線は京都なんだよなあ

877 :名無し三等兵:2013/06/15(土) 18:04:22.35 ID:???
>>876
この頃は、子午線自体、各国でばらばらだった気が。
この後の時代の小説だけど、ベルヌの中で、ロンドン、パリ、ベルリンそれぞれの子午線に対応しているというのが出てくる。

878 :名無し三等兵:2013/06/15(土) 18:39:26.07 ID:???
>>876
そりゃ伊能忠敬は基本的に町人だから
そこまで武家(の本拠地)を持ち上げる義理はない

879 :名無し三等兵:2013/06/15(土) 23:03:15.09 ID:???
>>878
でも、下総生まれ下総育ちで深川在住の伊能忠敬は、京都には縁もゆかりもない

880 :名無し三等兵:2013/06/16(日) 07:13:21.57 ID:???
京都には御所があったからかもしれん

881 :名無し三等兵:2013/06/16(日) 09:17:18.20 ID:???
つまり日の本の国の都はあくまでも京都であって「江戸こそ都」などとは思っていない

882 :名無し三等兵:2013/06/16(日) 13:16:48.71 ID:???
1868年時点で師団規模のInfantryを編成できる(した)藩は幾つぐらいあったんだろ?

883 :名無し三等兵:2013/06/16(日) 18:24:59.78 ID:???
兵站も含めた独立行動可能な野戦軍としてなら「師団」はどこも厳しいかな?
かろうじて幕府陸軍ぐらいでね?

884 :名無し三等兵:2013/06/16(日) 18:30:29.45 ID:???
師団編制となると兵站部隊とかも必要になってくるからな。
明治陸軍も初期は鎮台制だったし。
それに師団規模といっても時代によって兵員数は結構違う。
日本陸軍の師団だと1940年当時平均2万5000人だったが、
日露戦争のころだと1万5000人ほど、ナポレオンの師団は5000人ほどだった。
だから、兵員数で考えるべきでは?

885 :名無し三等兵:2013/06/16(日) 18:58:00.73 ID:???
同時期の米連邦軍は旅団以上の編成は持ってなかったんだっけ
小・中・大・連隊と旅団までだっけか

886 :名無し三等兵:2013/06/16(日) 19:14:57.29 ID:???
>>884
1940年だと3単位師団に移行してるはずだがそんなにいたっけ?
基幹の歩兵連隊以外に補助兵科手厚くつければそれぐらいまで膨れ上がるだろうけど
まあでもそれも編制次第だし

887 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2013/06/16(日) 20:14:04.14 ID:??? ?2BP(1700)
大山弥助 ポイズン
ttp://folderman.exp.jp/s/fn-4093.jpg

888 :名無し三等兵:2013/06/16(日) 20:34:41.20 ID:???
一国一城令って言うのは意味が大きいなあと思う回であった

889 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2013/06/16(日) 20:35:54.74 ID:??? ?2BP(1700)
二本松少年隊
ttp://folderman.exp.jp/s/fn-4152.jpg
ttp://folderman.exp.jp/s/fn-4153.jpg
ttp://folderman.exp.jp/s/fn-4154.jpg
ttp://folderman.exp.jp/s/fn-4155.jpg
ttp://folderman.exp.jp/s/fn-4156.jpg

890 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2013/06/16(日) 20:38:05.55 ID:??? ?2BP(1700)
とんがりコーン
ttp://folderman.exp.jp/s/fn-4158.jpg
ttp://folderman.exp.jp/s/fn-4160.jpg

891 :名無し三等兵:2013/06/16(日) 21:36:40.31 ID:???
>>890
薩摩兵も下っ端は草鞋でね?

892 :名無し三等兵:2013/06/16(日) 22:41:06.57 ID:Qtw4D02g
>>891
薩摩兵が生き胆食った描写がない

893 :名無し三等兵:2013/06/16(日) 23:20:41.04 ID:???
略奪強姦シーンもない(どこがやったとは書かない)

894 :名無し三等兵:2013/06/17(月) 09:29:14.87 ID:???
山川大蔵を中心にすれば見方もだいぶ変わるんだけどな。日光口の戦闘場面はせいぜい30秒くらいだったな。

会津藩でも日光口では完封だったんだぜ。板垣は迂回しただけ。

895 :名無し三等兵:2013/06/17(月) 14:05:07.79 ID:???
>>894
山川大蔵の見せ場は他にあるしねい。時間の制約がある以上、
西郷はダメで山川は成功したという感じの、あの程度の描写でも
必要・十分だと思うよ。

896 :名無し三等兵:2013/06/19(水) 19:31:55.67 ID:iubaFwgk!
>>894
今市に攻勢かけて負けてたろ、山川っつか大鳥
まぁ日光から先には進ませなかったから防衛としては十分だが
土佐と交代したどっかの藩は、日光から会津に下ろうとして負けてたな

897 :名無し三等兵:2013/06/19(水) 20:44:21.26 ID:???
むしろ大鳥を中心に話を進めてほしい。

898 :名無し三等兵:2013/06/19(水) 22:43:08.11 ID:???
大鳥は軍ヲタ的には好感がもてるw

899 :名無し三等兵:2013/06/20(木) 21:29:05.58 ID:???
大鳥さんって南北戦争のマクレラン将軍と似たイメージがあるな。
将帥としての才能は確かにあるんだが、臨機応変がきかないというか、
戦の勘所がつかめないというか。
それがないと将軍としてダメだろうというのも事実なんだけど。

900 :名無し三等兵:2013/06/20(木) 21:41:15.02 ID:???
薩長の将帥に比べると経験が足らなかった。デビュー戦が少し遅かったね。

901 :名無し三等兵:2013/06/20(木) 22:26:18.71 ID:???
大鳥圭介のバイタリティは見習いたいな

902 :名無し三等兵:2013/06/20(木) 23:50:18.46 ID:???
医者の勉強していたらいつの間にか軍ヲタになってました。
ってのがいいよなw

903 :名無し三等兵:2013/06/21(金) 13:39:33.66 ID:???
村田蔵六「呼んだでアリマスカ?」

904 :名無し三等兵:2013/06/21(金) 18:33:49.96 ID:???
確かに大村益次郎と大鳥圭介の経歴は微妙に似ているな。
もし、歴史の流れが違っていたら、大鳥圭介が陸軍の父になっていたかもしれない。

905 :名無し三等兵:2013/06/21(金) 18:54:19.97 ID:???
大島高任ももともとは医者。

906 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2013/06/23(日) 20:39:31.38 ID:??? ?2BP(1700)
今週の八重

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907 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2013/06/23(日) 20:44:20.87 ID:??? ?2BP(1700)
来週へ続く
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908 :名無し三等兵:2013/06/23(日) 21:02:39.87 ID:???
>>906>>907
これでバンダナでも巻くシーンつければまんま○ンボーの出撃だな
会津城下の戦いの前に二本松城奪還作戦やってこれまたボロ負けしたはずだけど
やらなかったのかな?

909 :名無し三等兵:2013/06/23(日) 23:42:42.27 ID:???
今回はナレーションと地図と伝令の報告だけで淡々と進む感じ。
猪苗代城で土方と斎藤(山口)が別れるシーンの方が戦闘より光が当たってた。
城下の大戦闘用に予算を節約したんだろう。

910 :名無し三等兵:2013/06/24(月) 20:57:19.63 ID:UGPl1xGe!
>>908
母成峠すらスルーだからやらないでしょ

911 :名無し三等兵:2013/06/25(火) 19:42:55.94 ID:???
飛行隊
現在の仙台市良覚院丁公園内にあった良覚院が総触頭となって仙台藩の山伏は統率されており、戊辰戦争に際して慶応四年五月頃より各寺院より人員が出され編成された。
身体能力の高い山伏たちが集められため「飛行隊」と命名され、隊長梅村信太夫以下隊員は三小隊九十名、七月まで訓練を受け、同月二十九日二本松城陥落を受け
仙台藩若年寄・大越文五郎の指揮の下、登米隊、聚義隊とともに八月一日仙台城下より奪還作戦に出陣した。
十七日二本松道より上山藩、二本松藩兵と共に出撃するも、十八日待ち伏せていた新政府軍により先鋒が崩壊・退却し飛行隊は包囲される。
隊長梅村信太夫以下十名が戦死、負傷者多数を出し根子町まで退却した。
九月十五日仙台藩降伏により解隊した。

912 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 09:33:48.41 ID:LGOCOjz5
飛行隊は名前は近代的なのに、戦闘力が並の仙台藩部隊なのが残念だな。

913 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 19:41:58.43 ID:???
同盟軍はそもそも指揮系統があやしいんですよね、仙台藩飛行隊も出陣前に
「軍務局を大安寺に開き、桑名、板倉、小笠原の三侯と会す」(仙台戊辰史)
と旧幕諸侯を担ぐ形を取っていますが上山藩・二本松藩との連携がとれていなくて、
先鋒の上山藩が撤退して飛行隊が孤立・包囲されることになっています。

914 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 20:17:44.53 ID:???
試しにちょっとのぞいてみたが、こっちのスレは静かでいいな
「隔離スレは削除しろ」と強硬にこのスレに誘導するのが大勢いるから、
仰せの通りこっちに居つくのも悪くはなさそうだな。

915 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 20:50:47.65 ID:???
幕府陸軍には騎兵隊がいたみたいだけど戊辰戦争では彼らはどうだったの?
それとも長州征伐、鳥羽伏見の時点では存在すらしてなかったのかな?

916 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 20:57:47.33 ID:???
騎兵が足りなくてそんなもの編成できなかったはずだが
マジで?

917 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 21:03:15.75 ID:???
幕府陸軍に騎兵がいたというのは初耳
フランス伝習で騎兵の編成を検討したと何かで読んだが
検討段階で幕府が潰れたはず。

918 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 21:05:24.81 ID:???
編成計画があって馬格改良のためにフランスからアラブ馬をもらっていたけど
途中で幕府が崩壊、馬も各軍のタクシー代りに使われて明治期に改めて集めたら
数頭しか残っていなかったらしい

919 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 21:15:31.51 ID:fDxnKcJv
>>915
ごく少数が鳥羽伏見に投入されたがあの数では伝令くらいにしか

920 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 21:18:10.20 ID:???
>>918
ソースというか
『追跡 一枚の幕末写真 長編ノンフィクション』 集英社 鈴木明
のフランス軍事顧問団でアラブ馬導入云々が出てた

921 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 21:20:28.82 ID:???
日本最初の騎兵隊は秋山兄ちゃんといわれています

922 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 22:19:19.56 ID:???
これか >幕府の騎兵
ttp://fsm.vip2ch.com/-/hirame/hira001443.jpg
ttp://fsm.vip2ch.com/-/hirame/hira001444.jpg

923 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 22:30:57.63 ID:???
>>922
幕府軍って日の丸だったの?

924 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 22:32:26.20 ID:???
幕末には国旗は日の丸で既に決まってたような
詳しくは知らんけど

925 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 22:41:50.42 ID:???
安政六年一月(1859)に従来の幟から日章旗を「御国総標ミクニソウジルシ」とお触れを出して
以来佐幕派は日章旗を掲げて戊辰戦争も戦ってた。
新政府軍側は菊の御紋旗だったそうな。

926 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 22:46:07.97 ID:???
日の丸を提案したのは島津。種子島家の家紋がモデルといわれる。
海上を航行する船舶は日本の船の総印とされたけど、陸戦では三つ葉葵じゃないの?

927 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 22:48:51.84 ID:???
葵の御紋は捨てたのか
すごい決断だな
安政六年だとまだ平和なご時世か、そろそろテロの風だが

928 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 22:52:45.35 ID:???
米沢藩は謙信以来の紺地日の丸を掲げていたらしいけどね
函館の榎本軍も日の丸掲げていたそうだし

929 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 22:57:24.78 ID:???
紺地の日の丸ってどんなだ?w
謙信なんて毘沙門天しか知らん

930 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 23:01:31.12 ID:???
>>929
こんなやつ
紺地日の丸旗
ttp://samidare.jp/u_jidaikan/note.php?p=log&lid=279969

931 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 23:07:20.90 ID:???
>>927
日本近海を航行する船は、みな各大名家や廻船問屋などの商家の家紋を掲げていたが、
外国船が出没するようになるとどれが日本の船なのか外国人にはわかりづらいから、
御国総標を決めよう、という話になった。もちろん全ての船が従ったのは明治以降。
国内ではそんなこと気にしなくてよかったから、一部の例外を除けば以前として家紋ばかり。

>>922
そもそもその絵のソース何?なんで僧兵じゃあるまいしみんな白頭巾?
槍持ってるひとだけ?鉄砲持ってるひといないの?

932 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 23:20:56.65 ID:???
>>930
馬印か
国旗の日の丸とはちょっと遠いな
そんな国旗があったような気がしたがきのせいだった

933 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 23:28:07.00 ID:???
>>927
葵の御紋だと徳川家の家紋だからね
国旗にはどうしてもつかえないし、徳川以外の諸藩も当然掲げられない

934 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 23:42:38.84 ID:???
武器と防具幕末編には合印しかのってなかった
使えねえな!

935 :名無し三等兵:2013/06/27(木) 23:59:05.96 ID:fDxnKcJv
>>931
2枚目をよく見るんだ

936 :名無し三等兵:2013/06/28(金) 00:05:12.60 ID:???
>>935
二枚目が表示されません

937 :名無し三等兵:2013/06/28(金) 00:08:42.19 ID:???
ファイルは消えてないだろ
同じ環境で一枚目が見えて二枚目が見えないということはないと思うが

938 :名無し三等兵:2013/06/28(金) 00:31:57.20 ID:???
>>937
だからなんだよこのソース
白頭巾と思ったらターバンか?

939 :名無し三等兵:2013/06/28(金) 00:34:33.35 ID:???
>>938
俺に聞いても知るか
見えんというからそれはないだろって答えただけだし
俺だって一目見て胡散臭いと思ってにやけただけだわ

940 :名無し三等兵:2013/06/28(金) 00:51:34.79 ID:???
>>922
これだ
小学校のとき歴史百科事典でみかけた画像

騎兵充実させてもあんまり活躍しないだろうな・・・
山谷の地形でその機動力をどう生かすか・・・

941 :名無し三等兵:2013/06/28(金) 00:57:25.05 ID:???
ぐぐったらあっさり出て来たけど
お前ら驚くなよ、俺には何かわからん

ttp://wtfm.exblog.jp/17296242

942 :名無し三等兵:2013/06/28(金) 01:02:58.48 ID:???
そういえば幕府歩兵隊の序盤にちょろっとでてたなぁ
なかなか奇妙な記述だったが

943 :名無し三等兵:2013/06/28(金) 01:30:05.10 ID:???
あの、それで秋山好古さんはどうなったんでしょうか?

944 :名無し三等兵:2013/06/28(金) 01:44:09.14 ID:???
日本語のがめっかった
ttp://blog.goo.ne.jp/sakura-oka/e/9befbb74621d0847525930728fca9d11

945 :名無し三等兵:2013/06/28(金) 07:22:24.76 ID:???
白頭巾と思ったらターバン
なんと仏軍熱帯植民地部隊仕様のピケだったのか

946 :名無し三等兵:2013/06/28(金) 09:44:18.89 ID:???
騎兵用軍服の注文が残ってるから実際にあったんだろうな。
http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/hatamotogokenin2/contents/50.html

最初の奇兵隊は秋山兄じゃなくて成島柳北か。

947 :名無し三等兵:2013/06/28(金) 11:00:55.76 ID:???
幕軍騎兵は文久三年の兵制改革で誕生。
文久二年の暫定案では、
重騎兵:6大隊、800騎
軽騎兵:2大隊、180騎
とされていましたが文久三年の戎服色目では、騎兵組、騎兵槍組とされているなど兵種や兵力などの実体は不明。
屯所は一橋外護持院原に新設され、長崎で西洋馬術を習得して来た貴志大隅之守などから伝習を受けましたが・・・
慶応二年の時点でも十分な数の洋式鞍を用意出来ず、戎服も洋装の影響を受けた和装でした。
伝習中に落馬する者も多く、怪我防止の為に練兵場に砂を敷いたりもしました。
その時点での兵力は定数200騎に対して実数70騎だった様です。
(と言う事は、兵種は軽騎兵?)

948 :947:2013/06/28(金) 11:03:12.86 ID:???
慶応三年に仏式伝習が始まると、あらゆる面で洋式化が進みました。
鞍も顧問団の指導の下、馬具商の六代目森村市左衛門が軽騎兵用鞍を製造納入しました。
>>922は、その当時、騎兵指図役の福井某が画かせた物で、現在は靖国神社に収蔵されています。
白頭巾に見えるのはケピ(仏式軍帽)に白い日除けを付けた物。
もっとも、講武所以来、各種頭巾は幕末の戎服に広く使われていましたが。
サーベルは、歩兵用マスケト単体の七両二分に対し、一振り十両の高級品?でした(あくまで予算上ですが)。

騎兵奉行を務めた成島甲子太郎(柳北)は明治に入り文筆家になりましたが、幕府騎兵に付いての回想は残していません。
書くに値しなかったのか・・・
肝心な軍用馬が未整備でしたから前線に投入出来る様な状態では無かったのかもしれません。

949 :名無し三等兵:2013/06/28(金) 11:14:36.41 ID:???
日清戦争のころは軍馬の質で苦労していていて、日本の騎兵がまともになるのは
日露戦争あたりからだけど、その後は騎兵そのものの必要性がなくなっていった…

950 :名無し三等兵:2013/06/28(金) 13:39:08.26 ID:???
富国強馬絶版だからなぁ…

951 :名無し三等兵:2013/06/28(金) 14:55:17.33 ID:???
日清戦争のみならず、日露戦争でも軍馬、挽馬の改良の必要性が痛感された
そこで抜本的改良のため馬政計画が建てられた
富国強馬によると、そんな感じじゃなかったっけ?

952 :名無し三等兵:2013/06/28(金) 20:32:15.21 ID:???
義和団事件で日本軍の軍馬が列国軍の中で嘲笑の対象になったくらいだからな。
優秀な軍馬を育成するためには去勢しないといけないのに
明治時代の馬産農家では去勢したら馬はダメになると全面反対。
去勢の重要性が農家にようやく分かったのは昭和時代になってからだとか。
優秀な軍馬を育成しようにも裾野がこれではどうにもならん。

953 :名無し三等兵:2013/06/28(金) 20:52:45.36 ID:???
日本では宦官も定着しなかったし、気候的に去勢は死亡率が高すぎたのかな?

954 :名無し三等兵:2013/06/28(金) 22:51:55.70 ID:???
騎兵用の乗馬は馬格はどうでもいいんだよ。秋山は日本の騎兵は軽騎兵でよしって割り切ってるんだから。

問題は6頭で75mm野砲をひっぱる軽挽馬の馬格。重砲は28サンチ砲みたいに人が引っ張ってもいいが、
野砲は馬じゃないとまずい。

955 :名無し三等兵:2013/06/29(土) 05:11:33.26 ID:???
でもその体格のいい洋種の馬は支那大陸では
バタバタ死んだんだろ?

956 :名無し三等兵:2013/06/29(土) 13:03:58.62 ID:???
そして山砲が重宝がられたり「機動力のある」95式野砲が開発されたりするわけだな

957 :名無し三等兵:2013/06/29(土) 14:27:39.11 ID:???
日清戦争のときでも、南部(岩手青森)の馬は集団行動できたが、九州の馬は集団行動できなかったと書いてるな。
集団行動できないと6頭で野砲をひっぱるのは困難だ。
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/975/

958 :名無し三等兵:2013/06/29(土) 14:29:45.98 ID:???
『日本の馬は騎兵用としては遜色があるが、乗馬歩兵用としては軽捷にしてあえて不可ではない。ただし、輓馬は改良を必要とする。ロシアの鹵獲砲を、ロシア馬は6頭で軽々とひくが、日本馬は8頭でも不可能なことが多い』

959 :名無し三等兵:2013/06/29(土) 14:43:06.33 ID:???
引用なら引用元も書けよ

960 :名無し三等兵:2013/06/29(土) 18:48:20.45 ID:???
957に貼ってある。

961 :名無し三等兵:2013/06/30(日) 17:39:14.92 ID:???
WW2でも全主要参戦国(アメリカ以外)の後方支援の主力は馬だったからな
とりたてて日本が水準に達していなかったことはない

962 :名無し三等兵:2013/06/30(日) 18:00:02.87 ID:???
いや米軍でもイタリア戦線では後方支援の主力はラバやロバだったからな。

963 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2013/06/30(日) 20:45:19.78 ID:??? ?2BP(1700)
今日の名場面「命中」
ttp://motto-jimidane.com/jlab-tv/3/s/243789.jpg
ttp://motto-jimidane.com/jlab-tv/3/s/243790.jpg
ttp://motto-jimidane.com/jlab-tv/3/s/243791.jpg

964 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2013/06/30(日) 20:47:01.37 ID:??? ?2BP(1700)
今日のGIF

ttp://folderman.ape.jp/s/fa763.gif
ttp://folderman.ape.jp/s/fa764.gif
ttp://folderman.ape.jp/s/fa765.gif

965 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2013/06/30(日) 20:59:25.15 ID:??? ?2BP(1700)
集団自決
ttp://folderman.ape.jp/s/fa692.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa693.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa694.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa695.jpg
ttp://folderman.ape.jp/s/fa696.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa698.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa699.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa700.jpg
ttp://folderman.ape.jp/s/fa719.jpg
白虎隊
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ttp://folderman.ape.jp/s/fa728.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa729.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa730.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa731.jpg
ttp://folderman.ape.jp/s/fa732.jpg

966 :名無し三等兵:2013/06/30(日) 21:00:28.70 ID:???
>>963>>964
黒色火薬撃ちまくってる割には爪が綺麗すぎる気がする

967 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2013/06/30(日) 21:07:41.31 ID:??? ?2BP(1700)
序盤
ttp://folderman.ape.jp/s/fa660.jpg  ttp://folderman.ape.jp/s/fa661.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa662.jpg  ttp://folderman.ape.jp/s/fa665.jpg
ttp://folderman.ape.jp/s/fa667.jpg  ttp://folderman.ape.jp/s/fa668.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa675.jpg  ttp://folderman.ape.jp/s/fa676.jpg
ttp://folderman.ape.jp/s/fa677.jpg  ttp://folderman.ape.jp/s/fa679.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa680.jpg  ttp://folderman.ape.jp/s/fa681.jpg
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ttp://folderman.ape.jp/s/fa706.jpg  ttp://folderman.ape.jp/s/fa707.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa708.jpg  ttp://folderman.ape.jp/s/fa709.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa710.jpg

968 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2013/06/30(日) 21:11:39.20 ID:??? ?2BP(1700)

ttp://folderman.ape.jp/s/fa711.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa712.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa713.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa714.jpg
大山
ttp://folderman.ape.jp/s/fa737.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa738.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa739.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa740.jpg

終盤
ttp://folderman.ape.jp/s/fa746.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa747.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa748.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa749.jpg
次週予告
ttp://folderman.ape.jp/s/fa757.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa758.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa761.jpg ttp://folderman.ape.jp/s/fa762.jpg

969 :名無し三等兵:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN ID:???
山川大蔵が入城した時には城南方面はまだ包囲されてなかったんじゃないのか。

970 :名無し三等兵:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN ID:???
大鳥圭介っていつまで会津にいて、どうやって仙台に脱出したの?

971 :名無し三等兵:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN ID:???
>>970
8月21日石筵・母成峠の戦いで壊滅してから、同盟諸藩に冷たくされながらも
土方歳三や古屋佐久衛門の助力で再編、9月14日に仙台にたどり着いてる。

972 :名無し三等兵:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN ID:???
>>971
母成じゃ会津兵がまっさきに逃亡したというのに

973 :名無し三等兵:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN ID:???
>>972
傭兵の悲しさ、敗北の責任を押し付けられた上に、取り持とうとした古屋佐久衛門も同類と見られて
冷遇される有様、今の大河でもスルー状態だね。(幕府歩兵は大阪で暴れて斎藤一に髷を斬られる描写は出てた)

974 :名無し三等兵:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN ID:???
五稜郭が描かれないと幕府歩兵は優秀なのがドラマとかだと分からないな。
越後戦線でも衝鋒隊が活躍したが、ドラマだと長岡藩兵がまず描かれるのが普通だし。

975 :名無し三等兵:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN ID:???
ちょうど戦列歩兵から散兵への過渡期だったからねぇ
西洋から取り寄せた新しめの教本にも戦列歩兵戦術が書かれていたのだから
運が悪いとしか言いようがない

976 :名無し三等兵:2013/07/10(水) NY:AN:NY.AN ID:???
>>975
え、高島流の時点でゲーベル銃の戦列歩兵とヤーゲル銃の散兵を組み合わせての運用じゃなかったっけ

977 :名無し三等兵:2013/07/10(水) NY:AN:NY.AN ID:???
>>976
確かにそうだけどクリミア戦争でも戦列歩兵でロシア軍の突撃を阻止しているし、
南北戦争でも戦列を組んでの突撃を行っている。
戊辰戦争はそういう意味でも戦列歩兵の終りかけの戦争なんだよな。

978 :名無し三等兵:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:???
戦列歩兵と散兵では銃剣術も違ったのかな?
戦列歩兵は長柄、散兵は槍のような感じもするけど。

979 :名無し三等兵:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:???
19世紀の散兵戦術ってどんな感じなんだろ?

980 :名無し三等兵:2013/07/12(金) NY:AN:NY.AN ID:???
>>978
装備次第?
戦列歩兵:スムースボア・マスケト+スパイク・バイオネット
散兵が猟兵だとしたら:ライフル・カービン+ソード・バイオネット
全長も刃の付き方も違うので、銃剣術も違うかもね。

散兵=猟兵(ライフル銃兵)とは限らないので、スムースボア・マスケト装備なら戦列歩兵と同じ銃剣術かな?

981 :名無し三等兵:2013/07/12(金) NY:AN:NY.AN ID:???
>>979
19世紀の散兵戦術の基本は戦列歩兵の援護かと。
攻撃、守備どちらの場合も。

攻撃援護の一例
攻撃側戦列歩兵の前方に50〜100ヤードの縦深で展開し前進。
守備側も散兵を展開していたら、先ずはそれらを排除。
その後、守備側戦列歩兵との射撃戦に移行。
守備側戦列歩兵は前進して来る攻撃側戦列歩兵に射撃を仕掛けたいが、その手前にいる散兵との射撃戦を余儀なくされる。
―これは、貴重な初弾斉射(一番不発が少ない)を台無しにされる事をも意味します―
その間に攻撃側戦列歩兵は斉射か突撃発起の間合いまで前進する。
攻撃側戦列歩兵が位置に着いたら散兵は下がり、戦列歩兵大隊に合流する。
―戦列歩兵大隊が縦隊なら最後尾に、横隊なら大隊の最左翼に―
この様に散兵が敵の注意や火力を引き付け、後方の兵力を守る戦術は「散兵の幕」と呼ばれていました。

あくまでも一般的(と言うかフランス軍式?)な例で、細部は国によって異なります。
イギリス軍ライフル銃兵などは、ナポレオン戦争当時からバディシステムを採用していましたし。

982 :名無し三等兵:2013/07/12(金) NY:AN:NY.AN ID:???
猟兵の為の教本とかあったのかな

983 :名無し三等兵:2013/07/12(金) NY:AN:NY.AN ID:???
独立戦争期のモーガン隊みたいなもんかな
本格的な散兵は無線が登場するまでは無理だし

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