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山本五十六とか言う臆病者

1 :名無し三等兵:2013/01/10(木) 19:18:53.02 ID:bnQiUQ6k
きらい

2 :名無し三等兵:2013/01/10(木) 19:47:36.06 ID:???
I am Gunnery Sergeant Hartman, your Senior Get>>2 Instructor.
From now on, you will speak only when spoken to, and the first and last
words out of your filthy sewers will be "Sir!"
Do you maggots understand that?

>>1 Bullshit! I can't hear you. Sound off like you got a pair.
>>3 You are nothing but unorganized grabasstic pieces of amphibian shit!
>>4 I'll P.T. you until your assholes are sucking buttermilk.
>>5 You had best unfuck yourself or I will unscrew your head and shit down your neck!
>>6 Holy dogshit! Gunma! Only steers and queers come from Gunma!
>>7 You're so ugly you could be a modern art masterpiece!
>>8 I'm gonna rip your balls off so you cannot contaminate the rest of the world!
>>9 You goddam communist heathen, I'm gonna stomp your guts out!
>>10 Hell, I like you. You can come over to my house and fuck my sister.

3 :名無し三等兵:2013/01/10(木) 20:07:22.50 ID:???
>>1
生出寿

4 :名無し三等兵:2013/01/10(木) 22:00:53.55 ID:bnQiUQ6k
愚将愚将アンド愚将

5 :名無し三等兵:2013/01/10(木) 23:23:32.74 ID:???
>>1
長官なら長門の中だよ

6 :名無し三等兵:2013/01/11(金) 12:15:36.13 ID:???
なんJのカスは巣に帰れ

7 :名無し三等兵:2013/01/17(木) 11:35:41.90 ID:93+UC1Zl
スレタイワロタ

8 :名無し三等兵:2013/01/18(金) 19:03:01.24 ID:Lx/sTSWv
>>1
N川ハチ公
帰れよ  不要じゃ。

9 :名無し三等兵:2013/01/18(金) 20:03:05.31 ID:???
お前ら付き合いいいね

10 :名無し三等兵:2013/01/19(土) 06:22:17.19 ID:lm+8mKPE
>>1は女だな?
物事を、スキだ、キライだ、で評価しているところを見ると・・・。

11 :名無し三等兵:2013/01/19(土) 15:06:31.58 ID:Qccipopa
>>1
おかまの陸軍残置諜者、チンドン屋。

12 :名無し三等兵:2013/01/20(日) 06:31:27.42 ID:eXrsohl5
>>1
お前の方が百万倍も嫌い

13 :名無し三等兵:2013/01/22(火) 06:51:22.12 ID:PDVry0IH
>>1
ハチ公や よしよし
伏せ、お手、お座り。
犬小屋でおとなしく寝てろ。

14 :名無し三等兵:2013/01/23(水) 03:21:02.93 ID:???
人に飼われるような賢い犬でもなさそうだが w

15 :名無し三等兵:2013/01/24(木) 23:59:25.04 ID:DD77B5pu
■山本五十六の大罪をまとめると

@日中戦争を勃発させ泥沼化させた。
十分停戦可能だった第二次上海事変を口実に
中国無差別爆撃を強行した当時の海軍の主導者。
米国大統領が歴史上初めて日本を批判(隔離演説)

A対米戦争を要求した。
海軍の主張で南進論も国策となってしまったが
アメリカとは戦争すべきではないという陸軍の警告を無視し(米英可分論)
アメリカとの戦争を第一に主張した(米英不可分論)

B反対を押し切って強引に強行した山本五十六の真珠湾奇襲によって
アメリカ世論を参戦支持一色に豹変させ
アメリカを無理やり全面戦争に引きずり込み、世界大戦に発展させた。

C国の方針を無視し極東での陸軍の作戦を支援せず
馬鹿で無謀で意味の無い太平洋戦線を過酷な戦場にさせ
大損害を出させた。

16 :名無し三等兵:2013/01/25(金) 00:00:19.97 ID:ZIRuw3wm
D海軍航空機を防弾装備皆無の
自爆機ばかり大量増産させた。

Eだれが考えても挑発の陽動作戦であるドーリットル空襲に愚かにも引っかかり、
まんまと罠にかかり空母4隻を失う大失態を犯しながら
何の責任も感じず司令長官の職を辞任しなかった。

F補給が続くわけが無い無意味なガダルカナルやポートモレスビー攻略、その他戦線拡大を主導し
協力させられ派遣された陸軍部隊は、海軍が制海権を維持できず、陸軍の補給戦の
護衛を無責任に放棄し物資が尽き、あちこちで餓死玉砕。

Fマスコミを戦争扇動に利用
記者クラブ(黒潮会)を利用し、新聞社を戦争扇動機関に育てた。
これは山本五十六が日本で始めてじゃらかした
戦争扇動の手法。

G笹川良一、児玉誉士夫といった
商売金もうけが全てのエセ右翼のヤクザが
最も親しい友人だった。

17 :名無し三等兵:2013/01/25(金) 09:46:52.57 ID:???
>>15
>>16
土足は自分の巣に帰れよ

18 :名無し三等兵:2013/01/25(金) 17:07:56.12 ID:Qw+zMsjC
>>15
>>16
ハウス!!

19 :名無し三等兵:2013/01/25(金) 17:31:31.91 ID:???
日露戦争で負傷するほど実戦で正面に出てるのに臆病?

20 :名無し三等兵:2013/01/25(金) 19:56:27.56 ID:???
負傷は自艦の筒発による可能性が大きいけどな。
下っ端士官(候補)で乗艦してるから、その時点で勇敢かも臆病かもわからん。
戦前に辞めてないから、並の度胸はあったろう。

むしろ、軍政やってた時の方が危険はあったはず。

21 :名無し三等兵:2013/01/27(日) 00:29:49.05 ID:/E3MxPPN
>>1
君は、屁も糞もせんのか? 君が屁もせず、糞もせず、男も抱かんというのなら、話を聞いてやろう。

22 :名無し三等兵:2013/01/27(日) 00:51:41.80 ID:???
別に臆病なわけではく、無能なだけだろ。

23 :名無し三等兵:2013/01/27(日) 06:49:46.73 ID:/E3MxPPN
22ほどではないな、まちがいなく。

24 :名無し三等兵:2013/01/27(日) 08:04:52.88 ID:tQHM3cTn
石原莞爾と井上成美の言う通りにしておけば日本は負けなかった
ゴミ箱漁りも博打打ちも物事を広く見通す能力が欠けていた

25 :名無し三等兵:2013/01/27(日) 10:18:29.80 ID:/E3MxPPN
ああ。
おまはんが親方やってたら負けなかった・・・

か?

26 :名無し三等兵:2013/01/27(日) 11:16:12.37 ID:???
開戦劈頭に真珠湾の米太平洋艦隊を攻撃する以外何をするんだ?

またフィリピンだけなら手加減論かw

27 :名無し三等兵:2013/01/27(日) 11:33:29.84 ID:???
>>24
仮に莞爾や井上がそれ相応の要職についたら当然
じゃあ、あんた軍人辞めれば?あんたさ、軍人向いてないよって展開になりますが

28 :名無し三等兵:2013/01/27(日) 21:53:41.71 ID:/E3MxPPN
負けなかったなんて奴がいるんだが・・
まじで云ってるのかおめでたいのかジョークなのか釣りなのかおせじなのか

29 :名無し三等兵:2013/01/27(日) 23:27:09.61 ID:???
>>28
ヒント:リア厨

30 :名無し三等兵:2013/01/29(火) 00:45:14.29 ID:lWWnx9Ft
「聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実」今見た
ま〜、いろいろあるが、
空母が攻撃を受けるシーンでは、悔しくて涙が出てしまった

31 :名無し三等兵:2013/01/29(火) 06:08:08.33 ID:1hG7mZxz
>>30
悔しいな、本当に。
これから我が日本の
科学技術、工業力、暗号技術、科学的精神を
誰にも負けないように高める為にみんなでがんばろう。

32 :名無し三等兵:2013/01/29(火) 06:28:23.54 ID:???
科学技術:2位じゃ駄目なんですか?事業仕分けでさらに衰退
工業力:台湾・韓国はおろか中国にも劣る始末
暗号技術:つつぬけ・サイバーテロもされ放題
科学的精神:精神とつくものは総て失われてしまった

33 :名無し三等兵:2013/01/29(火) 23:19:35.79 ID:1hG7mZxz
>>32
悔しいですたい。本当に。
これからでごわんど。
我が日本をば
誰にも負けんようにみんなでがんばりませう。

34 :名無し三等兵:2013/02/04(月) 21:27:42.67 ID:0R3UZOeR
空母二隻の破壊に失敗したのに
真珠湾攻撃の英雄になったしまった山本五十六
エリートは責任をとらないで失敗のツケは国民にまわす

35 :名無し三等兵:2013/02/04(月) 22:55:19.95 ID:???
国の一大事でバクチすんなよ
バクチしかできないんであれば、まともにやっては勝てません。バクチ打って上手いこと行けばどうにかなりますけど
って素直に報告するのが仕事なのに、海軍のメンツ優先で国が滅んだ

36 :名無し三等兵:2013/02/05(火) 01:24:32.97 ID:l2Sum91D
34,35
なにをバカいうとるんじゃ!!
失敗でも何でもない。ハワイの目的は当面米艦隊が南方作戦の妨害を
できないようにするのが本来の目的。かなりの損害を受けることを予測していたが
それでもやる必要があった作戦。ハワイは世界最大の艦隊と要塞だったのだ。
だから、その後半年は連戦連勝だったことは知ってるのか?
その段階で政府が講和に持ち込むのが役目だったはずだが、政府はそれをせず
戦争継続をしただけだ。海軍のメンツ優先?国が滅んだ?今あんたは何人?
誰が対米戦の命令を出したのか知ってるのか?
それがどのようにして決まって行ったのか知ってるか?
英雄になって? でも、それ本人が頼んだことじゃない。

特攻隊員は拒否できるのになぜ自主的志願したのだ?
兵隊に行くことも拒否できなかった。
国家が命令を出したことに拒否できるものはいない。
指揮者も同じ。
国家や天皇のために死ぬことを美徳とする精神風土
それが当時の日本だった。

37 :名無し三等兵:2013/02/05(火) 23:37:42.39 ID:???
スタンドプレーをやって、うまくいけば手柄は俺のもの、失敗しても知らんぷり。それが糞六

38 :名無し三等兵:2013/02/06(水) 06:58:14.19 ID:???
 その卓越した先見性!
______  ___________
         V

      ヽヽ〃 /
       ヽ〃   真珠湾奇襲プシュ!    
      ( _)
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
       | | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ     
     /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     /  ゝ      |
    /  _  ゝ___)(9     (` ´) )j
   /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  /   )           (彡       |
 / _/           \____/


       ↑

この長岡の猿は
2ちゃんに1000匹くらい
ばらまいてやったわwww

39 :名無し三等兵:2013/02/06(水) 14:51:17.88 ID:gkOI4MlN
こんな↑やつが日本をダメにしている。

40 :名無し三等兵:2013/02/06(水) 15:23:19.19 ID:???
実はアニメスレに次ぐ人気の本スレ

【ガールズ&パンツァー☆模型戦車道・XIII号戦車】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mokei/1359977258/

41 :名無し三等兵:2013/02/07(木) 13:40:41.67 ID:r/ZXVMdd
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■■■■■■■ このスレは他板・他スレ運営妨害の非常に悪質糞スレの為に ■■■■■■
■■■■■■■反感を買って終了しました。 皆様のご愛顧有難う御座いました■■■■■■
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42 :名無し三等兵:2013/02/11(月) 19:32:01.77 ID:w3jRXnCk
On December 7, 1941, explosions rocked
Pearl Harbor and altered the course of history.
Now, meet the man who executed the attack.
Admiral Isoroku Yamamoto was a military genius who brought
modern warfare into the aerial age.
Although opposed to attacking the United States and
"awakening the sleeping giant,
" Admiral Yamamoto dedicated his life to the battle that devastated
U.S. morale and forced America into World War II.

43 :名無し三等兵:2013/02/12(火) 01:20:35.48 ID:XzrR8kLG
>>42
あのね、「対米戦争」は偉い方がたがお決めになったことだよ。
山本が決めたのではない。
戦争になれば、真珠湾でなくとも、日本は米軍に打撃を
与えねばならなかったし、敵の被害が大きくなるほどそれは軍事的に
効果があることであり、劣勢な日本がやらねばならなかったことなのだ。
日本だけではなく米国も。それが戦争なのだ。
軍人とは敵に打撃を与える為に国家が保持している存在である。
だから、攻撃が真珠湾でない場所にであってもその攻撃が効果をあげればあげるほど
米国は復讐の程度を高めただろう。
国力差があり勝てないのは始めから分っているのだから
軍人として成果を上げれば上げるほど批判されるということになる。
だから山本を批判するのは間違いだ。

44 :名無し三等兵:2013/02/12(火) 05:26:02.66 ID:fUXXqKKv
英語さっぱりわからんわ
でも>>43の反発を見ると長官批判こいてるみたいだな
成果をあげればあげるほど批判される
なんか、やり切れないよなぁ
んん?ということは長官批判こいてる奴は
裏返すと戦果を認めているということになるね
良かった良かった。

45 :名無し三等兵:2013/02/12(火) 13:56:07.86 ID:XzrR8kLG
>>44
私は>>43ですが山本長官を擁護しているんです。

>>42の意味は
「12月7日の真珠湾攻撃は歴史を大きく変えた。
この攻撃を実施した山本は、戦争形態を航空機の戦争に
変えた軍事的天才ではあったし、対米戦争に反対はしていたが、結局は
アメリカをぶちのめして眠れる巨人を起こし第二次大戦に向かわせたというのが
山本の人生だった。」という意味なんでしょうが、

それを理由にして、

山本長官を批判するのは間違いです。 >>43に書いたとおりです。

46 :名無し三等兵:2013/02/13(水) 19:29:22.90 ID:N3cbEG+Q
>>45
英訳ありがとうございます。
なるほどそういった意味でしたか失礼いたしました。

英訳を見てうれしかったです。
今日、当たり前となった航空兵力への移行を
アメリカ人も山本長官からはじまったと認めてる
わけですもんね
やはり山本元帥は軍事的天才だったんでしょう
悲しいかな早期講和にむけ初陣壊滅的打撃を与え
アメリカへの譲歩を導き出す作戦を逆にアメリカ側に火をつけた
という感情を持たせてしまったことは痛恨の極みである。
山本長官は国力差から、その後の東京大空襲や広島長崎の原爆投下などによる
日本壊滅を憂いて真珠湾攻撃を決行したんだと思う。
きっと分かっていたはず。
やはり先見性をもった卓越した人格者であると言わざるを得ない。

47 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 01:39:28.30 ID:iNkzxpk1
>>46
やめなさい。
あなたは明日の世界がどうなるのかいうことができるのか?
例えば、尖閣問題がどのように推移するのか言えるのか?
当時の世界は今よりも何倍も複雑だったはず。
尖閣というこの一島でさえ、どうなるのか・・
あなたは言えるのか

「対米戦」という国家の命令があった。
真珠湾はそれに対する一つの方策であった。
東京大空襲や広島長崎の原爆投下はそれによるものだけではなく、人種差別と、それまでに日本人が
大陸での行動や米軍と戦闘で世界に与えてきた残虐性というイメージの故によるものであるとともに
アメリカ自身の残虐さの故である。
間違うな。

48 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 01:41:52.77 ID:iNkzxpk1
「アメリカがその艦隊決戦の時期を後にずらせばずらすほど、日本側に勝利の
見込みはなくなるのであった。そして、そのタイムリミット、すなわち日本側に勝利の可能
性がある期限は、1941 年の段階ですでに刻々と迫りつつあった。また、仮にアメリカ側が
開戦後早期の艦隊決戦を求めてきたとしても、その時期と場所はやはりアメリカ側が
自由に選ぶことができた。日本は、この戦争の第一段作戦において、戦争遂行のため
に必要不可欠となる南方の資源地帯を確保することとしていたが、もし、この

49 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 01:42:57.87 ID:iNkzxpk1
>>46
「対米戦」という国家の命令があった。
真珠湾はそれに対する一つの方策であった。

「アメリカがその艦隊決戦の時期を後にずらせばずらすほど、日本側に勝利の
見込みはなくなるのであった。そして、そのタイムリミット、すなわち日本側に勝利の可能
性がある期限は、1941 年の段階ですでに刻々と迫りつつあった。また、仮にアメリカ側が
開戦後早期の艦隊決戦を求めてきたとしても、その時期と場所はやはりアメリカ側が
自由に選ぶことができた。日本は、この戦争の第一段作戦において、戦争遂行のため
に必要不可欠となる南方の資源地帯を確保することとしていたが、もし、この南太平洋
までをも含む広い地域に聯合艦隊が展開している時期にアメリカ主力艦隊の攻撃を受け
た際には、日本側はこれに対抗することは非常に困難になるのであった。聯合艦隊はア
メリカ艦隊だけを敵としている訳ではなかったからである。
開戦劈頭における、山本の航空母艦部隊の集中使用によるハワイ真珠湾のアメリカ主
力艦隊に対する奇襲攻撃は、こうした問題に対する的確な対応策だったと言える。
山本のハワイ作戦は、この戦争の唯一の戦争計画であった「腹案」の中でも、重要な
一支作戦として位置づけられた。この戦いでは、まず戦争遂行上不足する資源地帯を確
保して、そこで長期自給自足の態勢に入ることがグランド・デザインであった。
その最初の段階で、ハワイ作戦はまさに南方資源地帯確保に対する最大の懸念であった
アメリカ艦隊の脅威を取り除く意味を有していたからである。そして、このハワイ奇襲の大成功
もあって、日本軍は開戦数ヶ月の間にこの資源地帯を確保することに成功した。」 

出典:「太平洋戦争開戦時の日本の戦略」  
防衛省防衛研究所戦史部第2戦史研究室

50 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 01:56:28.67 ID:iNkzxpk1
>>46
東京大空襲や広島長崎の原爆投下は真珠湾攻撃の結果によるものだけではなく、人種差別と、
それまでに日本人が行ってきた大陸での行動や米軍との戦闘で世界に与えてきた残虐性という
イメージの故によるものであるとともに アメリカ自身の残虐さの故である。
なぜ日本が対米戦に入ったか といえば、それはアメリカ自身が認識していることだろう。
そしてそれを日本への復讐ということにすりかえたアメリカの方法に只々脱帽するだけである。

51 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 02:18:00.76 ID:iNkzxpk1
>>46
対米戦というのはどのようにして決定されたのか知っているのか?
山本とは全く関係ない。

ハワイがなくてどんな方法で南方要域確保できたのか ?

52 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 03:15:11.52 ID:iNkzxpk1
>>46  
ハワイがなくて
どんな方法で南方要域確保できたのか ?
シーレーン防衛も、マレー作戦も、インド洋作戦も
出来たというのだろうか?

53 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 08:18:08.83 ID:???
山本の頭の中には真珠湾以降の作戦構想が全く存在しなかった。
そこが最大の問題点。
事実、連合艦隊の主力中の主力、機動艦隊は、真珠湾〜珊瑚海海戦までほぼ半年間遊んでた。
え?イギリス東洋艦隊の撃滅に乗り出した?んなもん鶏を殺すのに牛刀を用いるが如くだ。
基地航空隊に任せればいいだろう。そもそも敗残の軽空母の2,3隻がなんだっていうんだ。捨て置け。
え?ポートダーウィン空爆もやった?それに何の意味がある・・・。ましてパイロットに無駄に犠牲を強いただけだろう。

つまり、真珠湾以降、約半年間、無駄な作戦しかやってなくて
機動艦隊の主目標である、米空母撃沈からほど遠い。
彼の頭の中には真珠湾以降、全く考えが浮かんでいなかったのだ。

54 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 12:39:11.06 ID:yfdliLbW
>>53
あ、そりゃそうだろ。
戦争構想がない、というのは。
日本という国家そのものが、そうおっしゃっているのだからね。
それがなければ連合艦隊単独で設定できはしない。
政府と陸軍代表の東条首相は供述書にどう書いているか?
・「統帥部においても政府においても戦争計画を持っていない」
・「事実上の作戦計画はなかったのであるから戦争準備なるものはないのであります。
いわんや太平洋戦争を目標とする恒久的戦争計画は夢想だもしておらなかった」
・「日本の対米英戦に対する準備は応急的のものであって、略、臨時的に行われました」

情勢の判断は専門の部署が行った。
例えば17年3月、日本の最高意思決定機関である大本営政府連絡会議は
「世界情勢判断」「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」を採択し、
「米英の大規模反抗は18年以降であり、 今や攻勢的戦略態勢に転じうる気運になった」との判断を示した。 
これが 海軍省、軍令部へと通達され、以後の連合艦隊の行動へと繋がって行くことになる。

結果を後で知っている者が、過去をああだこうだというなんてのは鼻糞にだってできる。

鼻くそがなんと多いことか!!   >>47の質問に答えてみよ。

55 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 13:08:00.01 ID:yfdliLbW
>>53
何をえらそうに講釈師しとるか。

自分自身の明日さえ、どうなるか誰も正確なことなどわからないのだろ?

>>47の質問、尖閣どうなるか答えてみよ。

56 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 13:10:48.76 ID:???
>>55
そんな無責任な態度で真珠湾攻撃を主導して
結果講和の道を閉ざした罪は重い

旧式戦艦だけを小突いてアメリカを怒らせるあの作戦に何の意味があったのか

57 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 13:35:57.92 ID:yfdliLbW
>>56
同時期の大本営内部の討議記録によれば、海軍の明確な作戦は
半年間に限定され、しかも開戦後一年七ヵ月後の昭和十八年の後半
以降の米軍の反攻を予想している。このあたりで、講和の可
能性とその方法を探ることは既定路線だった。
山本はシンガポール陥落の頃にこの時が講和の時期だと
海軍大臣に手紙を送ったが軍中央部からは何の返答もなかった。
そして日本の最高意思決定機関である大本営政府連絡会議は
「世界情勢判断」「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」を採択し、
「米英の大規模反抗は18年以降であり今や攻勢的戦略態勢に転じうる気運になった」との判断を示した。 
これが 海軍省、軍令部へと通達され、以後の連合艦隊の行動へと繋がって行くことになる。

58 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 13:39:37.19 ID:yfdliLbW
>>56
無責任な態度は誰だ?
こんな小さな尖閣どうなるかすら答えられないではないか。
そんな無責任な人物が他人を批判する資格はない!!

59 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 13:43:55.89 ID:yfdliLbW
日本という国家そのものに戦争構想がなかったのだ。

政府と陸軍代表の東条首相は供述書にどう書いているか?
・「統帥部においても政府においても戦争計画を持っていない」
・「事実上の作戦計画はなかったのであるから戦争準備なるものはないのであります。
いわんや太平洋戦争を目標とする恒久的戦争計画は夢想だもしておらなかった」
・「日本の対米英戦に対する準備は応急的のものであって、略、臨時的に行われました」

60 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 13:58:26.33 ID:yfdliLbW
そして対米戦というのは国家が決めた国策に基づく命令によって実施された。

61 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 14:48:25.69 ID:yfdliLbW
>>56
おい、無責任な態度は誰なんだ?
小さな尖閣ひとつがどうなるかすら答えられないではないか。
そんな人物が他人を批判することを無責任な態度といわずに何だというのか?

こんな無責任な人物に他人を批判する資格はない!!!!

62 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 14:52:28.54 ID:???
だから真珠湾攻撃作戦の意味を疑問に思っているんだ
あれだけの戦力を他に振り分ければもっと戦略的な勝利を収められたのではないか

63 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 15:16:25.26 ID:yfdliLbW
対米戦がどのようにして決定されていったのか?
4月以来延々と日米交渉を続けてきたが妥結の見込みは全くなく
アメリカは意図して遅延方策を行った。遅延すればするほどアメリカは
南方要域に軍事的防備兵員増強と英蘭豪等の連携強化を図り、
日本の自存自衛の道も完全に閉ざされる。

「アメリカがその艦隊決戦の時期を後にずらせばずらすほど、日本側に勝利の
見込みはなくなるのであった。そして、そのタイムリミット、すなわち日本側に勝利の可能
性がある期限は、1941 年の段階ですでに刻々と迫りつつあった。また、仮にアメリカ側が
開戦後早期の艦隊決戦を求めてきたとしても、その時期と場所はやはりアメリカ側が
自由に選ぶことができた。日本は、この戦争の第一段作戦において、戦争遂行のため
に必要不可欠となる南方の資源地帯を確保することとしていたが、もし、この南太平洋
までをも含む広い地域に聯合艦隊が展開している時期にアメリカ主力艦隊の攻撃を受け
た際には、日本側はこれに対抗することは非常に困難になるのであった。聯合艦隊はア
メリカ艦隊だけを敵としている訳ではなかったからである。
開戦劈頭における、山本の航空母艦部隊の集中使用によるハワイ真珠湾のアメリカ主
力艦隊に対する奇襲攻撃は、こうした問題に対する的確な対応策だったと言える。
山本のハワイ作戦は、この戦争の唯一の戦争計画であった「腹案」の中でも、重要な
一支作戦として位置づけられた。この戦いでは、まず戦争遂行上不足する資源地帯を確
保して、そこで長期自給自足の態勢に入ることがグランド・デザインであった。
その最初の段階で、ハワイ作戦はまさに南方資源地帯確保に対する最大の懸念であった
アメリカ艦隊の脅威を取り除く意味を有していたからである。そして、このハワイ奇襲の大成功
もあって、日本軍は開戦数ヶ月の間にこの資源地帯を確保することに成功した。」 
出典:「太平洋戦争開戦時の日本の戦略」  
防衛省防衛研究所戦史部第2戦史研究室

残されたタイムリミットの中で日本の最高意思決定機関の大本営政府連絡会議は
対米戦争を決定し、政府と統帥部の頂点の天皇がハワイ作戦を裁可した。

64 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 15:17:02.00 ID:yfdliLbW
天皇は開戦理由として、
「帝国の存立亦正に危殆に瀕せり。事既に此に至る、
帝国は今や自存自衛の為蹶然起つて一切の障礙を破砕するの外なきなり。」と述べた。
そして山本を宮中に呼び「お前に任すから敵を撃滅してくれ、頼んだぞ」という意味の
勅語を下賜している。
「勅語
朕茲ニ出師ヲ命スルニ当リ卿ニ委スルニ聯合艦隊統率ノ任ヲ以テス 
惟フニ聯合艦隊ノ責務ハ極メテ重大ニシテ真ニ国家興廃ノ繋ル所ナリ
卿基レ多年艦隊練磨ノ積ヲ奮ヒ進ンテ敵軍ヲ勦滅シテ武威ヲ中外ニ宣揚シ
以テ朕カ信倚ニ副ハンコトヲ期セヨ」

65 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 15:26:38.21 ID:yfdliLbW
11月5日の御前会議は対米英戦争を事実上決定したといえる会議であった。
その前日の軍事参議官会議で、東条首相は、
陸軍大臣として次のように述べた。
「長期戦となる公算は八分である。永野総長の説明のように2年後の戦局の見通しもつけられないのに、
開戦を決意した理由は次のとおりである。ここで穏忍自重する手もあるが、その結果は昔の小日本にもどり、
わが光輝ある歴史を汚すこととなろう。したがって2年後見通しが不明であるとして無為にして自滅に
終わるより、この難局を打開して将来の光明を求めようとするものである。南方資源地域を確保し全力を
尽くして努力すれば、将来勝利の基は開き得るものと確信する。」と。

また、「帝国国策遂行要領」等を決議したこの会議の終わりの挨拶で次のようにも述べた。
「この『要領』が残された唯一の方策と考える。長期戦へは困難があり若干の不安があるが、
といって不安ありとして現在のように米国のなすままにさせていたなら、2年後に油がなくなり船が動かず、
南西太平洋の防備強化、米艦隊の増強、シナ事変未完等を考えると思いなかばにすぐるものがある。
国内が臥薪嘗胆といっても長年月これに耐えられるだろうか。といって座して2、3年を過ごせば
3等国となる必要がある。これらを考え慎重な研究の結果、この『要領』となったものである。」と。

66 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 18:06:15.86 ID:???
パールハーバーのアリゾナメモリアルに行くと、
山本五十六の写真もしっかりと敬意を払って掲示されている。
米国側からも敬意を持って評価されてるのだよ。

スレ立て氏の自虐史感もやはり日教組教育の結果と見るべき
なんだろうな。

67 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 22:23:38.01 ID:???
名画「風と共に去りぬ」で知られる俳優レスリー・ハワードは、
1943年6月1日ポルトガルからイギリスへの帰途、
搭乗の英国航空DC-3機がビスケイ湾でドイツ軍Ju88戦闘機に待ち伏せされ撃墜された。
まるで山本五十六のような最期。

レスリー・ハワードの付き人がチャーチル首相に似ていたため、
スパイが暗躍する リスボンから首相搭乗機として
ドイツ諜報部へ通報されたらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89

68 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 22:35:22.01 ID:???
>>66
米海軍を窮地に追い込んだ帝国海軍の親玉が、実は
暗愚の将であることがバレたら、米海軍の面目が成り立たないからねw
敵が優秀であればあるほど、それに打ち勝った米海軍すげー、と思わせる作戦でしかない。

69 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 22:42:52.08 ID:???
>暗愚の将

敵の主力を叩く以外の作戦があるのか?

70 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 22:56:36.00 ID:hkDVFODM
>>68 >>69
既に書いてあるぞ。

71 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 22:58:54.10 ID:???
実行不可能な腹案かw

72 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 23:06:41.95 ID:???
鳩山「私には腹案があります」

73 :名無し三等兵:2013/02/14(木) 23:12:22.39 ID:???
五十六を討った後任により優れた者が就いたら困るので調べたところ、
五十六より優れた者はいないと判断し、米軍は五十六を討ったという。
五十六が愚将だったならば、それ以外はもっと愚将と米軍はみなしたということか

74 :名無し三等兵:2013/02/15(金) 00:00:48.60 ID:JJySVxan
【山本五十六こそが日本を犯罪国家に貶め大負させたA級戦犯】

■佐藤晃 『太平洋に消えた勝機』
「だがこの時すでに、真珠湾作戦部隊はヒトカップ湾をハワイに向けて 出航している。
政府はこのことを知らされていない。 略
国家存亡の戦争を行う国の最高指導者が知らぬまに、
そして 共同作戦をとる陸軍が知らぬ間に、このような重大作戦が決行される事など、
最高指導者の下に統合幕僚組織のある普通の国では考えられないことである。」

■西村眞吾 『眞悟の時事通信 No.693』
「つまり連合艦隊司令長官は、この時既にハワイ真珠湾攻撃を決意していたのだ。
このことは海軍軍令部総長も知らない。
もちろん、首相である近衛も十月に首相になった東条も知らない。」  略
腹案は、よくできている。
そして、現実には、第一段階(南方作戦)は一挙に達成され、第二段階(西亜作戦)の途中まで達成された。
しかし、この「戦争終末促進に関する腹案」の基本方針に反することを、最初から実施し、
しかも順調に進んでいた第二段階を自ら放棄して、 結局、腹案全体の戦略と戦術、
我が国家の基本戦略を崩壊せしめた人物がいた。
我が国から統合幕僚本部を喪失させた山本権兵衛に続く、海軍のもう一人の山本。
山本五十六連合艦隊司令長官である。

■茂木弘道『史実を世界に発信する会』
その基本戦略に反する戦いを始めたのは、海軍の山本五十六連合艦隊司令長官であった。

山本提督一派によるパフォーマンスのようにしか見えない戦い方だが、
最初の真珠湾攻撃で意見の対立が生じたとき、
山本提督を更迭するだけの力(それだけの人物)と覚悟が海軍上層部になかったということなのか。
結果、日米戦争での日本の戦いは相手(米国)のリングで戦うことになり、
惨憺たる負け戦になったことは史実が示す通りである。

75 :名無し三等兵:2013/02/15(金) 00:04:21.28 ID:???
>>74
11月5日に天皇へ奏上して裁可もらったことを陸軍大臣を兼任してる総理大臣の東条英機が知らなかったのなら
陸軍の問題なだけだな。
まさか総理は政府の人間じゃないと思ってるのか?

76 :名無し三等兵:2013/02/15(金) 00:04:30.93 ID:???
巷間、多くの素人作家が
「山本五十六の率いる連合艦隊が独断でこっそりと政府にも陸軍にもそれどころか、
海軍軍令部にさえも知らせずに真珠湾攻撃を実施した」と多くの書物で主張している。

その代表例は下記のいいかげんで不勉強の愚かで間抜けな人物たちである。

・小室直樹 『硫黄島 栗林忠道大将の教訓』
・佐藤晃 『太平洋に消えた勝機』
・西村眞吾 『眞悟の時事通信 No.693 統帥と戦略、戦術、戦闘』
・若狭和朋 『日本人が知ってはならない歴史』
・茂木弘道『史実を世界に発信する会』

世の中にその恥をさらしているではないか。
笑われ、生き恥をさらせばよい。

77 :名無し三等兵:2013/02/15(金) 00:39:04.00 ID:???
所詮軍政畑の赤レンガ組の癖に、テロにやられるとかいうしょうもない理由で連合艦隊司令長官になったのが間違い

78 :名無し三等兵:2013/02/15(金) 14:18:56.23 ID:8qWX6E+M
>>74
東条首相は供述書で
「私はハワイ作戦概要を参謀総長から聞いて知っていました」と述べている。

8月22日に軍令部作戦班から参謀本部作戦当局へハワイ作戦の計画は伝えられて
以降、10月末までに相互に調整を行い南方作戦計画案は完成した。
11月3日にはハワイ作戦を含む同作戦計画案文を天皇の前で読み上げたのは
陸海両総長であった。したがって陸軍が知らぬなどということはない。
天皇がそれを裁可した11月5日からはそれを政府側である陸軍大臣に連絡するという
決まりになっているのだ。これは東条首相自身も供述書で述べていること。

79 :名無し三等兵:2013/02/15(金) 14:27:33.20 ID:8qWX6E+M
昭和16年に御前会議は全部で4回開かれている。
7月2日、9月6日、11月5日、12月1日である。
この全ての決議に「対米戦への決意」と「戦争準備」がうたわれている。

国家の命令で対米戦は決まった。
この過程を知らない愚か者がなんと多いことか!

80 :名無し三等兵:2013/02/15(金) 14:38:20.41 ID:8qWX6E+M
日本が負けたのは
はっきりいうなら、当時の日本人とアメリカ人の能力差。
教育程度に差があったのも事実。
開戦の十年くらい前のあるデータによれば
海軍新兵の教育程度は
当時の中学以上の学校経験者
米側が約85%
日側が約7%

車の運転が出来る者の割合もほぼ上記に近い。

だから、教育程度を高めよ。
例え、貧乏になっても教育があれば
さまざまな生きる糧を見つけられるのだ。
草木や石ころを生活に役立ち得るものに変え、
絶望を希望に変えることもできる。
今、韓国の大学進学率は85%を越えたという。
そのうちあらゆる面で日本を圧倒するのではないか。
日韓が戦ったら負けるだろう。

日清日露戦争は
相手が弱かったんで「負けなかっただけ」

それがわからず、
勝った勝ったと錯覚して、結局、太平洋戦にまで持って行った。
その判断ができる教養もなかったのが日本人。
日本人がこんな誹謗中傷サイトでくだらぬことにエネルギーを
消耗していて世界の大局を見ることができないのは戦争当時と同じといってよい。

81 :名無し三等兵:2013/02/15(金) 15:24:27.41 ID:???
山本批判者の種類・特徴・原因 @

・東京裁判で陸軍側だけが有罪とされたことに対する陸軍係累者(戦犯遺族や陸軍々人の)の反感
・天皇や皇族が戦争に無関係ではなかったことを国民からそらし隠蔽したい勢力(右翼)の存在
・戦争決定当事者たちの一部が自己の責任を隠蔽する為に責任を戦死した山本になすり付けて偽りの風聞を流した。
(死人に口なしでウソ偽りを言ってもばれることはない) 
・末端将兵の一部が自己への不当な命令が連合艦隊司令部から出されたと勘違いしている。
実際は所属の艦隊司令部などの部門からであり、組織をよく知らないことから不満を持った者がいる。
・現代人が当時の日米関係を理解や想像すらできない為
(当時は互いに仮想敵国であり人種差別や経済封鎖などのからんだ憎悪を抱いていた。)
・毎年、12月8日になると真珠湾攻撃の映像を見せられる為、
真珠湾攻撃が戦争の原因だと刷り込まれてしまった人たちが存在
・戦争を「愚か」とだけでしか捕らえない教育が当事の戦争当時者たちを全て犯罪者扱いしている為、
命令で戦争の先陣を切っただけなのに戦争の犯人、犯罪者だとされる
これらの人びとが戦争の原因を特定の人間が悪いとしたいのでウソを捏造している。

82 :名無し三等兵:2013/02/15(金) 15:25:15.32 ID:???
山本批判者の種類・特徴・原因 A

・山本が強力な権力・指導力を発揮したと思われている人物であることへの反感
事実は単なる戦闘部隊の1軍司令官でしかなく、現場監督の親方といった存在。
・日本人特有のイジメ心理。負けた軍隊の指揮者を罵ることで自己の不満を晴らす。
特攻隊の人びとを愚かだ馬鹿だと愚弄する風潮にまでなっている現在の状況。
指揮者たちも特攻隊員と同様に、逃げることなど出来なかったのだ。
そんな社会システムは今もあまり変わってない。
・統帥と政府は互いに関与しないのが当時の制度であったのをご存知ない無知な人びとが山本が独断で勝手に
戦争を引き起こしたと思っている。また、東京裁判の尋問で東条首相が真珠湾攻撃を12月になって知ったかの
印象を与える証言を行った。しかし、事実はもっと前からである。理由は天皇を守る為の証言であった。
この事情を知っている人間がそれを悪用して攻撃の理由にしている。
・統帥部と連合艦隊との違いが分らないほどの政治・軍事知識欠如。
・山本が度々、映画その他で格好よく描かれていることへの妬み、嫉妬。
・戦略や指揮官が悪かったから日本が負けたのだとしたい人びとが多数存在する。
最初から日本は勝つことが目的ではなく、ドイツの勝利を当てにした早期講和を目指していた。
・多くの言論人が充分に史料からではなく、個人的憶測・曲解から来る書物を元にしている為、
山本批判者はこれらの人々が作った著作に情緒的に追随しているだけなので、まったく史料を出すことができない。

83 :名無し三等兵:2013/02/15(金) 15:26:11.01 ID:???
巷間、多くの素人作家が
「山本五十六の率いる連合艦隊が独断でこっそりと政府にも陸軍にもそれどころか、
海軍軍令部にさえも知らせずに真珠湾攻撃を実施した」と多くの書物で主張している。

その代表例は下記のいいかげんで不勉強の愚かで間抜けな人物たちである。

・小室直樹 『硫黄島 栗林忠道大将の教訓』
・佐藤晃 『太平洋に消えた勝機』
・西村眞吾 『眞悟の時事通信 No.693 統帥と戦略、戦術、戦闘』
・若狭和朋 『日本人が知ってはならない歴史』
・茂木弘道『史実を世界に発信する会』

世の中にその恥をさらしているではないか。
笑われ、生き恥をさらせばよい。

84 :名無し三等兵:2013/02/15(金) 15:31:39.53 ID:8qWX6E+M
日本人は日々なにか精神面のことに関する書物を読むだろうか?
そういう人は多くはないだろう。
欧米では多くの人が少なくとも日曜ごとに
教会に行き、書に触れる習慣があった。日本ではお寺で法事くらいか?
その差がが文化の差につながって行ったのだろう。

ここで一個人への誹謗中傷を繰り返す者たちはどのような精神生活を送っているのだろうか。

85 :名無し三等兵:2013/02/15(金) 15:45:51.59 ID:8qWX6E+M
いじめ、誹謗中傷、体罰 これが日本文化の根底に流れる思想か・・

86 :名無し三等兵:2013/02/15(金) 23:17:18.55 ID:???
そりゃ、戦時中の旧軍の新兵のしごきみてればそうなるよな

87 :名無し三等兵:2013/02/15(金) 23:55:33.59 ID:???
てか教師のほとんどが軍隊帰りだぜ?
学校が軍隊になっただけだw

88 :名無し三等兵:2013/02/16(土) 16:00:27.84 ID:/dBRf/Px
教師のほとんどが軍隊帰りっつうのは言い過ぎやな。
政治の世界もそうだな。
昔から政権は短命だった。戦争当時も短命内閣の連続だった。
それって、些細なことを延々と突っつき本来達成すべき政策を
見失ってしまうことになっていった。イジメが目標化した。
武士道が日本に存在しなかった証拠だ。
武士道からはいじめは発生しない。

89 :名無し三等兵:2013/02/17(日) 00:27:41.32 ID:???
>>88
何の論証にもならない事を得々と書いて何が楽しいの?w
それこそ「いじめ」のノリじゃんw

90 :名無し三等兵:2013/02/17(日) 13:26:03.07 ID:WOO83EOI
>>89
YOU TOOっつうことやな。

91 :名無し三等兵:2013/02/17(日) 15:39:33.09 ID:???
>>80
まず日米の当時の中学の就学率のソースだせや

92 :名無し三等兵:2013/02/19(火) 01:45:09.84 ID:K4UsP4H8
>>91
無礼なヤツだな。礼儀作法わきまえよ。

93 :名無し三等兵:2013/02/28(木) 23:26:02.44 ID:???
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/old_chukyo/old_chukyo_index/toushin/attach/1309725.htm

文部科学省政策について > 審議会情報 > 過去の中央教育審議会 > 初等中等教育と高等教育との接続の改善について (中間報告) > 第1章 検討の視点

抜粋:昭和15年における旧制中学校への進学率は約7%で、高等女学校等を含めても約25%にすぎなかったが

94 :名無し三等兵:2013/03/06(水) 11:23:10.07 ID:EvJBwXOi
日本外交に不利な奇襲を立案し、
米側の空母二隻を逃したのに作戦成功と宣伝し、
戦争がはじまると昭和通商を通して米国から石油の密輸を行った。
戦後は海軍人は一人も処刑されないばかりか警察予備隊に天下り、
空自が発足すると東京大空襲立案者ルメイ将軍に旭日勲章を贈った。
これらの証拠から帝国海軍上層部は、
戦前からアメリカ政府と内通していたことは確実。
陸軍が対米戦争を強く要求したというのは、
山本五十六と帝国海軍人を被害者のように見せかける心理工作。

95 :名無し三等兵:2013/03/06(水) 11:26:42.78 ID:???
>>94
確実と言うならソース持って来いよw

バーカwwww

96 :名無し三等兵:2013/03/06(水) 21:05:00.10 ID:???
>空自が発足すると東京大空襲立案者ルメイ将軍に旭日勲章を贈った。

空自って陸軍航空出身が多数で海軍航空出身は少数派なんだが?w
つまり内通していたのは陸軍かw

97 :名無し三等兵:2013/03/09(土) 00:21:16.74 ID:z2lf+PvK
>>74
山本五十六批判者がよく持ち出すものに
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」がある。

大本営政府連絡会議を参謀総長が記した杉山メモには、 

 11月13日
「対南方戦争終末促進ニ関スル件」ヲ審議研究ス
本件ハ腹案程度ニ止ムヘキモノナリトシ
若干修文ヲ加ヘ土曜日ノ次期会議ニ於テ決定スル事トセリ

と記述している。文字どおりの「腹案」なのだ。

98 :名無し三等兵:2013/03/09(土) 00:36:29.50 ID:???
名将山本のおかげで、今日は勝った

99 :名無し三等兵:2013/03/11(月) 10:20:58.75 ID:s6TNmE17
山本五十六批判者がよく持ち出すものに
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」がある。
しかし、>>97のとおり記述されている。

文字どおりの「腹案」なのだ。
そして文字のとおり「終末」を「促進」するという意味でしかない。
決してハワイ作戦を否定などしていない。

ハワイ作戦を含む陸海軍の南方作戦が天皇によって裁可されて、
軍隊へその準備命令が発令されたのが11月5日である。
天皇の意向を受けて、東条首相が戦争早期収束を模索する方策を
作成するように海軍省軍務局に指示したのが11月7日である。
これは11月9日に出来上がり、陸海軍省、陸海統帥部の首脳部局に
回覧され11月15日の連絡会議で採択された。
しかし、上記の「腹案程度ニ止ムヘキモノナリ」のとおり、
その後の大本営政府連絡会議や御前会議でも一切取り上げられた形跡がないのである。

こんなものを持ち出して山本を批判している奴らは無知蒙昧の大馬鹿者たちである。

100 :名無し三等兵:2013/03/13(水) 09:07:52.89 ID:5npaxlct
>>1
お前の方が1000億の1000乗倍もキライです。

101 :名無し三等兵:2013/03/13(水) 09:37:43.27 ID:YfgFeuxi
山本五十六擁護派が必死なのは何故?

山本ヒーロー史観にまんまと騙された自分が腹立たしくて過剰に擁護するのかな?

102 :名無し三等兵:2013/03/13(水) 09:44:41.39 ID:???
>>101
有りもしないバカ妄想に浸ってる屑が何を書いてるやらw

軍板来て碌にソースも出せない屑が何を喚こうがバカコピペしようが
そんなんじゃ罵倒されて終わるだけさw

103 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 01:25:22.04 ID:???
糞六は無能なだけで、臆病ではないだろ。

104 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 01:38:59.53 ID:ARBx1HcL
>>1 >>101
私は多くの山本批判本も読んで知っている。
そしてそれらを検証もしている。
そのうえで,それらの本こそが他人を騙しているトンデモ本であることを
知って驚くとともに憤りを感じているのだ。

山本への批判で正しいというものは、
どんな人間でも普遍的に持っている欠点でしかない。

そんなことによって山本のすべてを非難するなどというなら、
どんな人間だって批判しなければならないことになる。

山本が云ったとされる言葉がある。
「君らはくそもせんのか。屁もこかんのか。屁もくそもせんというなら話を聴こう。」
まさにこのとおりだ。

105 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 01:54:07.41 ID:ARBx1HcL
>>99「海軍省軍務局」を修正→「陸軍省軍務局」

ハワイ作戦を含む陸海軍の南方作戦が天皇によって裁可されて、
軍隊へその準備命令が発令されたのが11月5日である。
天皇の意向を受けて、東条首相が戦争早期収束を模索する方策を
作成するように陸軍省軍務局に指示したのが11月7日である。
これは11月9日に出来上がり、陸・海軍省、陸・海統帥部の首脳部局に
回覧され11月15日の連絡会議で採択された。
しかし、上記の「腹案程度ニ止ムヘキモノナリ」のとおり、
その後の大本営政府連絡会議や御前会議でも取り上げられた形跡は一切ない。

こんなものを持ち出して山本を批判している奴らは無知蒙昧の大馬鹿者たちである。

106 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 10:59:41.77 ID:ARBx1HcL
山本への批判で正しいというものは、
どんな人間でも普遍的に持っている欠点でしかない。

そんなことによって山本のすべてを非難するなどというなら、
どんな人間をも非難しなければならないことになる。

山本が云ったとされる言葉がある。

君らはくそもせんのか。屁もこかんのか。女も抱かんのか?
君らがくそも屁もせん、女も抱かんというのなら話を聴こう。

まさにこのとおりだ。

107 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 20:29:17.00 ID:ARBx1HcL
>>101
いったい、何を以って騙されてるというのだろう?
いったい、誰が何を騙してるというのだろう?
云ってみなさい。

108 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 22:45:42.45 ID:???
権兵衛つくって五十六沈めた、と言うのは名言だな。

109 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 22:51:43.01 ID:???
権兵衛が種まきゃ、五十六がほじくるかwww

110 :名無し三等兵:2013/03/14(木) 23:21:28.60 ID:???
どのみちルーズベルトは日本と戦争する気マンマンだから、
五十六云々は関係ないなw

111 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 01:01:51.79 ID:Mu+2ZL9k
>>108
もの笑いで生き恥の論文『眞悟の時事通信 No.693 統帥と戦略、戦術、戦闘』
(若狭和朋史観本の丸受け)

巷間、多くの素人作家が
「山本五十六の率いる連合艦隊が独断でこっそりと政府にも陸軍にもそれどころか、
海軍軍令部にさえも知らせずに真珠湾攻撃を実施した」と多くの書物で主張している。

その代表例は下記のいいかげんで不勉強の愚かで間抜けな人物たちである。


・西村眞吾 『眞悟の時事通信 No.693 統帥と戦略、戦術、戦闘』
・若狭和朋 『日本人が知ってはならない歴史』
・小室直樹 『硫黄島 栗林忠道大将の教訓』
・佐藤晃 『太平洋に消えた勝機』
・茂木弘道『史実を世界に発信する会』

世の中にその恥をさらしているではないか。
笑われ、生き恥をさらせばよい。

112 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 15:47:46.55 ID:???
>>110
真珠湾攻撃さえなけりゃ
米兵の士気が低いままで戦えたのにな

113 :名無し三等兵:2013/03/15(金) 20:15:11.92 ID:???
>>112
まだそんな根拠の無いデマを信じているのかw

114 :名無し三等兵:2013/03/16(土) 00:30:10.86 ID:RXYh1pB8
可哀想に・・・まだ出して生き恥さらしてるよ。
物笑いになってるのを誰か教えてやんなさい。
  ↓
西村眞吾論文
『眞悟の時事通信 No.693 統帥と戦略、戦術、戦闘』
ttp://www.n-shingo.com/jijiback/693.html

115 :名無し三等兵:2013/03/17(日) 09:13:31.04 ID:7DtK11FP
>>1
他人を根拠もなくキライという貴女の方が百万倍もキライです。

>>101
いったい、何を以って騙されてるというのだろう?
いったい、誰が何を騙してるというのだろう?
云ってみなさい。

116 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 20:07:57.67 ID:1KdbHXt3
ハワイを奇襲攻撃なんかしたら
アメリカは本気で怒って総力戦を決意するだろうから
日本はとんでもない大敗を招くと
なんでこんな簡単な推測を海軍幹部は出来なかったんだろうか?
たんに感情的にアメリカ人が嫌いだから攻撃したとか
そんな次元で戦略もクソもないwww

117 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 20:32:51.16 ID:???
>>116
真珠湾攻撃がなければ、日本との戦争が、手抜きになったソースは?
そもそもそのあんたのいう全力でさえ、予算わりあて、7対3で、ヨーロッパ向けのほうが多いんだが。

118 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 22:22:39.64 ID:???
>ハワイを奇襲攻撃なんかしたら
>アメリカは本気で怒って

これって誰が言い出したんだっけ?

>総力戦を決意するだろうから

WW1でもアメリカは総力戦だったけどなw

119 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 22:53:27.12 ID:???
あの時代、アジアを席巻していたのは、白人国家の植民地化政策だった。
考えてみれば、日本やタイを除いて、大半はどこかの白人国家の統治国という名目で実質的に
植民地化され、我が国も中国における権益の衝突から、米英との開戦は、もはや時間の問題であった。

山本五十六立案というハワイ攻撃作戦も、海軍という立場から見れば、仲の悪い陸軍が南方へ行く以上
主導権を握ることが出来るハワイへ進撃することは、総意として納得できるものだったのではないかな?

ハワイ作戦にしろ、陸軍の東南アジア侵攻作戦にしろ、どちらも開戦劈頭の電撃作戦としては奇跡的な
成功だったと思う。ところで、もし、両方とも失敗していたら、「たら、れば」だが原子爆弾が落ちる前に、
日本の敗戦で終わっていたかも知れない。むしろ、奇跡的成功が、より不幸な終戦を迎える要因になった
とも思えてしまう。

ただし、早期終戦の後には、米ソ戦争が勃発していた可能性もあるだろうな。

120 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:05:39.93 ID:???
>山本五十六立案というハワイ攻撃作戦も、海軍という立場から見れば、
>仲の悪い陸軍が南方へ行く以上
>主導権を握ることが出来るハワイへ進撃することは、
>総意として納得できるものだったのではないかな?

軍板でこんな恥ずかしい書き込みができるってすごいなw

121 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:07:05.50 ID:???
>>119
山本五十六は、初戦で大打撃を与えてそれによりアメリカ国内に厭戦気分を出そうと
企図したけど、作戦を採用した軍令部としては、南方作戦を実施中にアメリカ太平洋艦隊に
邪魔をされないための時間稼ぎとして採用したんだが。
南方作戦中に米軍がマーシャルに来航なんかしたら、南方作戦に投入している艦艇を全部引き上げて
迎撃に回さないととてもじゃないけど、南方は確保したけど東京湾に米軍艦隊が出現なんて自体になりかねない。
それを防ぐための足止め作戦として実施されたというのが普通の見方

122 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:19:18.08 ID:1KdbHXt3
>>117
開戦前にアメリカ世論がどんだけ戦争アレルギー、参戦反対だったかこれを見ろ。
第一次世界大戦で散々な思いをした米国民は
二度とあんな戦争に加担しないと固く誓った。
ルーズベルトは自国が攻撃されない限り絶対にアメリカは
他国の戦争に加担しないと固く公約し、それは全米国民の当時の考え。
欧州で始まった戦争でも米国民は参戦など全く眼中に無く
武器援助だけがルーズベルトが何とかやっとこさ議会を納得させられる限界だった。
参戦なんて全く無理な情勢だった。
それが真珠湾奇襲によって・・・
https://www.youtube.com/watch?v=LqfM-nPQWrU

123 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:23:57.52 ID:???
山本五十六からすれば、避けられない対米英戦に対して、早期講和を図るには、ハワイ攻撃艦隊が全滅するのも計算のうちにあったと思う。
成功すれば、米国太平洋艦隊が半年以上活動できなくなる。その間に、南方作戦を成功させれば、東南アジアからインドにかけての各国を
見かけ上でも独立させられるので、そのアジア勢力との戦いを米英が諦める可能性が出て、早期講和につながる。
逆に、ハワイ作戦が失敗に終わって、全空母を失えば、これ以上の作戦は全く出来なくなるから、日本側の早期降伏でとりあえずは早期終戦
を迎えることが出来る。
それぐらいのことは、山本五十六だったら、考えていたと思う。
それにしても、当時の日本人が持っていた鬱々とした気持ちを解放させたという点では、ハワイ攻撃は、まことに効果的だった。

124 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:23:58.42 ID:1KdbHXt3
>>121
>南方作戦中に米軍がマーシャルに来航なんかしたら、南方作戦に投入している艦艇を全部引き上げて
迎撃に回さないととてもじゃないけど


なんでマーシャルに迎撃に行く必用がある?
頭狂ってるのかおまえ?

125 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:28:00.47 ID:???
>>122
http://ibiblio.org/pha/Gallup/Gallup%201941.htm

MARCH 14 JAPAN

Interviewing Date 2/16-21/41

Survey #230-T Question #7a

Do you think the United States should risk war with Japan, if necessary, to keep Japan from taking the Dutch East Indies and Singapore?

Yes................................40%

No................................ 39

No opinion.........................21

屑の能無し挑戦土足くんw
過去ログが流れたら駄法螺が通用するとでも思ってるのか?w
能無し法螺吹き屑土足くんw
バカの浅知恵なんざ所詮すぐに底が割れるのさwwwwww

126 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:31:00.01 ID:???
>>122
ギャラップ社の調査によると41年11月の段階で、対日参戦は64%の国民に支持されていますが。
ttp://ibiblio.org/pha/Gallup/Gallup%201941.htm
Survey #251-K Question #9

Should the United States take steps now to prevent Japan from becoming more powerful, even if this means risking a war with Japan?

Yes................................ 64%

No................................ 25

No opinion......................... 11

NOVEMBER 15

LABOR STRIKES

Interviewing Date 10/9-14/41

127 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:31:44.44 ID:???
>>124
当時のマーシャルは日本領なんだが。

128 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:41:45.49 ID:1KdbHXt3
>>125
山本五十六を擁護できる頭に脳が付いている
堂々と論戦ができる
五体緒満足な人間をはやく連れてきてくれ。
おまえでは話にならんw

まったく、バカとアホしかいないじゃないか
山本五十六擁護派はw

129 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:43:31.43 ID:1KdbHXt3
>>127
ああ、山本バカ海軍ならば
そのようなミエミエの餌にも
飛びつく罠w

130 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:44:29.44 ID:???
>>122
>第一次世界大戦で散々な思いをした米国民は
>二度とあんな戦争に加担しないと固く誓った。
>ルーズベルトは自国が攻撃されない限り絶対にアメリカは
>他国の戦争に加担しないと固く公約し、それは全米国民の当時の考え。

でもハワイを爆撃したわけでもないのにドイツは酷い目にあったわけだが?w

131 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:46:18.59 ID:???
>>128
バカとアホは土足のみw

132 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:47:01.90 ID:1KdbHXt3
>>130
山本五十六がやった南京無差別爆撃によって
日独は伝染病扱いされたわけだ。
山本五十六がまいた種だな。

133 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:48:53.84 ID:???
山本の権限の無い南京無差別爆撃によってドイツが爆撃されるw

キチガイ理論だわw

134 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:49:38.71 ID:???
>>129
開戦しょっぱなにマーシャルが落ちると、日本は陸海軍を問わず
南方作戦なんかやる余裕がなくなるんだが。マリアナが一気に最前線になるんだけど。

135 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:51:49.43 ID:1KdbHXt3
ヒトラーはちゃんと計算してアメリカ世論を見て
絶対にアメリカが参戦出来ないように戦略を立てていたが
まったく予想外の日本のハワイ奇襲で
全てが吹き飛んだ。
これによって日独は、終わったわ。
すべては、アホの山本五十六がぶち壊してくれた罠。

136 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:53:29.19 ID:???
>>132
屑の法螺吹き朝鮮土足のバカ妄想なんざ物の役にも立たないなw
近代史板でフルボッコされて逃げてきたんだよなw

法螺吹き能無し朝鮮野郎w
土足は捏造と改竄と駄法螺とトリミングしないと死ぬんだよなwwwww

土足=朝鮮人w
根拠は土足のアホカキコ

ソックパペット使いの自作自演岩見野郎wwwww

137 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:53:30.14 ID:???
日本のハワイ奇襲でドイツが攻撃されるwwwwwwwwwwwwwwwwww

138 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:53:43.02 ID:1KdbHXt3
>>134
バカかテメーは?
マリアナと南シナ海で待ち構えてりゃいい話だが?
来たらぶちのめす絶好のチャンスなんだが?

139 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:54:04.04 ID:???
土足ってイワミンなのか?w

140 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:54:55.93 ID:???
>>135
ヒトラーの計算が正しかったらそもそもイギリスの対独宣戦が成り立たないなw
ヒトラーの計算が正しかったらキエフ包囲戦の時にソビエトが降伏したなwww

バカで間抜けの朝鮮法螺吹き屑土足くんw
法螺吹かないと死ぬんだよなw

141 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:54:56.33 ID:???
空母を取り逃さなかったらなあ

142 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:56:11.56 ID:1KdbHXt3
ようするに五十六信者は
アメリカの仕掛けるどんな餌にも、バカそのものに飛びつくらしい。
マーシャルに行くとか
これじゃ陽動作戦に常に釣られる罠。

143 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:57:13.05 ID:???
>>138
>マリアナと南シナ海で待ち構えてりゃいい話だが?

東京湾に出現する米国艦隊で終了w

144 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:57:30.55 ID:???
>>142
要するに間抜け法螺吹き屑土足はありとあらゆる駄法螺と捏造と改竄トリミング
しかできない朝鮮野郎って事だなw

マーシャルが日本領であることすら知らない間抜けの法螺吹き岩見野郎wwww

145 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:58:31.60 ID:???
土足が岩見だったとは

146 :名無し三等兵:2013/03/20(水) 23:59:20.30 ID:???
>>139
土足が岩見ばりの自演自作野郎である証明w


【独裁者】山本五十六【暴走】8
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1355065212/

63 名前:☆ 投稿日:2012/12/11(火) 00:08:26.32 ID:6++ORBoe
>>60
こっちはコテハンなんだが?
バカにはできまいw
バカだからしょうがないな。

83 名前:uaa ◆jFOwbcqkaU 投稿日:2012/12/11(火) 00:50:35.83 ID:6++ORBoe
>>82
どうでもいいこと書くな

147 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 00:00:09.35 ID:???
>>138
待ち構えていたら、南方攻略ができなくて燃料その他物資不足で、自滅ですが。

148 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 00:01:50.04 ID:i8yogy37
>>122
>世論がどれだけ・・?

・そんなもんいくらでも操作できるだろ。
現実に日本を挑発して攻撃させたではないか。
政府代表の東条首相も供述書でそう意味のことを述べている。

・「対米戦」を決めたの山本ではないのだが・・
昭和16年に開かれた御前会議は4回ある。
そのすべてに「対米戦争への決意」と「戦争準備」がうたわれている。
ましてや、10月の東条内閣組閣後に天皇からそれまでの国策を一から
再検討せよとの「白紙還元の御諚」を受けて、10月23日から10月末まで
8回の大本営政府連絡会議を開いて7月、9月の国策(対米英戦決意)
を再検討したが結局、もとの国策を変える結論は得られず対米英戦決意を定めた。

・ハワイ以外の米領土を攻撃したとして、米は激昂し参戦したはずだ。

149 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 00:02:52.15 ID:LOE/G/m7
>>147
スマトラ、ボルネオ等の油田地帯を確保するのが南方作戦だが
この南シナ海に、米艦隊が来られるのか?
極東のこの地域で戦うなら、それは是非望む所なんだが?

150 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 00:06:39.44 ID:???
>>149
攻略前だとアメリカ・イギリス・オランダが敵だなw

土足は本当にバカで間抜けの朝鮮野郎としか言えないなwwwwww
屑の能無し朝鮮土足くんw
バカで間抜けの目先の言い逃れが通用するのはバカ土足のアホ脳内のみwwwwww

151 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 00:08:38.87 ID:???
>>149
なんでそんなところに行く必要があるの?
日本軍の精鋭兵力が南方にちってるならマーシャル落としてさっさとマリアナ攻略にかかりますけど。

152 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 00:12:25.92 ID:LOE/G/m7
>>151
そうなったら、迎え撃てばいい話だが?
そのための海軍だろが。
ハワイやオーストラリオアを攻略するとか
全く意味の無い逆効果の連合国の宣伝を支援して敵を利するような
キチガイのような妄想作戦をやるために
海軍はあるわけでは無い。

153 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 00:16:15.81 ID:???
>第一次世界大戦で散々な思いをした米国民は
>二度とあんな戦争に加担しないと固く誓った。
>ルーズベルトは自国が攻撃されない限り絶対にアメリカは
>他国の戦争に加担しないと固く公約し、それは全米国民の当時の考え。

・そんなもんいくらでも操作できるだろ。
現実に日本を挑発して攻撃させたではないか。


土足w自分で自分の論を潰すとはw

154 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 00:16:59.99 ID:LOE/G/m7
>>151
それで、そのマリアナ攻略に
米軍は空母何隻で来るんだ?
精々3隻だが?
日本は空母2隻程度派遣して地上航空兵力と合同で
軽く撃滅できるなw

155 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 00:18:22.71 ID:???
>>152
迎え撃つためにはどこに来るのか正確に分からないといけないなw

で、何処に来るか決めるのはアメリカであってバカの屑の脳内妄想なんぞ
何処にも入る余地なぞないなw

屑の能無し朝鮮土足くんw
目先の言い訳で自滅する間抜けの法螺吹き自演野郎wwww

156 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 00:19:38.05 ID:???
>>154
開戦前にはマリアナに基地はないから無理w
地上航空兵力なんて土足の脳内バカ妄想w

屑の能無し朝鮮土足くんw
地図も読めなければ年表も読めない法螺吹き岩見野郎wwwww

157 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 00:20:03.16 ID:???
>>152
だから、史実でも空母と戦艦以外のほとんどの新鋭艦は南方攻略に使ってるんだって。
南方攻略作戦とアメリカ太平洋艦隊迎撃が並立するだけの戦力がないから、軍令部は、
真珠湾攻撃を太平洋艦隊の足止め作戦として許可して実施させたんだって。
なにせ艦隊どころか陸上長距離航空戦力すら南方作戦に投入してるんだから。
海軍の長距離陸上航空戦力が使えないとフィリピンまで航空戦力を投入できないので、
陸軍はなかなかフィリピン攻略に入れないんだが。

158 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 00:34:46.75 ID:LOE/G/m7
そもそも敵をこちらの望む戦域に引きつけて引きつけて一気に叩くのは
戦略の常識なわけで、敵を撹乱するために陽動作戦として
ハワイに脅威を与えるような戦略策ならばはありえるが、
相手はどこを攻めてくるかわかりません。だから
のこのこ出て行ってやられましたとか、オワっとるわ。

159 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 00:39:06.86 ID:???
>>158
そもそもバカの思いつきで言い逃れ出来ずに今度は言い抜けか?www

大体地図も地勢も判らない法螺吹き野郎が戦略が云々とか笑わせるなよw
英語も国語もダメな法螺吹き能無し朝鮮野郎wwwwww

ノコノコ出てきてフルボッコされて逃げ回るw
自作自演は直ぐバレるw
捏造改竄トリミングも直ぐバレるw

自説と矛盾するバカ妄想を20レスもいかずに得々と書き上げるwwwwww

間抜けの法螺吹きにネットは向いてないぞw
中学生未満の能力しかない間抜け野郎wwwwwww

160 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 00:57:14.58 ID:i8yogy37
邀撃作戦?
日本列島の地形を見れば、子供でもわかる。
敵がいつ、どこから来るのかわからん。
敵が攻撃の主導権を握っている。
こっちへ来ると見せてあっちへ行き、
来ない。

そんなことやってたら油も無くなる。
そんなことやって敵は時間を稼いで南方要域を要塞化してしまう。

日本が戦争に入る理由は自存自衛のためであり、南方要域を確保することが
絶対必要だった。
開戦の詔勅にいわく、
帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲
蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ

161 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 01:06:23.64 ID:LOE/G/m7
>>160
アメリカとは全面戦争を避け、停戦へ持ち込むことが
絶対の条件であり、それには米国世論と議会の世論が
なによりも重要。
だったらハワイを奇襲するなどと言う愚行は、絶対にありえない。
こんなことは、どんな子供でも考えられる事。
そんな簡単な事すら眼中にまったく無く真珠湾奇襲などというバカ作戦を強行した
山本五十六は、頭に異常があったとしか考えられない。

162 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 01:14:54.77 ID:LOE/G/m7
山本五十六も異常だが、こいつを擁護しているバカは
それを遥かに越えた知障だわな。


「敵がいつ、どこから来るのかわからん。
敵が攻撃の主導権を握っている。
こっちへ来ると見せてあっちへ行き、
来ない。
そんなことやってたら油も無くなる。
そんなことやって敵は時間を稼いで南方要域を要塞化してしまう。 」

   ↑
なにこのトンチンカンな理屈は?
真面目に言ってるんだろうか?
ばかばかしくて、反論する気も失せるわ

163 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 01:39:39.15 ID:???
>>161-162
反論できないだけだろ法螺吹き能無し朝鮮野郎wwwww
バカだから言われている意味すらろくに理解できないもんなwww

中学生未満の能無し法螺吹き屑土足くんwwwww
バカ過ぎて日本語も英語も判らないもんな〜wwwwwww

164 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 02:45:56.56 ID:???
これを見た小学生の諸君。
日本を戦争へ巻き込んだバカは誰かと言えば
海軍の山本五十六という愚将だぞ。こいつは中国に無差別爆撃を仕掛けて
どんどん戦争を拡大させた。
アメリカ国民は戦争に大反対だったが
山本五十六のハワイ攻撃によって一転、激怒して
日本と全面戦争する決断を下した。

老いぼれジジイは山本五十六を平和主義者だと
反対の話しを言うが、だまされてはいけない。
こいつは児玉などヤクザとつるんでいた悪党。

https://www.youtube.com/watch?v=LqfM-nPQWrU

165 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 02:57:06.94 ID:???
>>164
このカキコを見た小中学生諸君w
キチンと勉強しないとこのようなバカにしかなれないから気を付けようw

せめて中学生英語くらい読めるようにならないと上のバカみたいに
恥をさらすだけになるwwww
そう、下にコピペするようにねw

>>牟田口の指揮は正しく佐藤が馬鹿で、インパール作戦はあと一歩で成功していたと
>>イギリスでは評価されている。

>>★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
>>牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
>>これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
>>佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。

>スウィンソンの原文
>"Mutaguchi was right, there could be no doubt whatsoever;this was what Napoleon called 'the favorable moment',
>and Sato had only to hold Dimapur for a month to bring the British to the brink of disaster.
>But Mutaguchi dared not disobey Kawabe; and the moment passed. "

土足逃走w

166 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 11:40:31.39 ID:???
イギリスがいくら参戦を要求しても
アメリカ議会の反対で参戦できなかったのをここのアホは知らんのかね
アメリカ議会を一気に参戦へと傾かせたのは山本の奇襲のせいだよ

167 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 11:53:34.12 ID:???
>>165
確かにレド公路への要衝ディマプールまで遮る連合軍部隊が存在しない状態だったから、
日本軍が前進を継続していたらディマプールは陥落していた可能性が高いよ。
でも、日本軍の補給線は伸びきっていて、前線の部隊には一粒の米、
一発の弾薬も届かないような状況だったんだよ?
コヒマ維持も不可能な状態だったのに、強引にディマプールを攻略したとして、
維持することができたと本気で思ってるの?

168 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 20:28:27.11 ID:QfU/zlah
>>167
>でも、日本軍の補給線は伸びきっていて、前線の部隊には一粒の米、
一発の弾薬も届かないような状況だったんだよ?

ちょっとまて
適当にいい加減なことを書かないでくれ。
ビルマ方面軍・後勝後方参謀の現地視察の調査報告から
31師団は5月いっぱい戦闘可能だったと報告されている。
これは当初の計画の1ヶ月そこそこという作戦期間では
補給に問題なかったことを証明している。
31師団が侵攻せず停滞したままダラダラ作戦が長引いて
補給が尽きる結果を招いている。
4月5日までにディマプール攻略は可能であったし
そこを守備する連合軍兵力は無く
ディマプールでは日本軍は多くの物資を獲得できたと
連合軍の司令官らが皆そう言っている。
過去に流布されてきた話しは嘘ばかりで
補給に問題があって作戦が失敗したわけではない。

169 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 20:30:37.31 ID:???
> 4月5日までにディマプール攻略は可能であったし
>そこを守備する連合軍兵力は無く

英161旅団と英第二師団の到着日時を見ればこんないい加減なことは書けないよなw

170 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 20:33:59.62 ID:???
> 31師団が侵攻せず停滞したままダラダラ作戦が長引いて
>補給が尽きる結果を招いている。

因みに31師団の任務はコヒマ周辺での持久戦だけどなw

171 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 20:35:26.03 ID:QfU/zlah
>>167
>強引にディマプールを攻略したとして、
維持することができたと本気で思ってるの?

そんな事は状況次第だが?
敵がガタガタになって撤退すれば維持できるし
その間にインパールを確保してディマプールを放棄し
インパールに引く手もある。
一瞬の判断で勝負の行方は大きく変わるのだから
好機に敵の弱点を突くべき所を突くのは当然の話しだな。

172 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 20:37:45.41 ID:QfU/zlah
>>170
バカかおまえ?
インパールへ兵力を回すよう方面軍から命令が出てるんだが?
佐藤はそれを了承しながら実行しなかった。
佐藤は司令官失格。

173 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 20:39:25.62 ID:???
>>172

もう一度言うが31師団の任務はコヒマ周辺での 「持久戦」だw

174 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 20:41:31.34 ID:QfU/zlah
>>173
31師団には、インパールへ兵を回せと正式命令が出た。
だれが任務を決めると思ってるんだ、おまえは?

175 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 20:43:02.68 ID:???
>>174

それができないといっているのだが?

176 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 20:45:35.76 ID:QfU/zlah
>>175
命令を受けて了承しただろが。
それをいつまでも実行せず、1週間も実行せず
移動のための自動車が無いから出来ないとか
もう遅いだろが。好機はとっくに過ぎている。

177 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 20:49:36.41 ID:QfU/zlah
おれが言うよりも何よりも
連合軍司令官らがみんな
佐藤はとんでもないバカだ、
日本の司令官で最も消極的な司令官だと
敵将がみんなそう言っている事実があるのだから仕方が無いw

178 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 20:50:08.61 ID:???
>>176
そりゃ逡巡はするだろうな。

>「コヒマ」に突進し同地の要域を占領して「アッサム」方面より予想する英印軍の増援を阻止す

という任務と

>状況に依り一部を「インパール」に転進せしめ「インパール」会戦に参加せしむ

だからな。しかも 増援を阻止すという任務 を牟田口は 解除 していない。 

179 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 20:51:36.17 ID:???
>>177
>連合軍司令官らがみんな佐藤はとんでもないバカだ、

とは書いてないよな嘘つき土足君w

>日本の司令官で最も消極的な司令官だと

別に消極的なのは悪いことじゃない。

180 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 21:08:25.63 ID:QfU/zlah
>>179
朝鮮人かおまえ?
おれは「連合軍司令官ら」
と書いているんだが?
アーサー・スウィンソンは軍人だが
当時対峙していた司令部の関係者ではない。

181 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 21:09:34.95 ID:???
>>180
おまえは岩見だろw

182 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 21:09:57.66 ID:QfU/zlah
>>179
>別に消極的なのは悪いことじゃない。

バカのおまえの主観なんか聞いていない。
軍命令に抗命してよいのかどうかの問題。

183 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 21:11:33.99 ID:QfU/zlah
>>181
おまえは自分が
利用者:Los688
だと認めるわけだな?w

184 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 21:11:57.10 ID:???
>>182
>状況に依り一部を

って書いてあるな。師団長には独断専行の権限があるがなw

185 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 21:12:33.29 ID:???
>>183
uaaでもあるんだろw

186 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 21:14:43.43 ID:???
キチガイ土足には理解できないだろうがw
   

(1)任務分析について
  指揮官が達成することは、任務である。
  任務分析については、幕勤(幕僚勤務)に記述されていることに尽きるのであるが、
やや表現を替えて言えば、何のために、何を、どのような優先順位(内容的に、時間的に)で、
実施するのかを明らかにすることである。時折見かける任務分析の中に「師団の地位は先遣さ
れた独立師団である。」だけで終わっているものがあるが、それでは中途半端な分析であって、
前記に続けて「だから・・・である。」まで明らかにすることが必要である。
  その為には、いろいろな方法があるが一例を示せば、まず何のために(地位、役割から演繹
される目的)を明確に把握することが大切である。次いで何をなすべきか、即ち具体的に達成
すべき事項を明らかにすべきである。
  この際、まず必要性の面から任務を最大限に達成する(任務の上限とも言うべき目標(事項)を、
最小限度に達成する目標(事項)及びその中間の目標(事項)を明らかにする。
 また、部隊の能力(戦闘力の構成、時間、兵站支援等支援能力)から上記考察した達成すべき
目標(事項)を検討し、その実行可能性をつめ、次いでそれぞれの地形における具体的戦術行動を
考える。こうすることにより、「必ず達成しなければならない目標(事項)」「達成することが
望ましい目標(事項)」及び「時間的優位性」を明らかにすることができる。
 ここでやや邪道ではあるが、問題を作成する側に立場を置いてみると、付与した戦闘力、時間、
地域等の条件の中で、簡単に達成可能な任務、あるいはその反対に如何にしても達成不可能な任務
を付与することはない。上手にやれば達成できるし、下手にやれば達成できないように任務を付与
することになる。
 従って、問題を受領後、まず必成目標、達成することが望ましい目標、優先順位の付与等を
分析することが問題解決への最短距離となる。

187 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 21:15:26.77 ID:QfU/zlah
>>185
そいつらは山本五十六批判なんぞできない
エセ保守じゃないのか?
親の保守ならば、まずは山本五十六を批判するし
それが出来る。
Uaaとかよく知らんがなw

188 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 21:17:30.85 ID:QfU/zlah
>>184
土人の軍隊なら何でもありだろうが
こっちはマトモな国の国軍の話しをしている。

189 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 21:19:53.50 ID:???
山本批判者の種類・特徴・原因 @

・東京裁判で陸軍側だけが有罪とされたことに対する陸軍係累者(戦犯遺族や陸軍々人の)の反感
・天皇や皇族が戦争に無関係ではなかったことを国民からそらし隠蔽したい勢力(右翼)の存在
・戦争決定当事者たちの一部が自己の責任を隠蔽する為に責任を戦死した山本になすり付けて偽りの風聞を流した。
(死人に口なしでウソ偽りを言ってもばれることはない) 
・末端将兵の一部が自己への不当な命令が連合艦隊司令部から出されたと勘違いしている。
実際は所属の艦隊司令部などの部門からであり、組織をよく知らないことから不満を持った者がいる。
・現代人が当時の日米関係を理解や想像すらできない為
(当時は互いに仮想敵国であり人種差別や経済封鎖などのからんだ憎悪を抱いていた。)
・毎年、12月8日になると真珠湾攻撃の映像を見せられる為、
真珠湾攻撃が戦争の原因だと刷り込まれてしまった人たちが存在
・戦争を「愚か」とだけでしか捕らえない教育が当事の戦争当時者たちを全て犯罪者扱いしている為、
命令で戦争の先陣を切っただけなのに戦争の犯人、犯罪者だとされる
これらの人びとが戦争の原因を特定の人間が悪いとしたいのでウソを捏造している。

190 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 21:20:58.19 ID:???
山本批判者の種類・特徴・原因 A

・山本が強力な権力・指導力を発揮したと思われている人物であることへの反感
事実は単なる戦闘部隊の1軍司令官でしかなく、現場監督の親方といった存在。
・日本人特有のイジメ心理。負けた軍隊の指揮者を罵ることで自己の不満を晴らす。
特攻隊の人びとを愚かだ馬鹿だと愚弄する風潮にまでなっている現在の状況。
指揮者たちも特攻隊員と同様に、逃げることなど出来なかったのだ。
そんな社会システムは今もあまり変わってない。
・統帥と政府は互いに関与しないのが当時の制度であったのをご存知ない無知な人びとが山本が独断で勝手に
戦争を引き起こしたと思っている。また、東京裁判の尋問で東条首相が真珠湾攻撃を12月になって知ったかの
印象を与える証言を行った。しかし、事実はもっと前からである。理由は天皇を守る為の証言であった。
この事情を知っている人間がそれを悪用して攻撃の理由にしている。
・統帥部と連合艦隊との違いが分らないほどの政治・軍事知識欠如。
・山本が度々、映画その他で格好よく描かれていることへの妬み、嫉妬。
・戦略や指揮官が悪かったから日本が負けたのだとしたい人びとが多数存在する。
最初から日本は勝つことが目的ではなく、ドイツの勝利を当てにした早期講和を目指していた。
・多くの言論人が充分に史料からではなく、個人的憶測・曲解から来る書物を元にしている為、
山本批判者はこれらの人々が作った著作に情緒的に追随しているだけなので、まったく史料を出すことができない。

191 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 21:21:52.75 ID:???
巷間、多くの素人作家が
「山本五十六の率いる連合艦隊が独断でこっそりと政府にも陸軍にもそれどころか、
海軍軍令部にさえも知らせずに真珠湾攻撃を実施した」と多くの書物で主張している。

その代表例は下記のいいかげんで不勉強の愚かで間抜けな人物たちである。

・小室直樹 『硫黄島 栗林忠道大将の教訓』
・佐藤晃 『太平洋に消えた勝機』
・西村眞吾 『眞悟の時事通信 No.693 統帥と戦略、戦術、戦闘』
・若狭和朋 『日本人が知ってはならない歴史』
・茂木弘道『史実を世界に発信する会』

世の中にその恥をさらしているではないか。
笑われ、生き恥をさらせばよい。

192 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 21:23:21.38 ID:QfU/zlah
山本賛美者の種類・特徴・原因 @

『何よりも人の命を守る事を優先させた確固たる信念。
その意に反し、日米開戦が不可壁になろうとも、
決して逃げることなく連合艦隊司令長官の職にあり続けた
強固な責任感。
そして周囲の反対を押し切り、真珠湾奇襲を成功に導いて
ゆるぎない決断力。
まさに今の日本に求められる、困難な時代における真の意味でのリーダー。
それが山本五十六の「実像」に他ならない』

______  ___________
         V

      ヽヽ〃 /
       ヽ〃   真珠湾奇襲プシュ!    
      ( _)
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
       | | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ     
     /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     /  ゝ      |
    /  _  ゝ___)(9     (` ´) )j
   /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  /   )           (彡       |
 / _/           \____/


       ↑
小学生にも突っ込みを入れられそうな戯言を
わめいているバカ老人 自称歴史探偵団w  
歴史捏造作家 半藤一利

193 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 21:31:55.29 ID:???
真珠湾攻撃は多くの誤解と不当な認識を招いているがその事実を記す。
8月22日に陸軍参謀本部作戦当局にハワイ作戦の計画が海軍側から伝えられてから
同作戦は南方作戦の一環として陸海軍作戦当局間相互交流の上で研究立案の上、10月末までに完成した。
東条内閣の組閣後、白紙還元の御諚で9月の国策を再検討し10月23日から10月末まで
前後8回の連絡会議を開いて再検討が続けられたが 結局、国策を変える結論は得られず、
11月2日午前2時に対米英戦決意を定め、交渉不成立の場合に武力発動を12月初頭とした。
11月2日午後5時、東条首相はこの旨を天皇に参謀総長と軍令部総長と共に上奏した。
11月3日 参謀総長と軍令部総長はハワイ作戦を含む対米英戦の作戦内容を上奏した。
11月5日の御前会議でこの国策が正式決定(御裁可)された。
御裁可の後には統帥部から陸海軍大臣に作戦計画について
通報が行われる決まりになっているのである。
・「私は陸軍大臣としてハワイ作戦の概要は参謀総長より承知していました」
・「陸海軍大臣は作戦計画に関しては陛下に上奏して御裁可を受けた後にその通報を受けるのであります」
・「陸軍大臣は統帥部の決定には参画できず、その最後的決定後通報を受けるのであります」
これは東条首相自身が宣誓供述書で述べていることである。
陸軍大臣兼務の東条首相も当然、通報を受けたのは間違いない。
しかし、東条首相は作戦策定には関与しておらず、また統帥に政府は関与せずの制度
になっていたので責任を問うことはできない。
東京裁判のキーナンの尋問を持ち出す者がいる。
しかし、ここで東条首相は真珠湾攻撃を認知した日を
これほど不明瞭に、しかも日時の明確な証言は行ってはいない理由は何か?
知った日を忘れたなどということは有り得ないのである。

194 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 21:33:58.46 ID:QfU/zlah
『何よりも人の命を守る事を優先させた確固たる信念。

その意に反し、日米開戦が不可壁になろうとも、
決して逃げることなく連合艦隊司令長官の職にあり続けた強固な責任感。

そして周囲の反対を押し切り、真珠湾奇襲を成功に導いたゆるぎない決断力。

まさに今の日本に求められる、困難な時代における真の意味でのリーダー。
それが山本五十六の「実像」に他ならない』


何度読んでも頭に来るな。
これほどふざけた解説をよくも恥ずかしげも無く・・・
視聴者はみんな知恵遅れで映画を鵜呑みに信じ込むバカ
と思ってるんだろうか?

195 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 21:38:46.15 ID:???
>>192
 オレの思い付きは全て正しい!ソースなんか捏造で誤魔化せる!
______  ___________
         V

      ヽヽ〃 /
       ヽ〃   英文?翻訳文?区別なんか出来ねーよ    
      ( _)
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
       | | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ     
     /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     /  ゝ      |
    /  _  ゝ___)(9     (` ´) )j
   /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  /   )           (   Y ̄ ̄ ̄ ̄)
 / _/           \____/

       ↑
      土足w

土足はいよいよ言葉に詰まるとバカコピペしか出来ない無能だからなw
しかしその行為は当に「ウリは正しいから正しいニダ」と火病して喚く朝鮮人そのものwwww
ソースを出せば捏造、口を開けば改竄、手を動かせばトリミングw
朝鮮土足は法螺吹き能無し屑土足wwwwwww

196 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 21:40:18.40 ID:???
Los688 必死だなw

197 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 21:44:42.73 ID:???
>>196
バカは相手が一人にしか見えないよなw
ソックパペット使いの劣化岩見野郎wwwww

198 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 21:51:18.14 ID:???
>>197
おまえLos688なのか?

199 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 21:56:31.95 ID:???
ところで、山本五十六がいなかったら、日本はどうなっていたの?
滅亡、それともアジアの覇者に?

200 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 22:00:39.07 ID:???
>>198
バカは何処まで行っても間抜けの屑ってだけだなwwwwww

wikiから摘み出された屑だから相手がみんな編集者に見えるんだよなw
バカだからw
屑の法螺吹きだからwwwww

201 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 22:32:44.81 ID:???
これがLos688の本性かwww

202 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 22:34:44.19 ID:???
土足のキチガイぶり


374 ☆ New! 2012/08/19(日) 22:54:39.10 ID:WEAo2BnG
こういうことを言うから当局から
おれは政府転覆をもくろむ革命分子とみなされ
付けねらわれているんだろうか?
あいにくだが、おれはそこまでやる気は無いw
史実を後世に伝える国民の義務を遂行しているのみ。

376 ☆ New! 2012/08/19(日) 22:58:07.97 ID:WEAo2BnG
>>375
おれは戦前以上の言論弾圧を受けているが?w

203 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 22:34:53.39 ID:???
所詮、無職のwiki管理者なんぞこの程度

204 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 22:38:50.49 ID:???
おまえもそろそろ解任だなw

205 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 22:39:30.78 ID:???
>>201
ID出さないのは卑怯者なんだろ?wwwww

屑の能無し朝鮮土足くんw
口先の法螺すらまともに吹けない朝鮮野郎wwwww

土足の本性貼っといてやるぜw
ソックパペット使いの卑怯者くんwwwww
428 名前:ゆうか(リハビリ中) ◆rVSVPJKDOk 投稿日:2012/12/11(火) 22:36:44.12 ID:bi/F3dYN
>>426
はやく不破の証言の証拠出せや

429 名前:名無し三等兵 投稿日:2012/12/11(火) 22:39:16.92 ID:???
>>427
>>428

おまえuaaだろ

430 名前:ゆうか(リハビリ中) ◆rVSVPJKDOk 投稿日:2012/12/11(火) 22:46:11.18 ID:/GpiYS6Q
>>429

違いますがなにか?

因みに本物のゆうか殿

名前:ゆうか(リハビリ中) ◆8CgZw1O5dc 投稿日:2012/12/11(火) 22:27:45.09 ID:f/QllwA0
>>91
>正当な理由も無く主権国家を攻撃をすることは

アメリカがやった禁油措置等、経済制裁は武力行使同じだと
専門家も言ってますよ。

206 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 22:42:00.04 ID:???
Los688 必死だなw

207 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 22:46:49.09 ID:???
無期限ブロッック 無期限ブロッック 無期限ブロッック 

  無期限ブロッック 無期限ブロッック 無期限ブロッック 

無期限ブロッック 無期限ブロッック 無期限ブロッック

  無期限ブロッック 無期限ブロッック 無期限ブロッック

期限ブロッック 無期限ブロッック 無期限ブロッック
______  ___________
         V

      ヽヽ〃 /
       ヽ〃   被告人を期限を定めないブロックと処する。    
      ( _)
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
       | | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ     
     /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     /  ゝ      |
    /  _  ゝ___)(9     (` ´) )j
   /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  /   )           (彡       |
 / _/           \____/

      ↑

ウィキペディア管理人w 

全員無職のただ働きwww

208 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 22:47:06.76 ID:???
>>206
相手が一人にしか見えないんだよなw
能無し朝鮮土足くんw

屑の能無し法螺吹き野郎なんざ糞の役にも立たないなw
朝鮮人にすら劣る捏造改竄法螺吹き野郎w
法螺吹かないと死ぬ朝鮮人に劣る無能なんてそもそも生きてるだけで恥ずかしいだろwwww

209 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 22:47:48.23 ID:???
>>207
>>無期限ブロッック 

あまりに図星で火病してやんのw
屑の能無し朝鮮土足くんw

210 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 22:48:46.28 ID:???
>>209
Los688 必死だなw

211 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 22:49:17.18 ID:???
ブロッックw 

212 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 22:50:08.21 ID:???
山本ブロッック

213 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 22:52:27.12 ID:???
>>209
それであんたLos688だと認めるわけね?

214 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 22:54:41.53 ID:???
uaa必死だなw

215 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 22:57:26.84 ID:???
>>213
土足は本当に間抜けだなぁwwwwww

お前以外にそんな間抜けなことをほざくやつなんざいないぜw
無意味だからなw

ソックパペット使いの劣化岩見野郎w
岩見と一緒のレベルになれて良かったなwwwww

216 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 22:57:54.91 ID:???
利用者:Los688 [編集]

管理者に立候補いたします。大きな理由といたしまては、管理者数の不足によるあらしの横行の防止にあります。
Wikipediaの管理業務の重要部分として、記事の破壊防止や中傷の防止があります。昨年あたりまでは、そのような記事やそのような記事をつくるあらしの数も少なく発見も容易であったために、少ない管理者でもなんとか対応ができておりました。
しかし、Wikipediaの参加者が急速に増大し、今春あたりから記事破壊系・中傷系の参加者の増大が見られるようになり、管理者数の不足とあいまって対応が困難になってきたように見受けられます。
記事破壊系・中傷系に対応するには即時性が必要な場合もあることから、一日のうちでWikipediaに接している時間が長いものとして、そのような管理業務に貢献できる部分があるのではないかと思っております。
このほか、著作権侵害案件などの削除依頼が大幅に増加していることも、他の管理者と協力して業務を行い、ワークロードの減少に貢献いたしたいと思います。--Los688 2006年7月1日 (土) 11:34 (UTC)(署名補記)

217 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 22:59:25.34 ID:???
Los688は立派偉い。
土足=uaaはクズw

218 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 23:07:33.56 ID:???
東京裁判史観を固定化し
陸軍悪玉論を流布し
山本五十六を賛美する。

これがLos688の仕事

219 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 23:10:30.31 ID:???
Wikipediaを、最も宣伝に悪用している人物がLos688だが
こいつが他人の宣伝行為を批判する管理者とはお笑い

220 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 23:20:45.75 ID:???
Wikipediaから弾かれたクズ土足w

221 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 23:29:31.69 ID:???

山本賛美者の種類・特徴・原因 @

『何よりも人の命を守る事を優先させた確固たる信念。
その意に反し、日米開戦が不可壁になろうとも、
決して逃げることなく連合艦隊司令長官の職にあり続けた
強固な責任感。
そして周囲の反対を押し切り、真珠湾奇襲を成功に導いて
ゆるぎない決断力。
まさに今の日本に求められる、困難な時代における真の意味でのリーダー。
それが山本五十六の「実像」に他ならない』

______  ___________
         V

      ヽヽ〃 /
       ヽ〃   真珠湾奇襲プシュ!    
      ( _)
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
       | | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ     
     /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     /  ゝ      |
    /  _  ゝ___)(9     (` ´) )j
   /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  /   )           (彡       |
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       ↑
小学生にも突っ込みを入れられそうな戯言を
わめいているバカ老人 自称歴史探偵団w  
歴史捏造作家 半藤一利

222 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 23:35:26.90 ID:???
 オレの思い付きは全て正しい!ソースなんか捏造で誤魔化せる!
______  ___________
         V

      ヽヽ〃 /
       ヽ〃   英文?翻訳文?区別なんか出来ねーよ    
      ( _)
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
       | | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ     
     /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     /  ゝ      |
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       ↑
      土足w

土足はいよいよ言葉に詰まるとバカコピペしか出来ない無能だからなw
しかしその行為は当に「ウリは正しいから正しいニダ」と火病して喚く朝鮮人そのものwwww
ソースを出せば捏造、口を開けば改竄、手を動かせばトリミングw
朝鮮土足は法螺吹き能無し屑土足wwwwwww

223 :名無し三等兵:2013/03/21(木) 23:54:27.30 ID:???
>>222
Los688 必死だなw

224 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 00:05:03.12 ID:???
■海軍の五十六こそが
日中戦争を勃発させ、泥沼化させた張本人である。

山本五十六の目論みは海軍の利権拡大、予算の獲得が目的で、
大量の予算を獲得し、日本中を航空基地で埋め尽くす事。

第二次上海事変を口実に(船津和平工作などから見て停戦は十分可能だった)
南京無差別爆撃を強行し、無理やり反日勢力を刺激し
日中間を泥沼戦争状態にした。

山本五十六が主導した海軍の南京無差別爆撃に対し
米国大統領が歴史上初めて日本を批判(隔離演説)
国連は海軍による都市無差別爆撃に対する非難決議を採択。

以後、米内海相とともに黒潮会(山本五十六が育てた戦争宣伝組織)
を利用して徹底して新聞で戦争を煽りまくり
陸軍参謀本部の日中停戦工作をことごとく妨害していた黒幕。
何もかも、海軍の利権拡大が目的だと考えられる。

山本五十六はマスコミを日中戦争推進に利用

山本五十六は記者クラブ(黒潮会)を利用し、
新聞社を戦争扇動機関に育てた日本の先駆者。
これは日本で始めて山本五十六がやりだした戦争扇動の手法。

225 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 08:24:01.09 ID:???
巷間、多くの素人作家が
「山本五十六の率いる連合艦隊が独断でこっそりと政府にも陸軍にもそれどころか、
海軍軍令部にさえも知らせずに真珠湾攻撃を実施した」と多くの書物で主張している。

その代表例は下記のいいかげんで不勉強の愚かで間抜けな人物たちである。

・小室直樹 『硫黄島 栗林忠道大将の教訓』
・佐藤晃 『太平洋に消えた勝機』
・西村眞吾 『眞悟の時事通信 No.693 統帥と戦略、戦術、戦闘』
・若狭和朋 『日本人が知ってはならない歴史』
・茂木弘道『史実を世界に発信する会』

世の中にその恥をさらしているではないか。
笑われ、生き恥をさらせばよい。

226 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 22:54:42.53 ID:???
権兵衛つくって五十六沈めた

227 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 23:28:31.64 ID:dpqwmosf
>>226
それはこれに書いてあるやつね。
もの笑いで生き恥の論文『眞悟の時事通信 No.693 統帥と戦略、戦術、戦闘』
(若狭和朋史観本の丸受け)

228 :名無し三等兵:2013/03/22(金) 23:38:05.05 ID:dpqwmosf
海軍だけが米領を奇襲攻撃を行ったと思ってるんだろうか?

陸軍も米領を12月8日には奇襲攻撃してるんだが。
比島、瓦無島。

陸軍の奇襲攻撃は8月以降の作戦立案段階で既に決まっていたこと。
10月7日に東条陸軍大臣は近衛首相に対して
「緒戦の奇襲攻撃に多くの期待がかけられている。戦機を逸してはならない。」
と、述べている。

229 :こよなく日本愛す大和男の子:2013/03/23(土) 15:24:33.34 ID:DNKyn99a
東郷元帥は、旗艦三笠艦上で敵弾の飛び交う中で陣頭指揮をとられ見事バルチック艦隊を撃滅された。一方山本五十六大将は、真珠湾攻撃の時旗艦長門の艦上で将棋を打っていた。さらに
半年後のミッドウェー開戦に於いては、なんとなんと旗艦戦艦大和の艦上で空母部隊の遙か後方500キロから戦艦、巡洋艦、駆逐艦を航行させていた。何故空母部隊の先頭に大和を遊弋させて敵に対峙しなかったのか、信じられません。
そもそも海軍は、陸軍の下に在るべき軍隊であり、陸軍が目的を成し遂げるために戦う存在であるはずです。

230 :名無し三等兵:2013/03/23(土) 17:09:29.80 ID:???
>>229
キミは本当にバカだなぁw
東郷元帥は主力艦艇に旗艦を置いて、指揮を執った。

山本大将は同様に主力艦艇に旗艦を置いて、指揮を執った。
(機動部隊は実は先遣部隊)

要するに間抜け土足と同様に、ミッドウェー海戦の目的を理解してないと
そのような浅薄なことを書いて恥じないw

実際、ミッドウェーに関してはアメリカ側も戦艦戦隊による艦隊決戦を
企図しており、ラッキーヒットによる機動部隊全滅が無ければ、主力同士
による艦隊決戦が惹起していた可能性は極めて高いのだ。

231 :名無し三等兵:2013/03/23(土) 19:59:29.87 ID:???
米軍が戦艦部隊を出撃させたことを知らない人って結構居るんだね。

232 :名無し三等兵:2013/03/23(土) 21:30:32.55 ID:???
>>231
日本語になってるミッドウェー海戦でのアメリカ艦隊の
編成は機動部隊だけ記述されているのが多いからね。

驚くなかれ、最初にこのことが日本語で書かれたのは、模型屋の
副読本みたいなモノだったりする。

アメリカ側も万全の信頼を暗号解読の内容に置いていた訳ではない
のが、戦艦戦隊の展開を見ると理解出来るんだがな。

因みに、配下の部隊が行動中に上位指揮官が色々と口を差し挟む方が
寧ろ問題が多いんだが、229みたいなのには理解出来ないんだろう。

233 :名無し三等兵:2013/03/23(土) 23:15:23.30 ID:78XGhRbL
>>229
将棋の件
この出所はただ一人の人物が書いた本一冊だけ。
従兵長だったという90歳近い老人が60年も経ってから書いたもの。
私はこの本を読んだことがあるが、
将棋をやっていたのが勤務中だったとは一言も書いてない。
また、この本にはとんでもない誤りが多い。
例えば、ざっと見ただけでも
・第一波が発進した時日本時間午前4時に、旗艦「長門」以下の主力艦隊はハワイに向かって進んでいて
その位置は太平洋上n34°、e145°だったと書いているが、実際は柱島泊地にいたのだ。
・連合艦隊はミッドウエーからすぐにトラック島に直行してそのまま居座ったと述べているが、
実際には6月14日に瀬戸内海の柱島泊地に戻っているのだ。
・9月に特潜艇(特別攻撃隊)の10人が長門を訪れて乾杯を行ったと書いているが、
乗員選定が行われたのは10月中旬以降であるから訪れたとしてもその後になる。

これらからを見ても決して日誌や記録をもとにして書かれた本ではない。

あなたは60年前の他人の言動や行動を記録も無しに詳細に述べられるだろうか?

234 :名無し三等兵:2013/03/23(土) 23:22:05.54 ID:78XGhRbL
>>229
完全に中川八洋の捏造本の信者になってるなあ。

235 :名無し三等兵:2013/03/23(土) 23:41:38.33 ID:???
中川洋八氏は、一種の極右、国粋主義者だからなぁ。

236 :名無し三等兵:2013/03/23(土) 23:42:36.66 ID:???
訂正:洋八→八洋

237 :名無し三等兵:2013/03/23(土) 23:58:34.61 ID:78XGhRbL
>>229
日本海海戦は戦場が一箇所だけ。敵も一カ国だけ。
東郷さんが一箇所で指揮すれば戦場すべてを動かせた。

大東亜戦争は太平洋全域からインド洋まで多くの場所が
同時に戦場だった。 敵も世界中の国。
山本さんが一箇所に行ってたら他の戦場への作戦指示ができない。

アメリカの太平洋艦隊司令長官も一度も自分は陣頭指揮なんかしていない。
全部、部下任せだった。自分は楽園ハワイの陸上施設から指揮していた。

東郷さんの時代とは規模も範囲も質も桁違いの戦争になっていたのに
相変わらず東郷さんと比較しているとは・・・・・・・

238 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 00:16:34.39 ID:BY7VrZPJ
中川八洋の「一種の極右、国粋主義者」というのは
フリで演技で仮面でポーズだろ。
本音はその逆だろうが生きる為には必要。
皇室礼賛していれば日本では決して排除されない。
似非右翼の在日暴力団が皇室礼賛の右翼活動(醜い暴言騒音の)をやってるのと同じだ。

239 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 14:47:31.66 ID:KpsysEX5
中川八洋の醜い罵詈雑言と汚い言葉の数々を見れば
彼の素顔が理解できるだろう。

似非右翼の在日暴力団が醜い暴言騒音の街宣活動
をやり、皇室の文様と日章旗を掲げているのと同じだ。

240 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 14:51:16.08 ID:???
■山本五十六の大罪をまとめると

@日中戦争を勃発させ、泥沼化させた張本人の黒幕。
第二次上海事変を口実に(停戦は十分可能だった)
南京無差別爆撃を強行し、無理やり反日勢力を刺激し
日中間を泥沼戦争状態にした。

山本五十六が主導した海軍の南京無差別爆撃に対し
米国大統領が歴史上初めて日本を批判(隔離演説)

以後、米内海相とともに黒潮会(山本五十六が育てた戦争宣伝組織)
を利用して新聞で戦争扇動し
陸軍参謀本部の日中停戦工作を徹底して妨害していた黒幕。
何もかも、海軍の利権拡大が目的だと考えられる。

A政府・陸軍に対し、南進、対米戦争を第一に要求。
海軍の主張によって、南進論が国策となってしまった。
アメリカとは戦争すべきではないという陸軍の警告を無視し(米英可分論)
山本五十六がアメリカとの戦争を第一に主張した(米英不可分論)

B山本五十六の真珠湾奇襲によって
参戦反対だったアメリカ世論が参戦支持一色に豹変し
アメリカを無理やり全面戦争に引きずり込み、世界大戦に発展させた。

C国の方針を無視し極東での陸軍の作戦を支援せず
馬鹿で無謀で意味の無い太平洋戦線を過酷な戦場にさせ
大損害を出させた。

Dアリューシャン、マーシャル、ガダルカナル、など補給を無視し攻略、戦線拡大
太平洋の半分まで戦線拡大、海軍の飛行場の配備を進め
それに協力させられ派遣された陸軍部隊は、海軍が制海権を維持できず、
陸軍の補給船の護衛を無責任に放棄したため物資が尽き、アッツ島等あちこちで餓死、玉砕。

241 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 14:51:59.61 ID:???
E日本艦隊をインド洋から太平洋へおびき出すため
挑発の陽動作戦であるドーリットル空襲に愚かにも引っかかり、
ミッドウエーで空母4隻を失う大失態を犯しながら
何の責任も感じず司令長官の職を辞任しなかった。

Fマスコミを戦争扇動に利用
記者クラブ(黒潮会)を利用し、新聞社を戦争扇動機関に育てた。
これは日本で始めて山本五十六がやりだした戦争扇動の手法。

G海軍航空機を防弾装備皆無の自爆機ばかり開発増産させた。

G笹川良一、児玉誉士夫といった
商売金もうけが全てのエセ右翼のヤクザが最も親しい友人だった。

242 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 14:54:04.49 ID:???
>>239
>似非右翼の在日暴力団が醜い暴言騒音の街宣活動
をやり、皇室の文様と日章旗を掲げているのと同じだ。


その朝鮮街宣右翼の親玉である児玉誉士夫の親分が
山本五十六なんだが?w

243 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 15:53:48.55 ID:KpsysEX5
>>240 >>241 >>242
だったら、さっさと根拠を出せってんだ。
いつまで経っても出せやしないじゃねえか。
自分の妄想を事実と思い込む「痴呆老人」の称号を甘受するしかないな。

244 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 20:05:11.75 ID:???
>>242
中村八洋乙

245 :名無し三等兵:2013/03/24(日) 21:26:53.21 ID:???
>>240-241
さっさとまともなソース持って来いよw
屑の能無し朝鮮土足くんw

法螺吹いてないと死ぬんだよなw
劣化朝鮮人の自演岩見野郎w
岩見と同レベルにようやくなれて幸せだろwwwww

246 :名無し三等兵:2013/03/25(月) 12:07:34.29 ID:???
>>240
糞六は本当に最低だな。

247 :名無し三等兵:2013/03/25(月) 23:25:27.84 ID:rbiImVw/
>>229
良かったね。相手が相手で。

日本海海戦の日露の軍艦数。
日本89隻(戦艦4、巡洋艦27、駆逐艦21、水雷艇、砲艦その他艦艇37)→殆どイギリス製
露西亜28隻(戦艦8、沿岸戦艦3、巡洋艦8、駆逐艦9)→ 多くが露西亜製

248 :名無し三等兵:2013/03/26(火) 00:01:03.81 ID:rbiImVw/
>>246はいったいどんな本を読んだの?

249 :名無し三等兵:2013/03/26(火) 00:02:39.79 ID:???
「帝国海軍の今日あるは、肉薄必中の伝統精神にある。今後1メートルたりとも射距離を延ばそうとすることは、絶対に許さん」
こんな人間が動かす海軍が勝てる訳が無い

250 :名無し三等兵:2013/03/26(火) 08:29:24.61 ID:???
その点陸軍は人道主義で白兵戦を拒否し火力戦を重視した。陸軍偉い!

251 :名無し三等兵:2013/03/26(火) 08:31:18.95 ID:???
>>248
これ。土足のバイブル

■若狭和朋 『日本人が知ってはならない歴史』
■小室直樹 『硫黄島 栗林忠道大将の教訓』
■佐藤晃 『太平洋に消えた勝機』
■西村眞吾 『眞悟の時事通信 No.693』
■茂木弘道『史実を世界に発信する会』

252 :名無し三等兵:2013/03/26(火) 08:32:03.36 ID:???
■佐藤晃 『太平洋に消えた勝機』
「だがこの時すでに、真珠湾作戦部隊はヒトカップ湾をハワイに向けて 出航している。
政府はこのことを知らされていない。

国家存亡の戦争を行う国の最高指導者が知らぬまに、
そして 共同作戦をとる陸軍が知らぬ間に、このような重大作戦が決行される事など、
最高指導者の下に統合幕僚組織のある普通の国では考えられないことである。」

■西村眞吾 『眞悟の時事通信 No.693』
「つまり連合艦隊司令長官は、この時既にハワイ真珠湾攻撃を決意していたのだ。
このことは海軍軍令部総長も知らない。
もちろん、首相である近衛も十月に首相になった東条も知らない。」  略
腹案は、よくできている。そして、現実には、第一段階(南方作戦)は一挙に達成され、第二段階(西亜作戦)の途中まで達成された。
しかし、この「戦争終末促進に関する腹案」の基本方針に反することを、最初から実施し、
しかも順調に進んでいた第二段階を自ら放棄して、
結局、腹案全体の戦略と戦術、我が国家の基本戦略を崩壊せしめた人物がいた。
我が国から統合幕僚本部を喪失させた山本権兵衛に続く、海軍のもう一人の山本。
山本五十六連合艦隊司令長官である。

■茂木弘道『史実を世界に発信する会』
その基本戦略に反する戦いを始めたのは、海軍の山本五十六連合艦隊司令長官であった。

山本提督一派によるパフォーマンスのようにしか見えない戦い方だが、最初の真珠湾攻撃で意見の対立が生じたとき、
山本提督を更迭するだけの力(それだけの人物)と覚悟が海軍上層部になかったということなのか。
結果、日米戦争での日本の戦いは相手(米国)のリングで戦うことになり、
惨憺たる負け戦になったことは史実が示す通りである。

253 :名無し三等兵:2013/03/26(火) 09:07:09.50 ID:???
>>252
ろくに取材もできないアホ作家を崇める屑の能無し朝鮮土足くんw
バカは何処まで行ってもバカでしかない、という現れwwww

254 :名無し三等兵:2013/03/26(火) 09:31:09.48 ID:ipwkIXSN
>>252

巷間、多くの素人作家が
「山本五十六の率いる連合艦隊が独断でこっそりと政府にも陸軍にもそれどころか、
海軍軍令部にさえも知らせずに真珠湾攻撃を実施した」と多くの書物で主張している。

その代表例は下記のいいかげんで不勉強の愚かで間抜けな人物たちである。

・西村眞吾 『眞悟の時事通信 No.693 統帥と戦略、戦術、戦闘』
・若狭和朋 『日本人が知ってはならない歴史』
・小室直樹 『硫黄島 栗林忠道大将の教訓』
・佐藤晃 『太平洋に消えた勝機』
・茂木弘道『史実を世界に発信する会』

世の中にその恥をさらしているではないか。
笑われ、生き恥をさらせばよい。

世の中にその恥をさらし、笑われ、生き恥をさらせ。

255 :名無し三等兵:2013/03/29(金) 14:32:53.87 ID:SDR4Tb4U
@東条首相が東京裁判でハワイ作戦を知ったのが12月であったかの印象を与える証言を行った理由

東京裁判の事前過程で先ず最初に東条首相自らが日本人弁護士に語った内容をまとめた供述書が作られた。
これは昭和22年12月26日から裁判冒頭で3日間に渡って読み上げられた正式の裁判資料である。

11月5日に戦争計画が御前会議で決議され、天皇の裁可を経て戦争準備命令が発令された。
この日以降に陸海の軍隊が動きを開始していったのだ。
しかしこのことを東条首相は供述書に一切書いていない。
また、裁判の尋問でもこの11月5日のことを一切述べていない。

東条首相が秘匿せねばならなかったこと、それが「11月5日の御前会議」である。

裁判で東条首相が守らなければならなかったことは、
第一に天皇陛下である。
第二に日本が戦争に入った理由である。

これらが「11月5日」に関係しているのである。

256 :名無し三等兵:2013/03/29(金) 14:33:26.75 ID:SDR4Tb4U
A東条首相が東京裁判でハワイ作戦を知ったのが12月であったかの印象を与える証言を行った理由

東条首相は供述書に、ハルノート提出後の12月1日の御前会議の決議から戦争準備に入ったと書いている。
日本の開戦理由がハルノートによって日米交渉が不成立となったことによる結果である、ことを明確にしたいが為である。
しかし、事実上の戦争準備は11月5日から動き出していた。陸海軍へ準備命令が天皇允裁後、発令されていた。
11月3日にハワイ作戦の説明を受けていた天皇が、11月5日に御前会議に臨席し決議を裁可していたことは
天皇の戦争関与とみなされるだろう。

裁判で東条首相は海軍の作戦についてはハワイ作戦どころか、一切知らなかったと述べている。
一国の総理大臣が海軍のことを、一切知らなかったなどということがあるのだろうか。
これから戦争を行うという重大な時に海軍の作戦も知ろうとしなかったのだろうか。
事実であればこれほど無責任な態度もこれほど無能な総理大臣もないだろう。
しかし、事実はそうではないだろう。
東条さんは有能であった方だ。そうであった筈はない。
自ら知ろうと思えばいくらでも出来たはずであるし、
ヒト・モノ・カネの流れからも当然に様々に情報は入っていた筈だ
海軍の作戦全てについて知ることはできないであろうが一切知らないなどあり得ない。
知っていても、当時の制度では政府と統帥部は独立し、
陸海軍も互いに独立していることになっていたから
建前上は知らないと答えるしかないのが当たり前なのだ。
知ったのは遅くとも11月5日の御前会議前後であろう。
陸軍参謀総長も陸軍作戦当局もハワイ作戦は知っていたのだから。
御裁可の後に陸海大臣はその通報を受ける決まりだったのだから。
(これは東条首相自身が供述書に述べていることである)

したがって、
天皇陛下を守る為に、
東条首相は、この11月5日の前後のことを秘匿せねばならなかった。

だからキーナンの尋問で、ハワイ作戦を知ったのは12月1日の御前会議以降の日付けを答えるしかなかったのだ。

257 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 02:10:35.43 ID:???
              .:::::::;'       日本が勝つためには       ';:::::::.
             :::::::::i      最初の一撃でアメリカ人に        l::::::::.
          ::::::::::!       立ち上がれないほどの          i::::::::
            :::        ダメージを与えることでございます           :::
  '  ― ―‐ --  」                              L_:::::
                    それによってアメリカは、恐れおののき        ̄ ̄ ̄
            __,. -┐  いとも簡単に講和に応じるでありましょう

_ ,. -‐ '' ´   :::::::::',   そのための秘策は出来ております r::-  _
               :::::::::'、   早期開戦こそが、日本が勝つ         /::::::::   ´` '
                ::::::::':、    唯一の策でございます                       ,.:':::::::
                 ::::::::ヽ         / ̄\         /:::::::
                ::::::::丶        |      |        ,.::'::::::::::
                 ::::/  ,:、     \_/      _,..:'::::::::::
                  /   ,..':::::::>   _|__  ... く::::::::::
             /   ,.::::::::    /\ , , /\ `、 \
              /    ,.∩     / <●>  <●>\.`、  \∩
          /     , ' l ヽ∩ /   (__人__)    \ ∩ノ j
       /     ,    ヽ ノ |      |::::::|      | ヽ ノ \
       /      , '      | ヽ \     ` ⌒´    / / j    \
    /      , '      \  ̄            ̄  / `、   \
  ./       , '               山○五○六


日本にこんなバカがいたとは ・・・orz  ←ヒトラー総統

258 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 02:54:15.91 ID:???
>>257
 オレの思い付きは全て正しい!ソースなんか捏造で誤魔化せる!
______  ___________
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      ヽヽ〃 /
       ヽ〃   英文?翻訳文?区別なんか出来ねーよ    
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       ↑
      土足w

土足はいよいよ言葉に詰まるとバカコピペしか出来ない無能だからなw
しかしその行為は当に「ウリは正しいから正しいニダ」と火病して喚く朝鮮人そのものwwww
ソースを出せば捏造、口を開けば改竄、手を動かせばトリミングw
朝鮮土足は法螺吹き能無し屑土足wwwwwww

259 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 11:12:40.37 ID:s08qvrbX
>>257

山○五○六 がそんな言葉を述べたことはないぞ。
どこからそんなデタラメを引っ張ってきたんだ?

260 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 11:30:22.99 ID:???
山本糞六は自分の保身しか頭に無い糞官僚

261 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 11:33:40.00 ID:???
流石パイロットにこれから訓練はいらないと言わせた五十六w

262 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 12:29:22.49 ID:s08qvrbX
>>257
あんた何も知らんのだね。

それは、
1月に海相に充てた手紙の中で、
「日本はアメリカより軍備・国力が劣るのだから彼らと戦争に入ってはならない。
しかし、どうしても戦争がやむを得ない状況になったら、・・」
という言葉が最初にくるのだ。

そしてその後に続く文の意味は、
「もしそうなったら、開戦へき頭に一気に敵をやっつけて
士気を阻喪するほどに持っていく気構えでやるしかないだろう」
といういうことだ。


勝手に変な文句を入れるなよ。

263 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 18:48:09.00 ID:???
土足は反半藤のためならウソも捏造もアリだからなw

264 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 20:05:50.16 ID:???
>>263
つか、土足のテキストに捏造も買い残もトリミングもウソもなかった
ものなんかそもそもないじゃんwww

265 :名無し三等兵:2013/03/30(土) 20:41:21.09 ID:???
262>
それは、少し違うんだ。及川古志郎と昭和15年12月に会談した時の会話内容を覚え書きとして残すために、
翌16年1月に記述したものが残されている。
したがって、及川は、文面として、これを受け取った訳ではない。
預かっていたのは、澤本頼雄という、この時点での海軍次官が保管している。 以上

266 :名無し三等兵:2013/04/01(月) 00:13:00.91 ID:38VMc3qt
>>265
そうなんですか?
山本司令長官より海軍大臣宛の書簡として
「昭和16年1月7日 海軍大臣 及川古志郎殿 於 軍艦長門 山本五十六華押」
というのが戦史叢書だったかに載っていました。

267 :名無し三等兵:2013/04/01(月) 00:18:57.89 ID:38VMc3qt
>>1
一句できた。

理由も云わず「他人をキライと云うあんたが大キライ」

268 :名無し三等兵:2013/04/01(月) 00:20:54.05 ID:???
>>267
理由はある。土足はバカ作家の影響を受け反半藤一利史観を浸透させたいらしい。

269 :名無し三等兵:2013/04/06(土) 00:49:59.57 ID:PrFYZmSK
通説と逆のことを発掘すれば世の中の評価が高まるからね。
何の根拠もない与太話や三文週間紙の記事を集めて適当に辻褄合わせれば
ハイ!「物事の真実をえぐる快刀乱麻の筆致」で一丁出来上がり!!!
最近こんなのが増えてる。

270 :名無し三等兵:2013/04/06(土) 01:10:57.34 ID:???
■海軍次官・五十六こそが
日中戦争を勃発させ、泥沼化させた張本人だった。

山本五十六の目論みは海軍の利権拡大、予算の獲得が目的で、
大量の予算を獲得し、日本中を航空基地で埋め尽くす事。

第二次上海事変を口実に(船津和平工作などから見て停戦は十分可能だった)
南京無差別爆撃を強行し、無理やり反日勢力を刺激し
日中間を泥沼戦争状態にした。

山本五十六が主導した海軍の南京無差別爆撃に対し
米国大統領が歴史上初めて日本を批判(隔離演説)
国連は海軍による都市無差別爆撃に対する非難決議を採択。

以後、米内海相とともに黒潮会(山本五十六が育てた戦争宣伝組織)
を利用して徹底して新聞で戦争を煽りまくり
陸軍参謀本部の日中停戦工作をことごとく妨害していた黒幕。
何もかも、海軍の利権拡大が目的だと考えられる。

山本五十六はマスコミを日中戦争推進に利用

山本五十六は記者クラブ(黒潮会)を利用し、
新聞社を戦争扇動機関に育てた日本の先駆者。
これは日本で始めて山本五十六がやりだした戦争扇動の手法。

271 :名無し三等兵:2013/04/06(土) 01:16:07.12 ID:???
■海軍の五十六提督こそが
日中戦争拡大を唱え、泥沼化することを憂えた人である。

山本五十六提督の目論みは海軍の航空艦隊拡大、予算の獲得が目的で、
大量の予算を獲得し、帝国海軍を機動部隊のみの編成と、諸島を不沈空母とした航空基地で埋め尽くす事。

第二次上海事変を平和裏に解決すべく船津和平工作に望みをかけた。
南京無差別爆撃を強行し、無理やり反日勢力を刺激し日中間を泥沼戦争状態にした陸軍を憎んだ。

山本五十六提督が窺い知らぬ所(海軍次官に海軍の指揮・発動権限はない)で海軍が主導した南京無差別爆撃に対し
米国大統領が歴史上初めて日本を批判(隔離演説)
国連は海軍による都市無差別爆撃に対する非難決議を採択。

以後、米内海相は関与していないが、黒潮会(山本五十六提督が育てた記者クラブ)
を利用して徹底して新聞で戦争非拡大を図ろうとしたが、
陸軍参謀本部と関東軍の共謀による妨害で叶えられず。
何もかも、海軍の戦争不拡大が目的だと考えられる。

山本五十六提督はマスコミを日中戦争締結に利用しようと画策した

山本五十六提督は記者クラブ(黒潮会)を利用し、
新聞社を戦争不拡大扇動機関に育てた日本の先駆的功労者。
これは日本で始めて山本五十六提督がやりだした戦争不拡大の手法。

次の言葉に、山本五十六提督の国防というものの考え方が、言い表されている。
「百年兵を養うは、何のためだと思っているのか。ただ国家の平和を護らんがためである。
もしこの命令を受けて帰って来られないと思う指揮官があるなら、今より出動を禁止する。
即刻辞表を出せ」
開戦直前でも、この冷静かつ明確な命令を出す凄さは、山本五十六提督以外には、あり得ない。

272 :名無し三等兵:2013/04/06(土) 01:20:44.82 ID:???
______  ___________
         V

      ヽヽ〃 /
       ヽ〃   真珠湾奇襲プシュ!    
      ( _)
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
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     /  ゝ      |
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   /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  /   )           (彡       |
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       ↑
正真正銘のバカ認定
要介護15  
妄想作家 半藤一利

273 :名無し三等兵:2013/04/06(土) 01:25:53.62 ID:???
>>272
 オレの思い付きは全て正しい!ソースなんか捏造で誤魔化せる!
______  ___________
         V

      ヽヽ〃 /
       ヽ〃   英文?翻訳文?区別なんか出来ねーよ    
      ( _)
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       ↑
      朝鮮土足w

土足はいよいよ言葉に詰まるとバカコピペしか出来ない無能だからなw
しかしその行為は当に「ウリは正しいから正しいニダ」と火病して喚く朝鮮人そのものwwww
自作自演大好きソックパペット使いの法螺吹き能無し朝鮮野郎wwwww

274 :本山五十六:2013/04/06(土) 08:58:57.35 ID:PrFYZmSK
>>1
君たちは、屁も糞もせんのか?
君たちが屁もせず、糞もせず、女も抱かんというのなら、話を聞いてやろう。

275 :名無し三等兵:2013/04/06(土) 09:30:59.64 ID:D2VRde8f
>>274
誰だお前

276 :名無し三等兵:2013/04/06(土) 12:56:23.08 ID:???
>>270
ソースが一切ありませんが。

277 :名無し三等兵:2013/04/06(土) 15:48:21.27 ID:PrFYZmSK
>>255 >>256 >>257

>>257の考えは当時の軍部(海軍も陸軍も)全体がその考えだったのではないかな。

8月9日に北方作戦から南方作戦に専念し始めた陸軍が作戦を立案するなかで取リ得るのは
迅速さが要求される情勢と国力の面からいうなら奇襲攻撃だったろう。
8月22日に軍令部から参謀本部作戦担当にハワイ奇襲作戦の概要が連絡されていて、
その後、ごく限られた関係者のみではあったが同作戦と陸軍の作戦の研究を
陸海相互に行って10月末には完成し、11月3日には軍令部総長と参謀総長が
天皇に陸海軍作戦を説明している。
恐らく参謀総長は8月中にハワイ奇襲作戦を 知ったであろう。
また、東条首相は10月7日に近衛首相との会談で
「開戦初頭の奇襲作戦に多くの期待がかけられている。戦機を逸してはならい。」
と述べていることと、
供述書の「私はハワイ作戦は陸軍大臣として参謀総長より承知していた」という言葉
を合わせて考えれば、
東条首相は陸軍大臣としてハワイ奇襲計画を10月初めまでには知っていたということは否定できないだろう。

278 :名無し三等兵:2013/04/07(日) 03:44:15.84 ID:???
>>245
ほほうw
朝鮮土足≒光人社の廻し者岩見となw

279 :名無し三等兵:2013/04/07(日) 13:37:31.57 ID:WaDrrTN0
>>229 :こよなく日本愛す大和男の子:2013/03/23(土) 15:24:33.34 ID:DNKyn99a

おーい。「こよなく日本愛す大和男の子」さん  

その後、お元気ですか?

どうですか、あなたへの返答がいろいろ有りました。

それを見てどのようにお思いでしょうか・・。

280 :名無し三等兵:2013/04/10(水) 00:44:23.52 ID:Rb7bYelq
>>229
>そもそも海軍は、陸軍の下に在るべき軍隊であり、陸軍が目的を成し遂げるために戦う存在であるはずです。

そう言うのも結構だが、
マハン(Afred Thayer Maha)というオッサンの言うことも聞いてやってくれんか。

281 :名無し三等兵:2013/04/10(水) 13:44:42.95 ID:Gsec/8e8
Alfred Thayer Mahan だね。

282 :名無し三等兵:2013/04/13(土) 09:52:08.49 ID:???
>>271
南京に対する少数機による爆撃なら知ってるが、南京無差別爆撃って名前いつごろから出てきたんだよ。
重慶爆撃が無差別爆撃だったなら話はわかるんだが?

283 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 00:30:33.33 ID:???
>>282
少数機?
4ヶ月間も爆撃したんだが?
国際連盟で南京無差別爆撃の非難決議が
全会一致で採択されてるし、
ルーズベルトの隔離演説もある。
日本では意図的に隠蔽されてきたがな。

284 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 01:30:53.70 ID:???
>>283
法螺吹き能無し朝鮮野郎の戯言が事実と言いたいならソース持って来いなw
尤もバカソースや捏造ソースやソースの改竄とトリミングしか出来ない屑の
戯言なんて誰も真面目に聞く必要が無いがなwwwww

屑の能無し朝鮮ゴキブリ土足くんw
毎日法螺吹かないと死ぬんだよなw
劣化朝鮮ゴキブリ野郎wwwwww

285 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 09:05:51.60 ID:???
>>282
                   南京渡洋爆撃

 国際連盟の対日非難決議とルーズベルトの対日非難演説

 日本はこの時期すでに国際連盟を脱退して久しかったが、その国際連盟でも中国への都市爆撃問題は取り上げられ、1937年9月28日、
総会は23国諮問委員会の対日非難決議案を全会一致で可決した。全文は以下の通りである。

「諮問委員会は、日本航空機に依る支那に於ける無防備都市の空中爆撃の問題を緊急考慮し、
かかる爆撃の結果として多数の子女を含む無辜の人民に与えられたる生命の損害に対し深甚なる弔意を表し、
世界を通じて恐怖と義憤の念を生ぜしめたるかかる行動に対しては何等弁明の余地なきことを宣言し、ここに右行動を厳粛に非難す」

それより一週間後、ルーズベルト米大統領はシカゴにおいて「隔離演説」として知られるようになった対日非難演説を行う。

「世界の国の9割は、一般的に認められる法と道義の標準にしたがい、平和な生活をしたいと力めているにもかかわらず、
残りの1割の国は極めて好戦的で、他国の内政に干渉しあるいはたこくの領土に侵入することにより、
世界の秩序及び国際法を破壊しつつある。現に宣戦の布告もせず、何等正当な理由もなくして
婦女子を含む非戦闘員を空爆により無慈悲に殺害しつつある状態である。これは特定の条約違反などという問題ではなく、
国際法及び人道の世界的問題で、いかなる国も無関係ではあることはできない」 
・・・(以下略)

286 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 09:32:18.18 ID:???
>>285
日本語でルーズベルトが演説する訳ないだろw
さっさと原文を正確に引用してみろよw

屑の能無し朝鮮ゴキブリ土足くんww

287 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 09:43:58.79 ID:???
>>285
南京は無防備都市宣言してないし、ルーズベルトの演説ってスペイン内戦の方への演説だろ。

288 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 10:49:04.30 ID:TX3Ln6sZ
>>285
日本と敵対しているアメリカ側の資料なんか出したってダメだよ。
そっちのスパイか使用人だったら別だがな。

289 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 14:45:02.90 ID:???
>>286
小岩井のコーヒー牛乳が気管に入ったじゃないかwww
わらかすんなら予告してくれ。

290 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 14:55:01.26 ID:???
>>283
答えてくれたことには感謝する。

291 :河合千代子:2013/04/14(日) 15:15:05.53 ID:TX3Ln6sZ
>>1

五十六さんを今でも愛しています!!

292 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 18:07:40.80 ID:???
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  五十六さんを今でも愛しています!!
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       ヽ〃   真珠湾奇襲プシュ!    
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正真正銘のバカ認定
 
妄想オナニー作家 半藤一利

293 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 18:17:36.55 ID:???
半藤を叩くといいながら2ちゃんねるでコピペしかできない土足w
半藤と直接討論すりゃあいいのになw
まぁバカだから討論にならんかw

294 :名無し三等兵:2013/04/14(日) 19:41:15.30 ID:???
>>292
 オレの思い付きは全て正しい!ソースなんか捏造で誤魔化せる!
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      ヽヽ〃 /
       ヽ〃   英文?翻訳文?区別なんか出来ねーよ    
      ( _) ウリは正しいニダ!ウリは正しいニダ!!!
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      朝鮮土足w

土足はいよいよ言葉に詰まるとバカコピペしか出来ない無能だからなw
しかしその行為は当に「ウリは正しいから正しいニダ」と火病して喚く朝鮮人そのものwwww
屑の能無し朝鮮ゴキブリ土足くんwwwwwww

295 :河合千代子:2013/04/15(月) 00:17:29.12 ID:xplWrMHj
>>1
五十六さんに抱かれた日が懐かしいです。
愛してますよ、今でも・・・・・・。

296 :名無し三等兵:2013/04/15(月) 20:34:04.90 ID:???
後追い自殺もしなかった人間がそんなことを言ってもキモイだけです。

297 :千代子:2013/04/15(月) 23:14:37.57 ID:js2b3+Jm
呉の町まで会いに行った病身の私の体を風呂まで抱えていって
丁寧に洗ってくださって・・・ああー・・・思い出す度にあの日のことが・・。

298 :名無し三等兵:2013/04/16(火) 07:40:15.97 ID:???
>>1
個人の感想のスレッドですねえ
ご自身のブログにでも書けばよろしいものを

299 :名無し三等兵:2013/04/16(火) 10:45:50.54 ID:???
相手のおらん個人のプログで延々書きこんでもむなしいだけでしょう。
たまにしかコメントきませんし。
さらにここに書き込むのは認知症回避の為でしょう。

300 :名無し三等兵:2013/04/16(火) 18:22:16.81 ID:mG+bkSIC
こういった場所は認知症のブログ作者のみなさま方が
結構いらっしゃるようですね。
驚きました!
書道家とか株で儲けてる人とか教職者や定年を迎えてヒマでヒマでしょうがない
あの世もお迎えまじかの方がたらしいが・・・。

301 :名無し三等兵:2013/04/18(木) 01:37:24.24 ID:ye3+pM9Y
>>706
当時は政府や統帥等の全ての国家情報が天皇陛下のもとに報告されていた。
もし、山本長官が国家の決め事に反して行動したのなら、
天皇陛下が山本長官に対して下記のように
12月3日に宮中に呼び出し激励の言葉をかけることも、
12月10日にハワイ作戦後に太平洋上の本人にお褒めの言葉を送ることもなかったであろう。


昭和16年12月3日山本聯合艦隊司令長官は、
天皇陛下に拝謁おおせつけられ参内。
陛下より下記御言葉を受ける。

天皇陛下勅語
朕茲ニ出師ヲ命スルニ当リ卿ニ委スルニ聯合艦隊統率ノ任ヲ以テス 
惟フニ聯合艦隊ノ責務ハ極メテ重大ニシテ真ニ国家興廃ノ繋ル所ナリ
卿基レ多年艦隊練磨ノ積ヲ奮ヒ進ンテ敵軍ヲ勦滅シテ武威ヲ中外ニ宣揚シ
以テ朕カ信倚ニ副ハンコトヲ期セヨ


昭和16年12月10日ハワイ作戦の戦果により
山本聯合艦隊司令長官に陛下から下記御言葉が送られた。

天皇陛下勅語 
聯合艦隊ハ開戦劈頭善謀勇戦
大イニ布哇方面ノ敵艦隊及航空兵力ヲ撃破シ偉功ヲ奉セリ
朕深ク之ヲ嘉尚ス 
将来益々奮励シテ前途ノ大威ヲ期セヨ

出典:戦史叢書 ハワイ作戦 防衛庁防衛研修所戦史室編纂

302 :名無し三等兵:2013/04/19(金) 14:38:13.62 ID:???
土足に朗報!
7月6日東京で石橋信夫記念フォーラムに半藤が出てくるぞ。
応募は5月29日必着。
半藤を叩き潰すチャンスだw
(p)http://www.daiwahouse.co.jp/forum/index.html

303 :名無し三等兵:2013/04/19(金) 22:17:30.67 ID:ibdiH5pX
>>302
大和ハウスが警備員多数配置してるから
お前らのようなチンピラや暴力団は入れんよ。念の為。

304 :綾小路小百合:2013/04/21(日) 16:49:45.65 ID:UHCywb+Y
>>1

五十六さん・・・・・

好きです!

お妾さんでも愛人でもいいですから・・・抱いてください!!

305 :名無し三等兵:2013/04/22(月) 16:45:51.03 ID:???
海軍善玉陸軍悪玉論とかいうトンデモ理論

306 :名無し三等兵:2013/04/23(火) 01:50:23.16 ID:p2sZirOV
海軍陸軍共金玉論ならええのか?

307 :名無し三等兵:2013/04/23(火) 06:47:18.25 ID:???
戦争体験世代の共通認識が「海軍善玉陸軍悪玉論」のようで

例:山本五十六はヒーロー、東条英機はショッカーの幹部という風な認識

308 :名無し三等兵:2013/04/23(火) 10:30:01.80 ID:???
ミッドウェー作戦の失敗は擁護できない
空母が沈められて将兵が何千人も戦死しているのに後方の大和で将棋をさして遊んでいる臆病者

309 :名無し三等兵:2013/04/23(火) 15:32:39.85 ID:p2sZirOV
>>308
将棋の件>>233参照


60年間多くの取材を受けていて、それまで誰にも話してもいなかったことを
90歳の老人が突然、何のために書く?
陸軍側ゴーストライターが書いたんでしょ?
まったくの誤りが多く見られるのだこの本は。

310 :名無し三等兵:2013/04/23(火) 15:42:36.87 ID:p2sZirOV
>>308
その本は
山本本人と一緒にいたなら間違うはずもないことを間違えて書いている。

その本だけが将棋云々を言っている。

その場にいた他の多くの誰も言っていない。

311 :名無し三等兵:2013/04/23(火) 18:25:34.74 ID:???
山本五十六の軍板での評価は名将、並レベル、愚将のどれなんだ?

312 :名無し三等兵:2013/04/23(火) 20:56:43.36 ID:p2sZirOV
そげんなこと。
どうでもええことじゃ。

ああだ、こうだと言う資格もない人間に何が言えるというのじゃ?

313 :名無し三等兵:2013/04/23(火) 22:43:05.15 ID:???
昭和天皇陛下は山本の国葬が決定されたとき、侍従武官の山縣有光陸軍大佐に「山本元帥を国葬にしなければならないのかね」と疑問を呈した。

天皇陛下は山本のことを対米戦を始めた張本人だと思っていたのでは。
天皇陛下は米内大将や井上大将は気に入っていたみたいだが、山本は嫌いだったのかもね。

314 :名無し三等兵:2013/04/23(火) 23:00:00.74 ID:???
>>313
皇族、華族じゃない唯一の例で前例がなかったからだろ。

315 :名無し三等兵:2013/04/23(火) 23:06:15.38 ID:???
>>313
好き嫌い以前にそもそも会った事が無いだろw<昭和帝

それまでの国葬の例は全部親任官の叙任者でもあるぞ。

316 :名無し三等兵:2013/04/24(水) 00:05:42.32 ID:???
>>315
真珠湾攻撃の後に皇居に呼んでるが。

317 :名無し三等兵:2013/04/24(水) 01:18:36.41 ID:???
>>316
親しく会話する、って意味でな。
真珠湾作戦の御前奉答だっけ?お呼ばれしたのは。

318 :名無し三等兵:2013/04/24(水) 03:52:46.12 ID:5QaHLNq3
おいおい、天皇さまはみんな知ってらっしゃったんだよ。
政治も統帥(軍事)の頂点は天皇さんなんだし、
首相からも陸軍海軍両総長から報告も全てされていたんだし。
大元帥天皇陛下であらせられ、陸軍海軍軍部を統率されておられた偉いお方なのだ。
報告がなかったら後でとんでもないことになるんだから。
すべての作戦は陛下の承認の後に実施されたのだ。
今のマスコミはこれを一切言わないが・・・。

319 :名無し三等兵:2013/04/24(水) 04:07:06.07 ID:5QaHLNq3
>>313

山本が戦死した昭和18年4月の段階で、陛下が何でそう思うの?
海軍の責任者でもない、実戦部隊の1指揮官が何で責任を問われるの?

ましてや天皇さまは自分で12月3日に山本を宮中に呼んで直接、
「敵をこてんぱんにやっつけてこい」という命令を出しているんだから。

320 :名無し三等兵:2013/04/24(水) 04:19:51.82 ID:5QaHLNq3
>>313
あんた知らないの?
対米戦を決めたのはどこでどのようにして決まったの?

現場監督の山本に命令したのは誰?

321 :ハインフェッツ:2013/04/24(水) 04:57:45.35 ID:???
帝国国策遂行要綱だっけ?
対中戦争継続のためにはアメリカが石油を売ってくれないと困るから開戦しようって話になったの。
あの辺まで遡っていくと必然的にゾルゲスパイ団の尾崎あたりが第一の戦犯だって話になると思うのだが。

322 :名無し三等兵:2013/04/24(水) 06:25:42.30 ID:???
皆は山本五十六が大好きなんだね

323 :吉永小百合子:2013/04/24(水) 07:20:27.12 ID:5QaHLNq3
ええ、とっても!!

324 :名無し三等兵:2013/04/24(水) 07:27:37.21 ID:5QaHLNq3
昭和16年6月6日、大本営陸海軍部は「対南方施策要綱」を作成。
「英米蘭等の対日禁輸により帝国の自存を脅威せられたる場合」には武力行使をする、とした。
英領以外だったらアメリカが許容するだろうとの認識。

325 :名無し三等兵:2013/04/24(水) 07:29:37.40 ID:5QaHLNq3
で、仏印進駐。

326 :名無し三等兵:2013/04/24(水) 07:51:06.36 ID:???
ついでに蘭印に行っとけば石油問題は平和裏に解決したのでありましょうに

327 :名無し三等兵:2013/04/24(水) 07:58:23.03 ID:5QaHLNq3
そりゃ偉い方がたに言っとくれ。おっさん。

328 :名無し三等兵:2013/04/24(水) 08:02:39.65 ID:???
>>326
いかない。

蘭印の油田は英資本や米資本での開発のモノも含まれるから。

329 :名無し三等兵:2013/04/25(木) 22:46:27.44 ID:???
英米無視で和蘭と交渉だな
モンロー主義のアメリカが和蘭の利権保全のためにアメリカ国民を危険に晒そうとすればルーズベルトは暗殺される

330 :名無し三等兵:2013/04/25(木) 23:29:19.64 ID:???
>>329
開戦前にオランダと石油輸入の話をしてたが、オランダの輸出できる量じゃ足らないと日本から、
断って、戦争をふっかけたんだが。

331 :名無し三等兵:2013/04/26(金) 07:00:49.94 ID:???
それはABCD包囲網の末席汚しの呼息な手段
フランスがドイツに敗けてる隙に仏印進駐したと同様に和蘭がヘタってる間にインドネシアに進駐

332 :名無し三等兵:2013/04/26(金) 08:08:36.19 ID:???
>>331
下らない思い付きの方が余程姑息な件についてwwwww

333 :名無し三等兵:2013/04/26(金) 08:45:24.60 ID:???
呼息こそ正義ぶれるグローバルスタンダード

334 :名無し三等兵:2013/05/01(水) 21:47:09.99 ID:R0JWyX9c
◎ハワイ作戦は陸軍海軍ともに賛成していたからこそ実施されたのである。

昭和16年10月7日、東条陸軍大臣と近衛首相との対話

東条:「大義名分はもちろんである。よく考えてみることは結構である。
しかし、時期を遷延し、戦機を失ってはならぬ。
ことに対米戦では当初の奇襲作戦に多くの期待がかけられている。」
近衛:「軍人はとかく戦争をたやすく考えるようだ」
東条:「対米交渉に見込みがあればおやりになるがよろしい。・・」

出典:戦史叢書 大本営陸軍部2 (島貫武冶大佐の回想)

これから判ることは、
◎陸軍も海軍も、この段階でこの作戦に賛意を示し、重要な支作戦の一つとして認識していたということ。
「当初の奇襲作戦」とは陸軍の奇襲攻撃だけを言っているわけではない。 ハワイ作戦のこと。

なぜなら、
陸海ともに当初からアメリカを奇襲攻撃することは共通目標だったのであり、
8月9日に南方作戦一本に切り替え、攻撃計画案を研究していた参謀本部作戦当局に
8月22日軍令部側からハワイ奇襲案が連絡されて以後、相互に作戦案を互いに研究、
調整を行っていて10月末までには概成されていくのである。

335 :名無し三等兵:2013/05/01(水) 21:47:54.32 ID:R0JWyX9c
日本が戦争に入ってまずやるべきことが南方資源地帯の確保であった。
資源地帯の確保、これが日本の最大の開戦理由。

これを漸減邀撃作戦では達成できない理由
@南方作戦中の艦船がハワイから出撃する米艦隊に襲われてしまう。
A要域を確保してもシーレーンを切られてしまい、石油や資源を入手できない。
B南方要域に米英蘭諸国が急速に防備を固めつつあったので一刻も早く確保する必要があった。
敵の防備(要塞化など)が進んだ状態では確保は不可能となる。そのタイムリミットが昭和16年12月。
C漸減邀撃作戦で何度も図上演習を行っていたが結果はいつも敗北であって、他の方法が必要だった。
D日本列島の地形を考えれば、敵がどこに来るか、いつ来るかの主導権を相手が握っていることで防御は不利。
東からアメリカ太平洋艦隊が、西からは米英蘭豪の連合国艦隊が進攻することに対して、
日本はこれらを同時に連合艦隊主力で防御することはできない。
Eまごまごしていると大西洋に分散している米艦隊も太平洋に廻されて勢力的に対抗できなくなる。
F米軍がさまざまな挑発行動をしており、米軍から先制攻撃も有り得るというのが陸軍と海軍の共通概念だった。

対米英戦を決定したのは実質的な日本の最高意思決定機関である、
大本営政府連絡会議をはじめとする多くの会議で各種資料をもとに
決められたことだ。

天皇陛下の承認後、攻撃命令が山本連合艦隊司令長官に出されたのである。

336 :名無し三等兵:2013/05/10(金) 13:48:08.48 ID:???
僕は山本三十八です

337 :名無し三等兵:2013/05/23(木) 22:23:14.26 ID:XFBKBn54
>>1
調べれば調べるほど好きです!

338 :名無し三等兵:2013/05/24(金) 07:08:25.82 ID:???
>>1
推しは誰ですか?

前田敦子?泉ピン子?

339 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 07:48:22.78 ID:???
>>330
イギリスに亡命してたオランダが中立を破棄し日本に宣戦布告したんだが

340 :名無し三等兵:2013/05/26(日) 23:54:31.71 ID:???
>>339
オランダ亡命政府は中立でなく、英米の庇護下にある政府でドイツに宣戦布告されてるから、
三国同盟の加盟国である日本はすでに戦争状態だろ。土足の論理によれば。

341 :名無し三等兵:2013/05/27(月) 00:54:16.11 ID:???
糞六

342 :名無し三等兵:2013/05/27(月) 11:03:25.36 ID:rZS6R9Gv
>>1
五十六ちゃん愛してます!
千代子、正子、さゆり、敦子、ピン子、その他多数のおなごより・・もてもての五十六ちゃんへ

343 :名無し三等兵:2013/05/27(月) 17:40:45.70 ID:rZS6R9Gv
>>1
おんなにもててもててどうしようもない五十六ちゃん。
うーん、もうダメよ。浮気しちゃ・・ あなたの彼女一同より

344 :名無し三等兵:2013/05/27(月) 20:23:42.17 ID:p+4N/Nfa
オランダ亡命政府の蘭印提督は日本の恫喝外交に屈し
石油の輸出を再開する約束をしたことを誰も知らない

345 :名無し三等兵:2013/05/27(月) 21:40:16.38 ID:xQwVJEjD
僕は山本リンダです

346 :名無し三等兵:2013/05/27(月) 22:11:29.36 ID:???
土足あと2日しかないぞ。応募したか?w

7月6日東京で石橋信夫記念フォーラムに半藤が出てくるぞ。
応募は5月29日必着。
半藤を叩き潰すチャンスだw
(p)(p)http://www.daiwahouse.co.jp/forum/index.html

347 :名無し三等兵:2013/05/27(月) 22:24:52.09 ID:???
反対に半藤に叩きのめされるのもいい薬になるかも知れん

348 :名無し三等兵:2013/05/28(火) 22:50:20.45 ID:???
佐藤斎藤木村山本犬の糞

349 :名無し三等兵:2013/05/28(火) 23:34:37.00 ID:amlk+cVY
>>348
それがどうしたんですか・・?

350 :名無し三等兵:2013/05/29(水) 22:19:19.78 ID:ctfc6y9t
山本連合艦隊司令長官の格好よさと有能さがねたましくて、ねたましくてしょうがない!

だから俺たち陸軍は、戦争の原因を全部、山本のせいにしてやるぞ!
何でもかんでも、ウソついて、みんな山本の仕業にしてやるぞ!

Hman Los688 Miwa.SS 岩見 その他の
wikiに寄生しているアホどもに告ぐ

不正な手段で偏向、中傷編集した
牟田口、東条、冨永、辻、松岡、岡、石川、その他多数wの編集を
直ちに公正に復旧せよ

さもなくば、その報復として徹底して
山本五十六 及び 半藤一利を
2ちゃんで叩きまくるwww

351 :名無し三等兵:2013/05/29(水) 22:19:58.79 ID:ctfc6y9t
世間は山本五十六ばっかり持ち上げて、俺たち陸軍は戦犯にされた。
だから、山本を叩く、ウソでもなんでもいいから叩く、
みんな山本のせいにしてやる。
捏造して叩く。
日本人は戦争のことなんか忌避しているだけで、ほとんどのやつらは知らない。
だから、ウソを言ってもばれない。
一部のやつらにばれたって、関係なし。
大部分の馬鹿な日本人を騙してやるわ。
それで、世論が納得し史実として定まっていけばよい。
みんな山本五十六のせいにしてやるぞ!

Hman Los688 Miwa.SS 岩見 その他の
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不正な手段で偏向、中傷編集した
牟田口、東条、冨永、辻、松岡、岡、石川、その他多数wの編集を
直ちに公正に復旧せよ

さもなくば、その報復として徹底して
山本五十六 及び 半藤一利を
2ちゃんで叩きまくるwww

352 :名無し三等兵:2013/05/29(水) 22:52:01.85 ID:???
>>350-351
東條や牟田口の背中を撃つバカ妄想を書きなぐるシコリアン土足に告ぐw

一.今からでも遅くないから中学生の勉強でもし直せw
二.土足がどのようなバカ妄想を書き殴ろうが法螺吹きであるからシコリアンAAを貼り付けるぞw
三.シコリアン土足の父母は土足が屑の法螺吹きで有るので皆泣いておるぞw

353 :名無し三等兵:2013/05/29(水) 23:32:56.96 ID:???
海軍の山本五十六がこそ
日中戦争を勃発させ、泥沼化させた張本人。

■海軍・米内、山本五十六体制が無差別爆撃を強行し、戦争を煽り、
陸軍参謀本部が進めた日中停戦をぶち壊した。

山本五十六の目論みは海軍の利権拡大、予算の獲得が目的で、
大量の航空兵力配備。その宣伝のため南京無差別爆撃は強行されたと考えられる。

第二次上海事変を口実に(船津和平工作などから見て停戦は十分可能だった)
南京無差別爆撃を強行し、反日勢力を刺激し無理やり日中間を泥沼戦争状態にした。


海軍次官・山本五十六が主導したと考えられる南京無差別爆撃の結果

・米国大統領が歴史上初めて日本を批判(隔離演説)
・国際連盟は海軍による南京無差別爆撃に対し非難決議を採択。
・国共合作が実現。バラバラだった全中国人が抗日で一致団結してしまった。
・蒋介石夫人がアメリカ議会で日本の無差別爆撃を非難。アメリカ議会の賛同を得る。

以後、山本五十六海軍次官は米内海相とともに
黒潮会(山本五十六が育てた戦争宣伝組織)を利用して徹底して新聞で中国討伐を煽りまくり
陸軍参謀本部の日中停戦工作(船津和平工作、トラウトマン工作)をことごとく妨害し潰した。
何もかも、海軍の利権拡大が目的だと考えられる。
山本五十六は記者クラブ(黒潮会)を利用し、
新聞社を戦争扇動機関に育てた日本の先駆者である。

354 :名無し三等兵:2013/05/29(水) 23:40:42.81 ID:???
>>353
 オレの思い付きは全て正しい!ソースなんか捏造で誤魔化せる!
______  ___________
         V

      ヽヽ〃 /
       ヽ〃   英文?翻訳文?区別なんか出来ねーよ    
      ( _) ウリは正しいニダ!ウリは正しいニダ!!!
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
       | | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ     
     /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     /  ゝ      |
    /  _  ゝ___)(9     (` ´) )j
   /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  /   )           (   Y ̄ ̄ ̄ ̄)
 / _/           \____/

       ↑
      朝鮮土足w

土足はいよいよ言葉に詰まるとバカコピペしか出来ない無能だからなw
しかしその行為は当に「ウリは正しいから正しいニダ」と火病して喚く朝鮮人そのものwwww
屑の能無しシコリアン土足くんwwwwwww

355 :名無し三等兵:2013/05/29(水) 23:53:34.58 ID:ctfc6y9t
ワッハッハッハッハー
2ちゃんはじめ多くのブログにはおれたちがウソを書きなぐっている。
みんな山本五十六をおとしめる書き込みだ。

おれたち陸軍側の人間が戦犯とされたことの報復だ。
世間が山本をもちあげているのが、悔しくて悔しくてたまらんからだ。
山本五十六は格好いもんな。有能だもんな。

そんな山本がねたましくてねたましくてたまらん。

だから、いろんなブログにウソを書き連ねてある。
いろんなとこに山本に対するウソだらけの悪口を書いているのが俺たち陸軍だ。
わかったか? ハハハハ。

俺たち陸軍は今後もやったるでー、ウソだらけの書き込みをな。


Hman Los688 Miwa.SS 岩見 その他の
wikiに寄生しているアホどもに告ぐ

不正な手段で偏向、中傷編集した
牟田口、東条、冨永、辻、松岡、岡、石川、その他多数wの編集を
直ちに公正に復旧せよ

さもなくば、その報復として徹底して
山本五十六 及び 半藤一利を
2ちゃんで叩きまくるwww

356 :名無し三等兵:2013/05/29(水) 23:54:24.10 ID:???
>>355
東條や牟田口の背中を撃つバカ妄想を書きなぐるシコリアン土足に告ぐw

一.今からでも遅くないから中学生の勉強でもし直せw
二.土足がどのようなバカ妄想を書き殴ろうが法螺吹きであるからシコリアンAAを貼り付けるぞw
三.シコリアン土足の父母は土足が屑の法螺吹きで有るので皆泣いておるぞw

別に土足が誉め殺しをしようが土足シコリアンの証拠になる以外何もないなwwww

357 :名無し三等兵:2013/05/30(木) 18:56:51.41 ID:teDMLoB4
世間は山本五十六ばっかり持ち上げて、俺たち陸軍は戦犯にされた。
だから、山本を叩く、ウソでもなんでもいいから叩く、
みんな山本のせいにしてやる。
捏造して叩く。

日本人は戦争のことなんか忌避しているだけで、ほとんどのやつらは知らない。

だから、ウソを言ってもばれない。
一部のやつらにばれたって、関係なし。

大部分の馬鹿な日本人を騙してやるわ。

それで、世論が納得し史実として定まっていけばよい。

みんな山本五十六のせいにしてやるぞ!

俺たち陸軍の罪をこいつ山本になすりつけてやるわい。

Hman Los688 Miwa.SS 岩見 その他の
wikiに寄生しているアホどもに告ぐ

不正な手段で偏向、中傷編集した
牟田口、東条、冨永、辻、松岡、岡、石川、その他多数wの編集を
直ちに公正に復旧せよ

さもなくば、その報復として徹底して
山本五十六 及び 半藤一利を
2ちゃんで叩きまくるwww

358 :名無し三等兵:2013/05/30(木) 22:33:00.55 ID:???
>>357
東條や牟田口の背中を撃つバカ妄想を書きなぐるシコリアン土足に告ぐw

一.今からでも遅くないから中学生の勉強でもし直せw
二.土足がどのようなバカ妄想を書き殴ろうが法螺吹きであるからシコリアンAAを貼り付けるぞw
三.シコリアン土足の父母は土足が屑の法螺吹きで有るので皆泣いておるぞw

別に土足が誉め殺しをしようが土足シコリアンの証拠になる以外何もないなwwww

359 :名無し三等兵:2013/06/01(土) 00:25:12.57 ID:AeHouCBU
山本が格好よく映画に描かれているのが許せん!!
俺たち陸軍は戦犯で、山本がもてはやされてるのが許せん!!
俺たち悔しくて悔しくて、こいつがねたましくてねたましくて どうしようもねえ。

みんな山本に罪をなすりつけてやるわい。
他のいろんなブログでもウソの書き込みをしてるのが俺たち陸軍だよ。
ジャンジャンうそも書き込みしてやるわ。

海軍の山本五十六がこそがA級戦犯
@日中戦争を勃発させ、泥沼化させた張本人。
■海軍・米内、山本五十六体制が無差別爆撃を強行し、戦争を煽り、
陸軍参謀本部が進めた日中停戦をぶち壊した。
山本五十六の目論みは海軍の利権拡大、予算の獲得が目的で、
大量の航空兵力配備。その宣伝のため南京無差別爆撃は強行されたと考えられる。
第二次上海事変を口実に(船津和平工作などから見て停戦は十分可能だった)
南京無差別爆撃を強行し、反日勢力を刺激し無理やり日中間を泥沼戦争状態にした。

海軍次官・山本五十六が主導したと考えられる南京無差別爆撃の結果
・米国大統領が歴史上初めて日本を批判(隔離演説)
・国際連盟は海軍による南京無差別爆撃に対し非難決議を採択。
・国共合作が実現。バラバラだった全中国人が抗日で一致団結してしまった。
・蒋介石夫人がアメリカ議会で日本の無差別爆撃を非難。アメリカ議会の賛同を得る。
以後、山本五十六海軍次官は米内海相とともに
黒潮会(山本五十六が育てた戦争宣伝組織)を利用して徹底して新聞で中国討伐を煽りまくり
陸軍参謀本部の日中停戦工作(船津和平工作、トラウトマン工作)をことごとく妨害し潰した。
何もかも、海軍の利権拡大が目的だと考えられる。
山本五十六は記者クラブ(黒潮会)を利用し、
新聞社を戦争扇動機関に育てた日本の先駆者である。

ジャンジャン、うその書き込みやったるわい!!!!!!!

360 :名無し三等兵:2013/06/01(土) 00:27:18.49 ID:AeHouCBU
山本が格好よく映画に描かれているのが許せん!!
俺たち陸軍は戦犯で、山本がもてはやされてるのが許せん!!
俺たち悔しくて悔しくて、こいつがねたましくてねたましくて どうしようもねえ。

みんな山本に罪をなすりつけてやるわい。
他のいろんなブログでもウソの書き込みをしてるのが俺たち陸軍だよ。
ジャンジャンうそも書き込みしてやるわ。

海軍の山本五十六がこそがA級戦犯
@日中戦争を勃発させ、泥沼化させた張本人。
■海軍・米内、山本五十六体制が無差別爆撃を強行し、戦争を煽り、
陸軍参謀本部が進めた日中停戦をぶち壊した。
山本五十六の目論みは海軍の利権拡大、予算の獲得が目的で、
大量の航空兵力配備。その宣伝のため南京無差別爆撃は強行されたと考えられる。
第二次上海事変を口実に(船津和平工作などから見て停戦は十分可能だった)
南京無差別爆撃を強行し、反日勢力を刺激し無理やり日中間を泥沼戦争状態にした。

海軍次官・山本五十六が主導したと考えられる南京無差別爆撃の結果
・米国大統領が歴史上初めて日本を批判(隔離演説)
・国際連盟は海軍による南京無差別爆撃に対し非難決議を採択。
・国共合作が実現。バラバラだった全中国人が抗日で一致団結してしまった。
・蒋介石夫人がアメリカ議会で日本の無差別爆撃を非難。アメリカ議会の賛同を得る。
以後、山本五十六海軍次官は米内海相とともに
黒潮会(山本五十六が育てた戦争宣伝組織)を利用して徹底して新聞で中国討伐を煽りまくり
陸軍参謀本部の日中停戦工作(船津和平工作、トラウトマン工作)をことごとく妨害し潰した。
何もかも、海軍の利権拡大が目的だと考えられる。
山本五十六は記者クラブ(黒潮会)を利用し、
新聞社を戦争扇動機関に育てた日本の先駆者である。

ジャンジャン、うその書き込みやったるわい!!!!!!!

361 :名無し三等兵:2013/06/01(土) 00:29:44.68 ID:???
>>359-360
東條や牟田口の背中を撃つバカ妄想を書きなぐるシコリアン土足に告ぐw

一.今からでも遅くないから中学生の勉強でもし直せw
二.土足がどのようなバカ妄想を書き殴ろうが法螺吹きであるからシコリアンAAを貼り付けるぞw
三.シコリアン土足の父母は土足が屑の法螺吹きで有るので皆泣いておるぞw

別に土足が誉め殺しをしようが土足シコリアンの証拠になる以外何もないなwwww
よう卑怯者のシコリアンwwwwwww

362 :名無し三等兵:2013/06/01(土) 00:47:07.79 ID:AeHouCBU
山本を叩く、ウソでもなんでもいいから叩く、
みんな山本のせいにしてやる。
捏造して叩く。

日本人は戦争のことなんか忌避しているだけで、ほとんどのやつらは知らない。

だから、ウソを言ってもばれない。
一部のやつらにばれたって、関係なし。

大部分の馬鹿な日本人を騙してやるわ。

それで、世論が納得し史実として定まっていけばよい。

みんな山本五十六のせいにしてやるぞ!

俺たち陸軍の罪をこいつ山本になすりつけてやるわい。

Hman Los688 Miwa.SS 岩見 その他の
wikiに寄生しているアホどもに告ぐ

不正な手段で偏向、中傷編集した
牟田口、東条、冨永、辻、松岡、岡、石川、その他多数wの編集を
直ちに公正に復旧せよ

さもなくば、その報復として徹底して
山本五十六 及び 半藤一利を
2ちゃんで叩きまくるwww

363 :名無し三等兵:2013/06/01(土) 00:53:22.36 ID:???
>>362
東條や牟田口の背中を撃つバカ妄想を書きなぐるシコリアン土足に告ぐw

一.今からでも遅くないから中学生の勉強でもし直せw
二.土足がどのようなバカ妄想を書き殴ろうが法螺吹きであるからシコリアンAAを貼り付けるぞw
三.シコリアン土足の父母は土足が屑の法螺吹きで有るので皆泣いておるぞw

別に土足が誉め殺しをしようが土足シコリアンの証拠になる以外何もないなwwww
よう卑怯者のシコリアンwwwwwww
公開オナニーシコリアン土足が今日も今日とて牟田口の背中を撃つwwwwwww

364 :名無し三等兵:2013/06/01(土) 09:06:57.38 ID:sZCx1A0M
みんな山本に罪をなすりつけてやるわ。
他のいろんなブログでもウソの書き込みをしてるのが俺たち陸軍だ。
ジャンジャンうそも書き込みしてやるわ。
何の根拠もない書き込みも、思いつきの出まかせでもなんでも書いてやるわい。
馬鹿な国民は、反戦!反戦!ととなえてるだけで戦争のことなんぞ知ろうともせん。
何を言おうが、ウソを言おうがわかりゃせんわい。

海軍の山本五十六がこそがA級戦犯
@日中戦争を勃発させ、泥沼化させた張本人。
■海軍・米内、山本五十六体制が無差別爆撃を強行し、戦争を煽り、
陸軍参謀本部が進めた日中停戦をぶち壊した。
山本五十六の目論みは海軍の利権拡大、予算の獲得が目的で、
大量の航空兵力配備。その宣伝のため南京無差別爆撃は強行されたと考えられる。
第二次上海事変を口実に(船津和平工作などから見て停戦は十分可能だった)
南京無差別爆撃を強行し、反日勢力を刺激し無理やり日中間を泥沼戦争状態にした。

海軍次官・山本五十六が主導したと考えられる南京無差別爆撃の結果
・米国大統領が歴史上初めて日本を批判(隔離演説)
・国際連盟は海軍による南京無差別爆撃に対し非難決議を採択。
・国共合作が実現。バラバラだった全中国人が抗日で一致団結してしまった。
・蒋介石夫人がアメリカ議会で日本の無差別爆撃を非難。アメリカ議会の賛同を得る。
以後、山本五十六海軍次官は米内海相とともに
黒潮会(山本五十六が育てた戦争宣伝組織)を利用して徹底して新聞で中国討伐を煽りまくり
陸軍参謀本部の日中停戦工作(船津和平工作、トラウトマン工作)をことごとく妨害し潰した。
何もかも、海軍の利権拡大が目的だと考えられる。
山本五十六は記者クラブ(黒潮会)を利用し、
新聞社を戦争扇動機関に育てた日本の先駆者である。

ジャンジャン、うその書き込みやったるわい!!!!!!!

365 :名無し三等兵:2013/06/01(土) 09:13:41.37 ID:???
>>364
東條や牟田口の背中を撃つバカ妄想を書きなぐるシコリアン土足に告ぐw

一.今からでも遅くないから中学生の勉強でもし直せw
二.土足がどのようなバカ妄想を書き殴ろうが法螺吹きであるからシコリアンAAを貼り付けるぞw
三.シコリアン土足の父母は土足が屑の法螺吹きで有るので皆泣いておるぞw

別に土足が誉め殺しをしようが土足シコリアンの証拠になる以外何もないなwwww
よう卑怯者のシコリアンwwwwwww
セットで貼れば土足の名前がシコリアンと定着するなwwwwwww
歩く法螺吹き改竄捏造トリミング野郎が何をしても「ああまたあのシコリアン」と思われるだけさw

366 :☆☆:2013/06/01(土) 09:30:37.01 ID:sZCx1A0M
山本を叩く、ウソでもなんでもいいから叩く、
みんな山本のせいにしてやる。
捏造して叩く。

日本人は戦争のことなんか忌避しているだけで、ほとんどのやつらは知らんわい。

だから、ウソを言ってもばれやせんわい。
一部のやつらにばれたって、関係ねえ。

大部分の馬鹿な日本人を騙してやるわ。

それで、世論が納得し史実として定まっていけばよい。

みんな山本五十六のせいにしてやるぞ!

俺たち陸軍の罪をこいつ山本になすりつけてやるわい。

Hman Los688 Miwa.SS 岩見 その他の
wikiに寄生しているアホどもに告ぐ

不正な手段で偏向、中傷編集した
牟田口、東条、冨永、辻、松岡、岡、石川、その他多数wの編集を
直ちに公正に復旧せよ

さもなくば、その報復として徹底して
山本五十六 及び 半藤一利を
2ちゃんで叩きまくるwww

367 :名無し三等兵:2013/06/01(土) 09:42:59.66 ID:???
>>366
東條や牟田口の背中を撃つバカ妄想を書きなぐるシコリアン土足に告ぐw

一.今からでも遅くないから中学生の勉強でもし直せw
二.土足がどのようなバカ妄想を書き殴ろうが法螺吹きであるからシコリアンAAを貼り付けるぞw
三.シコリアン土足の父母は土足が屑の法螺吹きで有るので皆泣いておるぞw

別に土足が誉め殺しをしようが土足シコリアンの証拠になる以外何もないなwwww
よう卑怯者のシコリアンwwwwwww
セットで貼れば土足の名前がシコリアンと定着するなwwwwwww
歩く法螺吹き改竄捏造トリミング野郎が何をしても「ああまたあのシコリアン」と思われるだけさw

368 :名無し三等兵:2013/06/02(日) 23:08:33.31 ID:QsCsPFXF
坊主頭は嫌いですか
そーですか

369 :名無し三等兵:2013/06/02(日) 23:28:32.49 ID:???
五十六は機雷

370 :名無し三等兵:2013/06/03(月) 01:09:00.19 ID:r50ljqfL
軍人は坊主頭

五十六はすき焼き

371 :名無し三等兵:2013/06/03(月) 09:41:24.08 ID:???
米内大将は七五三分け頭髪だったな

372 :名無し三等兵:2013/06/03(月) 09:43:05.39 ID:???
大元帥の天皇も坊主じゃなかったけど海軍上がりだからでしょ

373 :名無し三等兵:2013/06/04(火) 23:56:22.14 ID:vSe8RU6K
>>1>>369だな

374 :名無し三等兵:2013/06/07(金) 21:32:05.61 ID:gWiAXT8g
五十六は希望の星

375 :名無し三等兵:2013/06/08(土) 21:09:34.67 ID:???
このままだといそっちが右翼に殺されてしまう
だからGF長官にして海にだそう。そうすりゃ安全だって発想がわからん
海にだしたら喧嘩のリーダーになってしまい日本の流れを変える立ち位置から離れてしまうだろ

376 :名無し三等兵:2013/06/08(土) 22:12:35.28 ID:???
軍令部や海軍大臣は消極的戦争賛成派
山本がいないほうが事は上手く運ぶって読みで異例の長期にわたってGF流しで放置でしょ

377 :名無し三等兵:2013/06/08(土) 23:43:04.77 ID:+q3+RdpU
だから、それが当時の命令系統の序列のあり方を示してるんだろ。
軍令部や海軍省が上位機関であったことの証明であり、
開戦の命令指示源はここからだ。

378 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 08:46:01.61 ID:???
聯合艦隊は海軍の現場の一部門だもんね
山本は現場の総監督
現場チームがどことどこで対戦するかの決定権は運営責任者の軍令部総長にあるってことですね

379 :名無し三等兵:2013/06/09(日) 16:41:57.10 ID:???
>>378
その意味で井上成美が職を賭してまで軍令部長に皇族を据えるのを
反対したのは正しかった、とは言えるだろうな。

380 :名無し三等兵:2013/06/10(月) 07:04:49.75 ID:???
反対の意味で、中央関係なく動いた関東軍と朝鮮軍はマッチポンプ官僚の典型見本

381 :名無し三等兵:2013/06/12(水) 05:11:13.82 ID:GOJSXesP
>>375 >>380
陸軍も対米奇襲作戦を計画していたんだがな・・。
8月9日に対ソ戦断念し南方一本に切り替えた陸軍は、
独自に、
8月13日に「南方作戦計画陸軍部」というのを作った。

(軍令部がハワイ計画を参謀本部作戦担当課に伝えたのは8月22日)

12月上旬に、
アメリカ領土のフィリピンとグアム島を含む南方各地を奇襲攻撃し、
17年5月までに攻略する、というのが骨子となっている。

陸軍は、実際に12月8日にこれらを奇襲攻撃した。


海軍のハワイ作戦があろうが無かろうが、リメンバー!には変わりはなかったのだ。

382 :名無し三等兵:2013/06/12(水) 05:14:57.53 ID:GOJSXesP
>>1 >>375 >>380

日本人は、日本がアメリカとの戦争に入った本当の原因を、どうも知らないようだ。
満州の権益を日米で取り合った為とか、白人列強による植民地を解放する為だったとか、
いろいろ言われている。

それらが背景にあったのは事実だが、直接的には、
アメリカに経済封鎖をされた結果、
石油その他の資源を得ることを最大の目的として開戦したのである。

383 :名無し三等兵:2013/06/12(水) 05:17:56.14 ID:GOJSXesP
>>1 >>375 >>380

現在、どの歴史年表をひもといてみてもアメリカの対日石油禁輸措置は8月1日と書かれている。
しかし、実質的な禁輸は「石油製品輸出許可制」が完全実施された6月21日で、
その後は、一滴の石油も入手できなくなっていた。
陸軍省整備局燃料課は「6月21日の決定」で、もはや進退きわまった、降参だ、という結論に達していた。
こうなれば蘭印を占領して活路を見出すしか道がない、というのが主務課としての結論であった。
一刻も早くそのことを上層部に連絡する必要に迫られていた。
6月23日に東条陸軍大臣にこれを報告している。

結局、陸軍も石油がなくて開戦せざるを得ない状況に追い込まれていた。
陸軍だけではない、日本、日本の存亡が・・・これにかかっていた。

384 :名無し三等兵:2013/06/12(水) 05:19:18.54 ID:GOJSXesP
南部仏印進駐で石油が止まったのでなく、
それまでの陸軍主導で行われてきた多くの国策が石油を止めてしまったのである。

385 :名無し三等兵:2013/06/12(水) 05:25:04.07 ID:GOJSXesP
>>1 >>375 >>380

日本が戦争に入ってまずやるべきことが南方資源地帯の確保であった。
資源地帯の確保、これが日本の最大の開戦理由で最大の目的だった。
これが達成できなければ日本の破滅と考えられた。

これを従来の漸減邀撃作戦では達成できない理由
@南方作戦中の艦船がハワイから出撃する米艦隊に襲われてしまう。
A要域を確保してもシーレーンを切られてしまい、石油や資源を入手できない。
B南方要域に米英蘭諸国が急速に防備を固めつつあったので一刻も早く確保する必要があった。
敵の防備(要塞化など)が進んだ状態では確保は不可能となる。そのタイムリミットが昭和16年12月。
C漸減邀撃作戦で何度も図上演習を行っていたが結果はいつも敗北であって、他の方法が必要だった。
D日本列島や南方の委任統治領の地形を考えれば、敵がどこに来るか、
いつ来るかの主導権を相手が握っていることで防御は不利。
東からアメリカ太平洋艦隊が、西からは米英蘭豪の連合国艦隊が進攻することに対して、
日本はこれらを同時に複数の場所で連合艦隊で防御することはできない。
Eまごまごしていると大西洋に分散している米艦隊も太平洋に廻されて勢力的に対抗できなくなる。
F米軍がさまざまな挑発行動をしており、米軍から先制攻撃も有り得るというのが陸軍と海軍の共通概念だった。

これへの対策がハワイ作戦であった。

対米英戦を決定したのは実質的な日本の最高意思決定機関である、
大本営政府連絡会議をはじめとする多くの会議で各種資料をもとに
決められたことだ。

天皇陛下の承認後、攻撃命令が山本連合艦隊司令長官に出されたのである。

386 :名無し三等兵:2013/06/12(水) 05:57:57.67 ID:GOJSXesP
>>1 >>375 >>380
まったく無知なのか、知らないふりしてるのか?

対米開戦決めたの誰だ?
大本営連絡会議その他多くの会議で討議された結果だろ?
そこに出ていたの誰だ?
ずっと出ていたの誰だ?
ハワイ作戦も知っていた人たちが大本営連絡会議に出ていたよね。

山本連合艦隊司令長官なんか一度も出ていないのだがな・・。
ずっと、瀬戸内海柱島泊地の戦艦の司令部で訓練やっていて、たまに上京するだけ。

387 :名無し三等兵:2013/06/12(水) 05:59:56.46 ID:GOJSXesP
>>1 >>375 >>380

当時、経済制裁を受け、国家存亡の危機に陥っていた日本が取った道は、
とにかく資源地帯を確保する、これが第一義とされた。

日米間に大きな戦力差がない今のうちにそれを達成し、
その資源によって対米戦を長期持久体性で乗り切る。
その後のことはドイツの勝利によって、道は開けるだろう、
だから、開戦せよ、
という終末促進案を考え、開戦を主導したのが陸軍である。

かれらは、ドイツが勝った後の戦後処理で 、英蘭が持っていた
南方資源地帯がそっくりドイツに渡ってしまうのをおそれたのだ。
だから、関特演を中止してまで南方作戦に切り替えたのだ。

東条内閣組閣時に、
天皇より、それまでの国策を全面的に見直せ、との「白紙還元の御諚」を受け、
大本営政府連絡会議等で10月23日より10月末まで多くの資料をもとに検討した。
結局、対米戦という結論は変わらなかった。

そんな会議に、連合艦隊司令長官は出ていたか?
一切出てはいない。
一切呼ばれもしなかった。

対米英開戦の国策を作ったのは陸軍主導内閣であり、陸軍である。
大東亜戦争「開戦の詔勅」は東条首相が指示して10月中から草案作成に着手した。陸軍である。
降伏調印式には陸軍参謀総長だけが統帥部を代表して調印した。陸軍である。

388 :名無し三等兵:2013/06/12(水) 07:13:38.16 ID:???
満州事変の火付けから陸軍が始めて事務的にも陸軍が終わらせたのね

389 ::2013/06/14(金) 23:19:53.13 ID:++adQxp9
満州事変もそうなのね。

そしてハワイ作戦は必要だったのね。
やっと理解できたわ。
ありがとうございました。

390 :名無し三等兵:2013/06/15(土) 23:51:40.07 ID:???
誰よりも戦争に反対した日本の真のリーダー山本五十六
______  ___________
         V

      ヽヽ〃 /
       ヽ〃   真珠湾奇襲プシュ!    
      ( _)
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
       | | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ     
     /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     /  ゝ      |
    /  _  ゝ___)(9     (` ´) )j
   /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  /   )           (彡       |
 / _/           \____/

これで国民扇動できると思ってる。

国民をなめているwww

捏造歴史作家  半藤一利wwww

毎晩、五十六賛美w陸軍悪玉論で射精(笑)

391 ::2013/06/15(土) 23:59:46.17 ID:vwbnzOUx
満州事変もそうなのね。

そしてハワイ作戦は必要だったのね。
やっと理解できたわ。
ありがとうございました。

392 :名無し三等兵:2013/06/16(日) 00:27:35.01 ID:???
>>390
 オレの思い付きは全て正しい!ソースなんか捏造で誤魔化せる!
______  ___________
         V

      ヽヽ〃 /
       ヽ〃   英文?翻訳文?区別なんか出来ねーよ    
      ( _) ウリは正しいニダ!ウリは正しいニダ!!!
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
       | | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ     
     /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     /  ゝ      |
    /  _  ゝ___)(9     (` ´) )j
   /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  /   )           (   Y ̄ ̄ ̄ ̄)
 / _/           \____/

       ↑
      朝鮮土足w

土足はいよいよ言葉に詰まるとバカコピペしか出来ない無能だからなw
しかしその行為は当に「ウリは正しいから正しいニダ」と火病して喚く朝鮮人そのものwwww
屑の能無しシコリアン土足くんwwwwwww

393 :名無し三等兵:2013/06/16(日) 06:36:21.28 ID:KFoNpS7/
内南洋といわれていた日本の委任統治領は、
現在のパラオ、北マリアナ諸島(サイパン島、テニアン島、ロタ島)、ミクロネシア連邦(ポナペ、
コスラエ、チューク)とマーシャル諸島(マジュロ、クエゼリン、ジャルート)のことである。
サイパン支庁、パラオ支庁、ヤップ支庁、トラック支庁、ポナペ支庁、ヤルート支庁があった。
おおよそ北緯0度〜20度、東経130度〜170度の範囲。
10万人以上の日本人がこれらの地域に移住していた。

これらの領土を、どうやったら守ることができるか・・・
難しい問題だっただろうな。

394 :名無し三等兵:2013/06/16(日) 13:31:57.13 ID:???
山本糞六

395 :名無し三等兵:2013/06/16(日) 15:20:28.10 ID:y/pvSQbD
>>394
言う甲斐なき下衆のうちうたひたるこそいと心うけれ 枕草子

396 :名無し三等兵:2013/06/16(日) 17:38:35.56 ID:???
【真珠湾】聯合艦隊司令長官山本五十六【田中麗奈】
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1357473378/
【愚将】山本五十六暴走【無能】9
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1370676405/

397 :名無し三等兵:2013/06/16(日) 22:58:14.40 ID:9iFPb/q3
言う甲斐なき下衆の打ち謡いたるこそいと心憂けれ 枕草子

398 :名無し三等兵:2013/06/17(月) 09:19:23.94 ID:???
いとをかし

399 :名無し三等兵:2013/06/18(火) 00:16:33.22 ID:tas8HYIP
いふかひなきげすのうちうたいたるこそいとおかしけれ

400 :名無し三等兵:2013/06/18(火) 00:57:01.12 ID:tas8HYIP
>>398謝々

いふかひなきげすのうちうたいたるこそいとをかしけれ

401 :名無し三等兵:2013/06/18(火) 22:20:55.33 ID:???
とはいふものの金の欲しさよ

402 :生出寿:2013/06/18(火) 23:30:11.02 ID:???
私 生出寿が断言します
山本は日本戦艦 巡洋艦の命中率が三倍以上有るのに戦艦 巡洋艦を有効に活用せず航空機だけで戦い惨敗を喫しました。
私が敬愛する黛治夫大佐が断言してるんです。
戦艦を有効に活用しなかったのが敗戦の根本要因です。

403 :名無し三等兵:2013/06/18(火) 23:35:01.88 ID:???
>日本戦艦 巡洋艦の命中率が三倍以上有る

誘導弾なのかよw

404 :名無し三等兵:2013/06/19(水) 09:53:06.78 ID:???
何と比べて三倍なのでしょうか
小学生向け図鑑のように比較しているもの同士を並べて見ましょう

405 :名無し三等兵:2013/06/19(水) 22:33:33.71 ID:???
通常の3倍。角度とかw

406 :名無し三等兵:2013/06/19(水) 22:34:30.46 ID:???
艦艇を赤く塗れ。角もつけろ。

407 :名無し三等兵:2013/06/19(水) 22:35:25.88 ID:???
>命中率が三倍以上有る

砲撃理論上あり得ないw

408 :名無し三等兵:2013/06/20(木) 09:08:20.28 ID:???
目視砲撃雷撃での海戦も何回か行われているけど両軍とも命中率は0.1%以下でしょ
ほぼ無駄弾

409 :名無し三等兵:2013/06/28(金) 22:21:10.30 ID:???
山本糞六

410 :名無し三等兵:2013/07/02(火) NY:AN:NY.AN ID:N2l+RL5q
>>409
こういう手合いだな、
何にも知らないくせにこんな言葉を吐くことにしか、
自己の存在意義を見出すしかないという連中。
溢れかえる日本のゴミ。

411 :名無し三等兵:2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN ID:VTPSn0Gl
>>1
戦争に至った国策はどこで作られたかと言えば、
ほとんどは陸軍省で作られ、一部は海軍省で作られた。
山本の連合艦隊は戦闘部隊であり、陸軍省でも海軍省でもない。

昭和16年に御前会議は4回開かれている。
そのすべてに「対米戦への決意と戦争準備」がうたわれている。
国策を決めた御前会議に至る多くの会議・討議そしてそれらのもとになった資料。
それらに山本が出席したり資料を出したのだろうか ?
一度も呼ばれもしてない、資料も意見も求められもしなかった。

こんな、現場の部門に責任を押し付けてどうするんだ?
現場監督の親方に責任を押し付けてどうするんだ?
命令を出した社長や重役たちは、いったいどこへ行ったんだ?


こんなことさえ理解できない愚かな国民たちです。
だから負けたんでしょう?

「自分は関係ないです」と、当時の軍人や政治家を非難する国民。
何の反省もしてない国民。
だから負けたんでしょう?

412 :名無し三等兵:2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN ID:???
山本糞六

413 :名無し三等兵:2013/07/05(金) NY:AN:NY.AN ID:ozyLF7na
>>412
おまえがクソ。

414 :名無し三等兵:2013/07/05(金) NY:AN:NY.AN ID:86S1ty/z
>>1>>409>>412は同一人?

415 :名無し三等兵:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN ID:???
戦争を知らない世代にも五十六さんは偉人として伝えられています
ひるがえって旧陸軍諸氏は戦隊物のギャグ的悪役でやられてなんぼの雑魚キャラ

416 :名無し三等兵:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN ID:???
山本糞六

417 :名無し三等兵:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN ID:???
小学生のこころを持つ土足w

418 :名無し三等兵:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN ID:KQkw6U3D
幼稚園児だろ

419 :名無し三等兵:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN ID:???
五十六が大人気で悔しいの〜

420 :名無し三等兵:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN ID:KQkw6U3D
>>394 >>409 >>412 >>416 いつもご苦労さまです。
ご参考まで・・・

1、他人の悪口を言う人はストレスがある人。
心に不満があってそれを解消するために他人の悪口を言う。可哀想な人。
そして、その人はそのストレスに気づいていない。
誰にもストレスや不満はあが、それを(誰にも迷惑を掛けずに)解消する手段を持っている。
他人の悪口を言う人の心理として自分の精神状態を分析できずに、
そして無意識に他人をの悪口を口にするなどして誹謗中傷することで
自己のストレスを発散させているのである。
だから可哀想な人。

2、 他人の悪口を言う人は、言われている人より自分が劣っていることを自ら宣言している人。
自分に自信があれば他人の悪口を言う人ことはない。
自分で認識している自信で自らの自尊心を維持できるが、
自分に自信がないような人は自らの自尊心を維持するために、
相手に対して悪口を言うことで相対的に相手の位置を低下させようとする。
他人の悪口を言う人は、自分にとって嫌なことがあると、
それを解消するために悪口を言うことが本能化しているのだ。

421 :名無し三等兵:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN ID:KQkw6U3D
>>394 >>409 >>412 >>416 いつもご苦労さま。

現実世界で相手にされないので、他人を中傷する事で
自分の優位性を確保したいと言う無意識の行動。
他人を批判する事で、自分がその他人よりも偉いような錯覚を覚える。
対象としては影響力のある人に向けられる。多くの人が自分の書き込みを見て、
驚きを覚えるのではないか?ということに快感を覚えている。
そんな大発見?をした自分を誇らしく思えるのであろう。

422 :名無し三等兵:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN ID:???
山本糞六

423 :名無し三等兵:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN ID:KQkw6U3D
もう、それしか言えないのか・・・
かわいそう

424 :名無し三等兵:2013/07/10(水) NY:AN:NY.AN ID:???
『何よりも人の命を守る事を優先させた確固たる信念。
その意に反し、日米開戦が不可壁になろうとも、
決して逃げることなく連合艦隊司令長官の職にあり続けた
強固な責任感。
そして周囲の反対を押し切り、真珠湾奇襲を成功に導いて
ゆるぎない決断力。
まさに今の日本に求められる、困難な時代における真の意味でのリーダー。
それが山本五十六の「実像」に他ならない』

______  ___________
         V

      ヽヽ〃 /
       ヽ〃   真珠湾奇襲プシュ!    
      ( _)
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
       | | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ     
     /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     /  ゝ      |
    /  _  ゝ___)(9     (` ´) )j
   /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  /   )           (彡       |
 / _/           \____/


       ↑
と妄想をわめく痴呆歴史探偵団w (反動一利)

425 :名無し三等兵:2013/07/10(水) NY:AN:NY.AN ID:???
その卓越した先見性!
______  ___________
         V

      ヽヽ〃 /
       ヽ〃   真珠湾奇襲プシュ!    
      ( _)
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
       | | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ     
     /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     /  ゝ      |
    /  _  ゝ___)(9     (` ´) )j
   /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  /   )           (彡       |
 / _/           \____/


       ↑

この長岡の猿は
2ちゃんに1000匹くらい
ばらまいてやったわwww

426 :名無し三等兵:2013/07/10(水) NY:AN:NY.AN ID:???
>>424-425
 オレの思い付きは全て正しい!ソースなんか捏造で誤魔化せる!
______  ___________
         V

      ヽヽ〃 /
       ヽ〃   英文?翻訳文?区別なんか出来ねーよ    
      ( _) ウリは正しいニダ!ウリは正しいニダ!!!
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
       | | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ     
     /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     /  ゝ      |
    /  _  ゝ___)(9     (` ´) )j
   /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  /   )           (   Y ̄ ̄ ̄ ̄)
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       ↑
      シコリアン土足w 今日も今日とて捏造擁護で牟田口を貶め幸福絶頂wwwww

土足はいよいよ言葉に詰まるとバカコピペしか出来ない無能だからなw
しかしその行為は当に「ウリは正しいから正しいニダ」と火病して喚く朝鮮人そのものwwww
屑の能無しシコリアン土足くんwwwwwww

427 :名無し三等兵:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:Vtlm2Zv/
幼稚園レベルになった為、終了とさせていただくこととなりました。
これまでありがとうございました。

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428 :名無し三等兵:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:???
利用者Miwa.SS

広島在住の在日朝鮮人3世
朝鮮焼肉店業
部落解放同盟で反日活動をやっている。
世羅高校の校長を自殺に追い込んだ解同

wikiでは東条などを誹謗中傷、罵倒する編集を
やりまくっていた人物。
汚い言葉使いでの罵倒と挑発が特徴

429 :名無し三等兵:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:???
>>428
>>朝鮮人特有の汚い言葉使いでの罵倒と挑発が特徴

74 名前:Dosok-3 ◆ZeX9kYAbNI 投稿日:2013/06/15(土) NY:AN:NY.AN ID:???
>>72
また敵前逃亡か?w
糞尿にも劣るおまえは、いったいなんなんだ?w

朝鮮人特有の汚い言葉遣い大好き屑の能無しシコリアン土足くんwwwwwwwwwwwwwwww

430 :名無し三等兵:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:???
山本糞六

431 :名無し三等兵:2013/07/12(金) NY:AN:NY.AN ID:???
国葬されるほどの偉人
大和男子の鏡ですね

432 :名無し三等兵:2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN ID:???
山本糞六

433 :海軍厨 涙目敗走:2013/07/22(月) NY:AN:NY.AN ID:???
                 ┌─┐
                 |も.|
                 |う |
                 │来│
                 │ね│
                 │え .|
                 │よ .|
      バカ    ゴルァ  │ !!.│
                 └─┤    プンプン
    ヽ(`Д´)ノ ヽ(`Д´)ノ  (`Д´)ノ    ( `Д)
    | ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─□( ヽ┐U
? ?  ̄◎ ̄  . ̄◎ ̄   ̄◎ ̄   ◎?>┘◎

          ヽ(`Д´)ノ モウコネエヨ!!
            (  )   ウワァァン!!
            / ヽ

434 :名無し三等兵:2013/07/23(火) NY:AN:NY.AN ID:???
>>433
 オレの思い付きは全て正しい!ソースなんか捏造で誤魔化せる!
______  ___________
         V

      ヽヽ〃 /
       ヽ〃   英文?翻訳文?区別なんか出来ねーよ    
      ( _) ウリは正しいニダ!ウリは正しいニダ!!!
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
       | | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ     
     /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     /  ゝ      |
    /  _  ゝ___)(9     (` ´) )j
   /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  /   )           (   Y ̄ ̄ ̄ ̄)
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       ↑
      シコリアン土足w 今日も今日とて捏造擁護で牟田口を貶め幸福絶頂wwwww

土足はいよいよ言葉に詰まるとバカコピペしか出来ない無能だからなw
しかしその行為は当に「ウリは正しいから正しいニダ」と火病して喚く朝鮮人そのものwwww
屑の能無しシコリアン土足くんwwwwwww

435 :名無し三等兵:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN ID:dfAL9eIC
@
よく、「海軍が国益よりも省益を優先した」などと
サル真似かパカのひとつ覚えのようにいう者が多い。
しかし、
当時、米軍が何をしていたか、といえば、
昭和15年5月に太平洋艦隊をハワイに進出させたうえ、海軍大拡張を計画。
昭和15年7月に成立し、予算措置がとられた両洋艦隊法で大西洋、太平洋の両方で、
ドイツや日本に対抗する海軍建設が決定された。
アイオワ級戦艦2隻、エセックス級航空母艦7隻、 駆逐艦115隻、潜水艦43隻など合計

133万トン(7割増)の艦艇建造、15000機の航空機製造などが決定された。
この数字は、日本帝国海軍の当時の連合艦隊の総戦力匹敵する数字であり、
圧倒的な計画であった。
昭和16年7月に米領島嶼の軍備強化にルーズベルトは3億ドル支出を議会に要求。
また、海軍費と海軍委員会費33億2300万ドルを議会に要求。
議会は軍事強化・援蒋予算508億ドルを承認。
ルーズベルトは国防費150億ドル、他17億ドル支出要求。
国家非常事態承認を議会に要求 。
1〜8月までに、戦艦、潜水艦、駆逐艦など80隻がすでに完成した旨を発表。
米英共同宣言発表。
米比の対日共同参戦を表明。
ノックス海軍長官ら米側高官の威嚇言動
「今こそは米国海軍を用うべき時である」、
「海軍が米国の極東政策遂行上必要なる措置を敢行する」など。
以上は、東条首相が供述書に述べていることの一部分である。
また、真珠湾のはるか以前からの米軍の対日軍事戦略にもとずく様々な行動もあった。

436 :名無し三等兵:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN ID:dfAL9eIC
A
これらを日本海軍が脅威と感じないなどということがあろうか?
何も感じない,何もしないということは、国防を担う海軍としての役目を放棄したに等しい。
省益だと決め付けている巷間の説は誤った考えであるのは明白である。
日米関係に緊張をもたらしたのは日本外交の稚拙さと日露戦以来の陸軍少壮軍人主導の、
軍部 の暴走にあったことは、今では誰もが認識していうことである。
海軍の暴走だとか、それに異をとなえ、責任を他に押し付けようとする愚かな試みである。
アメリカを正義理想の国ででもあるかのごとく絶対視しそれに跪きその尻馬に乗ろうとする、
いわゆる親米保守なる考えに虫や草木さえもがなびいている時代。
このスレもそのような連中に誘導された軽佻浮薄な者どもが自己自身の無知無能さを糊塗せんが為のものであろう。

437 :名無し三等兵:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN ID:???
軍縮条約の破棄が失敗の元だね

438 :名無し三等兵:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN ID:dfAL9eIC
B
また、なによりもひどい勘違いは、
山本五十六と「海軍」とを混同していることである。
山本の連合艦隊は多くの海軍組織の中の外戦部門であったに過ぎない。
命令によって動く戦闘部隊であり現場の部門であった。
国政の場に自己の意見を述べる機会があっただろうか?
まったく無かったであろう。
また、国政や世界情勢を充分に知る機会が与えられていただろうか?
そうではなかったろう。つんぼ桟敷におかれていたにも等しいだろう。
瀬戸内海柱島泊地にあった連合艦隊司令部が日米交渉過程を把握していたであろうか?
宇垣纏連合艦隊参謀長の日誌を読むと、彼は世界情勢や日米交渉の過程を知るために
ラジオ放送のニュースを記録せよと部下に指示を出している。

439 :名無し三等兵:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN ID:???
山本糞六

440 :名無し三等兵:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN ID:176Zhev/
>>439
糞虫どもがわめいてるか・・
こんなことしか書けない、言えない、自己の無知、無能さを晒してるということだな・・

相手にもならんわい

441 :名無し三等兵:2013/09/22(日) 20:56:49.32 ID:???
女と博突の生涯であった山本五十六の正体は、
頭が極度に劣化した無能人間で、
高いIQを必要とする大海軍の指揮官の適性がなかった。

それを示すエピソードを挙げておこう。

米内光政/山本五十六/井上成美/大西瀧治郎/豊田貞次郎の五人が、
揃いも揃って、常軌を逸した"バカ・アホ・間抜け"であることを示した「水ガソリン事件」である。
米内や山本らは、H20(水)にはC(炭素)が含まれていると信じた。
彼らは、小学校四年生の水準すらなく、その頭は異常であった。

『山本五十六の大罪 連合艦隊司令長官 亡国の帝国海軍と太平洋戦争の真像』
中川八洋
東京大学工学部航空学科卒
日本科学協会理事

442 :名無し三等兵:2013/09/22(日) 23:31:04.60 ID:???
山本は前線に視察したが、牟田口は逃げた

443 :名無し三等兵:2013/09/26(木) 17:48:52.56 ID:???
>>441
ウソと判断したからこそ実験をやらせただけの話だ。
それを、「騙されたバカ」という話にすり返るとは呆れた国立大学名誉教授だよね。

そして、それを一生懸命にふれ回るのも・・・

444 :名無し三等兵:2013/09/30(月) 00:10:43.18 ID:???
>>1

不毛な議論は、
人をけなし、断定して、過去を語る。
有益な議論は、
人をほめ、断定せず、未来を語る。

445 :名無し三等兵:2013/10/25(金) 06:23:09.00 ID:???
@
日中戦争が泥沼化した原因は、陸軍が満州事変以来から強行した華北分離工作
の過酷で無謀な強硬作戦を繰り広げた結果、全中国に反日抗日運動が引き起こされ

た為であった。
@バラバラだった中国人が、抗日で一致団結(国共合作が実現)
Aアメリカ世論が対中国支援を支持(親日、満州国支持の共和党も反対できなくなる)

陸軍は昭和12年度対支作戦計画において、すでに南京攻略計画を明記しており、
第九軍(3個師団)をもって上海附近を占領し、新たに第十軍(2個師団)を杭州湾に
上陸させ太湖南側から、両軍相策応して南京に向かい、上海・杭州・南京を含む三角
地域を占領確保するという計画であった。
その実現のために強攻策をとり続けたあげく、中国討伐を煽って
日本政府が進めた日中停戦をぶち壊した。
陸軍の目論みは陸軍の利権拡大、予算の獲得が目的で、 大量の兵力配備。
その宣伝のため南京攻略戦、南京虐殺は強行されたと考えられる。
第二次上海事変を口実に(船津和平工作などから見て停戦は十分可能だった)
南京攻略戦を無理に実施し南京無差別虐殺を強行し、反日勢力を刺激し
無理やり日中間を泥沼戦争状態にした。

446 :名無し三等兵:2013/10/25(金) 06:24:08.30 ID:???
A
陸軍が主導したと考えられる南京攻略戦、南京無差別虐殺の結果

・米国大統領が歴史上初めて日本を批判(隔離演説)
・国際連盟は陸軍による南京無差別虐殺に対し非難決議を採択。
・国共合作が実現。バラバラだった全中国人が抗日で一致団結してしまった。
・蒋介石夫人がアメリカ議会で日本の無差別虐殺を非難。アメリカ議会の賛同を得る。

以後、陸軍は陸軍省、参謀本部一体となって
北斗会(陸軍が育てた記者クラブ・戦争宣伝組織)を利用し
徹底して新聞で中国討伐を煽りまくり
日本政府の日中停戦工作(船津和平工作、トラウトマン工作)を妨害

その後も陸軍は、対米戦回避を目的とした日本政府の
主義方針に反した行動をとり続けるなどしてことごとく妨害し潰した。
何もかも、陸軍の利権拡大が目的だと考えられる。
陸軍は記者クラブ(北斗会)を利用し、
新聞社を戦争扇動機関に育てた日本の先駆者である。

447 :名無し三等兵:2013/11/28(木) 21:24:49.72 ID:???
真珠湾攻撃というシンボリックな事件がなければ米国民の士気は上がらなかった
開戦前の米国の対日戦略「レインボー5」では
ハワイから出発した米艦隊がノコノコとマーシャル諸島を占領しに行くという糞ドクトリンだった
実行されればマーシャルの航空隊と起動艦隊による協力作戦で艦隊は真珠湾攻撃よりもやられていただろう

448 :名無し三等兵:2013/11/28(木) 22:03:13.51 ID:???
こういうサルの後知恵でああだこうだと言うもんがおるでごわす。
日米建艦能力差により、対米戦力比7割というのが勝機を得られる数字。
その数字で日本が勝ち目があったのは昭和16年から17年半ばまで。
時期が遅くなればなるほど勝ち目がなくなるんだよ。
日本の最大目的は米英蘭植民地を奪取すること。
奇襲以外の方法をのろのろやってたら、敵が防備を固めてしまい、
植民地は奪えないのだ。
西からイギリスが戦艦をマレー沖にまで派遣していたし、
東には比島、ハワイの米艦隊が、そして南からは蘭豪等の艦隊が
攻撃をかけてくる。
敵は米一カ国だけではないのだ。

449 :名無し三等兵:2013/11/28(木) 23:02:08.41 ID:???
>>447
ヴィンソン案とか両洋艦隊法とか無視ですか?そうですかw

450 :名無し三等兵:2013/12/11(水) 15:08:11.42 ID:pEwCZFyU
真珠湾攻撃は
究極の国防
だったのかも

451 :名無し三等兵:2013/12/11(水) 20:41:42.28 ID:???
赤い貴族が蔓延し陸軍を操り

452 :名無し三等兵:2013/12/14(土) 22:37:55.10 ID:???
山本糞六

453 :名無し三等兵:2013/12/15(日) 11:04:37.95 ID:???
当時はアメリカは敵国であって、日本を経済制裁で圧迫してくる目的は何かすら、みんながよくわからなかった。
日本に武力攻撃をかけてくるかも知れないという恐れを持っていたと東条首相は供述書に書いている。
国際連盟を脱退して孤立していた日本。これによる情報の欠如が国民を戦争に向かわせたのだと思う。
今の日米関係で当時を見てはいけないと思う。

454 :名無し三等兵:2013/12/28(土) 11:24:50.36 ID:???
>>452
この人は女性?
あちこちに 「きらい」 とか 「山本糞六 」とかいう言葉を貼りまくってるんだが
この人はこれまでになにも理由や根拠を示したこともないように見える。
こういう好き嫌いが判断の大部分を占める心理というのは女性に多いものではないのか。

455 :名無し三等兵:2013/12/29(日) 10:22:49.04 ID:???
山本糞六

456 :名無し三等兵:2014/01/06(月) 09:18:28.84 ID:???
この人は女性?
あちこちに 「きらい」 とか 「山本糞六 」とかいう言葉を貼りまくってるんだが
この人はこれまでになにも理由や根拠を示したこともないように見える。
こういう好き嫌いが判断の大部分を占める心理というのは女性に多いものではないのか。

457 :名無し三等兵:2014/01/06(月) 22:31:44.15 ID:???
山本糞六

458 :名無し三等兵:2014/01/07(火) 21:06:37.30 ID:???
権兵衛つくって五十六沈めた

459 :名無し三等兵:2014/01/07(火) 21:50:17.17 ID:???
この人は女性。
あちこちに 「きらい」 とか 「山本糞六 」とかいう言葉を貼りまくってるんだが
この人はこれまでになにも理由や根拠を示したこともないように見える。
こういう好き嫌いが判断の大部分を占める心理というのは女性に多いものではないのか。

460 :名無し三等兵:2014/01/08(水) 18:58:07.64 ID:???
山本糞六

461 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 13:56:02.90 ID:???
1941(昭和16)年11 月15 日、当時の日本の最高戦争指導機構と言える大本営政府連
絡会議において「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」(以下、「腹案」)が採択された。
この時、日本はすでに事実上の戦争状態にあった対蒋戦(日中戦争)の勃発から4年あ
まりを経ていたが、この「腹案」は、さらにその約1 ヶ月後(12 月8日)に突入してい
く結果となる米英蘭との開戦(太平洋戦争)における、唯一の日本の戦争計画あるいは
戦略と言えるものであった1。
ただし、この決定は、その「腹案」という言葉が示すとおり、国の「正式」の「戦争
計画」と呼ぶには、やはり不完全なものであったと言わざるを得ない。実際、この「腹
案」は、この年の9 月6 日に対米英開戦の方向を最初に決めた「帝国国策遂行要領」の
御前会議決定以降、陸・海軍省部および外務省の事務レベルで、対米英蘭戦争の開戦に
当たっての基本戦略、戦争目的、対外施策等を含む全体の戦争計画として立案準備され
た「対米英蘭戦争指導要綱」の中の、一部分のみを抜き出し決定したものであった。
逆に言えば、この全体の戦争計画の多くの部分は、国レベルの決定にまで至らなかっ
たということなのである。その原因は、一言で言えば、米英との戦争という国力上から
見ても途方もない戦争について、理路整然とした戦争計画を描けなかったということに
つきるように思われる。したがって、それを9 月6 日の御前会議で、開戦に消極的姿勢
であった天皇には提出しづらかったということもあり、それでもその天皇から戦争終末
の見通しは作るよう求められたこともあって、この「腹案」のみが国家レベルで成立し
ていたのである。
このように、日本は太平洋戦争開戦時において十分な戦争計画を持たないままに米英
蘭との開戦に踏み切っていた。もちろん、短いものとは言え、戦争終末方針を示したこ
の「腹案」を戦争計画のエッセンスとして認めることもできるが、それでも、その作成
および決定時期は、開戦前のわずか3 ヶ月間に過ぎなかったのである。では、日本の陸
海軍は、こうした戦争計画「不在」の中で、どのようにして米英との大戦争に対する準
備を進めていたのであろうか。

462 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 13:57:14.97 ID:???
1. 陸海軍の「年度作戦計画」
この「戦争計画なき開戦」という状況を支えていたのが、陸海軍がそれぞれ長年の間
積み重ねてきた「年度作戦計画」2であった。1941 年11 月5 日、先の「腹案」決定の10
日前、対米英蘭開戦を再度決意した御前会議の日に、この大戦争の各作戦計画を定める
「帝国陸軍全般作戦計画」と「帝国海軍作戦方針」が天皇の裁可を受けていた。一般論
として「戦略(戦争計画)が決まりそれに従ってそれぞれの戦術(作戦計画)が決まる
というのが本筋である」と考えるならば、日本の対米英蘭開戦は、わずか10 日とは言え、
戦争計画と作戦計画決定について逆転現象が起きていたと言うこともできよう。
ところで、この「帝国陸軍全般作戦計画」と「帝国海軍作戦方針」は、ともに昭和16
年度の陸海軍それぞれの「年度作戦計画」を修正の上策定したものであった。基本的に
毎年作成されていたこの「年度作戦計画」は、当該年度中に万一想定敵国と開戦となっ
た場合の作戦を定めるもので、作戦指導に限らず戦略指導の基本ともなるもので、また、
平時においては陸海軍の軍備、教育、訓練等の諸計画の基礎となっていた。
こうした「年度作戦計画」の作成は、1907(明治40)年に最初の「国防方針」と同時
に決定された「用兵綱領」の中で、毎年作戦に関する計画を策定し、天皇の裁可を得て
保持することと規定されていた。そして、これが定められた日露戦争直後のこの時点で
は、陸海軍ともにその作戦計画は対露一国作戦を最も重視する形となっていた。しかし、
その後1918(大正7)年の「国防方針」の第1 次改定、さらには1923 年の第2 次改定の
段階になると、陸海軍の間に将来戦の様相をめぐる対立点が明らかになっていった。も
ともと、陸軍と海軍には、一連の「国防方針」策定の際、それぞれの第一想定敵国がロ
シアとアメリカに分裂しているという問題があったが、さらに将来戦における対戦国数

463 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 13:58:59.84 ID:???
についてもはげしい意見対立が生じてきたのである。その対立とは、陸軍が「将来戦は
対一国作戦に限定することは困難で、対数国作戦になる公算が大きい」と考えたのに対
し、海軍は「将来戦争するとしても対一国に限定すべきで、対二国以上の戦争は国力上
なすべきではない」としていたことによる。この対立の背景には、第一次世界大戦とい
うまさに総力戦の展開から得た教訓として、陸軍は将来戦を対一国作戦だけで済むよう
な限定戦争としておそらく考えられなくなったということ、一方海軍は、第一次大戦か
ら戦後のワシントン海軍軍縮会議を通して、第一の想定敵国であるアメリカとの対立を
深め、そのアメリカとの対一国作戦に何より集中するようになったということが考えら
れる3。
ただ、この対立は、意外にも、陸軍側が海軍側に歩み寄るという形で解決することに
なった。「国防方針」第2 次改定の年の秋、陸海軍間で覚書が交わされ、翌年の大正13
年度以降、陸軍の作戦計画は、海軍の対一国作戦主義にできるだけ近づける形で策定さ
れるようになったのである。ここには、ロシア革命後、陸軍の仮想敵であるロシアの脅
威が弱まり、一方で、アメリカが「国防方針」第2 次改定で陸海軍共通の第1位の想定
敵国として格上げされるようになったという影響もあったと考えられる。こうして、こ
れ以降陸海軍の「年度作戦計画」には対一国作戦主義が定着していく。しかし、その変
更の必要性が「国防方針」の第3 次改定(1936 年)および日中戦争の勃発(1937 年)と
いう1930 年代後半に生じてくるのである。
まず、1936 年の「国防方針」の第3 次改定で、それまでのアメリカ、ソビエト・ロシ
ア、中国に加えて、イギリスが想定敵国として加えられることになった。この追加は、
とくに海軍側の強い要望によってなされたもので、従来、アメリカとの対一国作戦主義
を重視してきた海軍にとってもその想定敵国はアメリカ一国ではなくなったのであった

464 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 14:02:05.86 ID:???
4。さらに、翌37 年7 月以降に勃発・拡大していく日中戦争のもとでは、新たに他国と
開戦すれば「対二国作戦になることは当然」となり「対一国作戦の計画は無意味」とも
認識されるようになった5。そこで、早くも昭和13 年度の陸海軍の「年度作戦計画」で
は「対支作戦中ほかの想定敵国アメリカ、ソ連、もしくはイギリスの何れか一国と開戦
する場合」という対二国作戦が計画されるようになり、さらには「対支作戦中アメリカ、
ソ連およびイギリスと開戦する場合」という対四国作戦もそれに付け加えられるように
なった。この二国および四国作戦計画という2 本立ては、多少の変更を加えられつつも、
昭和14 年度、15 年度と維持され、そして、対米英蘭開戦の年となる昭和16 年度の計画
には、「対支作戦中米英蘭と開戦する場合」という作戦計画が存在していた。そして、こ
れこそが一部の修正を経て、先の「帝国陸軍全般作戦計画」と「帝国海軍作戦方針」に
つながっていたのである。
2. 対英米戦争への曲折
もちろん、この昭和16 年度に見られる対四国作戦計画があるからと言って、当時の陸
海軍がそのまま対米英蘭蒋戦争の遂行が可能であると考えていたわけではなかった。前
節で説明したとおり、陸海軍作戦当局者は、日中戦争勃発後から対二ないし四国作戦計
画を検討・立案するようになっていたわけであるが、実際にこうした対数国戦争とくに
米英との開戦について陸海軍内で本格的に検討するようになったのは、1940 年の夏頃か
らであったと考えられる。そして、その際に大きな問題として立ちはだかっていたのが、
そうした大戦争を支える日本の国力の問題だったのである。
1940 年7 月27 日、「世界情勢の推移に伴う時局処理要綱」が大本営政府連絡会議で決
定された。これは、1939 年9 月にヨーロッパで勃発した第2 次世界大戦における、とく
に40 年春以降の「情勢の推移(ドイツの西方攻勢)」の中で、ドイツのイギリス攻略が
間近にあり得るという判断の下に検討されたものであった。そして、実はこの中では、
それまでの陸軍の戦略方針について大きな変更が加えられていた。すなわち、それまで

465 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 14:03:00.85 ID:???
陸軍は対北方戦(対ソ戦)重視を金科玉条としていたわけであるが、ここで日中戦争の
解決のためにも対南方戦(対英戦)を先に考える(南先北後)という戦略の「南進への
旋回」6が起こっていたのである。
こうした対南方戦の遂行について、陸軍は石油・船舶量を含めた国力上の検討を内閣
企画院に依頼した。そして、その結論が「応急物動計画試案」として8 月末にまとめら
れたが、その内容は「基礎物資の大部分の供給量は50%近くまで下がり、軍需すら相当
の削減を受けるというもので、国民生活の維持もへったくれも、これじゃ全く不可能」
というものであったという。それでも、結論的には「民需を極端に圧縮すれば短期戦は
可能とされ、しかし、石油だけは致命的である」という判断であった。その結果として、
石油資源獲得のための蘭印武力進攻の検討が、これ以降、具体化していくのでもあった。
なお、この時の国力検討に対して、海軍大臣であった吉田善吾は海軍部内に対して「こ
の研究への海軍の絶対不関与」を厳命していた。その背景には、この対英戦をめぐる認
識について、陸軍と海軍の間に大きな隔たりがあったからであった7。
先の「時局処理要綱」が決定された時点で、とくに陸軍中堅幕僚が重視していた対南
方戦すなわち武力南進の構想は、ヨーロッパにおけるドイツの連戦連勝という情勢に「好
機便乗」する形で進めることとされていた。そして、その発動の条件には@ドイツのイ
ギリス本土上陸開始とA日中戦争の停戦という2つがあった。後者の条件については、
陸軍としては日中停戦がなくとも、ドイツのイギリス攻略に合わせて対英戦を開始する
ことで日中戦争も有利に解決できるという判断もあった。ただし、こうした事態の展開

466 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 14:04:30.29 ID:???
には「日本が極東英領を占領してもアメリカは参戦しない」ということ、すなわち「英
米可分」がその大前提としてあった。この時の陸軍の対南方戦構想とは、対戦国をイギ
リス1 国に限定できるという判断に基づいていたのである8。
これに対し、海軍は「極東での英領攻略は対米戦につながる」という考え、すなわち
「英米不可分」という立場にあり、これは海軍の伝統的な英米観でもあった。したがっ
て、この立場の意味するところは、先の企画院の国力検討において対英戦に限定しても
戦争遂行の国力にかなりの限界があるということから、ましてアメリカとの戦争をも含
む米英同時の対南方戦など成り立たないということであった。吉田海相が企画院の国力
調査への不関与を厳命したのも、こうした海軍の認識が関係していたと思われる。しか
し、だからといって海軍は「時局処理要綱」決定に必ずしも反対していたわけでもなか
った。海軍は、この際、対英戦の開始が対米戦の危機をもたらすという面を強調し、対
米戦備の充実を訴えるという組織利益の増大にむしろ走っていたのである。
こうした南方政策については、その後同年9 月に日独伊三国同盟が締結され、ヨーロ
ッパでの情勢がそれまで以上に日本への影響を強くする中で、同年末以降、陸軍内でさ
らに検討が進められることになった。そこで重要となったのが、それまでの「英米可分」

467 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 14:05:07.41 ID:???
の前提がなお成り立つのかという問題と、米英二国との戦争となった場合の国力の問題
であった。その結果は、「対南方施策要綱」として、約半年後の翌1941 年6 月6 日に最
終的に陸海軍統帥部で決定された。その結論を、上記2 つの問題に即して言えば、「英米
可分」の考え方はもはや通用しないものとして捉えられ、そして対米英戦争については
「帝国の物的国力は対米英長期戦の遂行には不安」であり「輸入途絶により液体燃料を
中心に経済的抗戦力に懸念を生ずる」というもので、したがって「好機に投ずる南方武
力行使は無し」とするものであった。そして、この「要綱」では、日本の南方施策は「外
交的施策により」その「目的の貫徹を期するを本則とす」、すなわち「米英との戦争にな
らない範囲で南進する」ということが原則とされた。ただし、@英米蘭等の対日禁輸に
より帝国の次損が脅かされた場合、およびA米国が単独で、もしくは英蘭支等と共同で
対日包囲網態勢を加重し我が国の国防を脅かす場合には、「自存自衛のための武力を行使
す」と定められていた。しかし、この決定での重点は、あくまで「英米との同時戦争に
ついては、国力上戦争計画は成り立たない」ということだったのである。
こうした「要綱」決定を経て、その対南方施策のひとつの大きな実行をとして行われ
たのが、翌7月末の日本軍による南部仏印進駐であった。そして、これは、「要綱」の中
の原則に沿う、日本側の判断ではあくまでも「戦争に至らない範囲」の南進策だったの
である9。しかしながら、この日本の行動に対するアメリカ側の反応は、よく知られてい

468 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 14:05:46.67 ID:???
るように、石油の全面禁輸という非常に強い形で現れて来た。アメリカの対日態度は、
その前月・6 月末の独ソ開戦により、より強いものになっていたこともあるが、日本側
は南部仏印進駐に対するこのアメリカ側の強硬な対抗姿勢を読み取れていなかったので
ある。そして、その結果としての石油の全面禁輸は、明らかに「対南方施策要綱」の自
衛戦争発動の要件をなすものになった。しかも、時がたち、日本に石油の備蓄がなくな
れば、その自衛戦争すら発動できなくなる運命に日本は追い込まれたのである。こうし
て、9 月6 日の御前会議において、本来は戦争計画が成り立たなかった対英米戦争につ
いて、その決意を固めざるを得なくなったのであった。
3. 山本戦略の位置づけ
こうして日本は、1941 年12 月8 日、対米英蘭開戦に踏み切っていくことになるが、
この「戦争計画なき開戦」とも言える状況の中で、大きな困難に直面した1 人が、山本
五十六聯合艦隊司令長官であったということができよう。この開戦での最大の対戦国で
あるアメリカとの戦いは、まさに海軍が主担任すべき正面だったのであるが、その成否
は大きく聯合艦隊の作戦如何に関わっていたからである。
ただし、この戦争計画が十分立たなかったような戦争を、どういう作戦で戦えばいい
のか。もちろん、海軍の作戦行動の基本としては、年来の「年度作戦計画」が存在して
おり、昭和16 年度の作戦計画の中には、確かに対米英蘭蒋戦争に当たる「対支作戦中米
国英国蘭国と開戦する場合の作戦」計画が含まれていた。しかし、山本はとくにアメリ
カへの作戦について、この16 年度計画とは異なる計画を別途練り上げていたのである。

469 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 14:07:32.20 ID:???
山本は、1939 年8 月末に、海軍次官から聯合艦隊司令長官に着任していた。そして、
その約1 年後に、山本がアメリカとの戦争誘発を恐れて次官時代に反対していた日独伊
三国同盟が締結された。その頃から、山本はアメリカと開戦となった場合の作戦につい
て本格的検討を始めたと言われている。ただし、その作戦は、山本のそれまでの経歴か
ら、特異な作戦思想を持つものであった。一言でそれを言えば、海軍の中心的な作戦思
想が、伝統的に大艦巨砲主義的な「戦艦主兵」論だったのに対し、山本は「航空主兵」
論者だったということである。山本のこの考えは、1930 年代における海軍航空本部技術
部長および航空本部長としての勤務を通してより確信的になっていたが、すでにそれ以
前の段階でも明確に意識されていたものでもあった。1930 年、日本海軍が海軍軍縮問題
でアメリカへの反発を一層強めたロンドン会議に次席随員として参加していた山本は、
この時「劣勢比率を押し付けられた帝国海軍としては、優秀なる米国海軍と戦うとき、
先ず空襲を以て敵に痛撃なる一撃を与える」10との意見を末次信正軍令部次長に書き送
っていたのである。すなわち、彼の「航空主兵」論は、対象として明らかにアメリカを
念頭に置いたものだったのである。
これに対し、軍令部の伝統的な作戦計画は、日露戦争での日本海海戦における聯合艦
隊完勝の栄光の下、まさにその「戦艦主兵」思想を引き継ぐものであった。対米英蘭開
戦へとつながる昭和13 年度以降の年度作戦計画における対四国作戦でも、基本的にアメ
リカもしくはアメリカ海軍との戦いは、第一段作戦においてまず極東所在の敵艦隊を撃
滅し、次に第二段作戦以降に敵艦隊主力が極東方面に進出するのを待ち、これを日本の
主力戦艦部隊で迎え撃ち撃滅する11、というのであった。そして、この主力艦隊同士の
決戦における勝利は、日露戦争のごとくに、戦争全体での勝利を呼び起こすことが期待
されていたとも言えよう。しかし、この作戦構想には、その実行に当たって、ひとつの
大きな日本側のとっての弱点があった。それは、主力艦隊の決戦時期をアメリカ側が自
由に選択できるというものであった。

470 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 14:09:03.72 ID:???
日米海軍は、すでに1930 年代後半を通して、日本の海軍軍縮体制脱退に端を発する、
激しい建艦競争を始めていた。その結果、1940 年代の前半期の日米海軍バランスは、時
がたつとともに膨大な国力を持つアメリカの絶対優位が確実になりつつあった。したが
って、アメリカがその艦隊決戦の時期を後にずらせばずらすほど、日本側に勝利の見込
みはなくなるのであった。そして、そのタイムリミット、すなわち日本側に勝利の可能
性がある期限は、1941 年の段階ですでに刻々と迫りつつあった12。また、仮にアメリカ
側が開戦後早期の艦隊決戦を求めてきたとしても、その時期と場所はやはりアメリカ側
が自由に選ぶことができた。日本は、この戦争の第一段作戦において、戦争遂行のため
に必要不可欠となる南方の資源地帯を確保することとしていたが、もし、この南太平洋
までをも含む広い地域に聯合艦隊が展開している時期にアメリカ主力艦隊の攻撃を受け
た際には、日本側はこれに対抗することは非常に困難になるのであった。聯合艦隊はア
メリカ艦隊だけを敵としている訳ではなかったからである。
開戦劈頭における、山本の航空母艦部隊の集中使用によるハワイ真珠湾のアメリカ主
力艦隊に対する奇襲攻撃は、こうした問題に対する的確な対応策だったと言える。もち
ろん、こうした作戦を構想できたのは1930 年代を通して航空戦力に着目していた山本な
らではのものであった。しかし、これに対して、初度国防方針の制定以来、年度作戦計
画作成を続けてきた軍令部は、強硬に反対した。その理由のひとつには、このハワイ作
戦が非常に危険な賭であったということもあったが、基本的には従来からの「戦艦主兵」
論による艦隊決戦思想から抜け出ていなかったからであろう。結局、上級司令部である
軍令部が聯合艦隊のハワイ作戦を認めたのは、41年9〜10 月の段階に至ってからであり、
それは、この戦争の海軍作戦を最終的に定めた「帝国海軍作戦方針」が天皇の裁可を受
ける11 月5 日の直前のことだったのである。

471 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 23:01:36.72 ID:???
むすび
山本のハワイ作戦は、この戦争の唯一の戦争計画であった「腹案」の中でも、重要な
一支作戦として位置づけられた。この戦いでは、まず戦争遂行上不足する資源地帯を確
保して、そこで長期自給自足の態勢に入ることがグランド・デザインであった。その最
初の段階で、ハワイ作戦はまさに南方資源地帯確保に対する最大の懸念であったアメリ
カ艦隊の脅威を取り除く意味を有していたからである13。そして、このハワイ奇襲の大
成功もあって、日本軍は開戦数ヶ月の間にこの資源地帯を確保することに成功した。「腹
案」と山本作戦の齟齬は、しかしながら、この後に表出することになった。「腹案」では
南方資源地帯確保後は、その後の長期戦に備えて自給自足態勢を整えることすなわち「守
勢作戦」に回ることが意図されていた。しかし、山本聯合艦隊司令部は、引き続き戦線
を拡大する「攻勢作戦」を主張したのである。そこには、真珠湾で撃ち漏らしたアメリ
カ空母部隊への懸念もあり、そしてその脅威は東京初空襲で確かに顕在化もしており、
また、アメリカの膨大な軍艦建造能力からしても、出てくる敵を常に叩き続けなくては
ならないという切迫感もあったと言えるかもしれない。1942 年6 月初旬のミッドウェー
作戦の実施を山本はこうして強く求めたのであった。
もちろん、この戦線拡大というミッドウェー作戦に対して軍令部は再び強く反対した。
そして、今度の対立では、「腹案」という戦争の全体計画からしても、軍令部側に理があ
るはずであった。しかし、真珠湾以降の山本聯合艦隊司令部の勢いは、この反対を再び
押しのけるに至ったのである。しかしながら、その結果は、よく知られているように、
開戦以降連戦連勝の主力空母4 隻を一挙に失い、太平洋戦争そのもののターニング・ポ
イントにもなるという大敗北であった。
ここで、最後に、あくまでも仮定の話になるが、ミッドウェーでも日本は負けずに、

472 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 23:03:20.63 ID:???
さらに聯合艦隊がその後も「連続決戦」を求めるという戦い方で、はたして日本側に戦
争の勝利への可能性があったかという問題について少し考えてみたい。そもそも、この
対英米蘭開戦は、これまで説明してきたように、日本の中でだれもその「勝利の計画」
を描き切れていなかったのである。それでは山本はどうだったのか。
その答えのひとつのヒントは、1941 年初頭に山本が及川古志郎海軍大臣に出していた、
ハワイ作戦の実施を強く求めた手紙の中に現れていた。「軍備に関する意見」14というこ
の意見書には、日米開戦について次のように記されていたのである。
日米戦争に於て我の第一に遂行せざるべからざる要項は開戦劈頭敵主力艦隊を猛撃撃
破して米国海軍及米国民をして救う可からざる程度に其の志気を喪失せしむること是
なり
(中略)
日米開戦の劈頭に於ては、極度に善処することに努めざる可からず 而して勝敗を第
一日に於て決するの覚悟あるを要す
もちろん、開戦第一日のハワイ奇襲での、あれだけの戦果にもかかわらず、日本の勝
利は全く見えてこなかった。山本にしても、この戦争での「勝利の計画」は、やはり描
けていなかったのである。
14

473 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 23:11:06.30 ID:???
1914(大正3)年に始まった第一次世界大戦
に主戦場から遠い極東の地において参戦した日
本は「漁夫の利」的な勝利を手に入れ,世界の
大国の一角を占めるに至った。しかし,国内に
目を転じれば1918(大正7)年の米騒動や
1920(大正9)年頃からの不況,など世情は不
安定になっていった。そして昭和の声を聞く頃
から軍事化が進行,アジア諸国を自国の防衛線
とみなした上での軍事的侵略が恒常化していっ
たのである。経済は1930(昭和5)年の金解
禁によって大恐慌となる。1931(昭和6)年に
は満州事変が起こり,翌年の満州国建国を巡っ
て日本は国際的に孤立,国際連盟を脱退する
(1933)。1939(昭和14)年に第二次世界大戦
勃発
ぼっぱつ
,1941(昭和16)年には日本自らが戦端
を開き太平洋戦争が起きる。こうした激動の時
代に心理学(者)はどのような役割を果たした
のだろうか。
現場には様々な形態がある。心理学者たちは
ある時点でのある立場からの要請に応えようと
した結果,今日から見れば望ましくない事業に
協力した場合もあった。以下では,優生学なら
びに軍業務及び教育と心理学の関係について検
討する。もちろん,関与した人々を一方的に非
難するものではない。しかし,やはりこうした
活動について語らなければいけないのである。
もし書かなければこうした活動が存在しなかっ

474 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 23:12:40.75 ID:???
戦前の日本は後発工業国であり、当時の日本の工業は軽工業が中心であった。重工業
は造船分野でのみ発達しており、精密機械工業などはほとんど根付いてはいなかった。
さて、昭和初期の日本は満州事変、日中戦争と欧州において第二次世界大戦が勃発す
るなど軍靴がきこえる時代であった。そして、この数年後に日本は米・英・蘭・中を中
心とする連合国に対し宣戦布告し、太平洋戦争へと突入するわけであるが、日本の重工
業はいまだ未熟であった。とくに航空機産業は当時の最先端技術の頂点であり、当時の
日本の工業力では容易に進出できる分野ではなかった。
しかし実際には、日本の航空機産業は当時の他産業とは不釣合いなほどに大躍進を遂
げていた。戦争初期には海軍の零式艦上戦闘機や一式陸上攻撃機、陸軍の一式戦闘機隼
が米軍を圧倒し、また戦争後期には年間3 万台を越えるエンジンを生産することができ、
戦後の米戦略爆撃調査団の調査において日本の資源の乏しさや技術水準の低さを考え
ると「日本の努力は称賛に値する」1と報告している。これは当時の日本の工業力を考
えれば到底出来るはずのなかったことである。そこで本論文では、この奇跡とも言える
日本の戦時航空機産業の発展を実現した三菱重工業、中島飛行機両社がどのような経営
を行っていったのかを追っていき、また両社にどのような相違点があったのかを明らか
にしたい。
航空機産業には機体製作とエンジン製作がある。機体の開発は、受注ごとにその発注
内容を踏まえその都度設計される要素が強く、生産においては各部品や素材を組み合わ
せるアセンブリー産業といえる。それに対してエンジンの開発では、求められる性能は

475 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 23:13:54.61 ID:???
重量あたりの馬力と稼働率だけであり、絶え間ない技術開発の蓄積であるといえ、生産
では機体生産と違い精密機械工業の要素が強い。
今回は戦前の航空機産業における設計と生産における技術力の蓄積をテーマに据え
るため、航空機産業における機体とエンジンの両部門の性格を踏まえ、技術の蓄積要素
の少ない機体の設計・生産の部分は、省略する。
なお、このような戦前の航空機産業を経済、経営的視点から取り上げた先行研究は意
外に少ない。また、生産技術に深く踏み込んだ先行研究として多いのは、エンジンでは
なく航空機の機体製造に関してであり、エンジン生産となると数は非常に限られている。
なおかつ、2 社を比べながらの研究というのは大河内暁男氏の『中島飛行機とロール
ス‐ロイス―戦間・戦中期の技術開発と企業化―』以外ついに見つけることができなか
った。戦前日本の航空機生産の双璧である三菱と中島を比べながら、二社の技術的発展
をさぐるのは経営史的に非常に意義のあるものだと感じた。
なぜ、三菱と中島なのか簡単に確認しておく。
表1は戦時中に日本の各メーカーが生産したエンジンと機体の累計数である。これを
見るにエンジンに関しては三菱、機体に関しては中島がそれぞれトップに君臨している
が、機体もエンジンも三菱と中島の寡占状態であることがすぐにわかると思う。特に、
参入障壁の高いエンジンについては三菱と中島で6 割以上のシェアを握っている。
この2 社は互いに何を競い、またどこでどのような選択をし、工業後進国の日本を、
一時的とは言えども、航空機大国にまでのし上げたのかをみることは非常に意義がある。
ここで重要なのは比較である。本論文では2 社を比較することによって戦時日本の航
空機産業を紐解いていくことを忘れないでいただきたい。

476 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 23:15:06.07 ID:???
第1 章 2 社の設立経緯
1−1、中島知久平と中島飛行機
中島知久平は1884 年1 月11 日、群馬県新田郡尾島村押切で中島家長男に生まれた。
生家副業として養蚕あるいは藍の栽培や仲買をする普通の農家であった2。
知久兵は1903 年に横須賀の海軍機関学校に第十五期生として入学した。在学中に日
露戦争を終結させた日本海海戦と、ライト兄弟によるガソリンエンジンによる世界初の
動力飛行が実現する、という画期的な出来事があった3。この二つの事件が若き知久平
に大きな影響を与え、後の中島飛行機につながることはいうまでもないであろう。そし
て当時から飛行機の可能性に大きな関心を寄せていたが、未だ兵器としての飛行機が完
成していなかった時期に飛行機の可能性を見出し、日本海海戦の大勝利直後にもかかわ
らず艦船建造主義を批判した知久兵は先見の明があったといえる4。
1909 年、陸軍と海軍は共同で臨時軍用気球研究会を発足させ、1911 年に海軍大学の
専科学生の知久兵はその御用係になった。ここから知久兵の航空機分野におけるキャリ
アがスタートする。1912 年には海軍航空術研究委員会の正式メンバーとなり、7 月か
らアメリカに4 ヶ月間派遣され、委員会が購入予定のカーチス式飛行機のメンテナンス
技術の習得を行った5。しかし、アメリカ派遣中に知久兵が命令にはない飛行機の操縦
免許を取得したため、帰国後に一時問題になるという部分もあった6。
1913 年、知久兵は横須賀鎮守府海軍工廠造兵部の部員になり、飛行機の製作・修理
工場新設の主任となる。1914 年には造兵監督官に任命され、フランス航空業界への視
察も命じられ、フランスからの帰国後横須賀海軍工廠飛行機工場長になった。知久兵は

477 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 23:16:30.63 ID:???
既に航空分野における海軍の中堅技術者となっていた。その後の約二年間、中島知久兵
はカーチス式エンジンを搭載したファルマン式飛行機や独自の複葉機を作ったりして
いたが、1916 年の秋ごろから現場を離れた。
これは、軍部内では飛行機に対する関心はあったものの中島知久兵の理想とは異なり、
知久兵の飛行機分野での活躍を正当に評価できる人材がいなかったことから、「出る杭
は打たれる」というように知久兵にとって海軍は居心地のよいところではなかったから
といわれる7。そして1917 年に知久平は海軍を退役した8。
海軍を退役した知久平はいよいよ航空機会社の旗揚げをするが、自分の思い通りに活
動することの困難さを味わってきたことから、自分の行動に制約が加わるかたちでのス
タートは避けたかった。そこで、元朝日新聞記者の小山荘一郎の仲介で神戸の穀物卸問
屋の石川問屋を営む石川茂兵衛が知久平に二万円を出資することになったときに、中島
知久兵の活動に制限をつけないことを条件とした。そして、海軍時代の部下だった栗原
甚吾と栗原を通じて佐久間一郎らがメンバーに加わった。この二人は終戦まで中島飛行
機で重役を務め、元老と呼ばれることとなる。
知久兵の郷里の群馬の養蚕小屋を借り1917 年8 月ごろから機体とエンジンの製図作
業などの活動を始め、12 月には太田町の東武鉄道所有の博物館に使われていた洋館を
買収し、『飛行機研究所』を設立し、やがて『中島飛行機製作所』に改称される9。
翌年、知久平に出資した石川家が大戦終了後の恐慌により破産し、1918 年に毛織業
を営む川西が資本参加することとなった。これを受けて、合資会社『日本飛行機製作所』
に移行することとなった。資本金は75 万となり、石川商店が10 万円、中島の設備等
が15 万円とみなし、残りの50 万を川西が出資した10。
しかし石川と違い、川西の場合は出資金に応じた分だけ中島に制約が加えられた。合

478 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 23:18:12.09 ID:???
資会社『日本飛行機製作所』の社長には石川清兵衛が就任し、所長には中島知久兵が就
任した。社長の川西清兵衛は神戸に留まったので実質的には知久兵が第一人者となった
が、清兵衛の息子とその友人で日本郵船出身の坂東舜一が目付け役として送り込まれた。
このことから会社運営は必ずしも知久兵の思い通りにはいかず、中島側と川西側とで対
立が生じることとなった。その後も中島側と川西側との間での意見の相違など溝は埋ま
らず、1919 年に新田銀行(群馬銀行)からの10 万の融資と陸軍への納入した飛行機の
入金分で工場施設を買い取り、川西との提携を解消、社名を再び中島飛行機製作所に改
名することとなった11。
自分の行動に制約が加えられる状態を二度と味わいたくないという知久平の思いが
そこにあった。ちなみに、川西側はその後日本飛行機製作所のときに得た飛行機製作の
ノウハウと人材を使い川西航空機を設立する。
1919 年4 月、中島飛行機製作所の初の受注が陸軍から入り、20 機の受注に成功した。
また、このとき三井物産を通して陸軍に納入することとなったが、これ以来中島は三井
物産との関係を深め、このことで会社の信用を高め、銀行からの融資を受けやすくなっ
た。また、以降の海外との取引は三井が契約をまとめることになった。これらにより三
井・中島連合が成立し、三菱と対比する構図ができた12。
1−2、三菱神戸造船所からの多角化
三菱合資会社では大正のはじめごろから長崎造船所で国産ディーゼル機関の研究が
始められた。そして1916 年、神戸造船所内に内燃機課が設置し、自動車と航空機の研
究を開始し、内燃機工場の完成と同時に1917 年に内燃機部に昇格した。
1919 年には神戸内燃機製作所として独立することとなった。1920 年、さらに三菱内

479 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 23:18:56.31 ID:???
燃機製造株式会社として独立し、翌年名古屋に航空機と自動車生産用の新工場が完成し
たことで神戸の内燃機工場はディーゼル機関専門の神戸分工場となり、航空機と自動車
部門は名古屋大江地区に移転した。完成した名古屋の航空機工場は海軍航空機の指定工
場となった。同年1921 年社名を三菱内燃機株式会社に改名し、22 年には名古屋の自動
車部門がさらに東京に移転したことで名古屋の製作所は航空機専門の工場となった。
そして、1928 年5 月には三菱内燃機株式会社は三菱航空機株式会社となり、神戸分
工場は神戸造船所に合併され、所管だった芝浦分工場も戦車製造の東京製作所に移管と
なったことでいよいよ完全に航空機製作に専念することとなった13。
このように三菱は航空機専門の新工場を新設するなど航空機分野への思い切った進
出をするが、この頃の三菱は同じ内燃機でも自動車への進出を断念している。それには
一つは国内の自動車市場の小ささと国際競争力の欠如であり、もう一つは軍需による航
空機の安定需要の存在だといわれている14。
1934 年、三菱は全面的な組織改編を行い、三菱造船と三菱航空機株式会社は合併し
三菱重工業となり、名古屋の航空機部門は名古屋航空機製作所となった15。
1−3、財閥系企業三菱と新興企業中島
以上が中島知久平の来歴と中島飛行機の設立経緯、そして三菱重工業における航空機
産業への参入経緯である。
これら設立過程や経緯から両社の決定的な違いがふたつわかる。ひとつは、三菱は周
知の通り大財閥の一員であり、中島はそうではなかったということだ。
戦時体制に向けて1930 年代から大戦激化の1945 年までのあいだ、両社は急激に工

480 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 23:20:23.91 ID:???
場拡張や新設などの必要に迫られる。三菱は自己資金および、同系銀行に依存すること
ができたといわれる16が、中島は資金をどうやって確保したのか。中島は資金をほとん
ど銀行からの借入に頼っていた。1931 年、株式会社への改組時に中島飛行機の資本金
は半額払込の1200 万であった17。ちなみに株式会社への改組理由は航空機需要急増を
受けて工場拡張するための資金調達には法人が便宜であると考えたためだという18。
1934 年の太田工場拡張時は見払込金を徴集してその資金とし、このときに1200 万円
全額払い込みとなった。
1937 年3 月のときの増資では、資本金は2000 万円になった。(増資額800 万のうち
200 万は中島商事合併による)この増資は社債発行限度を1 億に引き上げ、それによっ
て設備投資資金を調達しようとした。しかし、実際は1938 年に1000 万、翌年2000
万の計3000 万に過ぎなかった。理由は、証券市場の情勢の変化もあるが、中島飛行機
の名前と価値が知られていなかったために思うように売れなかったのだという19。そこ
で38 年11 月にさらに資本金を全額払い込みの5000 万とした。しかし、これに株主で
あった中島一族も耐えられなくなり、第一銀行から500 万、日本興業銀行から2500 万
を借金して払い込みを完了した20。
1939 年6 月には『国家総動員法』第11 条により、日本興業銀行からの命令融資8000
万円をうけるなど度重なる命令融資を受け、1945 年8 月末には27 億円にものぼったが、
そのほとんどは日本興業銀行からの借入だった21。
一連の融資をまとめると表2のようになる。

481 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 13:37:15.83 ID:???
このように、中島飛行機の資本は銀行からの借入がほとんどであり、社債の発行は思
うようには行かなかった。株式会社ならば、株式市場における公開と増発が効果的であ
るはずだが、中島の自分のやることには一切制約をかけたくないという精神から株式は
ほぼ全て中島一族が持ち(表3参照)、個人的経営かつ閉鎖的同族経営となった22。
そして、もう一つの両社の違いは航空機とそのエンジンの捉え方だ。
まえに見てきたように、中島は中島知久平が設立し、その後は一貫として閉鎖的な経
営が維持され中島知久平のワンマン経営となっていた。資本の確保には銀行からの借入
に頼らなければならない状況にあるなど問題もあったが、知久平の嫌う『制約』はかか
らず、また意思決定が迅速になるなどの利点もあったであろう。
だが、この経営によって中島飛行機は中島知久兵の願いを満たしていた、とするなら
ば、中島飛行機は『兵器』として航空機とそのエンジンを作っていたといえる。つまり、
そこには国防に役立たせるという目的のみであって営利というのは二の次となる。
それに対して三菱は、神戸造船所からの独立が基礎である。つまり、三菱の多角化戦
略の一環としてスタートしており、生産しているものはあくまでも『製品』である。つ
まり、質の良いものや性能のよいものを作る、ということと同じくらい低コスト化など
の価格面や生産での無駄のカットにエネルギーを費やしていたといえる。
この両社の違いはこれからも明らかになっていくので、また最後に確認をしていきた
い。

482 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 13:38:02.93 ID:???
第2章 エンジンの設計・開発過程
この章ではエンジンの開発能力とその設計思想をみていく
まず、日本の航空エンジンの開発の歴史には3 つの段階があるという23。
第一段階は輸入時代であり、第二段階は模倣時代、そして第三段階には自立時代であ
る。
輸入時代では、欧米で生産された完成したエンジンを製品として輸入し、航空機に搭載
して運用していた。この時代には、中島も三菱の内燃機部門も存在せず、軍部が研究用
に少量を輸入していた。
だが、1915 年ごろから軍工廠を中心に輸入エンジンの分解、研究が始められ、ライ
センスを購入して国内で生産するということが出来るようになった。この時期区分を模
倣時代としている。そしてこの時代に三菱と中島はエンジン開発の第一歩を踏み始めた
のである。
2−1、模倣時代
航空機産業における動力部門から参入した三菱は、機体よりもまずはエンジン開発か
ら始めた。
1916 年、三菱は航空エンジンの初仕事として海軍からルノー社製V 型空冷式八気筒
70 馬力エンジンの試作要請を受けた24。しかし、社内には航空機用発動機の製造経験を
持つものが一人もおらず、海軍横須賀工廠造機部に2 ヶ月間にわたって見学と実習を行
わせて関連の技術を習得させることにした。そして、1918 年の夏にルノー発動機の初
号機を神戸工場で完成させることができた25。
だが試運転をしてみると短い連続運転にも耐えられないというありさまだった。そし
てエンジンの改良、改修に関しても、三菱の技師には不具合の原因の見当もつかないの
に、海軍工廠の技師が手を入れると簡単に直るありさまだった26。三菱のエンジン技術
はまだまだ発展途上であった。このように三菱の航空エンジンの技術の始まりは、軍か
らの援助に頼りながらの空冷式エンジンの試作であった。

483 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 13:39:10.13 ID:???
一方の中島では設立当初の1917 年に機体の設計と共にエンジンの図面作成を行って
いた27。このときは佐久間一郎が第一次大戦中に青島で鹵獲したドイツのルンペラー製
タウベ機に搭載されていたベンツ70 馬力エンジンの見取り図を元に図面作成を行って
いた。しかし、当時は人手不足と設備の不備から棚上げになってしまい、エンジン試作
のためにアメリカから購入した工作機械は川西との提携解消の際に川西側に渡ってし
まった28。
このため、中島のエンジン開発はしばらく先送りとなり、初期の中島はもっぱら機体
開発となった。
話は再び三菱に戻る。
海軍からの要請によりルノー式エンジンの試作を行っている最中の1917 年12 月、
内燃機とくに航空機エンジンの開発生産のための会社体制が次第に整備されていく中、
どの形式のエンジンを自社製品とするかの調査が進められていた。その結果フランスの
イスパノ・スイザ社との間に水冷式200 馬力と300 馬力エンジンの技術提携を実施す
ることが決まり、1919 年に神戸造船所において製作が開始された29。同社の選定理由
は、当時進行中であった第一次大戦においてフランスの航空技術が高く評価されており、
同社のエンジンを積んだスパッド戦闘機が優秀な性能を発揮し戦局に大いに貢献して
いたことだという30。当時のイスパノ・スイザ社製エンジンは前面抵抗が少なく、重量
のわりに大馬力が出せるエンジンであった。
三菱が製造権を購入したエンジンは減速歯車付のものだったが、これは製造が非常に
難しく、イスパノ社でも減速歯車のトラブルに悩まされるくらいのものであった。三菱
がなぜ、減速歯車付を選んだのかというと、回転数を低くすることでプロペラ効率を高
くすることが出来ることと、軸心に威力の大きいカノン砲を通せることに魅力を感じて
いたからだという31。1920 年11 月に初号機が完成するが、減速歯車が次々と破損する

484 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 13:40:14.26 ID:???
トラブルが発生し、設計変更を繰り返した後に国産材料へと変えてやっと解決したとい
う。その後、量産に移行し200 馬力型は154 台、次の300 馬力型と450 馬力型は1919
年から1934 年までに1100 台以上が生産された。とくに450 馬力型はこの頃の三菱の
製作技術が成熟してきたことから完成度も高く、他社製作機にも広く使用された32。
こうして三菱は今後、水冷エンジンを中心に製造権の買取を進め、生産をしていく。
また、この二つのエンジンの気筒径と行程はのちの金星エンジンに活かされることとな
る33。
さて、設立当初は図面作成で終わってしまった中島も1924 年、エンジン製作に乗り
出すこととなる。その理由としては、軍部からの飛行機の受注が安定し、資金投入のめ
どがつけられたことだという34。
横須賀工廠造機部出身の佐久間一郎は設立当初のメンバーの中でエンジン専門担当
であったことからエンジン開発は佐久間が中心となって進めていくことになる。中島飛
行機でのエンジンの製作・生産はこれまでの群馬の太田ではなく、エンジン専用の新工
場を東京につくり、そこで行うことになった。東京工場は1925 年に荻窪に完成し、工
場長には中島喜代一が就任し佐久間も東京工場に配属になった35。最初に作られること
となったエンジンはフランスのロレーヌ社製W 型450 馬力水冷エンジンのライセンス
生産であり、中島では1924 年に400、450 馬力の製造権とそれぞれエンジン一基を三
井物産経由により30 万円で購入していた36。
実際の生産を始めるにあたって、海軍の広島軍工廠でロレーヌ式エンジンを既に試作
していたことから関連技術をもつ技術者を中島に派遣している。しかし、この広島から
の技術者と設立以来の横須賀軍工廠出身の技術者との間でトラブルもあったという37。
また、ロレーヌ社から技師3 名が技術指導のため来日もあった。当時の工作機械は約
190 台、従業員は約80 名だったという38。
こうして中島のエンジン生産は始まったのだが、このときに中島で生産したのはエン

485 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 13:42:11.00 ID:???
ジン本体であり、補機類は海軍から支給され、排気バルブなどはフランスから輸入する
など必要な部品はまだ自前では用意することが出来なかった39。生産はロレーヌ式の
400 馬力から始め、1927 年には450 馬力の生産にも成功し、3 年間に400 馬力型450
馬力型合わせて127 機を生産した40。
中島がロレーヌ式エンジンの次に製造権を買ったのはイギリスのブリストル社製ジ
ュピターエンジンのライセンス権であった41。1925 年12 月のことであり、まだロレー
ヌ式の生産が可能になる前だった。契約は三井物産が仲介し、三井から中島が製造権(購
入金額30 万円)を買い取るかたちがとられた42。このジュピターエンジンは空冷星型
エンジンの定型を確立した名エンジンであり、後にイタリア、ドイツ、フランス、スイ
ス、ベルギー、チェコスロバキア、ユーゴスラビアの七カ国でライセンス生産されるほ
ど評価が高かった43。そして中島の技術者は、このジュピターエンジンから航空エンジ
ンの真髄を教わることになった44。1927 年にはイギリスから3 人の技師が技術指導の
ため来日し、中島最初の空冷星型エンジン465 馬力ジュピター6 型の試作が開始され、
28 年秋には生産を開始した45。
このように、中島でのエンジン製作は水冷から始まったが、ほぼ同時期に空冷エンジ
35 同
ンの製作とライセンス生産も始めており、しばらくは水冷と空冷の両建てで研究、生産
が行われる。ロレーヌ式エンジンの生産は1929 年末をもって打ち切られ、以後の中島
のエンジン生産は空冷に集中することとなる。しかし、エンジンの試作は水冷も空冷も
1942 年まで併行して行われた46。
三菱はどうだったであろうか。
製造権を買い取ったイスパノ・スイザ式エンジンの生産が軌道に乗っていた。この頃
の三菱のイスパノ・スイザ式エンジンは会社の看板であり、『水冷の三菱』『イスパノの
三菱』と呼び声も高く、社業としても順調に伸びていた47。
しかし、馬力が上がり搭載機体の運用方式がより複雑になるにつれて原因解明が困難
なトラブルが増加した48。1931 年にはイスパノ・スイザ式650 馬力型が完成するが、

486 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 13:43:23.66 ID:???
このエンジンになってからは重大なトラブルがさらに続くようになり、遂には顧客であ
る軍部から『使用に堪えず』という烙印まで押されてしまう。イスパノ650 馬力型は
1931 年から1935 年にかけて271 台が製造されたが、本発動機の不評により三菱の発
動機部門は次第に沈滞し、工場の操業度も極端に落ち、三菱航空機は大きな苦難の時期
を迎えることとなる49。
2−2、自立時代
欧米からエンジンの製造権を購入して国内で生産するライセンス生産の形式が今ま
でとられていたが、30 年代には欧米の技術に頼ることなく設計から国産とする動きが
出てきた。 1931 年に海軍によって航空技術自立計画が進められたことも大きく関係
する50。
このエンジン自主開発競争において、中島と三菱はどのような経緯をたどったのかを
みていく。
中島はこれまでライセンス生産を行ってきたジュピター6 型エンジンを元に1927 年
から星型空冷エンジンの自主開発を開始した。だが、始めの4 つの試作エンジンNAA
からNAD は図面を書いただけで中止されたため、これは練習程度のものだといわれる
51。ちなみに中島のエンジンの社内呼称は、中島のN、空冷か水冷かでA かW、そし
て最後に番号としてA から順番にアルファベットがふられていく。次のNAE は1929
年に設計され、試作も完成し性能運転まで行ったが、独創的過ぎるところがあったらし
46 中

487 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 13:44:03.67 ID:???
くこのエンジンにその後の改良は加えられなかった52。
1929 年にはさらにNAH 型の設計を開始し、ジュピターエンジンの生産で培った技
術を盛り込み1930 年6 月に完成した。このNAH 型には、ジュピターの読みを取り、
『寿』と名づけられた53。エンジンの調子はよく、1931 年には海軍の制

式採用となっ
た54。
その後も中島は空冷エンジンを中心に『光』『栄』『護』などを開発していき、大戦後
期には『誉』を開発・生産した55。
一方の三菱はイスパノ式エンジンの不調に悩まされ続け、改良も思うように進まなか
った。
そんな中、海防義

会からの大馬力空冷式発動機の開発委託をうけて社内呼称A1 エン
ジンの自主開発を開始した。試作は1929 年に完了するが、運転状況は極めて悪く、改
良の余地も見出せぬままに終わった56。
その後、次は海軍から競争試作のかたちで試作命令が出され、これに対し1929 年A
3(600 馬力級)の計画を進めることとした57。また、同時並行にA4(800 馬力)の
開発も進めた。しかし、A3は運転状況が極めて悪く改善の期待も薄く、A4 は試作完
了時は好調だったものの試験が進むにつれて故障が続出し、製品として生産もされたが
1935 年には未完成のまま生産を終了することとなってしまった。
1929 年から1934 年の6 年間、この時期の三菱はライセンス生産もエンジン自主開
発もうまくいかず、三菱は数百万円もの研究試作費を投じるも満足のいくエンジンが結
局完成できず苦境に立たされる58。『三菱の発動機は何処へ行く』とまでささやかれる
ようになったという59。

488 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 13:45:21.96 ID:???
1933 年6 月、発動機部機械課長に深尾淳仁が着任し、翌年には発動機部長に任命さ
れる60。深尾は低迷する三菱を立て直すべく、生産・設計現場の問題を分析し、また海
外の情報を集め、英米独仏の各種エンジンの調査を行った。その結果、陸海軍がそれぞ
れ異なった仕様、性能を要求していることと、軍の干渉を受けながら別々の担当者が開
発を行っていることが問題であると分析した61。ここから三菱の起死回生のためには、
軍の要求を受けるのではなく、三菱が独自にエンジンを開発し両軍から受注を得ること
と、その独自開発エンジンは各国のエンジンのいいところを抽出して作ることを考えた。
そしてそのための具体策として、陸海軍でエンジンを区別しない、軍との合作でない独
自の設計をする、海外の例に従い水冷か空冷のどちらか一方に開発を絞る、という目標
を立てた62。
水冷か、空冷か、という議論は量産が容易であることなどの理由から空冷に絞る方針
を立てた。しかし、当時の三菱は『三菱の水冷、中島の空冷』といわれるほど評価が固
まり、また1934 年にイスパノ・スイザ社と新型水冷エンジンのライセンス契約を交わ
した直後だったので空冷への大転換には反対の声が大きかった63。これに対しては実績
で示すほかない、ということで1934 年12 月に独自の方針による空冷A8 エンジンの試
作が始まった64。
これまでのやり方を無視した深尾の独断専行は陸海両軍部の逆鱗にふれ、社内からも
批判が出た65。だが、1935 年に4 ヶ月という異例の速さで試作が完了すると、A8『金
星』エンジンは海軍の審査で優秀な成績で通過し、1935 年度に9 台、1936 年度に96
台(260 万円)の受注に成功した。1937 年には海軍制

式採用となり、380 台の受注を
獲得し1010 万円の代価を得るなど三菱の主力エンジンとして認められた66。

489 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 13:46:45.87 ID:???
その後、三菱はA8『金星』エンジンの改良を続け馬力の向上を図り、1936 年7 月に
は『金星四〇型』として三菱のエンジンの基礎となった67。また『金星』から姉妹エン
ジン『火星』『瑞星』が生まれた68。
2−3、中島の『栄』、三菱の『金星』
ここまで見てきたように、中島は『寿』や『栄』、三菱は『金星』シリーズという各
社自慢の看板エンジンを自主開発することができた。自主開発までの過程においては先
述のようなさまざまな紆余曲折があり興味深いのだが、中島と三菱では設計理念という
ものが若干違っているようにも見受けられる。
太平洋戦争において最も生産された航空機は海軍の零式艦上戦闘機であり、いわゆる
『ゼロ戦』である。このゼロ戦の機体は三菱設計であるのに対し、搭載されたエンジン
は中島の『栄』であった。また、戦後に日本軍の兵器を調べたアメリカ軍は、日本の航
空エンジンに関して中島の『誉』を高く評価しており『Good Engine Too Late(遅すぎ
たいいエンジン)』と評している69。『栄』はゼロ戦以外にも日本の多くの航空機に使用
されており、日本の飛行機用エンジンの生産台数一位は中島『栄』の30100 台であっ
た。2 位は三菱の『金星』だが、大きく水をあけられ16700 台である70。
三菱の『金星』はどのような評価だったのであろうか。
『金星』は信頼性が非常に高く、また価格も割安であったという71。例えば、『誉』
を最優秀エンジンとして評価したアメリカ軍は『金星』について、信頼性が極めて高い
ところを評価している72。また、『金星』エンジンは生産性が非常に高く、馬力あたり
コストが16 円に抑えられ他の追随を許さない低コストを実現していたという73。とい
うのも、三菱の『金星』『火星』『瑞星』は気筒の直径や主要な部品において共通のもの
が多く見られ、設計段階で『金星』を理想的基礎発動機とし、ベースとした開発が進め
られたからである74。
ここまでで中島のエンジンはスペックとしての『性能』が良く、三菱のエンジンは稼
働率や価格といった運用面での『性能』がよいということが言える。この違いは両社が、
エンジンを『兵器』として捉えるか、『製品』として捉えるか、という前章でも見てき
たところに起因するのではないだろうか。

490 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 13:47:29.61 ID:???
第3章 生産の実態と生産管理
この章からは実際のエンジンの生産における各社の対策や対応を見ていく。エンジン
の生産というのは、本論文のテーマである『開発技術の蓄積』と『生産技術の蓄積』の
後者にあたる。また、これまでの先行研究が『開発技術の蓄積』に関するものが多く、
また少ないながらも『生産技術の蓄積』をテーマにしたものの多くはエンジンではなく、
航空機の機体に関するものであった。精密機械であるエンジンの生産に関する事項を一
つにまとめるというのは本論文の中でも一番大きな意義があるといえる。
そのエンジンの生産技術の蓄積について、本章においてまずは当時の生産の実態を明
らかにした上で、どのような労務管理や組織変革を行っていったのかを追っていき、さ
らに大戦勃発後の大拡張時に生産現場がどのように対応していったのかを確認する。そ
して、その次の章につなげていきたい。
3−1、生産の実態と労務管理の変遷
昭和の初期、どこの工場にもエンジンや機体組み立て用の部品一つ一つには工作法が
確立しておらず、作業標準がなかった。そのため、現場の熟練工がその場その場で工作
法を示し生産を行い、その熟練工の中でも仕上げ工程の工師が最も重要であり、格が高
かった75。
当時の日本の工作技術力では精密部品は作れず、仕上工程で精密に仕上げるという考
えだった。また、多品種少量生産の状況でもあったため、部品一つ一つが常に特注品の
ような状況でもあった76。
これらのことから現場の職工には熟練した高度な技術が要求され、また工作機械は汎
用のものが多くなった77。
このように昭和の初期は熟練工に頼った生産がメインであり、これは三菱、中島に限ら
ず日本の機械産業や精密機械の生産現場において一般的であった。そんな状況下で中島

491 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 17:03:16.55 ID:???
や三菱はどのような労務管理を行っていたのだろうか。労務管理、とくに賃金体系につ
いてみていく。
三菱では大江の発動機工場では個人別単価請負制度に能率刺激的賃金制度を組み入
れていた78。作業能率の異なる職工間の不公平感をなくし、作業能率の向上を図る狙い
があったという。
中島でもほとんど同じことが行われていた。中島では操業当初から請負制度であり、
個人の出来高に応じて賃金が決まる刺激給であった79。この個人請負制度であるが、中
島では割のいい仕事を取り合い、割の悪いものは誰も作りたがらないので過剰部品と不
足部品が出るという弊害が出始めた。いざ組み立ててみると部品の量の差が露呈し、組
みあがらないのだ80。同じ賃金体系の三菱側でも同じような問題は発生していたに違い
ない。
中島ではこの問題に対し、組請負への切り替えを行った81。組請負は複数の従業員が
一つのグループを作り、そのグループに割り当てられた部品を共同責任で作るという制
度であった。組請負になってから生産はあがったが、また新たな問題も浮上した。一つ
には組によっては組頭の指導力や統率力の差が問題となり、一部の組では組員一人ひと
りへの作業割り当てが難しくなり、作業が混乱するところも出た。そしてもう一つは、
ゆさぶりによる組織的な単価吊り上げである。試作品などの難しい部品を割り当てられ
完成してもそれを隠してしまい、担当者がやってきて良い単価がつくまで出さなかった
のだ。組員が組頭から割りの良い仕事をもらうために、組頭に還元プレミアムをひそか
に渡す例もあった82。
1935 年12 月、統一作業体系『組請負実施ニ関スル作業系統』を制定し、組請負制度
を実施した83。いままでの組請負を一歩進めた組請負制度では、新たに進捗係を設け、
進捗係が組への仕事の割り当てを行い、また一日の出来高をまとめた作業進行調査書を
作成し組の能率と個人の能率を把握するというものだった。これにより、以前よりも統
制が取れるようになり生産も向上した。しかし、新たに進捗係への依存が進み、出来高
賃金特有の割りの良い仕事の取り合いは解消することができなかった。

492 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 17:05:30.20 ID:???
このように、中島では生産現場での管理手法の変遷を見てきた。割りの良い仕事の取
り合いは解消には至らなかった中島飛行機ではあるが、この変遷の中で注目したいのは、
この組請負制度における作業単価決定には初歩的ではあるがテーラーの科学的管理法
による作業時間研究の考えが盛り込まれていたということである84。
実は中島ではドイツ式の生産管理に早いうちから関心を持ち、ベルリン機械工作管理
局教授団編纂の資料を1924 年の12 月発表分から克明に和訳し、参考にしていたとい
う85。1924 年というと中島がエンジンの生産を開始する一年前であり、設計技術だけ
でなく生産技術への関心もあったことがうかがえる。
さらに、1934 年1〜9月にかけて佐久間一郎はカーチスライト社からサイクロン発
動機の図面をうけとりに訪米しているが、このときにエンジン生産の実習をし、ライト
社の生産方法を学んでいた86。後にライト社の製造支配人と製造技術部技師は来日し、
『航空エンジン大量生産ニ関スル講習会』を開催するが、この講習会で作業員の給与
は”Group Bonus”(組生産報奨金)が望ましいと述べている87。このことから、34 年に
佐久間一郎がライト社を訪れたときに組請負制につながるアイデアをこの経験から得
ていたと考えられる。
つまり、請負単価設定の基準にはドイツ式作業時間計算法を参考にし、その後アメリ
カのライト社での労務管理に則って組請負制度が形成されていったといえ、中島におけ
る労務管理の変化はその裏で生産技術に対する大きな関心と実験的試みが盛り込まれ
ていたのである。
一方の三菱でもほぼ同時期に生産現場の改革に乗り出しており、作業単価の決定には
中島と同じく科学的管理法に基づく時間研究が導入されている。三菱の場合、日本の科
学的管理法の草分け的存在である三菱電機の扇風機工場へ担当技師を派遣して一ヶ月
の特訓を受け、エンジン生産の現場の改革を行った88。工程の細分化と標準時間の設定、
そしてその標準時間よりも早く仕上げれば賃金が割り増しされるという制度づくりを
目指していった。

493 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 17:06:45.51 ID:???
しかしその標準時間の設定には、熟練工たちの議論と言いあいから決定される部分も
多かったのだが、それでも作業一つ一つに目標となる標準時間が設定されることには大
きな意義があり、所定の時間内に終わらせるという意識改革がなされたという89。また、
標準時間が設定され、それによって賃金が左右されるようになると、作業単価下落を防
ぐためのいわゆる組織的怠業や、もともと能率の上がりにくい作業の遅れが生じるなど
の弊害もでたという90。
このように中島同様、様々な問題を残してはいるが、三菱においても科学的管理法へ
の関心と時間研究の始まりが見られた。
3−2、組織変革
次に、激動する現場の作業と労務管理を受けて、中島と三菱の各製作所においてどの
ような組織変革があったのかを見ていく。
まず、三菱の名古屋発動機製作所における改革をみていく。
名古屋航空機が名古屋発動機製作所として分離独立するのにあわせて1938 年に研究、
設計、試作の役割を統合し、技術部を創設した。この技術部は設計、研究を机上で行う
だけでなく、材料試験場や試作工場までもつ独立部署であった91。当時としては試作と
生産は同じ現場で行われることが一般的であり、1944 年に三鷹研究所が独立した発動
機の研究所として機能し始めた中島92と比べると三菱は非常に先進的であったといえ
る。
そして1943 年11 月には、技術部と材料試験場、試作工場、工作技術部を統合して

494 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 17:07:30.33 ID:???
名古屋発動機研究所として名古屋の発動機製作所から分離独立した。この研究所で既存
製品の改良、周辺機器の研究試作が行われた。また終戦直前にはドイツからの技術供与
によってワルター式ロケット、ターボジェットエンジンの開発が行われ、終戦間際に完
成し幻の航空機となる秋水などにつながった。93
また三菱では、生産技術を専門に扱う工作技術部の創設という画期的な組織改革も行
われた。従来、実際の生産を行っていた部署は機械課と仕上課であり、それぞれ機械工
場と仕上工場であった。ここから両課が統合され、工作部に統合されるのだが、この工
作部内に生産技術を専門に扱う部署である工作設計課が新設された。この工作設計課で
は、生産現場で用いる専用機械や治工具の製作設計などを行っていた94。
1940 年には、この工作設計課と工具工場、調質工場を一括し、さらに原動機係、板
金係、時間研究係を統合して工作技術部として独立させた。この工作技術部は専用の工
場をもっていたことで生産に使う工具の試作、設計が容易になり、三菱の品質管理は画
期的に改善され、性能も向上していった95。一連の変革は、生産技術部門の初めての独
立といえる。
また、工作設計課が新設された工作部には、もうひとつ1940 年4 月、工程管理を専
門に行う部署として工務課が工場ごとに設置された96。この工務課では複雑な生産過程
で膨大な部品の生産計画を遂行するため伝票や原価の管理を行っていた。
これらの一連の動きから三菱では、まず設計と生産が分離され、さらに生産の中に生
産技術という考え方と工程管理の必要性が認識されていったといえる。
中島の組織改革はどのようなものがあったのだろうか。ここでは一時的に、機体製造

495 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 17:08:50.51 ID:???
工場の太田製作所の例を見てみる。
まず工程管理に関してであるが、1939 年以前の工程管理は『場当たり的』とか『追
尾的』あるいは『芋蔓引っ張り式』といわれるもので、とても計画的とはいえないもの
であった97。工作課の生産状況の調整を行う担当者が機種別に配置されていたため、複
数の担当者がそれぞれ自分の担当の機種のみを督促しあうという状況となっていた。ま
た、その担当者とは別に工場にも生産計画の遂行のために管理をする役職があり、互い
にうまくいかず不満がたまっていた。
こうした状況の打破のため、1939 年8 月に組織を改めることとなった。設計課と購
買課を部に昇格させ、工作課を製作部に改めた98。いままで重複していた機体ごとの担
当者と、工場の生産管理者の問題解消のため、工作技術課と生産管理課を製作部内に設
置することとなった。この変革により、中島飛行機における工程管理改善の第一歩とな
った99。
だが、生産数が増加してくると今度は、下請への督促業務と工員増加への対応に問題
が出てきた100。下請との折衝は購買部が一括しており、下請への生産督促も購買部が担
当していた。しかし、実際の生産に責任を負っている工場現場からも下請けに対して不
足部品の督促を行っていたため、購買と工場の両方から督促がなされるという状態だっ
た。工場拡張にともなって工員が大幅に増加すると、彼らを指導する技術員不足が生産
管理課において深刻化した。
これらの問題をうけて、1941 年11 月に二度目の組織変革がなされた101。二度目の組
織改革では上記の問題を受け、購買関係と技術員を配置する部署の統廃合が行われた。
まず購買部に関してだが、購買部の業務のうち価格決定、注文手続き、代金支払い手続
きといった会計分野の業務を会計部購買課に移し、残りの発注計画、下請指導、督促の
業務を製作部材料課に移すこととなった。生産管理課を工場と統合し、作業課を設立す
ることで技術員不足を解消しようとした。

496 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 17:09:49.57 ID:???
以上のように専ら生産管理、工程管理の改善に努めてきた中島飛行機だが、この二度
の組織変革のなかで生産技術を扱う部署が工作課、工作技術課、そして技術課というよ
うに名前を変えながら配置換えや課内の係の新設などのマイナーチェンジがひっそり
と行われていたことを確認しておきたい。以下に1941 年以降の製作部の下に新設され
た技術課に属する3 つの係の役割を確認する。
&#1048698; 計画係
航空機の生産計画は総務部企画課が年度と月別の生産計画を立てていた。その生産計
画遂行のための日程計画をたてるのが製作部の技術課計画係であった102。計画係のたて
る日程計画は分号日程計画といい、機体生産において最も効率的な生産が可能になるよ
う機体を完成時期別に細かく分け、同時期になるものを一つにまとめ、最終的に30 ほ
どのグループにまとめていくものだった。より高度で現場レベルでの詳細な生産・工程
計画をたてる部署として機能していた。
.. 工程係
工程係は各部品や組立工場に関する工程計画をたて、工程表を発行し、諸伝票の作成
と発行を担っていた103。工程表には作業内容や必要な材料と治工具、製品の最終運搬先、
請負時間等が記載されていた。三菱における工務課にあたり、工程管理と円滑な生産を
実現させていた。
.. 工具係
そして工具係では治工具の計画、設計、調達に加え、管理・保全を担当していた104。
治工具の設計なども行っていることから、三菱ほど大規模ではないが、生産技術部門を
多少なりとも理解し独立させる動きがあったことは評価できるであろう。
ここまで見た組織は先述したように機体を生産する太田製作所の例であるが、以上の
内容には機体生産のみにしか適用できないことは見当たらず、太田製作所とほぼ同じ組
織形態が武蔵野や多摩、大宮のエンジン生産を行う製作所にも適用されていったと考え
られる。
中島における技術課というのは生産管理の部署であり、三菱の工務課に該当するとい
える。また生産技術に関しては、中島も生産技術を意識している動きは見えるが、やは
り三菱における生産技術への関心と権限の持たせ方は非常に進んでいたといえる。

497 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 17:11:28.45 ID:???
3−3、生産体制の拡充
この節では、太平洋戦争直前から終戦間際にかけて急速に拡張、新設された製作所や
工場についてみていく。まず、両社の主力エンジン工場となる中島の武蔵野製作所と三
菱の大幸工場についてみていく。中島の武蔵野製作所1938 年4 月に完成し105、三菱の
大幸工場は同年7 月に完成した106。
中島の武蔵野製作所は陸軍向けエンジン専用の工場であり、ドイツのクルップ工場を
モデルにしていた。工場の地下には7 キロに及ぶ地下道があり、従業員の通行や機械工
場からの鉄屑回収に使われた。また、1941 年11 月に海軍用エンジン工場として完成し
た多摩工場は1943 年10 月に武蔵野製作所と生産合理化のために合併し、武蔵製作所
となった。
一方の三菱はアメリカのプラット社の工場を参考に設計され、後の増築が容易になる
ような建物の配置や、工場内の間仕切りを低くし見通しをよくするなどの工夫があった。
この後も三菱、中島ともに軍部からの要請にこたえ次々と新工場を設立していった。
以下にその後両社の新設した新工場、分工場をまとめる。
&#1048698; 中島の新設工場
1939 年3 月に太田分工場として前橋工場、1940 年に小泉工場(海軍機体)、1941 年に
多摩工場、1942 年に半田製作所(海軍機体)、1943 年に大宮製作所(海軍エンジン)、
1944 年に宇都宮製作所(陸軍機体)、浜松製作所(陸軍エンジン)、三島製作所(海軍
機関銃)107
見るとわかるが陸海軍用に完全に分けられているのが中島の特徴であった。
&#1048698; 三菱の新設工場
1940 年7 月、名古屋金属工業所(鋳鍛造品、発動機部品)。1943 年5 月、京都機器製
作所(排気弁)。1943 年9 月、水島航空機製作所(一式陸攻)。1943 年11 月、名古屋
発動機研究所。1944 年1 月、熊本航空機製作所(飛龍)。1944 年1 月、名古屋機器製
作所(燃料ポンプ)。1944 年3 月、静岡発動機製作所(ハ112 エンジン)。1944 年7
月、京都発動機製作所(火星、A20 エンジン)。
三菱では全工場が陸海軍別というより、エンジンの種類ごとに分けられている。そし
て、この中で注目すべきは、名古屋金属工業所、京都機器製作所、名古屋発動機製作所、

498 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 17:13:05.39 ID:???
名古屋機器製作所のようにエンジンを直接生産するためではなく、関連部品や研究開発
のための製作所を新設している点であり、ここは中島と大いに異なる点である。
ここでは名古屋金属工業所と京都機器製作所の設置について、三菱が行った背景や組
織改革を見ていく。
&#1048698; 名古屋金属工業所
エンジンの生産において、本体を形成することになる部品一つ一つの鋳造技術は非常
に重要であった。だが当時の日本の工業力の低さと未熟さから、機械産業全体における
鋳造技術は低く、鋳物製品の出来は悪かった。三菱の発動機部長である深尾は、鋳鍛造
部門の技術発展に光を当てるべく、発動機部長への着任後まもなく鋳造課を独立させて
いた108。
その後、エンジン生産と受注は急激に拡大していき、重要な素材部品である鋳鍛両素
材の需要が増えると三菱は予測し供給拡大を図ることになる。だが、日本の機械産業全
体のレベルでは、三菱の優秀で安価な航空機の生産を支えられる部品は品質的に専門会
社には期待できないと判断し、強力な素材工場の自前での設置と拡張が必要となった。
こうして1940 年4 月には鋳造、鍛造、軸受工場を統合して鋳鍛部として独立し、さ
らに同年7 月にはこれに弁工場を加えて名古屋金属工業所へと独立し、鋳鍛造の部署は
ついに事業所にまで成長することとなった。ちなみに、軍部は鋳鍛素材などの素材部品
の生産は素材専門企業に集中させ、産業界全体の分担化、合理化をしていく方針であっ
たことから三菱の鋳造部品の内製化と事業所の独立には反対したという。三菱は軍部へ
の説得を続け、1942 年には陸海軍の認めるところとなったという110。
.. 京都機器製作所
前述の名古屋金属工業所内にはかつての弁工場があり、中空排気弁を生産していたが、
軍部が三菱の社内向け生産にとどまらず他社向けの生産も要望したため、この弁工場の
分離独立が計画された。1944 年1 月に京都に新工場が完成し、京都機器製作所として
独立した。111中空排気弁は量産できるところが他になかったため軍部は京都機器製作所
での排気弁の量産に大きな期待と要求を出したという。京都機器製作所での排気弁生産

499 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 17:13:42.40 ID:???
は非常に好調で、1944 年の12 月には月産8 万台を生産し、軍担当官は大いに喜んだと
いう。しかし、搭載すべき肝心のエンジンの生産が追いつかなかったことから、多くの
排気弁は出荷されずに終わってしまったという112。
そのほか、燃料ポンプと排気タービン過給期の専門製作所として1944 年1 月に名古
屋機器製作所が独立した113。
以上のように三菱の生産拡張の基本スタイルは、エンジン工場の生産エンジンを特化
させたり、発動機研究所や各専門工場のように専門工場を新設するなど、専門的な役割
を持たせながら行っていった。また、部品に関しては、拡大するエンジン生産に合わせ
て各エンジンに共通する部品の生産や加工を専門工場の設立によって賄い、下請や外注
より基本的に内製の方針を採っていった。
中島飛行機でも生産エンジンの特化や部品生産のための専門工場の設置をいくつか
行ってはいる。一つは武蔵製作所である。軍需省から武蔵野、多摩の製作所での2 倍増
産を命じられ、これに対する方針を佐久間一郎が中心となって策定した際に、道路一つ
隔てて陸軍用の武蔵野と海軍用の多摩の両製作所が分けられていることを問題視し、二
つを合併させて1943 年11 月に武蔵製作所としたのである114。また、専門工場として
中島航空金属株式会社と東京中島電気株式会社がある。三菱同様、鋳鍛造品の重要性か
ら38 年2 月、田無鋳鍛工場新設を決定し、39 年11 月には独立し中島航空金属株式会

500 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 17:17:18.25 ID:???
社とし115、また東京芝浦電気との合弁で東京中島電気株式会社を1939 年12 月に資本
金150 万円で設立している116。
中島もエンジン生産工場の生産品の特化の試みと、鋳鍛品において内製の努力をして
いることがわかる。だが、他の航空機関連部品の内製は機体、エンジンともになく、東
京中島電気株式会社の持ち株数は東芝側のほうが多かったことから主導権は東芝にあ
り117、この会社の電気部品が中島のエンジンまたは機体生産に大きく寄与したという記
述は見られない。武蔵製作所の成立は既に戦局が日本不利に傾いた43 年末であり、武
蔵製作所以外にはエンジン工場を製品ごとに特化させるということはしておらず、それ
どころか陸海軍の対立に飲み込まれて工場を陸軍用と海軍用に分けて運用していた。
エンジン生産に必要な部品の内製化に熱心ではなかった中島はどこから部品を調達
したのであろうか。中島は内製より下請や協力工場を多用する傾向があり、一般的に中
島は三菱よりも遥かに下請けを利用する傾向にあったといわれる。中島の武蔵野製作所
は187 社の下請業者を持ち、その下請業者には1 万9800 人の従業員を抱えていた。一
方の三菱では93 社に留まり、延べ従業員は1 万4100 人であった。(表4 参照)
また外注の比率でいうと、当時のエンジン製造業者全体では生産の24%を下請に出
していたが118、中島の外注利用比率は30%といわれている。
では次に中島の下請・協力工場の状況を見ていく。
中島飛行機の1938 年上期の投融資額は552 万円だった。それが1945 年上期には2
億9128 万円にまで膨れ上がっていた119。この増加の内容は下請会社や子会社の有価証
券投資や長期貸付金であり、詳細な投融資先は表5のようになる。
中島により育成された企業は67 社でその多くは中小企業であったという。表にある
同系会社は『中島航空金属』のような子会社であり、関係会社は中島により育成され、
同系会社に準ずる規模と資本関係にあった企業である。同系会社、関係会社への有価証
券投資、貸付金はやはり多いが、それに匹敵するほどの多額の資金を「貸付のみ」の会
社や個人に対しておこなっているところに注目したい。当時の中島と下請関係を結んだ

501 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 20:50:30.84 ID:???
企業には町工場的なところが多く、軒先に「中島飛行機株式会社協力工場」とかかれた
看板をかけてあるだけの民家というような典型的な町工場が多く含まれていたという。
航空機産業に対する重点化政策による優遇措置あるいは軍からの命令により航空機産
業に新規参入することとなった会社や町工場が該当すると考えられる。中島飛行機では、
これらの中小企業や町工場を部品供給のパートナーとしていくために多額の資金を貸
し付け、下請会社の整備を自社の生産能力拡張と併行しておこなっていった120。
これらの中小下請工場との取引には、中島側もそれ相応の工夫や独自の対応をとって
いった。例えば、下請工場で生産された部品の引渡しには、中島の社員がリュックを背
負って電車で部品を受けにいっていたという。中島の社員は部品を生産する下請のある
駅で、あるいは工場まで出向いて部品を受け取りリュックに入れて中島の工場まで運ぶ
のだという121。また、中島の親工場と協力工場との生産における連携と迅速な連絡を行
うための制度として略号を使用した電報を用いていた。親工場から協力工場への連絡だ
けでなく、協力工場から親工場への連絡にも略号電報が用いられた。この電報制度によ
り、下請工場の幹部が中島の親工場まで出頭しなければならないような回数を減らし、
下請は部品生産に集中することができたという。
以上のように三菱は内製主義をとり、技術力の高い下請としか取引をしなかったのに
対し、中島は下請の育成と積極的活用の道を進んでいったといえる。だが、先述の通り
当時の日本の機械工業は未熟であり、三菱や中島のような大手以外の企業の技術力は非
常に低かった。詳しくは後で述べるが、大戦末期には下請中心の中島はもちろん、内製
主義の三菱も日本の機械工業全般の未熟さに泣かされることとなる。

502 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 20:51:29.25 ID:???
第4章、流れ作業方式
前節でみたように、昭和初期あるいは戦時体制へ完全に移行する前の日本の工業力は
非常に低く、三菱や中島のような大企業でも生産現場は未熟であった。
そして、工場の拡張や改造、工員の労務管理法の変革、組織体制の見直しなどを経て、
1944 年には年間三万台ものエンジンの生産に成功する。この生産実績の達成には他産
業からの徴用工や転換工場の存在が多くを占めていることは否定できず、全てを企業努
力や生産現場の管理技術の発展の賜物だとはいえない。しかしながら熟練工が次々と戦
地へ送られ、素人である徴用工が工場にあふれる状況となり、また戦争初期に比べ遥か
に複雑化した後期のエンジンを生産しなくてはならなくなった戦争後期では、これまで
見てきた生産管理や生産技術の進歩が実を結んだ、ととれるのではないだろうか。
この節では、戦争中盤から終盤にかけて実現した工場の生産管理技術と、今まで見て
きた生産現場での各社の状況とをあわせて、日本の航空機産業における生産技術の到達
点を明らかにしていく。
4−1、町工場式からの脱却
大正時代から昭和初期の三菱と中島は年間エンジン生産量が数十台からはじまり、数
百から千を少し越える程度であった。これはまだまだ大量生産といえる状態ではなく、
また大量生産を導入できるだけの生産規模と需要もなかった。
このころの生産現場の状態を生産史的観点から類別すると『単体管理方式』であると
いえる122。この単体管理方式では生産規模は著しく小さく、月産でいうと数台という生
産規模の状態を指し、まさしく昭和初期までの三菱、中島の生産状態に合致する。そし
てこの状況下での生産は、新エンジンの試作と同じ製作技術と生産管理によって、試作

503 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 20:52:14.55 ID:???
と生産が同じ工場で行われる。そこでは万能工の集団が部品製作、組み立てはもちろん
のこと艤装や飛行整備まで行っており、分業のかけらもない状態である。このいわゆる
『町工場式』では以上のように万能工が試作と同じ手法で生産を行うため、生産は部品
と組み立ての区別なく単体ごとに行われ、職工たちの労務管理は請負制度のみである。
生産する製品の種類が増加すると、製品ごとにそれぞれ単体管理方式をとられ、複数の
万能職場による並列的な生産となる。
昭和初期の三菱で仕上工程での熟練工の神業的な技術に依存した生産現場や、中島で
の創業以来の請負制、そして両社ともに始めは生産工場と試作工場の区分がなかったこ
となど、単体管理方式にみられる特徴が中島と三菱にも一部みられる。
だがその後、中島と三菱は時間研究の導入や、新しい管理方式の導入、そして組織変

504 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 20:53:59.52 ID:???
革によって工程管理を強化するなどの動きをみせ、太平洋戦争に突入する1941 年まで
に単体管理方式から完全に脱却できたといえる。
4−2、半流れ作業
それでは、太平洋戦争直前に町工場式から脱却した生産現場は最終的にはどこまで発
展していたのであろうか。そこで、1938 年3 月に完成した中島飛行機の武蔵野製作所
で行われていた『半流れ作業生産方式』というものを見ていく。当時、武蔵野製作所長
であった佐久間一郎は、この『半流れ作業生産方式』というものは生産単位(ロット)
と工程時間とを出来うる限り合理的に組み合わせることで部品が留まることなく工程
を移動していくように計画したものであると説明している123。
素材が歯車に加工されるまでの工程をモデルに見ていく。(図1 参照)素材ははじめ
にA 職場に送られる。A 職場で作業と検査が行われた後にB 職場へと送られる。そし
て、B 職場での作業と検査が終わるとC へ、というように流れていき、月の終わりの
第五時期にG 職場での仕上作業がおわり検査の後に完成部品となる。
ここで注目すべきは、A からG までの職場の分け方は工作機械の種類や職工の技能
別ではなく、工程別であるということである。たとえば、普通旋盤はA、B、D、G の
4 つの職場におかれ、ボール盤やフライス盤も複数の職場に置かれている。
生産現場の構造上の分類として『機種別職場』、『半流れ作業職場』、『流れ作業職場』
がある124。『機種別職場』では工場内はある程度細かく分類され分業体制が敷かれてい
るが、その分類の仕方は工作機械の機種別、あるいは労働者の職種別に編成されている。
たとえば旋盤、ボール盤、フライス盤といった工作機械がそれぞれ一箇所に集められ、
その機械の種類別に細かく職場が編成される。機械別の細分化は一見合理的ではあるが、
実際の生産過程においては同じ工作機械を何度も通過することが多い。つまり、加工作
業の順序に従って素材を流していくと、旋盤職場からボール盤職場、フライス盤職場と
流れた後に再び旋盤職場に戻ってくるというような錯綜した移動経路をたどることに
なってしまう。

505 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 20:54:39.66 ID:???
そこから『半流れ作業職場』に発展していく。半流れ作業職場は『品種別職場』とも
いわれ、ここでは一つの職場内部に特定の製品の加工工程・組立工程の順序に基づいた
編成によって細分化された作業場があり、一つの作業場には複数の種類の機械と異なる
職制、技術をもった労働者が配置されている。作業場は作業の順番に並べられており、
素材や部品は職場内の一つ一つの作業場を通過していくにつれて特定の製品へと加工
され組み立てられていく。
前述の中島飛行機武蔵野製作所における『半流れ方式』では、製品を間断なく流し続
けるための工夫もさることながら、工場内を工作機械の種類別ではなく、作業工程別に
分類し配置しているところは、生産現場構造の分類上ではまさしく『半流れ作業職場』
に発展しているといえる。三菱のみならず、武蔵野製作所とほぼ同時期に完成した三菱
の大幸工場でも機械配列が機種別から工程別の配置になり、工場内の運搬距離を劇的に
減少させることができたという126。
この『半流れ方式』の職場は流れ作業のための二つの条件、すなわち『空間的条件』
と『時間的条件』のうちの『空間的条件』を満たした職場構造であるという127。つまり、
作業進展を効率的に行えるような機械配置や職工の配置を三菱、中島ともに1930 年代
末期には完成させていたことになる。そして、あとは各工程の作業時間の詳細な研究と、
そのデータをもとに科学的管理法に基づいた労務管理、生産管理を行うことで各工程に
おける同期性を確保し『空間的条件』を満たせば本格的な流れ作業の導入の足がかりに
なる。
前章で見たように、中島ではドイツの科学的管理法による作業時間研究を学び、当時

506 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 20:55:57.19 ID:???
の請負単価設定に反映させていた。三菱では三菱電機の神戸工場から時間研究を学び、
それに基づく作業単価設定が試みられ、また時間研究係を含む工作技術部を独立させ生
産技術の発展に努めていた。これらのことを考えると、中島と三菱における『空間的条
件』達成に向けた努力は既に始まっていたといえる。そして、未熟ながらも作業同期化
がある程度進んだ中島飛行機の武蔵野製作所では『半流れ方式』なるものを導入するこ
とができたといえるだろう。
4−3、流れ作業の完成と崩壊
大戦中盤の1943 年に三菱名古屋発動機製作所の第三工場においてコンベヤ・システ
ムが稼動し、1944 年には名古屋製作所の別工場でもベルト・コンベアが使われ始めた
可能性が高いという128。また、中島飛行機の武蔵野製作所において、ピストン製作にお
いてベルト・コンベアを用いた流れ作業が行われていたという129。
これらの流れ作業の実態がどのようなものであったのかは、当時を記す資料不足のた
め全容の解明は残念ながら出来ない。だが、「ベルト・コンベアを使っていた」という
ことは、一部の工場では時間研究の蓄積により各工程の作業時間の同期化に成功し、『時
間的条件』を満たすことができていた可能性が高い、と読み取れる。
また、これまで見てきたような生産技術の研究や工程管理の進展が順調に進んだので
あれば三菱と中島の流れ作業導入は容易に想像できることでもある。
しかし、流れ作業の実現は日本の生産技術や管理技術の歴史としては画期的であるが、
航空機産業のサポート産業である機械工業の未熟さが大きく足を引っ張り、そこに追い
討ちをかけるかのごとく、空襲による被害や資源の枯渇によって流れ作業の実現はほと

507 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 20:57:08.11 ID:???
んど実を結ぶことなく終戦を迎えてしまった。
工作機械のレベルの低さから始まり、戦時には工作機械の不足が常にボトルネックと
なり、戦前日本の航空機産業はいつも工作機械に泣かされることとなった。三菱の発動
機部長の深尾淳仁は工作機械の不足に対し、工作機械会社に対し汎用工作機械の生産を
やめ、戦時型の単能化された工作機械の生産に切り替えるよう提言している。これによ
り工作機械製造にかける材料、労力、時間、電力を節約できるとした。しかし、時局は
既に手遅れであり、最後には深尾は「工作機械会社は工作機を作るのをやめて航空機を
作れ」とまで主張している130。
また南方からの資源輸送が困難となったことから、航空機製造に必要なニッケル、ク
ロム、コバルト、タングステン、モリブデンといった合金用特殊鋼の不足が深刻化した。
また、それ以上に深刻だったのは熟練工が次々と徴兵され、かわりに徴用工が大量に流
入したことで工員の技術水準低下と、膨れ上がった工員の管理が困難になったことだっ
た。
4−4、データによる最終比較
ここまでの両社の航空エンジン生産に対する努力と工夫を見てきた。そして最後に両
社の努力と工夫がどこまで生産の拡大を実現させることができたのかを比較し、評価し
ておく。その際に、非常に興味深い資料がある。
1943 年9 月から10 月にかけて三菱、中島、ならびに住友金属、古河電工、大同製鋼、
日本特殊鋼、日本鍛工、東京鍛工などとその部品、下請工場に対して第三回行政査察が
行われた。そして『第三回行政査察使報告』において、なんと中島飛行機の工場と下請
が最も低い評価を受け、激しく批判されている。『機械特ニ人ノ生産性ハ著シク低ク又
幹部ノ現状把握十分ナラザルヲ看取セリ』『&#29574;ニ於テ現設備ノミヲ以ッテシテモ概ネ二
倍ノ生産ハ可能ナルベキモノト判断』『中島ニ特有ナル放漫経営』などと中島の放漫経
営が厳しく指摘されている。131

508 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 20:58:26.32 ID:???
中島がここまで低い評価を受けてしまった原因は様々あるだろうが、三菱は同じ査察
でおおむね良い評価を受けている。132この違いを生じさせたのはいったいなんだったの
か。
中島も三菱も生産における能率向上に対し相応の努力をしていたが、ここにきて中島
は飛行機を『兵器』として捉え、三菱は『製品』として捉えていたことが関わってくる
のではないだろうか。つまり、中島は安定した需要がある兵器を製造しており、三菱に
比べてコストの管理や生産性に関する感覚が鈍かったのではないだろうか。
例えば、グラフ1 からは三菱に比べて生産性の低さが読み取れ、グラフ2 では中島の
エンジン生産高は急激な伸びをしめしているが、それにくらべてグラフ3 の利益率の伸
びが小さいどころかマイナスを示している。
おわりに
ここまで、中島飛行機株式会社と三菱重工業株式会社の比較を通して戦前日本の航空
機産業の発展を見てきた。
2 社とも同じような時期に同じような問題を抱えるというような状態も多かったが、
それに対する解決のアプローチは微妙に異なっていた。すなわち、エンジンを『兵器』
とみるか『製品』とみるかである。
その表れが中島の量産に向かないエンジンの互換性や、生産技術に特化した部署の不
在、そして今回の行政査察の報告につながったといえるのではないだろうか。
しかしながら、中島のエンジン開発力は非常に高く、『誉』エンジンの出来がそれを
証明している。
三菱はメーカーであった。
中島知久平はメーカーになって国防に携わりたいと考えていたが、メーカーにはなり
きれていなかった。

509 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 20:59:37.22 ID:???
参考文献
&#1048698; 図書
高橋康隆(1988)『中島飛行機の研究』日本経済評論社
前田裕子(2001)『戦時期航空機工業と生産技術形成』東京大学出版会
松岡久光(1996)『みつびし航空エンジン物語』アテネ書房
桂木洋二(2002)『歴史のなかの中島飛行機』グランプリ出版
渡辺一英(1955)『巨人 中島知久平』鳳文書林
中川良一、水谷総太郎(1985)『中島飛行機エンジン史』酣燈社
松岡久光(2005)『三菱航空エンジン史』三樹書房
冨永謙吾(1975)『現代史資料(39)太平洋戦争(5)』みすず書房
&#1048698; 社史資料
三菱重工業株式会社史編纂室(1956)『三菱重工業株式会社社史』
富士重工業株式会社史編纂委員会(1984)『富士重工業三十年史』
&#1048698; 論文
山本潔(1992)「戦時航空機生産についての一考察」
『社会科学研究』(東京大学)44−2
麻島昭一(1985)「戦時体制期の中島飛行機」
『経営史学』(東京大学)20−3
安藤良雄(1955)「戦時日本航空工業に関する二つの資料」
『経済学論集』(東京大学)23(2)

510 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 21:10:06.33 ID:???
ワシントン海軍軍縮条約及びロンドン軍縮条約は海軍において賛成派と反対
派という組織を二分する議論となり、激しく対立した。この対立の根底には
海軍における対米7割論が大きく影響しており、対立原因を言い換えると、
この条約の比率内容で国防を成しえるか、という比率主義をベースにした対
立であり、一方は7割無いと国防は成しえない、という反対派(艦隊派)と、
もう一方の比率を補う代案と協調外交によって国防がまっとうできるとする
賛成派(条約派)との対立といえた。結果としては、軍縮条約は米英の際限
の無い軍拡の上限を規制するとし、軍事のみならず政治も含めた大局的な見
地で条約が結ばれることとなった。しかしその条約下であっても海軍におい
て7割論は強力な影響力を発し続け、対米7割に近づけるために、海軍は条
約の抜け道を探り、軍拡は以前に比べ規模は落ちるものの続けられることと
なる。では、対米7割論とはどういうものであったのか、またそれが条約に
どのように影響を与えたのか、さらにはその後の海軍の用兵思想(国防方針
から漸減邀撃作戦まで)、それに対応した個々の兵器の用法、特に条約下での
海軍における軍備拡張である兵器、艦艇の開発・製造にどのように影響を与
えたのかについて見て行きたいと思う。


511 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 00:23:12.64 ID:???
1、 ワシントン海軍軍縮条約とロンドン軍縮条約
まず軍縮条約とその内容について大まかに見てゆきたいと思うが、ここから
ら分かることは、日本側の要求が海軍の要求に基づいて対米七割が強く要求
されていること。また、その中でも軍政である海軍省より軍令である軍令部
が特に強固な主張をしていること、反面、海軍省は政府と軍令部との間で微
妙な立場に置かれている点である。当時はまだ海軍省が軍令に対しても統制
力を示していたことや、大局的見地、世論などから海軍省は条約内容を受け
入れる方針を採ったが、一応海軍省としても対米七割は海軍の総意であるこ
とを主張していた。
○ワシントン海軍軍縮条約
:1921(大正10)年11 月12 日〜1922(大正11)年2 月6 日
日本側の要求(軍備制限に関してのみ)特に政府から全権に対する訓令
・ 米国との親善円満な関係の保持
・ 英米との均勢力の保持、またその為には八八艦隊の低減も辞さない
※明示されなかったが、訓令に先立つ海軍省作成の報告書では、「帝国ハ米
国ニ対シテ七割以上ノ海軍兵力ヲ絶対ニ必要トスルコト」と記されていた。
実際の会議での決定事項(軍備制限に関してのみ)は
@ 10 年間、主力艦(=戦艦と巡洋戦艦)の建造を休止する。
A 主力艦と航空母艦の保有比率を(総トン数で)米:英:日=5:5:3
B 建造中・計画中の主力艦の全て、老朽艦の大部分を廃棄する。
C 主力艦は1万dを越え、3万5千d以下のもので、主砲は16 インチ以下
航空母艦は2万7千d以下、備砲8 インチ以下とする。(定義が作られた)
日本全権団の問題としては、対米6 割の比率と、ほぼ完成していた戦艦「陸
奥」が未成艦として廃棄対象に指定されたことである。特に対米6 割の比率
をめぐって日本全権、その中でも海軍主席随員:加藤寛治が強く反発した。
結局のところ全権:加藤友三郎海相は対米7 割に固執するより、対米協調に
よる戦争回避と国力の充実が「国防の本義」であるとしてこの条件を受け入
れた。戦艦「陸奥」に関しては、戦艦「摂津」の廃艦とさらに、増加分につ
いて各国保有量を増す事で解決した。

512 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 00:24:16.13 ID:???
この条約成立後、海軍では対米7 割の比率へのこだわりから補助艦艇建造
要求が高まり、特に条約による規制外の8インチ砲搭載一万トン級巡洋艦が
各国でも盛んに建造されることとなった。日本では不況や関東大震災などに
よる財政難のため大蔵省などが海軍の補助艦艇建造要求に対して反対を強く
主張するも、米海軍の建艦計画情報を受けて認められた。また、このころの
海軍が国防方針に基づく国防所要兵力の(八八艦隊など大艦隊)整備より、
軍備制限研究委員会の「比率改善ノ為速ニ建艦ニ大努力ヲ傾注スルコトハ凡
テノ場合ニ対シ極メテ緊要」という言葉に代表されるように対米戦備(七割
論)に重点を置いていたことがわかる。実際、補助艦艇建造費を得たことに
より海上兵力(巡洋艦・潜水艦)は対米七割、一万トン級巡洋艦に至っては
対米136%を実現することが出来た。この補助艦建造では有効艦齢超過艦の
代艦建造が主なもの(新規の増艦はほとんど無い)となっているが、巡洋艦
の代艦の隻数は超過艦と同じであるが、排水量(性能)はその倍近い一万ト
ン級巡洋艦であり実質的にはそれまでの「数的な軍拡」と言うよりも「質的
な軍拡」といえる。
○ロンドン軍縮条約
:1930(昭和5)年1 月21 日〜4 月2 日
全権には若槻礼次郎前首相と財部彪海相が派遣されたが、この会議に先立
って閣議で会議の対策として全権に対して三大原則が訓令されていた。
@ 補助艦総括対米七割
A 20 o(8 インチ)砲搭載大型巡洋艦対米七割
B 潜水艦自主的保有量7 万8 千トン
※ この主張は海軍の要求に基づくもので、昭和4 年11 月25 日閣議決定(浜
口内閣)後上奏、全権に訓令された。
会議での日本側に対する米国案では、
・ 大型巡洋艦 …60%
・ 軽巡洋艦 …61%
・ 駆逐艦・潜水艦 …66%
・ 補助艦全体 …61.1% ※全て対米比

513 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 00:25:10.93 ID:???
もちろん日本側の三大原則とは懸隔が有るため会議は行き詰まったが、折衝
(松平・リード両全権の私的会議等)の結果、3 月13 日妥協案が成立、請訓
が行われた。その内容は、
・ 大巡対米60%(ただしアメリカは3 隻の起工を遅らせ1935 年までに
竣工するものに対しては70%)
・ 駆逐艦対米七割
・ 潜水艦保有量日米同数5万2 千7百トン
・ 補助艦総括対米6.975%
・ 各種補助艦艇基準排水量の確定
問題は大巡より潜水艦にあり、軍令部はこの数量では対米作戦(特に本国の
沿岸防御用の潜水艦が皆無になる事や、その他攻撃作戦用の潜水艦も減少す
る事)に支障を来たすとしていた。これに対する日本側の対応は…
浜口内閣…七割には必ずしもこだわらず、それよりも会議の決裂による影
響、@建艦競争による財政負担に耐え得ないことA対米英国際関係悪化が対
中国関係に深刻な悪影響を及ぼすことB国際金融上の障害となり外債の借換
えが出来なくなることなどを恐れ、大局的見地から妥協案を受け入れる全権
の請訓案を基本にした回訓案を作成した。
海軍軍令部…加藤寛治軍令部長はワシントン条約に深刻な不満を持ってお
り、この頃の基本主張には、支那問題を中心とした日米の利害衝突は必至で
あり、米国は海軍力で主張を強行するであろうから、その抑止力として、米
海軍の渡洋侵攻に対し勝算五分の海軍を保有することが必要であり、そのた
めに最小限度でも対米7割の兵力量が必要であると考えていた。ワシントン
条約では七割を補助艦で満たすこができたが、その補助艦まで押さえられて
しまってはまったく勝算が無くなり、請訓案では国防上不安を生じるので、
統帥上の見地からは決裂が望ましいとしていた。またこれらの人物は強硬派
と呼ばれていく。

514 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 00:26:11.03 ID:???
海軍省…軍政と軍令の立場は違っていたが、正式に軍令部から三大原則の
意見が出された以上は、外に対しては海軍一致して強力に推進する態度であ
った。それは、海軍という専門的立場から国防上安全をうる兵力量の主張と
実現に全力を尽くすことを主張していた、しかし、その主張を貫けないとき
にどうするかについては内閣において国政全般に責任を負う海軍省と、天皇
の帷幄に参じ作戦用兵に責任を負う軍令部とでは立場と考えの違いが生じて
いた。海軍省(山梨次官)はあくまで海軍の専門的意見を主張しつつも政府
の定めた方針に従う態度を堅持した。専門的意見としては@総括ほぼ対米七
割だが大巡対米六割であり、さらに条約期間中の建造がまったく出来ないた
め技術的格差が大きくなる。A潜水艦戦力が所要3 分の2 では作戦計画上大
きな困難を生じ、新造できないことで像肝機能に大打撃を受けること。など
軍令部的な意見があった。一方の政府に対しては、岡田大将…国力の大きな
米英の軍備に上限が決められることに条約の意義を認め、比率如何によらず
締結すべきと考えた。堀軍務局長…次官を補佐し、軍備は国力に適合し国際
情勢に適応したものとし、数字的トン数競争に熱中するより、後方支援等必
要とする潜在力も含めた総合力を重視していた。これらの人物は穏健派と呼
ばれた。
海軍として一致した見解…「妥協案のままでは軍事的要求を満たすことが
出来ず、国防上欠陥を生ずる。」というもの。
海軍省の見解…「実行上対策を講ずれば妥協案でも国防用兵上略
ほぼ
支障無き
を得る。」というものであった。
軍令部の見解…「欠陥を是正できない。」と主張。
結果的には政府が請訓案を基礎とした回訓が行われ条約が結ばれた。特に
海軍では、調印後軍令部長等の更迭し、紆余曲折の後に一致した公式見解と
して「倫敦条約ニ関スル御諮問ニ対スル軍事参議院ノ奉答」として形となり、
それは海軍省の見解に沿うものであった。
しかし、このような海軍省の中途半端な立場と意見が後に統帥権干犯問題
を起こすきっかけとなった。

515 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 00:27:49.91 ID:???
2、 対米七割思想と漸減邀撃作戦
対米七割思想は国防を成しえる最小限の戦力として考えられていたが、実際
国防を成すための手段であるのが漸減邀撃作戦であった。この思想と作戦は
不可分のものとして絶対視されていたが、ではそれぞれどのように生まれて
きたのであるかを見てゆきたいと思う。
○ 対米七割論の登場
対米七割論というのははっきりとした形になっていないというのが本当の
ところであり、それが「公式」に現れてきたのはワシントン条約時、海軍省
部の軍備制限対策研究会による「…帝国ハ米国ニ対シソノ七割以上ノ海軍兵
力ヲ絶対ニ必要トスルコト」(大正10 年7 月21 日)と加藤海相に報告した
ものであった。
海軍において対米七割思想は明治40 年代に表面化したと考えられており、
その提唱者として「秋山真之中佐」と「佐藤鉄太郎大佐」が挙げられる。
秋山真之中佐(後に中将、海兵17 期)…海軍兵術に関し考究が深く日露
戦争前後に海軍大学校兵術教官として兵術を教え、日露戦争では東郷連合艦
隊司令長官の先任参謀としても活躍。「兵術の大家」として後の海軍における
経典とも言うべき「海戦要務令」の基礎理論を確立した。小林躋造大将によ
ると「英米と戦う如き場合があるとして、少くも勝敗の算五分五分となるべ
き兵力は何程であろうかが検討された結果、敵の兵力の七割あれば斯くあり
得るということになった…なお斯くの如き結論を得たのは…秋山真之中佐が、
史に示されている古往今来の海戦を克明に調査した末、到達したものだとの
事であった。」(小林躋造「軍人と政治」執筆日時不詳より)と述べている。
佐藤鉄太郎大佐(後に中将、海兵14 期)…日本海軍における戦略戦術の
重鎮であり、秋山真之中佐とともに明治末期から昭和にかけて海軍兵術思想
の発達に多大な貢献をなし、その基礎を確立した人物である。また秋山中佐

516 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 00:30:35.48 ID:???
とともに海軍大学校教官に任命され、同時期に同様の研究、講義を行ってい
た。明治35 年山本海軍大臣の命を受け「帝国国防論」を作成し、10 月28
日、明治天皇の手に渡された。その後これは、追加・改定が行われ「帝国国
防史論」として海軍大学校甲種学生の研鑽資料として使用された。その中で、
あらゆる海戦史を研究した結論として「進攻艦隊は邀撃艦隊に対し、五割以
上の優勢兵力を必要とする。従って防守艦隊は想定敵国の艦隊に対し、七割
以上の兵力を確保する必要がある」(戦史叢書「海軍軍戦備1」)とし、さら
には軍備において攻撃力・運動力を重視し劣勢艦隊の局所優勢の実現による
「寡を以て衆を制する」という論が主張されていた。
(ちなみに対米七割であると、米国から見ると対日14.3 割であり進攻に必
要な兵力を含めた総兵力15 割を下回る、一方、対米6 割だと米国には対日
16.6 割であり進攻が可能になるというわけで、裏を返すと、対米七割である
と戦争を抑止する効果がある。)
このように両者の説には若干の違いが見られるものの、この対米七割論は
日露戦争前後を通じて両者が同時期に海軍大学校の教官として働いていたこ
とと、この頃に出されてきた説であることから両者の合作であるという見方
が一般的となっているようである。
○ 対米七割論と漸減邀撃作戦
漸減邀撃作戦は日露戦争における日本海海戦の戦訓により、日本近海まで敵
主力艦隊を誘い込み、地勢状の有利と自国の新鋭主力艦隊による決戦とによ
って一気に戦争の勝敗を決めるという邀撃作戦と、その邀撃作戦の前に敵の
主力艦隊に対し反復攻撃を行い敵の勢力の疲労と決戦海面までに出来る限り
勢力の低下を意図する漸減作戦とが組み合わされたものである。この作戦と
対米七割論は不可分の関係にある。それは、日露戦後の海軍の仮想敵国は米
国に絞られ、その為海軍において対米戦のための作戦の立案(後の用兵綱領)
が必要になってきた。(軍においては戦争如何に関らず仮想敵国に対する国防
計画を立てるのが平時の任務でありその計画をいつでも実行可能にしておく
準備、つまり戦備と訓練もまたその任務である)ここで参考になったのが、
日露戦争であり、その戦訓は大艦巨砲主義と決戦思想となって海軍全体に広

517 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 00:31:27.20 ID:???
まっていた。特に日本海海戦において「兵術の大家」として活躍した秋山真
之中佐の影響が特に大きかった。彼の理論を基礎にして作成された「海戦要
務令」は日本海軍の兵術思想として絶対視されていったが、これが数度改定
されてゆく過程において漸減減邀撃作戦は確立されていったと見てよい。漸
減邀撃作戦の根本の理論と対米七割論を考案した人物がほぼ同人物であるこ
とからもその関係の深さがわかる。「海戦要務令」の主な内容としては、「決
戦は戦闘の本領なり」「戦艦艦隊は艦隊戦闘の主兵」「先ず夜戦によりその勢
力の減殺を図る」などで、新兵器の登場、性能向上に合わせて明治34年の
発布から昭和9年まで四次の改正が行われた。これが基礎となり国防方針の
中(ここで言う国防方針は国防方針と用兵綱領・国防所要兵力量の総称)の
用兵綱領において、漸減邀撃作戦を具体的な対米作戦として細かく立案され
ていった。
劣勢の兵力量でも勝利を収める、もしくは五分に持ち込むことが出来ると
対米七割論で主張し、それを実際の作戦に作り上げたのが漸減邀撃作戦であ
った。このため対米七割の兵力量が絶対視されるようになり、太平洋戦争前
の頃には対米七割の兵力があればこの作戦で勝てるとまで考えられるように
なっていった。
3、 軍縮条約下の軍備拡張とその影響
軍縮条約の結果劣勢比率を補うため各種艦艇はその規制範囲内における最
大限の性能を追求する個艦性能の向上が図られてゆく。それは量的な軍拡と
いうより質的な軍拡というものであった。

518 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 00:32:23.46 ID:???
巡洋艦(ワシントン条約後からロンドン条約まで)
巡洋艦は先に述べたとおり、ワシントン条約後8 インチ砲搭載一万トン巡
洋艦(以下「大巡」)が世界各国で競って建艦されることとなった。特に日本
ではそれ以前からの計画で5500 トンの小型巡洋艦「夕張」(平賀大佐主任設
計)など世界でもこのクラスでは高性能の巡洋艦を建造できるまでに至って
いた。大正9(1920)年の計画で7100 トン級の軽巡として計画された「古
鷹」はたまたま8 インチ砲搭載という計画で建造されていたため、この艦が
ワシントン条約によって大巡に分類されることとなった。この艦は、7100
トンの限られた排水量の中で以下に重武装にするかという課題に挑戦したも
ので、当時主任設計者であった平賀譲造船大佐(当時)と、このトップクラ
スの性能を誇る「フルタカ」は世界でも注目こととなった。しかし、軍令部
としてはこの性能には満足しておらず、その後の同型艦である「青葉型」で
は平賀大佐の外遊中に強引に設計変更を行った。平賀大佐は帰国後この設計
では船体強度・重心点に問題が生じると発言したが、この設計で「青葉」「衣
笠」が建造され、主任設計者も藤本喜久雄造船大佐に代わり、その後建造さ
れた大巡は軍令部の要求を多分に取り入れたものとなっていった。技術者と
して軍令部からの無理な要求を一切取り入れなかった「不譲」と呼ばれた平
賀譲大佐と、技術度返しで個艦の性能を優先し劣勢比率を補おうとした軍令

519 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 00:47:03.62 ID:???
部との対立が明らかに起こっていた。
潜水艦
潜水艦は当初日露戦争時に米国から購入したホーランド式潜水艇から始まり、
その後大正後期まで米英独仏など欧米の潜水艦の技術の吸収が続けられた。
その技術の進歩は目覚しく、また漸減邀撃作戦上の漸減作戦の重要性の増大
から、その有効性が用兵者側に認められるに至り、日本独自の艦隊型潜水艦
の建造が行われていくことになった。主なものには、海大型(一型〜六型)、
巡潜型(一型〜三型)があり、これらは世界に類を見ないほどの性能の高さ
を誇った。潜水艦の開発とともにその用法も確立されていった。これは末次
信正中将(後大将)が潜水戦隊司令官となり自ら積極的に潜水艦用法の確立
を目指し演習など訓練を通じた研究により進められた。その訓練は苛烈なも
のであり、事故も絶えなかった。その用法は軍縮条約により押さえられた比
率を補うための攻撃を重視したもので、主に敵艦隊の監視、追躡接触、漸減、
艦隊決戦参加というものであった。
個艦優秀主義とその影響
巡洋艦のところでも述べたように、劣勢比率から軍令部の要求による技術
より個艦性能を重視した結果、攻撃性能は著しく向上した一方、そこでの無
理が他の部分にしわ寄せとなって現れることとなる。その代表例が「友鶴事
件」と「第四艦隊事件」である。
「友鶴事件」は、昭和9(1934)年3 月12 日、水雷艇「友鶴」が他の艦
とともに訓練中、荒天のため中止、佐世保寄港中、転覆漂流した事件である。
この「友鶴」はロンドン条約で規制された駆逐艦に変わって、その規制以下
の600 トン以下の艦に大正期の二等駆逐艦並みの重武装を施した艦であり。
明らかに重心点が上昇し復元力不足(ある角度を超えると転覆しやすい)艦
であり、姉妹艦である「千鳥」の運用試験でも十分認識されていたことであ
った。それにも関わらず建造、同年2 月に竣工した「友鶴」はこの日転覆艦
長以下百名あまりの犠牲者を出した。早速臨時艦艇性能調査委員会が発足し、
復元力不足の艦の洗い出しが行われたが、復元力不足と認められる艦は「千
鳥型」に前後して建造された軍令部の激しい要求の元、同じ設計者(藤本喜
久雄造船少将)により設計された各種艦艇(空母蒼龍、重巡最上型など)で

520 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 00:47:59.21 ID:???
多く、新式艦艇ほど著しかった。これら既成艦に関しては徹底的な対策が、
設計中の艦に関しては徹底的な見直しが行われることになる。
昭和10(1935)年9 月26 日、大演習中にあった第四艦隊は台風による荒
天のため艦艇に大損害を受けた。特に駆逐艦「初雪」「夕霧」は大波浪を受け、
艦橋直前で船体が切断、艦首喪失。また「睦月」は同じく大波浪で艦橋が圧
壊する等ほとんどの艦艇が大小の損傷、特に切断まで至らなかったが皺が各
所で発生した。これが「第四艦隊事件」である。この原因としては船体の強
度不足と想定以上の強力な波浪であったことにあるが、特に船体強度の不足
では重量軽減のため強力材として使用された鋼板が薄くされており、波の応
力に対し耐えられなかったことによる。この切断された特型駆逐艦はこれに
先立つ7 月に「叢雲」がうねりの中での高速運転後多少の皺が見られ、艦政
本部の造船少佐は重大な強度上の欠陥によって発生したものとし演習参加を
考え直すべきだと復命したが上司は大演習の矢先このような問題が発生して
は艦政本部の大失態であるとし、不問に付すと同時に問題艦をこの一艦のみ
とし若干の補強を加えるのみであった。この事件によってもやはり臨時艦艇
性能改善調査委員会が発足し強度調査が行われた。就役後7 年経過していた
艦が突如強度不足と立証された為、その後建造された巡洋艦・駆逐艦・空母
までも強度に欠陥があり徹底的な補強が行われることとなる。この補強作業
自体は「1936 年危機」が叫ばれていたことにもより、迅速かつ徹底的に行わ
れたが、そもそもの原因が設計段階における無理にあったことは明らかであ
り、この時期に一時的とは言え性能重視から技術重視への見直しが行われた
ことは逆に幸いなことといってよい。
おわりに
対米七割論は日露戦後の艦隊決戦主義・大艦巨砲主義の中で受け入れられ
てゆき、それは漸減邀撃作戦の確立とともに絶対視されるものとなった。こ
れは海軍の仮想敵国が米国に絞られ、その国力の差が大きいものであり同数
の海軍力の保有が不可能であることが明らかであったことにより、国防のた
めの最小兵力として理論的に割り出された対米七割の比率が特に用兵者の側

521 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 10:43:55.63 ID:???
に受け入れられたためであった。しかしこれが絶対的なものとなることによ
り戦略、作戦は柔軟性を失い、この後開戦時まで固執されてゆくことになる。
本来、国際情勢や国力、技術力の推移に合わせてその戦略・作戦は変更さ
れていくものであるが、この海軍の基本戦略である対米七割・漸減邀撃はほ
とんど変更されることが無かった。この戦略の影響を直接受けたのは兵器と
兵であるが、特に兵器は用兵上の要求から技術以上の性能を要求されること
となった。それは技術者の努力により大方は要求にこたえられたが、その代
わり数多くの弊害を及ぼすこととなった。さらに、そうして開発された兵器
も後の戦争ではその性能を十分発揮できるほどの作戦・戦闘が行われること
が無く、特に漸減邀撃作戦が実際には行われず、開戦時に急遽短期決戦へと
切り替わり、その後そのまま長期戦へと陥り戦略が成り立たず、結局用兵者
側によって大量の艦艇を失うこととなった。また、この比率主義は戦争開戦
時期決定にも深く関与することとなっていった。
参考文献
福井静夫「日本の軍艦―わが造艦技術の発達と艦艇の変遷―」
(出版協同社、1956 年8 月)
防衛庁防衛研修所戦史室「戦史叢書 海軍軍戦備(1)昭和16 年11 月まで」
(朝雲新聞社、1969 年11 月)
野村 実「対米英開戦と海軍の対米7 割思想」
(『軍事史学』通巻34 号、第9 巻、第2号、並木書房、1973 年9月)
黒羽 清隆「太平洋戦争と潜水艦―ロンドン条約史の一考察―」
(『歴史公論』太平洋戦争第4 巻、第8 号、雄山閣出版、1978 年8 月)
工藤 美知尋「海軍軍縮条約離脱後の日本海軍」
(『軍事史学』通巻57 号、第15 巻、第1 号、並木書房、1979 年6 月)
平間 洋一「日本海軍の対米作戦計画―邀撃漸減作戦が太平洋戦争に及ぼした影響
―」
(『軍事史学』通巻99・100 合併号、第25 巻、第3・4 号、錦正社1990 年2月)
外山三郎「日本史小百科―海軍―」(東京堂出版、1991 年3 月)
黒野 耐「昭和初期海軍における国防思想の対立と混迷―国防方針の第2 次改定と
第3 次改定の間―」
(『軍事史学』通巻133 号、第34 巻、第1 号、錦正社、1998 年6 月)

522 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 10:48:22.41 ID:???
陸海軍の情報組織とその活動については、いくつかの先行研究がある。なかでも有賀傳
の『日本陸海軍の情報機構とその活動』(近代文芸社、1994年)は、陸海軍の参謀本部並
びに主要な部隊における情報組織の変遷とその活動について、明治建軍から終戦までを時
系列的に記述したものである。また小谷賢の『日本軍のインテリジェンス』(講談社、2007
年)は、インテリジェンスの一般的な理論から、陸海軍のインテリジェンスを、@情報収
集、A情報分析、B情報利用、の三点から分析して、旧軍のインテリジェンスの長短所や
その特徴を明らかにしている。
しかしいずれの研究も、陸海軍の秘密保護のための組織、すなわち防諜組織に焦点をあ
て、その成立過程と活動の実態、あるいは陸海軍の防諜教育については明らかにされてい
ない。そこで本稿では、陸海軍の防諜組織、特に陸軍に焦点をあてて、各防諜機関の成立
過程とその活動内容、並びに陸海軍の各学校や部隊において実施された防諜教育について、
その実態を明らかにしたものである。
本稿は大きく分けて三つの部分からなる。第1節では、参謀本部や軍令部あるいは陸海
軍省内の中央防諜組織の変遷について、第2節では、前記中央防諜組織の下にあった各防
諜機関の活動について、特に陸軍を主体として記述した。最後に第3節では、陸海軍の各
学校や部隊で実施された防諜教育の内容や教育要領などについて、その概要を記述した。
本稿が依拠した文献であるが、第1節の中央防諜組織の変遷については、中野校友会編
『陸軍中野学校』(原書房、1978年)や憲兵司令部編『復刻日本憲兵昭和史』(巌南堂、
1970年)、全国憲友会連合会編纂委員会編『日本憲兵正史』(研文書院、1976年)などを参
考にした。これらは、いずれも旧軍人達による特定機関の防諜組織を記録したものである
が、陸軍全般の防諜組織とその活動も併せて理解することができる。また第2節の各防諜
機関の活動については、上記参考文献のほか、斉藤充功『謀略戦―ドキュメント陸軍登戸

523 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 10:49:10.18 ID:???
研究所―』(時事通信社、1987年)や木下健蔵『消された秘密戦研究所』(信濃毎日新聞社、
1994年)、伴繁雄『陸軍登戸研究所の真実』(芙蓉書房、2001年)、あるいは大谷敬二郎『昭
和憲兵史』(みすず書房、1966年)を参考にした。第3節の防諜教育については、主とし
て防衛研究所に所蔵されている一次史料を使用して、その概要を記述した。
なお、本稿において一次史料を引用する場合は、原文の直接引用は避けて平仮名・新漢
字とし、適宜、句読点や濁点、ルビを補った。ただし、脚注における史料等の記述は原文
のままである。
1 陸海軍の中央防諜組織について
(1) 陸軍の中央防諜組織
陸軍は、防諜を「外国の我に向ってする諜報、謀略(宣伝を含む)に対し、我が国防力
の安全を確保する」ことであると定義し、積極的防諜と消極的防諜に区分して説明してい
る。このうち積極的防諜とは、「外国の諜報、若は謀略の企図、組織又は其の行為若は措
置を探知、防止、破摧」することであり、主として憲兵や警察などが行った。その具体的
な活動内容は、不法無線の監視や電話の盗聴、物件の奪取、談話の盗聴、郵便物の秘密開
緘などであった。これに対して消極的防諜とは、「個人若は団体が自己に関する秘密の漏
洩を防止する行為若は措置」のことであり、軍隊、官衙、学校、軍工場等が自ら行うもの
であった。主要施策としては、@防諜観念の養成、A秘の事項又は物件を暴露しようとす
る各種行為若しくは措置に対する行政的指導又は法律に依る禁止若しくは制限、Bラジオ、
刊行物、輸出物件及び通信の検閲、C建物、建築物等に関する秘匿措置、D秘密保持の為
の法令及び規程の立案及びその施行などがあった1。

524 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 10:49:58.07 ID:???
このように防諜の概念が整理されて、陸軍省から関係各省の防諜業務担当者や関係部隊
へ周知徹底されたのは日中戦争勃発以降のことであった2。それまでは、防諜を含む陸軍
全般の情報に対する関心は低かった。日露戦争当時の明石大佐の活躍のように一、二の事
例はあったが、欧米諸国に比較すると情報組織、要員、活動ともに低調であった。
また軍事秘密の保護に関する法律も、1899(明治32)年制定の軍機保護法を中心とする
ものであり、それも制定から40年が経過し、時代に即応するものではなかった。更に、要
塞地帯法や軍港要港規則等も逐次整備されてはいたが、それも分野別の規定に過ぎなかっ
た。陸軍省調査部で勤務(1940.8〜41.6)した久保宗治大佐(のち少将)は、当時「憲兵
を調べたが、二、三十年間軍機保護法で取締まったことは全くない」と述べており、要塞
地帯法での取締りはあったものの、軍機保護法が全く活用されていない実態が明らかになっ
た3。
また軍並びに軍人全般の秘密保護に対する意識も低く、秘密扱いの軍事資料を将校やそ
の家族が移転のときに棄てたり、あるいは軍隊や官庁の紙屑の中に刷り損じや余った秘密
書類が棄てられたりすることがあった4。また、動員部隊数や応召人員数等を電車内で口
外する者など、軍機保護上適当でない実例が多々報告されていた5。
そして満州事変以降、日本への外国人渡来者数や軍事関連施設の視察者数の増加6、こ
れに伴う諸外国の日本に対する諜報活動の活発化が顕著になってくると、日本の防諜体制
の不備とこれに対する強い危機感が示されるようになった。
例えば、1936(昭和11)年6月25日に、陸軍次官から各省次官宛てに通牒された「国防
上の機秘密保護に関する件」は、「満州事件以来諸外国の帝国に対する諜報活動は益々旺
盛となり北支問題の進展、連盟脱退を契機として益々本格的状態を現出するに至れる」と
し、日本に対する諸外国の諜報活動の目的、目標および諜報網について詳しく分析してい
た。そして将来戦が「武力戦のみならず思想戦、経済戦を生起し、帝国の内外至る所是れ
戦場たらざるなき状態」になることから、「益々軍部官庁民間三者の提携を密ならしめ警

525 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 10:50:36.65 ID:???
防の万全を期するの急務なる」ことを強調していた7。
また1936(昭和11)年6月22日、参謀本部庶務課長代理富永恭次が陸軍省副官寺倉正三
に宛てた意見照会「機秘密保持改善に関する件」も、当時の軍内の機密保持観念の希薄さ
などを問題視し、「万難を排し速やかに之れが観念施策を根本的に更新し軍機保護上些か
の遺憾なきを期せざる可からず」8と、強い危機感をもって指摘していた。
このような状況において、1937(昭和12)年3月1日、「防諜委員設置に関し処務規程
改正の件」が通知され、ようやく参謀本部内に防諜体制の強化を図るための防諜委員が設
置された。委員長には参謀本部処務課長があたり、佐尉官若干名が委員となって「部内防
諜に関する諸般の調査研究及警視」を担任した9。
また1937(昭和12)年7月には、「防共防諜事務連絡会議結成に関する件」(憲高第941
号)が通知されている。これは陸軍省・海軍省・外務省・司法省・逓信省・大蔵省・文部
省・拓務省などの各省で構成される連絡会議を開催し、「防共並防諜に関する関係各官庁
間の取締上の情報を交換し及其の対策を考究協議」して、防諜態勢の確立をめざそうとす
るものであった10。
そして日中戦争が勃発してから4ヵ月後の1937(昭和12)年11月20日、大本営が設置さ
れると、情報活動を所掌する第2部に、宣伝・謀略・防諜を担当する第8課(通称謀略課)
が新設されることになる11。この時期、謀略課が新設された背景には、日中戦争が政府の
不拡大方針にも拘らず拡大の兆しを見せたことから、宣伝・謀略によって早期解決を図る
ため、これを担当する部署の設置が必要とされたからであった。その後第8課は、1941(昭
和16)年に陸軍中野学校12を所管するとともに、翌42(昭和17)年には陸軍第9科学研究

526 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 10:52:10.14 ID:oOPAmx8D
7「国防上ノ機秘密保護ニ関スル件」(密受第一〇〇七號、昭和十一年六月廿四日)防衛研究所史料室
所蔵。この他にも、前年に陸軍次官から各省次官へ通牒された「国防上ノ機秘密保護ニ関スル件」
(密受第五六〇號、昭和十年五月十三日)にも、当時の外国諜報機関の活動状況について「我帝国内
外の情勢上近時外国諜報機関の活動盛にして其の手段方法亦巧妙深刻を極めつつあり」とし、「国防
能力調査に利用せらるる恐れある照会、視察、行動等に関しては其の内外人たるの論なく充分御注意
の上予め迅速に中央軍部に連絡せられ外国通牒機関に利用せられざる様配慮せられ度」と指示している。
8 「機秘密保持改善ニ関スル件」(密受第一〇〇一號、昭和十一年六月二十二日)防衛研究所史料室所
蔵。
9 「防諜委員設置ニ関シ處務規程改正ノ件」『参謀本部歴史(昭和9.1〜12.5)』防衛研究所史料室所
蔵。
10 「防共防諜事務連絡会議結成ニ関スル件」(昭和十二年七月二十九日、憲高第九四一号、憲司警務
部長)『秘憲兵司令部編纂憲兵令達集第二巻』(第十類外事、防諜、軍機保護)防衛研究所史
料室所蔵。
11 「大本営陸軍部幕僚業務分擔規定」(昭和十二年十一月二十日)『大本営陸軍参謀部陣中日誌(昭和
十二年十一月十七日〜昭和十七年二月九日)』防衛研究所史料室所蔵。
12 中野校友会『陸軍中野学校』143頁。陸軍中野学校は、諜報、宣伝、謀略、占領地行政等の秘密戦
に携わる要員の人的養成機関である。その創設は1938(昭和13)年1月の「後方勤務要員養成所」に
始まり、40(昭和15)年8月には陸軍中野学校と改称、翌41(昭和16)年10月に参謀総長直轄の学校
となった(中野校友会『陸軍中野学校』22〜24頁)。
防衛研究所紀要第14巻第2号(2012年3月)
92

527 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 10:53:03.31 ID:???
(2) 海軍の中央防諜組織の変遷
海軍の防諜組織については、該当する記録がほとんど残されていないことから、その全
容を把握するのは難しい。従ってこの項では、海軍軍令部内の防諜組織に焦点をあてて記
述する。
1933(昭和8)年9月26日、従来の海軍軍令部が軍令部と改称されると21、情報に係る
業務は第3部(部長直属と第5課、第6課、第7課の3個課編成)が所掌することになっ
た。当時の「軍令部処務規程」によれば、第3部第5課は「南北『アメリカ』の軍事並に
国情梗概調査」を、第6課は「支那国及満州国軍事並国情梗概調査」、第7課は「欧州列
国の軍事並に国情梗概調査」を担当したが、第3部長直属の所掌事項の中に、「情報計画」、
「情報事務に関する事項」、「情報総合」とともに、新たに「諜報の防衛に関する事項」が
加えられた。また第1部第1課の所掌事項には、「軍機保護に関する事項」が新たに追加
されている22。参謀本部内に防諜委員が設置されたのが1937(昭和12)年3月であったこ
とを考えれば、それに先立つこと3年6ヵ月、軍令部第1部所掌事項に「軍機保護に関す
る事項」が、また第3部所掌事項に「諜報の防衛に関する事項」、つまり防諜という業務
が新たに加えられたことは注目に値する。
さらに1937(昭和12)年2月1日、「軍令部処務規程」の改正により、第3部に「英国、
しゃむ
欧州列国の一部及暹羅国の軍事並に国情梗概調査」を所掌する第8課が新設されるととも
に、第7課は「蘇国及欧州列国の一部の軍事並に国情梗概調査」を担当することになった23。
これにより、第7課においてソ連が、第8課においてイギリスとタイが、それぞれ情報収
集対象国として新たに追加されたが、防諜業務については第3部直属が所掌することに変
化はなかった。
日中戦争が勃発してから4ヵ月後の1937(昭和12)年11月20日、大本営が設置されると、
軍令部は大本営海軍部を構成することになったが、防諜に関する事項は、大本営海軍部第
3部直属が所掌し、これは終戦まで変わらなかった。
21

528 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 10:54:29.43 ID:???
21 「軍令部令」(軍令海第5号、昭和八年九月二十六日)『昭和年間法令全書(第7巻‐4)』(原書房、
1995年)。
22 「軍令部処務規程」(昭和八年十月一日軍令部機密二)『海軍省「海軍制度沿革」第二巻』952〜955
頁、防衛研究所史料室所蔵。
23 「軍令部処務規程」(昭和十二年二月一日軍令部機密二)『海軍省「海軍制度沿革」第二巻』959〜962
頁、防衛研究所史料室所蔵。
2 各防諜機関の活動について
戦前、防諜活動に力を注いでいたのは陸軍であった。これに比較すると、海軍の防諜活
動はあまり積極的には行われなかったようである24。また海軍の防諜活動を記した史料が
極めて少ないことなどから、各防諜機関の活動については、以下陸軍を主体として記述する。
(1) 陸軍省兵務局防諜機関―警務連絡班(後の軍事資料部)
既述の陸軍省兵務局の所掌事項の一つである「防諜に関する事項」を担任する機関とし
て、警務連絡班があった。この機関の詳細は明らかではないが、中野校友会編『陸軍中野
これちか
学校』によれば、当時の兵務局長阿南惟幾少将25が、参謀本部第2部第5課(対ソ連情報
しゅん
所掌)から兵務局長付きとなった秋草俊中佐26と、同じく同局付きとなった東京憲兵隊特
かめじ
高課長福本亀治憲兵少佐27らに対し、極秘裏に科学防諜機関設置の研究を命じたことから、
1937(昭和12)年春頃に設立された日本最初の防諜専門機関であった28。その所在地は新
宿区牛込若松町で、当時陸軍軍医学校があった場所である。
警務連絡班の組織、活動要領などに関する研究は、秋草、福本両中佐のほか新たに参謀
なおたか
本部第2部第6課(対欧米情報所掌)から宇都宮直賢少佐29を加えた三人の将校の合議に
よって進められた。初代班長に秋草中佐、副班長に福本中佐が就いたが、まもなく陸軍省
いわくろひでお
軍務局軍事課員岩畔豪雄中佐30とともに防衛勤務(諜報、謀略、宣伝、防諜をいう:筆者
注)のための要員養成所、すなわち後方勤務要員養成所(後の陸軍中野学校)の設立に参
画することになったため、宇都宮中佐が第2代班長に就いている31。

529 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 10:55:03.55 ID:???
24 小谷賢『日本軍のインテリジェンス』(講談社、2007年)102頁。
25 陸士18期、歩兵、のち大将。兵務局長、人事局長、第109師団長、陸軍次官、第11軍司令官、第2
方面軍司令官、航空総監兼本部長兼軍事参議官、陸軍大臣を経て終戦(終戦時、自決)。
26 陸士26期、歩兵、のち少将。後方勤務要員養成所長(陸軍中野学校の前身)、満州国参事官(独国
駐在星機関長)、第4国境守備隊長、関東軍情報部長(ハルビン機関長)を経て終戦。1949(昭和24)
年2月シベリヤ抑留中死亡。
27 陸士29期、憲兵、のち少将。軍派遣学生として東京帝大法学部で研修した経歴をもち、1935(昭和
10)年8月、東京憲兵隊特高課長のとき、永田軍務局長事件や二・二六事件関係の調査や取調べに当
たっている。中野学校教育部長のち幹事、漢口憲兵隊長、第6方面軍憲兵隊司令官を経て終戦。
28 中野校友会『陸軍中野学校』19〜21頁。
29 陸士32期、歩兵、のち少将。兵務局付(警務連絡班長)、中支那派遣軍参謀(渉外部長)、支那派遣
軍参謀(渉外部長)、ブラジル大使館付武官、第14軍軍政監部総務部長、兼参謀副長兼大使館付武官、
南方軍第2課長、第14方面軍参謀副長(政務)を経て終戦。
30 陸士30期、歩兵、のち少将。軍務局長、近衛歩兵第5連隊長、南方軍光機関長(印度独立義勇軍の
指導工作)、第25軍参謀副長兼軍政監部総務部長、第28軍参謀長、兵器行政本部付、軍務局付を経て
終戦。
31 宇都宮直賢中佐のあとは、大内競中佐(のち大佐)が第3代警務連絡班長に就いている。なお、警
務連絡班は1940(昭和15)年8月に、軍事資料部東京機関の科学偵諜班に改編となった。

530 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 10:55:46.02 ID:???
警務連絡班は、資料室、電気室、郵信室及び写真室の4個班から成り、陸軍省兵務局兵
務課長の指揮を受け、東京憲兵隊と協力関係にあった32。またその人的規模は、班長以下
将校数名、憲兵准尉及び下士官が30名から40名で、加えて英国、ソ連、中国関係専門の文
官が各1名ずつ、庶務関係の憲兵下士官、電気技師、助手各1名、さらに14名ないし15名
の女子職員を含めて70名前後であった33。
警務連絡班の具体的業務内容は、国際電信電話の秘密点検、外国公館その他の信書点検
や電話の盗聴、私設秘密無線局の探知等が主で、あわせて情報の収集に当っていた。従っ
て警務連絡班は「山」という隠語が使用されるなど、その存在は省部内でも一部の関係者
以外には極秘とされていた。
当時警務連絡班長であった宇都宮少佐(のち少将)は、その活動内容について戦後次の
ように回想している。
国際電話の送受信内容は、毎日逓信省から防諜班に送られて来たし、国際電話や外国
公館及びその関係者と外部との電話による通話は牛込電話局に集約され、そこから防諜
班の秘密回線に連接されてレコーディングされることになっていた。外国公館からその
本国へ送られる信書は一応中央郵便局に集められた上、その一部は防諜班へ送られ、開
封の上内容を写真撮影した後、二時間後に中央郵便局へ返送した。外国公館等のスタッ
フが長途汽車旅行等をする時は列車の小荷物室で手早く手荷物を検査する作業などを行っ
た。私設無線局の探査に当っては方向探知機を利用したがその当時は未だ器具の性能が
よくなくて、十分な成果は残念ながらあげられなかった34。
また当時警務連絡班員であった曽田嶺一憲兵大佐の戦後聴取録によれば、警務連絡班は
自隊防諜態勢の整備には貢献したが、積極防諜にまでは手が回せなかったとし、日中戦争
に対処するためには専任防諜機関の設置は遅すぎたと回想している。また憲兵との協力も
不十分で、海軍との連絡もうまくいかなかったようである35。

531 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 14:49:23.12 ID:???
1940(昭和15)年8月、警務連絡班は組織を拡充し、将官を長とする陸軍大臣直轄の軍
事資料部に改編された36。その後軍事資料部は調査部と統合し37、年間の機密費要求額は
100万円(現在の貨幣価値で約8億円)に達した38。
しずいち
軍事資料部発足の当初は、憲兵司令官が軍事資料部の本部長を兼務し、田中静壱中将39、
次いで豊嶋房太郎中将40が就いたが、1943(昭和18)年にはこの兼務職が解かれている。そ
みくになおとみりゅうぞう
の後の軍事資料部の本部長には、調査部長の三国直福少将41、次いで桜井鐐三少将42、上田
まさおとごうきたる
昌雄少将43が就き、最後の部長は都甲徠少将44であった。軍事資料部の本部長は陸軍大臣に
直属し、また兵務局長や軍務局長、憲兵司令官と協力関係にあった45。
軍事資料部の本部(総務課と資料課、移動偵諜課(班)、資材研究課(班)で編成)46は
東京に置かれ、大阪、神戸、下関、長崎などの主要都市に地方機関(本部と科学偵諜班、
偵諜工作班で編成)47が、信越地区(軽井沢)と南鮮地区(釜山)に臨時分派機関が配置さ
れた。また戦局の進展に伴い、北支、中支、仏印、比島にも、各所在軍司令官に直属する
防諜専任機関が新設され、これに必要な基幹人員と機材は、軍事資料部から分派され、内
外地防諜業務に関して連絡を密にしていたとされる48。
軍事資料部の任務は、「諸外国、特に敵性国家から我が国に対する諜報、宣伝、謀略網
を探知するため情報の収集を行い、必要とあらばこれを秘密裡に破摧、撃滅すること」で
あった。主な活動内容は、不法無線の監視(特定地域で実施)や電話の盗聴、物件の奪取
(開錠工作、公館暗号等の取得など)、談話の盗聴(隠しマイクによる盗聴)、郵便物の秘
密開緘などであった。このため軍事資料部は、参謀本部第2部やその隷下の登戸研究所な
どと密接に連絡してその技術成果を活用し、また参謀本部第18班、のちの陸軍特殊情報部
(暗号解読、通信解析等の通信情報機関)とも緊密に連携して活動したという49。
軍事資料部の各機関の位置及び業務内容の秘匿は勿論、職員の身分も陸軍省兵務局付ま
たは陸軍省調査部付とされるなど、私生活に至るまで特別の統制が加えられていた。また

532 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 14:50:19.70 ID:???
職員のうち中堅幹部は、中野学校や憲兵学校卒業者をあて、雇用人は戦傷者を厳選して採
用するなど人事上の考慮も払われていた。職員に警察権は付与されず、調査の結果、行政
上の処置は兵務局又は軍務局に、実力行使を伴う処置は兵務局を通じて憲兵司令部に依頼
された50。
(2) 憲兵隊
防諜に係る法執行を担当する実力行使機関が憲兵隊であった。憲兵隊は、陸軍中野学校
とともに登戸研究所とも密接な関係にあり、登戸研究所製の科学偵諜器材を使用して防諜
や各種取締りを行っていた。
憲兵の任務は、憲兵令第1条に規定されるごとく「陸軍大臣の管轄に属し、主として軍
事警察を掌り、兼て行政警察、司法警察を掌る」ものであり、警察権が付与されていた51。
そして、憲兵がその職務を遂行する場合は、軍事警察に係るものは陸軍大臣及び海軍大臣
の指揮を、行政警察に係るものは内務大臣の指揮を、司法警察に係るものは司法大臣の指
揮を受けた(憲兵令第2条)。
つまり憲兵は、陸軍大臣の指揮下にあるが、職務の遂行にあたっては、その内容によっ
て陸軍大臣や海軍大臣、あるいは内務大臣や司法大臣の指揮を受けることになっていた。
特に行政警察権や司法警察権の行使にあたっては、内務大臣や司法大臣または地方長官及
びこれに準ずるものの要請があって、初めて介入することを通例としていた52。また海軍
49 中野校友会『陸軍中野学校』130頁。
50 「曽田嶺一(元陸軍大佐)手記」『防諜ニ関スル回想聴取録陸軍少将久保宗治外』防衛研究所史料
室所蔵。
51 「憲兵令」『陸軍成規類聚』(第一巻第二類官制・第二款軍隊)防衛研究所史料室所蔵。
52 全国憲友会連合会編纂委員会編『日本憲兵正史』(研文書院、1976年)26、31頁。
防衛研究所紀要第14巻第2号(2012年3月)
98

533 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 14:51:02.90 ID:???
には憲兵がなかったので、陸軍の憲兵が海軍の軍事警察を掌っていた53。
さて憲兵は、その所在地によって内地憲兵と外地憲兵に区分された。内地憲兵、すなわ
ち国内の憲兵はすべて陸軍大臣の管轄下にあり、勅令による憲兵令に服したことから勅令
憲兵とも呼ばれた。一方、国外の作戦地域に派遣された外地憲兵は、派遣軍司令官の指揮
下にあって、軍令による野戦憲兵隊勤務令に服したことから軍令憲兵とも呼ばれた54。
憲兵隊の兵力は、1945(昭和20)年時点で、内地憲兵が11,685名(朝鮮、台湾を含む)、
外地憲兵が22,200名であり、外地憲兵が内地憲兵の約2倍の勢力であった。そして、終戦
時における外地憲兵は、満州から中国大陸、そしてビルマと、広範囲に亘る地域に派遣さ
れていた55。内地憲兵も外地憲兵も軍機の保護に任じていた点では同じであるが、外地憲
兵は作戦群の特性によってその組織等が異なることから、以下本稿では内地憲兵を主体と
して記述する。
さて内地憲兵の終戦時の配置であるが、憲兵司令部は東京に置かれ、その隷下に北部(札
幌)、東北(仙台)、東部(東京)、東海(名古屋)、中部(大阪)、中国(広島)、四国(善
通寺)、西部(福岡)、朝鮮(京城)、台湾(台北)の10個憲兵隊司令部があった56。そして
本土に24個憲兵隊、朝鮮に12個憲兵隊、台湾に2個憲兵隊が配置された57。
東京の憲兵司令部は、総務課と警務課、外事課、特務課、経理課から成っていたが、こ
のうち外事課が軍機保護や外事警察並びにこれ以外の防諜に関する事項などを所掌してい
た58。そして内地憲兵の本来任務は、軍事に関係した犯罪の摘発や要塞要港などに対する
危害の警防(危険や災害を警戒して防ぐこと)などであった59。
ところが1931(昭和6)年の満州事変以降、外国人の日本への渡来数が急増したこと、
あるいは外国人による要塞地帯法違反件数が増加したことなどから、陸軍において防諜の

534 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 14:52:04.32 ID:???
必要性が叫ばれるようになった60。そして1932(昭和7)年10月1日、陸軍次官から関係
部隊へ通牒された「諜報防止に関する件」で、防諜の目的は「外国の諜報に対し、国家特
に軍の機秘密を防護すると共に、其の企図を諜知し、我国策乃至作戦の遂行に資」するこ
とにあるとし、その実施機関は憲兵であり、「憲兵司令官は本要領に基き之が計画実施に
任ず」とされた61。ここにおいて防諜は、憲兵の重要な任務となったのである。
また1938(昭和13)年9月6日、憲兵司令部警務部長から内地憲兵隊に通牒された「内
地憲兵の防諜業務に関する件」では、「内地憲兵の防諜業務指導方針」が示されている。そ
こには、憲兵は「軍事に関し防諜を自主的に実施」することとされ、東京、横浜、大阪な
どの主要都市部において「軍事防諜上要注意人物(国籍不問)の動静を逐次個別的に偵諜
し特に其の連絡系統を究明」することが命ぜられている62。
このような憲兵隊の防諜活動について、大谷敬二郎『昭和憲兵史』には、次のように記
述されている。
陸軍省に秘密防諜機関(警務連絡班あるいは軍事資料部のこと:筆者注)が設置され、
また、その後参謀本部にも対外宣伝謀略組織(参謀本部第2部第8課のこと:筆者注)
が秘設されるようになると、憲兵の防諜警察の方向も、時に秘密工作を行うことがあっ
た積極的な防諜よりも、警察力をもってする相手側防諜組織の破壊に向っていたし、何
よりも戦局の要請は、対諜報防衛といった消極防諜に、より多くの力をそそぐことになっ
た。(中略)
軍事防諜は憲兵の防諜上の領域であったが、それは専ら軍人、軍隊を対象として行わ
れるだけでなく、軍の秘密を保護することにあった。ことに、戦争ともなれば、軍事上

535 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 14:53:01.36 ID:???
の秘密はもとより広く国家機密も、きびしく防護されなければならなかった。これがた
め、憲兵は、街の小さいささやきにも耳を働かせていたし、紙屑拾いになって、バタヤ
の仕切り場に出入りしたり、古本屋の店頭に要注意図書を漁ったりすることもあった63。
前年に勃発した日中戦争が逐次拡大化の傾向を見せる中、実力行使機関としての憲兵は、
軍事防諜から一般防諜にその範囲を拡大して、防諜上の取締りや指導に任ずることになっ
たのである。特に1941(昭和16)年に国防保安法が制定・公布されると、憲兵の指導、取
締りの対象も著しく拡大された。
3 陸海軍の防諜教育について
(1) 陸軍の防諜教育
ア防諜教育に対する陸軍の考え方
1938(昭和13)年9月9日、陸軍省から関係陸軍部隊へ配布された「防諜の参考」とい
う史料によれば、防諜の目的達成のためには、大別して二つの手段があるとしている。そ
の一つは「諜報並びに有害行為に対し自らを守る消極的手段」であり、他の一つは「進ん
で是等諜報或いは有害行為に対する究明、弾圧、破摧等の攻勢的なる積極的手段」である
と規定している。そして、一般の軍隊や官衙、学校、軍工場等の防諜に於いて採るべき手
段は、前者の消極的手段であって、後者の積極的手段は自ら実施すべきものではないとし
た。そして、後者の積極的手段を用いるのは、主として憲兵などの防諜を業務とする組織
であると明確に区分している。
したがって、一般部隊や官衙、軍の各種学校(防諜を業務とする組織を教育する学校を
除く)、軍工場等における防諜教育は、「諜報並びに有害行為に対し自らを守る消極的手段」
に係る教育が行われ、「秘密保持に関する厳格なる観念を養成する」ことに教育の主眼が
置かれていた64。
イ学校における教育
陸軍大学、陸軍士官学校等の教育課目の中には、防諜という課目は見当たらない。但し、
各学校の修学目的に併せて、将校あるいは幕僚の心得に関する参考資料の中に、防諜に関

536 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 14:54:50.30 ID:???
係ある事項が記されていた。これらのことから陸軍の学校における防諜教育は、防諜とい
う教育課目としてではなく、参謀及び将校としての服務上の着意事項の一つとして教育さ
れていたとみられる。
例えば陸軍大学校では、1943(昭和18)年10月に、参謀要員修学資料として「幕僚の心
得」を作成している。これは、在学間における幕僚の資質を涵養するための学生教育の補
足資料として、あるいは卒業後新たに参謀職に就く予定の学生の参考資料として作成され
たものである。この資料には、「幕僚の本質」や「幕僚は如何にあるべきか」、「服務一般
の心得」などとともに、「執務上特に注意すべき事項」として、防諜に係る事項が記述さ
れている。すなわち、機秘密保持のためには、これに関与する者の「防諜観念を高めるこ
とが根本である」とし、参謀自らその言動を慎み、職務上特に必要な事項以外は口外を戒
め、かつ防諜のため万全の処置とこれに関与する者に対する指導監督を厳重にしなければ
ならないとして、具体的着意事項が記述されている65。
同じく1943(昭和18)年12月21日に作成された「司令部戦場勤務の参考」という資料の
中にも、司令部内特に指揮官室、参謀室等への出入者に対する厳重な監視と制限を行うこ
と、あるいは命令はその重要度に応じて秘密区分を明確にするとともに、重要な命令の筆
記は将校自らがこれに当り、その印刷は将校監視下において行うことなどが記されている66。
いずれの資料も幕僚勤務の参考として、秘密漏洩防止の観点から着意すべき事項が記述
されていた。そして部隊においては、防諜に関する着意が不十分であるから、参謀の監視
監督は一層重要であるとも指摘していた。
他方陸軍士官学校においては、1939(昭和14)年5月に『服務提要』を作成している。
これは、「軍隊服務に関する徳操の涵養に資し、且つ初級士官として実務を執るに必要な
る条規の精神並びに其の服務の要領」を示すもので、将来実務に就いた時に修練研鑽する
ための基礎となるべき事項を、全17編に亘って記述したものである。
そのうち防諜ついては、第10編と第11編に「陸軍機秘密書類取扱の心得」と「公文書規

537 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 14:56:19.71 ID:???
則の摘要」が載せられている。特に「陸軍機秘密書類取扱の心得」では、機秘密書類の取
扱い規則を遵守して、保管者のみならず将校の義務として留意すべきことが強調されてい
る。また機秘密書類の紛失、漏洩等があった場合は、速やかに報告するとともに憲兵等に
連絡し、迅速適切な措置を講ずることが重要であると指摘している。そして「公文書規則
の摘要」では、「秘密を要する文書の封筒には表面左側に『秘』『人事秘密』と記載」、「軍
事機密に係わる文書、考科表、抜擢名簿、候補名簿、技量成績書は二重封とし内封に「軍
事機密『考科表』等と記」すことなどが記載されている67。
いずれにしても陸軍士官学校における防諜教育は、『服務提要』の内表紙に記載されて
いるように、防諜に係る留意事項を「将校服務の要議」として修得することが期待されて
いた。
ウ一般部隊における教育
一般部隊における防諜教育は、防諜の基礎観念を深刻に与えることを目的として、入営
当初より計画的かつ常続的に行われていた。そして、防諜の重要性や業務に直接関係ある
事項、あるいは秘密漏洩の事例や防諜関係法規に関し、ポスター、映画等を併用しつつ各
種機会を活用して教育するとともに、幹部特に将校においては、率先垂範これを部下に感
化指導することが強調されていた68。
また各兵士に対しては、大本営陸軍部が作成した「従軍兵士の心得」(第一号、第三号)
などに基づき、防諜教育の徹底が図られた69。そしてこれら「従軍兵士の心得」は、後の
「軍機を守るに細心なれ。諜者は常に身辺に在り」70とする「戦陣訓」(本訓其の三、第一「戦
時の戒め」)の注解にも転記されている71。
また1943(昭和18)年8月、9年ぶりに改正された「軍隊内務令」では、第9章「秘密
の保持」(第206条から第219条)を新設し、内務上実施すべき事項を明確にしている72。す
なわち秘密保持の責任者を明示し、秘密図書文書の格納、披見、掲示、回覧、営外持出し

538 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 14:58:33.53 ID:???
の規定、紙屑反古の処理、言動を慎むべきこと、秘密室の防諜処置、外来人の取締、物資
調達時の防諜、防諜事故発生時の処置等を定めている。また陸軍機(秘)密書類取扱規則、
陸軍兵器機(秘)密取扱規定等を遵守するほか、連隊長は部隊の実情に即応する如く防諜
に関する規定を作り、かつ必要な措置を講ずることなどが規定された。また起居容儀に書
信言動を慎むこと、営内に於ける撮影模写の制限、公用証、外出証等の通称号使用、標札
の注記等に於ける防諜着意、内務衛兵の防諜巡察などが増補されている73。
また防諜に関して必要な事項は、その都度通牒類をもって指示された。例えば1937(昭
和12)年10月19日に陸軍省副官名で通知された「出征部隊の歓送迎に関する件」では、軍
需品輸送列車(船舶)の出発、通過、到着時刻あるいは出征部隊移動の時刻、所在等の内
報を禁止するなど、防諜上の理由から種々の禁止事項が示された74。また1938(昭和13)年
2月19日に陸軍省兵務課から通知された「帰還部隊の軍紀風紀及防諜上の指導取締に関す
る件」では、派遣将兵の言動及び通信、傷病帰還者の言動等には軍の兵力、部隊号、企図
行動等を推測させまたは暴露する恐れがあるなど、軍機保護上注意を要する者が少なくな
いことから、それら取締りを厳重に行うことなどが指示されていた75。
しかし、このような教育や施策にも関わらず、1939(昭和14)年12月から1940(昭和15)年
12月の1年間の陸軍の秘密書類の事故件数は169件(内地20件、外地149件)で76、前年の
事故件数92件(1939年1月〜10月)よりも遥かに多かった77。そして1942(昭和17)年の
調査(1942年1月〜同年12月)では、それを上回る183件(内地27件、外地156件)もの陸
軍秘密書類の事故が発生している78。
また、北支那方面軍の教程「情報勤務の参考」(昭和18年7月、甲集団参謀部)に、次
のような記述がある。

539 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 14:59:56.43 ID:???
機密書類取扱上の粗漏に基く欠陥特に機密文書の印刷授受、反古紙の後始末焼却法等
細心に亘り注意を要するもの多し、宜しく軍自ら自体防諜の徹底を期する79。
事故件数のほとんどが外地であったとはいえ、当時の陸軍の度重なる指導にも関わらず、
陸軍部内においては機密文書の取扱いが不十分であったことが伺われる。
また1941(昭和16)年6月5日、陸軍次官から一般部隊へ通知された「陸軍秘密書類取
扱上の注意に関する件陸軍一般へ通牒」(陸密第1541号)にも、「一般国民防諜の飛躍的向
上の実績に照合し、軍防諜の発達遅々たるものあるを感ずるは極めて遺憾」であると記述
されている80。事実、国民に対する防諜教育は、1936(昭和11)年頃から日本各地で防諜
懇談会、座談会の開催及びポスター、標語の募集等の活動が始まっていた81。また官民共
同あるいは民間の防諜団体が日本各地で結成され、防諜映画の上映、ビラの配布、防諜展
覧会、防諜講演会の開催等活発な活動が展開されていた82。さらには阪神地区や北九州地
区における対謀略防衛研究演習も官民共同で実施するなど83、国民に対する防諜教育はか
なり積極的に行われていた。
これに対して一般部隊に対する防諜教育は、「防諜の参考」を8冊配布するのみであっ
たと、元陸軍省防衛課の大森三彦大佐は回想している84。各級指揮官の担任とされた防諜
教育は、それだけでは十分な教育効果を上げることができなかったのである。
エ憲兵隊における教育
憲兵学校における教育は、行政警察、司法警察、思想警察、憲法、行政諸法、民法、刑
法、刑事訴訟法、軍刑法、軍法会議法、経済学、社会学、犯罪心理学、軍政学、憲兵隊経
理の教育科目の他に、剣術、馬術、柔術等の術科が士官、下士官の教育期間に応じて実施
されていた。ところが日中戦争後、防諜に関する業務が憲兵隊の重要な対象となったこと
から、憲兵学校においても防諜教育が重視されることになった。防諜は秘密戦の一つとさ
れ、敵の秘密戦攻撃特に偵察や一部謀略に対する消極的防御が防諜教育の内容とされた。

540 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 15:01:01.21 ID:???
また開戦後は、科学的諜報に関する教育も相当行われていた85。
では憲兵学校以外では、どのような防諜教育が行われていたのか。以下現存する教習隊
の教程から抜粋する。
まず中支那派遣憲兵隊教習隊の教程「軍事警察勤務教程」には、戦地憲兵の軍機保護に
関して、作戦要務令第280条の「軍機の保護、間諜の検索、敵の宣伝及謀略の警防、治安
上必要なる情報の収集、通信及言論機関の検閲・取締」を揚げ、また中支那派遣憲兵隊服
務教程の第13条に「憲兵は軍機の漏洩防止、及敵側諜報の偵知、破壊防遏に努め、其他軍
に有害不利なる影響を及ぼす事象の警防取締に任ずべし」と定めていることから、憲兵の
軍事警察的任務の重点は、軍機保護にあることを明確にしている。そして軍隊内の防諜は、
本来部隊長の責任であるが、憲兵は警察予防の見地から積極的に部隊長の措置に協力し、
これを補佐することの必要性が述べられている86。
軍隊内の防諜、特に自体防諜については、支那駐屯憲兵隊教習隊「昭和16年度一般実
務教程草案」や中支那派遣憲兵隊教習隊「昭和18年憲兵服務教程」において、「防諜目
的達成の為には各個人の防諜に関する旺盛なる注意と幹部の適切なる監督指導」が重要で
あって、「不用意の間軍の機密を暴露し又は宣伝謀略に乗ぜらるるが如きこと断じてある
べからず」として、機秘密書類の保管取締、郵便物の取締、間諜に対する注意、雇用人の
監督などについて教育している87
また支那駐屯憲兵隊教習隊の「外事防諜実務教案」の第2編「防諜実務」では、北支に
おける外国諜報機関の諜報活動、間諜、宣伝・謀略などとともに、防諜資料の収集要領(防
諜連絡網の構成、諜者の使用、通信検閲、電話談話の窃話など)、秘密諜報に対する取締、

541 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 15:02:23.53 ID:???
謀略の防衛及び検挙方法、間諜容疑者の査察・内偵・発見及び検挙(視察、敵間諜発見の
ための方法手段、検挙に関する一般的着眼、捜査の実行、変装・扮装)などが教育されて
いる88。
その他、中支那派遣軍憲兵司令部は、南京の司令部において、科学防諜特別教育として
陸軍科学研究所より講師(技師、技手、雇員各1名)の派遣を受け、各隊本部特高課長又
は付将校及び主要地の分隊長又は防諜主任准士官又は曹長40名に対して、中支那憲兵の「科
学防諜に関する智能を涵養普及し防諜実績の向上を図る」ことを目的とした教育を約4日
間の日程で行っている89。その主要課目には、@信書の開披及び還元法(各種器材の種類
と用法、特殊封筒封蝋等の開披、還元)、A秘密通信法及び発見検出法(秘密「インキ」の
種類、用途顕出法、光線型等による通信及び発見)、B盗写、複写(器材の種類、用法)、
C窃話、盗聴(談話の窃聴方法、器材、施設、電話の盗聴方法、器材、施設)、D秘密無
線「ラジオ」の探知法、E謀略(放火、殺人、破壊等)用科学薬品、器材等があった90。
前記教育は、他の派遣軍憲兵司令部等でも行われていたようである91。
このように憲兵に対する防諜教育は、憲兵学校でも行われていたが、各憲兵隊の業務上
の特性に応じて現地の憲兵教習所でも実施されていた92。
(2) 海軍の防諜教育
ア防諜教育に対する海軍の考え方
海軍の防諜教育に対する考え方を示す史料は確認することができなかった。しかし、後
述する学校及び一般部隊における教育内容を見る限り、陸軍と同様に服務教育の一環とし
て防諜教育が実施されていたと考えられる。また海軍の秘密保護の考え方は、艦艇を中心
としたものであり、艦長に秘密保護の責任と強い権限が与えられていた。このことから、
兵士に対する教育は、各級指揮官が艦艇毎に必要の都度行っていたと考えられる93。
イ学校における教育
海軍の学校教育の中で、防諜という教育課目は見当たらなかった。しかし1929(昭和4)
年8月、海軍大学校において軍令部の伊藤中佐が、「諜報手段と其の防衛法」94という題目

542 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 03:08:12.34 ID:???
で講演を行っている。講演内容には、@間諜に依る諜報手段、A間諜に対する防衛法、B
無線傍受に依る諜報手段、C無線傍受に対する防衛法、D将来の諜報手段、E欧州大戦に
於ける諜報戦の6項目が含まれていた。これらのことから、第1次世界大戦で明らかになっ
た欧米各国の諜報機関の動向とその影響について、当時の軍令部が強い関心を持っていた
ことが理解できるとともに、海軍大学校としても、教育課目外ではあるが、将来の海軍の
中核要員となる学生に対して、この種教育を実施する必要性を認めていたものと考えられる。
また海軍の兵器には、その性能等が軍機に指定されたものが数多く存在していたことか
ら、軍機兵器の教育にあたっては、1908(明治41)年に制定された「軍機兵器取扱規則」
に基づき、すべて口述で行い、一切の筆記を禁止することが規定されていた95。また、学
校教育において取り扱うべき兵器も、「海軍各学校に於て教授すべき軍機兵器の種類及其
の程度」(内令第153号)に基づき指定されていた96。例えば海軍大学校においては、甲種
92 岡村中佐「憲兵に関する報告書」(昭和21年3月)防衛研究所史料室所蔵。
93 1919(大正8)年に制定された「艦船職員服務規程」は、艦長の秘密保護に関する監督責任を明ら
かにするとともに、軍機保護目的に限定した陸上等との交通及び私信の発送の禁止の権限を付与した
ほか、「艦長は其の艦遭難に際し(中略)重要な書類物件等を保護して最後に退艦すべし殊に機密書
類及軍機兵器の類は主管者に其の処分を命じ又は自ら之を保護し已むを得ざるときは適宜他見を防止
すべき処置を施すべし此の場合には直に之を海軍大臣及所属長官に報告すべし」と非常時の軍機関連
図書等の破棄手続きとその責任を明示していることから明らかである。
94 『昭和四年八月諜報手段ト其ノ防衛法軍令部伊藤中佐』防衛研究所史料室所蔵
95 「軍機兵器取扱規則」(内令第109号。明治41年6月6日)『明治百年史叢書海軍制度沿革海軍省編
巻十一(2)』(原書房、昭和47年)
96 「海軍各學校ニ於テ教授スヘキ軍機兵器ノ種類及其ノ程度」(内令第一五三号。明治四十一年八月二

543 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 03:11:42.08 ID:???
学生97に対しては軍機兵器の全てが教育されたが、海軍兵学校においては指定された軍機
兵器のうちの一部の兵器の性能の概要及び取扱法のみが教育された。また砲術学校・水雷
学校等においてもその所掌する軍機兵器の一部のみが教育されるなど、対象とする学生に
応じて教育すべき軍機兵器の種類、内容が指定されていた。
上記内令第153号は、1915(大正4)年及び1920(大正9)年にそれぞれ改正されてい
るが、その趣旨が大きく変わることはなかった。
ウ一般部隊における教育
次に一般部隊における防諜教育であるが、新兵の教育で使用された「新兵教育用参考書
(班長執務参考)」の中には、「軍機保護法の説明を行うと共に軍事上の機密保持の重要性
を知らしむ」ことが記述されている。そして、「信書、面会人等に漏洩せしめざる様注意
す」、「上陸外出等公衆の耳のある所にて声高に友人と機密事項を話し又は見知らぬ人の話
に乗ぜられて機密事項を漏洩する等の事なからしむ。特に旅行中汽車電車内における言動
は厳に慎しましむ」、また部外者との対談においては、「軍隊の機密保持と軍隊の面目とに
関し常に念頭に置かしむ」と記述されるなど、機密保持についての注意事項を新兵に対す
る躾事項として徹底して教育するよう指示されていた98。
また、准士官学生が勤務するうえでの総括的な準拠となる「准士官学生参考書一般勤
務参考、公文書取扱法、兵備品取扱法、造修手続、保存整備、帝国海軍制度組織」には、
かなり詳細にわたって秘密保全に関わる解説や取扱要領が記述されていた99。
しかし、このような教育にもかかわらず、海軍においては、ガダルカナル島における
1943(昭和18)年1月29日の伊1号潜水艦の擱座事故に際しての暗号書未処分事案、同じ
く43年の青島へ輸送中の暗号書無断開函事案、トラックからラバウルへの輸送機からの暗
号書を含む搭載物件の海中投棄事案、サラモア揚陸中の急速潜行による暗号書の流出事案、
大湊への暗号図書貨車輸送中の鍵紛失事案、44(昭和19)年5月のビアク島守備隊におけ
る交戦中の暗号書行方不明事案等の暗号に関する事故を起こしている。

544 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 03:14:37.83 ID:???
97 海軍大学の甲種学生は、海軍兵学校出身の海軍士官であり、海軍大学にはこの他機関科学生、選科
学生等の課程を有していた。
98 「新兵教育用参考書(班長執務参考)」(海軍省教導第一一八四號、昭和十四年五月二十五日)防衛
研究所史料室所蔵。
99 「准士官学生参考書一般勤務参考、公文書取扱法、兵備品取扱法、造修手続、保存整備、帝国海
軍制度組織海軍省教育局」(海軍省教導第一一三八號、昭和十九年六月三十日)防衛研究所史料室
所蔵。

らに1944(昭和19)年には、連合艦隊参謀長が遭難した際、作戦計画、暗号書等を紛失し
た事案が発生した海軍乙事件も発生している。
元軍令部通信課長が、「暗号書は、開戦初期には交換期限を見越して早目早目に配布し
ていたが、要地の失陥、艦船航空機の喪失に伴う暗号事故の生起又はその懸念などによっ
て、不時に交換を必要とすることが多くなり、広範な作戦区域に散在する部隊、艦船に対
し隈なく配布することが不如意となり、殊に輸送手段の確保が困難になってからはいっそ
うその度が強くなって、通信の機密保持に不安を覚えることもしばしばという状態となっ
ていった」と回想しており100、海軍における軍機保護についても必ずしも十分とは言えな
かったようである。
おわりに
改正軍機保護法案が審議される前年の1936(昭和11)年7月、『偕行社特報』に陸軍憲
兵少佐長濱彰が投稿した「軍機保護と軍人の行動」という記事がある。このなかで長濱は、

545 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 03:15:29.67 ID:???
「欧州大戦に参加したとはいえ、東洋に遍在した関係上、列国のごとく閃光相打つ諜報戦
の活舞台に登場する機会に遭遇せず、苦悩な経験を経なかったのと、国民性の然らしむる
ため、極めて放漫怠惰の感がある」と述べているように、日本の情報戦に対する対応は遅
れた101。これも日本が第1次世界大戦で本格的な情報戦に参加する機会がなかったことや、
四面環海という日本の地理的優位性からくる国民性などが、その遠因として指摘された。
既述のように、日本の防諜組織が整え始められるのは日中戦争勃発前後のことであった
が、これも「満州事変によって大陸に進出した陸軍部隊が、ソ連の諜報謀略網の真っ只中
に殆ど無警戒の状態で飛び込み、散々にスパイされた苦い経験から生まれた言わば必要に
迫られ後手に回って案出された」ものであったと、元軍事資料部の川村愛三陸軍大佐は指
摘している102。
しかしその防諜組織も一元的に統一されることはなく、憲兵と警察、あるいは軍の防諜
機関はバラバラに行動していたという。確かに当時、陸軍省兵務局防衛課や憲兵司令部、
内務省警保局の三者防諜会同が常続的に開催され、軍事防諜や一般防諜に関する指導機関
としての役割を呈しつつあったが、それはあくまでも連絡機関であって、各々の防諜組織
100 鮫島素直「元軍令部通信課長の回想―日本海軍通信、電波関係活躍の跡―」防衛研究所史料室所
蔵。
101 陸軍憲兵少佐長濱彰「軍機保護と軍事の行動」『偕行社特報』(昭和十一年七月第十三號)防衛研
究所史料室所蔵。
102 河村愛三回想『陸軍憲兵大佐河村愛三回想録―防諜』防衛研究所史料室所蔵。

546 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 03:17:54.19 ID:???
経済封鎖から見た太平洋戦争開戦の経緯
―経済制裁との相違を中心にして―
高 橋 文 雄
【要約】
太平洋戦争開戦に至るまでの間の米国による石油などの禁輸や在米資産凍結などの対日
措置は、今日の日本では「経済制裁」と呼ばれる場合が多いが、開戦当時の日本では「経
済封鎖」又は「経済断交」と呼ばれていた。本稿は、封鎖の発展史の中に「経済封鎖」と
「経済制裁」を位置づけ、両者の相違を提示したうえで、米国による対日措置が「経済制
裁」又は「経済封鎖」のいずれであったのかを解明しようと試みる。
はじめに
本稿は3 つの関心から出発している。第1 は、今日の日本人が、北朝鮮の核開発疑惑、
日本人拉致問題及びミサイル発射問題に対して、「経済制裁」を声高に叫ぶとき、「経済制
裁」を善なるものとして無批判に受容していることである1。第2 は、今日の日本では「経
済制裁」が声高に叫ばれることがあっても、「経済封鎖」が取り上げられることがほとんど
ないことである2。第3 は、太平洋戦争の開戦に向かう過程でなされた米国による石油禁輸
や在米資産凍結などの対日措置が、開戦当時の日本では「経済封鎖」又は「経済断交」と
呼ばれていたが、今日の日本では「経済制裁」と呼ばれていることである。
このように「経済封鎖」という用語を死語化させ、「経済制裁」という用語に転化・一本
化させた一因は、アカデミズムの姿勢にあるのではなかろうか。例えば、『日本外交史辞典』
は、新版になっても、「アメリカの対日経済制裁」との項目の中で、米国による石油禁輸や
1

547 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 03:19:42.18 ID:???
在米資産凍結などの対日措置を指して「この経済制裁措置が日本軍部内の対米戦への決意
を凝結せしめる上に決定的ともいうべき効果をもったことは疑いない。」と説明しているが、
「経済封鎖」の項目はない3。
また国際法学界では、太平洋戦争中に高野雄一は、「第一次大戦後の国際聯盟秩序の下に
於ける封鎖問題は同規約第十六条の問題に帰する。……国際法秩序そのものの新段階に於
て、封鎖の問題は、戦時封鎖、平時封鎖の観念を越える高次の観点から別に究めなければ
ならない。」4と述べるにとどまり、汲みとるべき将来の封鎖に対する示唆を、戦後になっ
ても提示することはなかった。
太平洋戦争後の1982 年、深津榮一は、「経済制裁を、国際法秩序においてどのようにと
らえ、評価するかという問題は、今日きわめて重要である。」との認識を抱き、「日米交渉
の過程においてアメリカによって執行された対日『経済制裁』の効果と国際法適用の手段
の評価は、今日必ずしも明らかにされているとは言いがたい。しかもその経済制裁の執行
が、結果的にはわが国による武力反撃――そして太平洋戦争――をもたらしただけに、二
国間において適用された経済制裁のケースとして再評価されるに足る重要な意義をもって
いると考えられる。」と指摘した。しかし、深津でさえも、ヴェトナム紛争後にあって「核
兵器に限らず、軍事力一般の価値が相対的に低下し[た]」との認識から、「政治的、軍事
的問題について論ずることは、明らかに本稿の主題ではない」、「今ここでアメリカによる
対日経済制裁の全過程を詳細に検討する余裕はないし、それは国際法、国際政治、さらに
は外交史にまたがる共同研究によってはじめてなされうることであって、本論のよくなし
うるところではない。」と述べ、問題の解明を回避した5。

548 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 03:20:54.14 ID:???
そこで本稿は3 つの節に分けて検討を試みる。第1節では、第一次世界大戦で行われた
集団的施策としての「経済封鎖」の実相を明らかにし、国際連盟規約で認定された集団的
施策としての「経済制裁」と「経済封鎖」との類似点及び相違点を明らかにする。第2 節
では、満州事変以降の中国と米国の「経済封鎖」及び「経済制裁」への取り組みを提示し、
米国の対日措置が意図においては「経済制裁」ではなく「経済封鎖」であったことを明ら
かにする。第3 節では、経済力の貧弱な日本が武力を節約した政策として対中「経済封鎖」
を行う一方で米国の対日「経済封鎖」には武力で封鎖突破を試みたことを提示する。この
結果、米国の対日措置を「経済制裁」と考えるのは間違いで「経済封鎖」が正しいこと、
少なくとも「経済封鎖」を念頭に置かないといけないことが明らかになるであろう。
1.封鎖の進化過程における「第一次世界大戦型経済封鎖」及び「経済制裁」の誕生
(1)「封鎖(blockade)」の生い立ちと対敵通商に及ぼす脅威
「封鎖」は対敵通商の全面的禁止手段のひとつとして進化しはじめた。対敵通商の全面
的禁止は、古くから戦争における通常の慣行であったが、16 世紀以降中立権が確立に向う
にしたがい、その頻度及び程度ともに緩和された。その中で、「封鎖」は、対敵中立国通商
の全面的禁止により敵国に譲歩を迫るとの目的をもった制度のひとつとして、「戦時禁制
品」とともに産声をあげた。即ち、対敵中立国通商を全面的に禁止する地域が、攻囲され、
封鎖され、包囲された特定の敵国港湾に制限されるところに「封鎖」が生まれ、敵国に対
して供給禁止品目が制限されたところに「戦時禁制品」が生まれたのである6。
交戦権のひとつである「封鎖」が対敵中立国通商に及ぼす脅威は、船舶及び船舶に積載
された貨物が「拿捕(capture)」されることにある。戦時の海上においては、封鎖実施国
艦船が、封鎖地域を航行する船舶を臨検し、当該船舶及び貨物の所有者を見極めて捕獲す
るか否かを判断する。捕獲された場合、当該船舶又は貨物は、捕獲国の捕獲審検所の検定
を経て、「捕獲物(prize)」となるか否かが決定される7。しかし、対敵中立国通商にとっ
ての問題は、封鎖実施国艦船が軍艦のみならず「私掠船(privateer)」と呼ばれる許可を

549 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 03:21:59.77 ID:???
受けた民間船舶であったことや、捕獲審検所の判定基準が捕獲国によって決められている
ことであった。特に、交戦権を重視した「敵船・敵貨」の主義は、敵船に積載された貨物
の所有者が敵国であっても中立国であっても捕獲し、中立船に積載された貨物でも、その
所有者が敵国であれば捕獲するというものであった。これに対して、中立権を擁護した「自
由船・自由貨」の主義は、敵船に積載された敵国の所有者の貨物のみを捕獲するものであ
り、両者の中間の「コンソラート・デル・マーレ(Consolato del Mare)」の主義は、貨物
積載船舶が敵船又は中立船のいずれでも、敵国所有者の貨物のみを捕獲するものであった8。
また、船舶及び積載貨物の所有者が敵国か否かによる捕獲方法の抜け道を塞ぐ方法が「戦
時禁制品」の制度である。所有者の国籍に依拠した捕獲方法では、対敵中立国通商に最も
脅威を及ぼす「敵船・敵貨」主義下でも、封鎖実施国は、中立船に積載された中立国所有
者の貨物を捕獲できない。これに対して、「戦時禁制品」の制度は、封鎖実施国が軍事用に
供され得る品物を「戦時禁制品」に指定し、「戦時禁制品」の仕向地が敵国又は敵国の軍隊
である場合に、封鎖実施国が当該「戦時禁制品」を捕獲できるとするものである9。したが
って、交戦国たる封鎖実施国が「戦時禁制品」に指定する品物を拡大すればすれほど、対
敵中立国通商の規模は、締めつけられた蛇口から出てくる水流のようにやせ細るのである。
さらに16 世紀後半から1856 年4 月16 日「海上法ノ要義ヲ確定スル法律」(所謂「パ
リ宣言」)までの「封鎖」の方法の主流は、「擬制封鎖(quasi-blockade 又は fictitious
blockade)」又は「紙上封鎖(paper blockade)」であった。即ち、16 世紀及び17 世紀は
オランダが、その後は英国が、それぞれ強大な海軍力のプレゼンスを背景に、被封鎖港の
遥か遠方に配備された軍艦及び「私掠船」により、あるいは、被封鎖港の前を軍艦及び「私
掠船」を定置させずに巡邏させることにより、被封鎖港を「封鎖した」と宣言するだけで、
敵国及び中立国に「封鎖」が敷かれたとのイメージを形成させていた。

550 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 03:23:44.02 ID:???
(2)「封鎖」の「パリ宣言」への進化と変貌
「パリ宣言」は、英国の政策が戦時に交戦国として対敵中立国通商の全面的禁止を狙う
立場から、中立国として対敵中立国通商から利益をあげる立場にシフトしたことにより成
立した10。
「パリ宣言」は4 つの要則から成る。第1 則は、「私掠船」を拿捕に用いることを禁止
し、拿捕できる船舶を軍艦に限定した。第2 則は、中立国の旗章を掲げた船舶に積載され
た敵国の貨物は戦時禁制品を除いて捕獲しないこととして、中立国船舶に積載された貨物
を保護した。第3 則は、敵国の旗章を掲げた船舶に積載された中立国の貨物は戦時禁制品
を除いて捕獲しないこととし、敵国船舶に積載された貨物であっても中立国の貨物を保護
した。第4 則は、港口の封鎖を有効にするためには、実力を用いること、即ち、敵国の沿
岸に接到するのを防止するに足りる十分な軍備を要することとし11、「パリ宣言」前に横行
していた、強大な海軍力のプレゼンスを背景に封鎖宣言のみをもってする「紙上封鎖」、あ
るいは、被封鎖港の前に軍艦を定置せず、巡回することをもってする「巡邏封鎖(cruiser
blockade)」を否定し、被封鎖港の前に十分な数の軍艦を定置する「実効封鎖(effective
blockade)」のみを正当な封鎖と認定した。
「パリ宣言」は、1909 年2 月26 日「海戦法規に関する宣言」(所謂「ロンドン宣言」
に至る端緒となったように、「封鎖」の「軍事への純化」をもたらした12。「封鎖」は、対
敵通商の全面的禁止又は対敵中立国通商の全面的禁止を主眼とした側面から「通商封鎖
(commercial blockade)」と称された。また、ナポレオンによる所謂「大陸封鎖」は、1806
年5 月に英国が対仏巡邏封鎖を開始したことに対抗した同年11 月の「ベルリン勅令」に
よる対英「通商禁止措置(embargo)」、1807 年1月に英国が「封鎖」をフランスの植民地
に拡大したことに対抗した同年12 月の「ミラノ勅令」による全英蘭諸島の「紙上封鎖」
の両方を指していた。「大陸封鎖」の例のように、「通商禁止措置」を含んで「封鎖」と呼

551 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 15:23:03.64 ID:???
ばれることがあった13。しかし、「パリ宣言」以後の「封鎖」は、海軍作戦に「純化」した
ことから「戦時封鎖(belligerent blockade)」と呼ばれた。実際、「パリ宣言」に則った「実
効封鎖」を「戦時封鎖」として行ったのが、被封鎖港の直前に軍艦を配置した日清戦争時
の戦術的な「近接封鎖(close blockade)」であり、被封鎖港の直前に配置した監視艦船か
らの無線連絡を受けた主力艦隊が、被封鎖港から出てくる敵艦隊を邀撃しようとしたのが
日露戦争時の戦略的な「遠隔封鎖(distant blockade)」であった14。
(3)交戦手段としての「第一次世界大戦型経済封鎖」
第一次世界大戦で英国を中心とする連合国が行なった「対独封鎖」は、「パリ宣言」以降
の「実効封鎖」の流れを覆すものであった。英国が「パリ宣言」以降の「実効封鎖」の流
れを覆した要因は3 つある。第1 は、交戦国となった英国が、中立国として対敵中立国通
商から利益をあげる立場から、対敵通商及び対敵中立国通商の全面禁止により、敵国民を
飢餓に陥れ、無条件降伏を強いる立場に回帰的に再シフトしたことである。第2 は、機雷
や潜水艦の開発・進歩により、英国がもはや対独「近接封鎖」を安全に実行できなかった
ことである。第3 は、英国が、敵国民を飢餓に陥れて無条件降伏を強いるためには、ドイ
ツのみならず、ドイツに隣接する中立諸国(デンマーク、オランダ、ベルギー、スウェー
デン、ノルウェー、スイスなど)を経由して、ドイツに物資が流入することを阻止しなけ
ればならなかったが、英国といえども全西ヨーロッパ沿岸を「実効封鎖」するに足りる十
分な海軍力は無く、たとえ「実効封鎖」できたとしても、敵国の領土・占領地・軍隊に仕
向けられた「戦時禁制品」のみを捕獲できるに過ぎないため、費用対効果が折り合わなか
12 高

552 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 15:23:51.18 ID:???
ったことである。そこで、英国は、これらの問題を解決するために、本稿が「第一次世界
大戦型経済封鎖」と呼ぶ方法を「封鎖」とは言わずに採用した15。
「第一次世界大戦型経済封鎖」は、「長距離封鎖(long range blockade)」16をはじめと
する英国の海戦上の新発明と、英国の「対敵取引法(trading with enemy act)」及び「対
敵取引勅令」に相当する法整備を連合諸国が行なうことによって結実した集団的施策とし
ての「禁輸措置(embargo)」とから成る「経済封鎖(economic blockade)」であった。「長
距離封鎖」は、英国が北海全海面を「交戦区域(war zone)」に指定するとともに、ドイ
ツ及び隣接する中立国の港からはるか遠方に配備した軍艦を哨戒させることにより、貨物
船が英国の指定航路を経て、指定港で積載貨物の検査を受けさせるように強いた方法に対
する当時の呼称であるが、英国はこれを指して「封鎖」と称していなかった。また英国は、
敵国の領土・占領地・軍隊に仕向けられた場合のみ捕獲可能とされていた「戦時禁制品」
の仕向地に中立国を加えるとともに、自らが「戦時禁制品」と指定した食糧を含むあらゆ
る物資を捕獲可能とし、最終的に「ロンドン宣言」を廃棄する立場をとった。さらに英国
は、「連続航海主義(doctrine of continuous voyage)」を採用し、中立国に仕向けられた
物資であっても、最終仕向地がドイツと推定される場合にも当該物資を捕獲対象とした。
英国は、「1914 年8 月5 日対敵取引勅令」を皮切りに様々な勅令及び「対敵取引法」を
打ち出したが、その内容は紛れも無く「対敵取引禁止」であった。英国に較べて簡明な米
国の「1917 年10 月6 日対敵取引法」を例にとれば、同法第2 条は、第1 に、中立国又は
連合国の国民や企業であっても、敵国及びその支配地で営業する場合には「敵」と規定し、
敵国政府のみならず、敵国のあらゆるレヴェルの地方公共団体、そこで働く公務員たちを
も「敵」と位置づけた17。ここにおいて、「対敵取引法」は、国家対国家の武力闘争という
伝統的な戦争の構図を、国家・企業・個人対国家・企業・個人という構図に変貌させたの

553 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 15:24:58.83 ID:???
である。また第2 条は、「取引(trade)」を、@債務の支払い、A有価証券、B契約、C
各種財産の売買、D商業交通及び商業通信、に関することと規定し、通常は「取引」に含
まれない、「取引」の手段としての交通や通信までも「取引」に含めた18。さらに同法第3
条は、禁止行為として、対敵取引、敵人運送、対敵通信の3 つを指定した。敵国民及び敵
国の同盟国の国民の無許可輸送を禁じたことは、単に米国の船舶会社のみならず、外国の
船舶会社及び鉄道会社に対しても、禁止が適用されたことを意味していた。また対敵通信
は、対敵商用通信のみならず、非商用通信をも禁止した。非商用通信までもが禁止された
理由は、一切の機密漏えいを防止する目的で通信を取り締ることにあった19。
対敵取引に対する第1 の規制装置は、各種のリスト及び「許可証(ライセンス)」であ
った。米国は、「第1 リスト」で敵国、敵国の同盟国及び中立国に対する規制品目を、「第
2 リスト」でその他の国に対する規制品目を指定し、規制品目の輸出について「許可証」
の取得を義務づけた。また米国は、「保存品リスト」を作成し、米国国内の消費を確保する
ためという名目で、これに掲載された品目の輸出を事実上禁止した20。さらに、「対敵通商
表(所謂「ブラック・リスト」)」を作成して、これに掲載された企業や個人との取引につ
いても、政府機関が発行する「許可証」がなければ輸出禁止とした。米国の「ブラック・
リスト」には、「敵国通商人名簿(the Enemy Trading List)」、「秘密容疑者名簿(the
Confidential Enemy Trading List)」、「偽名名簿(the Cloak List)」の3 種類があった。
「敵国通商人名簿」は英国の「法令によるブラック・リスト(the Statute List)」と同様
に公開されるものであった。「秘密容疑者名簿」は、英国の「一般的ブラック・リスト」と
同様に公開されずに関係機関のみが利用するものであった。「偽名名簿」は、「敵国通商人
名簿」に掲載された個人や会社が偽名により通商することを防止するために用いられた21。

554 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 15:26:01.39 ID:???
第2 の規制装置は、「定額供給制度(Rationing System)」及び「過剰分購入制度」であ
った。「定額供給制度」は、中立国が開戦前の水準の輸入量よりも多量の物資を連合国から
購入するとき、実際の輸入量と開戦前の水準の輸入量との差がドイツに輸出されるとみな
して、中立国による連合国からの輸入量を開戦前の水準に抑制しようとする制度であった。
「過剰分購入制度」は、中立国自身の生産量がその国内消費量を凌駕するとき、凌駕分が
ドイツに輸出されるとみなして、これを防止するために連合国が中立国の国内で消費され
ない分を購入する制度であった22。
第3 の規制装置は、第1 及び第2 の規制装置の集団的施策化であった。「封鎖」と呼ば
なくても、事実上の「封鎖」である「対敵取引禁止」の効果を確実にするためには、英国
と同様の規制装置を連合国が足並みを揃えて実行し、水も漏らさぬことが課題であった。
そこで英仏両国は、1916 年6 月に連合国経済会議をパリで開催し、連合国各国が国内法
を整備することによって英国と同様な「対敵取引禁止」を行うとの決議を採択に導いた23。
このように実施された「第一次世界大戦型経済封鎖」は様々な功罪をもたらした。その
第1 は、「第一次世界大戦型経済封鎖」が「対独完全封鎖」となり、その絶大な効果によ
り、ドイツには降伏を、連合国には戦勝をもたらしたこと、第2 は、戦争の構図を、国家
対国家から、国家・企業・個人対国家・企業・個人の構図に変貌させたこと、第3 は、海
軍作戦に「純化」されていた「封鎖」を「大戦略レヴェル」の国策に押し上げたことであ
る。要するに「第一次世界大戦型経済封鎖」は「国家総力戦」を構成する中核的な要素の
ひとつだったのである。
(5)集団安全保障施策としての「経済制裁」の誕生
国際連盟規約は第一次世界大戦の講和条約に付随して成立したが、「経済制裁(又は経済
封鎖)条項」といわれる連盟規約第16 条の誕生に至る取り組みは、戦争中に開始されて
いた。まず1916 年6 月の連合国経済会議は、戦時の対敵通商禁止に関する各国の法令を
斉一化するのみならず、「永久的措置」として戦後においても対敵通商禁止及び連合国間の
協力を継続することを決議した24。また連合国の世論は第一次世界大戦を「制裁」とみな

555 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 15:27:30.77 ID:???
す傾向があり、国際法学者の中にも「戦争に至らない敵対手段」が効果的な「制裁」であ
るかもしれないと考える者がいた。実際に、国際連盟の創設のために出された全ての提案
は、秩序の維持に寄与するために、ある程度の「制裁」を求める条項を含んでいた。この
際「制裁」を適用する条件として、ある国家が平和的措置をとることなく戦争に訴えた場
合に侵略者と被侵略者とを区別して扱い、できるだけ侵略を防止するという原則をもとに
して「制裁」が考えられるべきであることが一般的に合意されていた。これが最終的に連
盟規約第16 条の基礎になった25。
次に「制裁」手段として、第一義的強制手段が経済的であるべきであり、軍事力は第二
義的強制手段としてのみ使用されるべきであると位置づけられた。経済的強制手段に第一
義的役割が期待された背景には、ドイツを敗北に至らせた「第一次世界大戦型経済封鎖」
の絶大なる効果があった。このことを1924 年に外務省がまとめた史料は、「大戦中聨合國
ノ協力ヲ以テセル経済封鎖カ頗ル有効ナリシ事実ハ 規約違反國ニ対スル制裁手段トシテ
之ヲ適用セムトスルニ至ラシメ規約第十六条第一項ニ左ノ如ク記サレタリ」と指摘した26。
このようなプロセスを経て誕生した連盟規約第16 条は次の4 項から成る。
一、第12 条、第13 条又は第15 条による約束を無視して戦争に訴えた連盟国は、当
然他の総ての連盟国に対し戦争行為を為したものと看做す。他の総ての連盟国はこ
れに対して直ちに一切の通商上又は金融上の関係を断絶し、自国民と違約国国民と
の一切の交通を禁止し、且つ連盟国たると否とを問はず、他の総ての国の国民と違
約国国民との間の一切の金融上、通商上又は個人的交通を防遏すべきことを約す。
二、連盟理事会は前項の場合に於いて、連盟の約束擁護の為に使用すべき兵力に対す
る連盟各国の陸海空軍の分担程度を関係各国政府に提案する義務を有するものとす。
三、連盟国は本條により、金融上及び経済上の措置を執った場合において、之に基く
損失及び不便を最小限度に止める為相互に支持すべきこと、連盟の一国に対する違
約国の特殊の措置を抗拒する為相互に支持すべきこと並びに連盟の約束擁護の為協
力する連盟国軍隊の版図内通過に付き必要な処置を執るべきことを約す。

556 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 15:29:05.65 ID:???
四、連盟の約束に違反した連盟国については、連盟理事会に代表されるほか、一切の
連盟国代表者の連盟理事会に於ける一致の表決をもって、連盟より之を除名する旨
を声明することができる27。
この連盟規約第16 条第1 項は、第16条全体を指して、いわゆる「経済制裁(又は経済
封鎖)条項」といわれる核心である。連盟規約第16 条第1 項は、「第一次世界大戦型経済
封鎖」の中の「経済封鎖」と同様に、違約国に対して、国家レヴェル及び個人レヴェルの
あらゆる交流―外交関係を除く―を禁止することを明示している。また第2 項は、第1 項
の適用に際して、「第一次世界大戦型経済封鎖」の中の海軍力を用いた「長距離封鎖」と同
様に軍事力の使用を明示している。これらのことから連盟規約第16 条の内容は、「第一次
世界大戦型経済封鎖」の内容を継承したものであったといえる。
またここにはその後の国際関係に対して極めて大きな2 つの重要性が内在されている。
第1 は、交戦方法としては「違法」と指摘されていた「第一次世界大戦型経済封鎖」が「集
団的制裁方法」としては連盟規約第16 条のもとで合法化されたことである。第2 は、交
戦方法としての「第一次世界大戦型経済封鎖」とそれに由来する「集団的制裁方法」とし
ての連盟規約第16 条が、鏡に写った像と実像の関係のごとくに「表裏一体」であったこ
とである。即ち「第一次世界大戦型経済封鎖」に由来し、「経済的武器(economic weapons)」
とも称された「集団的制裁方法」は、「制裁」を課する国からみれば合法的措置であったが、
被制裁国、とりわけ非加盟国でありながら国際連盟から「制裁」される国からみれば理不
尽な交戦方法と主張する余地をはらんでいたのである28。
さて連盟規約第16 条は制定当初から問題を内在していた。即ち、連盟規約第16 条は、
「制裁」を実行に移すための仕組みを欠いており、第一次世界大戦で辛酸をなめさせられ
た中立諸国には苛酷なものであった。そこで第1 回総会は、提起された連盟規約第16 条
にかかわる様々な問題を「国際封鎖委員会(the International Blockade Committee)」で
検討させ、第2 回総会で審議することにした。

557 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 15:30:57.93 ID:???
第2 回総会は、「国際封鎖委員会」の報告書をもとに連盟規約第16 条に対して4 つの修
正と15 の決議を採択した29。その最大の要点は、「経済制裁条項」の条文には変更を加え
ず、実際の運用面で内容を緩和する「第16 条適用に関する指針」(以後「第16 条ガイド
ライン」と称する。)が決議されたことであった。
「第16 条ガイドライン」は、第1 に、連盟国が「経済制裁条項」の字句に関わらず、
違約国に対して必ずしも直ちに戦争関係に立つと認めなくてよいとした。第2 に、「経済
制裁条項」を適用するに足りる違約があったか否かの判断を個々の加盟国自ら行うことと
した。第3 に、必ずしも直ちに経済封鎖の総ての効果を実現せずともよく、比較的軽い措
置からはじめて、漸次厳しい措置に移るものとした。第4 に、理事会が、連盟国からの請
求又は事務総長の通知を受けて、紛争国、違約国の隣国もしくは違約国と緊密な経済関係
を有する国家、あるいは「経済制裁条項」の適用のために協力が有益な国家を招集して会
議を開催するものとした。第5 に、理事会が「経済制裁条項」の適用を開始する期日を総
ての加盟国に通知するものとした30。
2 満州事変以降の中国及びアメリカの「経済封鎖」への取り組み
(1)中国の「列国対日経済封鎖誘導戦」と「国内対日経済封鎖戦」31
1931 年9 月18 日の満洲事変勃発から1938 年9 月30 日の国際連盟の対日「経済制裁」
発動に至るまでの間、中国は、国際連盟規約の4 つの条項に依拠して国際連盟に日本を提
訴し、「列国対日経済封鎖誘導戦」を展開した。第1 に、中国は、1931 年9 月21 日に、
連盟規約第11 条に基づいて日本を国際連盟理事会に提訴した。国際連盟理事会では、10
月18 日に、英国代表セシル及びフランス外務次官マシグリ等により、連盟規約第11 条の
もとで日本に圧力を加える方法(@対日戒告、A海空軍による対日示威運動、B外交使節
一斉引揚、C対日経済断絶など)が研究された。この研究では、B及びCを効果的に行な
うためには米国の共同動作が必要であること、連盟規約第16 条に基づいて日本に「制裁」
及び除名処分を課すことが可能なことが確認された。11 月11 日に、駐米英国大使により、

558 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 15:53:53.76 ID:???
米国が対日「制裁」に反対であることが確認され、国際連盟理事会は、12 月10 日、日本
が提案した調査団派遣を含み、連盟規約第11 条の路線で事件を解決する決議を採択した32。
しかし1932 年1 月28 日の上海事件発生に伴い、第2 に、中国は、連盟規約第10 条及
び第15 条を日中間の紛争に適用することを理事会に求めた。1 月29 日の理事会では連盟
規約第15 条の適用が認められ、事務総長は上海調査委員会を組織した。また2 月12 日、
中国は連盟規約第15 条第9 項に基づいて日中間の紛争を総会の審議に移すように求め、
連盟は3 月3 日に連盟臨時総会を開催することとした33。3 月11 日の総会は、第3 決議と
して、日中間の紛争が連盟規約第15 条の手続きにしたがって解決されることを明示した34。
第3 に、1933 年2 月24 日の総会で、中国は連盟規約第16 条の対日適用を要求した。同
日の総会は、「中日紛争に関する国際連盟特別総会報告書」を採択した。この報告書は、「リ
ットン調査団報告書」の結論をすべて採用したわけではなかったが、満洲の主権は争う余
地がなく、日本が軍事行動をとったことを誤りであるとしたうえで、法律論及び事実の両
面から「満州国」を承認すべきではなく、日本軍が満洲鉄道の「鉄道地区」まで撤退すべ
きであると宣言した。また、同日午後の総会で、中国代表・顧維鈞が日本軍の熱河攻略を
取り上げて、連盟規約第16 条の「制裁」適用を要求した。このとき、他の代表が沈黙を
保つ中で、討議打ち切りが宣言された35。
顧維鈞の連盟規約第16 条の対日適用要求に沈黙でこたえた国際連盟総会は、1935 年10
月18 日連盟史上初めて連盟規約第16 条に基づく「経済制裁」を発動した。その契機は、
1934 年12 月5 日にエチオピアとイタリア領ソマリランドの国境近くのワルワルで発生し

559 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 15:54:56.59 ID:???
たエチオピア及びイタリア両国の武力衝突が、1935 年10 月2 日にイタリア軍によるエチ
オピア侵攻に至ったことにあった。国際連盟理事会及び総会は、このイタリアの行為を連
盟規約違反と認定し、連盟規約第16 条に基づく「経済制裁」として、@武器のイタリア
への輸出禁止、Aイタリアとの金融禁止、Bイタリアからの輸入禁止、Cある種物品のイ
タリアへの輸出禁止及び迂回路を経た取引並びに決済協定の禁止を発動した36。
1937 年7 月7 日、支那事変が勃発するや、中国の提訴を受けた国際連盟総会は相次い
で対日非難決議を採択した。まず9 月28 日、総会は、日本軍機による南京、広東、杭州
などに対する空爆を無差別爆撃とみなし、これを非難する決議を採択した。次に10 月6
日、総会は、日中間の紛争に関して、総会の議長が九カ国条約締結国会議を召集し、連盟
諸国が中国に精神的援助を考慮するとともに中国の抵抗力を弱める一切の行動を自粛する
よう勧奨することを決議した。この10 月6 日の決議を受けて総会の議長国であり九カ国
条約締結国のベルギーが10 月20 日及び11 月7 日の2 度にわたって日本を招請したが、
日本は参加を拒んだ。しかし11 月15 日、九カ国条約国会議(於:ブリュッセル)は、イ
タリアの日本支持もあり、日本を公然と非難することを避けた対日声明を採択した。
期待を裏切られた中国は、第4 に1938 年9 月11 日、国際連盟理事会に対して、日中間
の紛争に連盟規約第17 条を即時適用して、日本に向けては武器及び原料の輸出禁止並び
に金融援助の禁止を、中国に向けては財政的及び物質的な援助を求めた。9 月30 日の理事
会は、連盟規約第17 条に基づき、連盟諸国が個別的に連盟規約第16 条の制裁措置を日本
に対して執ることができるとの報告を採択した。また理事会の議長が連盟規約第17 条第1
項の規定に基づく日本勧誘の電報を発したが、9 月22 日、日本は勧誘を拒絶した。そこで
9 月30 日の理事会は、連盟規約第17 条第3 項の規定に基づいて連盟規約第16 条が日本
に適用されること、集団的ではなく連盟加盟国が連盟規約第16 条を個別に採用及び実行
するとの議長提案を採択した37。

560 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 15:56:04.06 ID:???
ここに至るまでの中国の戦いが国際レヴェルの「列国対日経済封鎖誘導戦」のひとつで
あったのに対し、次なる中国の戦いは地域レヴェルの「国内対日経済封鎖戦」であった38。
これは、後述する日本の対中国「対敵経済封鎖」と対比して、対日「経済反封鎖」とも称
された。つまり、対日「経済反封鎖」は、日本の対中国「対敵経済封鎖」の結果として重
慶政権が武漢及び広東の陥落後に採った、奥地経済を日本の占領地区と遮断し、上海経済
からも切り離そうとした措置、即ち占領地区(日本側)と非占領地区(中国側)との間の
物資交流を阻止することを指す39。
この措置として重慶政権は1938 年10 月に「禁運資敵物品条例」及び「査禁敵貨条例」
を交付した40。「禁運資敵物品条例」のねらいは、重要物資の占領地区及び円ブロック――
禁運区域として指定された敵国及びその植民地又は委任統治領並びに暴力をもって控制さ
れた地域――に向けた移出及び輸出の防止、その結果として非占領地区の需要にこたえる
とともに第三国向輸出に資することにあった。具体的には、「陥落地区貨物処理&#36774;法」によ
り、占領地区内の商社が非占領地区から原料・製品を購入する場合に貿易委員会の審査を
経ること、非占領地区の商人が占領地区に原料・製品を販売する場合は購買者の「乙種運
輸許可申請書」などを貿易委員会に提出して「運輸許可書」の交付を受けることが義務づ
けられた。また「輸出品移出制限&#36774;法」により、輸出品の移出時に財務部の「国内販売許
可証」の交付が必要とされ、「外国為替買入引受証明書」又は「運輸許可証」のないものは
海関で検査を受けることとされた41。
「査禁敵貨条例」のねらいは、支那事変前から展開されることの多かった日貨排斥運動
と同じように、日本製品の中国流入を阻止することにあった。このため「敵貨審査委員会
規則」を制定し、まず「敵貨指定範囲」を@日本及びその植民地又は委任統治領の貨物、
A外国にある日本人の工場及び商社の貨物、B占領地区内の日本人の工場及び商社の貨物

561 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 19:36:19.08 ID:???
に該当するものすべてを敵貨と見做して、当該貨物に「名称商標」を公示・指定すること
とされた。また所管機関は、「日貨商標彙編」に指定された「敵貨指定品目」を所定の手続
きにしたがって処理することとされた42。
これらの措置が期待したほどの効果をあげなかったので、重慶政権は1941 年9 月1 日
にさらに「国内対日経済封鎖戦」を強化した。まず重慶政権は、同日交付された「非常時
期輸入禁止品&#36774;法」をもって、物資輸入を行う際に「輸入特許証」(専用特許証+販売特許
証)を義務づけた。また「輸入禁止品販売取締&#36774;法」により輸入品の販売取締及び販売取
締品目の指定を行った。さらに「為替取組輸出品申告運輸&#36774;法」により為替を取り組むべ
き輸出品を指定するとともに、公定レートで為替を買上げて「為替売却証明書」を交付し、
「為替売却証明書」がない場合は税関で輸出を禁止する措置を講じた43。39
(2)米国の「ローズヴェルト型経済封鎖」
満洲事変勃発から上海事件に至る一連の経過の中で、国際連盟は米国に協力を要請し、
米国もそれにこたえてきた。満洲事変解決に向けての10 月16 日以降の理事会には、米国
のオブザーバーとしてスイス駐在米国公使が参加し、リットン調査団のメンバーにも米国
から1 名が参加した。1932 年1 月8 日、米国は「不承認主義宣言」として知られる対日
通牒を発し、不戦条約及び九カ国条約に基づいて、国際連盟を支持する姿勢を明確にした。
また2 月16 日、理事会議長は、対日通牒を発し、日本が連盟規約、不戦条約及び九カ国
条約に違反していると指摘したうえで、これらの連盟規約及び条約の遵守を求めた44。
しかし、満州事変時の米国のフーバー大統領は、スチムソン国務長官の対日「経済制裁」
論を採用しなかった。その理由のひとつに、日本に向けて行う場合に限らず禁輸又は「経
済制裁」が目標とされた国にとっては戦争を意味するとの認識をフーバー大統領が抱いて
いたからであった45。これがウィルソン政権のもとで食糧庁長官として「第一次世界大戦
型経済封鎖」の一翼を担ったフーバー大統領の見識であった。

562 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 19:38:05.26 ID:???
他方、1933 年にフーバー大統領を引き継いだローズヴェルト大統領が、最初に対日戦争
の脅威に直面したのは、ウィルソン政権下の海軍次官に就任した直後の1913 年4 月であ
った。日米戦争熱が高揚する中で、日本の国会議員は「対米封鎖」の威嚇としてカリフォ
ルニア沿岸に日本海軍の派遣を求め、ブラッドレー・A・フィスク海軍少将は、ローズヴ
ェルト海軍次官に、「日本に対する緩やかな封鎖(a loose blockade of Japan)」を含む秘
密覚書を届けた。ローズヴェルトが、1897 年のクリスマス・プレゼントとして贈られたア
ルフレッド・T・マハン著『海上権力史論』を丸暗記するまで貪り読み、その後も母親や
身内からマハンの著作が出版される都度、出版物を贈られていたこと46、第一次世界大戦
を経て1921 年まで海軍次官を務めたことに鑑みて、ローズヴェルトは、「封鎖」に人並み
以上の見識を持ち、「第一次世界大戦型経済封鎖」にも精通していたと考えられる。
実際、ローズヴェルト大統領にとって「封鎖」は、特に自らの気性にあった根本的な考
え方であった。即ち、「封鎖」は、地上戦を避けて、海軍力のみで敵を封じ込めるとのアイ
ディアであり、議会をバイパスしながらも議員に受け入れられる可能性があるものであっ
た。したがって、ローズヴェルト大統領は、政策を構想するときには常に「封鎖」に戻り、
1939 年9 月に第二次世界大戦が勃発した後は、連合国の戦略として「封鎖」を提唱した47。
また1935 年春、ローズヴェルト大統領は、軍縮に対する「制裁」もどきの「封鎖」を
考えていた。同年3 月、ローズヴェルト大統領は、モーゲンソー財務長官に、「イギリス、
フランス、イタリア、ベルギー、ポーランド及び可能ならばロシアも含めた諸国が共同し
て10 年間軍縮計画に同意し……当該条約に調印後、ドイツにも調印を求めたにもかかわ
らず、ドイツが拒否すれば、これらの諸国は、一切の物資のドイツへの流出入を認めない
対独二重封鎖(a two-way blockade around Germany)を樹立できるであろう」と述べた。
4 月には、ローズヴェルト大統領は、ハウス大佐に、この封鎖を対独完全封鎖(a complete
blockade of Germany)と呼び、「この対独完全封鎖はボイコットではなく、ましてや経済

563 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 19:38:52.02 ID:???
制裁でもないが、効果においては同一である。ボイコットや制裁は議会に諮らずに我々だ
けでは認められないが、封鎖は、事実が確定されてしまえば、大統領権限の範囲内におさ
まる。」と述べて48、「封鎖」の範疇の中で、議会にじゃまされない形の「対独完全封鎖」
として「第一次世界大戦型封鎖」のようなものを模索していた。
1937 年7 月に支那事変が勃発すると、ローズヴェルト大統領は、対日「経済封鎖」を
模索しはじめた。7 月中旬にローズヴェルト大統領は「対日封鎖」の着想をサムナー・ウ
ェルズ国務次官に打ち明けた。ウェルズ国務次官によれば、「大統領のプランは、太平洋の
戦略ポイントに配備された米英海軍部隊によって強要されることになる禁輸を日本に強い
ることであった。日本経済は、米英の市場に大きく依存していた。もし、これらの市場が
閉ざされれば、日本は、発展し続けることを長くは望めなくなるであろう。」というもので
あった。またウェルズ国務次官が、「日本経済がアメリカ人の市場と英国人の市場に大きく
依存しているので、これらの市場が日本に閉ざされるような封鎖は戦争に至る危険を孕ん
でいるのではないか」と質問すると、ローズヴェルト大統領は「そうは考えていない。日
本は既に中国に深く介入しているので、日本経済は臨界点に達している。もし日本の貿易
が遮断されれば、日本が非常に必要とする東南アジアの石油と天然資源にアクセスできる
ようになる前の早い段階で日本は行き詰まってしまうであろう。……日本はこの重大局面
に戦争のリスクを敢えて犯すことはないであろう」とこたえていた49。
1937 年10 月5 日、ローズヴェルト大統領は有名な「隔離」演説をシカゴで行ったが、
モーゲンソー財務長官やハロルド・イッキーズ内務長官が「隔離」の真意を知ったのは、

564 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 19:39:31.72 ID:???
12 月12 日に発生したパネイ号事件の直後の12 月17 日の閣議であった。イッキーズ内務
長官の日記によれば、この閣議で、ローズヴェルト大統領は、「アメリカ海軍は、アリュー
シャン列島から、ハワイ、ウェーキ、グアムに至るまで、日本を封鎖できるであろう。英
国は、我々のラインからシンガポールまでをカバーするであろう。これは、海軍にとって
は大艦隊を送り出さずに引き受けられる比較的簡単な任務であろう。大統領は、こうして
封鎖されれば、日本が1年以内に屈服することになる」と考えていた50。またモーゲンソ
ー日記によれば、ローズヴェルト大統領は「我々は[1933 年修正対敵取引法により授けら
れた]それらの権限が戦争を防止するために用いられることを望む。結局、イタリアと日
本が宣戦布告せずに交戦する技術を進化させてきたとすれば、なぜ我々は同様の技術を開
発できないのか」と語った。さらにガーナー副大統領が真の意味での力(only real force)
だけが日本人に効果を及ぼすであろうと述べたのに対して、ローズヴェルト大統領は「我々
は経済的圧力を効果的になし得る。我々はそれらを経済制裁とは呼ばない。我々はそれら
を隔離と呼ぶ。我々は戦争に至らないであろう技術を開発したい。我々は日本やイタリア
と同じ程度にスマートでありたい。我々はそれを近代的な方法で行ないたい。」と応じた51。
また閣議の前日の12 月16 日にホワイト・ハウスで催されたレセプション後、ローズヴ
ェルト大統領は、リンゼイ駐米英国大使に対日「平和的封鎖(peaceful blockade)」を熱
っぽく提案した。ローズヴェルト大統領は、両国海軍を統合して対日「平和的封鎖」を樹
立すること、この「封鎖」が秘密裏に樹立され、質問された場合でも公式な政策としては
否定されることを提案した。リンゼイ大使が、「封鎖は日本と英語圏の民主主義諸国との間

565 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 19:40:29.04 ID:???
に闘争事由をもたらすことになる」と述べると、ローズヴェルト大統領は、リンゼイ大使
の推論を否定し、対日「隔離」の含意を明瞭に説明した。即ち、対日「隔離」とは、アリ
ューシャン列島から中部太平洋を経てフィリピンに至り、さらに香港に至る太平洋を横切
る「巡邏封鎖(cruiser blockade)」を指し、米国がフィリピン以東のエリアを責任範囲と
し、英国が西部セクターを担当すると想定され、英米共同行動の目的が日本人から天然資
源を遮断するとともに、封鎖されたエリア内にある日本の委任統治領の島々を軍事的手段
によって餓えさせることにあるとされていた。リンゼイ大使が「封鎖は戦争行為である」
と再度指摘したが、ローズヴェルト大統領は、再度、「違う、これは紛れもなく大統領権限
の範囲内にあり、戦争に関する『新たなドクトリンとテクニック』である。アメリカはか
つて宣戦布告なき戦争を遂行したことがあった。」とこたえた。リンゼイ大使が「ぞっとす
るような批判」をぶつけたが、ローズヴェルト大統領は、全く意に介さず、「交戦しないだ
けなのに、戦争を防止するためにこの構想に固執していた」様子であった52。
1937 年12 月17 日の閣議やその前日のリンゼイ大使との会談に示されたローズヴェル
ト大統領の真意は3 つである。第1 は、ローズヴェルト大統領が海軍に期待していたのは
「実効封鎖」ではなく「紙上封鎖」だったということである。「紙上封鎖」は、「パリ宣言」
以前に主として英国海軍によって行なわれていた「強大な英国海軍との心理的圧迫イメー
ジ」に基づく「封鎖」であり、被封鎖港の直前に「封鎖」に任ずる艦隊を配置することな
く、被封鎖港のはるか遠方から封鎖宣言をすることにより、被封鎖港までの広大な海面が
「封鎖」されたとみなす交戦行為であった。「パリ宣言」はこのような実体の伴わない「封
鎖」を否定したが、「第一次世界大戦型経済封鎖」は、英国の新発明であると同時に、「紙
上封鎖」の復活でもあった。つまりローズヴェルト大統領が海軍力を用いた対日「封鎖」
として「紙上封鎖」を考えていたことは、所謂「ABCD 包囲陣」が日本側の方便ではなく、
軍事面から実体のある大きな対日圧力を日本に及ぼしていたことを裏づけるものである。

566 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 19:41:09.77 ID:???
第2 は、ローズヴェルト大統領が開戦までに実行してきた様々な対日経済圧力が、「経
済制裁」ではなく「経済封鎖」であったということである。「1917 年対敵取引法」は第一
次世界大戦時に米国が「経済封鎖」を実施するに際して拠り所として制定した法であり、
「1933 年修正対敵取引法」は、「1917 年対敵取引法」の中の第一次世界大戦にだけ適用さ
れるとする部分を削ぎ、普遍的に適用できるようにローズヴェルト大統領自身が修正した
法である。「経済制裁」ではないと否定したうえで、「1933 年修正対敵取引法」を拠り所と
した経済圧力を日本に課そうというのであるから、これを「隔離」と言い換えてみたとこ
ろで、実体が「経済封鎖」であることは疑う余地はない。したがってローズヴェルト大統
領は、「第一次世界大戦型経済封鎖」の意味の経済圧力を日本に及ぼそうとしたのであった。
第3 は、ローズヴェルト大統領が日本の支那事変への対応やイタリア=エチオピア紛争
時のイタリアの対応を見て、実体は戦争であっても「戦争に至らない」と主張できる洗練
された方策を模索していたことである。この点において、ローズヴェルト大統領が開発し
たものは、実際には交戦することなく海軍力のプレゼンスをもって軍事的圧力を加える「紙
上封鎖」及び「1933 年修正対敵取引法」を駆使して経済的圧力を加える「対日経済封鎖」
を英国などの民主主義諸国と共同で行なうものであった。したがって、この「対日経済封
鎖」は、「第一次世界大戦型経済封鎖」を構成する「長距離封鎖」を交戦下で行うのではな
く、平時の海軍力のプレゼンスで行なうようにアレンジしたものであり、「ローズヴェルト
型経済封鎖」と呼ぶことができる。

567 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 19:42:18.26 ID:???
他方、ローズヴェルト大統領が行なった一連の対日措置は、1938 年9 月30 日に国際連
盟理事会が採択した対日「経済制裁」発動に基づくものだったということも想起できる。
その第1 の理由は、米国が国際連盟非加盟国とはいえ、国際連盟の重要な安全保障問題に
協力・参加してきたことにある。第2 の理由は、米国の一連の対日措置が、「第16 条ガイ
ドライン」のとおり、道義的禁輸から、次第に厳しい措置に移行していったことにある。
しかし米国による一連の対日措置は、少なくともローズヴェルト大統領の意図としては
「ローズヴェルト型経済封鎖」という「第一次世界大戦型経済封鎖」と酷似した交戦手段
であったといわざるを得ない。その第1 の理由は、「ローズヴェルト型経済封鎖」が国際
連盟の対日「経済制裁」発動の9 カ月前の構想だったことにある。第二次世界大戦開戦時
から太平洋戦争開戦までの英米の対日経済戦争の全体像解明を試みた土井泰彦は、1937
年12 月17 日の閣議で示された内容を「41 年7 月の対日資金凍結と石油の全面禁輸措置
をめぐる検討の最初のリハーサルともいうべき性格のものであった。」53と指摘している。
つまり、米国の一連の対日措置は、1937 年12 月に構想された「ローズヴェルト型経済封
鎖」を実行に移したものだったのである。第2 の理由は、国際連盟の対日「経済制裁」発
動前の1938 年7 月1 日に航空機用部品の対日道義的禁輸を発していたことにある。第3
の理由は、米国はもちろん、国際連盟加盟国であった英国及びオランダも、「経済制裁」と
いうことなく、米国の一連の対日措置に追随して同じ措置をとっていたことにある。

568 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 19:43:19.51 ID:???
3 満洲事変以降の日本の「経済封鎖」
(1)満洲事変及び上海事変時の「経済封鎖」への危機感と対応
1931 年9 月18 日の満洲事変勃発及び1932 年1 月28 日の上海事変勃発は、国際連盟
加盟国である日本が連盟規約第16 条による「経済制裁」を受けるという危機感を募らせ、
この危機感が「応急総動員計画」の作成をもたらした。総動員計画作成は、本来的には昭
和5、6、7 年度に「第一期暫定期間計画」を設定し、昭和8、9、10 年度に「第二期期間
計画」が設定されることになっていた。しかし、「昭和六年満洲事件ノ勃発ヲ楔機トシ時局
切迫シ外ハ国際聯盟ニ依ル経済封鎖ノ脅威ヲ受ケ内ハ満洲事件愈々進展セシヲ以テ総動員
計画事務ノ従来ノ予定ヲ変更シ七、八両年度ニ於テ時局ニ即応スヘキ応急総動員計画ヲ設
定スルコトト」された。この「応急総動員計画」の主眼は、昭和7 年度に実施すべき「各
庁期間計画」及び軍部の計画に吻合した内容の総動員計画を応急的に作成することにあり、
「第一期期間計画綱領」に基づいて各省庁が作成すべき各省庁の期間計画を含めて、商工
省が中心となって作成することとされた54。
この「応急総動員計画」は、米国の対日措置への対策として見るべきものが3つある。
第1 は物資輸入に関する「対外支払決裁上特ニ施設スヘキ事項」及び「金及外貨管理ニ関
スル事項」である。前者では、日本が外国貿易の決裁に利用できる為替市場として上海、
ロンドン、ニューヨークが挙げられ、ニューヨーク市場が利用不能、上海市場が利用困難
との仮定のもと、対策として在米資金の引上準備が挙げられた55。また後者では、「交戦ノ
相手国ニ存スヘキ外貨ハ其ノ国政府ニ依リ没収又ハ管理セラルヘキヲ以テ 開戦ノ予知セ
ラルル場合ニハ敏速秘密ノ手段ニ依リ 其資産ヲ安全地帯ニ移ス等臨機適切ノ措置ヲ必要
トスヘク 此点ニ就テハ外務及軍務当局ト大蔵関係部局トノ間ニ緊密ナル連絡ヲ必要トス
ヘシ」とされた56。第2 は、「為替管理其他国際金融対策」のひとつとして「外国為替管理
並貿易管理ノ事務ヲ総合統一シテ一切ノ国際経済関係事務ヲ担任スヘキ強力ナル部局ヲ設
クルコト」が求められたことである57。第3 は、陸軍省整備局統制課が「応急総動員計画」

569 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 19:44:57.40 ID:???
に対する所見の中で示した「戦時法令ノ準備ト資源統制運用法ノ研究」の促進である58。
陸軍省整備局統制課が指摘したように、商工省資源局は、様々な課題に取り組んで調査
研究を行っていた。例えば、商工省資源局が1932 年以降に膨大な事項を調査研究してい
たことを示す目録の中に「対日本経済封鎖ニ関スル研究方針」(昭和7 年2 月26 日)及び
「M 1000−1099 経済封鎖ニ関スル研究」と題された研究事項が含まれている59。
また商工省資源局は、1934 年12 月に『世界大戦に於ける米国総動員概説』を翻訳・刊
行した。1919 年に刊行された英文原著を1934 年に翻訳・刊行した背景には、「難局打開
の途は一に全国力の組織的統制以外には需むべくもない。全国力の組織的統制――吾人は
其の実験を、場合の如何を別として、世界大戦に於て之を果たしている。近時各方面に於
て世界大戦の情況の再認識が熾に行はれつつあるのも決して偶然ではないのである」との
認識があった。そこで商工省資源局は、「米国が世界大戦に参加してより、戦争目的達成上
執れる政策の一般を其の行政機構上の観点より叙述したものであって、米国の現実に試み
た国家総動員の貴重なる記録」だけではなく、「各種の法令、並に其の他のステートメント
及報告書等の公文書類を豊富に引用して内容の正確を期」すことによって、戦時行政機構
の研究書とするとともに示唆に富む今日的要素を汲み出せるものにすべく編さんした60。
陸軍でも1933 年に、森武夫二等主計正は『戦時統制経済論』を著し、第一次世界大戦
の経験をもとに「経済と戦争形態」を理論化し、将来の戦争の実践的要求にこたえようと
した61。森は、将来の戦争の大目的が強大ブロックの政治的、経済的、地理的な膨張にあ
ると位置づけ、2 つの大目的達成方法を提示した。第1 の方法は一国が相手国の軍事力を
破砕して武力抗争を断念させることであり、第2 の方法は第一次世界大戦に顕著に見られ
た経済戦争及び思想戦争により、一国が相手国の国民生活に重圧を加え、戦意を崩壊させ
て武装解除状態に至らせることである。また森は、将来の戦争では、武力戦争のほかに経

570 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 19:45:47.87 ID:???
済戦争が行なわれ、平時から展開されている「経済戦」が戦争惹起の主原因となり、一度
戦端が開かれると平時の「経済戦」が真の経済戦争に化すと観察した。
また森は、この真の経済戦争を最も効果的に遂行する手段が「経済封鎖」であり、徹底
的な「経済封鎖」の理想像が「軍事的政治的手段に訴えて敵国と外部世界との『一切の通
商上、金融上及び交通上の関係を断絶する』ことである。此の括弧内の字句は国際聯盟規
約第十六條の用語に依ったもので、聯盟は国際的制裁手段として経済封鎖を認めてゐる」
として、これを「絶対封鎖」又は「無制限封鎖」と呼んだ62。そして森は、「経済封鎖」の
成否に影響する要件として、第1 に封鎖実施側の武力、殊に海軍力の程度、第2 に被封鎖
国の地理的条件、第3 に被封鎖国の経済的自給度を挙げた。また森は、第1 及び第2 の要
件を満たすためには「封鎖」を実施する国が必ずや協力国を必要とすると指摘し、第3 の
要件に鑑みて、一国が「経済封鎖」を重用する場合として、@相手国の資源が貧弱又は国
際貿易依存度が大きい場合、A両交戦国が大洋を挟むなどにより軍事力を直接用いて勝敗
を決しがたい場合、B一国が相手国を凌駕する経済力を有しながらも軍事力では相手国に
向うには十分でない場合を挙げた63。
さらに森は、「経済封鎖」を被る国の対策として2 つの方法を提示した。第1 の方法は
軍事力で封鎖線を突破することであり、第2 の方法は、軍事的政治的手段を併用しながら
経済的領域を拡大するとともに、外部世界との交通を維持して物資の取得及び商品の販路
の維持に努めることである。また中立国が被封鎖国に敵意を抱いてボイコット及び政治的
経済的手段を講じてくる場合には、被封鎖国が実力をもって中立国と外部世界との交通の

571 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 00:15:04.22 ID:???
關鍵を牛耳ることにより中立国をして被封鎖国との貿易を強制するとの対策を提示した64。
『戦時経済統制論』に示された内容は、森個人の考え方ではなく、陸軍に広く受入れら
れていた考えであった。1934 年4 月、陸軍省統制課長・陸軍歩兵大佐・齋藤彌平太は、「陸
軍軍需工業動員概説」と題する講話に際して、「戦争指導ノ概況」と題するチャートを作成
した。このチャートの中で、敵国に対する手段としての武力が達成すべき主目的に「敵武
力の破壊、我経済圏ノ拡張、敵経済圏ノ破壊」が、手段としての経済が達成すべき主目的
に「敵国資源ノ涸渇」が、手段としての思想の主目的に「敵軍交戦意思ノ崩壊又ハ分裂、
敵国民交戦意思ノ解消」がそれぞれ位置づけられ、中立国に対する手段としての経済の主
目的に「敵経済圏ノ破壊又ハ縮小」が、手段としての外国及び思想の主目的に「我同盟国
又ハ好意的中立国ノ獲得、敵国孤立」が位置づけられた。これらの敵国及び中立国に対す
る手段と達成すべき主目的との関係は、森が提示した内容と一致している65。
また森が『戦時経済統制論』に示し、陸軍に広く受入れられていた考え方は、産業界で
も共有されていた。森が『戦時経済統制論』を著した1933 年、内外産業資料調査会は『内
外産業資料』の特別号として、『孤立日本の経済的動向―経済封鎖と日満ブロック経済の完
成―』を刊行した。この特別号は、「聯盟脱退は既に廟義に於て一決し、日本の国際政治的
孤立は、単に時間の問題となった。吾々は政治的孤立の次に来るもの―経済的孤立を此の
際覚悟しなければならない」との問題意識から、資源局員・野尻哲二の協力を得て作成さ
れたものであった。まずこの特別号は、平時における通商の自由を阻止・制限する方法と
して@平時封鎖、A経済封鎖、Bボイコット、C禁止関税の4 つを挙げた。次にこの特別
号は、将来日本に対して適用され得る方法を総称して「国際的経済絶交手段」と呼び、具
体的には先述のABCを挙げた。さらにこの特別号は、「国際的経済絶交手段」の中で最悪

572 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 00:16:37.72 ID:???
の場合が「経済封鎖」である位置づけ、「経済封鎖」に対処する第1 の方法として、「封鎖」
された内部での経済の合理的経営―日満ブロック経済の形成及び国家総動員による統制経
済―を、第2 の方法として、軍事力を行使して「封鎖」の桎梏から逃れること―経済勢力
圏の拡大強化―を挙げた。また第2 の方法の具体例として、日本が太平洋側から海上交通
を遮断された場合、日本は、「先手を打って中国の要港の封鎖を断行し」、できれば「南支
那海の制海権を其の掌中に収める事」により、「列国の対中国貿易を妨碍する」とともに、
日満ブロックに欠乏している重要資源の供給地及び重要市場であるタイ、蘭印、マレー及
び南洋諸島を被封鎖地域内に取り込むべきであると提言している66。この具体例は、奇し
くも支那事変及び太平洋戦争に際して日本海軍及び陸軍が実行したことと符号する。この
特別号の第1 の方法は森のそれとは異なるが、第2 の方法は森と全く同一である。
陸軍は、イタリア=エチオピア紛争について、積極的に情報収集・分析・普及に努めた。
まず参謀本部は1935 年8 月に「伊『エ』問題ニ就テ」を、9 月に「再ヒ伊『エ』問題ニ
就テ」を、10 月に「伊『エ』紛争 其三」をまとめて一般情勢の推移を把握した67。これ
らの内容は、『偕行社記事』第733 号(1935 年10 月)及び第734 号(1935 年11 月)の
2 回に分けて掲載され、第734 号には「特輯経済時事 対伊経済的制裁」が掲載された。
この「特輯経済時事」は、「経済制裁」及び「経済封鎖」に対する陸軍の認識の正鵠さを
示すと同時に、平易かつ系統立った記述要領に鑑みて読者の理解を容易にしたであろう。
即ち、先述の参謀本部がまとめたものやそれを掲載した記事が事実関係の羅列的色彩が濃
厚であったのに対して、「特輯経済時事」は、連盟規約第16 条成文及び「第16 条ガイド
ライン」の紹介及び説明にはじまり、対イタリア「経済制裁」の内容をひとつずつ解説し
た。また「特輯経済時事」は、「経済断交」という用語をはじめて用いて、連盟加盟国と加
盟国たる違約国との間の金融、通商及び交通の関係を絶つことを「経済断交」、連盟加盟国

573 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 00:18:32.25 ID:???
以外との関係をも阻止し、軍事力の使用を予期している場合を「経済封鎖」と位置づけた68。
参謀本部が『偕行社記事』に対イタリア「経済制裁」の一般情勢や「特輯経済時事」を
掲載した背景には陸軍上層部の意向があった可能性が推し量られる。この時の参謀次長・
杉山元は、国際連盟・帝国代表陸軍随員時の1921 年1 月15 日に「国際聯盟第一回総会ニ
関スル報告」を作成したメンバーの一人であり、同報告の中で、「経済封鎖」の効果が極め
て大きいこと、「経済封鎖」を含む経済問題が将来戦の遂行要領に大きな影響を及ぼすとの
認識を示していた69。また陸軍次官・古荘幹郎は、1918 年12 月に「瑞典退職少将『ノル
デンスワン』氏ノ世界戦争ニ対スル戦略的観察並ニ之カ論評」を著わし、第一次世界大戦
が文明から古代に逆行した国民対国民戦の様相を呈し、英国の戦い方が文明戦争では禁止
された敵国民をして飢餓に陥らせる戦略であり、しかも、その荒廃した状態を戦後50 年
も維持しようとの目論見であったことを指摘していた70。さらに参謀次長・杉山元は、対
イタリア「経済制裁」が決定された1935 年10 月10 日の直後であり18 日に発動される
前の14 日付で、陸軍次官・古荘幹郎に対し、フランス駐在武官の陸軍大尉・服部卓四郎
をエチオピアに、イタリア駐在武官の陸軍大尉・清家武夫をイタリア領エリトリアに、諜
報目的で派遣するよう要請し71、陸軍次官はこの要請にこたえて、諜報要員への便宜供与
を外務次官・重光葵に依頼した72。また1936 年2 月、陸軍省動員課は、イタリアが国際連
盟の「経済制裁」に執った対策を、陸軍次官名で参謀次長に照会する文書を発出した73。
(3)支那事変期の「経済封鎖」
日本陸軍は、支那事変勃発当初から「経済封鎖」を用いた対処方法を模索していた。そ
の第1 の理由は昭和天皇の御下問に対する奏上内容にある。1937 年8 月18 日、昭和天皇
から「戦局漸次拡大シ上海ノ事態モ重大トナレルカ……重点ニ兵ヲ集メ大打撃ヲ加ヘタル
上ニテ我ノ公明ナル態度ヲ以テ和平ニ導キ速ニ時局ヲ収拾スルノ方策ナキヤ 即チ支那ヲ
シテ反省セシムル方途ナキヤ」との御下問があった。これを受けて、参謀総長及び軍令部

574 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 00:19:47.73 ID:???
総長が8 月21 日に参内し、「早期ニ目的ヲ達成スル為目下最モ期待シ得ヘキ手段」と「戦
局相当長期ニ亙ル覚悟ノ下ニ諸施策ヲ継続若ハ新ニ実施スルヲ要ス」手段とを奏上した。
後者の内容は次の3 つであった。
(一)北支ニ於テハ平津地方及其付近ノ安定確保ニ必要ナル主要地ヲ占拠スルト共ニ我
ニ向テ攻勢ヲ企図スル支那中央軍ニ打撃ヲ与ヘテ抗日ノ自尊心ヲ喪失セシム、
(二)上海ヲ確保シテ其ノ経済中心タルノ機能ヲ喪失セシム、
(三)適当ナル時機ニ支那沿岸ノ封鎖ヲ断行シ以テ支那国民竝軍隊ノ生存ヲ脅威シ且対
外経済活動ヲ封止ス。
これについて、「戦史叢書」は、「上海重点短期決戦を主張する軍令部[第一部甲部員横井
忠雄大佐]の考えと、北支重点、長期持久戦を予想する石原[莞爾]作戦部長の考えとの
合作であることが明らかである。」と記している。この見方に沿えば、(一)項の内容が北
支重点、(二)が上海重点であるので、(三)が長期持久戦を予想した石原莞爾参謀本部第
1 部長の考えを反映している74。「日米決戦戦争を想定し、対米経済関係を遮断されても自
立し得る経済体制を作ることを企図したもの」75が石原構想だったからである。石原は
1931 年4 月の「対米戦争計画大綱」の中で、「戦争ノ経過不良ニシテ広ク世界ノ封鎖ヲ受
クル場合ハ国内及占領地ヲ範囲トスル計画経済ヲ実行シテ断乎戦争ヲ継続シ進テ我産業ノ
大進展ト支那ノ大改新ヲ策ス」76と記し、集団的な形の対日「経済封鎖」を警戒していた。
この石原の対日「経済封鎖」への警戒感の背景には、1930 年から関東軍で勤務していた
住谷悌一等主計の影響があると考えられる。住谷一等主計が参謀本部第2 部で勤務中の

575 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 00:20:29.16 ID:???
1929 年に、住谷一等主計自らが起草したと思しき「帝国国防用資源ト其補給ニ就テ」の中
で、対米「封鎖」及び対日「経済封鎖」対策が次のように述べられているからである。
対米戦争ノ場合ハ経済的持久戦トナリ易キヲ以テ特ニ経済関係ヲ研究スルノ要アルモ
現在資料ヲ基礎トシテ大体ヲ判断セハ……太平洋交通遮断ノ場合米国ノ受クヘキ経済
的打撃ハ全般的ニ見レハ大ナリト云フコトハ能ハス 只平時主トシテ支那方面ヨリ供
給ヲ受ケ 且他方面ニ於テ多量ヲ求メ得サル『ウォルフラム』鉱(タングステン)&#37563;
(最近「フラリ・メタル」ナル代用品ヲ発見セリト云フ)等ノ資源ニ関シテハ其供給
杜絶ニヨリテ相当ノ苦痛アルヘク 我国トシテハ其封鎖策ヲ講スルヲ要スヘシ……戦
時我国カ経済封鎖ヲ行ハレタル場合 中立国タル蘭領印度及上海市ニ於ケル中継貿易
ニヨル外国資源ノ取得ハ重要ナル事項ニ属スルヲ以テ 此等ノ点ニ関シテハ其商流ノ
関係其他ヲ平時ヨリ調査シ置クコト必要ナリトス 殊ニ欧州戦争ニ於テ 独逸カ此手
段ヲ利用シ戦争能力ヲ増加シ得タル戦例アルニ於テ然リトス77。
また1931 年4 月に設置された関東軍調査班に対し、「板垣、石原両参謀は、これら幕僚に
対して、その意図を徹底せしめ、有事に際し一致即応の態勢強化のため指導に努めたこと
であろう」と言われているが、その調査班の中に住谷一等主計がいた78。
第2 の理由は、武藤章参謀本部第3 課長が軍令部と調整したうえで参謀総長が9 月20
日に対ソ危機を踏まえて上奏した「[対支]作戦計画ノ大綱」及び「御説明案」にある。「御

576 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 00:22:42.78 ID:???
説明案」は、対支作戦計画を積極作戦と持久作戦とに分け、持久作戦の中で「航空機ニ依
ル敵政戦略両略目標ノ爆撃、経済封鎖等ニ依リ敵ノ持久作戦意思ヲ挫折セシム」と述べて、
「経済封鎖」を敵の持久意思を打破する方策と位置づけた79。ここには、「武力による経済
封鎖」が、対ソ戦に備えて温存する陸軍戦力と等価な効果をあげるとの認識が示されてい
る。実際、石原参謀本部第1 部長の辞任を受けて9 月27 日に参謀本部第4 部長から参謀
本部第1 部長になった下村定少将も、「武力による経済封鎖」の考え方を継承したかの如
くに、上海派遣軍の前面にいる75 個師団の敵主力を撃破し、速やかに上海を中国経済か
ら遮断して、経済的に屈服させることを目的とした上海作戦を主導した80。
第3 に、1937 年11 月23 日、大本営陸軍部第2 部は「支那カ長期抵抗ニ入ル場合ノ情
勢判断」の中で、各国の対日態度を「経済封鎖」の視点からとらえていた。まず「第一 対
支情勢判断」の「二、支那軍ニ関スル判断」では、「ハ、支那軍ノ……其補給ハ一ニ外国ヨ
リノ輸入ニ俟タサルヘカラス 而シテ事変発生後新ニ列国ニ注文セル軍需品ハ……我カ海
上封鎖ニヨル輸送難等ノ為 其支那側入手ハ逐次困難ヲ加ヘツツアリ」との認識が示され
た。また「三、支那ノ経済力判断」では、「支那ハ北支及上海ノ戦費培養地域ノ喪失及海上
封鎖ニ依リ 政府収入ノ激減ヲ来シ 国民ヨリノ徴発ハ敗戦感ノ為 益々意ノ如クナラサ
封鎖ニ依リ 政府収入ノ激減ヲ来シ 国民ヨリノ徴発ハ敗戦感ノ為 益々意ノ如クナラサ
ルヘカラス」と述べて、陸軍の北支及び上海での作戦が戦費培養地域を遮断するという「経
済封鎖」の観点から行われた作戦であったこと、これが海軍の中国沿岸封鎖と相俟って成
果を挙げつつあるとの認識が示された81。

577 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 00:23:58.28 ID:???
次に「第二、対『ソ』情勢判断」では、「支那ノ長期抵抗ハ『ソ』聯邦ノ最モ欲スル処ニ
シテ……抗日持久戦ヲ持続セシメテ我戦力及国力ヲ消耗セシメ 又英米佛就中米国ヲ煽動
シテ対日共同圧迫ヲ画策シ 手段ヲ尽シテ帝国ノ挙国一致態勢ノ破壊ヲ策シ 情況ニ依リ
テハ対日武力干渉ヲ決意スルコトナシトセス」と述べて、「第一次世界大戦型経済封鎖」を
警戒する必要が示された82。「第三、対欧米情勢判断」では、「彼等[英米]ノ対支援助ハ
九国条約国会議失敗後ニ於テモ当初尚其程度ニ継続セラレ 且帝国ニ対スル経済的圧迫ヲ
企図スルコトナシトセサルモ……帝国ニ対スル武力制裁ハ素ヨリ 当初ニ於ケル経済的圧
迫ニ於ケル列強ノ歩調一致ハ 単ニ英米間ノミニ於テモ尚完全ニ之ヲ期スヘカラスシテ
帝国ノ国民生活及作戦ヲ拘束スルニ足ルヘキ程度ノモノニアラスト判断セラル」と述べて、
1937 年の国際連盟及びブリュッセルで開催された九カ国会議で、対日「経済制裁」が発動
されなかったことへの安心感が示された83。
さらに「米国ノ態度」については、まず「米国ハ事変解決ノ為、九ケ国条約会議ヲ通シ
若クハ其他ノ形式ヲ以テ 列国ト協調シテ和平勧告乃至調停ニ関シ各種手段ヲ講シ 極力
努力ヲ継続スルナラン」と述べて、米国が現状維持路線を採るとの見方が示された。しか
し米国自身が「情勢ニ依リテハ列国ノ対日経済封鎖等ニ協調センカ為、若クハ聯盟カ対日
制裁ヲ決セサルニ於テモ 独自ノ立場ヨリ紛争国隔離、中立保持ノ名目ノ下ニ中立法ヲ発
動スルノ公算少カラス 而シテ此際 中立法ハ之ニ所要ノ修正ヲ加ヘ、或ハ少クモ其運用
ニ於テ我ニ不利ナル如クセシムルモノト予想セラル」と述べ、国際連盟の「経済制裁」が
発動されなくても、米国が列国と対日「経済封鎖」に参加又は独自に対日「隔離」を行う
事態の生起可能性も提示した84。

578 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 00:24:37.81 ID:???
最後に「経済対策」としては、まず「北支及上海ノ金融機関ヲシテ邦貨ニ結合セシメテ
支那金融ノ制覇ヲ策スルト共ニ 支那法幣ノ取引ヲ断絶若クハ局限シ 且英国系銀行ト支
那側銀行トノ離間策ヲ講スル等支那為替暴落政策ヲ採ル」こと、次に「海上封鎖ヲ強化シ
国民政府ト列国間ニ於ケル軍需品ハ勿論 一般貿易ヲ妨害シ 併セテ支那内部ノ交通線ヲ
遮断シテ物資ノ流通ヲ封止ス 又既存ノ工場、事業場ハ之ヲ破壊」すること、第3 に「北
支及上海ニ於ケル関税塩税統税其他ノ支那政府収入ヲ接収シ 該地域ニ於ケル重要資源ノ
開発ト相俟ツテ我カ国防用資源ノ拡充竝一部軍費ノ補助ニ供ス」ことが提言された85。
ところがこの「支那カ長期抵抗ニ入ル場合ノ情勢判断」なる文書には2 つのバージョン
がある。これまで取り上げてきたバージョンをAバージョンと呼ぶならば、Aバージョン
の「対策」では「経済破壊ヲ励行シ」86と記されている部分が、Bバージョンでは「対支
経済封鎖ヲ完全ニ励行ス 之レカ為 要スレハ全支那沿岸ノ主要海港ヲ占拠ス」87と記さ
れている。Bバージョンが具体的に過ぎるとの批判を受けてAバージョンに修正されたよ
うに見受けられるが、大本営陸軍部第2 部が「対支経済封鎖」により中国の経済破壊を意
図していたことは間違いない。その結果、この情勢判断から1938 年10 月末の武漢及び広
東攻略までの陸軍作戦は、中国の大都市を攻略することによる事変終結機会の作為と、「経
済封鎖」の路線上の補給路遮断のねらいのもとに展開されていった。
1938 年12 月、この陸軍の「対支経済封鎖」路線に、もう一つの方策が具体化される契
機が生まれた。「昭和十三年秋季以降対支処理方策」が陸軍省部間で11 月18 日に概定し
12 月2 日に決定された。この中で、第1 に大方針として長期持久態勢に転移すること、第

579 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 00:25:33.06 ID:???
2 に「占拠地域」を、安定確保を目指す「治安地域」と抗日勢力の潰滅を目指す「作戦地
域」に二分し、「治安地域」については治安確保を第一とすること、第3 に海上封鎖等に
より対外連絡線(特に武器輸入路)の遮断を図ることが明示された。また12 月2 日、大
陸命第241 号が発出され、中支那方面軍司令官には占拠地域の確保及び安定並びに指定地
区の治安の迅速な回復、作戦地域での行動が命ぜられたのに対して、北支那方面軍司令官
には、既に占拠地域の確保及び安定並びに要域の迅速な治安回復だけが命ぜられた88。
大陸命第241 号は、二代にわたる北支那方面軍司令官の試行錯誤を経て、「昭和16 年度
経済封鎖実施要領」に結実した。最初に取組んだ司令官は杉山元大将であった。杉山大将
は、参謀長・山下奉文中将及び参謀副長・武藤章大佐とともに、1938 年12 月に「第一期
粛正計画」を、「第二期粛正計画」として1939 年4 月に「治安粛正要綱」を、5 月に「昭
和十四年度治安粛正計画」を示達して共産軍を討伐した。「第一期粛正計画」は、「二 第
一軍は……封鎖により匪軍を枯渇自滅に陥らしめる。三 方面軍直轄各兵団 第十、第百
十師団は……第一軍の行う山地帯の封鎖に協力する。」と、治安粛正方法が「封鎖」による
ことを明示した。また「第二期粛正計画」は、「六 残存敵地区に対する経済封鎖は更に強
化を図る。」と、治安粛正方法としての「経済封鎖」を打ち出した89。
また杉山大将たちの取り組みで特筆すべきは、満鉄に「経済封鎖」の実施情況を把握さ
せ、改善策を報告させ、これを関係部署に送付したことである90。満鉄調査員は、河北省

580 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 00:26:55.90 ID:???
正定縣及高陽縣の情況を特に模範的と認め、「従来河北省中南部地帯ニ於テハ『皇軍ノ占拠
中区ハ線ト点タ』ト謂ハレテ居タ、即チ鉄道沿線ト沿線主要都市丈タト謂フ意味テアル、
然ルニ今ヤ線ハ延ヒ点ハ増ヘタ、一単線ハ網状態ニ発展シ局部的ナ数点ハ全地域的ニ拡大
シ所ニ依テハ面ニ迄発展シツツアル」と評価した。また調査員は、「正定縣ニ於テハ手段ノ
一トシテ匪区地帯ノ経済封鎖問題ヲ慎重ニ研究シテ居ル」として、その経済封鎖システム
を図解・説明したうえで、この経済封鎖システムの改善を要する問題点として、正定縣の
周辺から物資が購入・流入することを防止する必要性を指摘した。さらに調査員は、共産
勢力の物資流通対策が日本側勢力圏の必要物資を搬出禁止にすると同時に、日本側物資の
搬入制限を課す「対日経済封鎖」であることも報告した91。
杉山大将たちの成果を1939 年9 月から引き継いだのは多田駿中将であった。多田中将
は、1939 年10 月に「第三期粛正計画」を、1940 年3 月には「昭和十五年度第一期粛正
建設計画」を、それぞれ示達した。特に後者は、「模範地区」と鉄道・水路沿線などの「延
長治安地区」を連接して、治安及び自給経済とを兼備した「模範治安地区」に拡大するね
らいがあった。その経済面でのねらいは、「共産地区」を完全に「経済封鎖」すると同時に、
「敵性浮動地区」には見返り物資を供給して宣撫することにあった。この「経済封鎖」に
あたっては、各地で実施されている具体的な手段が討議された。例えば、敵方流出物資阻
止対策面では「経済封鎖」線の設定、搬出許可制、移動物資の監視機関の設置が、敵方物
資獲得対策面では積極的買付、物価操作などが討議された92。
1941 年1 月16 日に大本営陸軍部が作成した「対支長期作戦指導計画」は、多田中将の
取り組みを加速させた。「対支長期作戦指導計画」は「全期間を通じ地上及び海面並びに空
中から封鎖の強化を図る。仏印ルートの遮断、ビルマ・ルート妨害、海軍による海面封鎖、

581 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 04:07:31.64 ID:???
陸軍兵力による海港に対する封鎖作戦等と併用し、対支経済圧迫を強化する。」ことを求め
ていた。これを受けた支那派遣軍は、2 月17 日に「長期戦現地政略指導」を示達し、「経
済指導」として、「対敵経済封鎖ヲ強化シ 利敵経済作用ヲ封シテ敵側経済力ヲ破砕シ 敵
領域竝租界ニ対スル経済圧迫ヲ継続シツツ 占拠地域ニ在リテハ軍ノ現地自活ヲ確保スル
ト共ニ現地経済力就中生産力ヲ培養強化シテ 我国防必需物資ノ充足ヲ計リ民生ノ安定ヲ
策ス」ことを求めた。そこで北支那方面軍では2 月25 日及び26 日の両日にわたって参謀
長会議を開催し、「昭和十六年度粛正建設計画」を示達した。しかし治安粛正が思うように
ならない状況に鑑みて、「更ニ共産党(軍)ニ対スル研究ヲ一層深刻ナラシメ 其ノ真相ヲ
把握シ 其ノ長所ヲ封シ其ノ弱点ヲ衝ク如ク努力ト施策トヲ之ニ集中」するとしか明言で
きなかった。北支那方面軍は「剿共指針」と称したパンフレットを作成して共産軍の全般
組織・情勢をはじめ具体的な各種工作及びその対策をまとめるとともに、担任地区を「治
安地区」(治安が確保できている地域)、「准治安地区」(敵味方両勢力が混在している地域)、
「未治安地区」(敵側勢力範囲)に分けて実情を把握しながら、実態を要求レヴェルまで改
善する方策を模索した93。
このような努力が1941 年6 月3 日に示達された「昭和十六年度経済封鎖要領」に結実
した。この「経済封鎖要領」は様々な方法で物資流出阻止及び敵方物資吸収を図ろうとし
た。例えば、第1 は、敵匪地区への出入りに際して、日本軍大隊長以上の発行する「特別
許可証」を保持することを義務づけたことであった。第2 は、封鎖地帯の前線で物資を運

582 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 04:08:55.29 ID:???
搬する者に兵団長が発行する「輸送許可証」の携行を義務づけたことであった。第3 は敵
匪地区への物資流出は特に認可された物品以外は原則禁止としたことであった。第4 は封
鎖地帯内部にあって被封鎖地区に隣接する住民に対する生活必需品を「切符制」のもとに
最小限配給するようにしたことであった。第5 は、余剰食糧品が敵側に流出しないように
するために「収買機構」を強化又は「保管倉庫の制度」を設けたことであった。第6 は、
小包郵便が敵匪地区に向う場合は一切これを禁止したことであった94。これらの方法はあ
たかも「第一次世界大戦型経済封鎖」を局地的な「面」で再現したように見える。
また従前の対敵「経済封鎖」が「粛正計画」の中で一項目、あるいは一項目の中の文言
に過ぎない日陰者扱いであったのに対して、「経済封鎖要領」との独立したガイドラインが
策定された背景には、「既に対日経済戦争が開始されているとの認識」が内在されているの
ではなかろうか。米国は、1937 年9 月に日中両国向け軍需品の政府所有船舶による輸送
を禁止したのを皮切りに、1938 年7 月及び12 月に航空機資材の対日道義的禁輸、1939
年8 月に日米通商修好条約破棄を通告し、1940 年7 月に航空機用揮発油や屑鉄を対日禁
輸し、1941 年5 月27 日には無制限国家非常事態を宣言し、「1933 年修正対敵取引法」を
発動できる態勢を整えた。参謀本部は、1941 年6 月25 日に、中国に対する「我カ施策特
ニ全面的経済封鎖等ニ依リ之カ悪化ヲ更ニ促進セシムルノ要大ナルモノアリト云フヘシ」
と見ると同時に、ローズヴェルト大統領の炉辺談話について次のように見ていた。
去ル五月二十七日……ニ行ハレタル「ル」大統領ノ所謂炉辺談話……ノ放送ニヨル左
記諸事項ニ関シテハ注意ヲ要スルモノアリ 1.非常時宣言 2.對日関係 演説内容中

583 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 04:09:59.91 ID:???
……石油禁輸ノ意図ナキヲ言明(演説後)スル等 表面ハ對日摩擦ヲ避ケ冷静ヲ装ヒツ
ツアルカ如キモ 実質的ニハ日蘭交渉ニ對スル裏面工作、中南米ニ於ケル日本貿易ノ阻
害、比島ノ輸出統制法ノ強要等依然對日経済圧迫ヲ企図シ 所謂経済戦ノ効果ヲ至大ニ
活用シアル点ハ等閑スヘカラス95
1941 年11 月、中島権吉海軍少将は、外務省の在京高等官に、すでに幕が切って落とされ
ていた英独による武力戦を第一次世界大戦と同じ「封鎖対封鎖の戦争」と講義した96。す
でにはじまっていた日中間の武力による「経済封鎖」戦の中で開始された対日「ローズヴ
ェルト型経済封鎖」は、在米資金凍結により完全な対日「経済封鎖」となり、日本が武力
でこの突破を試みたとき97、「第一次世界大戦型経済封鎖」に衣替えしただけであった。
おわりに
「第一次世界大戦型経済封鎖」は、敵国の個人を敵と位置づけ、個人に飢餓を強要して
降伏させるという違法な交戦手段であった。また「国家総力戦」の本質は、個人を敵と位
置づけるところにあり、連合国は、戦後も敵に対して「経済封鎖」体制を維持しようとし
ていた。したがって、第一次世界大戦中の日本人の政治、軍事、産業関係者は、「経済封鎖」
が日本に致命的であるとの認識、「国家総力戦」体制の構築の必要性を共有し、早くも1918
年4 月に「軍需工業動員法」を施行した。しかし「大正デモクラシー」の国内思潮と軍縮
論の世界的な高まりの中で、「経済封鎖」への危機感や「国家総力戦」体制樹立の必要性は、
軍人以外にはしだいに忘却されていった98。
このような過去の日本人と同様に、今日の日本人の多くは、「経済制裁」という用語に内
在する平和的なイメージを無批判に受容すると同時に、交戦手段としての「経済封鎖」の
存在を忘却してきた。それどころか、最新のある国際法辞典では「経済制裁」という用語
さえ、独立項目から消えうせて、一目を憚るように「非軍事的措置」に含まれており、あ
たかも「平和国家日本」には「経済制裁」も無関係といわんばかりの扱いがされている。
しかし「ローズヴェルト型経済封鎖」は、海軍力のプレゼンスを核抑止力に、経済力を

584 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 04:11:37.64 ID:???
極秘裏に用いたCOCOM 及びCHINCOM に置き換えた「封じ込め政策」に継承され、敵
とみなした国には米国単独でも行なう「経済制裁」の名のもとで行なわれている。つまり、
「9.11事件」で個人が脅威の対象になったのではなく、「文明国」であった欧米諸国が、
既に第一次世界大戦から今日に至るまで個人を敵とみなす戦い方を展開しているのである。
他方、今日の国際社会では、国際連合監視のもとでの人道的な「スマート・サンクショ
ン」や大量破壊兵器拡散防止にかつてのCOCOM のしくみを見直す議論がなされている。
しかしその前に、今日の国際社会は、「経済力を用いた戦争」から「フィクション」を剥ぎ
取り、「経済力を用いた戦争」に、「軍事力を用いた戦争」と同等又はそれ以上に明確な枠
組みを構築するという課題に取り組まなくてはならないのではないだろうか。この場合、
対中「経済封鎖」を行いながら、対日「経済封鎖」を理由にして太平洋戦争宣戦を行った
日本こそがこの取り組みを主導するのに最も相応しいのではなかろうか。

1 首藤信彦は、「経済制裁は世界秩序形成手段となりうるか」(世界経済研究協会『世界経済評論』
第38 巻第11 号、1994 年11 月)48 頁注(1)で、「日本では経済制裁というと、非軍事面での説得的
な政策のようにうけとられる傾向がある。これには軍事協力に対する経済協力のように、経済を日常
的で、平和的なものとして位置づけている心理が関係しているのではないかと筆者は考える。」と述
べ、本文44 頁で「現実に不可能に近い問題が、あたかも直ちに実行されるかのごときイメージをも
ってマスコミに連日のように登場すること自体、日本が平和ボケし、経済制裁というものの意味を理
解していないか、あるいはこの機会に何らかの政治的意図を持って世論形成を図った者がいることを
意味するのであろう。」と述べている。
2 池田美智子『対日経済封鎖―日本を追い詰めた12 年―』(日本経済新聞社、1992 年)は、著者が
英語で執筆した博士論文の邦訳であり、1926 年から1937 年までの間に、日本が貿易を通じて経済
面で世界中から追い詰められていった過程を描き出した労作であるが、英語博士論文でも邦訳版でも、
「経済封鎖」の定義がない。

585 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 04:13:13.06 ID:???
3 外務省外交史料館、日本外交史辞典編纂委員会『新版 日本外交史辞典』(山川出版社、1992 年)
18-20 頁。
4 高野雄一「戦時封鎖制度論(九)」(『国際法外交雑誌』第43 巻第12 号、1944 年12 月)3、5、
11、14、19、24 頁。
5 深津榮一『国際法秩序と経済制裁』(北樹出版、1982 年)12、105-106、11、12 注(1)、106 頁。
6 高野雄一「戦時封鎖制度論(二)」(『国際法外交雑誌』第43 巻第2 号、1944 年2 月)40 頁、高
野雄一「戦時封鎖制度論(四)」(『国際法外交雑誌』第43 巻第4 号、1944 年4 月)62-63 頁。
7 高野雄一「戦時封鎖制度論(一)」(『国際法外交雑誌』第43 巻第1 号、1944 年1 月)30、36-40
頁。
8 高野雄一「戦時封鎖制度論(五)」(『国際法外交雑誌』第43 巻第5 号、1944 年5 月)28-29 頁。
9 高野「戦時封鎖制度論(一)」42-48 頁。
10 Eric W. Osborne, “Great Britain’s Economic Blockade of Germany in World War I,
1914-1919,” submitted to the Graduate Faculty of Addran College of Arts and Sciences, Texas
Christian University, in partial fulfillment of the requirements for the degree of doctor of
philosophy, May, 2000, pp. 15-21 (hereafter cited as “Britain’s Economic Blockade of Germany”).
11 横田喜三郎・高野雄一編『国際条約集』(第5 版)(有斐閣、1980 年)350 頁。

586 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 04:14:15.30 ID:???
12 高野「戦時封鎖制度論(五)」26 頁で、高野はこの時期の封鎖法の特徴として「第1 に封鎖が攻
囲とともに考えられ、包囲した地域を海上及び陸上から遮断するとともに、兵力をもって海上及び陸
上から攻撃する事実と占領せんとする目的が要件と考えられていた。それがしだいに純化されて、兵
力をもってする海上交通の単なる遮断の方向に向った。」と指摘している。
13 同上、44-52 頁。
14 高橋文雄「『明治三十三年艦團部将校作業書』と日露戦争―マハン流地政学的戦略眼の影響を中
心にして―」(『軍事史学』第40 巻第2・3 合併号、2004 年12 月)62 頁。
15 Osborne, “Britain’s Economic Blockade of Germany,” pp. 15-21, 93-94, 106-110, 130-137.
16 Ibid., pp. 121, 122, 179; Paul G. Halpern, “World War I: The Blockade,” in Bruce A. Elleman
and S. C. M. Paine (eds.), Naval Blockades and Seapower: Strategies and Counter-Strategies, 1805-2005
(London and New York: Routledge, 2006), pp. 91-103 は、第一次世界大戦で英独により実施された
「封鎖」を“distant blockade”と呼称しているが、戦前日本の国際法学者はこれを“distant blockade”
と区別して“long range blockade”と呼んでいる。
17 穂積重遠「米国ノ対敵取引禁止法(一)」(『法学協会雑誌』第36 巻第11 号、1918 年11 月)16-17
頁。
18 穂積重遠「米国ノ対敵取引禁止法(二)」(『法学協会雑誌』第36 巻第12 号、1918 年12 月)83-84
頁。

587 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 04:16:15.79 ID:???
19 穂積重遠「米国ノ対敵取引禁止法(三)」(『法学協会雑誌』第37 巻第1 号、1919 年1 月)67、
72-73 頁。
20 資源局編纂『世界大戦に於ける米国総動員概説』(松山房、1934 年)168-169 頁。
21 松下正壽『米国戦争権論―その国内法及国際法学的研究―』(有斐閣、1940 年)401-403 頁。
22 同上、404-407 頁。
23 穂積重遠「対敵取引禁止令」(『法学協会雑誌』第35 巻第6 号、1917 年6 月)8 頁。
24 農商務省商務局「対敵取引禁止令ノ制定及施行事情」(1920 年6 月)30-31 頁。
25 Margaret Chandler, “The Interpretation and Effect of Article 16 of the Covenant of the
League of Nations,” submitted to the Faculty of the Division of the Social Sciences in Candidacy
for the Degree of Master of Arts, Department of International Relations, the University of
Chicago, 1936, pp. 2, 7.
26 外務省条約局第三課「国際聯盟問題ニ関スル研究資料第一輯 規約第十六条ニ関スル問題 大正
十五年一月調」第二部所収「経済封鎖問題 大正十三年十一月五日調」(JACR〔アジア歴史資料セ
ンター〕Ref.B06150858500、国際連盟経済封鎖委員会第一巻〔2.4.2〕、外交史料館蔵)第0525 画
像。
27 立作太郎『国際聯盟規約論』(国際聯盟協会、1932 年)246 頁。
28 Chandler, “The Interpretation and Effect of Article 16 of the Covenant of the League of
Nations,” pp. 53, 66.
29 立『国際聯盟規約論』255-266 頁。
30 同上、255-265 頁。
31 「昭和十五年八月 支情経特号 蒋政権ノ経済的抗戦力ノ動向 大本営陸軍部」(JACAR〔アジ
ア歴史資料センター〕Ref.B02030532500、支那事変一件第九巻〔A.1.1〕外交史料館蔵)第0401 画
像-第0407 画像は、1938 年3 月からの中国の戦時経済政策を「対日経済遊撃戦」及び「外国対日経
済圧迫誘導戦」又は「国内対日経済封鎖戦」及び「列国対日経済封鎖誘導戦」の強化と呼んでいる。

588 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 04:18:06.20 ID:???
その成果のひとつが国際連盟による「対日経済制裁」発動であった。
32 鹿島平和研究所編・佐藤尚武監修『日本外交史 第14 巻 国際連盟における日本』(鹿島敬和研
究所出版会、1972 年)291-293、296、307 頁。
33 同上、311-317 頁。
34 同上、319-321 頁。
35 高克「顧維鈞と中日紛争への対応―親米外交の模索と展開―」(大東文化大学博士論文、1997 年
3 月)7 頁。
36 海野芳郎「国際連盟の対イタリア経済制裁(一)―イタリア・エチオピア戦争における―」(『外
交時報』第1141 号、1977 年1 月)24-31 頁。
37 鹿島平和研究所編『日本外交史 第14 巻』396-406 頁。
38 「昭和十五年八月 支情経特号 蒋政権ノ経済的抗戦力ノ動向 大本営陸軍部」第0407 画像。
39 満鉄・上海事務所調査室「抗戦力―封鎖作戦下ノ重慶反封鎖問題 昭和十六年十一月二十八日」
(アジア経済研究所・デジタルアーカイブス「近現代アジアのなかの日本」、マイクロフィルム番号
MOJ1211)5 頁。
40 増田米治『重慶政府戦時経済政策史』(ダイヤモンド社、1943 年)217-218 頁。
41 同上、219-223 頁。
42 同上、224-227 頁。
43 同上、484-485 頁。
44 鹿島平和研究所編『日本外交史 第14 巻』294、318、313、317 頁。
45 Richard J. Ellings, Embargoes and World Power: Lessons from American Foreign Policy (Colorado:
Westview Press, Inc., 1985), p. 36.
46 William L. Meumann, “Franklin D. Roosevelt and Japan, 1913-1933,” Pacific Historical Review,
Vol. 22 (March, 1953), pp. 144-153.
47 Barbara R. Farnbam, Roosevelt and the Munich Crisis: A Study of Political Decision-Making
(Princeton University Press, 1997), p. 56.

589 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 04:20:13.98 ID:???
48 Ibid., p. 55 (foot-note 27), p. 56.
49 Sumner Welles, Seven Decisions That Shaped History (New York: Harper & Brithers Publishers,
1950), p. 71., John McVickar Haight, Jr., “Franklin D. Roosevelt and a Naval Quarantine of
Japan,” Pacific Historical Review, Vol. 40, No. 2 (May 1971), p. 204 は、ウェルズの回想を引証して「米
国によって維持されることになる一本の実際のライン[封鎖線]――日本が中国の軍事支配政策に固
執するかぎり、その線を越えて貿易することや膨張することが許されないと告知されることになる―
―を太平洋に引くことについて、海軍と話していた。」と述べているが、ウェルズの回想には当該記
述がない。
50 The Secret Diary of Harold L. Ickes, Vol. II, the Inside Struggle, 1936-1939 (New York: Simon and
Schuster, 1954), p. 274.
51 John M. Blum, From the Morgenthau Diaries, Year of Crisis, 1928-1938 (Boston: Houghton Mifflin
Co., 1959), pp. 486-489.
52 James R. Leutze, Bargaining for Supremacy: Anglo-American Naval Collaboration, 1937-1941
(University of North Carolina Press, 1977), p. 19.「平和的封鎖」はローズヴェルト大統領の造語で
あり、「平時封鎖」とは異なる。
53 土井泰彦『対日経済戦争、1939-1941』(中央公論事業出版、2002 年)195 頁。
54 「陸軍省整備局統制課 応急計画概要 昭和九年六月」(「昭和七年乃至九年 軍需動員ニ関スル
講話案 長谷川中佐」、防衛研究所図書館蔵)1 頁。
55 同上、5、18 頁。
56 同上、36 頁。
57 同上、37-38 頁。
58 同上、70 頁。
59 「商工省資源局 国家総動員計画関係書類 昭和七年三月」(防衛研究所図書館蔵)。理由は不明
であるが、この簿冊には2 月分の研究成果が欠落している。

590 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 04:21:59.28 ID:???
60 商工省資源局『世界大戦に於ける米国総動員概説』(厳松堂ほか、1934 年)「序言」。
61 森武夫『戦時経済統制論』(日本評論社、1937 年。初版、1933 年)序2 頁。
62 同上、34、39、40-41 頁。
63 同上、43-44 頁。
64 同上、45-47 頁。
65 「陸軍省統制課長・陸軍歩兵大佐・齋藤彌平太 陸軍軍需工業動員概説 昭和七年四月」(「昭和
七年乃至九年 軍需動員ニ関スル講話案 長谷川中佐」、防衛研究所図書館蔵)。
66 内外産業資料調査会『孤立日本の経済的動向―経済封鎖と日満ブロック経済の完成―』(『内外産
業資料』特別号、1933 年3 月)。
67 「再ヒ伊『エ』問題ニ就テ」(JACAR〔アジア歴史資料センター〕Ref.B02031208400、伊エ紛
争問題一件第一巻〔A.4.6〕、外交史料館蔵)第0507 画像、「伊『エ』紛争其三」(JACAR〔アジア
歴史資料センター〕Ref.B02031208500、伊エ紛争問題一件第一巻〔A.4.6〕、外交史料館蔵)第0540
画像。「伊『エ』問題ニ就テ」は、「再ヒ伊『エ』問題ニ就テ」で言及されているだけである。
68 Y編輯子「特輯経済時事 対伊経済的制裁」(『偕行社記事』第734 号、1935 年11 月)159-169
頁、『外交時報』(第743 号、1935 年11 月)にも「経済断交とイタリー」との論題が見られる。
69 「国際聯盟第一回総会ニ関スル報告 大正十年一月十五日」第四篇第三章其三「経済封鎖問題」
(「大正九年欧受第八三八号 国際連盟関係書類綴」、防衛研究所図書館蔵)。
70 陸軍歩兵少佐・古荘幹郎「瑞典退職少将『ノルデンスワン』氏ノ世界戦争ニ対スル戦略的観察並
ニ之カ論評」(『偕行社記事』第533 号附録、1918 年12 月)22 頁。
71 「駐在員を諜報任務に服せしむる件」(「昭和十年 密大日記 第一冊」、防衛研究所図書館蔵)。
72 「陸密第859 号 陸軍次官・古荘幹郎発外務次官・重光葵宛 『エチオピア』国駐在武官ニ対シ
便宜供與方ノ件通牒」(JACAR〔アジア歴史資料センター〕Ref.B02031217600、伊エ紛争問題一件
/国際聯盟ニ於ケル討議関係第二巻〔A.4.6〕、外交史料館蔵)第0141 画像。
73 「伊『エ』紛争ニ際シ伊太利ノ執レル政策調査ノ件」(「昭和十一年 密大日記 第五冊」、防衛
研究所図書館蔵)。
74 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 支那事変陸軍作戦<1>』(朝雲新聞社、1975 年)284-285

591 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 10:28:21.22 ID:???
84 同上、第0065 画像-第0066 画像。
85 同上、第0072 画像。
86 同上、第0068 画像。
87 同上、第0266 画像。
88 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 大本営陸軍部<1>』(朝雲新聞社、1967 年)573-575、578
頁。
89 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 北支の治安戦<1>』(朝雲新聞社、1968 年)135-136、152
頁。
90 「治安粛正工作ニ伴フ現地調査報告書送付ノ件」所収「抗日勢力ノ諸工作ト新政権ノ活動状況調
査報告(河北省正定縣及高陽縣ニ於ケル)」(「昭和十四年 陸支受大日記 第四十六号 5/5 分冊」、
防衛研究所図書館蔵)1 頁。
91 「抗日勢力ノ諸工作ト新政権ノ活動状況調査報告(河北省正定縣及高陽縣ニ於ケル)」6、15、94-109、
110、187 頁。
92 『戦史叢書 北支の治安戦<1>』152、264-265、400 頁。
93 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 北支の治安戦<2>』(朝雲新聞社、1971 年)453-454、464、
468、523、529-531 頁。
94 「方軍作命第二三四号別冊 昭和十六年度経済封鎖要領 昭和十六、六、三」(防衛研究所図書
館蔵)。
95 参謀本部「国際情勢月報 第29 号 昭和16 年6 月25」(防衛研究所図書館蔵)。
96 外務省職員訓練所「訓練叢書 第二巻 中島少将 海軍戦略講義」(同訓練所、1942 年2 月印刷
配布)153 頁。
97 佐藤賢了『佐藤賢了の証言』(芙蓉書房、1976 年)276 頁。
98 木坂順一郎「軍部とデモクラシー―日本における国家総力戦準備と軍部批判をめぐって―」(『国
際政治』第38 号、1969 年4 月)1-41 頁。

592 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 10:30:12.14 ID:???
 空母を最初に実用化したのはイギリス海軍だが,空母
艦隊として大きな戦果はあげておらず,空母機動部隊と
呼べるような空母艦隊を第2次大戦中に投入したのはア
メリカ海軍と日本海軍だけだった。
 空母は1920年代初頭には本格運用を開始したが,当
時の空母搭載機は戦闘機や偵察機としてはともかく,雷
撃や爆撃に使うには性能不足だった。結果として空母搭
載機は艦砲射撃の着弾観測用に前方展開し,その行動を
阻もうとする敵戦闘機を牽制,排除するのが艦上戦闘機
の主な任務であった。しかし,1920年代後半になると
飛行機のエンジンは強力になり,空母搭載機もさまざま
な用途に使えるようになった。
 空母が初めて実戦に投入されたのは,1930年代に入
ってからのことである。1932年1月28日に始まった上
海事変において,日本海軍の加賀と鳳翔が実戦に初投入
された。海軍は事変を受けて上海に派遣していた第1遣
外艦隊と青島の第2遣外艦隊,そして国内からの増援を
統括する第3艦隊を1932年2月2日に編成した。加賀
と鳳翔はこの第3艦隊への増援部隊として上海沖に派遣
され,上海租界を警備する海軍陸戦隊や増援の第9師団
などの陸軍部隊に対する航空支援を行なっている。
 搭載機は中島三式艦上戦闘機と三菱一三式艦上攻撃機
で,生田乃木次大尉が操縦する三式艦戦は2月22日,ア
メリカ人義勇パイロット,ロバート・ショートが操縦す
るボーイング218戦闘機と上海上空で空戦を繰り広げ,
日本機として初戦果となる撃墜を記録している。
 1937年7月には盧溝橋事件を発端として日中戦争(日

593 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 10:31:17.96 ID:???
華事変)が勃発,8月13日には第2次上海事変が起きる。
第3艦隊には鳳翔,龍驤からなる第1航空戦隊,加賀が
所属する第2航空戦隊が所属しており,8月15日には
加賀から三菱八九式艦上攻撃機,中島九六式艦上攻撃
機,愛知九四式艦上爆撃機が出撃,喬司,紹興,杭州,南
京などを目指したが,悪天候により戦果はあまりなく,
逆に犠牲は大きかった。
 上海周辺には中国国民党軍のカーチス・ホークV戦闘
機が配備されており,戦闘機の護衛なしで作戦を行なっ
た第2航空戦隊は7機が撃墜され,木更津海軍航空隊や
鹿屋海軍航空隊の三菱九六式陸上攻撃機も15&#12316;16日に
7機が撃墜されている。空母からの渡洋攻撃という点で
は重要な作戦であったが,護衛戦闘機の不足は致命的
で,三菱九六式艦上戦闘機の開発が急がれた。
 9月には九六式艦戦が加賀にも6機配備されたが,上
海の公大基地に編成された第2連合航空隊に集中配備す
ることになり,艦上運用はされなかった。8月15日の
戦闘で第1航空戦隊所属機は荒天から離艦ができず,作
戦を遂行できなかった反省からきたものだ。単葉の九六
式艦戦は速度差を生かしてホークIIIを次々に撃墜,国
府空軍を壊滅させたが,空母機動部隊の活躍ではなかっ
た。 これが空母機動部隊のルーツと呼べる上海事変におけ
る航空作戦の概要だが,空母はプラットフォームとして
使われただけで,その機動性が充分に生かされたとはい
えない。日本海軍では戦艦中心の第1艦隊に第1航空戦
隊,巡洋艦中心の第2艦隊に第2航空戦隊という具合に
配備を固定化していたが,第2次上海事変における第3
艦隊の運用はその垣根を取り払うもので,1940年6月

594 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 10:34:13.54 ID:???
には第1航空戦隊司令官小澤治三郎少将が航空艦隊編成
に関する意見書を提出,航空戦隊を統一した指揮系統下
に置くことの重要性を訴えた。
 その結果,1941年4月1日に編成されたのが第1航
空艦隊で,世界初の空母機動部隊であったが,大きな誤
りは小澤を艦隊司令官に充てず,航空作戦を充分熟知し
ていない南雲忠一中将を任命したことであった。
 第1航空艦隊最初の戦闘は1941年12月8日(現地時
間7日)のハワイ真珠湾攻撃で,第1航空戦隊の赤城,
加賀,第2航空戦隊の蒼龍,飛龍,第5航空戦隊の瑞鶴,
翔鶴が参加する最大規模の空母艦隊となった。
 搭載機は零式艦上戦闘機78機,九九式艦上爆撃機129
機,九七式艦上攻撃機143機の計350機で,第3戦隊の
戦艦比叡,霧島,第8戦隊の重巡利根,筑摩にも零式水
上偵察機が3&#12316;6機搭載されていた。
 ハワイ作戦の経緯は説明するまでもないが,戦艦の巨
砲が航空機の爆撃,雷撃の前では役に立たないことを証
明した大きな転換点で,当時でも色あせていた「大艦巨
砲主義」が崩れ落ちた瞬間でもある。
 ハワイ作戦に先駆け,地中海でも1940年11月6日に
イギリスの空母搭載機による軍港への夜間空襲,ジャッ
ジメント作戦が行なわれている。最初は地中海艦隊の空
母2隻(イラストリアスIllustrious とイーグルEagle)
が参加の予定だったが,直前にイーグルが参加不能とな
り,イラストリアスのみでイタリア南部のタラント軍港
に停泊していた戦艦を攻撃した。第1波としてNo.815
NAS(第815海軍飛行隊)に所属する12機のフェアリー・
ソードフィッシュ雷撃機が,第2波としてNo.819 NAS
の同9機が別方向から侵入し,爆撃と雷撃で戦艦コンテ・
ディ・カブールConte di Cavour,リットリオLittorio,
カイオ・デュイリオCaio Duilio を大破ないし中破させ
た。ソードフィッシュの損害は2機のみである。

595 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 10:35:55.43 ID:???
 イギリス海軍では,タラント奇襲の成功を機に航空主
兵論が台頭,戦艦は落陽の時代へと向かう。その決定打
となったのが,ジャッジメント作戦から1年余,前述の
日本海軍によるハワイ奇襲であった。
 真珠湾でアメリカ海軍は戦艦5隻を失う大損害を受け
た。しかし,太平洋艦隊に所属していた空母レキシント
ンLexington CV-2とエンタープライズEnterprise CV-6
は海兵隊をミッドウェー島,ウェーキ島へ輸送する任務
に就いていたため真珠湾にはおらず,サラトガSaratoga
CV-3も修理のためサンディエゴにあって難を逃れた。
空母といえども停泊中に空襲を受ければひとたまりも
ない。
 アメリカ海軍は歴史的な敗北を経験したが,旧式戦
艦が沈没あるいは中破しただけで空母は被害を免れた
から,太平洋艦隊は必然的に空母中心の艦隊へと生ま
れ変わることとなった。
 アメリカ海軍は,イギリス海軍のタラント奇襲後も,
空母搭載機の打撃力より戦艦の主砲の打撃力の方が大
きく,費用対効果も大きいと考えており,空母はあくま
で戦艦中心の艦隊に付随する戦力と考えていた。
 しかし,空母搭載機の攻撃精度や運用の柔軟性を目
の当たりにして,空母増産に大きく舵を切る。開戦時
には正規空母が7隻しかなかったアメリカ海軍は,第2
次大戦中に26隻の正規空母および軽空母を新たに建
造,さらに商船改造の護衛空母も含めれば100隻を超え
る空母戦力となった。これに対して日本海軍の正規/軽
空母の建造は15隻に過ぎず,戦力差は歴然だった。
 アメリカ海軍では空母の数が増えるのに伴い,空母1
隻とその護衛艦艇によりTF(任務部隊)が編成される
方式から,TFの下にTG(任務群),TU(任務隊)が編

596 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 10:36:53.10 ID:???
成され,TU に正規空母2&#12316;3隻,軽空母1&#12316;2隻が所
属する方式に変更された。そして,複数のTUでTG
(CTG=空母任務群の別名も持つ)を編成する。これが
アメリカ海軍が誇るFCTF(高速空母任務部隊)で,商
船から改造した足の遅い護衛空母は,FCTF とは別に
TG/TUを編成した。
 なお,アメリカ空母艦隊による最初の反撃は,1942
年2月1日のマーシャル群島およびギルバート諸島へ
の攻撃で,TF8/TG8.5のエンタープライズと,TF17/
TG17.1のヨークタウンYorktown CV-5が参加した。
5月には珊瑚海海戦,6月にはミッドウェー海戦があ
り,空母機動部隊同士の海戦に発展したが,日本海軍の
空母機動部隊の敗北で戦いの帰趨は決まった。
 その後も桁違いの工業力と空襲を受けない地の利を
生かして空母と搭載機を増産,パイロットを計画的に
大量育成したアメリカに対し,虎の子の空母とその搭
載機,熟練した乗員を失った日本海軍は,空母戦力を復
活させることはなかった。
 アメリカ空母が最も多く参加した戦闘は,1944年10
月から11月にかけてのレイテ侵攻,マスキティア作戦
で,正規空母11隻,軽空母7隻が参加,護衛空母10数隻
が航空機輸送に出動した。

597 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 10:38:47.09 ID:???
軍事戦略の形成と軍産関係
― 戦間期の日本海軍における航空戦力と技術力向上の視点から ―
稲 澤 宏 行
序章
T.先行研究の検討・考察
U.航空技術導入期における日本海軍
V.ワシントン海軍軍縮条約による主力艦削減と航空軍備の拡充
W.競争試作制度の導入と航空技術の飛躍的向上
終章
序章
航空自衛隊の次期主力戦闘機(FX)の選定問題は、日本の安全保障政策にとって重大な戦略
上の問題である。国際共同開発機であるF35 ライトニングU戦闘機の調達を目指す航空自衛隊
と、国内の生産基盤の維持を求める産業界との間で対立が生じている。元来、航空自衛隊の戦
闘機選定においては、予算面や人員面での制約からロシア・中国等の近隣諸国との「数」の面
での戦力差を、最新鋭機の導入という「技術力」によって補填してきたため、最新鋭機である
F35 の調達を航空自衛隊が望むのは当然の帰結と言えよう。しかし、F35 については共同開発国
以外での生産・組み立ての可否は、未だ明確になっておらず、外国機のライセンス生産やノッ
クダウン生産によって戦後維持されてきた、国内の生産基盤を喪失する可能性が生じている。
また、久保田ゆかり(2010)1)が指摘するとおり、既に多くの大手メーカーが防衛省向けの兵器・
装備品生産から撤退を始めているという新たな問題も存在し、我が国の軍事戦略は技術面や産
業面から転換期におかれているということが指摘できるであろう。
軍事戦略を立案するうえにおいて、兵器や装備品の国内生産は個々の国家や軍隊が有する古
くからの課題である。現代においても、兵器や装備品の輸入に比べて割高であったとしても、
兵器や装備品の国内生産や国内組み立てを「国家の優位性」や「技術的な独立性を確保」2)する
ための手段であるとして、容認をする意見も存在する。しかし、いずれの方法が国家の軍事戦

598 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 10:39:44.98 ID:???
略を考えるうえで、より適した手段であるかについての普遍的な答えはない。技術の自国によ
る保有が軍事戦略の策定に決定的な影響を与えるということについては、次章における先行研
究の検討・考察を通しても明白である。太平洋戦争での敗戦を経て、日本国憲法下のもとで陸
海軍は自衛隊へと姿を変えたが、軍事戦略が技術や産業の面から制約を受けるという構図には
変化がない。そこで、本稿においては、海外からの技術的な自立と産業としての基盤整備に取
り組んだ戦間期の日本海軍の航空軍備に注目し、軍事戦略と自国の保有する技術力や産業基盤
との関係性を明らかにすることで、現在の航空自衛隊と産業界が抱える問題点についても、考
えていきたい。
T.先行研究の検討・考察
それでは、軍事戦略と技術、産業に関する問題を検討・考察するうえでの視座には、いっ
たいどのようなものがあるのであろうか。本章においては、古典的議論から昨今の先行研究
を時系列順に検討・考察をしてみたい。まず、19 世紀フランスの軍事戦略家であるジョミニ
(Antoine-Henri Jomini)は『戦争概論』において「装備の優劣は勝利のチャンスを増大する。そ
れはそのもの自体で戦いに勝つものではないが、成功の重要因子をなすものであることには違
いない。最近20 年間の軍事技術上の新しい発明は、軍の編制・装備および戦術についての大変
革を促しているように見える」3)と記している。ジョミニの指摘は、技術力が19 世紀中ごろに
おいて既に戦争での勝敗を決める上での大きな要素となっている点を示しており、技術力の向
上が軍の編制や戦術にまで影響を及ぼしている点を明らかにしている。また、米国の歴史学者
マクニール(William Hardy McNeill)は『戦争の世界史』において、19 世紀末の英国海軍と産
業界との間に生じた新たな関係をコマンドテクノロジー(Command Technology )4)と名付けた。
この関係は、海軍の「高速で動く敵艦に対して早く撃てる大砲が欲しい」という指令に対して「速
射砲」を開発し、「360 度あらゆる方向へ射撃をしたい」という指令に対しては「回転砲塔」を
開発するという形で成果をもたらしたという例からも明らかな通り、軍と産業界との関係が技
術を通してより密接になることで、「発明は意図的にするもの、させるもの」となり「戦術的・

599 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 10:40:45.87 ID:???
戦略的な計画があって、それに合わせた性能の軍艦が後から造られるようになった」5)と分析し
ている。これは、戦争の勝敗を決める上で技術力が重要な要素となった点を軍の側が充分に認
識し、自らのコントロールの下で自らの軍事戦略に応じた技術開発を産業界に進めさせる時代
へと変容した過程を明らかにしているといえる。
産業革命以降、戦争を遂行するうえで国家の工業力は国力と直結することとなった。そのこ
とは、工業化の促進を目指した中央集権的な統治機構の整備や国民教育の普及などを通して、
国家の有する人的・物的資源の全てを戦争の遂行のために動員する「総力戦」へと戦争の形態
を変容させた6)。また、現代においては第一次世界大戦や第二次世界大戦のような大規模な国
家間戦争が発生する可能性は非常に僅かであり、むしろ国境紛争や地域紛争等が増加傾向にあ
るなど、戦争の形態が再び変容をしている。しかし、米国海軍大学教授のハンデル(Michael I.
Handel)が『戦略の形成』において、1948 年の独立以降イスラエルが不利な地理的条件と少な
い兵力の下で、近隣諸国との絶え間ない紛争に軍事的に勝利をし続けた戦略から検証をしてい
るとおり、現代においても戦争の形態や規模を問わず軍事と技術、産業との関係は、軍事戦略
の形成に大きな影響力を有しているといえる。そして、ハンデルは技術を「イスラエルの戦略
の万能薬」7)と称している一方で、分析の要素に「技術と軍事ドクトリンの調和」8)を挙げるなど、
現代の軍事戦略の形成には技術開発と戦略・戦術の調和が必要である点を指摘している。
このような先行研究に対する検討・考察を通して明らかになったことは、19 世紀以降の国家
における軍事力は兵力や各種兵器の数量に加え、自国の技術力、産業(工業)力をも包含した
力を指すという点、軍事戦略の形成に対して技術、産業が与える影響力が現代に近づくにつれ
て拡大をしている点である。本稿においては、これらの先行研究の視座を戦間期の日本海軍に
関する事例について初めて適用し、考察を行うものである9)。

600 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 10:42:15.48 ID:???
U.航空技術導入期における日本海軍
日本における軍用航空機の導入は、1909 年(明治42 年)に陸海軍と文部省の共同によって臨
時軍用気球研究会が設立されたことに始まる。この研究会の目的は「軍用気球及ビ航空機ノ設
計試験ノ研究」、「関係諸施設ノ設定」、「空地通信法ノ研究」等10)であった。しかし、海軍の研
究上の関心は気球研究を重視する陸軍とは異なり、あくまでも航空機にあったため、1912 年(明
治45 年)6 月に海軍は航空術研究委員会による航空機の導入に関する独自研究を開始した11)。
航空術研究委員会は、委員長以下21 名で構成され、その調査・研究の目的は「一、飛行機ノ操
縦法」「二、海軍々用ノ目的ニ適応スル飛行機ノ制式」「三、其他航空術ニ関スル事項」とされ
た12)。1912 年(大正元年)11 月には、横須賀軍港の追おっぱま浜に航空機格納庫と海岸滑走台を建設し
て海軍初の飛行場(追浜飛行場)とすると共に、将校4 名及び機関官2 名を「飛行機ノ練習及
製造監督ニ従事セシメ且水上飛行機ヲ購入」する目的で米国とフランスに派遣し、カーチス式
水上機(米国製)とモーリス・ファルマン式水上機(フランス製)をそれぞれ2 機購入した13)。
このうちファルマンは11 月5 日に初飛行を追浜飛行場において実施し、その一週間後には東京
湾での観艦式に参加するなど、海軍の航空機導入に対する強い意欲を内外に示すものとなった。
研究は次第に発展していき、1913 年(大正2 年)にはフランスより、ルノー社製発動機(エ
ンジン)の製造権を購入し、横須賀工廠において発動機の製造を開始すると共に、機体の設計
研究等も実施された14)。そして、第一次世界大戦が勃発した1914 年(大正3 年)には、青島の
ドイツ軍要塞攻略のために1 個飛行隊(4 機)を編成し、水上機母艦若宮に搭載されたファルマ
ンが、敵情偵察や弾着確認、機雷透視等の任務に加え、機関銃や爆弾による攻撃任務にも参加
し、大きな功績を残した15)。その後、1916 年度(大正5 年度)予算では航空隊3 個飛行隊(12 機)
の整備を目的とした航空隊設備予算が認められることとなった。この予算によって、1916 年度(大
正5 年度)から1920 年度(大正9 年度)までの5 カ年間で3 個飛行隊からなる横須賀航空隊を

601 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 15:03:51.63 ID:???
開設することに加え、将校に加えて下士官の搭乗員の育成や対潜水艦訓練や夜間訓練等が実施
されることとなった。
また、欧州戦線における戦闘が激化するにつれて参戦国からの最新鋭の機体や発動機の輸
入が途絶したことは、海外に依存しない形での航空機の研究・開発の取り組みを加速させた。
1917 年(大正6 年)には横須賀工廠造兵部飛行機工場において開発が進められていた横廠式
水上偵察機が完成したことで、漸く技術輸入段階から国産化段階へと歩みを進めることが出来
た16)。1918 年(大正7 年)には「航空隊令」17)が出され、航空隊設備予算をさらに2 ヶ年間延
長し、1922 年度(大正11 年度)までに横須賀航空隊の増勢と佐世保航空隊の新設によって合計
5 個飛行隊(20 機)の増勢を図ることとした。しかし、欧州戦線における航空戦力の活躍を受
けて更に9 個飛行隊を追加して合計17 個飛行隊(68 機)とし、実用隊15 個飛行隊を横須賀(5
個飛行隊)、呉(4 個飛行隊)、佐世保(5 個飛行隊)、舞鶴(1 個飛行隊)に配置し、練習隊を2
個飛行隊に増勢するなど、技術面に加え航空戦力拡充への取り組みも同時に進められた。
加えて、帝国議会においても第一次世界大戦での航空機の活躍を受け、海軍に対して航空技
術のいっそうの向上と航空戦力の更なる拡充を求める声が上がった18)。そのため、1919 年(大
正8 年)に海軍省軍務局は帝国議会での答弁を目的に、「航空ニ関スル議会説明」19)と題した説
明資料を作成した。この中では、海軍において今後取り組むべき課題について、「今日遅レ走セ
ナガラ欧米列強ノ進歩ニ追及センガ為メ」と前置きをした上で「第一、使用飛行機ノ型式決定」、
「第ニ、関係人員の養成」、「第三、航空部隊ノ増勢」、「第四、海軍航空制度ノ改善」、「第五、飛
行機製造所及飛行機試験所ノ設置」を急務の課題として挙げ、技術面では「技術官ヲ彼ノ地ニ
派遣」、「外国人技術者ノ招聘」、「製造権ノ買収」等を検討している旨を示した20)。そして、海

602 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 15:05:40.08 ID:???
軍の軍事戦略と航空機との関係については「飛行機ノ海戦上、偵察及敵艦船攻撃用兵器トシテ
有力ナルモノナルコトハ、世界大戦ノ訓ユル所ナルモ(中略)如何ニ編成シ如何ニ活用スベキ
カハ、尚制海権ト制空権トノ相互作用並ビニ飛行機ノ発達ニ伴ウ之ガ威力ト共ニ研究ヲ怠ルベ
カラズ問題ニシテ」と述べ、第一次世界大戦における航空機の様々な分野での活躍を認める一
方で、発展段階にある航空機を、どのように海軍の軍事戦略に組み込んでいくかについては、
未だに研究の必要があることを認めた21)。
このような動きを受けて、海軍は第一次大戦の経験を航空機の研究・開発に取り入れようと
努めた。1921 年(大正10 年)の霞ヶ浦飛行場完成に伴って設置された「臨時海軍航空術講習
部」において、英国海軍のセンピル大佐を団長とする英国人教官から操縦術、航空術、整備術
等に関して、第一次世界大戦での実戦経験を生かした指導を受けた22)。更に1923 年(大正12 年)
には三菱内燃機製造会社において英国ソッピーズ社の元技師であるスミス氏以下10 名を招聘し、
国産初の艦上戦闘機である一いち○まる式艦上戦闘機の開発が行われた23)。艦上戦闘機は、従来から運
用していたファルマンやカーチス等の水上機がフロート(浮き)を用いて海水面を離着水に利
用していたのに対して、車輪を用いることで航空母艦の飛行甲板や滑走路に離着艦(陸)が可
能となった。また、水上機では装備されているフロートによって生じる空気抵抗で、速度や旋
回性能等に著しい制約が課せられていたことに対し、離着艦(陸)に車輪を用いることで空気
抵抗が減り、速度や旋回性能に関する制約が少なくなったことも、大きな技術面での進歩となっ
た。そして、1923 年(大正12 年)12 月には航空母艦鳳ほう翔しょうの艦上において一○式艦上戦闘機の
離着艦公式試験が成功し、海上戦闘における航空機運用の可能性が明らかなものとなった。
技術導入期における海軍の航空軍備は、ごく少数の水上機の直接輸入から始まり、第一次世
界大戦における戦訓を受けた海軍内外の航空技術の向上と、航空戦力の拡大に対する意見の高

603 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 15:06:27.60 ID:???
界大戦における戦訓を受けた海軍内外の航空技術の向上と、航空戦力の拡大に対する意見の高
まりを受けて、取り組みを加速させた。技術面においては、海外メーカー製航空機の製造権買収、
技術者の海外派遣、外国人技術者の招聘等によって国内での技術基盤の整備を進め、一○式艦
上戦闘機の開発にも成功した。また、軍事戦略の面においては国内各地に水上機基地を設置す
ると共に、航空母艦鳳翔を活用した艦上戦闘機の運用試験が進められるなど、発展途上の航空
機を海上戦闘における戦力とするための取り組みが行われた。このことから、欧米の例に比べ
るとその歩みは遅いものの、一定の成果を挙げることに成功したといえよう。
しかし、次章以降においても述べるとおり海軍ではあくまでも戦艦や巡洋戦艦を戦力の中心
としており、航空機は補助的な役割と見なされていた。航空機を中心とした軍事戦略の構築や
航空戦力の計画的な拡充、航空技術の海外からの独立には、ワシントン海軍軍縮条約(1922 年)
における主力艦の数量制限という外的な要因を必要としたのである。
V.ワシントン海軍軍縮条約による主力艦削減と航空軍備の拡充
第一次世界大戦の終結後においても、艦隊決戦を想定した各国間の戦艦を中心とする主力艦
の建造競争は継続され、各国政府の財政を著しく圧迫するものとなっていた。この動きは、日
本海軍においても例外ではなく、日露戦争終結後の1907 年(明治40 年)に定められた国防計
画である「帝国国防方針」に基づいて、戦艦8 隻と巡洋戦艦8 隻を主力とする「八八艦隊」の
整備を進め、最大の仮想敵国となった米国との戦争を想定した軍備の拡充を図った。1918 年(大
正7 年)には、帝国国防方針の補修改訂が実施され、八八艦隊に戦艦と巡洋戦艦からなる1 個
艦隊(8 隻)を新たに追加した「八八八艦隊」の整備に取り掛かることとなった。しかし、第一
次世界大戦の終結による戦後不況の影響を受け、当初の八八艦隊の整備に必要な予算ですら容
易に帝国議会の承認を得ることが出来ず、整備予算の承認は1920 年(大正9 年)にまでずれ込
むこととなった。このように、海軍力の整備は国家財政に与える影響が著しく大きく、海軍に
おいても国内外における軍縮要求の機運も踏まえる必要性が生じた。

604 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 15:07:57.01 ID:???
1919 年(大正8 年)の国際連盟加盟に伴い海軍は内部で「国際連盟関係事項研究会」を設置し、
軍縮に関する研究を行った24)。当研究会での議論の結果、1920 年(大正9 年)に以下のような
答申が出され、軍縮の利点が示しされた。
(1)製艦競争ヲ避ケ国民ノ負担ヲ軽減ス
(2)財政ノ窮迫ヲ緩和シ文化的施ママ設ヲ促進ス
(3)製艦競争ニヨル感情ノ刺激ヲ避ケ、戦争惹起ノ機会ヲ減ジ世界ノ平和ニ貢献ス
(4)想定敵国ノ海上兵力ヲ某程度ニ制限シソノ巨富ヲ製艦ニ傾注スルヲ得ザラシム
(5) 想定敵国ト帝国トノ海上兵力ヲ略一定ニ維持シ、現状ニオケルゴトク始終敵国ノ新計画
ニ新計画ニ脅威サレルコトナク、従ツテ作戦ノ案画比較的ニ容易ナリ25)
そして、結論において「現在及ビ近キ将来ニオケル帝国ノ国情ト対外関係ニ鑑ミルトキ不利ヨ
リモ、寧ロ利点ニ重キヲオクコトヲ至当ト認ム」26)として、国民負担と対外情勢への配慮、仮
想敵国である米国との軍事力・経済力の差を考慮したうえで、軍縮条約締結に向けた前向きな
考えを示した。
1921 年(大正10 年)には、米国大統領ハーディング(Warren Gamaliel Harding)の提唱によっ
て米・英・日・仏・伊の軍縮を目的としたワシントン会議が開催された。米国国務長官ヒュー
ズ(Charles Evans Hughes)から米・英・日の三大海軍国の現有勢力を建造中の戦艦をも含めた
形で算出し、以下のような点を踏まえた軍縮条約の締結することが提案された27)。(1)「主力艦
の建設計画は、その既に実行中のものと未着手のものとを合わせ、一切これを放棄すること」、(2)
「軍備縮小の精神を貫くため、更に老齢艦の一部を廃棄すること」、(3)「一般にわたって関係各
国の現有勢力を考慮すること」、(4)「主力艦の屯数をもって海軍力測定の基準とし、これに比
例して補助艦艇の勢力割り当て」を行うこと。ヒューズは、上記の原則に則る形で各国の現有
勢力を反映して、米・英・日の主力艦(戦艦、巡洋戦艦、航空母艦)の保有量をそれぞれ5 対5
対3 とすることを提案したが、この保有量制限案を日本政府代表団は承服せず、対米7 割以上

605 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 15:08:43.06 ID:???
の兵力保有を目標に交渉に当たった。この背景には、海軍内部において日露戦争における日本
海海戦での艦隊決戦の戦訓を重視する佐藤鐵太郎や秋山真之らが提唱した、敵艦隊の基準排水
量に対して7 割の戦力を保有するという所謂「七割理論」が存在した。
交渉の進捗を受けて改めて国際連盟関連事項研究会においてワシントン会議に関する研究を
行った28)。研究の結果、海軍はワシントン会議において八八艦隊の整備を放棄したとしても、
対米7 割の戦力は絶対に必要であるとの前提を再確認したうえで、そして軍縮条約に加盟する
利点として、建艦費の増加に伴う国民負担の増加を軽減できる点、仮想敵国である米国の海上
戦力に対しても制限が課せられる点、米国の建艦計画に対する軍備面での対応が容易になる点
を挙げた。他方で、軍縮条約に加盟するうえでの問題点として、自主国防の体制が脅かされる点、
万が一日本に不利な条件を承認せざるを得ない状況になれば、国防上において大きな危険性を
生じさせる点が挙げている。しかし、対外情勢を考慮すれば問題点よりも利点に重きを置くこ
とが妥当であるとの見解を示した。
また、日本側全権の海軍大将加藤友三郎は、軍縮交渉を通して、米国内で高まりを見せてい
た排日世論を抑制し、日米関係を改善させることを最大の目的としてワシントン会議に臨んだ
ものの、会議冒頭でヒューズが提案した軍縮案の内容は、上述の通り日本海軍が許容できる内
容とはかけ離れたものであった。しかし、この提案を各国代表団が歓迎していることに否定の
余地は無く、この提案の趣旨に反対すれば日本の国際的な立場は危うくなるため、提案の趣旨
には賛成する必要があるとの認識を持ち、以下のように加藤は記した。
仮ニ軍備制限問題無ク是迄通リノ製艦競争ヲ継続スルトキハ如何 英国ハ到底第海軍ヲ拡
張スル力無カルベキモ 相当ノコトハ必ズ為スベシ 米国ノ興論ハ軍備拡張ニ反対スルモ
一応其ノ必要ヲ感ズル場合ニハ何程デモ遂行スルノ実力アリ 翻ツテ我日本ヲ考フルニ我

606 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 15:09:18.49 ID:???
八八艦隊ハ大正十六年度ニ完成ス 而シテ米国ノ三年計画ハ大正十三年度ニ完成ス 英国
ハ別問題トスベシ 其ノ大正十三年ヨリ大正十六年ニ到ル三年間ニ日本ハ新艦建造ヲ継続
スルニモ拘ラズ米国ガ何等新計画ヲ為サズシテ日本ノ新艦建造ヲ立ツルコトトナルベシ 
又日本トシテハ米国ガ之ヲ為スモノト覚悟セザルベカラズ29)
この中で、加藤は英国が第一次世界大戦後の経済的な疲弊により海軍力の拡充が困難である点
を指摘する一方で、米国は海軍力の拡充が今後も可能なだけの経済力や工業力を有している旨
を指摘している。そのうえで、漸く予算化を為しえることが出来た海軍の八八艦隊の整備計画と、
米国の艦隊整備計画である三年計画の完成時期を比較し、米国の経済力と工業力を持ってすれ
ば、日本の八八艦隊計画に呼応して更なる戦力の拡充を図ることが可能であることを念頭に置
く必要性を認識し、軍縮の必要性を述べた。そして、対米6 割の戦力は非常に不満ではあるが、
軍縮条約によって米国の戦力を制限できるという点を考慮し、1922 年(大正11 年)に軍縮案を
受け入れることとなった。
軍縮条約締結の影響を受けて、帝国国防方針の達成に必要な帝国国防所要兵力量が改訂され、
従来の八八艦隊計画および八八八艦隊計画は放棄された。そして、新たに戦艦および巡洋戦艦
からなる主力艦9 隻と航空母艦3 隻、大型巡洋艦12 隻以上を基幹戦力として、必要な補助艦艇
と航空機からなる軍備を整備することとなった。この中で注目すべき点は、軍縮条約によって
廃艦となる予定であった巡洋戦艦赤城と戦艦加賀が改装され、それぞれ航空母艦赤城、航空母
艦加賀として竣工することが決定されたことである。この理由は海軍が、対米6 割と規定され
た戦力を余すところなく活用する必要があったためである。このことから未だ技術面では発展
段階にあるものの、軍縮条約による制限を受けない航空機と、それを海上で運用するプラット

607 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 15:10:20.93 ID:???
フォームとしての航空母艦への投資が行われたのである。また、航空関連予算の拡充も図られ
1922 年度(大正11 年度)に海軍予算額3 億9,740 万6,782 円に対して1,924 万6,883 円(予算総
額比4.84%)であった予算額が、1923 年度(大正12 年度)海軍予算額2 億7,869 万2,422 円に
対して2,305 万5,791 円(予算総額比8.27%)へと、予算額及び予算総額に対する比率の面でも
増額が図られることとなった30)。そして、これらの動きに伴って「航空兵力補充計画」が策定
され以下のような編成による軍備計画が進められた。
航空兵力補充計画31)
(1)本計画は大正十四年度から着手し、完成期を大正十九年度とす。
(2)飛行分隊は飛行機常用及び補用機をもって編制し、気球隊は気球をもって編制す。
(3)補充兵力
 (イ)水上部隊
  補助艦補充計画に基づく左の艦種に搭載すべき飛行機
  航空母艦1 隻、偵察巡洋艦12 隻、潜水艦5 隻、航空補給艦3 隻に搭載する合計96 機
 (ロ)陸上部隊
隊種横須賀鎮守府呉鎮守府佐世保鎮守府機種別合計
飛行艇0.5 個飛行隊(2 機) 0.5 個飛行隊(2 機) ― 1 個飛行隊(4 機)
水上偵察機― 1 個飛行隊(4 機) 2.5 個飛行隊(10 機) 3.5 個飛行隊(14 機)
水上攻撃機1 個飛行隊(4 機) 0.5 個飛行隊(2 機) 2 個飛行隊(8 機) 3.5 個飛行隊(14 機)
陸上戦闘機― 0.5 個飛行隊(2 機) 2.5 個飛行隊(10 機) 3 個飛行隊(12 機)
鎮守府別合計1.5 個飛行隊(6 機) 2.5 個飛行隊(10 機) 7 個飛行隊(28 機) ―
気球隊― ― 1 個飛行隊1 個飛行隊
このように、日本海軍が航空技術の開発促進と国内での生産基盤の拡充を図る為の取り組み
を進めていく中で、主力艦保有数に制限をかけたワシントン海軍軍縮条約の締結は、米国との
戦力差を埋めることを目的とした海軍における航空軍備の一大転換点であった。併せて、日本
の軍事戦略が米国との経済力・工業力、技術力の差によって転換をせざるを得なくなったとい
う状況は、軍事戦略に対して技術や産業が決定的な影響を与える事となったことを明らかにし

608 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 15:11:36.53 ID:???
ているとも評価できる。そして、これ以降海軍は軍内部の航空行政を統轄する航空本部の設置
や競争試作制度の導入等を通して、特に国内メーカーの航空技術の向上へと注力を行うことと
なった。この取り組みは技術面や産業面で転換せざるを得なくなった軍事戦略(主力艦の活用)
を、航空技術の飛躍的向上という面から打開をしようとしたことの現れであると著者は考える。
次章においては、海軍の具体的な取り組みとして国内メーカーの技術力を飛躍的に向上させた
競争試作制度を取り上げることとする。
W.競争試作制度の導入と航空技術の飛躍的向上
1927 年(昭和2 年)4 月に海軍は航空行政を統轄する航空本部を新設し、航空機並びに航空
兵器の研究、実験、試作、造修補給から搭乗員及び技術者の養成まで、航空行政全般を担当さ
せることとした32)。一方で、当時の日本では、未だに海外メーカーからの技術移転に頼る部分
が多く、模倣段階から独創段階へと国内メーカーの技術水準を向上させる必要があり、航空本
部は民間企業間の競争を促進することによって技術力の向上を図る所謂「競争試作」制度を導
入することとなった33)。競争試作制度に関しては既に英国海軍の戦艦ドレットノート建造の際
に導入されたことが知られており、従来の戦艦の常識を超えるような戦闘力と速力を備えた戦
艦の建造に大きな効果をもたらしたとされている。日本海軍が英国海軍の影響を受けて競争試
作制度を取り入れたか否かについては明らかではないが、航空機開発においては海軍側が求め
る能力及び仕様を記した「計画要求書」が指名された複数の企業に渡された後、次のような手
順で審査が進められた34)。
(1)計画一般審査:基本計画の適否を判定
(2)木型審査:実物模型で、主として艤装兵装の適否を判定
(3)図面審査:主要構造部を図面によって判定
(4)構造審査:試作第1 号機工事進捗30%及び90%程度の2 期に分けて実施
(5)強度審査:強度試験用機体(所謂0 号機)で破壊試験を実施、強度の適否を判断
(6)完成検査: 第1 号機完成時期、前各号審査の成否を総合審査した上で、剛性試験及び振
動試験を実施、強度の適否を判定
(7)飛行審査: 軍に領収の上、慣熟飛行、性能試験、実用飛行試験、実用整備試験、兵装実
験を実施

609 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 15:12:27.86 ID:???
海軍において最初に競争試作の対象となったのが一○式艦上戦闘機の後継機である三式艦上
戦闘機である。競争試作においては「(一)募集通知後制式機決定迄三ヶ年以内は予定す」、「(二)
所要経費総額二五万円以内(海防義会寄付金)」35)等の諸条件を示したうえで、1927 年(昭和2 年)
に開始され、三菱内燃機製造会社、中島飛行機、愛知時計電機の国内メーカー3 社が試作を行った。
競争試作において各社は最新鋭機の輸入や技術者の海外派遣、外国技術者の招聘等によって海
外の先進技術の導入を行う一方で、社内の研究機関の強化拡充、設計担当者の増員によって技
術力の向上を図った。とりわけ三式艦上戦闘機については、最初の競争試作対象機ということ
もあり各社の注力振りは目を見張るものであった。三菱内燃機製造会社では自社設計の鷹型艦
上戦闘機を試作機として提案し、愛知時計電機はドイツのハインケル社が設計を担当したHD−
23 戦闘機を、中島飛行機は英国製戦闘機グロースター・ガムベットに改造を加えたG 型艦上戦
闘機をそれぞれ海軍に提案した36)。各種審査を経て、結果的に中島飛行機が提案したG 型艦上
戦闘機が三式艦上戦闘機として採用され、1932 年(昭和7 年)まで生産が継続されることとなっ
た。そして、この三式艦上戦闘機は同年に勃発した第一次上海事変において初めて実戦に参加し、
国民党軍のボーイング戦闘機(米国製)を撃墜するなどの戦果を挙げた37)。
上海事変での実戦結果を経て、海軍では競争試作が国内メーカーの技術水準を高めるうえで
有効であることを認識し、更なる航空技術の向上を目指して1932 年(昭和7 年)には長期計画
である「三ヶ年試製計画」を立案し、1935 年度(昭和10 年度)までに完成すべき航空機、発動
機の重要兵器の試製に関する方針を示した。この3 年間に実施された試作の結果は概ね良好で、
特に1934 年度(昭和9 年度)及び翌年度に実施された試作においては、三菱航空機が試作した
艦上戦闘機と陸上攻撃機がそれぞれ九六式艦上戦闘機、九六式陸上攻撃機として採用された38)。
また、中島飛行機が試作した艦上攻撃機も九七式艦上攻撃機として1937 年(昭和12 年)に制
式化され、この時期において初めて機体や発動機の開発に必要な航空技術の大部分を海外メー

610 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 15:13:21.55 ID:???
カーからの技術移転に頼ることなく、国内メーカーの技術力のみで航空機の開発から製造まで
を一貫して担うことが概ね可能となった39)。その後、1932 年(昭和7 年)から3 年間実施した
試作の成果に基づいて、海軍は「昭和10 年度方針」を以下の通り示した。
一、 新たに着手すべき機種は、艦上機は軽爆撃機、攻撃機、偵察機の三種、水上機は、観測機、
戦闘機の二種とす。
二、技術行政上の見地より考慮すべき点
  (一) 計画技術独立の見地から、各社とも自力で設計すべきは勿論なるも、一面また欧
米各国の進歩の趨勢を洞察し、我国の現状を認識し、採長補短の策を取り、適当
に各社を指導す。
  (二) 七、八、九年の三ヶ年試製計画遂行により、各社が得たる技術上の経験と特徴は、
十年度試作に際し之を発達助長せしむ。
  (三)各社の試作能力を考慮し、過不足なくこれを活用するように注文を配当する。
  (四) 一機種の試作を三社、二社若くは一社に命ずべきやは該機種完成の緩急如何と予
算の状況とを考慮し機種毎に決定す。
三、 試作機の機数は、原則として各種二基とす。その価格は二基にて設計図の経費も償い
得る如く定む。40)
この段階において、漸く技術導入期を脱し個々の国内メーカーの持つ技術上の特性や強みが
出始めたため、それらを踏まえた上で各メーカーの能力に応じた試作発注を実施することが可
能となった。しかし、依然として海外メーカーとの技術力の差は存在しており、競争試作を通
して海軍が改善を図ることとした。競争試作制度自体は、従来の3 ヶ年計画から単年度計画に
計画期間が短縮されたものの、1938 年度(昭和13 年度)まで競争試作自体は継続された。1937
年度(昭和12 年度)に実施された艦上爆撃機の競争試作においては、愛知時計電機が試作した
艦上爆撃機が九九式艦上爆撃機として1939 年(昭和14 年)に制式化された。あわせて、同年
実施された艦上戦闘機と陸上攻撃機の競争試作においては三菱重工業が試作した艦上戦闘機と
陸上攻撃機が、それぞれ1940 年(昭和15 年)制式化の零式艦上戦闘機と1941 年(昭和16 年)

611 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 18:29:02.42 ID:???
制式化の一式陸上攻撃機として海軍に採用させられた。これらの機体は、いずれも太平洋戦争
の緒戦において連合国の航空機を圧倒する性能を発揮した。そして、競争試作を通して三菱重
工業、中島飛行機、愛知時計電機に加え、川西航空機、渡邊鉄工所(九州飛行機)、日本飛行
機、昭和飛行機等の後発企業においても、当初の目的であった技術水準の向上が図られたため、
1938 年度(昭和13 年度)以降は競争試作から各社の得意機種における単独指名に切り替えられ
ることとなった41)。
このように、ワシントン海軍軍縮条約締結後の日本海軍における航空軍備においては、航空
本部による航空行政の一体化と競争試作制度による国内メーカーの技術基盤の向上促進によっ
て、海外メーカーからの技術面での独立を相当程度図ることに成功した。国内メーカーの技術
面での飛躍的な進歩について、著者は完全競争状態での試作発注という形を採用せず、限られ
た数の企業に対してのみ試作発注をするという寡占状態を作り出したことが成功の背景に存在
すると考える。これにより、企業間の過当競争を排除し企業間競争がもたらす効果をある程度
残すことが可能となり、同時に試作経費の全てを海軍が負担するという形を採用したことによっ
て、各企業の負担の極小化を図ったことが技術基盤の確立に寄与した。
終章
本稿においては、戦間期の日本海軍による航空軍備を通して、海外からの技術的な自立と産
業としての基盤整備に取り組んだ過程を追ってきたが、この過去の事例が、軍事戦略と技術力
や産業基盤との関係性について、ひいては現在の航空自衛隊と産業界が抱える問題点に対して
示唆するところを改めて述べたい。
海軍の航空軍備は、技術導入期におけるごく少数の水上機の直接輸入から始まり、戦間期に
おいては海外メーカー製航空機の製造権買収、技術者の海外派遣、外国人技術者の招聘等によっ
て国内での技術基盤の整備を進めてきた。海軍では、日本海海戦での戦訓から戦艦や巡洋戦艦

612 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 18:30:00.15 ID:???
等の主力艦を中心とした艦隊決戦を想定した軍事戦略を構築し、あくまでも航空機は補助的な
役割を果たすに過ぎなかった。しかし、ワシントン海軍軍縮条約(1922 年)における主力艦の
数量制限という外的要因を受け、米国との戦力差を埋めることを目的として航空軍備への注力
を進める事となった。あわせて、この軍縮条約の締結では、米国との圧倒的な国力の差が要因
となっており、日本海軍が軍事戦略を転向させたとも評価することができ、国際政治の動向と
国家間の経済力、工業力の差が軍事戦略に決定的な影響を与えたことを明らかにしている。そ
して、海軍は軍事戦略上の残された選択肢である航空戦力の拡充に必要な技術基盤の向上を図
るため、航空行政を統轄する航空本部の設置や競争試作制度の導入等を通して、国内メーカー
の技術力の向上へ注力した。この取り組みは、建艦競争をリードしてきた米国の造艦面での経
済力と工業力によって転換せざるを得なかった軍事戦略の限定的な選択肢のなかで、逆に航空
機という新たな技術の領域から戦力的劣勢を打開しようとしている現れである。
結果として、日本海軍の航空軍備においては、国内航空機メーカーの技術基盤の向上促進に
よって、海外メーカーからの技術面での独立を短期間に相当程度図ることに成功したのである。
具体的には、国内メーカーの技術面での向上を図る目的で競争試作制度を導入し、完全競争で
はなく寡占競争状態を作り出したことが、企業間の過当競争を排除すると共に、企業間競争の
有効性を可能な限り引き出すことにつながった。また一方で、軍事戦略面では航空本部による
航空行政の一本化によって、自らが立案した軍事戦略をも包含した形で競争試作上の能力要求
を行うことで、国内メーカーに対して、自らの軍事戦略上必要とする航空機の能力を最大限に
反映した要求を可能としたのである。
これら日本海軍の航空軍備の歩みは、軍事戦略と技術・産業の関係性の強さを改めて示すと
同時に、国力の差と軍縮条約によって軍事戦略の余地(主力艦の活用)が限定され、戦略的劣
勢を新たな技術領域の進歩(国産化と競争による革新)によって打開するという道筋を辿って

613 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 18:31:03.01 ID:???
いる。現在の航空自衛隊と産業界が抱える問題においても、軍事戦略と技術・産業は不可分な
関係にあり、軍事戦略上の航空戦力に対する期待は、ますます増大している。しかし、膨大な
開発費を必要とし、極めて高度な技術体系の産物である現代の航空機においては、かつてのよ
うに技術と産業が一体(技術革新と国産化)ではなく、技術(国際共同開発)と産業(国内防
衛産業)が分離している。つまり、単一の国家の軍事戦略によって技術面での方向性を規定さ
れていた航空機開発が、現代では複数の国家の軍事的要求を反映した国際共同によって開発さ
れているのであり、自衛隊はその技術開発をコントロールすることも、独占することもできな
い状況にあることが、改めて確認できる。
なお、本稿の執筆にあたっては、平山実先生(防衛大学校)・小野圭司先生(防衛研究所)よ
り貴重なご助言を頂いた。ここに記して感謝の意を表する。

1 )久保田ゆかり(2010)「日本の防衛調達の制度疲労と日米関係−日米防衛産業の比較制度分析−」『国際
安全保障』第38 巻第2 号、国際安全保障学会、47−66 頁を参照。
2 )以上、防衛省防衛研究所戦史部編(2009)「鷹尾洋保オーラル・ヒストリー」『山田良市オーラル・ヒス
トリー』防衛省防衛研究所、454 頁より引用。元防衛省技術研究本部開発官である鷹尾洋保は、戦闘機の
国産化に関する質問に対して「航空機は強力な兵器である点を考えなければなりません。このため、アメ
リカは国家の優位性を確保することの手段として、航空機の開発を推進しています。日米の同盟関係によ
り、日本はアメリカから進んだ軍事技術の提供を受けています。しかし、世界は流動的であって、日米の
関係は永遠に変わらないということは有り得ないと思います。たとえ、日米関係が変化しても、日本が独
自の立場を維持することができなくてはならないと思います。そのためには、防衛省が日本の航空技術を
維持・発展させることが、日本が工業先進国であると認められる方法でもあり、技術的な独立性を確保す
るものだと思います。」(454 頁)として、とりわけ防衛省による航空技術及び生産基盤維持の重要性を述
べている。

614 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 18:32:26.52 ID:???
(1)計画一般審査:基本計画の適否を判定
(2)木型審査:実物模型で、主として艤装兵装の適否を判定
3 )ジョミニ著、佐藤徳太郎訳(2001)『戦争概論』中央公論新社、48 頁より引用。
4 )マクニール著、高橋均訳(2002)『戦争の世界史 技術と軍隊と社会』刀水書房、178 頁より引用。
5 )同上。
6 )小窪千早(2010)「第10 章 戦争と技術―技術革命による戦争の変化」石津朋之・末永聡・塚本勝也編
著『戦略原論―軍事と平和のグランドストラテジー―』日本経済新聞社、283−284 頁を参照。
7 )ハンデル(2007)「イスラエルの戦略の進化」マーレー編、石津朋之監訳、歴史と戦争研究会訳『戦略
の形成(下)−支配者、国家、戦争』中央公論新社、351 頁より引用。
8 )同上、374 頁より引用。
9 )戦間期の日本の航空軍備に関する研究に関しては、とりわけ運用面での研究蓄積があり、横山久幸(2004)
「日本陸軍におけるエア・パワーの発達とその限界―運用規範を中心に―」、立川京一(2004)「旧日本海
軍における航空戦力の役割」、塚本勝也(2004)「戦間期における海軍航空戦力の発展―山本五十六と軍事
革新―」防衛庁防衛研究所戦史部編『戦史研究年報』第7 号防衛研究所、1−21 頁、22−32 頁、33−46 頁、
等が知られている。
10)岡村純(1953)『航空技術の全貌(上) わが軍事科学技術の真相と反省(V)』興洋社、59 頁より引用。
11)同上、59 頁を参照。
12)JACAR(アジア歴史資料センター)Ref. C08020758400、大正5 年 海軍省 公文備考 巻21 学事「航空術
研究委員報告(1)」(防衛省防衛研究所)、470 頁より引用。
13)JACAR(アジア歴史資料センター)Ref. C08020758400、前掲資料、476 頁を参照。
14)岡村(1953)前掲書、60 頁を参照。
15)岡村(1953)前掲書、7 頁を参照。また、JACAR(アジア歴史資料センター)Ref. C08020758400、大正

615 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 18:33:32.15 ID:???
5 年 海軍省 公文備考 巻21 学事「航空術研究委員報告(1)」(防衛省防衛研究所)、472 頁には「青島攻囲
戦ニ際シ航空隊ヲ編成シテ参加セシメラレ其ノ功績ニ対シ感状ヲ授与セラル」との記述がある。
16)岡村(1953)前掲書、7 頁を参照。
17)JACAR(アジア歴史資料センター)Ref. C08021102200、大正7 年 公文備考 巻19 学事4 止「航空術1
件(1)」(防衛省防衛研究所)、624 頁を参照。
18)日本海軍航空史編纂委員会(1969a)『日本海軍航空史(1)用兵編』時事通信社、74−75 頁を参照。
19)JACAR(アジア歴史資料センター)Ref. C08050222000、大正10 年 公文備考 巻49 航空6「議会説明資
料(1)」(防衛省防衛研究所)、1408 頁を参照。
20)同上、1408−1409 頁より引用。
21)同上、1411 頁より引用。
22)岡村(1953)前掲書、8−9 頁を参照。
23)防衛庁防衛研修所戦史室(1976)『戦史叢書 海軍航空概史』朝雲新聞社、「付表第一」を参照。
24)防衛庁防衛研究所戦史室(1969)『戦史叢書 海軍軍戦備(1)昭和16 年11 月まで』朝雲新聞社、294 頁
より引用。
25)同上。
26)同上。
27)防衛庁防衛研究所戦史室(1969)前掲書、294 頁より引用。
28)防衛庁防衛研究所戦史室(1969)前掲書、295 頁より引用。なお原文は次の通り。
本研究ハ其ノ趣旨ニ於テ曩日ノ研究ト異ル所ナキモ今回協定ノ起因ガ各国ヲ通ジテ製 艦費ノ莫大ナル
負担ヲ避ケントスルノ要求ニ外ナラザルニ鑑ミ英米トノ均衡ヲ失セザル限リ八八艦隊ノ建造ヲ固執スル
モノニアラザルコト帝国ハ米国ニ対シ其ノ七割以上ノ海軍兵力ヲ絶対ニ必要トスルコト
本制限協約ノ利点
製艦競争ヲ避ケ国民ノ負担ヲ軽減ス想定敵国ノ海上兵力ヲ某程度ニ制限シ其巨富ヲ製艦ニ傾注スルヲ得
ザラシメ帝国トノ海上兵力ヲ略一定ニ維持シ現状ニ於ケルガ如ク終始敵国ノ新計画ニ脅威サルルコトナ
ク従テ作戦ノ案画比較的容易ナリ
本制限ノ不利点
想定敵国ト協定シテ国防ニ要スル兵力ヲ制限スルガ如キハ自主的国防ノ本義ニ悖ル万一我ガ国ニ不利ナ
ル協定ヲ承認スルノ不得巳至ラバ帝国ノ国防ヲ危殆ナラシム現在及ビ近キ将来ニ於ケル帝国ノ国情ト対
外関係ニ鑑ミルトキハ叙上ノ不利ヨリモ寧ロ利点ニ重キヲ置クヲ至当ト認ム

616 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 18:34:45.21 ID:???
29)同上。
30)日本海軍航空史編纂委員会(1969b)『日本海軍航空史(2 )軍備編』時事通信社、「第一表 年度別海
軍航空予算と航空予算及び物価指数との関係」、949 頁より引用。
31)防衛庁防衛研究所戦史室(1969)前掲書、339−340 頁を参照。
32)岡村(1953)前掲書、14 頁を参照。
33)岡村(1953)前掲書、37 頁を参照。
34)岡村(1953)前掲書、38 頁を参照。
35)日本海軍航空史編纂委員会(1969c)『日本海軍航空史(3 )制度・技術編』時事通信社、274 頁より引用。
36)防衛庁防衛研修所戦史室(1976)前掲書、「付表第一」及び岡村(1953)前掲書、82 頁を参照。
37)同上。
38)岡村(1953)前掲書、「第2.10 表 旧海軍試作機年次一覧表」を参照。
39)同上。
40)日本海軍航空史編纂委員会(1969c)前掲書、281−282 頁より引用。
41)岡村(1953)前掲書、28 頁を参照。
引用・参考文献
・石田隆造(2001)『戦間期日本財政の研究』青山社
・岡村純(1953)『航空技術の全貌(上) わが軍事科学技術の真相と反省(V)』興洋社
・久保田ゆかり(2010)「日本の防衛調達の制度疲労と日米関係−日米防衛産業の比較制度分析−」『国際安
全保障』第38 巻第2 号、国際安全保障学会、47−66 頁
・ジョミニ著、佐藤徳太郎訳(2001)『戦争概論』中央公論新社
・ゾンバルト著、金森誠也訳(2010)『戦争と資本主義』講談社学術文庫、講談社
・立川京一(2004)「旧日本海軍における航空戦力の役割」防衛庁防衛研究所戦史部編『戦史研究年報』第
7 号、防衛庁防衛研究所、22−32 頁
・塚本勝也(2004)「戦間期における海軍航空戦力の発展―山本五十六と軍事革新―」防衛庁防衛研究所戦
史部編『戦史研究年報』第7 号、防衛庁防衛研究所、33−46 頁
・東洋経済新報社(1950)『昭和産業史 第一巻』東洋経済新報社
・日本海軍航空史編纂委員会(1969a)『日本海軍航空史(1)用兵編』時事通信社
・日本海軍航空史編纂委員会(1969b)『日本海軍航空史(2)軍備編』時事通信社
・日本海軍航空史編纂委員会(1969c)『日本海軍航空史(3)制度・技術編』時事通信社

617 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 18:35:31.99 ID:???
・秦郁彦編(1991)『日本陸海軍総合事典』東京大学出版会
・秦郁彦編(2002)『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会
・ハンデル(2007)「イスラエルの戦略と進化―不安感の心理と絶対的安全保障の追求―」マーレー編、石
津朋之監訳、歴史と戦争研究会訳『戦略の形成(下)―支配者、国家、戦争』中央公論新社、329 頁−
401 頁
・防衛庁防衛研修所戦史室(1976)『戦史叢書 海軍航空概史』朝雲新聞社
・防衛庁防衛研修所戦史室(1969)『戦史叢書 海軍軍戦備(1)昭和16 年11 月まで』朝雲新聞社
・防衛省防衛研究所戦史部編(2009)「鷹尾洋保オーラル・ヒストリー」『山田良市オーラル・ヒストリー』
防衛省防衛研究所
・防衛庁防衛研修所戦史室(1976)『戦史叢書 海軍航空概史』朝雲新聞社
・マクニール著、高橋均訳(2002)『戦争の世界史 技術と軍隊と社会』刀水書房
・横山久幸(2004)「日本陸軍におけるエア・パワーの発達とその限界―運用規範を中心に―」防衛庁防衛
研究所戦史部編『戦史研究年報』第7 号、防衛庁防衛研究所、1−21 頁。
・JACAR(アジア歴史資料センター)Ref. C08020758400、大正5 年 海軍省 公文備考 巻21 学事「航空術研
究委員報告(1)」(防衛省防衛研究所)
・JACAR(アジア歴史資料センター)Ref. C08021102200、大正7 年 公文備考 巻19 学事4 止「航空術1 件(1)」
(防衛省防衛研究所)
・JACAR(アジア歴史資料センター)Ref. C08050222000、大正10 年 公文備考 巻49 航空6「議会説明資料(1)」
(防衛省防衛研究所)

618 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 18:40:11.83 ID:???
Исороку Ямамото(1884-1943)
Биография
Флотоводец Исороку Ямамото в военной истории Японии считается прямым наследником славы адмирала Хейхатиро Того,
разгромившего русский флот в Цусимском сражении. Вершиной же славы адмирала Ямамото стала операция,
проведённая против военно-морской базы США Перл-Харбор на Гавайских островах.
Она вылилась в большое и длительное сражение за Тихий океан в годы Второй мировой войны.
Исороку Ямамото с юности связал свою судьбу с императорским флотом Японии.
Он получил хорошее военное образование, успешно закончив Морскую академию и Военно-морской
штабной колледж. Флотскую службу он начинал в начале XX столетия, когда Япония ускоренными
темпами наращивала свою экономическую и военную мощь. В те годы Япония усиленно готовилась к войне с Россией.
В 20 лет Ямамото участвовал в Русско-японской войне 1904-1905 годов. Тогда он служил гардемарином на броненосном
крейсере &laquo;Ниссин&raquo;, входившем в состав главных сил адмирала Хейхатиро Того.

619 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 18:42:22.20 ID:???
Гардемарину довелось стать свидетелем морской войны в Жёлтом и Японском морях,
на подступах к русской морской крепости Порт-Артуру.
Русско-японская война стала для молодого офицера императорского флота хорошей боевой школой.
После войны он служил на различных командных и штабных должностях, с 1921 года преподавал в Морской академии,
демонстрируя глубокие теоретические познания. В начале 1920-х годов Исороку Ямамото увлёкся идеей применения
в войне на море авиации. Он предвидел её огромную роль в будущих войнах Японии.

В 1925 году Ямамото был назначен командиром учебного отряда создаваемой на японском флоте морской авиации.
Ямамото был к тому времени уже признанным в стране военным теоретиком, разрабатывавшим методы применения
палубной авиации в морском бою. В этой области военно-морской науки его успехи были несомненны.

620 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 18:47:40.68 ID:???
В том же 1925 году Ямамото получил новое назначение &#8212;
его направили в США в качестве военно-морского атташе Японии.
Там он преуспел в сборе разведывательных сведений об американских
военно-морских силах, эти данные пригодились ему в
начале Второй мировой войны.
Уже в 1920-х годах в Токио понимали, что главным соперником в будущей войне за
господство на Тихом океане для Японии будут именно США.
По служебной лестнице Исороко Ямамото продвигался довольно быстро.
В 1936 году его назначили на должность заместителя морского министра Японии.
На этом посту он внёс большой личный вклад в подготовку страны к большой войне.
Он настойчиво выступал за ускоренное строительство авианесущих
кораблей и массовую подготовку кадров для морской палубной авиации.
На этом поприще заместитель морского министра добился больших успехов.
Япония начала создавать сильный авианосный флот.Ещё в 1920-х годах Ямамото
стал рьяным приверженцем концепции японского доминирования в Тихом океане
и Азии, известной под лозунгом &laquo;Хакко итиу&raquo; (&laquo;Восемь углов под

621 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 00:07:13.46 ID:???
одной крышей&amp;raquo;) В начале 1930-х годов эта концепция стала претворяться в жизнь.
18 сентября 1931 года японские милитаристы спровоцировали &amp;laquo;инцидент&amp;raquo; в Северо-Восточном Китае.
Японские войска захватили города Мукден и Чаньчунь и в 1934-1935 годах широким фронтом вышли к советско-китайской границе.
7 августа 1936 года японское правительство приняло секретную программу действий в Восточной Азии и бассейне Тихого океана.
Среди прочих в этом документе был и такой пункт:

&amp;laquo;Военные приготовления во флоте заключаются в увеличении его мощи,
которая обеспечила бы ему господствующее положение
против морского флота США в западной части Тихого океана…&amp;raquo;
Заместитель морского министра Исороку Ямамото вступил в свою должность
в поистине &amp;laquo;горячее&amp;raquo; для Японии время.
В конце 1936 года командование ВМС страны освободило себя от

622 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 00:10:45.05 ID:???
всех обязательств по ограничению военно-морских вооружений в связи
с истечением 31 декабря этого года срока действия Вашингтонского договора 1922 года.
Согласно этому &laquo;Договору пяти держав&raquo;
Японии запрещалось в течение десяти лет строить линейные корабли,
а общее водоизмещение авианосцев не должно было
превышать для США и Британской империи &#8212; 135 тысяч тонн,
для Японии &#8212; 81, для Франции и Италии &#8212; 60 тысяч тонн.
С прекращением действия Вашингтонского договора об ограничении
тоннажа авианесущего флота на верфях Японии началось
строительство авианосцев, а авиационная промышленность страны
разрабатывала новые модели палубной авиации.
В следующем году японские подмандатные территории
(бывшие германские колонии) &#8212; Марианские,
Маршалловы и Каролинские острова, находящиеся в центральном районе западно

623 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 00:12:52.87 ID:???
海軍の科学技術開発組織
本章の課題
本章では,旧日本海軍各部局の分掌規定から電波兵器開発に関わる海軍技術行政機構お
よび科学技術開発実施組織の特徴を明らかにする.特に軍部における兵器開発は本来は軍
政事項であるが,軍令ないし統帥権にも関わる事項であり,軍事上の秘密を保持する理由
も加わり,政府機関からの介入を排除している.こうした兵器開発に関わる軍部の強い独
立性は,科学技術開発組織をすべて軍内部に抱え込むことで成立する.一方で,最新の兵
器開発を行う場合には軍内部の開発組織だけでは質の面で不足し,外部組織の研究者の研
究能力を要求することになる.さらに戦時期になれば量においても開発能力が不足するた
めに,外部からの研究者を大量に動員する必要に迫られる.この点で科学技術動員の問題
が生まれる.
ここでは,海軍の電波兵器開発部門を中心にして,電波兵器の計画立案から基礎研究,
試作,実用実験までをどのような開発体制で行っていたのかを,海軍の兵器開発行政組織
および兵器開発実施組織における分掌規定を利用して,明らかにする.
第1節海軍の科学技術行政組織
1.海軍科学技術行政機構の概要
兵器開発には,軍戦備計画に基づき,兵器の基礎研究,兵器設計,試製,仮設置実験,
実用実験,製造,教育,運用などが関わる.これらを管理する部門をここでは技術行政機
構と呼んでおく.制度上からみればこの技術行政は海軍軍政組織の担当にあり,内容上か
らみれば戦備,開発,製造,教育,運用にまで関わっている.その前提となる規定は,旧
憲法第12条にある軍政大権で,ここでは,海軍大臣を最高責任者とする海軍省が新兵器開

624 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 00:16:49.05 ID:???
発計画を分掌していることを示している.しかし実際には,軍戦備計画は軍令大権を分掌
する軍令部が担当し,作戦の遂行上必要と認めた新兵器開発を海軍省に要望し,艦政本部
や航空本部に提出させた開発案を検討し,最終的に海軍大臣が開発訓令を発令する,とい
う手順で進められる(1).さらに開発は海軍省下にある(1)艦政本部が船体,機関,兵器,
(2)航空本部が航空機,航空発動機,航空兵器,(3)施設本部が土木,建築,(4)電波本部
(戦時中に短期間設置された)が電波兵器を担当した.なお,海軍省軍需局が燃料,衣糧,
同医務局が治療品を担当したいう.この他に海軍大臣の諮問機関として技術会議および審
議会が存在していた.以上を系統図として表したものが表1である(2).
表1)海軍における科学技術行政組織の系統図
1944年時点
軍令部
海軍科学技術審議会
高等技術会議
大臣諮問機関海軍艦政本部技術会議
海軍航空本部技術会議
海軍艦政本部(船体,機関,兵器)
海軍省軍務局海軍航空本部(航空機,航空発動機,航空兵器)
海軍施設本部(土木,建築)
海軍電波本部(電波兵器)
軍需局・・・・・・・・・・(燃料,衣糧)
医務局・・・・・・・・・・(治療品)
海軍の科学技術行政組織が戦時中にどのような機構で活動していたかを知るには,各部
門における分掌規程を把握することがまず必要となる.主要な資料は,『海軍諸例則』(3)
および『内令提要』(4)である.各部門の分掌規定は太平洋戦争中にその内容がたびたび改
正されているが,現存する資料はこれらの改正の経過を完全には伝えていない.

625 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 00:17:32.61 ID:???
以下こうした制限を念頭に置いた上で,海軍科学技術行政機構の特徴を,軍令に関わる
軍令部と軍政に関わる海軍省との上部2組織と,兵器開発に関わる艦政本部,航空本部,
電波本部の3組織とに分け,主として電波兵器開発部門を中心としながら明らかにする.
2.海軍科学技術行政組織
まず,海軍技術行政組織としてここでは,開戦前後の時期における,軍令部,海軍省の
分掌を通して,新兵器開発がどのような手だてで実施されたかについて確認する.
(1)軍令部
兵器に関する研究開発は,軍戦備(軍備)計画の1つとして検討される.この軍戦備計
画は,軍令部第二部第三課が分掌している.このことは「軍令部令」(5)および「軍令部服
務規程」(6)で確認することができる.「軍令部令」第1条では「軍令部ハ国防用兵ノ事ヲ
掌ル所トス」と規定され,いわゆる軍令を軍令部が分掌することが規程されている.細部
の規程に関しては「軍令部服務規程」第2条第2項に「各部,課ノ分掌事項ヲ左ノ如ク定
ム」とあり,第二部第三課については,以下の6つの事項が割り当てられている.
(一)軍備充実計画
(二)艦船航空機及兵器ノ選定竝ニ整備ニ関スル事項
(三)艦船航空機及兵器ノ実験研究ニ関スル事項
(四)水陸設備ニ関スル事項
(五)艦船兵器ノ現状調査ニ関スル事項
(六)戦闘力運動力要表ニ関スル事項
すなわち,軍戦備に関わる計画,選定,整備,実験研究,設備,現状調査,要表という
兵器開発に関連する事項が,軍令部第二部第三課に分掌されていることが分かる.
なお,「軍令部令」は1933年(昭和8年)9月27日に発令され(軍令海第5号),1945年

626 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 00:18:14.94 ID:???
時点でも,最終改正は1941年(改正第15号)となっている.一方,「軍令部服務規程」は
1937年2月1日に軍令部機密第36号として発令され,1945年時点までで,最終改正は1941年
(改正第300号)となっている.したがって,上記の軍令部分掌事項は太平洋戦争勃発後
には変更されず,電波兵器を含む海軍の軍戦備計画は,敗戦まで一貫して軍令部第二部第
三課が分掌していたことが確認できる.
(2)海軍省
軍令部により軍戦備計画の方針が立てられると,次にその軍戦備計画に対する予算およ
び資材の裏づけが必要となる.こうした軍戦備における軍政事項を行う部門が海軍省軍務
局である.海軍省軍務局には4つの課があるが,軍戦備に関わるのは,軍務局第一課であ
る.このことは前記『海軍諸例則』に綴られている「海軍省官制」および「海軍省處務規
程」の中で確認することができる(7).「海軍省官制」では,第8条に「軍務局第一課ニ於
テハ左ノ事務ヲ掌ル」とあり,次の2項目が規程されている.
(一)海軍軍備其ノ他一般海軍軍政ニ関スル事項
(二)艦船,部隊,官衙及学校ノ建制及勤務ニ関スル事項
かんが
また,「海軍省處務規程」第16条全16項の内,軍戦備計画に関わった内容としては,以
下の3項目がある.
(一) 一般海軍軍政ニ関スルコト
(二) 海軍軍備ニ関スルコト
(十一)艦船及兵器其ノ他ノ軍需品ノ計画,審査,新設,改造,装備等ノ基本ニ関
スルコト
なお「海軍省官制」は1916年(大正5年)3月31日に勅令第37号として発令され,1945年
時点までで,1944年を最後とする33回の改正が行われている.また「海軍省處務規程」は,
1916年(大正5年)3月31日に達第38号として発令され,同上までで,1944年を最後とする
39回の改正が行われている.入手できた資料からは太平洋戦争中に改正された内容を確認
することができないため,上記の3項目が最初の発令の時点から規程されていた項目か,

627 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 00:20:24.48 ID:???
ある時点の改正で付け加えられたものであるかを厳密に示すことはできない.しかしなが
ら,内容上から考えて,同3項目は太平洋戦争中に新たに付け加えられたものではなく,
開戦前から規定されていたものとみなせる.したがって電波兵器を含む海軍の軍戦備計画
に対する軍政面での分掌は,一貫して海軍省軍務局第一課にあったと判断できる.
(3)海軍艦政本部
こうして予算等の裏付けを持った軍戦備計画は,航空兵器を除く兵器に関しては海軍艦
政本部,航空機および航空兵器に関しては海軍航空本部の主として2本部で対応がとられ
ることになる.
海軍艦政本部の場合その分掌については,「海軍艦政本部令」の中で確認することがで
きる(8).兵器の研究開発に関連するものとしては,同令第1条全9項の内,以下の6項目が
該当する.
(一)艦船ノ船体機関ノ計画,審査,造修,研究,実験及保存ニ関スル事項
(二)兵器(航空兵器ヲ除ク)ノ計画,審査,造修,研究及実験竝ニ航空兵器ノ
艦船装備ニ関スル事項
(三)兵器(航空兵器ヲ除ク)ノ準備,保管及供給ニ関スル事項
(六)艦船兵器(航空兵器ヲ除ク)ノ造修ニ要スル軍需品,工場等ノ軍需工業動
員ニ関スル事項
(七)技術科士官以下(燃料,航空兵器又ハ土木建築ニ関スル技術に従事スル者
ヲ除ク)ノ教育及本務ニ関スル事項
(九)海軍工廠,海軍工作部,海軍火薬廠及海軍技術研究所ニ於ケル労務ニ関ス
ル事項
この「海軍艦政本部令」は,1920年(大正9年)10月1日に勅令第441号として発令され,
1945年までに19回の改正が行われている.こうした内容を踏まえ,特に電波兵器部門を直
接に分掌していた部門を特定するならば,それは艦政本部第三部であった.このことにつ
いては,「海軍艦政本部處務規程」の中で確認できる(9).同規程第13条には艦政本部第三
部が掌る事務内容として4項目が説明されている.

628 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 00:22:58.02 ID:???
(一)無線兵器,有線兵器,電気兵器(発電機用電動機ヲ除ク)及工作物タル有線
通信装置竝ニ艤装品又ハ機関タル電動機ノ計画及造修ニ関スルコト(海軍電
波本部分掌ノ事項ヲ除ク)
(二)造兵部及第一造兵部(各無線,有線及電気関係),電気部(音響関係ヲ除
ク) ,無線部,電気実験部(音響関係を除ク)及電池実験部ノ設備竝ニ軍
需部ニ於ケル無線兵器,有線兵器及電気兵器関係ノ設備ニ関スルコト
(三)航空関係電気兵器ノ艦船装備ニ関スルコト
(四)通信長及機関長主管ノ兵器簿ニ関スルコト
この「艦政本部處務規程」は,1936年7月1日に達第88号として発令され,1944年までに
24回の改正が行われた.すでに説明したように,上記で引用した處務規程を含む『海軍諸
例則』や『内令提要』では,「追録加除」が行われ古い規程が破棄されているため,開戦
前後の時期の分掌規程は不明となっている.しかも,電波兵器に関する分掌は海軍電波本
部の設置(1944年4月)および廃止(1945年2月)があった.このためこの期間に大幅に変
更されたはずであるが,この変更内容についても不明ば点が多い.各種の証言から,電波
本部設置期間を除いて,無線兵器を含む電波兵器の開発に関しては,その計画および造修,
装備に関しては,艦政本部第三部が分掌していたと判断できる.
参考として,艦政本部第三部長にはどのような経歴の人物がどの程度の期間に渡って勤
めていたかを表2で示しておく.呉海軍工廠電気部長の後にこの地位に着いていたが,戦
時中になると航空本部からの交流人事となっている.任期は3〜4年任期が,戦時中に次第
に短くなっている.電波兵器開発を直接担当した軍上層部の人物とは,彼ら第三部長とい
うことになる.

629 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 00:24:04.02 ID:???
表2)歴代艦政本部第三部長
名前生没年地位(当時)任期前職後職
古市龍雄(1885−1966) 機関中将1931年12月〜
平岡巌(1886−1965) 機関中将1935年11月〜 電気研究部長海軍機関学校校長
小沢仙吉(1889−1976) 機関少将1938年11月〜 技研所員舞鶴工廠長
名和武(1892−1972) 造兵少将1941年10月〜 呉工廠電気部長海技研電波研究部長
山口伸助(1892−1986) 少将(機)1943年7月〜 呉工廠電気部長−
矢野志加三(1893−1966) 中将(兵)1944年12月〜 航本4部長兼電本総務部長−
江本伝三郎(1893−1980) 少将(機)1945年5月〜10月航本5部長兼電本技術部長−
(4)海軍航空本部
海軍航空本部の場合もその分掌については,「海軍航空本部令」で確認することができ
る(10).兵器の研究開発に関連するものとしては,同令第1条全8項に,以下の関連する5項
目がある.
(一)航空兵器ノ計画,審査,造修(艦船装備ヲ除ク),研究及実験ニ関スル事項
(三)航空ニ関スル陸上設備及航空兵器ノ艦船搭載設備ノ改革及審査ニ関スル事項
(五)航空兵器ノ造修ニ要スル軍需品,工場等ノ軍需工業動員ニ関スル事項
(六)航空兵器ニ関スル技術ニ従事スル造兵科士官以下ノ教育及本務ニ関スル事項
(八)海軍技術廠及海軍航空廠ニ於ケル労務ニ関スル事項
なお,「海軍航空本部令」は1927年4月4日に勅令第61号によって発令された.1945年ま
でに12回の改正が行われており,前述のように海軍電波本部の新設により分掌に変更が加
えられたと考えられる.航空本部において特に電波兵器部門を直接に分掌していた部門を
特定するならば,それは同第四部第一課であった.このことついては「海軍航空本部處務
規程」の中で確認できる(11).同規程第19条には航空本部第四部第一課が掌る事務内容とし
て以下の5項目が説明されている.
(一)航空関係ノ無線兵器及電気兵器(関係兵器竝ニ航空隊及航空基地ニ於ケル地
上無線兵器及電気兵器ヲ含ム以下同ジ)ノ計画,試製,研究,実験及改良ニ関
スルコト
(二)航空関係ノ無線兵器及電気兵器ノ工作庁ニ於ケル造修ニ関スルコト

630 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 00:24:41.14 ID:???
(三)航空関係ノ無線兵器及電気兵器ノ装備ニ関スルコト
(四)航空関係ノ無線兵器及電気兵器ノ準備,保管及供給ニ関スルコト
(五)第四部各課ノ事務ノ連絡及綜合ニ関スルコト
したがって,航空機に関わる電波兵器開発は,電波本部設置期間を除き,この航空本部
第四部第一課が担当していたことになる.
(5)海軍電波本部
開戦から約2年半たった1944年4月に海軍電波本部が設置されたことにより,艦政本部,
航空本部の分掌に関わって大きな改正が行われた(12).主として電波兵器に関わる軍戦備の
分掌に大きな改正が加えられている.海軍電波本部においても,艦政本部,航空本部と同
様,「海軍電波本部令」や「海軍電波本部處務規程」が発令されたものと判断できるが,
これらの文書は,電波本部が1945年2月時点で廃止され,新たな規程が出されたことで,
破棄されてしまった.ただし,廃止された時期が混乱期であったことによるのか,関連す
る文書が完全には廃棄されずに部分的に『海軍諸令則』などに残されている.その1つが
「海軍艦政本部海軍航空本部及海軍電波本部関連業務暫定處理協定」である(13).同協定は
1942年7月10日に艦本機密第11号ノ11438,航本機密第8646号,電本機密第67号として3本
部からそれぞれ発令された協定で,従来まで兵器に関わる分掌規定について,3本部間で
の分掌上の混乱を処理することに目的があった.具体的には,これまで艦政本部第三部お
よび航空本部第四部第一課が分掌していた電波関係兵器とそれに加えて水則兵器の2種類
の兵器について,その一部の分掌を電波本部が持つことを上記「協定」で示している.対
応する協定文章は以下の項目である.

631 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 04:52:47.11 ID:???
第二計画及審査
電波関係兵器及水則兵器ノ計画及審査ニ関スル処理ハ左ニ依ル
一計画ニ関シテハ試作工程迄ノ全部ヲ電波本部ニテ掌リ艦政本部又ハ航空本
部分掌ノ設備,労務,造修能力等ノ実情ヲ考慮シテ処理ス
二規格ノ制定及技術会議ノ事務竝ニ特許関係及発明考案ノ審査ハ電波本部之
ヲ掌ル
三造修ニ関スル公試,試験及検査ニハ要スレバ電波本部ハ之ニ参加スルモノ
トス
第三研究実験及試作
一電波関係兵器及水則兵器ノ研究実験及試作ノ業務ハ電本本部之ヲ掌ル
二兵装ノ改善資料ヲ得ルヲ目的トスル研究及実験ニ関シテハ艦政本部及航空
本部ハ電波本部ト連絡ノ上之ヲ処理ス
三電波関係兵器及水則兵器ノ研究,実験及試作ニ関スル訓令及通牒起案要領
ハ左ニ依ル{省略}
四試作以外ノ電波関係兵器及水則兵器ノ生産ハ艦政本部又ハ航空本部ニ於テ
実施ス兵器ノ試作トハ研究実験ノ目的達成上必要ナル兵器ノ製作ヲ謂ヒ
生産トハ作戦部隊又ハ之ニ準ズル個所ニ於テ使用スベキ実用兵器ノ製作ヲ
謂フ{以下略}
電波本部の分掌上の特徴は,艦船および航空の垣根を超えて,電波兵器の計画から試作
までを単独で分掌する点であるが,さらに,同上兵器であっても試作から後の製造以降の
ことは,既存の艦政本部,航空本部が分掌していることである.電波本部は,いわば電波

632 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 04:53:26.40 ID:???
兵器の研究開発だけを担当する組織として存在していたことを示している.
(6)海軍大臣諮問機関
諮問機関には,海軍技術会議と海軍科学技術審議会との2つがあった.
海軍技術会議については,「海軍技術会議議令」(14)および「海軍技術会議規則」(15)から
諮問機関としての分掌,役割が理解できる.海軍技術会議令の第1条には,「艦船,兵器
等ノ技術ニ関スル事項ヲ調査審議セシムル為海軍技術会議ヲ置ク」として,海軍高等技術
会議,海軍艦政本部技術会議,海軍航空本部技術会議の3会議の設置を規定している.3
会議のそれぞれの特徴としては,海軍高等技術会議は,「海軍大臣ノ諮問ニ応ジ」ること,
および「艦船,航空機等ノ計画ニ関スル重要事項ヲ調査審議ス」ることである.他の2会
議は,それぞれ各本部長の諮問に応ずることとなる.1935年2月1日から施行された本技術
会議令は,その参加者(議員)をすべて海軍内部の人物が占めている.例外規程として以
下の「海軍技術会議令」第8条があるが,陸軍軍人や軍外部の人物が参加できるとの規程
とは考えづらい.
(第8条)「特別ノ事項ヲ調査審議スル為必要アルトキハ海軍大臣ハ議員以外ノ者ヲシ
テ議事ニ関与セシムルコトヲ得」
軍外部の人物が参加する可能性を,艦政本部技術会議および航空本部技術会議に限って
検討すると,「海軍技術会議規則」第8条には,各会議の議員は各本部職員となっている
が,「前項ノ外議員ノ所属ニ関シテハ艦政本部長又ハ航空本部長之ヲ具申スベシ」との例
外規程がある.しかしこれは,2本部間の人事交流を可能性にするための内容であって,
軍外部の人物を参加させるための規程ではないことと判断できる

633 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 04:54:22.23 ID:???
次に,海軍科学技術審議会については,「海軍科学技術審議会規程」(16)および「海軍科
学技術審議会事務處理内規」(17)から特徴を知ることができる.この海軍科学技術審議会は,
戦争中期の1943年2月に設置されたことから,海軍による科学技術動員,すなわち軍外部
の研究者を内部に取り込む制度として,上記の海軍技術会議とは異なる新しい特徴を持っ
ている.まずこの審議会が分掌する審議内容に関しては,同第1条が規定している.
(第1条)「海軍科学技術審議会ハ海軍大臣ノ諮問ニ応ジテ艦船,航空機及其ノ他ノ兵
器ノ進歩発達ニ対スル科学技術的検討竝ニ海軍技術ノ向上ニ関スル重要事項
ヲ審議ス」
技術会議の調査審議内容と比べると,艦船,航空機以外の兵器に拡張されていること,
および「進歩発達ニ対スル科学技術的検討」という表現が用いられていることが新しい点
である.開戦後に進歩発達した各種新兵器が登場したことに対する対応で,それには科学
技術的検討が必要であるというもので,具体的には電波兵器などの科学応用的な兵器を念
頭においていると考えられる.
次に,審議会の委員構成であるが,海軍の要職にあるものが参加することに加え,以下
の項目が加えられている.
(第2条)「七海軍省嘱託タル学識経験アル者若干名」
「中略特別ノ事項ヲ審議スル為必要アルトキハ臨時委員ヲ置クコトヲ得」
したがって,この審議会に軍外部の人物,とりわけ大学所属の研究者等が委員として参
加できることは規程から明らかである.こうした海軍大臣の諮問機関に民間人が参加する
ことは,戦争の後半になって初めて可能となったと言って良いだろう.すなわち,海軍高
等技術会議では,会員は各部長クラスで,若干名の将官が含まれるのみであった.海軍科

634 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 04:54:57.09 ID:???
学技術審議会では,会員に,軍令部次長,海軍大学校長,将官を含み,さらに勅任技師若
干名,および海軍省嘱託たる学識経験ある者若干名を含んでいる.将官以外の技師や嘱託
研究者をこうした審議会に参加させるようになったことも,海軍の科学技術動員制度の1
つの形態と考えられる.
しかし,軍外部の人物が審議できた内容を見ると,上記の海軍技術会議の役割を超える
ことのできない範囲に限定されていることが見て取れる.本審議会に諮問すべき事項とし
て,以下のような規程が示されている.
(第7条)「一艦船,航空機及其ノ他ノ兵器ノ用兵的着想ニ対スル科学的判断及技
術的考察竝ニ研究方策
二艦船,航空機及其ノ他ノ兵器ノ改良進歩ニ関スル技術的価値判断
三海軍技術ノ向上ニ関スル重要ナル事項」
規程では,「科学的判断」や「技術的考察」「研究方策」「技術的価値判断」を求めて
いるが,海軍技術会議のように「新造計画」「改造計画」「研究実験方針」などの兵器開
発における意志決定を行うものではない.海軍科学技術審議会の設置後も海軍技術会議が
存続していたことを考えれば,両者は補完すべき機関として分掌が設定されていたとも考
えられる.
したがって,海軍の上層部機関において,軍外部の人材を参加させる部門が存在するこ
とを確認できたものの,担わされた内容は,兵器開発の計画ではなく,あくまでも個別部
門の科学的,技術的判断に止まっていたことが分かる.

635 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 04:58:05.43 ID:???
3.海軍科学技術実施組織
海軍における兵器開発を実際に担当する部署は,各科学技術行政組織ごとの下部組織と
して配置されている.ここでは,海軍省軍務局管轄下の4本部(海軍艦政本部,海軍航空
本部,海軍施設本部,海軍電波本部)の内,海軍施設本部を除いた3本部に限定し,また
新兵器として戦時中に新規の開発を行うことになった電波兵器部門を事例として,海軍の
科学技術担当組織の系統および活動上の特徴を明らかにしたい.ただし,これらの組織系
統は,1944年以降の組織改編で大きく変わっている.したがって,ここでは,まず1941年
4月時点において,6研究部を持つ海軍技術研究所,13実験部を持つ海軍工廠,8技術部を
持つ海軍航空技術廠の分掌および,7学校を持つ鎮守府(砲術系は除く)についてその配
置系統を確認する(表3)(18).
表3)海軍における科学技術実施組織の配置系統図
(1941年4月時点)
造船研究部(1925年6月設置,目黒)
理学研究部(1934年4月設置,目黒)
化学研究部(1934年4月設置,相模)
海軍技術研究所電気研究部(1934年4月設置,目黒)
材料研究部(1939年8月設置,目黒)
音響研究部(1940年4月設置,沼津)
砲熕実験部(1923年4月設置,呉)
魚雷実験部(1923年4月設置,呉)
機雷実験部(1923年4月設置,横須賀)
電気実験部(1923年4月設置,呉)
光学実験部(1935年8月設置,横須賀)
航海実験部(1936年7月設置,横須賀)

636 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 04:59:26.35 ID:???
海軍工廠電池実験部(1936年7月設置,横須賀)
造船実験部(1936年7月設置,呉)
製鋼実験部(1936年7月設置,呉)
通信実験部(1938年4月設置,横須賀)
機関実験部(1938年4月設置,舞鶴)
機関実験部(1939年8月設置,広)
工作機械実験部(1939年8月設置,広)
科学部(1932年4月設置)
材料部(1938年4月設置)
飛行機部(1932年4月設置)
海軍航空技術廠発動基部(1932年4月設置)
(航空研究部) 兵器部(1932年4月設置,支廠)
電気部(1941年4月設置)
発着機部(1939年4月設置)
飛行実験部(1932年4月設置)
海軍水雷学校(1879年9月設置)
海軍潜水学校(1918年12月設置)
海軍航海学校(1885年12月設置)
鎮守府海軍工機学校(1887年7月設置)
海軍通信学校(1930年6月設置)
海軍機雷学校(1941年4月設置)
海軍工作学校(1941年4月設置)
(1)海軍技術研究所
軍戦備の研究から試作までを担った部門の一つに海軍技術研究所がある.海軍技術研究
所の場合その分掌については,「海軍技術研究所令令」(19)および「海軍技術研究所處務規
程」(20)の中で確認することができる.まず,発令時の内容を前者で確認する.
(第1条)海軍技術研究所ハ海軍技術ノ研究,調査及諸種ノ技術的試験ニ関スルコトヲ

637 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 05:00:09.55 ID:???
掌ル(改行)海軍技術研究所ハ前項ノ外必要ニ応シ兵器及材料ノ製造及修理
ヲ掌ル
(第2条)海軍技術研究所ハ技術ノ研究又ハ技術従事者養成ノ依頼ヲ官庁又ハ民間ヨリ
受ケタルトキハ前条ノ規定ニ依ル業務ニ支障ナキ限リ海軍大臣ノ定ムル所ニ
依リ応スルコトヲ得
「海軍技術研究所令」は1923年(大正12年)3月24日に勅令第52号により発令された.1
945年までに10回の改正が行われている.次に「海軍技術研究所處務規程」からは,海軍
技術研究所と同所を管轄する海軍艦政本部との関係が分かる.
(第3条)所長ハ所務整理ノ為所内ノ服務内規ヲ定メ海軍艦政本部長ノ承認ヲ経テ之ヲ
実施スルコトヲ得
(第4条)所長ハ各種研究ノ成果及之ニ関スル所見竝必要ニ応シ研究進捗ノ状況及研究
ニ関スル意見等ヲ海軍艦政本部長ニ報告スル(以下略)
実施する各種研究内容に関しては,数回の組織改正がありその都度変更されている.
以下では,1940年の条文から,無線兵器分野を担当した部門を特定し,その分掌を明ら
かにしてみる(21).
(第10条) 電気研究部ハ無線兵器及電気兵器ニ関スルコト及所内ニ於ケル電力ノ供給
竝ニ電話器ニ関スルコトヲ掌ル
(第14条) 第八条及至前条{第十三条}ニ規定スル各研究部ノ分掌事務ヲ細別スルコ
ト左ノ如シ
一分掌物件ノ機構及能率竝ニ其ノ試製計画,改良考案其ノ他応用ニ関スル基礎
的研究
二各種規格ニ関スル研究
三特令ニ依ル技術的審査研究
四列国ノ兵器及諸物件ニ関スル技術的研究
五前各号ノ外必要ト認ムル事項ノ技術的研究
六部外研究機関トノ連絡ニ関スルコト
七研究及実験ニ必要ナル各種物件ノ製作ニ関スルコト
八必

638 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 05:01:40.47 ID:???
八必要ニ応ジ行フ兵器及材料ノ造修ニ関スルコト
九所属工場,器具機及交付ヲ受ケタル材料物件竝ニ研究及造修ニ伴フ製作品ノ
整備,保管,運搬及入費概算ニ関スルコト
十各種技術的研究ニ関スル統計記録等ニ関スルコト
なお,「海軍技術研究所處務規程」は,その原型を1923年に確認できるが,1940年(昭
和15年)4月5日に内令第221号として新たに発令され,1945年までに8回改正されている.
電波兵器に関しては,開戦前後には電気研究部に分掌があったが,1943年7月に新たに電
波研究部が新設されることに伴って,分掌上の委譲が行われた.ただし,現時点ではこの
電波研究部が新規に分掌した規程を内令等文書で確認することはできない.
さらに,1945年2月に海軍技術廠が設置されるに伴い,電気研究部および電波研究部は
廃止される.
(2)海軍工廠
海軍工廠に関しては,「海軍工廠令」および「海軍工廠處務規程」からその分掌が分か
る.まず,「海軍工廠令」から海軍工廠の役割と兵器開発に関する分掌を確認しておく.
(第1条)「海軍工廠ハ艦船及兵器(航空兵器ニ付テハ海軍大臣ノ特ニ指定スルモノニ
限ル以下同ジ)ノ造修,購買及実験ニ関スルコトヲ掌ル(改行)海軍工廠は,
開発に関わる部分としては,「実験ニ関スルコトヲ掌ル」があり,実験部が配置さ
れる根拠となる.ただし,海軍工廠には,各実験部に加えもう一種の技術部が配置されて
いる.例えば電気系で見れば,電気実験部と電気部である.両者の区分に関しては以下の
ような分掌規程が「海軍工廠處務規程」にある.
(第24条)「電気実験部ハ電気兵器及其ノ材料ノ実験ニ関スルコトヲ掌ル」
(第13条)「電気部ハ無線兵器及電気兵器ノ造修ニ関スルコトヲ掌ル」
大きな違いは,前者は実験,後者は造修という作業内容にある.ただし,扱う対象に無
線兵器の有無も関係している.扱う対象から見ると,もう1つの通信実験部との関係も問
題になる.(第23条)「通信実験部ハ通信関係兵器及其ノ材料ノ実験ニ関スルコトヲ掌ル」
この分掌規定から,表4のように電気系の研究実験部門は,海軍技術研究所,海軍工廠
を含めると,それぞれの対象と作業内容で以下のように区分されていたことが分かる.

639 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 15:02:39.29 ID:???
表4)電気系部門での分掌事項の違い
< 対象> < 作業内容>
研究実験造修
電気兵器: 「電気研究部」「電気実験部」「電気部」
通信兵器(無線兵器): 「電気研究部」「通信実験部」「電気部」
こうした規程から,海軍工廠は兵器開発に関しては,兵器の実験,兵器材料の実験,造
修(製造および修理など)を担当していることが分かる.実験や造修には研究的な作業も
含まれることになるので,外部研究者がかかわる研究開発の領域が存在していたことがわ
かる.
(3)海軍航空技術廠
海軍航空技術廠については,「海軍航空技術廠令」(1940年4月5日の内令225号により
発令)で分かる.この中で航空兵器開発に関わる規程は以下の通り.
(第13条)「兵器部ハ左ノ事項ヲ掌ル
(一)航空兵器及其ノ属具ニ之ガ装備ノ設計,実験,研究及調査ニ関スルコ
ト」
航空機における電波兵器開発に関しては,電気部が担当しているが,電気部の分掌を示
す規程は資料からは確認できなかった.
(4)海軍技術廠
1945年2月14日に海軍技術廠(第一海軍技術廠および第二海軍技術廠)の設置および海
軍電波本部の廃止により,兵器開発の分担組織はその機構を大きく変えることになった.

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